金の瞳と鉄の剣
第三回
虚淵 玄 Illustration/高河ゆん
竜と剣、そして目くるめく魔法の世界。ファンタジーの王道中の王道に颯爽と挑むスーパータッグ、虚淵玄×高河ゆん! 2010年、ファンタジーの歴史に新たな一章が刻まれる……。最新&最高の“バディもの”がここに!
『錠前殺し』のラルーバス――廃墟の古城でキアが出会った男はそう名乗ったものの、その二つ名を聞いたキアがさほどの感銘を表さなかったことが、少なからず不服な様子だった。
「――お前さ、本当に聞いたことないわけ? 俺の名前」
「残念ながら世事には疎いもので。でも、僕の連れはどうやら聞き覚えがあったみたいですね」
取りなすように言いながら、キアは、男の名乗りを耳にしたときタウが示した表情を思い起こす。
「彼、相当驚いてましたけど……あなたは、かなり有名な方なんですか?」
「そういう訊かれ方をすると自信がなくなるがねぇ。まぁ、旗揚げから暫くの間は、名前を売り込むためだけに相当無茶ばっかりやったもんさ」
吞気に雑談を交わしている二人だが、その表情はあくまで真剣そのものだ。今、キアとラルーバスが協力して当たっている作業は、一瞬の気の弛みも許されない、細心の注意を要するものだった。
「しかし、あんたら二人組だって、さぞや名うての墓荒らしなんじゃないのかい? この城まで無事に踏み込んでくるなんざ、見上げたもんだと思うぜ」
「それを言ったら、あなたはたった一人で外の罠を突破してきたんでしょう?」
「いや……この天守閣まで辿り着いたのが俺一人、ってだけの話でな。初めは五人の徒党を組んできたのさ。それが毒霧の沼地で一人、妖術の迷路で二人やられて、あとの一人も件の番犬どもに喰われちまった」
キアも、ここに至るまでタウとともに辛くも潜り抜けてきた数々の障害を思い起こし、ほとほと呆れたとばかり溜息をつく。
「ここの防備は、本当に無茶苦茶ですね。大昔に廃墟になった城とは、とても思えない」
「だろ? しかもあれだけ高度な魔術で凝った罠を仕掛けておきながら、最後に控える難関がコレだからな。城主の底意地の悪さが偲ばれるってもんさ」
キアとラルーバスが対峙しているのは、腰掛けほどの大きさのある、鋼鉄製の重厚な櫃だった。より正しくは、その正面に嵌められた錠前である。
城主が櫃の中に秘蔵していたという金銀財宝の噂は、当の城主の血脈が途絶え、城の住民が残らず立ち去り、放置された城跡が朽ち果てた今に至るまで延々と語り継がれてきている。そしてこの古城は、探索に挑戦した盗掘者たちを悉く敗退させてきたことでも有名だ。
かつて城の主が周囲に設置した悪辣な死の罠の数々は、守るべき住人たちが姿を消した後も、意思なき忠節を貫いて、招かれざる者たちを黙々と排除し続けている。侵入を試み、かつ生きて戻ったのは城外の罠の攻略を諦めて撤収した臆病者ばかり。城内にまで踏み込んで生還したという報告は未だにない。
兎にも角にも城の外の仕掛けを突破してのけたタウとキアは、目下のところ、初の生還者となるべく奮闘している最中である。そんな彼らが城の中で出会したのが、同じく櫃の中身を狙って先に侵入を果たしていたこのラルーバスという盗賊だった。
「あれだけ手の込んだ罠を仕掛けられるだけの魔術師を揃えておきながら、どうして最後の錠前だけが機械式なんでしょうか……」
「甘いな兄ちゃん。外の防備が魔術尽くしで設えてあるからこそ、墓荒らしは魔術破りの備えばかりを抱え込んで乗り込んでくるわけじゃないか。で、最後にこの錠前にぶち当たる。魔術抜きの、本物の職人芸だけで組み上げられた最高難度のカラクリ仕掛けに、な」
視線と指先を鍵穴の攻略に専念させつつ、語るラルーバスの口ぶりはさも誇らしげであった。
「そもそも魔術頼りの施錠なんて、より高位の魔術師を連れてこられたら簡単に解呪されちまう。ところが一流の鍵匠が組んだ機械式の錠前は、そうはいかない。こいつをバラせるのは同じ鍵師の指先だけだ。どこまで歯車と板バネを巧みに操り、意のままにできるか――互いの技術の真剣勝負ってわけさ」
