那由多の軌跡
外伝 二人の帰る日 第2話 オルバス・アルハゼンの場合
土屋つかさ
ゲーム×出版×Web 魅惑のトライアングルに、綺羅星の如き豪華執筆陣。ここから、ノベライズの“新たな地平”がはじまるーー。
第2話 オルバス・アルハゼンの場合
昼の青空に、二つの月が美しく浮かんでいる。
どちらも拳二つ合わせたよりも大きく、その表面には円形にえぐれた跡が大小いくつもあるのが見て取れる。ナユタの話によれば、あれは小さな石が月に衝突し、それによって穿たれた穴なのだとか。
かつて大陸で剣豪とまで呼ばれたオルバス・アルハゼンは、自宅の前の砂浜で、異国の着物を風に吹かせつつ、二つの月を見上げて、思う。
満身創痍でありながら、それでもその姿を恥とせず、堂々と白い円を青空に浮かべる月は、まるで、我が身のようだ。
自身も、外見にも、中身にも、大きな傷を受け、二度と剣を持つ事は無いと考えていたのに、生涯恥をさらし続けると決め、今もなお剣を握っている。
しかしすぐに、月のように巨大な存在と、矮小な自身の姿とを重ねるなど、慢心に他ならない、と、自らを戒める。オルバスは、自身に厳しい男だった。
とはいえ、感傷的な気分になるのも無理からぬことだった。今日は半年ぶりに弟子が二人、大陸から帰ってくる。大陸での修練を経て、二人がどのように成長したのかと思うと、気もそぞろになる。まるで親の心地だ、と、言葉に出さずに思う。
「ただまあ、二人に会うのは、あれの調査が終わってからになりそうだな」
月から視線を外し、ぐるりと海岸線を見回す。北の岬の沖合に、巨大な遺跡が浮かんでいた。昨日の夜、空から降ってきた物だ。この後、助手と共に中へ入り、内部に危険が無いか調査する予定だった。大陸からの船が到着するのとは、入れ違いになるだろう。
「しかし、なんとも大きな遺跡であることよ……」
通常、落ちてくるのはなにかしらの建造物がいくつもに分割されたその破片なのだが、今回は塔の形をした建造物が丸々一個落ちてきた、という感じだ。
これが海に落ちてくれて本当に良かったとオルバスは思う。オルバスの住む残され島に墜落していたら、村や村人達にどれだけの被害が出ていたか、想像もしたくない。
「ここに移り住んで以来、島の周囲にこんな大きな遺跡が落ちてきたのは初めて――」
自分の独り言に引っかかりを感じて、言葉を止める。
『ここに移り住んで以来』
残され島にやってきて、もう何年になるだろう。確か、そろそろ十年の筈だ。もしかしたらもう過ぎているかもしれない。あまりに慌ただしい時間だったので、数えるのも忘れてしまった。
「……そんな時間を過ごす事が、まだ私に許されるとは、思っていなかったからな」
オルバスはふむと息を吐き、腕を組み、目を閉じる。
◆
十年前、今にも壊れそうな小さな船で大陸を二つも越え、言葉も文化も全く異なるシエンシア多島海に入り、そこに住む村人が〝残され島〟と呼んでいるこの地に、漂流同然で辿り着いたのは、端的に言えば、死に場所を探してのことだった。無人島だと思っていた小さな島に小さな村があったのは、偶然に過ぎなかった。
オルバスの生まれ育った土地で一体なにがあり、なにが原因でそこを出る事になったのかについて、彼は残され島の村人に語らなかった。そして、聞こうとする村人もいなかった。ただ、村人は言葉も通じない自分を温かく迎え入れ、弱っていた体を温め、栄養のある食べ物を作ってくれた。
オルバスの国には、たとえ一日の宿、一杯の飯であろうとも、受けた恩義は返さなければならないという考えがあった。その時オルバスにできたのは、もう鞘から抜くまいと決めていた刀を振るうことだけだった。なのでオルバスはそれをした。西の畑の近くに魔獣が巣を作ったので、それを退治したのである。彼にとっては、余技のような作業だった。
村人は、それはそれは喜んでくれた。しかしそれは、彼らを困らせていた魔獣をオルバスが倒してくれたからではなく、オルバスが生き続けるつもりであると勘違いしたからのようだった。
そして、再び刀を手にしたオルバスは、その勘違いを自分もしようと決めた。
家まで用意してくれようとした村人の善意は謝絶し、修行に適した砂浜の横にあった鍾乳洞を住処とした。この選択によって、結果として養子を二人も迎える事になったのだから、はてさて、運命というのは、どこまで予め決まっているのやら。
そして、十年が過ぎた。人を斬る為に研ぎ澄まされた彼の技は、村を魔獣から守る為の技に変わった。あの時剣を捨て、果てようとした決意が間違った物だったとは、今でも思ってはいない。しかし、もうそれを実行に移すことは無いだろうし、それに至った理由、それをやめた理由を人に話すことも、恐らく無いだろう。
◆
「……む」
思わず、昔を思い出していた。やはり多少感傷的になっているようだ。
遺跡の調査が終わったら、帰ってくる二人の弟子と手合わせをして、成長ぶりを確認するとしよう。
弟子の一人、ナユタ・ハーシェルは、筋は良いのだが、相手に対する情けが先に立つのか、太刀筋に思い切りが無い。優しすぎることは、剣の前では弱点になり得るのだ。
また、ナユタは三年前に両親を亡くし、その時一時的に心を失った。その後立ち直ってはいるのだが、それ以来、どうも自分よりも他人のことを強く思って生きているように見える。他人を大事にするのは良いことだが、それと自分を軽んじるのとは同一ではない。いつか、他人の為に自分の命を投げ出してしまうのではないかという危うさが、ナユタにはあった。
もう一人の弟子、かつ自分の養子であるシグナ・アルハゼンは天賦の才の持ち主であり、いずれはオルバスの技量を抜くだろう。ただし、自分の力を過信している節がある。過信はいずれ大きな過ちを生む。人は過ちを経て成長する生き物だとオルバスは身を以て知っている。しかし、過度な過ちは命に関わる。シグナが早く気づいてくれれば良いが。
二人とも、剣に命を託すには、まだ精神が危うい。これはどうすれば良いだろうか。学者を志しているナユタはともかく、これから剣で身を立てようとしているシグナは、どうにかしてやらねばならないだろう。
「シグナ・アルハゼンよ……」
身よりの無いシグナを引き取ってまだ五年程だが、もう遙か昔のようにも思える。
オルバスには、シグナに伝えなければならない事があった。彼自身が知らない、彼についての事を。しかし、機会を探っているうちに、いつの間にか五年が経過していた。
「今日、話すか。それが良いのかもしれん」
オルバスが生まれ育った国には、思いついたその日が、それをするのに最良だという考えがある。理屈がなにも立っていないが、その勢いに従おうと、オルバスは思った。
「先生ーっ!」
声に振り向くと、助手が駆け下りてくる所だった。遺跡探索の準備が整ったようだ。
太陽に輝く助手の銀色の長い髪、そして、この五年ですっかり美しくなった表情を眩しげに見つめながら、オルバスは心の中で思う。
この子にも剣の才能はあったし、育てればどれほどの剣士が生まれるのか試したくはあった。けれど、本人が剣に興味が無かったのだから、まあ、仕方あるまいな、と。