那由多の軌跡

第3章 庭園

土屋つかさ

ゲーム×出版×Web 魅惑のトライアングルに、綺羅星の如き豪華執筆陣。ここから、ノベライズの“新たな地平”がはじまるーー。

水面に顔をつけたら、その中に空気があったような、そんな不思議な感覚を全身で受け止めながら、光で出来た薄い膜を通り抜けて、〝転位門〟の向こう側の地面に足を置いた。

そこは石畳の庭園だった。真っ青な空の下に、色とりどりの花が咲き乱れる空間が広がっていた。道の左右に広がる花壇かだんに、知らない種類の小鳥が飛んできて、羽を休めている。チチチ、と可愛らしい鳴き声が聞こえた。

「うわぁ

あまりに綺麗な光景に、思わず声が漏れる。けれど、同時に不思議な気分を感じていた。

「この風景、どこかで、見たことがあるような?」

と、急に頭が軽くなる。見上げると、さっきまで僕の頭に乗っていたノイが、今は空中をふわふわと浮いていた。

「やっぱりここなら飛べるの! 故障じゃなくて良かったの!」

ノイは嬉しそうにその場でくるりと回った。桃色のふた房の髪がふわりと浮き上がる。

「本当に飛べるんだね!」

「〝星の力〟があればこれくらい余裕なの!」

空中で誇らしげに胸を張るノイ。そして周囲を旋回せんかいする。僕はノイの姿を目で追って

あぁっ!?」

遠くにそびえ立つ巨大な塔が目に入る。ようやく、見覚えがある理由に気づいた。

大陸にもない様式の高い高い塔。その足下に色とりどりの花が咲いた庭園が広がっている。

「〝星の欠片〟に映っていたあの景色だ!」

それが意味することに気づき、瞬時に僕の体は興奮に熱くなる。

「ここは〝失われた楽園ロストヘブン〟なんだ! 凄い! 実在したんだ!」

父さんと母さんが目指し、けれど、辿り着くことの出来なかった場所に、今僕は立っている。どういう仕組みか分からないけど、〝転位門〟を抜けて、やって来たんだ!

体中から、かつて感じたことのない昂揚こうようが湧き上がってくる。風景を目に焼き付けるように見渡しながら、もう一度、到達した場所の名を呼ぶ。

「ここが、〝失われた楽園ロストヘブン

するとノイが僕の目の前に飛んできて、不思議そうな顔をした。

「人間はそんな言葉で呼んでいるの? 私達は、この世界を〝テラ〟と呼んでいるの」

「〝テラ〟? そう言えばさっきもそう呼んでいたね。〝テラ〟か。古い言葉にそんなのがあった気がするな」

学院での歴史の授業を思い出す。

確か『大地』って意味だったと思うんだけど。どうかな? 君の使う言語に

「そんなことはどうでもいいの! 早くゼクストを探さなきゃ!」

おっとそうだった。興奮しすぎた意識を若干じゃっかん落ち着かせてから、ノイに聞く。

「どうすればいいんだい?」

「〝ヘリオグラード〟に行くの!」

ノイは遠くにある塔を指さす。

「あの塔が、〝ヘリオグラード〟?」

「そうなの! あの中に、この〝テラ〟の世界を観測できる〝アストロラーベ〟があるの。あれを使えば、ゼクストがどこに向かったか分かるの! ついてきて!」

「分かった!」

飛んでいくノイを追いかけて、僕は天へと続く塔〝ヘリオグラード〟へと向かった。

「これが、〝アストロラーベ〟なの! 〝テラ〟の監視と全体の管理をつかさどっているの!」

「凄い!」

視界一杯に広がる機械の巨大さ、そして荘厳そうごんさに、僕は圧倒された。

〝ヘリオグラード〟と呼ばれる塔の一階、巨大な広間の中央に、〝アストロラーベ〟はあった。それは、僕の家と同じくらいの大きさはある、本当に巨大な機械だった。

機械は無数の歯車、無数のクランク、無数の用途も分からない部品から構成されていて、それらの部品は、僕が今まで見たことのあるどんな道具よりも複雑な動き方をしていた。時折、各所に取り付けられたパイプから勢いよく蒸気が噴き出していた。

中央に人が座る椅子があり、それを取り囲むように、これまた無数の突起やツマミ、前後に動かすのであろう棒、それに鍵盤けんばんにしか見えない物などが並んでいた。

何もかもが見たことのない技術だった。けれど、ここが〝失われた楽園ロストヘブン〟だというのなら納得出来る。〝大洪水〟が起こる前は、今とは比べものにならないくらい高度な文明があって、科学も工学もずっと進んでいたらしい。ノイみたいな存在を作る事だって出来たのだろう。