「……確かに、僕らだけじゃあお手上げでしたけどね。これは」
何の変哲もない錠前であれば、魔術師にとって解除は苦にならない。内部構造を透視し、要になる掛け金を念動力で動かせばそれまでだ。初歩の初歩である術の組み合わせで事足りる。
故に魔術師は同業者に対する防備のために、蓋や扉、そしてその開閉機構そのものを魔力によって封印する術を好む。こうなると今度は、術式を解除できるかどうかの魔術勝負に争点が移ってくる。とりわけ城外の仕掛けが魔術的なものに特化していたこの城は、最後に控える宝箱の施錠も魔術によるものと予想するのが当然のところだった。
ところが――
「いくら魔術師でも、ここまで複雑な機械装置となると、中身を透視したところで構造を把握しきれない。何をどう動かせば鍵を解除できるのか、まるで見当がつきませんよ」
「だろ? こいつは正真正銘の芸術品さ。鍵開け一つで場数を踏んだ専門家でなけりゃあ手も足も出ねぇ。……とはいえ俺だって一人じゃ持て余してた、ってのが正直なところだ。へへっ、本当なら競争相手になるところだが。こうなってみるとお前らは天の御使いだな」
「お互い、幸運な巡り合いでしたよね」
同じ財宝を狙う盗掘者同士が現場で遭遇するのは、むしろ流血沙汰を回避する方が難しいほどの災厄だ。互いに力を合わせて事に当たるなどという平和的解決は、普通なら望むべくもない。
ところが今回は偶然にも、タウとキア、そしてラルーバスの双方は利害の一致を見た。
「これまでにも魔術師と組んだことは何度かあるが……キアさんよ、お前は文句なく最高だぜ。こんな冴えた手を思いつく奴はいなかった」
「きっとプライドの問題なんでしょう。僕はそういうの、拘りがないだけなんですけど……」
キアとラルーバスは肩を並べて櫃の前に座り込み、二人揃って一つの錠前に手をかざしている。――より厳密には、鍵穴を攻略しているのはキアの指先で、ラルーバスの手はキアの手の上に重ねて置かれているだけだ。
「……業腹だがこの俺も、年を追う毎に手先が錆びついてきたのは否めねぇ。ところがどうだ? お前の指を“借りて”ると、若い頃の技の冴えが戻ってきたみたいだぜ」
「僕は両手の感覚をまるごと譲渡しちゃってますから、何も感じませんけど……むしろあなたが平気だってのが驚きです。触覚なんて五倍に鋭敏化させてますからね。操ってるあなたにはものすごい反饋がある筈なんですが」
「いやいや、感触は鋭ければ鋭いほど有り難い。こんなに指先を細かく動かせるなんて、痛快でたまらんぜ」
ラルーバスの手が添えられたキアの指先は、まさに曲芸のような動作をこなしていた。人差し指と親指で閂を摘んで引っ張りつつ、残る三本の指で挟んで保持したピンを操り、鍵穴の中をまさぐっている。
普通なら両手を使ってこなす作業を片手で行っている理由は、ごく単純――この錠前は閂と鍵穴がそれぞれ二つあり、しかも双方を同時に解除しなければ開かないという複雑怪奇な構造をしているからだ。故にラルーバスが操るキアの両手は、左右それぞれ片手ずつで別個の鍵を同時に攻略するという至難の業を要求されていた。
さらに加えて、錠前破りの試練を困難なものにしているのは、時間制限だった。厄介なことにこの櫃には、“夜間にしか開けられない”という重大な制約があった。あと一寸、というところまで手を進めても、日の出とともに全てが御破算になってしまう。事実、キアとラルーバスが解錠に挑むのはこれが三夜目であった。
「……下の騒動、ますます激しくなってるな」
やや不安げに言葉尻を窄めて、ふとラルーバスが呟く。
「ええ。でも彼なら大丈夫」
錠前の構造の複雑さと時間制限がキアとラルーバスにとっての試練なら、別行動中のタウの試練は“敵”の足止めだ。
