NOeSIS 嘘を吐いた記憶の物語
千夜の章(前編)3
cutlass Illustration/cutlass・たぬきまくら
我々の後継者はスマホの中にいました———田中ロミオ 累計50万ダウンロード突破のスマートフォンノベルゲームcutlass自ら完全改稿のうえ待望の書籍化。
「んだよっ、またヒロインとの大切な約束忘れてる展開かよっ!!」
オレは理不尽なアニメの展開に、大声をあげていた。
「どうしてこうアニメ主人公ってヒロインの大切な言葉聞こえてなかったり、気持ちに気づかねーんだよ、このニブチンがっ!! 見ててイライラするぜ」
リビングのソファーに腰かけ、録画した深夜アニメに向かって怒っていると、背中に冷ややかな視線を感じる。ふり向くと、こよみと憂姫がオレのことをぬるーく睨んでいた。
「どうした?」
「いやいや、ブタは自分のことをライオンとでも思って生活してるのかなって」
「あん?」
「まあ、ずっとアニメ見ながらツッコミを入れつづける生活を送るがいいよ」
くすくす笑いながら、こよみはキッチンへと引っ込んでいく。
オレは残った憂姫に、救いをもとめる眼差しを送る。
「憂姫はオレのこと、ブタとか言わないよな? 見下したりしないよな?」
「う……うんっ、大丈夫、大丈夫。わたしはお兄ちゃんのこと、夏場三日間ほうっておいた三角コーナーを見るような目で、見たりしないから。いいんだよお兄ちゃんは、アニメの中の女の子だけが好きな、いつもの姿のままでいてくれれば」
「ばっか、オレが愛するのは二次元だけだぜ。この先一生アニメとラノベとゲームのキャラだけを愛し続けて…………。そう……この先一生十字架背負い続けて生きていくんだよ……。憂姫……オマエこよみより残酷だな……」
「ちょっ、ちょっと落ちこまないでよお兄ちゃん。ああ、否定しても肯定しても傷ついてるし、どうしよう……」
「その程度で真剣に傷ついているなら、アニオタなんてとっくに卒業してるっつーの。傷ついてるフリだよ、フリ」
オレはソファーの背もたれから顔を出し、キッチンで夕飯の支度をしているこよみの姿を窺う。
こよみは長期海外赴任中のウチの両親のかわりに、家事一切を引き受けてくれているというできた幼なじみなのだ。大丈夫、こよみはオレがだらだらとアニメを見続けていると思っている。
「どうしたの? こよみに聞かれたら、マズい話でもあるの?」
一瞬でこちらの思考を読み取る、憂姫。
今日は珍しく、憂姫が早く帰ってきているのだ、この機を逃す手はあるまい。オレは憂姫の袖を引っぱり、耳打ちをする。
今日のできごとを説明していくと、しだいに憂姫の顔は引き攣っていく。
「――死人と会話できる電波さんの次は、自殺事件調べてるの? 大丈夫? ちょっと何かに憑かれてるよ、最近。お兄ちゃんはたまに変なものを見たりするけど、それにしても今回は異常だよ」
心配そうにこちらを見あげてくる憂姫。
過去に起こった事故のせいで重度の貧血を患った憂姫の身体は、とても華奢で、小さい。必然的にオレと会話をするときは見あげるかたちになるのだが、不安そうな憂姫の姿は、ことさら小さく見えた。
「私はまだ学校に入ったばかりだから、自殺事件のこともあまり知らないけど……。それでも、ウワサは結構入ってくるよ」
オレはちらちらとこよみの様子を窺いながら、小声で話を続ける。こよみからは自殺事件に関わるなと釘を刺されていたから、聞かれるのはマズイ。
だが人というのは、するな、見るな、知るな、と言われたら、したいし見たいし知りたくなるものだ。
「見るなのタブーってヤツだよ。世界の神話やおとぎ話は、それを破ってしまったばかりにひどい目にあうんだ。人は過去から学べない生き物だからね」
「とか言いながら、憂姫もいやに乗り気じゃないか」
「それは、気になるよ。せっかくお兄ちゃんとこよみと一緒の学校に入れたのに、いきなり怪しい事件のウワサがあるんだよ?」
