大坂将星伝
第一章 石合戦
仁木英之 Illustration/山田章博
戦国の世に“本意(ほい)”を貫いた男ーーその名は、毛利豊前守勝永(もうりぶぜんのかみかつなが)。家康(いえやす)の前に最後まで立ちはだかった漢(おとこ)の生涯を描く“不屈の戦国絵巻”、ここに堂々開帳!
地獄、というのは恐ろしい場所であるらしい。生前の行いに従って閻魔の裁きを受け、その罪業が甚だしと断じられれば、永遠に等しい時を苦痛の中ですごさなければならない。
それ故に、誰もが行くことを望まない。
だが一方で、地獄は極楽にも繋がるとも彼は聞いている。地獄から遥かに昇っていけば、やがて光の射す浄土へと道が続いている。どれほど激しい罰を受けても、人はやがて償いを終えて輪廻へ戻り、解脱の機会を与えられるのだ。
毛利豊前守勝永が天王寺に敷かれた陣の先頭に立って敵陣を見回すと、水牛の大角を模した兜が陽光を受けて白く輝いている。
慶長二十(一六一五)年五月七日の夜が明けた。
天王寺から住吉、平野にかけて布陣した徳川方の大軍勢は、しんと静まり返って折敷いている。だが、一たび立ち上がればこちらを噛み砕こうと牙を剥くはずだ。戦場の見せる惨い姿を彼は何度も見てきたし、そのただ中にも身を置いた。
砕ける骨と噴き出る血が戦場を塞ぎ、死の間際にひり出される糞尿の臭いが鼻を曲げる。苦痛にさいなまれる呻きは延々と響き渡り、槍の穂先や銃弾が甲冑を貫く音はいつまでも胸に残るのだ。
そして、一方的に滅ぼされる戦場ほど酷いものはない。死は敬されず、馬蹄と草鞋の下で何度も蹂躙される。それが地獄でなくて何だ。だが、彼は三十年もの間戦場を往来してきて、理解したことがある。
地獄は美しい。
血と糞尿の悪臭に満ちたこの地獄絵図は、新しき世の揺り篭だ。死後の地獄はどうか知らぬが、この世の地獄には美しさもあるのだ。
これは滅びではない。国生みの舞いだ。
そうだろう?
勝永は霞むほどの大軍の向こうにいるはずの男に向かって呼びかけた。そして、後ろを振り返った。金色に輝く五層の天守は天下を夢見た、父として兄として、敬して愛した男たちの巨大な足跡だ。
太閤豊臣秀吉の黄母衣衆として主君に一生を捧げた父、毛利壱岐守吉成の血が自分には流れている。そして、太閤秀吉の大いなる志を守ろうとした石田治部少輔三成の心を受け継いだのも自分だ、という誇りが彼の中に満ちていた。
恐ろしいという気持ちは、もう勝永の中になかった。ただ本意を遂げる喜びだけが心に満ちていた。彼は本当に舞い始めたい心を抑えて、
「かくも集まったり二十万」
と吟じた。周囲の将兵はぎょっとした顔で大将の顔を見る。どの顔も、決戦を前にして緊張を隠せないでいた。
「大きいな」
勝永が将士を見回してにこりと笑ったので、兵たちは心配そうに顔を見合わせた。
「父上?」
嫡男の式部少輔勝家が皆の心配を代表して、探るように言った。
「実に大きいではないか」
晴れやかな顔で勝永が答える。
「それは敵が、でございますか」
「違う。我々が、だ」
息子の不安を吹き飛ばすような微笑を勝永は浮かべた。
「大坂方には数万の味方が健在だ。右府さまはいまだお城で健在。真田左衛門佐信繁どの、明石掃部頭全登どの、長宗我部土佐守盛親どのをはじめとする諸将や、古い付き合いの七手組や大野兄弟も、これまでになく晴れがましい出陣だよ」
勝永はにこりと笑い、不安げな表情を隠せなくなっていた息子の肩を叩いた。
「硬いな。戦では強いだけではいかん。柔らかくないと」
「御意にございます」
大きく呼吸をして、息子は凛とした声で答えた。
「だからそれが硬いのだ。我らは義を貫き、天下を手に入れようとする者を相手に決戦を挑む。これこそ武者の本懐だ。違うか」
勝家も弾けるような笑顔を見せた。
「これに勝るものはありません。なあ皆の衆!」
緊張に身を強張らせていた将兵たちも兜を揺らせて笑いさざめき、頷き合った。
「大きい、大きい。さらに大きくなったぞ。これで大御所や将軍の気概にも負けぬであろうよ」
勝永の麾下は三千ほどであったが、目の前の本多忠朝勢を飲み込むような喝采を上げた。
「関ヶ原の前に伏見で槍を合わせたあの男と、こうして決戦の日に相対するとはこれも縁よな。大いに遊ぼうよ」
忠朝だけではない。勝永に強き男の姿を見せてくれた立花侍従宗茂も、家康の本陣近くにいるはずだ。
勝永は満足げに呟くと、秀頼から拝領した錦の陣羽織に袖を通した。華やかな武者振りを、兵たちは眩しげに見上げている。
戦を通じて得た多くの友が大坂に集っている。生まれて初めて彼に戦を見せてくれた男、後藤隠岐守又兵衛は、一日先に逝った。華々しくこの世を後にした。素晴らしい命の終え方だ、と勝永は思った。だが自分は、そうはしない。
「太郎兵衛、お前は寿命をまっとうした後にどこに行きたいか」
「極楽に行きとうございます」
父の剽げた口調に、勝家も軽口で返した。
「俺はな、ここに居続けるよ」
「は?」
「ここは修羅の地だ。もしかしたら、地獄におるのかもしれん。だがこの地獄で、人は己の手で世を変えることができる」
「そのようなことができるのは、天下人だけではないのですか」
それはどうかな、と勝永は楽しげに言った。
「地獄の後に何が残って始まるのかを、この目で見続けてやるのさ」
「はっ! 我らが勝利し、新たな天下を作りましょう!」
勝家は嬉しそうに応じたが、勝永はそれに頷かず穏やかな表情を浮かべているのみであった。そこに、
「敵に動きあり!」
と伝令が駆けこんできた。
備えよ、と勝永が命じると、既に戦意をみなぎらせた将兵が喊声で応じる。
「新しき世を産む前に、美しき地獄を見ろよ、家康」
誰にも聞こえぬよう呟き、勝永は晴れ晴れとした表情で大槍の鞘を払った。
第一章 石合戦
一
限りなく広い湖の上に、緑に萌える竹生島が見える。盛夏の太陽が放つ激しい光を受けた水面は、目を眩ませるほどである。だが、その緑は激しくきらめく光の中でも、声高に己があることを叫んでいるかのようであった。
天正十(一五八二)年六月の蒸し暑い空気が、八百八水を集めてたたずむ近江の大湖、琵琶湖を覆い尽くしている。焦げたように黒く日に焼けた少年が、蘆原の中で息を潜めていた。
密に茂った蘆の間から望む湖面は果てしない。少年は遥かに望む島から目を離して浜に目を戻す。微かに波だち、さざめくよう明滅する水面を眺めながら屈むと、足元から無造作に一つの石を拾い上げた。手の中で形と重さを量り、捨てる。同じ動きを何度か繰り返し、ようやく立ち上がった。
数十人の子供が、湖畔の砂利を踏んで石を投げ合い、左右に駆けまわっている。二手に分かれて押し合い、やがて一方が引き始めた。
彼は蘆原にじっとうずくまったまま動かない。動かずにいると、風が耳に届く。風は浜の喧騒と水際を撫でる波音と、蘆原のそよぎを交えて彼を楽しませた。
子供たちの様子をうかがうと、一方の優勢はもはや揺るがない。頭や腕を押さえて数人が湖畔にうずくまり、声を上げて泣いている者もいる。空中をいくつもの礫が飛びかい、数人は両手を広げて組み合っていた。
勝ちに乗じている者たちの後ろには、一際体の大きな少年が悠然と足を運んでいる。歩きつつ、歴戦の武将のように破れた扇を左右にうち振り、配下の者たちを追いつかっていた。
「助左衛門、甚之丞、様子はどうだった」
少年は蘆をかき分けてやってきた年かさの少年二人に訊ねる。
「こちらに気付いてはいないようです」
助左衛門と呼ばれた四角い顔をした少年が緊張した面持ちで答えた。
「助のやつ、見つかりかけてましたけどね」
「甚は黙ってろって。お前だって俺の後ろに隠れてただけじゃないか」
そのすぐ後ろについていた細面の宮田甚之丞がからかうと、杉助左衛門は拳を振り上げた。
「やめろよ」
少年は二人をたしなめると、手の中にある石をもう一度握り直す。形は丸く小さく、それほど重くない。少年は蘆原からそっと体を出し、大きな背中に目をやった。