この難解極まりない錠前を攻略する上で、夜明けまでの時間というのはあまりにも短すぎる。だが見方を変えるなら、夜の間をただひたすら鍵開けだけに専念して過ごせるという贅沢が許されているのは、この天守閣へと大挙して押し寄せてくる『衛兵』たちを、タウが一手に引き受けて蹴散らしていればこそだった。
「僕の相棒は戦上手です。ちゃんと退き際は弁えてます。いよいよとなったら諦めてこの天守閣まで撤退してきますよ」
「そうなったら俺たちまでヤバいじゃねぇか」
「まぁ鍵開けは諦めて、今度は朝まで生き延びるための戦いに専念しなきゃならなくなりますが……」
その展開はまず心配しなくていいと、キアは楽観していた。いま古城の階下で展開されているであろう戦闘は、たしかに身の毛もよだつものではあるが、それでもタウの武練と胆力を以てすれば決して困難に過ぎるものではない。彼が冷静さを保ち、戦略を誤らない限りは、まず間違いはないものと信用して構わない。
「……そろそろ夜半を過ぎます。むしろ僕らの方が急がないと。昨夜と比べても遅れてますよ。今夜は」
「ああ、そうだな。ちょいと巻きを入れるとするか」
両手の動きは完全にラルーバスに任せ、自らは感覚増幅の術の維持に専念しつつ、キアは階下から聞こえる乱闘の響きに耳を澄まし、タウの奮迅ぶりに想いを馳せた。
ランダルリード 北風の兄弟
城壁の隙間を吹き抜ける
悪党の財布に滑り込み 不埒な泡銭を失敬
呼べよランダルリード その恵みを私に分けとくれ
昔馴染みの童謡を漫然と口ずさみながら、タウは手にした連接棍を横薙ぎに振り払う。唸りを上げた分銅が敵の胸板を直撃し、部屋の片隅にまで吹き飛ばす。
だが一人を攻めたその隙を、二人目と三人目に攻められた。これが普通の乱戦ならば命取りになるところだが、幸いに今戦っている『衛兵』たちは動きが鈍い上に打撃も軽い。左手の盾で危なげなく攻撃を防ぎつつ、さらに連接棍の反撃を見舞う。
キアたちが寸刻を惜しむほど急き立てられる一方で、タウに課されているのは時間稼ぎの持久戦だった。いくら倒したところでこの『衛兵』たちは“数を減じる”ということがない。口さがないラルーバスは彼らを称して『番犬』と呼んでいるが、そこまで遠慮のない呼称はタウとしても憚られるところだった。確かにもう、彼らはとうに人間であることを辞めてしまった存在ではあるが――
錆び付き、朽ち果てた剣と盾を構えて、タウににじり寄ってくる敵勢は、すべて白骨化した骸だった。風化して黄ばんだ骨を包むのは肉ではなく、冷たくゆらめく青白い燐光である。打ち棄てられた古城で宝物の番を務めていたのは、生命なき亡者たちの群れだったのだ。
ランダルリード 影を縫い駈ける
いかな城壁も阻めはしない
夜の闇のあるところ 即ち全て彼の庭
讃えよランダルリード その手業に不可能は無し
手強い敵かといえば、そんなことはない。数こそ多いが一人一人は非力だし、戦略も何もなくただ無作為に攻めかかってくるだけなので、それこそ唄いながらでも凌ぎ通せる。だがそれでも、ぞろぞろと無言のまま押し寄せる死者たちの虚ろな眼窩を前にして、一晩中防戦を強いられるというのは、百戦錬磨のタウをして気を滅入らせるのに充分なものだった。それこそ歌でも唄って気を逸らしていないと、分刻みで正気を蝕まれていくような気分になる。
非力で脆い上に俊敏さにも欠ける亡者たちだが、何せ既に一度死んでいるだけに、もう二度と殺しようがないというのが、生身の戦士より厄介な点だ。干涸びた骨は連接棍の一撃で木っ端微塵に砕け散るものの、骨と骨を繫いでいるあの青白い燐光は消しようがない。砕けた骨片の各々は虫のように地を這って集合し、すぐさま人型に繫ぎ合わさって立ち上がる。再生までの所要時間を稼ぐには、なるべく盛大に叩き壊して破片を遠く広範囲に吹き飛ばすぐらいしか処方がない。
