那由多の軌跡

第2章 落ちてきた遺跡

土屋つかさ

ゲーム×出版×Web 魅惑のトライアングルに、綺羅星の如き豪華執筆陣。ここから、ノベライズの“新たな地平”がはじまるーー。

次の日も快晴で、良い風にも恵まれた。そうして、定期船は最初の停留地である残され島に到着した。

船は残され島から少し離れた場所にいかりを下ろし、停泊した。残され島の周りは海が浅くて、帆船では桟橋さんばしまで近づけない。僕とシグナはバップス船長にお礼を言って、帆船から小舟に乗り移り、島に向かった。

「あれ、誰もいねえな」

見えてきた桟橋小舟が二そう留められる程度の、小さなものだに目をこらして、シグナが微妙に不満げな顔をする。小舟を漕いでいた副船長のクラックがケラケラと笑った。

「『このシグナ様の凱旋がいせんに出迎えの一人もよこさないとはけしからん!』てか?」

からかう副船長に、シグナが言い返す。

「そんなんじゃねえよ!」

シグナはもう一度、誰もいない桟橋を睨んでから、僕を見る。

「何か、あったんじゃないか?」

定期船が近づいてくるのは、村のどこにいたって分かる。物資の受け取りもあるし、普通なら桟橋には人が集まってくる筈だ。

「確かに、ちょっと変かもしれない」

僕とシグナは頷き合い、小舟が接岸せつがんするより前に船縁を蹴って、桟橋に飛び乗った。

「おい! 船を留めんのを手伝いやがれ、小童ども!」

僕らが跳んだせいで大きく揺れた小舟から副船長の怒声が響き、同時に船留め用の縄が二本飛んでくる。僕らはそれを空中で受け取って、桟橋の柱に引っかけた。

「あとはよろしく!」

「おい、まだ終わってねえぞ! 待ちやがれ!」

怒鳴り声を背後に聞きながら二人で桟橋を走り抜け、村へ向かった。

残され島は、大人の足なら半日で一周出来るくらいの本当に小さな島だ。そして、島に唯一ある村も、人口が百人に満たない小さい共同体だ。

中央に広場があり、そこから東西に大通りが一本ずつ延びていて、商店や民家が一通り並んでいる。大通りから幾つか脇道も延びていて、畑や風車小屋、それに僕たちが到着した船着き場などに続いている。まあ、それくらいの小さな村なんだ。

桟橋を過ぎると、平らな石畳いしだたみの場所に出る。陸揚りくあげした物資や捕った魚を一時的に置く空間だ。いつもは誰かしらいるものだけど、今日に限ってここにも人影はなかった。

「とりあえず広場だ」

シグナは前を向いたまま、少し硬い口調で言って、前方にある石階段に向かって走る。僕も無言でついていった。

村の広場へと続くこの長い石階段は、島に入植した村人が造った物ではなく、落ちてきた遺跡をそのまま流用しているのだと、以前村長さんが言っていたのを思いだす。

広場に到着すると、そこには村の人たちが沢山集まっていた。ようやく人の姿を見つけて、小さく息を吐く。

みんなは、数人ずつで集まって、何やら話し込んでいた。少し、いつもとは違う雰囲気だ。

「何があったんだ? お、ライラがいるぞ」

シグナの視線の先に、僕らと同い年の女の子、ライラ・バートンがいた。村人と話し込んでいた彼女は、こちらに気づいて大きく手を振ってきた。

「あ、ナユタ! 帰ってたのね!」

ライラは小さな頃から一緒に遊んでいた女の子だ。村唯一の宿屋の子であり看板娘。襟元えりもとで切り揃えた赤毛の髪が、太陽を浴びて光って見えた。日に焼けた肌も、ライラの元気な性格に似合っている。胸元や袖に綺麗なひもを結んでいて、華やいで見えた。

ライラは話していた相手に二言三言言ってから、こちらに駆け寄ってきた。

「やあライラ。ただいま」

「お帰りなさい、ナユタ。久しぶりね」

そう言って笑顔を作るライラは、少し目を逸らしがちで、頰が赤くなっているように見えた。熱でもあるのかな?

「おいおい、こっちには『お帰りなさい』はねえのかよ?」

僕の肩に腕を載せ、シグナが言う。ライラは今初めて気づいたみたいに、

「あ、シグナいたの。お帰りなさい」

「俺はついでかよ

ガクリと肩を落とすシグナ。僕はライラに聞いた。

「何かあったの?」

「あ、そうなのよ! 昨日の夜、北の入り江の方に遺跡が落ちたの!」

興奮してまくし立てるライラに、シグナが呆れた顔をする。

「そんなの毎度のことだろうが。別に珍しくもねえ」

「違うのよ! もの凄く大きいの!」

ライラは両腕を目一杯広げて、その大きさを示そうとした。とはいえ、よく分からない。

「村長さんも『あんな大きな遺跡が島の近くに落ちたことは、これまでになかった』って言ってたもの!」

「へえ

それには驚いた。サーペント村長は、この村で一番の長生きで物知りだ。その村長がそう言うのなら、よっぽどなのだろう。

「今ね、危険がないかどうか、オルバス先生が確認に行ってるの」

それを聞いて、僕はシグナを見る。

「シグナ!」

「皆まで言うな相棒」

お互いに笑顔で頷き合う。オルバス師匠が既に先行しているなら、僕ら不肖ふしょうの弟子たちも後を追う理由になる。冒険に行ける!

嬉しそうな僕らを見て、ライラはやんちゃな弟でも見るような目つきになった。

「あんたたち、帰った早々遺跡探検に行くつもり? ホント、男って冒険が好きなのね。いつまで経ってもお子様だわ」

呆れたように言うライラに、シグナは、

「そういう台詞はもっとおしとやかになってから言うんだな。もしくは

ライラの胸元を見て、ニヤリと笑う。

もっと出るべき所が出っ張ってからだ」

「なっ!」

ライラは顔を真っ赤にして両手で胸元を隠す。

「シグナのスケベ! だからお子様だって言ってんのよ! そりゃ、そんなに大きくないかもだけど、まだまだこれから

必死の抗議を無視して、シグナは僕に振り返る。

「ナユタ、準備が済んだら北の入り江に集合だ」

「了解!」

お互いに背を向けて走り出す。僕らの家は丁度ちょうど反対方向にある。僕の家は大通りの東のはし。シグナの家は西の端だった。

「って、無視すんな! 二人ともー!」

背中にライラの声が届く。走りかけた僕は、そういえば、と立ち止まって振り向いた。

「ライラ! クレハは師匠と一緒に遺跡に行ったのかな?」

「ええそうよ!」

まだ顔を赤くしているライラは拗ねたように答える。

「悪かったわねクレハよりちっさくて!」

何を言っているのかよく分からない。

「ありがと、じゃあね!」

「あっ、ナ、ナユタ!」

走り出そうとした時、今度はライラが呼び止める。

「なんだい?」

「えっと、あのね、その

さっきに増して顔が赤くなるライラ。目をぎゅっとつぶって叫ぶ。

「な、ナユタに、話しておきたいことがあるの! あ、後ででいいから!」

「うん分かった! じゃあ、後でね!」

三度目の正直で、僕は広場を飛び出した。

村はずれの坂道を上ると、僕の家が見えてきた。木造二階建てで円筒型の家。屋上に置かれている大きな望遠鏡が目印なのだけど、今は布がかぶせてある。

自分の家を目にすると、しばらく島を離れていただけなのに、たまらなく懐かしい気分が湧き上がってくる。

村で一番の高台にあるこの場所は天体観測に最適で、家は母さんが、望遠鏡は父さんが設計した物だ。小さいけれど、大切な場所。家も望遠鏡も、僕にとっては両親の形見だった。