腕を振りかぶり、体を反らす。弓なりにしなった体から放たれた石はまっすぐに標的へと向かう。だが少年は、石の後を追うように走り出した。敵の総大将の頭に石が当たり、怒りの形相で振り向いた刹那、少年は相手の腰のあたりに組みついた。
砂利に倒れたはずみで、上を取ったはずが取り返されている。
「太郎兵衛、やりやがったな!」
石が当たった傷から、血が一筋垂れる。転げ回った時にその血が顔中に広がり、赤鬼のような形相になった敵の総大将は、拳を振り上げる。
「今日という今日は許さんぞ!」
少年は鼻っ柱に振り下ろされた拳に、とっさに顎を思いっきり引く。大きな拳と黒い頭がぶつかり、悲鳴を上げたのは総大将の方だった。太郎兵衛と呼ばれた少年はその隙に体を起こし、もう一度頭から総大将の顎を目がけて跳躍する。
鈍い音とともに仰向けに倒れた総大将を見て、配下の少年たちが慌てたように騒ぎたてた。
「き、吉兵衛さま、大事ないですか!」
そうは言うものの、総大将に奇襲をかけた真っ黒な少年を恐れたのか遠巻きに声をかけるばかりである。
「何をしている。早く太郎兵衛を捕まえちまえ!」
鼻血も垂らしながら配下たちに命ずる総大将に向かって、太郎兵衛はためらいなく突進した。だが今度は、吉兵衛の方も反撃に出た。体に似合わずひらりとその突進を躱すと、肩口を掴み足を飛ばす、すると太郎兵衛はほぼ空中で一回転して地面に叩きつけられた。次の瞬間には、馬乗りにされて喉元を扼されている。
「正面から俺に勝てるわけないだろ」
勝利を確信した吉兵衛は、口元に満足げな笑みを浮かべる。
「ほら、参ったと言え。焦げ坊主!」
二人の少年はどちらもよく日に焼けているが、太郎兵衛の方がより黒い。
「参るかよ」
太郎兵衛はかすれた声で言い返すと、吉兵衛の股間を蹴りあげた。だがその脛に激痛が走る。
「お前のやりそうなことはお見通しよ。ほれ」
吉兵衛が裾をまくると、褌の上に鉢金が結びつけられてある。
「いつも不意打ちばかりしやがって。そう何度も引っかかると……」
そこまで言った吉兵衛は牛蛙の鳴き声のような音を発してひっくり返る。勝利に驕っているうちに、顎先に頭突きを食らって目を回していた。
太郎兵衛はゆっくりと立ち上がると、周囲を見回した。いつしか、劣勢だった味方が吉兵衛とその配下たちを取り囲んでいる。その先頭に立っているのは、太郎兵衛に仕える杉助左衛門と宮田甚之丞の二人であった。
取り囲まれた方は口々に参った、参り申したと言い、太郎兵衛はそこで初めてにっと笑った。焦げ坊主にふさわしくないほどに、白い歯である。
「お見事」
「あっぱれ」
と年上の少年たちに称賛されつつ太郎兵衛は胸を張って湖畔を後にする。
「うちの若殿さまをへこませるとは、大したもんだ」
意気揚々と街に戻る太郎兵衛の前に、馬が立ち塞がった。裸馬に乗っているのは、瀟洒な鶴の文様が入った小袖を身に付けた若者だ。
「鼻っ柱の強い若だから、たまにゃああおのけに転んでお天道様を拝めばいいのよ」
と哄笑する。そう言って、若者は太郎兵衛に手を差し出した。
「播磨は神代の後藤又兵衛だ。黒田の若についてここまで来た」
「森太郎兵衛」
太郎兵衛が手を握り返すと、又兵衛は軽々と彼を馬の上に引き上げた。馬の背は、五歳の子供にすると相当高い。太郎兵衛は悲鳴こそ上げなかったが、思わず又兵衛の腰を強く掴んだ。
「不意打ちで敵の大将を討ち取る勇士にしては心細いことだ」
又兵衛が言ったので、太郎兵衛はすぐに手を離した。
「気にするなって。俺もお前くらいの時には、馬に乗せてももらえなかった。何せ家が貧しくて、父上しか馬をもっていなかったからな」
軽く馬腹を蹴ると、馬はだく足で進みだした。それだけでも、太郎兵衛からは風を切って飛ぶほどに速く感じられる。
「森っていうと、勝蔵長可どのか、それとも黄母衣衆の小三次どのか」
森長可の父の可成は浅井、朝倉との戦いの最中、近江宇佐山で戦死した。長可は十三歳にして家督を継ぐと織田信長の寵愛を受け、人並み外れた武勇で数々の戦功を立てている。太郎兵衛が黒田吉兵衛、後の長政に頭突きをかましている頃、長可は信濃平定の後に越後へと攻め込んでいる。
もう一人、又兵衛が名前を挙げた黄母衣衆の森小三次は、名を吉成という。幼い頃から美濃の野伏せりとして暮らしてきたが、秀吉に出会って人生が一変した。常に秀吉の近くに仕え、使者の任を多く任されている。大禄を与えられているわけではないが、その信任は厚かった。
「黄母衣衆」
と太郎兵衛はそれだけ答えた。
「おお、そうか」
嬉しそうに、又兵衛は体を揺らした。
「お父上には随分と世話になっている」
黒田吉兵衛は、播磨宍粟郡の山崎城主、黒田官兵衛孝高の嫡男である。人質として羽柴秀吉の治める長浜に送られ、数年を過ごした。
摂津の荒木村重の謀反に巻き込まれ、村重を説得しようとして捕らえられたが、竹中重治の機転によって救われ、村重の一件が終わってからは播磨に帰ることを許されている。秀吉の中国攻めに合わせて、吉兵衛は再び長浜に送られていた。
覇気に溢れた十四歳の吉兵衛は、たびたび城下の子弟を集めては石合戦を催している。彼に匹敵する将領は長浜におらず、大抵は圧勝するのであるが、時に太郎兵衛の奇襲にあって、痛い目に遭わされていた。
「中国攻めの首尾はどうだ」
近江の長浜はこの時主戦場になっている備州から遠く、詳細な戦況はなかなか入って来ない。故郷を後にして、遠く近江まで来ている後藤又兵衛にしても、もどかしいところである。
「わからない」
太郎兵衛はまだ五歳である。父の森小三次吉成は主君の秀吉について中国攻めに参加しているが、太郎兵衛自身はもちろん留守番である。詳しい戦況がわかるはずもない。
中国攻めは、長らく苦しめられた本願寺を鎮圧し畿内を手中に収めた信長が、天下布武を実現させるべく起こした大戦であった。天正四(一五七六)年から始まった征西は、途中荒木村重の反乱によって中断を余儀なくされながらも、着実に進められつつあった。
信長が秀吉に課したのは、播磨、因幡、備前、備中を平定し、中国地方に覇を唱える毛利を抑えることであった。秀吉と幕僚陣は毛利側の名将である吉川元春、小早川隆景と智勇の限りを尽くした戦いを繰り広げている。
そんな中でも、秀吉は時を惜しまずに毛利方の拠点を着実に攻略していた。天正七(一五七九)年に宇喜多直家を屈服させ、同八(一五八〇)年には播磨三木と但馬を、そして同九(一五八一)年には鳥取城、続いて淡路を手中に収めている。太郎兵衛の父である森小三次吉成は常に秀吉の身辺に侍り、四方の勢力との交渉に奔走していたが、幼い太郎兵衛は知る由もない。
彼は物ごころがつくなり、山や湖を駆けまわり、陽光を吸い込んだ肌は瞬く間に黒く焼けた。最近では石合戦にも参加し、すばしっこさを生かして物陰に潜み、敵の総大将に奇襲をかけることを常としていた。
「若のお守じゃなくて、先鋒で戦いたかったな」
後藤又兵衛は無念そうに呟く。彼とて二十二の若者である。
「だからと言って、石合戦に交ざるわけにもいかんしな」
「石合戦、面白いよ」
太郎兵衛は自分がもっとも楽しみにしている遊びを馬鹿にされたような気がして、頬を膨らませた。
「実際の合戦はもっと面白いんだぞ」
又兵衛は血が滾ってきたのか、手綱を緩めて馬を走らせた。太郎兵衛は慌てて又兵衛の腰にしがみつく。
「今でこそ種子島で勝負がつくご時世になってしまったが、やはり弓矢と槍をぶつけ合って功を立てることこそ男子の本懐だよ。しかし何で武勇誉れの俺が若のお守をして近江におらねばならんのだ。播磨からすぐ近くで大戦が起こっているというのに」
口惜しげに馬を叩いた又兵衛の視界に、長浜の街がはっきりと見えてきた。
「戦国の世はもう終わるかも知れないってのによ」
と唸るように呟いた。
二
又兵衛がそう感じるのは、天下にはかつてないほどに力を持った武将が現れたからだ。その男こそ、織田信長である。