そのノイは、椅子の側に辿り着くと、宙に浮いたまま移動して、幾つかの突起を押し込んだり、棒を動かしたりし始めた。恐らく、〝アストロラーベ〟を操作しているのだろう。

「少し待っててなの」

手伝えることもなさそうなので、僕は言われた通り待つことにした。

そこで初めて、塔の中にいるのに、この広間がとても明るいことに気づいた。しかも、明かりは真上から落ちている。ふと顔を上げて、僕はまた息をんだ。

〝アストロラーベ〟の上空に、黄、青、赤、緑の四色の光の粒が、まるで河の流れのようにたゆたっていた。その光が、下まで落ちていたのだ。光の河は、一方は〝アストロラーベ〟に飲み込まれ、もう一方は吹き抜けの塔の中をどこまでも昇っていた。

突起を押したり引いたりしているノイに、興奮気味に尋ねる。

「ノイ、あそこに浮かんでいる四色の光は、なんなの?」

すると、ノイは動きを止めてこちらを見て、目を輝かせた。

「〝星の力〟なの!」

まるで自分のことを自慢するみたいに、胸を張って言う。そして空中を流れる光の流れを指さした。

「〝星の力〟は万物の力のみなもとなの。生物が生物である為に必要な要素なの」

「星の、力

聞き慣れない言葉を、頭の中で繰り返す。生物が生物である為にそんな物が必要だなんて知らなかった。空気みたいな物だろうか?

「それって、僕たち、人間にとっても同じなの?」

「もちろんなの! あらゆる生命には、〝星の力〟が必要なの!」

ノイは空中でくるりと回った。

「それに、私がこうやって飛べるのも、〝テラ〟が〝星の力〟で満ちているからなの」

「なるほど。水を沸騰ふっとうさせる為に火が必要、みたいな事かな

頭の中でなんとなく〝星の力〟がどういうたぐいの物なのかを考えていると、ノイがちょっと不思議そうな顔でこちらを見る。

「ん? ノイ、どうかした?」

「ナユタって、変わってるの」

「え、なんで?」

「自分の知識や常識の中にない物を、すんなり受け入れているの。人間は、もっと疑り深い生物だと思っていたの」

「ううん、まあそういう人もいるかもしれないけど」

学院の頑固な教授たちのことを思い出し、僕は思わず苦笑してしまう。

「世界にはまだ解き明かされていない不思議な物が沢山あるだろうから、僕の想像を超えた物があっても、それをすぐに否定しようとは思わない」

「ふうん

ノイは分かったような分からないような顔をして、説明を続けた。

「〝テラ〟にはこの庭園を中心に四つの大陸があるの。〝アストロラーベ〟からそれぞれの大陸に〝星の力〟を供給して、〝テラ〟の均衡きんこうを保っているの」

「四色あるのはその為か。あれ、でも」

僕は四つの光の河のうち、青色の物を指さした。

「あれだけ、輝きが大きいね?」

さっきは圧倒されて気づかなかったけど、よく見ると、青色の光の河は帯も太く、強い輝きをもって流れているのに対し、他の三色は流れが細く、所々が途切れてすら見えた。

「あれは、そういう違いがあるの?」

すると、ノイはその小さな体の小さな肩を落とし、しょんぼりとした顔になる。

「ゼクストに〝マスターギア〟を奪われてしまったからなの

「どういうこと?」

ノイはくるりと回って無数の鍵盤を操作する。すると、空中に巨大な地図のような物が浮かび上がった。中心に小島があり、それを四つの大きな大陸が取り囲んでいた。

「真ん中にある島が、今私たちがいる庭園なの。そして、その周りにあるのが、〝テラ〟を構成する四大陸、オルタピア、リズヴェルド、ハインメル、ラ・ウォルグなの」

当然ながら、僕がこれまで一度も見たことがない地図だった。少なくとも僕の住んでいた世界に、こんな場所はなかった。

これが、〝世界の果て〟の向こう、〝失われた楽園ロストヘブン〟なのか

更にノイが鍵盤の一つを押し込むと、四つの大陸それぞれに、赤い点が灯った。

「それぞれの大陸には、神殿があるの。この、赤い光の所」

「神殿?」

ノイは頷いて続ける。

「神殿は、〝アストロラーベ〟から送られてくる〝星の力〟を受け取って、その大陸の隅々すみずみに星の力を再配分する為の施設なの。でも、それをするには、神殿に〝マスターギア〟が正しく安置されていなければならないの。その〝マスターギア〟を突然ゼクストが奪ってしまったので、〝アストロラーベ〟からの〝星の力〟の供給が上手く出来ないの」