二人は三年前に〝世界の果て〟を目指して船に乗り、そして、帰ってこなかった。今、あの家にはアーサ姉さんが一人で暮らしている。今の僕の身寄りは、姉さんだけだ。

玄関の前の階段に足をかけた時、不格好な木のポストが目に入った。前にシグナが作った「便利屋依頼箱」だ。そういえば、休暇中は便利屋を再開するって、シグナ言ってたな。あとで相談しなきゃ。

そんなことを考えながら、木戸を開き、叫ぶ。

「ただいま!」

と言っても、姉さんは奥の部屋で寝ているので、返事はない筈

「あら、お帰りなさいナユタ。もう着いたのね」

意外にもすぐに声が返ってきた。

居間の大机おおづくえに置かれた星片観測機の横から、アーサ姉さんが顔を見せる。観測機がはなつ赤と茶の光が、姉さんの綺麗な栗色の髪をぼんやり照らしていた。腰まである波打った髪は、光を受けると夕日が浮かんだ川のようだった。

僕は驚いて、大机を迂回うかいして姉さんに駆け寄る。

「姉さん! 寝てなきゃダメだよ!」

「今日は調子がいいのよ。ずっと寝てても退屈だし」

と、すぐに姉さんはき込みだした。机にあった布を引き寄せて口にあて、更に強く咳き込む。

「ほら! 安静にしてなきゃ駄目だよ!」

「これくらいは、いつものことよ。まったく、ナユタは心配性なんだから」

そう言って、姉さんは布から顔を上げて僕に笑いかけ、そしてまた、小さく咳き込んだ。

僕の姉さん、アーサ・ハーシェルは、〝奈落ならく病〟という不治ふちの病にかかっている。

〝奈落病〟は〝大洪水〟以来、生き残った人間を悩ませ続けている奇病だ。一度発症すると、病原菌が徐々に体を蝕み、それが免疫めんえき力を低下させ、最後には死に至らしめる。今の医学では、病気の進行を多少遅らせるのが精一杯で、根本的な治療法は見つかっていない。ただ一つの、特効薬を除いて。

それは「ユピナ草」と呼ばれる野草だった

数百年前、ユピナ草から抽出した汁が〝奈落病〟を根治させる能力を持つことが発見された。人間は、ついに不治の病に打ち勝つ方法を見つけたのだ。

けれどユピナ草は、現在ではスケッチが残っているだけで、入手する方法は存在しない。絶滅したのだ。

ユピナ草の〝奈落病〟に対する効能が発見された当時、富裕層ふゆうそう相次あいついでその植物を買い求めた。結果、元々群生地が限られていた希少な植物である「ユピナ草」は、値段が一瞬にして高騰こうとうした。

需要ある所に供給は生まれる。生命と金への欲求の為に、奇蹟きせきの薬草は乱獲らんかくされた。

そして、当然の帰結のように、ユピナ草は刈り尽くされ、この世界から姿を消してしまったのだ。それはつまり〝奈落病〟に対抗する唯一の手段が消失したということを意味していた。

このことは、〝大洪水〟後に人間が行った最も愚かな行為の一つとして知られている。

それ以来、人間はこの不治の病を、常に恐れながら生きていくしかなくなった。

どういう条件で〝奈落病〟が発症するのかについても、よく分かっていない。その昔は、〝世界の果て〟の近くに住む人たちだけがかかる風土ふうど病だと考えられていた。けれど、ここ数十年で発症例が確認される地域は徐々に広がり、世界を覆い尽くしつつあった。

患者の数も増大傾向にある。にも拘わらず、対抗策は数百年前に失われている。

刺激的な言説げんせつ吹聴ふいちょうして金を得る一部の占い師なんかは「争いを止めぬ人間にこの世界が絶望し、彼らを地上から取り除こうとしている」と街中で叫んでいる。多くの人はそんな言葉に耳を傾けたりはしないけど、心の中では、誰もが同じことを考え、怯えている。

このまま〝奈落病〟を根治する方法が見つからなければ、結果としては占い師の言う通りの世界になるだろう。争いを止めぬ人間が、地上から取り除かれた世界に。

咳が収まると、姉さんは布を脇に置いて僕に言った。

「それよりも、ねえナユタ。これ、見てご覧なさいよ。ちょっと凄いのよ」

ちょいちょいと星片観測機を指さし、椅子から立ち上がる。ごまかされた気がするけど、「凄い」というのが気になって、姉さんと入れ替わりに観測機の前に座った。

星片観測機は〝星の欠片〟に記録されている絵や音を読み取るための機械だ。〝星の欠片〟と同様に、空から落ちてきた遺跡の中で発見される物で、僕たちが作った物ではない。

台座の上に大きな半球が据えられ、その中心に〝星の欠片〟をめる為の穴が開いていて、姉さんがさっきまで見ていた欠片が嵌まっていた。半球のふちに沿って、石のツマミが幾つも並んでいる。

台座からは半球に沿うように棒が延び、を描いて欠片を嵌める穴の真上に至っている。棒の先端にはランタンに似た道具が取り付けられていて、実際僕たちはその部分をランタンと呼んでいた。

姉さんがツマミに触れ、慎重に回すと、ランタンから七色の光が放たれ、〝星の欠片〟に当たる。姉さんがツマミを回したり、押したり引いたりする度に、光の色の種類や強弱がくるくると切り替わる。これを調整して、欠片ごとに適した光の組み合わせになると、欠片の中に記録された絵や音が読み出せる。

説明するのは簡単だけど、〝星の欠片〟がどういう仕組みで絵や音を記録しているのか。そして、星片観測機がどういう仕組みでそれを読み出しているのかについては、〝大洪水〟後に生きる僕たちの技術水準では、残念ながら分かっていなかった。

それもあって、欠片ごとにツマミを操作し、必要な光の種類と強弱を発見するのは、経験と勘が頼りとなる職人芸と言えた。なので星片観測機を所持し、使いこなせる人は限られていて、星片観測士と呼ばれている。アーサ姉さんは、その星片観測士なんだ。

元は母さんの仕事だったのだけど、母さんが亡くなった後、姉さんがその仕事を引き継いでいる。遺跡から発見された欠片を預かり、中身を読み出す組み合わせを探し、その情報を欠片とセットで商人に買い取って貰う。これが星片観測士の仕事だ。

姉さんはとても筋が良いらしく、時折他の星片観測士が読み出すのを諦めた欠片まで、船を渡って届けられることもある。

ほら、出てきたわよ」

暫くツマミを弄っていた姉さんがそう言って、ゆっくり手を離した。

紫とだいだいが混ざった色の光に照らされた〝星の欠片〟が、その光の中に溶けるように姿を消し、代わりに、半球の面全体に、半透明の風景が、まるでそこに本当にあるかのように浮かび上がってくる。

「わあ!」

僕は思わず声を出していた。欠片が見せる絵はこれまで幾つも見てきたけど、これはその中でもとびきり美しい風景だった。

青空の下、色とりどりの花が咲き誇っている。庭園だろうか。石造りの壁が点在していて、そこにもつるが絡みつき、小さな花が咲いていた。所々に水場があり、見たこともない鳥が羽を休めているのが見えた。

けれど、一番目を引いたのは、庭園の向こうに見える建造物だった。青空を貫くように、真っ白な塔が、空に延びていた。大陸の物でもない様式で造られたその塔は、雲よりも高く延び、その先は見えなかった。

見入っている僕に、姉さんが微笑む。

「どう? 綺麗でしょ?」

「うん!」

その風景は、ただただ、美しかった。心奪われる何かがあった。僕は呟く。

「これが、〝失われた楽園ロストヘブン〟なのかな?」

「さあ、どうでしょうね。仮にそうだったとしても、ずっと昔の景色でしょうね。今どうなってるかは、誰にも分からないもの」

行ってみたい。

この景色を、〝失われた楽園ロストヘブン〟を、この目で見てみたい。

それは、子供の頃からの、初めて〝星の欠片〟に納められた景色を母さんに見せて貰った時からの、僕の夢だった。

無意識に、懐に手を伸ばしていた。指先にお守り代わりの石の塊が触れる。あの時、夢を抱くきっかけになった〝星の欠片〟が。

「そういえば、ナユタ?」

咳をごまかしながら、姉さんがこちらを見る。

「何?」

「急いで帰ってきたみたいだけど、何か用事があったんじゃないの?」

「! そうだった!」

あまりに綺麗な光景を見て何もかも吹っ飛んでいた! シグナと待ち合わせしてたんだ!