後に聡明の代名詞のように扱われる信長が、阿呆のように振舞っていたのは何故か。彼は後にもしばしば見せるように、果断の裏の繊細、残酷の裏の優しさ、といったように出会う者を戸惑わせる表裏があった。
表裏の差は、言うなれば滝である。
滝は落差があるほど、そこに流れる水量が多くなるほど、激しいものとなる。落差も水量も多くなれば、滝は己の身を削ることになるし、その近くにいる者は水煙に覆われて、その正体を見極められない。
信長は若い頃、己が持つ大瀑布の正体を自分でも理解できなかったのであろう。ただ、奔放に振舞うことによってしか、その奔流を表現できなかった。
何とか家督を継いだ彼にとって幸いなことに、その激しさを戦わせる相手に事欠かなかった。遠江の今川、美濃の斎藤、越前の朝倉、伊勢の北畠、と四方と争い、睦み合っているうちに、自分がどこにいるかに気付いた。
天下である。
天が下には無限とも思える広野が広がっている。彼は己が天下という器の中で縦横に疾走している時だけ、束の間の満足を感じることができた。早いうちから天下布武という印を使いだしたのも、己の器は天下でしかあり得ないという気概の表れである。
天正十年夏の時点で、彼の前に立ちはだかっていたのが中国の毛利である。大いに自家の勢力を拡大させた名君、元就は既に世を去っていた。だが、残された吉川元春、小早川隆景をはじめとする諸将は跡継ぎの輝元を盛り立てしぶとい抵抗を見せていた。
信長は中国攻略を焦ってこそいなかったが、急いではいた。彼の意は備州にとどまらず、既に九州を視野に入れている。丹羽長秀や明智光秀に九州の古い名族の姓、惟住や惟任を与えたのは西への強い意志の表れであった。
中国攻略を任された秀吉は着実に成果を挙げており、太郎兵衛の父、小三次吉成も黄母衣衆の一人として従軍している。
だが、備中高松城で清水宗治の頑強な抵抗に遭ってその足取りは止められていた。小早川隆景配下の将である彼は、秀吉のあらゆる工作を跳ね返し、備中高松城に立て篭っている。
信長に増援を願った秀吉は、もちろん四方の情勢を知らなかったわけではない。北陸も関東も多事多難で、大軍を送ってもらえないことはわかっていた。
だが信長自身か、もしくは畿内に駐留する光秀の軍勢を回してもらえば士気は上がり、何より毛利方の士気をくじくことができると考えていた。明智光秀が一万三千の兵を率いて西上を開始すると聞いて、秀吉は胸を撫で下ろしていたものだ。
明智光秀は、信長の天下を広めるのに大きな功績があった。美濃の名家の出であり、足利義昭と信長を繋いだのは彼である。謀略にすぐれ、かつ軍を率いては強く、そして政にも長けていた。
信長にとっては実に使える男だったのである。使える者に対しては、厚く遇するのが信長の流儀ではある。足利義昭の利用価値は徐々に下がっていったが、それは信長の光秀に対する評価が下がったことを意味しない。
京に近い近江に一万以上の軍勢を持つ光秀がいることには大きな意味がある。畿内はほぼ平定されたとはいえ、小さな抵抗は各所にあった。さらに、荒木村重の反乱以降、畿内でも何が起こるかわからぬという危惧もある。
だが、秀吉への救援の必要性は、その危惧を上回った。ここで備中高松城を抜けず、中国での戦線が後退することになれば、西への道はさらに遠ざかることになる。逆に、明智軍が秀吉と合流して毛利を屈服させることができれば、中国の情勢は大いに変わる。
「明智どのは織田軍の中でも抜群の強さだ。これで毛利が負けちまったら、天下の戦は終わりだぜ。俺の槍先がどこにも届かないまま大戦が終わるなんて我慢ならねえ」
「まだまだ戦は続くって、父上は言っていたよ」
事情はよくわかっていないながら、太郎兵衛は又兵衛を慰めるのであった。
「若はここにおいていてもいいから、俺を中国攻めに連れて行ってくれないかな」
戦功は戦いのあるところにある。功は敵が強いほど大きくなり、強敵が減るほど大功を立てる機会は減る。毛利を屈服させると、残るは大友や竜造寺、島津など九州の雄たちが雪崩を打って信長に屈服するのではないかと又兵衛は心配していた。事実、大友は既に信長に誼を通じていると噂になっていた。
又兵衛の焦りは日に日に募るばかりであった。
琵琶湖に面した長浜城は西の戦場がうそのように静まり返っている。秀吉は城下に商人を呼びよせ、信長にならって楽市を敷いている。四方から集った商人が市をなし、賑わいがまた人を呼ぶ。
市では怪しげな鍋や肉の屋台に交じり、焼餅の店もあった。
「おい、太郎兵衛。餅でも食うか」
又兵衛は馬を下りると、芳しい香りを振りまいている焼餅を求めて太郎兵衛に渡した。醤油の匂いに釣られて唾が湧き出し、太郎兵衛は大口を開けてかぶりついた。
「俺は酒を呑む。呑まないとやっとれんわ」
小袖をまくると、太い綱をより合わせたような筋肉が露わになった。太郎兵衛の父の小三次吉成は槍の名手であるが、小柄で一見貧相に見える。だが又兵衛は体も大きく、腕も太い。太郎兵衛はそれが珍しくて、思わず指でつついていた。
「おお、びっくりした」
急につつかれて、又兵衛は驚いて杯を落としそうになった。
「この腕は中国無双だ。俺に槍をつけて無事だった奴はいないぞ」
と力を入れてみせる。荒縄のような筋肉がぐりぐりと動いて、太郎兵衛は目を瞠った。
「槍も刀も力がなければ自在には使えぬからな。お前はまだ幼くて槍など持つのは先の話だろうが、鍛えておけよ」
誇らしげに腕を叩くと袖の中にしまった。
二人がのんびりと茶屋の軒先に座っていると、若者の一団が道一杯に広がって歩いて来る。よく見ると、石合戦の相手方である。太郎兵衛に気付いて手を振る者もいたが、又兵衛の顔を見て、ついと目を逸らせた。
「そんなに怖がらなくてもいいじゃないかよ、なあ」
「何かしたの?」
「喧嘩を売られたら買わずにおれなくてね。年下の者が相手でもちょっと強めにやってしまうんだ」
照れ臭そうに頭をかく。数十人からなる若者たちの群れに、町の人々は因縁をつけられないよう微妙に距離をとってやり過ごしている。その集団がふいに足を止めた。
「おい」
中心にいたのは、又兵衛の主である黒田吉兵衛であった。だが又兵衛は杯を空けながら軽く頭を下げたのみであった。
「何故俺に加勢しない。お前が護衛をしないからそこの子供に不意打ちを食らったではないか。俺の臣下であるなら拳骨の一発でもやっておけ」
吉兵衛はきつい口調で命じる。だが又兵衛は、聞くなりげらげらと笑いだした。
「加勢でございますか。戦場のことなれば、いくらでも加勢いたしましょう。ですが吉兵衛さまのそれは遊びではありませんか」
言葉は丁寧だが、口調は明らかに嘲っていた。
「それに、これなるはたとえ遊びとはいえ敵の総大将の懐深く踏み込み、その背後をとった真の勇士です。戦場においては年も位も関係ない。その武勇は吉兵衛さまなど足元にも及ばぬ天晴なもの。そのようなもののふに辱めを与えることはできませんな」
と言い放つ。
「お前、主君に喧嘩を売っているのか」
「勘違いされては困ります。俺が仕えているのは官兵衛さまであって、あんたじゃない」
又兵衛は既に、立ち上がっていた。戦いに飢えた若者の肉体は喧嘩への期待に膨れ上がっているように、太郎兵衛には見えた。
吉兵衛も子供の中では相当に大柄だが、又兵衛とはまとう気配が全く違っていた。
「喧嘩なら買いますよ」
「城下でそんなみっともない真似ができるか!」
「みっともない目に遭うのは吉兵衛さまだけですな」
吉兵衛は忌々しげに又兵衛を睨みつけ、城の方へと去っていく。一応は国元からの使いという名目で来ているので、宿は城内の一角にある。又兵衛が声を抑えて笑いながらその背中を見送っていると、大路の向こう側から悲鳴が聞こえた。
「おい、あれ黄母衣衆じゃないか」
遠くから見ると黄金色に見える甲冑に、体を覆わんばかりの母衣を背中に結わえた姿は、秀吉側近の証である。母衣とは竹を編んだ物に大きな布をかぶせ、後方からの矢防ぎと指物の役割を持たせたものだ。使い番の証として派手な色の布を使い、秀吉の周囲に侍る者たちは鮮やかな黄色の母衣を与えられている。彼らは秀吉の手足となり、四方への使者となって交渉を任されている精鋭たちであった。