頭上の細い光の帯を見ながら、ノイが悲しそうな顔をする。

「四つある〝マスターギア〟のうち、二つはもうられちゃって、三つ目の〝マスターギア〟が奪われる直前に、私が先にそれを神殿から取り外して、〝転位門〟で逃げたの。そうしたら、たまたまナユタ達の世界に行っちゃったの」

「ああ、なるほど

それでノイは〝マスターギア〟を持って僕らの前に現れたのか。

状況は分かった。けれど、次の疑問が生まれる。僕は聞いた。

「〝マスターギア〟によって星の力が大陸に行き渡ってるって話だけど、それが出来なくなると、何が起きるの?」

現に、二つの大陸では既にその状況になっている筈だ。ノイはつらそうに答えた。

「〝星の力〟の供給が滞ると、その大陸における〝星の力〟の均衡が崩れるの。そうなると、大陸の気候が制御から外れてしまうの」

「制御出来ないと、どんなことが起こるのかな」

「ええと、ええと

ノイはこめかみに指を当てて考える。

「気候が大きく変わってしまって、そこに住む動物や植物が弱ってしまうの。最悪、絶滅しちゃうかも。あと、均衡が崩れることで魔獣も発生するようになるの。これも、植物や動物にとって脅威なの」

聞いていると、小し不思議な気分になる。それはまるで、僕たちが住んでいる世界の話みたいだ。僕らの世界もそこら中に魔獣が出現して、〝奈落病〟という死の病に人々は脅かされている。僕は言った。

「大陸を滅ぼすことが、ゼクストのやりたいことなのかな?」

「ううん、多分違うの。あのね、〝マスターギア〟にはもう一つの使い道があって、それはが

突然、ノイの言葉が途切れ、その口からざらざらとした、聞いていて不快になる雑音が漏れた。けれど、それに一番驚いていたのはノイ自身だった。

「あ、あれ? 今の何? あのね、〝マスターギア〟のもう一つの使い道は

まただ。ノイはくちびるを大きく動かしているのに、その口からは雑音が漏れ出るだけ。

やがて、ノイははっとした顔になって僕を見た。

「あ、分かったの! これは、人間には話してはいけない機密指定なの。だから、私が話そうとしても言葉にならないの。これは私を作った人の意志だから、私にはどうしようもないの」

ノイはしゅんとした顔で僕を見る。

「ごめんなさい、ナユタ

謝らせるつもりなんか全くなかったので、僕は慌てて「気にしないで!」と答えた。

「僕たちに話したくても話せないことがある訳だね。それが分かっただけでもいいさ。あと一つ聞いてもいいかな?」

「なんでも聞いてなの。今みたいに答えられないかもしれないけど

「うん。あのね。〝アストロラーベ〟から各大陸に〝星の力〟を送り出しているってのは分かったけど、そもそもの〝星の力〟はどこから来るのかな? 〝アストロラーベ〟が、生み出しているの?」

「ううん。〝アストロラーベ〟の役割はあくまで〝テラ〟の管理だけなの。〝星の力〟の源はのにある、

ノイの言葉は徐々に雑音に包まれ、やがて何も聞こえなくなった。

ごめんなさいなの、これも説明出来ないみたい」

「気にしないでよ。ありがとう、ノイ」

ノイは少し照れた顔をして、ふわふわと浮いた後、またはっとした顔をした。

「こんな話をしている場合じゃなかったの! ゼクストを追いかけなきゃ!」

「そうだった! ノイ、ゼクストがどこにいるのか、分かるのかい?」

ノイはアストロラーベに取り付いて、ツマミや突起を次々と動かした。その度に空中に浮かび上がる地図がいろいろな形や色に変わっていく。やがて、こちらに背を向けたまま言う。