椅子から飛び上がり、荷物を担いで階段を駆け上がり、自分の部屋に飛び込む。

そして、棚にしまっていたかわの肩当てと愛剣を、大急ぎで身につけた。どちらもホコリ一つついてない。僕が留守にしていた間、姉さんが綺麗にしていてくれたのだろう。

準備を終えて、一階に駆け下り、そのまま外へ向かう。

「岬に落ちた遺跡に、シグナと探索に行ってくるよ!」

「気をつけるのよ!」

姉さんの心配そうな声を背中に聞きながら、僕は外へと飛び出した。

「とおりゃあっ!」

シグナが剣を一閃いっせんし、魔獣の体が上下に切り裂かれる。丸い体に大きな目を持った魔獣は、体から伸びる二本の触覚を振り回しながら最後の咆吼ほうこうを上げ、溶けるように消え去った。

魔獣は、それが本当に生物なのかすら、よく分かっていない。動物を狩る時の常識は一切通用しない。ある程度の怪我を負わせると、勝手に消えていなくなる。

こちらが殺される前に、相手を切りきざむ。魔獣との戦い方は、究極的にはこれだけだ。

「はあっ!」

僕も気合を入れて目の前の丸形魔獣に剣を振り下ろす。が、ひょいと横に逃げられ、逆に相手の間合いに飛び込んでしまった。長い二本の触覚が、待ち構えていたように僕の体に狙いを定めて思い切りしなる。やばいっ!

「ナユタ!」

シグナが返す刀で目の前の魔獣の体をぎ、触覚は僕に触れる直前に消え去った。

構え直した僕の隣にシグナが並び、ニヤリと笑いかける。

「こいつらの触覚には毒がある。触れないようにしろよ」

「分かってるよ。ちょっと油断しただけさ」

精一杯強がってみせる。魔獣との実戦でも、シグナには敵わない。それがやっぱり悔しくて、でも、頼もしかった。

通路の前方からは、先ほどと同じ丸形の魔獣が三体並んで道をふさぎ、地面を跳ねてこちらに向かってきていた。

「いくぞ!」

「ああ!」

シグナの声に合わせて、二人で突進する。

〝星の欠片〟の景色に見とれていたせいで、北の岬にはだいぶ遅れての到着になった。遅刻をなじるシグナの小言を聞きながら、僕らは墜落した遺跡へと向かった。

遺跡が落ちた所は、島から少し離れた海の上だった。けれど、北の岬は遠浅とおあさの中に岩が幾つも海面に出ていて、それらを飛び移りながら割と近くまでは行けた。そこから少しの距離を、装備をしたまま泳いで、僕たちは遺跡に到着した。よく考えたら小舟を一艘用意すれば濡れずに済んだのだけど、早く探検に行きたい僕たちはその思考に至らなかった。

遺跡は塔のように見えた。とても太く、高い塔だ。サンセリーゼの町で一番背の高い大聖堂よりもなお大きいかもしれない。確かに、こんな大きな遺跡が島の近くに落ちてきたのは、今まで見たことがなかった。

塔に入る時、「これは村がもうかるな」とシグナが笑った。

残され島の周囲には遺跡が落ちやすい。その為、大陸から冒険家や学者隊が遺跡探索の為にシエンシア多島海に訪れた時、残され島が逗留とうりゅう地となることが多い。村にはそういう客の世話をするお店が幾つかあった。

ライラのお父さんがやっている宿屋の《月見亭つきみてい》を始め、コルンバさんとエイダさんの武器屋、それに冒険に必要な装備を揃えてくれるサーシャさんの雑貨屋なんかもそうだ。これだけ大きな遺跡が現れれば、しばらくはどのお店も繁盛するに違いない。

島外から来た人たちは村に逗留し、装備を揃えて、近場の遺跡に探検に行く。遺跡に残された貴重品目当てだったり、学術調査だったり、単にスリルを求めてだったり、目的は様々だ。ちなみに彼らが〝星の欠片〟を見つけた場合は、大抵は貿易商のアントリアさんを介して姉さんに解析が依頼される。

ただし、遺跡には多くの危険がある。一番の危険は魔獣の存在だ。空から落ちてくる遺跡の大半は魔獣の巣窟そうくつになっている。遺跡の中に巣くっていた魔獣が、人間の匂いを嗅ぎとって、海を泳いで残され島に渡ってくることだってあるんだ。

これを防ぐ為に、島の近くに遺跡が落ちた時は、オルバス師匠や僕たちが先遣隊せんけんたいとして遺跡に入り、魔獣を一通り倒しておくのが通例になっている。スリルを求めて島にやって来る旅人や、魔獣の調査をしている学者さんはがっかりするけど、村民の安全の方が、遺跡観光よりも優先事項なのだから、これはしょうがない。

一階ごとに探策し、時折現れる魔獣を薙ぎ倒すも、なかなかオルバス師匠たちに追いつけなかった。

「しっかし、クソオヤジたちはどこまで行ったんだ?」

塔の外壁に沿って螺旋らせん状に続く石段を上りながら、シグナが忌々いまいましげに言う。ただ、それは心配しているが故の口調だと僕は知っている。

「外から見た時の窓の数から言うと、この先が最上階だね」

「お、もうそんなに来たか? 思ったより手ごたえがなかったな」

石段は弧を描いている為、先をうかがうことは出来ない。

その時、

「きゃああっ!」

上階の奥から、女の子の悲鳴が聞こえた。

「クレハだ!」

僕が叫ぶよりも早く、シグナは剣を構え直し、階段を駆け上がっていた。

塔の最上階は広間になっていた。壁に並ぶひし形に切られた窓から陽光が差し込み、室内をぼんやりと明るくしていた。

部屋の奥に、師匠とクレハがいるのが見えた。魔獣に取り囲まれ、壁際に追い詰められている。僕たちは更に速度を上げてそちらに向かう。

師匠は、クレハをかばうように立ち、細身の刀を地面に垂直に構えている。相対あいたいしているのは、さっきも戦った、二本触覚の丸い奴だ。それが群れをなして二人の周りに幾重いくえにも壁を作っていた。

クレハは怯えたひとみで、しかし、師匠にしがみついたりはせず、いつも持ち歩いている肩掛けの鞄をぎゅっと握り、壁に背中を付けている。背後の窓から斜めに落ちる光が、クレハの長い銀髪を照らしていた。

「師匠! クレハ!」

僕が叫ぶと、二人がこちらに気づく。魔獣の一部も、こちらに触手を向ける。

クレハは一瞬泣きだしそうに表情を歪め、けれど、すぐに怒った顔に変わった。

「もう! 二人とも、来るのが遅いのよ!」

僕はシグナと一瞬目を合わせ、苦笑し、そして魔獣の群れに突っ込んだ。

「うおりゃあっ!」

「うおおおおっ!」

声を上げたのは、魔獣の注意をこちらに引き寄せる為。クレハを庇ったままでは師匠は戦いにくいので、あの包囲網を一旦切り崩さなきゃいけない。

最初にこちらに跳んできた球体を、シグナが師匠の武器と似た片刃の剣で真上から切り裂く。魔獣は音もなく消え去っていく。それに呼応するように、師匠たちを取り囲んでいた奴らが次々とこちらに向かって来た。