邪悪な魔術によって死者の怨霊が生前の亡骸に呼び戻され、傀儡のように使役されるという伝承は、怪談としてよく聞く話だし、タウも流浪の旅の中で幾度か実例を目にしたことがある。だがこれだけ大勢の亡者に取り囲まれるというのは初めての体験だった。
古城に踏み込んだ第一夜は、それこそ肝を潰して恐慌の一歩手前にまで追い詰められたものだ。キアの魔術の援護がなければ、生きて朝を迎えることもできなかっただろう。結局、蹴散らしては立ち上がる白骨の群れが、ついに動きを止めたのは、古城に曙光が射し込んだときだった。亡者たちの時間は夜闇とともに訪れ、朝の訪れによって終わりを告げる。命拾いに安堵し、朝日に向かって快哉を叫んだタウだったが、肝心の宝箱を開けられるのが夜の間だけだと知るや否や、歓喜はたちまち萎んでしまった。
天守閣にある櫃の錠前を破ることができるのは、古城が亡者たちの跳梁を許す時間だけ。そうと解れば、もう泣いても笑っても始まらない。数十体に及ぶ亡者の群れを天守閣から追い払いつつ、鍵開けの細工に挑む策を捻り出すしか他にない。
結局、タウたちは日中を自由に使えるという生者の優位性を最大限に活かすことにした。夜になるまではただの骸でしかない白骨を拾い集めて城の一ヵ所に集積し、亡者たちの活動開始地点を限定して、地の利を活かした防戦を展開しようと企てたのだ。
ここで古城の構造が大いに味方した。地下室にある深い縦穴が、骨の封印にうってつけの条件を揃えていたのだ。
その穴は、かつては落とし格子によって封印され地下牢の役を果たしていたのだろう。残念ながら鉄格子は腐食して穴の底に崩れ落ちてしまい、穴を塞ぐことまでは出来なかったが、深さが優に二〇フィートを超える縦穴の壁は、よじ登るのにそれなりの時間を要する。
昼の間に全ての白骨死体をこの穴に放り込んでおけば、夜になって亡者たちが目覚めても、すぐに攻め寄せてくることはない。ぞろぞろと壁を這い上がってくる骸骨たちを片っ端から穴の底に叩き落としていくだけで、かなりの時間が稼げる。
いよいよ縦穴の周囲で歯止めが利かなくなっても、階段まで撤退すれば再び有利な条件で防戦に徹することができる。いかに亡者たちが多勢でも、その行列の先頭を迎え撃つだけで済む場所ならば、タウ一人で充分に足止めができた。
今夜も地下室の防衛線こそ破棄したタウだったが、一階の大広間に続く階段の出口に陣取ることで、まだ当面は時間稼ぎを続けられる目処がついていた。広間には宵の口のうちに盛大な篝火を焚いてあるので、夜通し光源には困らない。
昨夜、城の武器庫で発見した年代物の連接棍も、大いに役に立っていた。タウが持参した幅広剣は、亡者たちとの戦いには不向きな武器だった。何せ相手には刃で切り裂いて致命傷になるような血管も内臓もないのだ。その点、骨そのものを破砕する鈍器は、まだしも歩く骸骨たちの動きを止める上で有効だった。わけても柄の先に鎖で繫いだ分銅を遠心力で叩きつける連接棍は、取り扱いに熟練を要するものの、使いこなせれば普通の棍棒よりも重量と威力の効率比に優れ、持久戦にはうってつけの武器になる。こんな廃墟の中で保存状態の良好なものを拾うことができたのは、実に僥倖と言えた。
目下のところ、最大の敵は疲労である。敵は脆弱ながらも間断なく攻めてくる。こちらの集中力が途切れたらそこで一巻の終わりだ。この攻勢が朝まで続くことを肝に銘じつつ、スタミナの消耗に細心の注意を払い続けなくてはならない。
戦いも三夜目ともなると、さすがにペースの配分にも慣れてきた。亡者の群れを相手取るおぞましさについても、半ば感覚が麻痺してきたのか、もうさしたる抵抗も感じない。
そういえばキアからも助言を受けていた。――相手を死者と思うな。どうやって死んで、こんな境遇になっているかなど考えるな。ただの木偶人形、魔法で動くだけの自動機械だと思って潰すんだ――と。
激しくも単調な運動を延々と繰り返していれば、思考を放棄するのは割と簡単だ。いま想いを馳せるのは、朝日が昇った後に満喫できる休息のことだけでいい。