不謹慎だと思った。
花壇に敷かれた青いビニールシートと、供えられた花……そして、ミステリアスな黒髪の少女。それさえ見なければ、オレもここまで自殺事件というものを意識しなかったかもしれない。
「接点ができてしまうというのは、恐ろしいことだね。事件現場の前を通りすぎた、それだけで人は……ここまで心惹かれてしまうんだから」
「死者の呼び声を聞く、そう言ってたヤツがいたぞ。実際、オレの場合はただのやじ馬根性だけどな」
再生していたアニメも終わり、オレは憂姫との会話をかき消すため、テレビを地上波に切り替える。
夜のニュース番組がはじまっていて、連続通り魔事件の被害者名を淡々と読みあげていた。この近所のものだ。
「人の最大の関心事って、殺人とか自殺だからね。身近でそんなことがおきたら黒い誘惑にかられて、ウワサしあってしまう。カリギュラ効果って呼ばれてて、人間心理の根幹をなしてるんだ。だから、知りたいって欲求にかられるのはしかたないことなんだよ」
「憂姫が入学してから、まだ一月しかたってないぞ。部活すらまだ入ってないヤツいるのに、不吉なウワサが広まるのだけは、嫌にはやいんだな」
まだ一学期も半ばで、憂姫は学校にすら慣れていないだろう。
そんな中、憂姫の口からするすると自殺事件に関するウワサ話が出てきていた。ウワサは、恐ろしいほどの伝播速度らしい。
「じゃあ、お互いの知っていることを整理してみるね」
憂姫はかたわらにおかれたカバンからルーズリーフを一枚取りだし、テーブルの上においた。
「週に一度、決まった曜日の決まった時間、それにあわせて一人自殺する。でも、方法と場所はバラバラ……なんだよね?」
ボールペンを動かす手を止めて、少し困ったように憂姫はこちらを見あげた。
「おなじなのは曜日と時間……たしか、夕方から夜にかけてのはずだ。自殺方法はキャトルミューティレーションや天狗の仕業もふくめたら、相当レパートリーあるぞ」
「…………」
押し黙ってルーズリーフを見つめる憂姫。彼女の瞳が蛍光灯の光を受けて一瞬、妖しく輝いた気がした。
「どうした、憂姫?」
「あ、ううん……。実際人が死んでるのに、天狗の仕業にされるなんてヒドいなって」
「ウワサ話だけは、よく聞こえてくるんだ。どこまでが本当のことなのか、判然としない。週に一回、恐らく学校の人間が自殺してるんだぜ? それなのにどうして、はっきりした情報がでてこねーんだろうな。普通は全校集会でも開きそうなもんなのに」
「ねえ、お兄ちゃん……」
憂姫が少し、俯く。その少しの加減で彼女の顔には影が落ち、表情をわからなくさせる。
「一昨日ね、三軒隣のおばあちゃんが亡くなってたのが見つかったんだよ。一人暮らしで、身寄りもない。市役所の人が偶然見つけたんだって。昨日はその隣のアパートに住んでいるおじいちゃん、今日はまたその隣の隣……。夕方にも、いつも通る踏み切りで人身事故があった。みんなこの近所の出来事だよ、知ってた?」
「いや、全然……」
「人なんて当たり前のように、毎日死んでる。事件というのはね、だれかが騒ぎ立てたとき初めて、事件になるの」
錯綜するウワサと、表に出てこない真実。
共通するのは、無関心だ。
オレたちは心の奥底で、知らないヤツがいくら死んだってかまわない、そう思っている。ヘタにだれかが騒ぎ立ててことを大きくし、進学や将来的な就職に響くことを恐れてもいる。
不況の波は厳しく社会を覆っていて、体罰で問題になったどこそこの学校の生徒は、おなじ学校に通っていたという理由だけで面接を落とされた、そういうウワサも耳に入ってきていた。
自殺というのはそもそも本人の問題なのだから、面白おかしくウワサしあうことはあっても、真面目に死んだ原因を探るヤツなんていないだろう。
学校側もおなじで、すくない生徒の取りあいをしている現在、マイナスのイメージを持つ情報は全力で隠そうとしているはずだった。