石の床を飛び跳ねて向かってくる魔獣を、シグナと分担して相手をしていく。特に言葉を交わしたりはしない。長年一緒に修行をしてきた仲なので、どれがどっちの獲物になるのか、シグナの呼吸を聞けば判断出来た。

「ハッ!」

そして、師匠が短い気合と共に、こちらに気を取られた魔獣を切り捨てる。魔獣が作っていた壁に隙間が生まれた。その隙間を駆け、師匠とクレハの側についた。

「師匠!」

豊かな髭を生やし、異国の装束しょうぞくを着た師匠、剣豪けんごうオルバス・アルハゼンは、魔獣から目を離さずに言った。

「すまんなナユタ。どう倒したものか考えていたのだ。わなを踏んだら魔獣が突然現れてしまってな。判断力がにぶっているとは、もう年だ」

ちっとも本心では思っていないであろう言葉を口にした後、師匠は一歩前に踏み込み、刀を斜めに振り下ろして魔獣の丸い体を斬る。あまりの刃の鋭さに、球体の上半分が切断面を滑り落ちて地面に転がり、そして下半分と共に消えた。

「何が年だよクソオヤジ! だったら家でおとなしくしてやがれ!」

シグナが複数の魔獣をまとめて切り裂きながら叫ぶと、師匠が眉根まゆねを寄せた。

「これシグナ! 敵を前にして意識を逸らすでない! そんな剣は教えておらんぞ!」

お互いに魔獣を薙ぎ払いながら、軽口を叩き合っている。まったく、この親子は

師匠と居場所を入れ替わるようにして、クレハの前に立つ。

「クレハ、大丈夫?」

クレハは涙がにじんだ大きな瞳を僕に見えないように少しうつむき、言った。

「私が大丈夫じゃないとでも思っているの?」

いつものクレハの声。けれど、綺麗な頰はいつも以上に白く見え、小さな唇がほんの少し震えているのが分かった。

「ごめんね、遅くなって」

途端、クレハは顔を上げ、うるんだ瞳でこちらをにらみ付けた。

「そうよ! ナユタはいつも遅いのよ!」

その言葉に苦笑しつつ、迫ってくる触覚に剣の腹を当てて左右にいなし、本体を突き刺す。もう魔獣の半分以上は倒されていた。

クレハ・アルハゼンは、シグナの妹だ。強がりな性格が兄とよく似ていると思う。ただ、もしそう言ったら、二人ともきっと怒るだろうけど。その辺が似ているのだ。

二人はオルバス師匠の家で暮らしていて、師匠を父親としてとてもしたっている。けれど、師匠との血縁はない。

五年前の嵐の夜、不意に予感を得たオルバス師匠が海岸に向かうと、波打ち際にずぶ濡れで倒れている二人の子供を見つけた。まだ幼い男児と女児を師匠は両腕に抱えて真夜中の村を歩き、村唯一の医師、ハイドル先生の家の戸を叩いた。

幸いにも二人は外傷もなく、徐々に体力を回復し、話せるようにもなった。どこかの国の船が難破し、流れ着いたのだろうと思われたが、詳しい事情を聞くことは叶わなかった。

二人とも、漂着するより前の記憶を失っていたのだ。名前すら、覚えていなかった。

身寄りを示す物は所持していなかった。着ていた服の装飾が、シエンシア多島海にも、大陸にも見られない様式だったので、一時期は「〝失われた楽園ロストヘブン〟からの漂着者なのでは?」と噂にもなりかけたのだけど、師匠が「無用な詮索せんさくは避けよう」と提案し、下火になった。

やがて、二人は元気になり、村全体で彼らの処遇しょぐうについて検討することになった。その時、師匠が「見つけた責任を取る」と言い、二人を引き取る提案をした。村長が「オルバス殿にとっても、意義のあることでしょう」と、それを認めた。

そうして、オルバス師匠は、二人を養子に迎え、シグナとクレハと名付けた。

シグナもクレハも、僕と同い年くらいで、村には同年代の子供が僕とライラしかいなかった。だから僕たち四人はすぐに仲良くなり、毎日一緒に遊んでいた。

あれから五年。僕たちは成長した。あの頃はみんなで師匠の真似をして木の枝で剣士ごっこをしていたのに、本物の剣を握り、師匠に教えをうたのは、僕とシグナだけだった。ライラは、宿屋の手伝いをするようになって、料理の腕がどんどん上がっていると姉さんが言っていた。クレハは博物学者のヴォランス博士の下で勉強するようになった。

あれから五年。

クレハは、とても綺麗になった。

最後の一匹を倒したのはシグナだった。見える範囲に魔獣がいなくなったのを確認してから、剣をさやにしまう。同時に、強張こわばった体から緊張が落ちていくのが感じられた。シグナが近づいてくる。

「ナユタ、無事か?」

「もちろん。そっちは?」

「誰に聞いてるんだ?」

シグナは笑って剣を演舞のように振り回し、無事を報せる。けれど、

「噓」

ずっと壁際にいたクレハがそう言って、足下の瓦礫がれきを避けながら、素早くシグナに駆け寄る。そして、素早くシグナの左手首を摑み、関節を逆方向に持ち上げた。

「あだだだ!」

「ほらやっぱり、ここ、裂けてるじゃない。触覚に切られたのね」

クレハの言う通り、シグナの左の脇腹の服が裂け、血がにじんでいた。

「包帯巻くから、座って」

「これぐらいどうってことねえよ」

「私は『座って』って言ったのよ、兄さん」

にっこりと笑うクレハ。思わず背筋がぞくりとなった。満月のように完璧な笑顔。あまりに完璧すぎて、有無を言わせない威圧感を隠し切れていない。端的たんてきに言うと、怖い。

気づけば、シグナは床にあぐらを搔いていた。彼は、僕以上に妹を知っているのだろう。

「よろしい」

クレハは隣に膝をつき、鞄から水瓶と布を取り出す。布に水を染みこませ、傷口をぬぐった。シグナが「ぐっ」と声を漏らす。顔が、痛みをこらえていた。

クレハは残され島に建築された希少生物の博物館の館長、ヴォランス博士に師事している。博物館で働きながら動物学、植物学を学んでいて、その過程で薬草や応急処置についても詳しくなった。それもあって、オルバス師匠が遺跡探索をする際には、師匠のお手伝いと、自身の学術的興味から同行している。

クレハが小瓶から塗り薬を指に取り、傷口に触れると、シグナの体がびくりと跳ねた。

「いてえっ! もうちょっとそっとやれよ!」

「男ならこれくらい我慢しなさい!」

「お前は何をやるにしても雑なんだよ! もうちょっと女らしいこまやかさを持て!」

「なんですって!」

「いてえって!」

やりとりに思わず微笑んでしまう。物怖ものおじしない、男まさりな気質はあの頃から変わっていない。

「ナユタ、今笑ったでしょ! 悪かったわね、ライラみたいに器用じゃなくて!」

なぜここでライラの名前が出てくるのだろう。

クレハにねるように睨まれて、視線を逸らす。と、オルバス師匠が部屋の奥に立ち、石の壁を見つめていた。

「師匠、何を見ているんですか?」

駆け寄って聞く。師匠は腕を組んだまま「うむ」と答えた。

「さっきな、この壁に近づいた時に、床にあった仕掛け罠を踏んでしまったらしくてな、魔獣がまとめて湧いて出てきたのだ。何か大切な物なのかと思ってな」

「なるほど」

師匠の視線の先を僕も眺める。確かに、その壁だけ、他とは変わっていた。

その壁には大きな彫刻が彫り込まれていた。この塔の遺跡の他の場所では見られなかった物だ。周囲の壁から突き出るようにして、それはあった。

僕は思ったままのことを口にした。

「これは、門、でしょうか?」

師匠が暫く考えてから答える。

「うむ。鏡のようにも見えるな」

石を積み上げて作った二本の柱が足下から伸び、僕の頭の上辺りで弧を描いて繫がっている。僕にはその彫刻が門の枠のように見えた。

けれど、門の内側にあたる所は、のっぺりとした一枚岩が嵌め込まれているだけだったので、師匠の言う通り、大きな鏡のようにも見えた。今は年月を経てざらついているが、かつては美しく磨き上げられていたのかもしれない。

弧を描く石の柱にはなにやら細かい装飾が施されていて、それは文字のようにも見えたけど、僕の知っているどの言語の文字でもなかった。

門にせよ鏡にせよ、この彫刻は何を意味するのだろう?