その一人として太郎兵衛の父も働いている。長浜では黄母衣の姿を見れば問答無用で道を空けねばならない。まして馬を疾駆させているとなれば大事が起こっていることは間違いない。そんな時に馬蹄にかけられたと訴え出ても、それは馬前に立つ方が悪いとされた。
「父上だ!」
矢のように城に駆け込んだ騎馬を見て、弾かれたように太郎兵衛は立ち上がった。
三
織田信長が死んだ。
街の人々がそれまでの平穏をかなぐり捨てて荷物をまとめ、逃げまどう姿を見て、
「天下人ってのは大したもんだな。一人死ぬだけでこの騒ぎになるのか」
と又兵衛は感心していた。だが太郎兵衛は怖かった。前の日まで穏やかに笑っていた町の人々が血相を変えて荷を車に積み込んでいるのだ。
「こりゃあ荒れるぞ」
又兵衛は太い腕をぱちんと叩いた。
長浜の町に走った衝撃は、当然として城中の人々の動揺を誘った。中国攻めに参加していたが負傷し、一足先に長浜に帰ったのを契機に城を任されていたのは、木村定重である。
近江蒲生郡の土豪で、秀吉が長浜に赴任してからその家臣となった。親子三代にわたって秀吉に重用され、子の重茲は豊臣秀次の家老となり、孫の重成は大坂城で秀頼の側近として仕えることになる。定重は城の警戒を厳にするとともに、諸将に如何すべきかを諮った。長浜を守る兵は数百に過ぎない。
「右府(信長)さまに変事があったこと、確かに耳には入っていたが」
明智光秀の軍が、信長の宿所であった京の本能寺に攻め入ったとの報は、京に近い長浜に翌日のうちに伝わってはいたが、誰もが確信を持てないでいた。
木村定重は秀吉と何とか連絡を取る方策を探ったが、もし毛利方に使者を捕えられでもしたら主君の命も危うい。
「わしが直接行く」
と周囲には打ち明け、実際にそのように準備もしていた。
光秀は信長の勘気に触れて意気消沈し、恨みを抱いていたとの噂もあるが、秀吉は有名なものだけで二度も信長を激怒させている。その度に家臣たちはひやひやしたものだが、それで秀吉が信長を裏切るなどと思ったことはない。従って城内の諸将は、
「日向守(光秀)さまには昔からの謀があったに違いない」
との結論に達した。
光秀ほどの将であれば、信長の守りが手薄になる機会をじっと待っていたに違いない。だが、直属の軍勢だけで信長亡き後の混乱を収められるとは考えられない。兵力をどこからか持ってこなければならない。
定重たち長浜の留守居たちがすべきことは二つに一つであった。秀吉の主力が中国から帰ってくるまで待つか、乾坤一擲の一撃を加えて華々しく散るかである。
「そのような無駄死にを筑前さまが喜ぶとは思えない」
定重のその一言で、突撃して散華するという策は却下された。
「殿は命の張り方を知らぬ男を嫌う」
秀吉は自ら志願して死地に身を置いたことがある。浅井朝倉の両軍から挟み撃ちを食らった際の、金ケ崎の退き陣である。一歩間違えば命を落としかねない一か八かの戦場であった。
秀吉は見事に賭けに勝ち、名声と信長の信頼を得たものだ。一貫して無駄死にを避け、勝負どころで無謀にも見える賭けに出る主君と共に働いてきた定重は、長浜を自滅させるような挙に出るわけにはいかなかった。
留守居の諸将にはもはや、秀吉本人の指示を仰ぐ他に名案は浮かばない。
だが、連絡をとろうにも街道筋には光秀の手が回っているはずであるし、彼の麾下とみなされている丹後の細川藤孝や大和の筒井順慶も動き出しているのは間違いない。彼らが東西の連絡を断とうとするのは自然であるし、その壁を越えるのは決死行になるに違いなかった。
そこに使いが駆けこんできた。
秀吉近侍の黄母衣衆の一人、森小三次吉成である。体は小さく色は黒く、大柄で色白な木村定重とは対照的である。だが、その体から発せられる闘気ともいえる気配は、兵たちの目を伏せさせるほどのものであった。
吉成は備中高松から馬を乗り継ぎ、休みもとらず駆け続けてきたというのに、泰然として慌てた様子も見せない。
そして定重たちは、秀吉から与えられた命を見て絶句した。
「これから数日のうちに姫路にとって返して京に入るゆえ、長浜留守の者たちは日向守が軍勢を差し向けてくれば無理せず逃げよ」
とあった。数日、というのは当然秀吉がこの書状をしたためてから、ということだから京に入るのはあと二、三日のうちだ。
「筑前さまは気でも違ったか。備中から京まで何里あると思っているのだ」
「数日で帰ると仰ったからには、必ず行うのが我が殿ではないか」
吉成の言葉には揺るぎがない。
「……それもそうだ」
定重も頷く。
「日向守さまの動きはどうか。筑前さまは掴んでおられるのか」
「わからん。ただ、変事を知って数瞬の後には京へ戻られることを決められ、我ら黄母衣衆には畿内の諸軍に伝令に向かうよう命じられた」
定重には備中と京の距離の他に、さらに大きな懸念があった。
「そもそも殿は、毛利に対する援軍を右府さまに求めるほどに苦戦しているではないか」
秀吉の手元には三万の軍勢がいる。だが、四万を超える毛利軍に対するために、信長は光秀を備中に向かわせようとしていたのだ。
「なのに退き陣がうまくいくのか……」
「そこは殿のお手並みだ」
吉成も秀吉がどのような手を打って毛利の目をかすめ、三万もの軍を西に向けるのか見当もつかなかった。ただ、やると言うまでの数瞬で、秀吉の頭に何らかの名案が浮かんだと信じるしかない。
実際、秀吉は大きな博打に出ていた。
備中高松城を守る清水宗治が腹を切って城を開けば、講和を受け入れようと申し入れたのである。忠誠を尽くした将を見殺しにするのは小早川隆景も吉川元春も受け入れがたかった。だが、四万の軍勢をもってしても、秀吉に勝てるかどうか自信もなかったのである。
秀吉の申し出に、ついに毛利方は乗った。
使いに立っていた安国寺恵瓊は、当時、信長が足元をすくわれることを予測するほどの炯眼の持ち主であったが、それでも秀吉の堂々たる態度に騙された。
むしろ、秀吉の態度の変化に安堵していたほどである。ともかく、秀吉は薄氷を踏むような思いで、清水宗治の切腹を見届け、かつ飢えきった城内の兵に施しを与えた。その様は悠然として、恵瓊も後に秀吉に面会した際激賞して見せたほどである。
ともかく、毛利との講和を成立させた秀吉は全軍に、東へ向かい、姫路に着くまで全速力で駆けよと命じた。飯も食うな夜も寝るなという無茶な指示である。この命を受けた秀吉軍の動きも見事であった。
このような命を受けたからには、やりきらねばならんし、成算があるから言っているのだと将兵が信じるほどに秀吉という将は一目置かれていた。
そして瞬く間に退き陣の態勢を整えると、秀吉は整然と東へ向けて軍を動かした。当時の街道は狭く、大軍を一斉に動かすには向いていない。伏兵を置かれてはひとたまりもないが、表面上は平然と、撤退ではなく作戦の一環として移動していると全将兵が姫路に至るまで信じ込ませていた。
もちろん、使者を先行させて街道脇の村々に炊き出しをさせ、全力で駆けさせたのは言うまでもない。将兵もこの男についていれば、飢えることなく走れるとわかっているのである。
通常、行軍速度は一日六里程度である。しかし、六月六日午後に備中高松城を後にした秀吉軍は、途中に難所の船坂峠があり、さらに豪雨にみまわれたにもかかわらず、六月八日中には姫路に達していた。特に備前沼城から十八里を駆け抜けた速さは、尋常ではない。
姫路に着いた秀吉は、ついにその意図を明らかにした。
四
長浜城に残された将兵たちは、昂る期待と不安に顔を見合わせていた。
天下様として君臨しつつあった信長が、こうもあっさりと世を去るとは誰も思っていなかったほどに、その存在は大きくなっていた。
「戦になる」
顔を合わせれば、男も女もそう囁き合った。それも、これまでとは違う、天下を奪い合う大戦だ。もちろん、歓迎する者もいた。