こうして、真相というのは闇に包まれていくのである。
「みんな薄情だよな。自分の学校の生徒が週に一度の間隔で死んでるってのに、ウワサだけが盛りあがって、だれが死んだかすらわからないなんて」
「…………?」
オレの言葉に、憂姫は不思議そうに首をかしげる。
「わたしのほうにはどこのクラスのだれくらいは、伝わってきてるよ。お兄ちゃんの耳には入ってないの?」
「いや、全然。そんな話聞かないぞ」
「一年生にだけ伝わるってのも、変だよね。どこかで情報が遮断されちゃったのかな? 心当たりは無いの? 自殺事件のウワサがでるたびに、火消しに回ってる人がいるとか……」
「それは真相を知ると、死ぬからって――」
オレは晩御飯の支度をしているこよみに、目を向ける。
確かに、アイツはだれが死んだかを知っている。知っていて、その情報からオレを遠ざけている。
横目でオレの視線を追った憂姫が、納得したようにこくんとうなずく。憂姫はオレの視線の動きだけで、すべてを把握したらしい。
「変だよね、知っているのに教えてくれないなんて。関わると死ぬ、本当に……それだけが理由なのかな?」
「アイツ平気で人をぶん殴ってくるクセに、変なところで心配性だからな。詳しく知ったからって楽しくなる話でもないし、巻き込まれると面倒だし、オレを遠ざけてたんだろ。深い理由なんて、そんなのはねーよ」
「うーん、でも、そういうウワサが流れてるって、変なことばかり考えちゃうんだよ」
「変なこと?」
「知っている人間は話さない、学校側は事実を認めてさえいない。みんな、何かを恐れている。そういうことだよ、お兄ちゃん」
「大体察しがついたって、顔をしているな」
憂姫はオレとは比べ物にならないくらい頭が良かった。恐らくこんな断片的な情報だけでも、全体像が見えてきているはずだ。
「まずはっきりさせたいのは、宇宙人の仕業っていうウワサはみんな信じないけど……、首を突っこむと死んでしまう、そういう話は信じている。この事件を詳しく知っている人物ほど、それが強い」
「自殺事件を調べていた人間が死んでしまった、ということか?」
「それはまだわからないよ、だったらそういう話の一つがあってもいいはずだから。でも、詳しく調べていくうちに出てくるかもね、ミイラ取りがミイラの話は――」
「じゃあ、学校がこの事件を隠しているのは何でなんだ? 警察にだって届けが出てるはずなのに、ニュースですらやんないんだぞ」
ウワサだけが広まっているのは、そういう側面もあった。本当に自殺がつづいているのなら、連日連夜マスコミが騒ぎ立てるはずだ。しかし、今回の事件ではそれがない。
憂姫が新聞紙の束を広げると、地域ニュースの欄にはこのところ世間をにぎわせている連続通り魔事件と、その事件を解決できない警察の不手際を非難する記事が載っていた。
自殺事件に関する記事は、どこにも見当たらない。
「五人が一度に自殺……とかならニュースにもなるけど、年間自殺者三万人のこの国じゃ地域欄にも載らないみたいだね。単純計算で一日八十二人だもん、ぜんぶ載せてたら紙面が足りないよ」
「ってことは、やっぱり考えすぎか……? 思えば中学校とかでもクラスに二、三人不登校のヤツいたけど、ちゃんと生きてたのかって聞かれると怪しかったしな。現代社会の病理だな、他人に関心がなさすぎるから、生きてるのか死んでるのかすらわからないって」
「自殺した生徒は、自動的に退学処理しているらしいよ。既にウチの生徒じゃないから、問題なんて知りませんってね」
「おい憂姫よ、お兄ちゃんはだんだん、この学校に通いたくなくなってきたぞ。てゆーかホームルームのときくらい、生徒で死んだヤツがいるくらいは言えばいいのにな。そうすりゃ、変なウワサなんか流れないのに」
「言えない理由があるんじゃないかな……」