「ゼクストは四つ目の〝マスターギア〟を手に入れる為に、大陸オルタピアに向かっている筈なの」

「きっと、シグナもゼクストを追いかけてその大陸にいる筈だ。ノイ、オルタピアにはどうやって行けばいいんだい?」

「〝転位装置〟っていう瞬間移動装置があるの。それを使えば、庭園からオルタピアまで瞬時に移動出来るの」

「それは〝転位門〟みたいな物?」

「もうちょっと簡易的な物。〝テラ〟では標準の移動手段で、そこら中に〝転位装置〟が置かれていて、大陸内でも大陸間でも自由に移動出来るの」

「凄い技術だな

「ただ、設備が老朽化ろうきゅうかしていて、オルタピアの神殿のすぐ近くの〝転位装置〟が動くか分からないの。今調べるから、ちょっと待ってて」

「分かった」

ノイが再び〝アストロラーベ〟の操作を始める。僕は少し下がって、見守ることにした。

と、その時、背後から視線を感じた。気づかないうちに、誰かが塔に入り、僕たちの側まで来ていたようだ。

シグナかもしれない、と一瞬思った。けれど、そうでない可能性もある。頭の中に、あの仮面に開いた穴から覗く冷たい瞳が浮かんだ。

瞬時に振り返り、叫ぶ。

「誰だ!」

「ちょっ、ちょっと待って! 私よ! 私!」

そこにいたのは、見慣れた女の子だった。僕はほうけた声を出してしまう。

クレハ?」

「クレハ様!」

続いて、ノイも驚く。クレハはため息をついた後、意志の強い瞳で僕を見返してきた。

「そうよ。ナユタたちが突然姿を消しちゃったから、もしやと思って追いかけてきたのよ。まったく、私はともかく、ライラさんやアーサさんにも一言もなしにいなくなっちゃうとかどういうつもりなのよ!」

いやちょっと待て。クレハのおしかりはごもっともなのだけど、なんでクレハが〝庭園〟に来られるんだ?

「ねえ、ノイ。〝転位門〟って

閉じるの忘れてたの。今閉じたの。ごめんなさいなの

徐々に声が小さくなっていくノイに心の中でため息をつく。そして改めてクレハを見た。

「僕たちの話、どこまで聞いてた?」

「とりあえず、これからオルタピアって所に行くってことは分かった」

ほとんど聞かれていたらしい。気づかれないように息を吐き、クレハに言う。

「うん。だから、クレハはみんなの所に戻っていて。ライラと姉さんにも事情を説明してくれると助かるから

「私も行く」

一瞬、何を言われたのか分からなかった。思わず、間抜けな声が漏れてしまう。

え?」

「私も行くって言ってるの。兄さんを連れ戻すんでしょ? だったら当然ついて行くわ」

ようやく、クレハがとんでもないことを言っていると気づき、僕は慌てて手を振った。

「駄目だよクレハ! ここは僕らの世界とは違う。どんな危険があるか分からないし」

「それはナユタだって同じじゃない。それにね」

クレハは言葉を切り、ニヤリと笑った。

「どうせナユタは考えなしにここに来たから、なんの準備もしていないんでしょ?」

そう言って、クレハはくるりと背を向けた。大きな背負い袋をかついでいる。ぶら下がっている鉄のコップや薬草の袋から、野営装備が山ほど詰まっていることが分かる。

「あと、これも」

クレハは背負い袋を床に下ろし、その上に載せていた物を両手で持ちあげた。

「あなたの肩当てと剣よ。ナユタ、丸腰まるごしで、知らない場所に冒険に行くつもりだったの?」

そう言われて、初めて、剣も持たずに〝転位門〟に飛び込んだことに気づいた。恥ずかしさに体を熱くしながら、クレハから装備を受け取る。

「あと、〝マスターギア〟だったかしら? これも机の上に置いてあったわよ」

「わわわわ忘れてたの!」

ノイが叫ぶ。僕は苦笑しながら〝マスターギア〟をクレハから受け取り、懐に入れた。

「ナユタ、ノイ。あなたたちって、何もかも先走りすぎ。計画性がないのよ。二人で兄さんを追いかけさせても不安なだけ。だから私もついて行くわ。何か問題はある?」

クレハはそう言い切った後、にっこりと笑った。満月のような完璧な笑顔。

命に代えて守った〝マスターギア〟を忘れてくる失態をしたノイと、クレハの一度こうと決めたら決して変わらない強情さを知っている僕は、これ以上彼女を説得する気にはなれなかった。

「分かったよ。でも、危ない真似はしないでくれよ? クレハ」

「それはこっちの台詞よ。私が手当て出来る程度の怪我で済ませてよね、ナユタ?」

その時見せてくれたのは、いつものクレハの、柔らかな笑顔だった。

そういえば、島に帰ってから、初めてこの表情を見られたな、と、僕は思った。