「腕が鳴る!」
後藤又兵衛は、自分もその大戦に参加できるものと思い込んでいた。播磨の将、黒田官兵衛孝高の息子、黒田吉兵衛の随員として長浜に来ている。孝高は秀吉の信任が厚く、又兵衛はその武勇を孝高に高く買われていた。
「俺が行かなければ始まらん」
とすら、又兵衛は太郎兵衛に豪語していた。だが、秀吉軍が姫路を発したとの噂が流れても、長浜には何の命も下されなかった。
「どうなってるのか、お城の様子を訊いてくれんか」
苛立つ又兵衛は、大きな体を折り曲げるようにして太郎兵衛に頼みこんだ。だが、石合戦では表情一つ変えず総大将の背後をとった太郎兵衛が、あからさまに嫌な顔をした。
「できない」
とにべもなく断ったのである。
「どうしてだよ。お前の父君は黄母衣衆なんだろ」
「お勤めのことを訊くと叱られる」
「ああ……」
確かに、と又兵衛も納得はできた。黄母衣衆が扱うのは、秀吉の帷幕の中でも、もっとも秘密を要するものである。子供であっても、漏らすことは許されないのは当然であった。だがこれで諦める又兵衛ではない。
「なにも俺は秘密が知りたいというわけではない。陣に加わりたいだけだ。そう言ってくれんか」
「言えない。自分で言って」
太郎兵衛は又兵衛が戦に出ると活躍しそうということくらいはわかるが、怖い父にものを頼むにはどうすべきか知らない。
又兵衛は森家の門を叩き、秀吉から預かった命を城に伝えてようやく一息ついている吉成を訪ねた。
「筑前守さまはどこで日向守を叩くおつもりか」
と思い切ったことを訊く。
「それは私の思慮の外だ。たとえ知っていたとしても、あなたに教えるわけにはいかない」
「わかっています。ですが、この大事を前にして槍を振るえないことは武門の恥。どうしても教えていただきたい。教えていただけぬのであれば一人京に上って馬前に馳せ参じ、筑前守さまに願って先鋒となる所存です」
「ご随意に」
吉成はすげなく応じる。
「言っておくが、武門の務めとは何か。それは主命を奉じて全うすることである。目の前に戦があるからといって功に逸り、一騎駆けの無謀に憧れることこそ恥と心得られよ」
六尺はありそうな大柄な又兵衛の前では、吉成は実に小さく見える。だが太郎兵衛は二人が向き合っている姿を見ているだけで、これは父の方が強そうだと感じた。
「あなたは黒田官兵衛どののご子息に従ってここに参られた。主君の子を守りきることは、戦場で敵の首を挙げることに何ほども劣らない。その務めを捨てて一騎駆けを望むなど、それは匹夫の勇であって武門の誉れではないのだ」
吉成に諭されているうちに、又兵衛の首は徐々にうなだれてきた。
「我らは中国攻めに加わっている者たちの家族、そして質に送られている者たちを連れて長浜を出る。東の七尾山に築いた出城にこもり、殿の援護を待つ」
「では戦は」
「手出しされぬ限り一切せぬ」
二人の間に沈黙が流れ、太郎兵衛は覗き見を止めて屋敷の外に出た。
石合戦は当分なさそうであった。長浜の町は間近に迫った戦の予感に、興奮を抑えきれないように見えた。
足軽たちは具足を身につけ、騎馬武者の下知に従って城の各所へと駆けていく。商人は商品を売り切ると早々に市を後にして去った。町の人々も年寄に先導されて城へと入っていく。
長浜は光秀の城、近江坂本にも京にも近い位置にあり、いつその軍勢が攻め寄せて来るかわからない。留守を任された諸将は、長浜を捨てることを決めていた。
つまらないな、と石を蹴りながら太郎兵衛は路地の端を歩く。指物もない一人の武者が辺りをうかがうように馬を進めていた。怪しい奴、と礫を一つ拾って、大きく振りかぶる。体と腕をしならせて力一杯投げると、礫は騎馬武者の鉢金に当たってしまった。
がん、と鈍い金属音がして武者はよろける。慌てて身を隠した太郎兵衛であったが、すぐに襟首を掴まれた。
「何しやがる」
と面頬の下から怖い顔で睨みつけてきたその武者は、太郎兵衛の顔を見て拍子抜けしたような表情になった。
「俺だよ、俺」
その声は後藤又兵衛のものであった。
「出陣?」
父に行くなと諭されたはずの又兵衛が戦装束なのを見て、太郎兵衛は首を傾げた。
「勝手に行くのさ」
「そんなことしていいの?」
太郎兵衛が無邪気に訊くと、又兵衛もきまりの悪そうな顔をした。
「駄目なんだがな、今は天下の大事だ。小三次どのには叱られたが、こんなところで若殿のお守をしているくらいなら、槍をとって名を揚げる方がよほどお家のためになる。要は惟任日向守の首級を挙げればいいのだ!」
自分に言い聞かせるように叫ぶと、黒塗りの大槍を掲げて見せた。忙しげに街路を行く町人たちがぎょっとした顔で又兵衛を見上げ、関わり合いになるのを恐れるように早足で駆け去った。
「では行ってくるぞ」
からからと笑うと、又兵衛は長浜の大路を堂々と一騎進んで出立しようとした。だが馬首を廻らせ太郎兵衛のところへ戻ってくると、
「お前はどうする」
と訊ねた。
「どうするって?」
「一緒に来ないか。戦場に行くのに供回りも連れて行かないのはみっともない。かといって、吉兵衛さまの耳に入ったらまたやかましいことを言われるに違いないからな。それに、俺が武功を立てたらその証人となる者がいる」
そう誘われて、太郎兵衛の心は波立った。
「お前がこれから強い武者になるには、戦場を知らねばならんぞ」
太郎兵衛はまだ五歳であるから、もちろん戦場は知らない。だが石合戦に何度も交わるうちに、本当の戦場を見たくなっていた。父は秀吉について四方へ出征して家にいることの方が少ないし、勤めのことは一切口にしない。
ただ、父は城持ちでも何でもなく、屋敷も桧皮葺のあばら屋に住んでいるというのに、城内の者が父を軽んじることはなかった。秀吉配下の猛者達はもちろん、その同輩ですら吉成を訪れると丁重な物腰で用件を伝えていく。
城下では知らぬ者もいない将領が、親しく父に接しているのは太郎兵衛には誇らしくもあり、また謎でもあった。その秘密が戦場にあるのだろう、と漠然と考えているのみだ。
その戦場を又兵衛が見せてくれるというのだ。もちろん太郎兵衛は、本当の戦場がどのような場所か、まだ知らない。
「行く!」
と弾けるように答えると、又兵衛は嬉しそうに頷いた。
五
又兵衛は城外の茂みに潜み、何かをじっと待っていた。
「小三次どのは決して口にせぬだろうが、黄母衣衆は筑前さまの傍に侍るのが務めだ。長浜への使者の任を終えれば必ず本陣に戻るだろう」
その後をつけるのだ、と又兵衛は舌舐めずりをした。やがて黄色の母衣を背中にはためかせた一騎の武者が、長浜の町から駆けだしてくる。馬を乗り換えた吉成が、急ぎ西へと走り去った。
「俺たちも行くぞ!」
又兵衛は勇躍して馬に跨る。太郎兵衛も後鞍に跨らせてもらった。吉成は馬を巧みに操り、街道を疾駆していく。又兵衛は懸命に馬腹を蹴ったが、瞬く間にその姿を見失った。
日は暮れて、あたりは闇に包まれ始める。この当時、鎧を身に付けた武者は恐ろしくもあり、一方で金の成る木でもあった。戦死者から武具をはぎ取り、流通させる市がどの町にもある。
一人で、しかも子連れで街道を彷徨う武者など狩りの対象でしかない。農民、といっても戦国の男は大なり小なり実戦の経験がある。弓も鉄砲も槍も、一人前に使える者が多かった。
そして又兵衛の前には、二十人ほどの男たちが弓と槍を構えて立ち塞がる。
「身ぐるみ置いていかれよ」
脅しの口上も堂々としたものである。太郎兵衛は闇に光る白い目を見て震えあがったが、又兵衛は怖じることなく、
「筑前さまの軍を見なかったか」
と逆に訊ねる始末である。
「その甲冑と槍を渡せば教えてやる」
男たちはじりじりと包囲を狭めてくる。又兵衛はしばらく鼻をうごめかして周囲の匂いを嗅いでいたが、
「よかった。火縄の匂いはしない」
嬉しそうに太郎兵衛に告げた。太郎兵衛も慌てて鼻をひくつかせてみるが、確かに晩夏の湿った土の匂いが漂っているばかりで、煙硝の気配はない。