しばらく意匠いしょうを眺めているうちに、僕は奇妙な感覚にとらわれ始めていた。

「師匠、僕、これと同じ物を、どこかで見たような気が

師匠も困惑げに髭を弄った。

「ナユタもそう思うか。実はワシもそんな気がするのだが、はて、どこでだったかな

僕は好奇心にかられ、門に触れようと手を伸ばした。

と、その時、伸ばした手がぼんやりと照らされていることに気づく。窓の明かりではない。僕は光源を探した。そして、

「門が、光っている?」

柱に刻まれた文字のような装飾の内側から、光がにじみ出しているように見えた。

「ナユタ、見ろ!」

師匠が門の内側の一点を指さす。まるで壁に穴が空いたように、そこが光っていた。まるで水が漏れ出すように、その穴から光がほとばしり、継ぎ目のない壁に沿って満ちていく。やがて、柱の内側は完全にあわく、温かな光に満ちた。それは、光のまくのように見えた。

「なんだ、これ?」

僕は呆然ぼうぜんとその光景を見つめていた。師匠に連れられて多くの遺跡を探索してきたけど、こんな物を見るのは初めてだった。

オルバス師匠を見る。と、その横顔はいつものそれと違っていた。驚きに満ちた表情は、しかし、緊張感に溢れている。

「何か、来る!」

短く師匠が叫ぶ。

門に満ちる光の奥から、小さな影がこちらに向かってきていた。

光の膜の真ん中あたりに浮かぶその小さな丸い影が、ふらふらと上下に揺れながら、徐々に大きくなっていく。

僕は瞬時に剣を構える。魔獣がやって来るのか!?

「気をつけろ、ナユタ!」

師匠が叫ぶのと同時に、それが光の膜を抜けて、こちらに、僕の方に向かって飛び出してくる。

「えっ!?」

思わず叫ぶ。それは魔獣ではなかった。

最初、僕は、人形が飛んできたのだと思った。僕の頭くらいの大きさの、綺麗な、可愛らしい女の子の人形が。長い前髪に隠れて、顔はよく見えなかった。

綺麗な桃色の髪は、頭の上で左右にふた房に結び、その女の子の背丈よりも長く垂れている。異国の服を纏い、細くて長い手足は布に被われていて、わずかに二の腕とふとももから、健康的な肌色が覗いていた。

髪の艶といい、生き生きとした肌といい、驚くくらいに美しく精巧な人形が、空中を回転するように飛んでいた。

人形は、自身の身の丈くらいの大きさの、円盤状の物を抱えていた。あれはなんだ?

と、その時、その人形が、顔を上げて僕を見た

髪の色と同じ、透き通った、可愛らしい桃色の瞳が僕を見つめる。そして、こちらに近づいてくるその瞳が、生気の宿った瞳が、驚きに見開かれた。

人形じゃない! この小さな女の子は生きている!

まるで、幼い頃に聞かされたおとぎ話に出てきた妖精のようだ、と、僕は驚く。

そしてその驚きを感じた直後、妖精らしき女の子は真っ直ぐこちらに飛び込んできて、僕の顔面にぶつかった。

ごちん。

勢いが止まらず僕はその子を顔に乗せた形で、地面に仰向あおむけに倒れ込む。すぐ近くでカラカラと金属の何かが転がる音がした。視線を向けると、石床に、女の子が抱えていた円盤が転がっているのが見えた。

厚みのある円盤で、外見は石を綺麗に磨いた装飾品のように見えた。ただ、身につけるには大きさも重さも不釣り合いに思えた。何に使う物なのか、僕には思いつかなかった。

「ナユタ!」

クレハの心配そうな声。とはいえ、ちょっと鼻の頭が痛いくらいで、大事はなかった。起き上がって周囲を見る。

顔にぶつかってきた女の子が地面に倒れている。苦しそうに息をしていた。確かに、生きている。よく見ると、服や腕が汚れていた。クレハが女の子の側に座って言った。

「この子逃げてきたんじゃないかしら。必死そうに見えた」

「逃げるって、誰から?」

と、その時、また門が光り出した。

「今度はなんだ!?」

光の中に、影が、二つ浮かんでいた。こちらに近づいてくる。

僕にはそれが、光の中に黒い染みが広がっているように見えて、全身がぞわりと波打つ。強い悪意が近づいてくるのを、肌が感じ取っていた。

漆黒の染みが、門に満ちている光の膜を飲み込んでいく。

やがて、光が全て黒に塗りつぶされた。空間が、すっと暗くなった気がした。

同時に、門の向こう、漆黒の中から、革靴のつま先が現れ、こちらの地面を踏んだ。

そして、薄褐色うすかっしょくの肌をした壮年の男が、門から出てきた。

群青ぐんじょう法衣ほうえのような物を纏い、背丈よりも長い杖をついている。薄い小麦色の髪を長く伸ばし、赤い瞳が無表情にこちらに向いている。

その男に続いて、もう一人、僕と同い年くらいの若い男が現れる。

若い男は長い大剣を腰から下げていた。複雑な装飾が施された大きな仮面を被っていて、鼻から額までを覆っていた。仮面の下に僅かに見える瞳から、冷たい視線が漏れた。

門を出て数歩の所で二人は立ち止まる。杖を持った男が室内をゆっくり見渡す。

「貴様らは

僕たちを見て少しだけ目を大きくする。やがて、少し興味深げな顔をした。

「となると、ここは、地の上か。そういうことも、あるか」

何を言っているのか、よく分からなかった。けれど、僕は僕の心が勝手に緊張感を高め、全身に伝えていくのを感じていた。

この二人は、強い。肌で、それが分かった。

杖の男は、倒れている小さな女の子を見た。

「ノイよ。管理者としての忠誠心はたいしたものだが、無駄だ。〝マスターギア〟は私の物だ」

ノイ、というのがこの小さな女の子の名前だろうか。〝マスターギア〟ってなんだろう?

杖の男は横を向き、横に立っていた剣士に言った。

「セラムよ、〝マスターギア〟を回収しろ」

セラムと呼ばれた剣士は小さく顎を引き、前に出た。そして、床に転がっている円盤に向かう。あれが、〝マスターギア〟?

「だなの」

その時、小さな女の子が、目を閉じたまま口を開く。

「マスターギアを、渡しちゃ、ダメの」

苦しそうに漏れ出るその声を、杖の男は一喝する。

「黙れ」

大剣の剣士が円盤の前に立つ。円盤を摑もうと手を伸ばし、体をかがめようとする。

と、その時、

「よっと」

いつの間にか近づいていたシグナが、さっと円盤を拾い上げ、それを僕に向けて投げた。僕はそれを片手で受け止める。杖の男はシグナを睨み、ゆっくりと言う。

邪魔をするのか」

「ちっちゃな子供をいじめちゃいかんな」

クレハが女の子をそっと抱き上げて、後ずさった。杖の男はそちらをちらりと見て、そして、さきほどよりも大きく、薄い目を開いた。

「お前は

杖の男はクレハを見つめたまま、暫く黙っていた。やがて、剣士の方を向く。

「セラム、〝マスターギア〟を回収しろ」

次の瞬間、オルバス師匠が叫んだ。

「ナユタ! 剣を抜け!」

師匠の言葉を受け、僕は反射的に持っていた円盤を床に捨て、剣を鞘から引き抜いた。

次の瞬間、構えたばかりの僕の剣が、ギリギリの間合いで大剣を受け止めていた。遅れて強い衝撃が両腕に伝わり、筋肉が悲鳴を上げる。必死に足を踏ん張り、大剣を押さえる。

目の前に、仮面の剣士が迫っていた。僕には、その動きが見えなかった。師匠の言葉に反応するのが少し遅れていたら、僕の頭上に落ちていただろう。

「だぁっ!」

渾身の力で大剣を押し返す。仮面の男は素早すばやく後ろに下がり、構え直してこちらを睨む。

この男は、強い。

あれだけの速度で動きながら、重量のある剣を軽々と使いこなし、迷いのない動きで斬り込んでいる。シグナやオルバス師匠と同格、いや、それ以上かもしれない。

僕に、勝てるのか?