憂姫の顔にまた影が落ちる。憂姫は握った新聞紙に力をこめ、ぐしゃりと潰した。
「自殺じゃないんだよ、きっと……」
憂姫の小さな唇が動き、冷たい声をオレに届ける。
ドクンと、心臓が高鳴った。
「普通に考えて、これだけ自殺が続くのはおかしいよ。でも、それが自殺ではない事件だったのなら、学校側が隠すのもわかる気がする。首を突っこむと死ぬ。死ぬんじゃなくて、殺される、なのかもね。だからだれも詳しく知りたがら……って、お兄ちゃん?」
ふっと我に返った憂姫が、心配そうにこちらを見つめる。
「いや、すまん。ちょっと考え事してた」
「むー、もーっ、人が真剣に話してたのに」
「ちゃんと聞いていたよ、憂姫。でも、殺人事件だって言うのかよ?」
「今のところ、そう考えたほうが自然だと思うよ。それならこよみが言ってた、深入りするなって忠告の辻褄があうから。でもそうなると、行きつく先の意見はこよみと一緒になるね。お兄ちゃん、この事件あんまり調べないほうがいいよ。もし本当に殺人事件だったら……」
「オレはそんなことで死んだりしないよ。自衛のためにも、ある程度は知っていたほうが良いことだってあるだろう?」
「うう……でもやっぱり、お兄ちゃんが心配だよっ!!」
憂姫は少し、涙目になっていた。変に演技がかった憂姫の反応、こよみと同じくコイツも……何か知っているのだろうか?
殺人事件、もしもこの自殺事件が殺人だとするなら、もう憂姫やこよみから情報を引きだすのは難しいのかもしれない。家族が危険な目に遭うのを、変に心配する人たちだからだ。
だとすると、あと情報を引きだせる人物は――。
「あれ……どうしたの? 二人ともしんみりしちゃって」
夕飯の支度が整ったことを知らせに来たこよみにより、今日の探偵たちの推理はお開きとなった。
もっとも、次はないだろうけど。
***
まぶしい夕日が窓から差しこんでいた。
放課後になってもオレはカバンを肩にかけたまま、アテもなく校内を徘徊している。部活にも特に所属していない自分にとっては、毎日ヒマだろうと言われればそれまでなのだが。
「殺人事件かぁ……」
あれから数日、時がすぎた。こよみと憂姫は口をつぐんでしまったし、これといって新しいウワサも聞かなくなってしまった。
興味本位で調べ始めたこの事件、はやくも行きづまってしまったのだ。
気味の悪い話だ。一週間に一度この学校の人間が自殺し、更にだれかが面白おかしく脚色したウワサを流しつづけている。
だが、そのオカルト的な事件の裏に、何か……見えざる手みたいなものがあるように思えて、仕方なかった。
知られちゃマズいことがあるから、無関係なウワサの洪水で真実を隠している……そんな気がした。
この事件の核心に迫れるとしたら、あのミステリアスな先輩しか……きっといない。
……ん? あれ……何だか、手段と目的が入れ替わっている気がした。オレは何で、こんなにも自殺事件に入れこむようになっていたんだっけ? 確か先輩がどんな人か、知るためだった……ような……。
まあ、どっちでもいい。どうせあの人から話を聞かなければいけないのは、一緒なのだから。
「辛気臭い顔してるのね。こっちまで、気分が滅入るわ」
そう、オレが数日こうやって放課後の校内をうろついているのも……。
「ちょっと……。上級生の呼びかけを、無視するつもり?」
あのミステリアスな先輩を探している――からで……。
「探しものってさあ、どうして探してないときに見つかるかな?」
不機嫌な表情を浮かべながら振り返ると、彼女は腕を組み、目をぴったり閉じて壁に寄りかかっていた。
「知らないわよ、そんなのっ」
気分を害したのか、ぷぃと横を向くミステリアスな先輩。
「好きの反対は嫌い……じゃなくて、無関心なのよ。頭の悪そうな下級生にこれだけ親身に接してあげてるのに、無視なんて最低だわ」
親身の割には、毎回会うたび冷たい対応のような気もするが。