そう、ただ殴り壊すだけならば、亡者だろうが骸骨だろうが、どうということはない。何を畏れることがあろうか。天守閣でキアが引き受けている役目に比べれば、数段マシというものだ……
「……この錠前を造った鍵師は、ブラニガンっていう職人でな。この業界じゃ神とも悪魔とも呼ばれてる達人さ」
キアとラルーバスの、延々と続く錠前破りの最中の雑談は、いつしか鍵の来歴にまで話が及んでいた。
「神か悪魔か……成る程ね。たしかにこの設計は人間業とは思えない」
「だろ? なにも魔術ばかりが人の業の極限ってわけじゃない。ただの鍵職人でも、極まれば人の域を逸脱しちまうことだってあるのさ」
「そして、それに挑む錠前破りも――ですか?」
「へへっ、まぁな」
要となる二本の閂は蓋の留め金でなく蝶番を貫く形で固定されており、これを壊してしまったら蓋そのものが開かなくなる。そして鍵穴はそれぞれの閂に、その軸線を貫く形で口を開けている。
閂はどちらも、複数の鉛直ボルトに貫かれて封印されている。各々のボルトはまちまちの長さで二つに断ち切られており、その全ての断面が閂の表面と均一になる位置まで各ボルトが押し戻されたとき、はじめて閂を抜くことができる。正しい鍵を鍵穴に差し込めば、鍵の波形が全てのボルトを所定の位置に調整し、閂を解放する。――ここまではごく普通の錠前とそう構造の異なるものではない。
このような構造の錠前を鍵なしで解除する際には、まず閂を軽く引っ張ってある程度の加圧を与え、摩擦力でボルトを押さえつつ、その一本一本をピンで押し上げていくことになる。当然、各ボルトの断面がどの高さにあるかは手探りで確かめるしかない。ボルトの断面と閂の表面が揃った際の、ほんの僅かな感触の変化を捉えられる指先の鋭敏さが要求される。
普通ならば鉛直ボルトの数はせいぜい四本から五本というところだが、このブラニガンの錠前の凄まじさは、片方の鍵穴だけでも上下に七本ずつの鉛直ボルト、さらに左右に五本ずつの水平ボルトという、都合二四対のボルトが閂を封印しているという点だ。おそらくは鍵そのものも十文字の断面をした特注品だったのだろう。
さらに加えて、この錠前には二つの鍵を同時に、均等のペースで差し込まなければならないという特徴がある。左右の閂のボルトが、手前から順に均等な動きをしない限り、内部の防御機構が働いてしまうのだ。もし対になったボルトが異なる動き方をしたら、閂は別の強力なカムによって即座に固定され、このカムを解除するためには一旦鍵を抜かなければ――即ち、全てのボルトを元の位置まで戻さなければならない。
つまり左右の手でボルトの断面を同時に探り当てるという試練を、一二回連続で成功させなければ、全ての苦労が水の泡となる。
「ブラニガンが生涯かけて拵えた錠前のうち、決して解除不可能と言われた一六個には『牙城』の名が冠せられた。あらゆる盗賊が攻略を夢に見る最高峰の錠前だ。――俺はそのうち一五個を解除してのけたことで、『錠前殺し』の二つ名を手に入れたってわけさ」
「ではこれが、一六個目の――?」
「ああ、『ブラニガンの牙城』の最後の一つ。長年こいつの在処を探し求めて、俺は引退を先延べにしてたんだよ。まさかこんな所でお目にかかるとは、な」
感慨深げに呟くラルーバスを前にして、キアは暫しの間、無言になった。
「……引退、考えてたんですか?」
「ん? まぁ、そうだなぁ。もう一生かかっても使いきれないほど稼ぎも蓄えてあったしな。そろそろ潮時とは思っていたさ。盗賊稼業なんて、老いぼれ爺ィになった後まで続けられるもんでもなかろうよ」
「そんなに荒稼ぎを?」
「へへっ、そりゃお前、西から東まで、このラルーバス様が荒らしに入らなかった金蔵はねえって程さ。稼ぎすぎた金は貧乏人に施したりしてな。ロレンツの外れには俺の寄付で建った礼拝堂があるんだぜ。あの辺じゃ俺のこと『泥棒聖者』って呼ぶんだとさ」