一瞬、頭に浮かんだその迷いが、僕の判断を鈍らせた。

けれど、その一瞬は、剣士が命を落とすには十分な時間だった。

「ナユタ!」

クレハの言葉が遠くに聞こえる。

真横に迫る大剣は、まっすぐに僕の首を狙っていた。その剣の動きがやけにゆっくりに見えた。避けなければと思うのだけど、僕の体はそれ以上にゆっくりにしか動かない。

殺される。ここで死ぬ。

死への恐怖は僕の体を硬直させたりはしなかった。逆に、思考を活性化させ、なんとかしてこの窮地きゅうちを脱出する方法を考え、必死に体を動かそうとした。

けれど間に合わない。大剣が、腕一本分の距離まで迫る。

「諦めるなナユタ!」

声と同時に硬質な音が響く。

見ると、オルバス師匠が、異国の刀で大剣の動きを止めていた。僕の体と迫り来る大剣との僅かな隙間に、自身をねじ込んだのだ。刃同士がこすれ、耳障みみざわりな音が続いた。

「どけ! お前にはこいつは倒せん!」

そう叫び、細身の刀で大剣を押し返す。仮面の男は体勢を保つ為に体を引かざるを得ず、そこに師匠が間髪を入れずに攻撃を繰り出す。

「きいええええっ!」

仮面の男の大剣が力で斬る剣だとすれば、師匠の刀は速度で斬る剣だった。一度斬りかかっては瞬時に刀身を返して次の攻撃に移る。

仮面の男は反撃の隙を見つけられず、間断なく繰り出される師匠の刀を防ぐことしか出来なかった。徐々に後退していく中、一文字に結ばれていた唇が、わずかに歪んだ。

と、その時、足下が、がくんと揺れた。

「なんだ!?」

シグナが叫ぶと同時に、もう一度、今度はより大きな揺れが部屋全体を襲った。天井から細かな石の欠片が降り注ぐ。

石床に大きな亀裂きれつが走り、そして割れた。石が階下に落ち、大きな割れ目が生まれた。

崩落ほうらくかっ!?」

どうやらそのようだった。なおも強い振動が床から伝わってくる。

床に出来た亀裂きれつこぼれた水のように広がり、刀を交わしている師匠の足下に届いた。

「なっ!?」

亀裂によって生まれた段差に師匠が足を取られ、耐えきれず体勢を崩してしまう。

仮面の男はその一瞬を逃さず、大剣を真横から師匠に斬りつける。師匠はなんとか刀身を当てて勢いを減じようとするけれど、踏ん張りきれず、刀もろともその体を薙ぎ飛ばされた。

「父さんっ!」

クレハが叫ぶ。宙を飛んだ師匠の体は壁に激突し、床に落ちた。僕は駆け寄って、師匠を助け起こす。

「大丈夫ですか、師匠!」

「馬鹿者、敵に背を、向ける剣士が、どこに、おるか

苦しそうに、それでも僕を叱咤しったした師匠は、地面に転がった自身の刀を取ろうと立ち上がろうとして、苦しげな声を上げた。

「ぐあっ!!」

再び倒れかけた師匠を、抱きかかえるように支える。

「師匠!」

「どうやら、折ってしまったようだ。ふがいない

見れば、師匠の左足のすねが関節のない箇所で曲がっていた。それに、右腕も。

師匠を抱えたまま、僕は振り返る。仮面の男は、剣を構えたまま僕たちを見つめていた。

「ナユタ、クソオヤジ。こいつは俺に任せろ」

シグナがそう言って、仮面の男の前に立ち、剣を構えた。床の亀裂が広がり続ける中、二人は対峙する。

「初対面の相手に悪いんだけどよ。なあんか、お前、気に入らないんだわ」

そう言って一歩右に動く。仮面の男も、シグナの動きに合わせて歩を進める。二人は、円を描くように距離を取り合う。また、遺跡が大きく揺れた。

「それに、ナユタを殺しかけた分と、クソオヤジを痛めつけてくれた分の借りは、きっちり返しておかないとな」

シグナの声は冷静だし、少しだけ笑ってもいた。けれど、それは怒りの裏返しであることが、僕には伝わってきた。

「いくぞっ!」

すっと頭を下げ、シグナが突っ込んでいく。仮面の男は斜めに構えて初撃しょげきを受け止めた。そこから、二人の激しい打ち合いが始まる。

シグナはオルバス師匠と同じ、速度で斬る剣を得意としている。使っている愛剣も師匠から譲り受けた異国の片刃剣だ。ただし、ここぞという時には、その細身の刃に体重を乗せ、力でねじ伏せるような戦い方もする。どちらかというと、そちらの方がシグナの性格に合っていた。

何度も刃がぶつかり、周囲に火花を散らす。床に転がった瓦礫も、亀裂が作る段差も、二人はさして気にした風もなく、けれど的確に避け、剣技の応酬を続けた。

二人の剣士が近づき、ぶつかり、そして離れる。二人の技量は互角だった。あまりにも互角過ぎて、僕はあらかじめ繰り出す技が決まっている演舞えんぶを見ているような錯覚に陥る。

舞踏のように息の合った動きで、二人は剣を交え続ける。それは、シグナが鏡に映った自身と戦っているようにすら、思える程だった。

と、その時、塔が大きく揺れた。シグナの剣が初めて空振りする。脇に避けた剣士は、真横から大剣を薙ぐ。

「シグナっ!」

剣で受ける余裕はなかった。シグナは膝を目一杯曲げて、両足で背後に跳ぶ。大剣の先端がシグナの頰をかすり、前髪の端を切り取る。日に焼けた髪の毛と、丸い耳飾りがちぎれて宙を舞った。

「ちいっ!」

舌打ちして構え直す。切られた頰に、血の筋がにじんでいた。

その時、二人の戦いを無言で見つめていた杖の男が、自分たちが出てきた門の方を向いて「むう」と唸った。

「いかん、〝転位門〟の力が失われようとしている」

見ると、先ほどまでまぶしいほどに門から放たれていた光が、明らかに弱まっていた。杖の男は、シグナと睨み合ったまま微動だにしない仮面の剣士に呼びかける。

「セラム、戻るぞ」

途端、剣士の男はシグナが目の前で構えているにも拘わらず、剣を納めて背を向けた。

「なっ!?」

シグナは呆気に取られた後、目を怒らせて、門に向かう剣士の背中に怒鳴りつけた。

「てめえふざけるな! まだ勝負はついてねえぞ!」

しかし、剣士はシグナの言葉に反応する素振りすら見せず、杖の男の元に戻る。

「聞いてねえのかよ!」

シグナが駆け寄ろうとする。すると、杖の男が身の丈より長い杖を振り上げた。

途端、杖の先端から稲妻がほとばしり、幾筋にも分かれてシグナの眼前に降り注いだ。シグナは間一髪で横に避ける。稲妻が落ちた床が、衝撃で大きく割れ、階下に落ちていった。音と地響きが伝わる。

