那由多の軌跡
外伝 二人の帰る日 第1話 アーサ・ハーシェルとライラ・バートンの場合
土屋つかさ
ゲーム×出版×Web 魅惑のトライアングルに、綺羅星の如き豪華執筆陣。ここから、ノベライズの“新たな地平”がはじまるーー。
那由多の軌跡外伝 二人の帰る日
第1話 アーサ・ハーシェルとライラ・バートンの場合
アーサ・ハーシェルは〝星片観測機〟から顔を離し、布を口に当てて咳き込んだ。最近、咳に混じる血が増えてきたかなと思いながら。
布を元の場所に戻すついでに、窓を覗く。陽光が外の景色、島全体に降り注いでいる。
上を見れば、真っ青に染まった昼の空に、月が二つ、うっすらと浮かんでいた。今が一番大きく見える時期で、両の拳を並べたよりも、更に一回り大きい。
「月が二つとも綺麗に見えてる。今日も良い天気になりそうね」
ハーシェル家は〝残され島〟の端、一番の高台に建っている。なので、村の大部分を見渡せるし、天体観測にも適していた。天文学者だった父が残した望遠鏡も屋上に残っていて、弟のナユタが島に帰ってくる度に整備している。
と、村から家へと続く道を、誰かが上ってくるのが見えた。短めに揃えた桃色の髪と、日に焼けた健康的な顔。《月見亭》の看板娘、ライラ・バートンだ。こちらに気づくと、走りながら笑顔で手を振ってくる。アーサも小さく微笑み、手を振り返す。
そして、また咳き込んだ。
◆
「もうアーサさん、また〝星の欠片〟を見てたのね! 寝てなきゃ駄目ってハイドル先生も言ってたじゃない!」
到着して、お願いしていた食料を床に置くなり、ライラがお説教をはじめる。〝星片観測機〟の前に座ったまま、アーサは言い訳する。
「今日は調子が良かったのよ。ナユタも帰ってくるし、寝てる訳にはいかないわ」
「そっ、そうそれ! ナユタ、今日帰ってくるのよね!」
さっきまでの調子はどこへやら、ライラは顔を赤くして、目を輝かせている。なんとまあ分かりやすい子なのだろう。アーサは愛おしさに、思わず顔がほころんでしまう。
「あ、今、アーサさん笑ったでしょ! わっ、私は別にナユタが帰ってくるのが嬉しいとかそういうんじゃなくて、ガキンチョが二人も村に戻ってくるから事前に準備を――」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。ついでにナユタに告白する決意の準備もでしょ?」
「!!!??? なんで分かるのっ!?」
と、返事をしてしまってから慌てて口を塞ぐ。耳まで真っ赤になり、頭の先から湯気でも噴き出しそうだ。
「見てれば分かるわよ。ナユタには内緒にしておくから、大丈夫よ」
弟のナユタ・ハーシェルが、学院の休暇を利用して、大陸から半年ぶりに帰ってくる。親友のシグナ・アルハゼンも一緒だ。そして、ライラは小さな頃からナユタにほのかな思いを抱え続けているのだ。まあ、ナユタの方はまったく気づいてないみたいだけど。我が弟ながら、罪作りな男だこと。
と、今度は少し激しい咳が出る。ライラが心配そうに駆け寄ってきた。
「やっぱり寝ていた方がいいんじゃない?」
「大丈夫だってば。みんな心配しすぎなのよ。父も母も〝失われた楽園〟に旅だった今、ナユタが独り立ちするまで、ハーシェル家の家計を支えるのは私なんだから、頑張らなくちゃね。〝奈落病〟になんて、負けてられないわよ」
「アーサさん……」
こう言ってしまえば、ライラも反論できない。ちょっとずるいとは思っているし、ライラが自分の身を案じてくれているのは分かっているので、心の中でちゃんと謝っておく。
あ、ナユタがライラの宿屋に婿入りすれば、家計の問題は解決するかも、と思いつつ。
◇
この世界には果てがある。少なくとも、長い間、そう信じられている。
約一五〇〇年前、後に〝大洪水〟と呼ばれる天変地異が起きた。一つの大陸が爆発四散して失われ、それによって起きた洪水により、他の大陸も大部分が海に沈んだ。人々は豊かな土地と、それまで築き上げた技術のほとんどを失い、大きく後退した文明に寄り添いながら、今日まで生き延びてきた。
〝大洪水〟後の世界には魔獣と呼ばれる異形の化け物も闊歩するようになり、人間の住める地はますます狭まったが、それでも人間は世界となんとか折り合いをつけてきた。
世界地図のほとんどは再生したが、失われた大陸〝レクセンドリア〟が、かつて存在した筈の場所には、未だに誰も再到達できていなかった。常に海が荒れ狂い、あらゆる船を寄せ付けないその海域は、船乗りの間で「世界の果て」と呼ばれた。そして、その果ての向こうには、かつて人間社会が栄華を誇った時代の文明がそのまま残っている〝失われた楽園〟があると、言い伝えられていた。
アーサとナユタの両親は、学者であり、同時に冒険家でもあった。「世界の果て」を目指す何度目かの調査隊の船に同乗し、そのまま帰ってこなかった。
一時期、ナユタはそのせいで心を失っていたけれど、親友のシグナのおかげで立ち直り、今は大陸で天文学を学んでいる。父の後を継ぐつもりなのだろう。そしてアーサは、母の仕事であった〝星片観測士〟の仕事を継いだ。