「……成る程、僕は世事に疎いにしても程があるってわけですか」
「あのなぁ、こちとら天下に名を響かせた大怪盗だぜ? 南方の吟遊詩人には、今でもまだ俺の逸話がお気に入りのテーマになってんだ。そんな俺のことを知らんとは……お前さん、一体どんな僻地で育ったってんだ?」
「生まれてこの方、ずっと土蔵に閉じこめられていたもので」
キアがそう事も無げに答えると、今度はラルーバスの方が気まずそうに黙り込んだ。
「んん、そりゃぁまた……難儀な経緯があったもんだ。悪ィな、妙なこと訊いちまって」
「いいんですよ。今はこうして自由の身なわけで――」
言い終える前に、思わずキアが口を噤む。手の触覚を全てラルーバスに委譲している彼にも、錠前から漏れた微かな異音を耳で捉えることはできた。――二つの閂が防御機構によって強制固定される無情な音。
「……あちゃぁ、重ねて済まねぇ。しくじった」
今度こそ落胆も露わなラルーバスの呟き。夜半からここまでかけて彼は一度のミスもなく、実に左右とも一〇対目のボルトまでを攻略していたのである。あと一歩という所での痛恨の失態だった。
「クソッ、今夜こそいけると思ってたのに! よりにもよって……」
「でも、これで攻略の目処は立ちましたよ。あなたと僕で力を合わせれば、所要時間は夜の間だけで事足りる。それが確認できただけでも収穫です。続きは、明日にしましょう」
「……」
未練がましく沈黙するラルーバスだったが、既に天守閣の窓から覗く夜空は黎明に仄明るく白んでいる。夜明けより前に仕切り直しを図るのは、明らかに無理だった。
溜息とともに、左右の閂から指を離すラルーバス。即座に加圧の失せた解除済みのボルトたちが一斉に定位置に戻り、難攻不落の施錠を回復する。
「……今日こそと、思ったんだがな」
意気消沈したまま、大盗賊は櫃に凭れかかって錠前に額を押しつける。ラルーバスへの感覚委譲を中断し、もとの自分の触覚を取り戻したキアは、術の余韻である痺れを取るために両手の指を揉みほぐしてから、一夜の戦いを終えた盗賊の肩に手を置いた。
「今はゆっくり休息してください。僕は仲間の援護に行ってきます」
「……ああ」
脱力したラルーバスを残して天守閣を後にしながら、キアは自らの言葉を省みる。他愛ない雑談のつもりで交わしていた会話が、どこかで彼の動揺を誘って集中力を削いでしまったのだとしたら――今夜の失敗はキアの落ち度でもある。怪しいとすればラルーバスが手元を誤る直前の話題だが……内容は思い出せても、それがどうして他人の心を騒がせることになるのか、キアにはいまひとつ理解が及ばない。きっとタウが隣にいたならば、説明してくれたのかもしれないが。
そのタウは、天守閣に続く階段の途中の踊り場で、迫る亡者の群れを食い止めて奮戦していた。亡者たちは狭い階段に邪魔されて一斉攻撃が叶わず、長い行列を成してタウの許に殺到しては、片っ端から連接棍に叩き砕かれて階下へと転がり落ちていく。
「――よぉ。そっちは店仕舞いかい」
気配だけで背後の相棒を察知してか、タウは骸骨を叩き伏せる手を休めることなく、振り向きもせずに問うてきた。
「で、ラルーバスの首尾は?」
「今夜も駄目だったよ」
タウも落胆した風に大仰な溜息をつくが、その両腕は自らの務めを忘れることなく、機械的な正確さで目の前の骸骨たちを叩き伏せていく。ラルーバスの役割は諦めた時点で終了だが、タウの分担はそうもいかない。亡者たちの攻勢は日が昇るまで倦くことなく続くのだ。
「……済まない。今夜もまた、君の頑張りを無駄にしてしまった」
「まぁ気にすんな。そうそう簡単にお宝を拝めるとは思ってねぇ――よっと!」
言葉尻に拍子を合わせて、さらに連接棍を振り下ろすタウ。まるで余裕綽々で戦っているかに見えるが、その余裕を生み出すことにこそタウは懸命になっている。そもそも、この程度の無駄口さえ憚られるほど緊張していたのでは、一夜を通じて防戦を続けるなど不可能だ。