「数日前に関わるなって、言ったばかりじゃないか。オレから探さないと、てっきり見つからないかと思ってた」
「ふふ、そう――。あなたの探しものは私だったのね?」
「いろいろと聞きたいことがあるしな。でも何となくだけど、もう普通には会えないんじゃないかと思ってた。オレたちは……ああいう、人の死ぬ場所でしか……」
「前に言ったわよね? また、会えるわよって。あなたは私に気に入られてしまったの。それにね、私ほどの人間になると、放課後は余暇を持てあましているのよ。ふふ、そこにちょうど良さそうなおもちゃがとおりかかったからね」
「それって、超ヒマってことだろ。オマエ……もしかして、友達いないんじゃないのか?」
その一言でビシ、と空間に亀裂が入ったような気がした。彼女はオレの手をとると、わなわなと肩を震わせる。
「一生のお願いっ!! 指を折らせてっ!! 二本で良いからっ!!」
「聞けるかっ!! オレが折ったのは指じゃなくて話の腰だぞ」
「本当にあなたって失礼な人ね。会ったときから、そうだった」
摑んだオレの腕を放り投げると、彼女はほっぺたを膨らませる。
「すまんすまん、あんまり人付きあいのうまそうなタイプに見えなかったから、つい、な」
「否定はしないわ。実際、私は人付きあいが苦手ですもの。それで、あなたは友達のいない私をバカにするために探していたの? 見下して、ちっぽけな自尊心を満たしたかったのかしら? ふふ、ブタの分際で生意気なこと」
「相変わらずドSだな、こっちもそんなに暇じゃねーよ。オレが聞きたいのは――」
「当てて、あげましょうか?」
彼女は口もとを持ちあげ、微笑んだ。午後の低い日が差し込み、彼女の微笑みを出会ったときよりも少しだけ、暖かく染めあげる。
「話す手間が省ける、いつものようにやってみてくれよ」
もう何度目かの彼女の特殊能力により、オレの表情が読まれる。……すると、先輩の顔が一瞬で曇った。
「あのねぇ――」
先ほどまでとは打って変わって、声のトーンは低かった。
「あなたが好奇心が人一倍強くて、余計なことにまで関心が向いてしまうのはよくわかったわ。でもね、肝試しでも探偵ごっこでもないのよ、実際に人が死んでいるの。それをわかっていて?」
「べつに事件を解決したいとかなんて、微塵も思っていないさ。でもよ自分自身を守るためにも、ある程度情報は必要だろ。アンタなら何か知ってるんじゃないかって」
「自衛のための知識ね……。ホッケーマスクの殺人鬼がいるわけではない、この事件はただの自殺よ。余計な知識がかえって、死の引き金を引いてしまうかもしれない。だから、知っている人間は語りたがらない……あなたソレ、理解してる?」
「さっぱりわからん。事件の知識なんか持ちあわせていないから、判断しようがないだろっ!! オマエどうしていっつも遠回しに言うんだよっ!!」
なんと言うか、ついに言ってしまったという感じである。彼女の口から出ることは一つ一つ、遠回りなものだった。だからこそ正体がさっぱり見えずに、ミステリアスにさえ思えるのだけれど……。
「上級生に向かってさっきからアンタだのオマエだのって、失礼でしょ。私にはちゃんと名前があって――」
怒る部分がちょっとズレている気がしたが、彼女はそのまま固まってしまった。
「……どうした? 名前は?」
「……教えてあげない」
「そんなにオレに正体知られるのが嫌なのかよ」
「まあ名前なんてそんなこと、どうでもいいことだわ」
「いやいやいや、どうでもよくないから、名前教えてくれよ」
「…………」
彼女は再び腕を組み、口を貝のように閉ざしてしまう。
むくれたように背中を壁に押し当てるとその衝撃で、バンッ、と音を立てて扉が軋んだ。
彼女が背中を押しつけているのは空き教室の壁で、思えば、この教室の前を通りかかったときに声をかけられた気がする。さっきまで、この部屋の中にいたのだろうか?