稲妻によって作られた巨大な穴によって、広間は二分された。門がある側の床に立っているのは、杖の男と、仮面の剣士だけだった。

杖を下ろすと、杖の男はこちらに、見下すような笑みを向けた。

「我が大願たいがんは間もなく叶う。〝マスターギア〟は、暫く貴様らに預けておこう」

そして、視線を横にずらし、クレハを見る。クレハはうずくまって、あの男がノイと呼んでいた小さな女の子を抱きかかえていた。

男の顔から笑みが薄れ、そして、呟くように言った。

お前も、しばし、預ける」

「どういう意味だ!」

僕の叫びに返事をすることもなく、杖の男は背を向け、門に足を差し入れる。光に溶けるように、その体が壁の中に飲み込まれていった。仮面の剣士が後に続き、姿を消した。僕たちは、二人が消えていく様を、呆然と見つめていた。

その時、今までよりも大きな衝撃が、部屋全体に生じた。天井にも大きなひびが入り、拳大こぶしだいの石が幾つも落ちてきた。

オルバス師匠が痛みをこらえながら言った。

「遺跡が、崩れるかも、しれん。早く、外に出なければ

振動が更に大きくなっていく。このままでは危険だ。シグナに向かって叫ぶ。

「シグナ! 一度下りよう!」

けれど、シグナは床に開いた穴の縁で、光が弱まっていく門を、じっと睨んでいた。

そして、

「ちくしょうっ! 待ちやがれってんだ!」

穴を一気に飛び越え、そのまま門に突っ込んでいく。

「兄さん!」

クレハが叫ぶよりも早く、シグナの体は弱々しい光に溶けて、壁の中に消えた。

その直後、門が纏っていた光が完全に消え、ただの壁に、戻った。

呼応するように、遺跡の振動が一段と大きくなり、天井が崩れ始めた。門にも大きな亀裂が入り、割れた。

「師匠!」

「うむ、一度戻るぞ!」

師匠が立ち上がる。僕は座り込んだままのクレハの肩を摑んだ。

「クレハ! 立つんだ! これ以上ここにいたら危ない!」

「兄さん!」

二つに割れた門に向かって、もう一度クレハが叫ぶ。僕は無理矢理クレハを立ち上がらせ、引っ張るように階段へと向かった。

崩れかける遺跡塔から脱出する間、クレハはずっと「兄さん」と、呟いていた。

「うん、ナユタ君の方は、特に大きな怪我けがはないようだね」

そう言って、医師のハイドル先生が微笑む。後ろに立っていたアーサ姉さんが、胸に手を当て、ふうと息をついた。

「じゃあ、私は下にいるわね」

そう言って、姉さんは階段を下りていった。とはいえ一人減っても、ハーシェル家の二階、僕の部屋は人であふれていた。

ハイドル先生は椅子に座ったまま、既に処置を終えていたオルバス師匠の方を向く。

「オルバスさんは、右腕と左足を骨折されてますね。剣が握れるようになるまでは、暫くかかるでしょう」

「剣士が利き腕を壊すとは、我ながら情けない

添え木で固定された利き腕を見下ろし呟く師匠の手を、処置を手伝っていたライラがそっと触れた。

クレハは、椅子に座り、寝台で眠っている小さな女の子をじっと見つめていた。

女の子は、ずっと眠っていた。戸惑いながらも診察してくれたハイドル先生も「疲労から気絶したんだろう」と言っていた。

光の向こうに消えたシグナたちの手がかりは、今はこの女の子だけだった。クレハは、この子が目覚めるのをじっと待っていた。

その手には、シグナが落としていった、丸い耳飾りが握られていた。指が白くなるほど、強く握られていた。

陽はまだ高く、窓際の机に光を注いでいる。机の上には、僕があの時床に捨てた円盤があった。オルバス師匠が拾ってくれていたそうだ。

「ううん

寝台の中で身じろぎした女の子が、ゆっくりと目を開ける。

「こここは?」

「残され島よ」

クレハが冷静に答える。

「あなた、自分の名前が言える?」

「ノイ

そういえば、杖の男もこの子のことをノイと言っていたことを思いだす。

ノイは、ゆっくりと視線を巡らし、クレハを見た。

クレハ様?」

ノイの言葉に、クレハの目が大きくなる。

「そうだけど、あなたどうして、私の名前を?」

その途端とたん、ノイは驚いた顔をして、寝台から跳ね起きた。掛けていた薄い布団ふとんがクレハの膝の上に落ちて、ノイはその上に飛び乗ってクレハを見上げる。

「クレハ様! どうしてこんな所に!? 今までどこにいらしたんですか!?」

「え? え? ちょ、ちょっと待って」

クレハは戸惑って、僕の方を見る。とはいえ、僕にも訳が分からない。

「ねえ、君は

ノイは僕に声をかけられて、初めてこの場にクレハ以外の人がいることに気づいたらしく、驚きに目を丸くする。

「きゃっ! 人間が沢山いるの! どうして!?」

そして、クレハの膝の上で縮こまり、両手で顔を覆おうとした。と、今度はその両手をまじまじと見て、開いたり閉じたりした後、叫ぶ。

「〝マスターギア〟がないの!」

僕は警戒させないように優しく言った。

「君が持っていた円盤なら、そこにあるよ」

机を指さす。するとノイは

「あった!」

と叫び、クレハの膝の上からぴょんと飛び上がった。ノイの体が空中にふわりと浮かぶ。

「飛んだ!」

本当に、おとぎ話に出てくる妖精のようだった。寝物語に聞いた妖精には羽があって、空を自由に飛べたのだ。

けれど、ノイの背中には羽は見えなかった。

加えて、寝台から机まで、少し距離があった。そして、

「あ、あれ?」

ノイは空中で少しジタバタした後、そのまま落下した。どうやら、飛べないらしい。

「おっと」

床に着く前に受け止めて、寝台に戻す。ノイは目をくるくる回しながら呟いた。

「浮遊機能が働かないのどうして?」

ノイを寝台に寝かせる。まだ体が疲れているのか、抵抗されなかった。クレハが言った。

「ねえ、ノイ。あなたのことを教えてくれない? ここにいる人たちはあなたを傷付けたりしないわ。あなたの力になりたいの」

ノイは、クレハと、周りの僕たちを交互に見てから、やがて呟いた。

「クレハ様がそう言うなら、信じるの

「あなたの言う『クレハ様』は、私のことじゃないと思うけど

クレハは戸惑いつつも、まずノイがこの部屋に連れて来られるまでのことを説明し、それから聞いた。

「あなたと、あの二人の男は何者なの? シグナ、私の兄はどこに消えてしまったの?」

寝台に横たわったまま、ノイが答える。

「私はノイ、管理者なの」

「管理者? それは何?」

「ええと、人間の言葉では、『人形』が近いのかな? ノイはご主人様に作ってもらって、〝庭園〟という場所の管理を任されてるの」

「君は人間じゃないんだね?」

僕が聞くと、ノイは横になったまま胸を張った。

「当然なの!」

「さっきは飛ぼうとしたのかな? ノイは飛べるの?」

「もちろん飛べるの!」

更に胸を張る。

でも、さっきは上手くいかなかったの

今度は急にしょんぼりする。

「多分、ここは〝星の力〟が弱いから、上手く飛行機能が働かないのだと思うの

〝星の力〟がなんの事なのか気になったけど、今はシグナの行方が先だ。

「あの二人のことを教えてくれる?」

クレハの質問に、ノイは頷く。

「杖を持った男の方はゼクスト、仮面の剣士はセラムって言うの。私は〝テラ〟という所で、〝庭園〟を管理し、〝テラ〟に四つある〝マスターギア〟を監視する立場にいるの。けれど、突然あの二人が〝マスターギア〟を奪い始めて、私はその一つを持ち出して逃げてきたの。でも、追いつかれそうになったから、〝転位門〟に飛び込んだの」