「大体、俺なんぞよりもキア、お前の方がよほど難儀な役回りなんだ。詫びる道理なんてないさ」
「……? 僕はだって、両手を他人に預けてただ座ってるだけなんだけど」
当惑するキアに、タウがちらりと肩越しの一瞥をくれる。その面持ちの半分は何をか言わんや、という驚き呆れた白け顔であり、残るもう半分は――隠しようもない畏怖の念だった。
「まぁ、お前が平気だっていうんなら、いいけどよ……」
「そんなことより、手伝うよ。どの手でいく?」
「ああ、そうだな……じゃあ『縛り』の術で」
タウの要請に頷いて、キアは狭い階段の中に魔力の網を編み上げる。今まさにタウめがけて錆びた小剣で突きかかろうとしていた骸骨が、その網に触れて硬直した。敵を攻撃せんとする怨霊の力と、それを封殺するキアの魔力の板挟みになって、意思なき軀ががくがくと激しく痙攣する。
後続の骸骨たちは、機能不全に陥った先頭の一体を押し退けてさらに攻撃を続行しようと前進し、結果、次から次へとキアの魔力に捕縛されて動きを封じられていく。ただ殺戮の衝動のみに駆られる怨霊は、こと知能においては昆虫程度の単純な思考しか持ち合わせていない。こういう状況で臨機応変に対処するなど無理な相談である。
「よォし、そのまま動くんじゃねーぞ」
タウは左手の盾を足元に捨てて連接棍の柄を両手に握ると、頭上で分銅を大きく振り回し一気に加速を重ねていく。
「これでも――喰らいなッ!」
分銅は唸りを上げて旋回し、充分な運動量を蓄えたところで、縺れ合う亡者の群れに叩きつけられた。タウの渾身の一撃で、五体から六体の骸骨が木っ端微塵に粉砕される。ざらざらと滝のように階段を転がり落ちていく無数の骨片を、さらに蹴散らしながら上がってくる後続の骸骨たち。――が、これもまたキアの緊縛魔術が危なげなく阻んで渋滞に陥らせる。
網で纏めては大技で砕く、という単純な戦法の繰り返しで、タウとキアは忽ちのうちに防衛線を押し戻し、亡者たちを階下の広間にまで後退させた。
「そろそろだな、キア」
「うん……」
古城の壁の倒壊した一角から垣間見える空は、もう夜の闇色を残らず洗い流されて白々と朝日を待ち構えている。
そして――城の周囲を巡る森林から、不意に湧き上がる啼鳥のざわめき。東の地平より迸る曙光の一閃が、世界を鮮やかな色彩で染め直す。
まるで時間が止まったかのように、蠢く亡者たちが一斉に硬直して静止する。だが実際には、滞ることなく進む時の歩みから、彼らだけが取り残されただけのこと。次の瞬間、怨霊の青い光芒は朝霞の如く消え失せ、すべての遺骨はただの生命の残骸に帰して、ざらりと広間の石畳に散乱した。
「……終わった、ね」
「ああ――水、くれるか」
怨霊たちが退散するや否や、タウは安堵と解放感に身を任せ、連接棍をその場に放り出して座り込む。キアが手渡した水筒から、まず中身の半分を一気に喉に流し込み、それから残りの水は頭から被って、汗や埃もろともに一夜の緊張と戦慄の記憶を洗い清める。
「お疲れ様。まずはゆっくり休憩して。後始末は午後になってからでいい」
「ん」
キアの労いに対し、タウは普段のような軽口を叩いて返す暇すら惜しんでか、一声唸っただけで応じると、散らばる白骨の直中に引っ繰り返るようにして仰臥して、そのまま驚くほどの速やかさで鼾をかきはじめた。
戦いの達人であるところのタウは、即ち休息の達人でもある。革鎧を脱ぐこともなく石畳の上で即座に寝入ることができるというのは、並の神経の持ち主にはとても敵わない芸当だが、引き続き翌晩に持ち越された戦いに備えるためには、そこまで寸刻を惜しんで英気を養う必要があるのだ。
夢すら見ていないに違いない弛緩しきったタウの寝顔に、キアは何となく微笑ましい気分になって相好を崩すと、魔力で呼び集めた朝の風を一旋させて、大広間の闇を払っていた篝火の炎を吹き消した。