しかし今は、それよりも確かめなければならないことがあった。
「だーかーらー、なーまーえーっ!!」
「――うるさいっ!! 黙れっ!!」
ぴしゃりと遮られる。傾いた日の差しこむ廊下に、烏がねぐらに帰る間抜けな鳴き声が響いていた。
「……すまない。そうだよな、無理に聞こうとして悪かった」
しゅんと落ち込んだ態度を示すと、彼女は何故かあわて始めた。
「なっ、名前以外なら……少しはあなたの話、聞いてあげたっていいわよ」
もしかしたら表面上ツンツンしてるだけで、本当は面倒見のいい人なのかもしれない。
「私、小学校のころは飼育員をしていたから、ブタの世話くらいはしてあげようかと思ってね」
ああ、違うな……。
「自分のこと知られたくないとか、自意識過剰だなオマエ。カメラ向けると魂抜けるって逃げだすタイプだろ?」
「どちらかと言うと、カメラようの顔を作るわ。ずっと残るものだから、変な風には写りたくないじゃない。だから毎回毎回決まり切ったポーズに、表情……そして角度、まるで蠟で固められたみたいに同じ顔を作るの。他人に少しでもよく思われたいからか……いいえ、自分自身を最高の状態で保存しておきたいのよ。ふふ、魂を抜かれるとは、きっとそういう意味なのかもね」
……全く、この人は……。
彼女の回りくどい話しかたと、無意味な脱線の仕方、オレは呆れてしまう。くすくすと、自然と笑みがこぼれた。
「人はね、自分にとって都合の悪いことはすぐに忘れてしまうの。鏡に映る自分の顔は見れるのに、写真に写った自分の顔を見て落ちこんでしまうのは、そういうことなのよ。写真は、ずっと残ってしまうからね。そこには、自分の記憶が改竄される余白がないのよ」
「めんどくせーことばっか悩んでんだな、アンタ。もっと本能のおもむくままに生きろよ、楽になるぜ」
「そう……。あなたはそうやって、なんの憂いもなく生きていけば良いわ。ブタは、食べることだけに集中していればいいのよ」
うっわー……コイツ暗い……。
オレの感情に気づいたのか、彼女はむっとした表情を作る。
「私は――そう……、暗いのよ」
てっきり、蹴りが飛んでくるものと思っていた。しゅんと落ちこむ彼女に、オレはどう接すればいいかわからなかった。
「暗くて、いいんじゃねーのか? 人のご機嫌とるためにお世辞言ったり、無理に明るく振る舞ったり、疲れるだけだろ」
「私は……自分が嫌いなの。あなたは、どうかしら?」
「自分のことは嫌いだが、そんな自分が一番かわいいぞ」
「そう……正直で良いわね。私は他人の目があるときは、いつもカメラを向けられたときのように緊張して、自分を作ってしまうの。毎日毎日どう見られているかヒヤヒヤしていて、生きた心地なんかしないわ」
「オレはアンタが暗いって知ってる、こういうときだけでも自分をさらけ出せよ。ふだんダンゴムシとかつついて、丸めたりしてんだろ?」
「今からあなたのこと、ブタじゃなくて虫って呼ぶから。虫けらが私と話をするなんて、百万年早いわ――」
「さすがに虫はちょっとな、ブタ呼ばわりは最高にうれしいが」
ふぅと、彼女は大きくため息を吐くと、オレを無視して話を続ける。