「〝転位門〟?」

そう言えば、ノイの言うゼクストという男も、同じ言葉を使っていた。

「それって、あの壁に彫られた門のことよね? あの門は、なんなの?」

「〝転位門〟は、離れた二つの場所をつなぐことが出来るの」

想像はしていたことだけど、改めて聞かされて、僕は驚く。壁に彫られた門が、別の空間に繫がっているなんて、それこそ、おとぎ話の中でしか聞いたことがなかった。

ノイは沈んだ顔で続ける。

「ゼクストもセラムも、それにシグナって人も、きっと今は〝テラ〟に戻ってるの」

「〝テラ〟には、どうやって行けるの?」

「ここからは、〝転位門〟を通ってしか、行けないの」

「だが、あの門は、崩れてしまったぞ」

オルバス師匠が口を挟むと、ノイが困った顔をする。

「大弱りなの。このままでは、〝テラ〟に帰れないの

「それって、兄さんもこちらに戻ってこられないってことよね

考え込むクレハ。ハイドル先生が、彼女の肩に手を触れる。

「一通り聞きたいことは聞けたんだろう? ノイ君はまだ疲れているみたいだ。これ以上質問攻めにするのも可哀想かわいそうだし、少し休ませてあげないか?」

分かりました。すみません、先生」

クレハが立ち上がり、階段へ向かう。僕たちも続いて部屋を出た。

思い詰めたクレハの顔を見ているのがつらくて、僕は一階に下り、夕食の準備をしている姉さんの背中を素通すどおりして外に出た。

玄関の前の階段に座って、ぼんやりする。

僕の家は村で一番高い所に建っているので、玄関に座ったままでも、木々の向こうに、さっきまで探索していた遺跡の先端を望むことが出来た。崩壊は一段落したらしく、外見はほとんど変わっていなかった。

対して、僕たちの方は、随分変わってしまった。島に戻ってからまだ半日も経っていないのに、様々なことがあった。ノイと出会い、師匠が傷付き、シグナは

数刻前、仮面の剣士、セラムと対峙した時のことを思い出すと、手がじっとりと汗ばむ。

シグナはどうなったのだろう。あの二人を追いかけて、戦っているのだろうか。

考えていると、最悪の事態が浮かんでしまう。シグナは、あの二人に負けて

「ナユタ」

急に声をかけられて驚く。頭の中にあった、考えちゃいけない想像を振り払って声の方を見る。目の前にライラが立っていた。僕は慌てて立ち上がる。ライラは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。

「怖い顔してる。大丈夫?」

「ああ、うん。ライラは、どうかした?」

「え? あ、うん、あのその、あのね」

僕が聞くと、急にライラは顔を赤くして、両手の指先をもじもじと動かし始める。

「さっき、話があるって言ったでしょ?」

「ああ

そういえば、島に戻った直後に会った時、そんなこと言われたっけ。すっかり忘れてた。

「後にした方がいいのは分かってるんだけど、私も早く言わないと、決心がにぶっちゃいそうだから、やっぱり、今言おうと思って」

「決心?」

ライラの顔がますます赤くなる。やっぱり熱があるんじゃないかな。

「あのね、次にナユタが島に戻ってきたら、絶対言うって決めてたことがあるの」

「へえ、なんだい?」

「ええと、あのね。わっ、私ね」

ライラはそこで言いよどむ。そして、目をぎゅっと瞑り、決心したように口を開いた。

「私、ずっと前から、ナユタのことが

「あーっ!」

ライラが最後まで言う前に、頭上から叫び声が聞こえた。この声は、ノイだ。

見上げると、二階の窓が開き、そこからノイが体を乗り出していた。僕は声をかける。

「ノイ! どうしたの?」

「〝転位門〟なの!」

そう言って、ノイは窓から外に飛び出した。そして、空中で少しの間ジタバタした後、そのまま僕の頭上に落ちてきた。

ごちん。

ノイの体は軽いけど、この距離で落ちてくると、それはそれで痛かった。

「そうだった。飛行機能が働かないんだったの

頭の上でノイがぶつけた頭をさすりながらつぶやく。

「〝転位門〟がどうしたって?」

「はっ! そうなの! あっちに〝転位門〟があるのが窓から見えたの! あれを使えば、〝テラ〟に帰れるの!」

「ホントかいっ!?」

それがあれば、シグナを連れ戻せる!

「ああもう、飛べないのがこんなに不便だなんて思わなかったの!」

頭の上で叫ぶノイに、提案する。

「連れて行くよ! どこ!?」

「ホントに!? あっちなの!」

ノイが指さしたのは、僕の家よりも更に村から離れた所、大きな樹のある広場の方だった。僕はすぐに走り出す。

「ごめんライラ! 話はまた後で!」

「え、えーっ!! ちょっとナユタ! 乙女おとめの一大決心をなんだと思ってるのよ! ナユタのバカー!」

なんだかよく分からない怒りの叫びを背中に聞きながら、僕は広場を目指した。

今はどこも土と草に覆われているけど、残され島の海から上に出ている所のほとんどは、実は空から落ちてきた遺跡で構成されている。つまり、残され島の人たちは、遺跡の上に家を建て、そこに暮らしているんだ。

元々は名もない小さな無人島だった場所に、たまたま大きな遺跡が幾つも落ちてきてそれなりの大きさになったので、大陸から人が入植してきたんだって、以前サーペント村長に聞いたことがあった。

長い年月が経って土が積もり、今では元の無人島と遺跡の境目は分からなくなっているけど、島の三分の二は、地面を掘ればその下に埋まっている遺跡が顔を覗かせる。

東西に伸びる村の、東側の突き当たりの広場は、地面から遺跡の一部が突き出ていて、そこに根をからみつけた大樹が一本伸び、木漏こもれ日が周囲の地面に落ちていた。昔、シグナやクレハ、それにライラと遊び回った場所だ。

「あそこなの!」

根と遺跡がからまった一角をノイが指さす。僕はそこに近づいた。

「あ、ホントだ!」

そこにあった石壁は、確かに遺跡塔で見た門と同じ装飾が施されていた。

「だから僕も師匠も、見覚えがあると思ったんだな

「あのあの、もっと門に近づいて欲しいの。ええと、ナユタ・ハーシェル?」

ノイが自信なさげに言うので、僕は微笑んだ。

「ナユタでいいよ。よろしくね、ノイ」

うん。よろしくなの。ナユタ」

〝転位門〟の前に近づき、ノイが見やすいようにしゃがむ。

「これでいいかい?」

「うん」

ノイが頭から身を乗り出し、〝転位門〟の縁に触れる。

すると、あの時遺跡の最上階で見たのと同じように、門の装飾が光り出し、同時に、内側に光が溢れ出し、膜を作り上げた。

「ちゃんと動いてるの!」

ノイが嬉しげに叫ぶ。僕はごくりとつばを飲み込んで、聞いた。

「この中に入れば、〝テラ〟に行けるんだね?」

「そうなの! これで帰れるの! 良かったの!」

大喜びのノイに、僕は告げた。

「よし、行こう!」

僕が言うと、頭上でノイが慌てる。

「えっ!? ナユタも行くの!?」

「もちろん。僕も〝テラ〟に行くよ」

ノイは頭の上から身を乗り出して僕の顔を覗き込み、慌てたように手を振った。

「ダメなの! 〝テラ〟は人間が来て良い所ではないの!」

そんなことを言われても、僕はノイを一人で帰すつもりは全くなかった。

「またゼクストとかって奴が襲ってくるかもしれないだろ? 一緒に行った方がいいよ。それに、僕はシグナを連れて帰らなきゃいけないんだ」

「ううう

ノイは困った顔をして、しばらくの間悩んでいた。やがて、

分かったの。でも、そのシグナって人を見つけたら、ナユタはすぐに帰るの。約束してなの!」

「分かった。約束するよ」

「それじゃあ、出発なの!」

頭の上で、ノイが元気よく叫ぶ。僕は恐る恐る、門の内側に満ちている、光の中に足を踏み入れた。