「ここは見なかったことにしてやる。俺のめでたい出陣を、お前らのような百姓の血で汚すのも下らない。追い剥ぎは戦に敗れて疲れた者を狙うべきで、俺のような勇士を狙うのは命を縮めるだけだぞ」
頭目らしき男はそれに答えず、
「やれ」
と一言命を下した。十数本の矢が唸りをあげて飛び、又兵衛の巨体に迫る。数人が駆けよって、槍を一斉に突き出した。だが鏃の一つも、槍の一本も又兵衛に届くことはない。鏃は全て地に叩き落とされ、槍を突き出した者たちの首は宙を飛んでいた。
「俺はやめろと言ってやったからな。恨むなよ!」
咆哮をあげた又兵衛が槍を投げると、弓を構え直していた者が一人、絶叫もあげずに倒れ伏す。首を飛ばされた男たちの槍を次々に拾い上げ、四方に投げるとその度に賊の命が消え去った。
最後に一人残った頭目は悲鳴をあげて逃げ出すが、又兵衛は馬を走らせて蹄で蹴散らした。大刀を抜いて一閃させると、男は闇の中でも鮮やかな血しぶきを上げて絶命する。
「戦に出ようという武人から物取りをしようというのだから、仕方ない報いだと思えよ」
愛用の槍の穂先をあらためて刃こぼれも歪みもないことに満足した又兵衛は、はっと何かに気付く。
「筑前さまの行き先がわからないままではないか」
がんがんと槍の柄で己の頭を殴った又兵衛は、街道の先を見やりながら思案に沈んだ。
「お、こりゃいかん」
数百人の軍勢が街道を北へと駆け抜け、又兵衛は慌てて身を隠した。桔梗の旗印を押し立てた明智の軍勢が近江の諸城を落とすために軍を送りこんでいるらしい。六月九日の日暮れを迎え、長浜から京へ続く街道には人影もない。
「長浜や佐和山は日向守に取られるだろうが、戦場になるのはもっと西なのかもしれんな。とりあえず京まで行って宿をとろう」
又兵衛は口惜しげに舌打ちした。
「どういうこと?」
「京の前には摂津がある」
又兵衛たちは馬を走らせて佐和山に入っていた。近江の国で後に彦根と呼ばれる地域の城は佐和山にあり、後に石田三成が改築する以前の、素朴な山城である。町は琵琶湖畔に広がり、湖東を走り遥か東北へと連なる東山道の物資を中継する拠点となっていた。明智の軍勢は城に入っているが、町は静まり返っている。
「摂津衆の主力は高山右近と中川清秀の両将だが、この二人の動きが見えない」
大坂、摂津は、織田軍にとってある種の鬼門である。
かつては石山本願寺が拠点とし、長年にわたって信長の西進を妨害し続けた。そして荒木村重の謀反によって、中国攻めはさらに遅れたものだ。
信長も秀吉も、摂津衆の扱いにはかなり神経を遣っていた。秀吉は中川清秀と義兄弟の誓紙を取り交わしたほどである。これは二人の親密さを表すというより、微妙な距離を示しているといってよい。
摂津が明智に与すれば、秀吉の中国大返しは意味をなさなくなるのは間違いなかった。
「丹羽越前守さまと三七信孝さまが堺におられるが、軍を離れられているとの噂だ」
三七は信長の三男信孝のことで、丹羽長秀が後見人としてついていた。又兵衛は知る限りの近畿の情勢を話し続けるが、もはや幼い太郎兵衛の頭では理解できない。
「要は、もともと摂津にいる連中がどちらにつくかで、話は大きく変わるということだ」
摂津は辛うじてわかる。京の南にある、海沿いの町で商いが盛んなところだ。だがわからないことがある。
「摂津の人たちはどうして迷ってるの。悪いのは右府さまを殺した人でしょ?」
「さ、それが大人のずるいところさ」
ことさら分別臭い表情を作って又兵衛は太郎兵衛の頬をつついた。
「大義名分を口では言いながら、裏で損得を考える。かといって損得だけでもないのが困ったところだ。結局は、建前と損得をはかりにかけて、どちらに傾くかと考えているのさ。傾いた先が見苦しいか華々しいか、それだけの違いだ」
「又兵衛はどっちなの」
ふいに太郎兵衛が訊いたものだから、又兵衛は意表を衝かれた顔になった。
「俺か? そうさな……」
しばらく考えていた又兵衛は、
「常に華々しい方を選んでいたいね。筑前さまのようにさ」
「筑前さまは華々しい?」
「そうさ。官兵衛さまがいつも言ってる。あの方は顔は猿だが、その背中に太陽を背負ってらっしゃるとな。俺から見れば、官兵衛さまだって十分すごいんだが、その殿が言うんだから間違いないよ」
そうか、と又兵衛は合点がいったように手を打った。
「月と太陽じゃ勝負にならんよな。筑前さまが太陽なら日向さまは月みたいなお人と官兵衛さまは仰っていた。どちらも空に輝くが、その光はあまりに違う。この戦、勝ったぞ」
わはは、と満足げに笑うと馬の尻に鞭を当てた。
「やっぱりよくわからない」
太郎兵衛は懸命にその背中にしがみつく。もしかしたら明日にも戦場とやらを目に出来るかと思うと、胸が高鳴るのであった。
六
六月十日の夜になって、二人は京に入っていた。相変わらず羽柴軍も明智軍もどこにいて何をしているのか、人によって言うことはばらばらであった。ただ、どうも秀吉の動きに比べると光秀の動きが後手に回っていることは又兵衛にもわかった。
「やはり京を巡って戦うのかな」
天下分け目の戦いとなると、やはり京の奪い合いという印象が又兵衛にはあった。彼も昔話にしか聞いたことはないが、近年でもっとも激しい戦は、応仁年間に京で繰り広げられた。
「京には何があるの」
「そりゃあ……御所があるからな」
当時の皇室は名目上の権威こそ残ってはいたが、貧しさも極まっていた。そんな中、各地の大名に位階を授けたり古今伝授などの古くからの技能を生かして何とか日々を暮らしているのである。
父、信秀の代から引き続いて信長が助けの手を差し伸べたので、朝廷の財政はやや改善していた。だが天下を争う戦の目的が御所か、と言われると又兵衛にもよくわからない。
「それだけ?」
「じゃあ太郎兵衛はどこで戦になると思うんだよ」
又兵衛はむっとしたように訊ねた。だが太郎兵衛にわかるはずもない。京も大坂も彼にとってははるか遠い世界だ。
「やはり京にいよう。日向さまは公方さまに近かったお人だ。天下に号令をかけるとなれば京を押さえようとするはずだし、筑前さまはそれを許さないはずだ」
それに、光秀の居城である近江坂本は京に近い。京を落とされることは、城の喉元に刃を突きつけられるのと同じだ。
京には秀吉と共に黒田家が昵懇にしている豪商の今井宗久の別邸がある。そこでもう一度四方の情勢を探ってから、戦場を見極めるつもりであった。
だが、単騎で槍を提げて街道を行く又兵衛の姿を見ても、誰何する者もいなかった。これには又兵衛も奇妙に感じた。
「もはや戦は終わっているのか?」
と首を傾げつつ進む。京の町に入っても気味が悪いほどに静かで、市で商いをしている者もいない。かといって、日向守の名で出されている高札もなく、誰が京を支配しているのか又兵衛にもわからなかった。
清水寺近くにある今井宗久の別邸を訪れると、当主は堺の本邸にいて不在であった。それでも佐和山にいるよりは情勢もはっきりわかる。宗久の留守を守っている若い商人は、信長が死んだという騒乱の中でも落ち着いているように、又兵衛には見えた。
「商いは何が起こるかわかりませんから。右府さまが日向守さまに弑されたのも、驚きではありますがあり得ぬことではないので」
そう言って、又兵衛に知る限りのことを教えてくれた。
「昨日、筑前さまの本隊は既に尼崎の手前まで到達しているとのことです」
「尼崎……。ということは姫路でしばし休まれたということか」
「はい。尼崎は摂津の西の入り口にあたります。筑前さまは姫路で兵に休みを与え、同時に摂津衆、大和衆の動きを見極められたようです」
中川清秀、高山右近といった摂津衆は、羽柴と明智を秤にかけ、どちらに命運を託すか決断を下したという。
「筑前さまの御運は尽きていない、ということか」
という又兵衛の言葉に商人は頷いた。
「日向守さまがひそかに頼りにしていた細川幽斎、与一郎忠興のご両人、瀬田城の山岡美作守さまなど全て、与力を断りました」
「日向守さまは随分備えがおろそかだったのではないか」