両親を失っても、姉弟で仲良く暮らしていける筈だった。
〝奈落病〟の事を、除けば。
◇
「でもホント、まさか私が〝奈落病〟にかかるなんて、思いもしなかったわ」
つとめて明るく言う。この話はライラとも何度もしているので、それほど重い話題にはならない。ライラもすこし表情を和らげる。
「薬を飲んでいれば、病の進みは遅くなるんでしょ? ハイドル先生が言ってたわ」
〝奈落病〟は、〝大洪水〟以来、生き残った人間を悩ませ続けている不治の病だ。発症すると、病が徐々に体を蝕み、免疫力を低下させ、最後には死に至らしめる。
発症の原因は不明。帝国が統べる大陸や、残され島のあるシエンシア多島海のように、「世界の果て」の近くに住む人間に多く発症する傾向があることだけが分かっている。そして、近年その人数が急速に増加傾向にあるということも。
根本的な治療法は発見されていない。数百年前に「ユピナ草」と呼ばれる植物の葉から取れる薬が〝奈落病〟の特効薬になる事が判明したが、この草を今入手する方法は無い。
当時、その事が発表された途端、ユピナ草の値段が高騰し、それに伴い乱獲が行われ、まず野草が姿を消した。人工的に株を増やそうとしていた人達も多くいたが、独占の為に他の菜園に毒を撒くなどの行為が横行し、結果的にユピナ草は絶滅してしまったのだ。これは〝大洪水〟後に人間が行った最も愚かな行為の一つとして知られている。
ライラの言う通り、今は薬で病気の進行を抑えるしか手が無い。けれど、自分の体に聞く限り、あまり長く保つ話ではないなと、アーサは思っている。
「ところで、今日は何が見えるの? それ?」
ライラが近寄ってきて、〝星片観測機〟を覗き込む。
「まだ調整が済んでないから、ぼんやりとしか見えないけど、それでもいい?」
「うん、見る見る!」
アーサは立ち上がり、ライラに席を譲った。そして、観測機のツマミを調節する。
〝大洪水〟以来、この世界では、空から〝遺跡〟と呼ばれる建造物の欠片が降り注ぐようになった。それは、失われたレクセンドリア大陸にかつて存在した建物が、爆発によって空に打ち上がり、長い時間をかけてまた地上に戻ってきた物だろうと言われている。
遺跡の中は大抵魔獣の巣なのだが、稀に〝大洪水〟前の技術で作られた機械や装飾品が見つかる場合もある。そして時折〝星の欠片〟と呼ばれる七色の石も発見される。この〝星の欠片〟は、当時の人間が絵や音を記録しておく為に用いた道具のようで、〝星片観測機〟に設置して当てる光の種類や量を上手く調節すると、中身を映し出すことができる。この操作を行う人を〝星片観測士〟と呼び、亡き母の、そして今はアーサの職業だった。
いくつものツマミや突起を動かしていると、機械の真ん中にぼんやりと絵が浮かんでくる。輪郭がぼやけている為、正確に何が映っているのかは分からない。ライラが聞く。
「これは……、男の子と、女の子、かな?」
「多分そうね。顔はまだよく分からないけど、笑っているみたいね」
緑色に輝く庭園の真ん中で、二人の小さな子が両手を広げてこちらに笑いかけている。とても和やかな絵だった。今日中には、ちゃんと調整して、綺麗に見えるようにしたい。
ライラはじっとその絵を見続けて、小さく首をひねった。
「でもこの二人、どこかで見たような……?」
「まさか。〝大洪水〟よりも前に記録されたものよ」
「うーん、でも、どこかで……」
絵を睨んだまま考え込むライラを見て小さく息をつくと、アーサはまた窓の外を見た。
「あら?」
村からの道をまた一人女の子が駆け上ってくる。野外観察で動きやすいように服の裾を大胆に切っていて、そこから伸びたふとももが陽光に眩しく照らされている。肩から提げた大きなカバンが揺れていた。こちらに気づくとやはり笑顔になって手を振ってくる。
「ライラ、恋敵がやって来たわよ」
「えっ、恋敵!? いや、あの子はそんなんじゃ――」
慌てて言い繕おうとするライラに、アーサはまた苦笑する。
「あなたのこと、捜しているんじゃないの?」
「あ、そうだ! 遺跡探索用の携帯食、渡す約束してたんだ! 忘れてた!」
ライラは弾けるように椅子から立って、入り口に向かう。
「見せてくれてありがとね。私、行くから!」
ノブに手をかけたライラに、アーサは何故か、言うつもりの無い事を言ってしまった。
「あの子は、手強いわよ、ライラ」
個人的にはライラを応援してあげたい。けれど、あの子がナユタをどう思っているかはともかく、ナユタはきっと――。
「分かってるって、そんなの」
アーサが口にしなかった言葉まで察したのか、ライラはちょっと気弱な声を出し、すぐに振り返って、にっと笑った。
「でも、こればっかりは、『なら諦めます』って訳には、いかないから! じゃあね!」
ライラは扉を開け、陽光の下に飛び出し、手を振りながら坂を下りていく。開け放された扉の向こうでは、芝生が陽光を受け止めて、青く輝いていた。
輝きの中にいる二人の女の子を、アーサは薄暗い部屋の中から見つめる。
咳を少しだけ我慢して、アーサは思う。
誰でもいい。願いを聞いてくれるなら、彼女達にはどうか平穏な人生を。