「……自分自身では合理的にムダなく動いてるつもりでも、端から見れば嫌ってほど儀式めいた行いをしているものよ。他人と一言話すだけでも、自分にまじないをかけなければいけない。きっとね、まじないというのは行動をおこすことの原動力なのよ。まじないと言えば、もうすぐ水曜日ね……ふふ、楽しみだわ」
「なあ、自殺事件はどうして、一週間に一度なんだ? アンタの言うみたいに、まじないなのか?」
「さあね。今まで死んでいった人たちに、聞いてみればいいんじゃない」
「もしこの事件に犯人がいると言うなら、随分バカげたことをしてると思う。こんなの、まるで犯人がいますって言っているようなものじゃないか」
「ならきっと、止めてほしいんじゃない? これは呪いよ、死神の腹が満ちるまで……生け贄を喰らい続けるの……」
「そうかよ、アンタもっと常識的な人間かと思ってた。呪いだなんて、ふざけてる」
徐々に落ちていく日の光。廊下は、紫の闇に覆われていく。
どうしてオレはこんなに、イラついているのだろうか。
「人は、ちょっとしたきっかけで狂ってしまう。でもね、世間というのはきっかけの部分に焦点を当てずに、狂った人間の側を責め続けてしまうの。きっかけは呪いよ……だから、学校も警察も自殺を止められない」
「信じろなんて、無理だ」
「あなたも人に、責任を求めるのね。でも、私は信じているわ。あなたも呪いを、その目に焼きつけるときが来るって――」
オレは俯き、黙りこむ。
「不愉快な気持ちにさせてしまったのなら、謝るわ。でもね、自殺事件というのは、とても異質なものなの。それだけは、知っておいてほしかったから――」
「いつか、本当のことを話してもらう。オレは、アンタの口から直接話してもらわなきゃ、気が済まない」
くすっと微笑む彼女。
「あのね――。何か理由をつけなくたって、私はちゃんとあなたの話を聞いてあげるわよ? でもどうしても理由が必要だと言うのなら、今回はそういうことにしておいてあげる。あなたも、そのほうが私に会いやすいんでしょう?」
彼女がオレの顔を窺うように、オレもまた彼女の表情が読めるようになっていた。
何と言うか……彼女と出会って、自分の一番変化した部分だと思う。
「そうよ、あなたは人間的に成長しているの。人の言う言葉は、そのままの通りに受けとってはダメ。人が話をするとき、その意味をどういった解釈で捉えれば良いか、身体のどこかで発しているのよ」
「いつも迂回している気がする。アンタが重要なことを言いかけるたびに、煙に巻かれてるんだ。アンタの話は、意味がわからない……だから、なのかな……。別れるたびに、もう一度会ってみたいと思ってしまうんだ……」
「ふふ、うれしいわ。あなたが心に留めておくことのできる人みたいで。口から発せられる言葉以上のメッセージを、あなたは私に送ってくれた。人の顔の筋肉が、五十種類以上あることに感謝するわ……だって――」
「なあ、やっぱりオレたちは、普通に――」
言いかけた瞬間、彼女の人差し指がオレの唇を塞いだ。
「この続きはまた、今度にしましょう」
日が落ち、廊下を染める紫の光が消えた。
彼女はくるりと踵を返すと、長い髪を靡かせながら去っていく。オレの唇にはまだ、彼女のぬくもりがのこっていた。