又兵衛は驚きを露わにした。
「日向守さまは思いつきで主君を殺したのではないか。これでは畿内に誰も味方もいないまま、兵を挙げたことになるぞ」
又兵衛は聡明な印象の光秀が破れかぶれの挙に出たとは今でも信じられない。
「もしや、北陸の上杉や四国の長宗我部との密約でもあったのでしょうか」
「その気配はありません。上杉は柴田さまが防いで一進一退の攻防が続いておりますし、長宗我部は丹羽越前守さまの征討を前に防備に忙しいはずですから、海を渡る備えなどないでしょう」
太郎兵衛は退屈になって、庭へと遊びに出た。長浜の屋敷は、必要なもの以外は何もない。茶も歌もやらない吉成は、小ぢんまりとした庭に駄馬を数頭飼っていた。
「このご時世何があるかわからんし、何が役立つかわからん」
というわけで、太郎兵衛の知る庭は馬小屋の建つ獣臭い一角である。
だが、京の今井邸の庭は別天地であった。美しく刈り込まれた松と波をかたどった白砂に、苔で覆われた石が配されている。
「これは海を表しているのだ。水を一滴も使わず、大海を表す。数寄者というのは面白いことを考えるものだ」
太郎兵衛の後ろに、一人の男が立った。聞き憶えのある声だ。
「こんなところで何をしている」
叱っているわけではないが、太郎兵衛がぎくりとするのも無理はなかった。父の親しい友人である山内猪右衛門一豊の声だったからである。
彼は秀吉配下の中で特に吉成と親しい男だ。岩倉織田の重臣であった父を持つが信長に攻められて没落し、後に信長に拾われて秀吉の与力につけられていた。妻の千代、弟の康豊も含めて家族ぐるみの付き合いがある。
「えっと……」
太郎兵衛がこれまでの経緯を頭の中でまとめ、訥々と話し終えるまで猪右衛門はじっと待っていた。
「又兵衛が連れて来てくれたのか。困った奴だ」
猪右衛門は縁に腰を下ろした。
「男子たるものいずれ戦には出るのだから、行くなとは言わん。だが、戦に出ていいのは戦えるだけの力を持ったものだけだ」
「見ているだけでいいって」
「鉛玉も鏃も飛んでくる。少しでも道に迷えば、野盗の類が潜んでいるのだぞ」
と猪右衛門は脅かす。
「野盗は又兵衛がやっつけてくれた」
「あやつの槍に勝てる者はそうそうおらんが、今は一人の武勇ではどうにもならんことも多いからな」
太郎兵衛はこのまま長浜に帰れと言われるのではないか、と身を縮めていた。京に至っても、まだ戦場は目にしていない。
「そういうことなら、俺と筑前さまの本陣に行くか。そこなら安心だろう」
それは気乗りがしなかった。本陣には父がいる。
「何だ、叱られることを怖がっているのか」
微かに笑みを含むと、頬にある大きな傷が形を変えた。天正元(一五七三)年の朝倉攻めの際、顔に鏃を受けながら敵将を組打ちの末討ち取った。猪右衛門武勇の証である。
「猪右衛門さんはどうして京に来たの」
「ああ、俺はお役目をいいつかってな」
秀吉は変を知るなり、すぐに数人の側近を東へ走らせた。そのうちの一人が猪右衛門であったのだ。彼は、かつて瀬田城の山岡氏に仕えていたことがある。
瀬田の山岡氏は南近江を拠点とする国人領主で、それほど大きな勢力を張っていたわけではない。だが柳生や甲賀衆との関係が深く、諜報に力を入れていた信長に重用された。山岡家当主の景隆も、次の天下は信長であろうと見当をつけ、懸命に忠勤に励んだものだ。
だが、秀吉か光秀につくか、という予測はつきがたかった。
もともと足利将軍家や六角氏に近い立場だった山岡景隆が、光秀側についても何ら不思議はない。そこで景隆の人物をよく知る猪右衛門を派した、というわけである。
「だが、俺が行くまでもなかったよ」
世の流れを見極めた山岡景隆と甲賀衆は、瀬田橋を切り落として光秀の誘いを断って見せた。
「心配していた摂津衆も明石どのの説得で筑前さまへの与力を約束したしな」
「明石?」
「ああ、太郎兵衛は知らぬだろうが、摂津の高山どのを動かしてくれた切支丹武者だ」
先ほどから聞こえている調子外れの歌は、明石掃部頭のものであるらしい。
明石掃部頭全登は、備前美作の出である。宇喜多家の家老として活躍している明石景親の子で、熱心な切支丹である。彼は同じ切支丹である高山右近の説得を秀吉から命じられ、急ぎ畿内へと走っていた。
「そちらの方も、うまくいったようだ」
猪右衛門の表情は明るい。
そのうちに、調子外れの異国の歌は終わり、障子が荒々しく開けられた。やたらと縦に長い人だ、と太郎兵衛は思った。
「猪右衛門どの、ご子息かな」
声が大きい。だが歌声の聞きづらさに比べると随分と耳に心地よい通る声だ。
「俺のではないよ。小三次どのの子だ」
へえ、と感心しながら全登は太郎兵衛を抱き上げた。腕は細いが異様に長く、腕と体の間に出来た隙間から落ちそうになる。
「小三次どのは長浜にお住まいではなかったか」
この人も父を知っているのか、と太郎兵衛は驚いた。天下の武士はみな父と顔見知りなのではないか、と思えるほどだ。
「太郎兵衛というのか。お前の父御には随分と世話になっている。宇喜多家をはじめ我が明石家など備前衆が筑前さまに投じる際には、何度か使者に立ってくれた。織田家の使いだからどれほど嵩にかかってくるかと思いきや、実に丁重に我らを扱ってくれたものだよ」
全登は太郎兵衛を庭に下ろすと、
「私は備前に戻るよ。筑前さまが大返しをして毛利が追ってくる気配は今のところないが、いつ変心するかわからん」
と猪右衛門に告げた。
「次に会う時は筑前さまが天下さまにおなりかな」
「そう簡単にはいかんだろうが、右府さまに近づくだろうな。ともあれ、ご武運を。さんたまるや!」
全登は二人に向かって十字を切ると、下手な歌をがなりながら去って行った。
七
又兵衛と太郎兵衛は結局、京の今井邸に二日滞在した。今動くのは危険だと猪右衛門が強く諌めたこともある。京が静かであったのは、光秀が厳しく警戒していたからではあるが、又兵衛を見逃したようにどこか浮足立ってもいた。
太郎兵衛の戦を見たいという願いも、目を血走らせている大人たちに気圧されて消し飛んでしまっていた。
今井宗久たち京や堺の豪商たちは既に秀吉に軍配を上げていたが、だからといって光秀も彼らを敵に回すわけにはいかない。秀吉方の人間が京にいても、みだりに屋敷に踏み込むことは避けていた。
もちろん、京から大坂へ向かう街道は全て封鎖されている。京にいることは黙認されても、堂々と参陣する者を通すとは思えなかった。
「筑前さまはもう富田まで来ているそうだ」
富田は摂津高槻にあり、京のある山城国とは目と鼻の先である。
「そこで軍容を整えて一気に攻勢に出るのであろう」
秀吉は軍を疾駆させたとはいえ、そのまま明智軍に突撃させるような真似をするはずがなかった。
「もはや戦が終わった後の手はずを整えられているだろうな」
という猪右衛門の予想は半ば当たっていた。この戦を私戦と責められることのないよう、周到な手を打っていたのである。それが、織田信孝を総大将とすることであった。
秀吉は信長の晩年には麾下の四天王と目されるまでになっていた。だが、もともと織田家の重鎮である柴田勝家、尾張守護の斯波氏家臣であった丹羽長秀、美濃の名族の出である明智光秀の三人に比べると家格が随分と落ちる。
秀吉はそんな自分の出自に箔をつけるためと、強面の先輩を懐柔するために柴田と丹羽から一文字ずついただいて羽柴と名乗っているほどだ。
しかも丹羽長秀は信孝を戴いている。信長の長子で、資質ももっともすぐれていると目されていた信忠は、本能寺の変の後、村井貞勝らと共に二条御所に立てこもった。だが明智の大軍を防ぎきれず、奮戦の後に世を去った。
次男の信雄が伊勢から伊賀を越えて京に向かっているとの報もあったが、織田家に恨みのある伊賀の国人衆たちに阻まれて、秀吉の本陣とはまだかなりの距離がある。
「ここは三七さまと五郎佐どのに全軍を率いていただきたい」
秀吉は丹羽長秀に対し、軍の全てを譲ると申し出た。これには、普段秀吉を猿め猿めと罵っていた長秀も驚愕した。
「何の面目があって筑前の軍に命を下せようか」
と固辞した。
信孝と長秀は、四国征伐のために堺に本陣を置いて出征の準備を進め、あらかた備えも終わったところで岸和田城主の蜂屋頼隆の接待を受けていた。既に万を超える軍勢の編制が終わり、ほっとしていたところで変事が起きたのだ。
信長の死が伝わった時に、信孝も長秀も堺にいなかったのは痛かった。兵たちは動揺し、明智軍が既に天下の全てを掌握したような風評も流れていた。商人たちはいち早く正確な情勢を捉えて落ち着きを取り戻したが、足軽たちはそうもいかない。
信孝と長秀が堺に帰りついた時には軍勢の多くが逃げ散ってしまい、数分の一になっている。もちろん、彼らが大いに恥入ったことは言うまでもない。
そこに秀吉からの申し出であった。
「わしが総大将になるのは筋目として致し方なし。だが富田に集結している軍の多くが筑前の下知に従って働いてきた者たちである。指揮は筑前が執るべし」
信孝は秀吉にそう言い渡し、長秀も承知したので軍はこれまで通り秀吉が率いることになった。
「さすが殿だ」
話し終えた猪右衛門は感心したように首を振った。
「全軍を失って、天下を得る好機を失いかねない。だが、ここで三七さまと越前守さまが引いてくれれば、織田家筋目として正しく軍を進めることができる」
全てが後手に回る光秀に対し、水際立った手回しの良さであった。
「決戦はしばらく後なのか」
猪右衛門ですらそう思うほどの、京の静けさであった。
八
織田軍精鋭同士の正面衝突である。兵の練度も、与力につけられた将の才にも大きな差はなかった。
光秀には斎藤利三や伊勢貞興などの勇将がいた。兵力に二倍以上の差があり、しかも兵たちの士気が上がらぬ中で互角に渡り合ったことからも、光秀の力量はうかがい知れる。実際、戦の途中までは羽柴軍の損害の方が多かった。
だが、決定的に差があったのが、総大将の断であった。
光秀は、京の手前に引いた防衛線に自信を持っていた。秀吉の猛進には驚いていたが、光秀も同僚が時折見せる目を驚かせるような戦術を知らないわけではない。期待していた大和の筒井順慶が一切の助けを拒んだことは驚いたが、摂津や大和の諸将が情勢によってはいかようにも態度を変えることはよく知っていた。
秀吉を京に入らせず、畿内の諸将を何とかこちらに寝返らせれば、まだ勝機はある。光秀は湖東の諸城、近江の南半分を押さえて持久戦に持ち込むことも考えていた。既に天下人として名乗ることは諦め、足利義昭を担ぎ出すべく使者も出している。
秀吉はそのような悠長なことに付き合うつもりは毛頭なかった。
「こりゃ大事に遅れちまう」
焦った又兵衛はとるものもとりあえず、戦場になると思われる山崎へと馬を走らせた。だが、怪我人や逃げ惑う村人を目にはするものの、又兵衛たちは戦場にたどり着くことは中々できなかった。
途中で中川家中と思しき足軽の一団には出会った。慌ただしく光秀の行方を訊ねると、
「なんでえ、あんた明智縁故かい」
欲に目が眩んだらしい足軽が槍を向けようとするが、又兵衛は一喝した。
「先ほど名乗っただろうが。俺は日向守の首を狙ってるんだよ!」
「そういうことなら」
足軽たちは東を指した。
「まだ残党はかなり残っているみたいだべ。日向守もまだ見つかっていないようだ。精々手柄しな」
もはや近江は残党狩りの場と化していた。佐和山、坂本、長浜の諸城を守っていた明智方の将は逃亡するか降伏したが、もちろん又兵衛も太郎兵衛もそのことを知らない。
「山に入るなら落ち武者狩りに気をつけろよ。このあたりの百姓、隠れてはいるが金目のものを狙って血眼になってるっぺよ」
又兵衛はその話を聞くなり、馬を走らせた。
「どこへ行くの!」
風に負けないよう大声を出さねばならぬほど、又兵衛は馬を急がせている。
「日向守は城のある坂本に帰ろうとするはずだ!」
「どの道を通るかわかるの?」
「そんなのわからねえけど、人目につかなくて一番近い道を通るはずだ」
戦場となった天王山、山崎のあたりは摂津と山城の境となって山がちな地形である。そこから近江坂本に急ごうとすれば、桃山の南を掠めて、近江と山城を隔てる深い山並みに入ってしまうのが得策だ。
「見つけられるのかな」
「それこそ武運だろう」
落ち武者狩りと思しき農民たちを一喝して退けながら、山の中に分け入った。道は狭くなり、身ぐるみ剥がされた武者が無念の形相で倒れている。もはや馬も走らせることはかなわず、又兵衛は槍を担いで身軽に山道を走る。
一刻も走り続けていただろうか、突如銃声が轟いた。又兵衛は太郎兵衛の首根っこを押さえて地面に伏せる。
「痛いよ!」
「死ぬよりましだろ」
又兵衛は地面に伏せてわずかに顔を上げ、周囲の気配を探った。
「山一つ向こうだな」
そう言って駆け出す。太郎兵衛も慌ててその後に続いた。深草を抜けて小さな尾根筋から顔を出すと、又兵衛は足を止めた。眼下には小栗栖の本経寺の伽藍が見えていた。
太郎兵衛も下を覗くと、粗末な具足姿の男が数十人、木立の間を抜けて走っていく。作りの粗い足軽用の槍や、竹槍を持っている者もいる。鉄砲を担いでいる者も二人ほど見えた。
「誰かを追っている……」
その先から怒号が響いてきた。又兵衛は慎重に近づくと、目を瞠った。
「どうも名のある武士の一団らしい」
取り囲まれている方は数人が倒れ、生き残った者たちも傷が深い。みな兜は脱げ落ち、髪を振り乱して必死の形相である。その中央にいる者たちだけが、端坐していた。
「日向守だ……」
「間違いないの?」
「遠目で見たことはあるから、多分」
又兵衛は舌舐めずりをして槍を担ぎ直した。
「殿、早く!」
一人の武者が叫び、それを合図にするように百姓たちが襲いかかった。斬り合いになったが、疲れのためか武者たちは瞬く間に討ち取られていく。だがその時、光秀がすっと立ち上がった。
百姓たちは気圧されたように動きを止めた。光秀はすっと空を見上げた。血と泥にまみれているのに、透き通るような笑みを浮かべていた。太郎兵衛は思わず又兵衛の袖を掴んだ。
「魔王とも称された主君の首をとり、数日といえど天下に覇を唱えた。泥の中に首を落とされることは無念ではない。本意である!」
堂々とした声だ。だが次の瞬間、太い竹槍がその胴を貫いていた。光秀の威風に圧されていた百姓たちも獲物に群がる野犬のように襲いかかる。その様子をじっと見つめていた又兵衛は、
「行こう」
と太郎兵衛を促した。太郎兵衛はどういうわけか、馬に跨って京に帰るまでの間、涙が止まらなかった。
しばらくして光秀が討ち取られたとの報が京にもたらされた。武勇筆頭である明智秀満は反撃を企てたものの、琵琶湖南岸の打ち出の浜で奮戦した後に坂本に戻って自害し、斎藤利三は堅田に潜んでいる際に捕まり、斬首された。
「もはや大した首は残っておらんだろう。戦は終わりだ」
又兵衛はがっくりと肩を落とした。
「俺たちは一歩ずつ遅かったんだ。大坂に着いた時には摂津の情勢は定まり、山崎に着いた時には決戦は済み日向守を見つけた時にはもう落ち武者狩りに囲まれていた」
「そうだね……」
太郎兵衛の脳裏には、光秀の最期が焼きついたように鮮明に残っていた。
何十、何百という死体が、周囲にはあった。無念に目をむき、歯を食いしばり、泥を掴んで息絶えていた。父が仕える人が、こうならなくてよかった、と安堵していた。
「負けなくてよかったね」
全くだ、と又兵衛も頷いた。
「敗れた者たちがいるから、武功を立てる者がいる。俺はどちらかを選べと言われたら、やはり功を立てる方を選ぶ。生きて勝ってこそ男だ。だがそうなるためには、戦に出なきゃならん。天下を争う戦に間に合わず、こうして死んだ者たちを拝んで回るのは、ここで倒れているより情けないことだ」
又兵衛はそう言って太郎兵衛を姫路に置くと、備前へと帰った。父の吉成は家に帰るなり、太郎兵衛の頭に一発拳骨を食らわせたが、それ以上は何も言わなかった。