「おやすみ、タウ」
穏やかな午後の日差しの中、古城の遺跡は草生すままに打ち棄てられた寂れぶりを露わにし、深く静かな眠りの中に沈んでいるかのようだった。
過日の栄華を偲ばせる風雅は何一つなく、況んや昨夜の怨霊たちの狂騒を窺わせる気配など微塵も残っていない。石畳の上に散らばった白骨や、そこかしこの壁に刻みつけられた真新しい剣戟の痕跡も、すべてがまるで場違いな冗談のように思えてくる。
長閑に囀る小鳥たちの歌声。鷹揚に宙をさまよう虻の羽音。生者たちに支配権を譲った日中の古城には、タウやキアたちを脅かす危険の兆しなど何一つ見当たらなかった。
だがその和やかな静寂が落日とともに一変することは、ここ三日間の繰り返しで解りきっている。夜の死闘に備えた下準備は、すべて夕闇が訪れる前に整えておく必要があった。
正午過ぎに目を覚ましたタウは、まず昨日のうちに捌いて火を通しておいた野兎の肉で腹拵えを済ませ、それから食料の補充のために狩猟用の小弓を携えて森に赴く。その間に、城内のそこかしこに散らばった白骨を片付けるのはキアの役目だった。開けた空間では突風を呼び込み、より狭い場所では力場を操って、ありったけの骨片を掃き集めて地下室に運び、あの縦穴の地下牢に放り込んでいく。夜になって怨霊の憑依した骸骨たちが活動を開始する場所を一点に絞り込んでおくことは、たった一人で防戦を演じるタウのために必要不可欠の準備だった。
二羽の雉を仕留め、ついでに近場の湧き水で水筒を満たしてきたタウが古城に戻る頃には、キアの作業もあらかた片付いていた。手分けして雉の羽根を毟るうちに、やがてタウが深い溜息をついて手を止める。
「俺、連接棍の扱いはそれほど得手じゃなかったんだが。一昨日と昨日で随分と上達したぞ」
「そうなのかい?」
「あの骸骨ども、練習台にはうってつけだな。動きは鈍くて単純で、そのくせいくら殴り飛ばしても減りゃしない」
冗談めかしてぼやくタウに対し、キアは真顔で小首を傾げる。
「そうか……君が喜んでるとは意外だった。てっきり、ああいう持久戦には気が滅入ってるものとばかり思っていたよ」
「……」
皮肉を皮肉として理解してくれないキアの純朴さに、タウはむっつりと押し黙る。
「修練の役に立つようなら、せっかくの機会だ。宝箱が開いた後も、ここに幾晩か逗留していこうか。僕は別に構わないよ」
「……いや、いいんだ。忘れてくれ」
タウは何事かキアに言い聞かせようとしてから思い止まり、かぶりを振って雉の羽根毟りを再開する。
「もうちょっと、こう、どうにかして楽にならないもんか? あの骸骨どもの足止めは」
「え? だって練習台には」
「だから忘れろ。――夜毎に怨霊を死体に呼び戻して動かしてるのも、この城にかかった呪いの魔術なんだろ? そいつを打ち消す魔術ってのはないのか?」
「それは僕も考えたけどね。結論から言うと、無理だ」
キアの回答は無情なほどに、至極あっさりしたものだった。
「あの骨はすべて、この城の宝物を狙ってやってきた盗賊たちの遺骨なんだよ。そして彼らが死に際に残した宝に対する未練の思念が、そのまま束ねられて怨霊召喚の魔術の起点になっている。術を破るためには、まずあの骸骨たち全員を相手に『宝物なんか諦めろ』と説き伏せて納得させるしかない」
「……殴った方がまだ早い、か」
「説得か腕力か、得意分野は人それぞれだと思うけど、タウはどちらかというと後者だよね」
「大きなお世話だ」
毒づきながら、タウは丸裸になった雉の腹を割いて内臓の始末にとりかかる。
「じゃあ殴って追っ払うしか他にないのは良しとして、だ。それをもっと楽にする方法は? 昼のうちにあの骨を粉々に磨り潰しちまうとか、さ」
「組み立てて元通りの形にできる限り、いくら細切れにしたって無駄だよ」
それは夜の戦闘でタウも散々に思い知らされている。
「――お前が魔術で操る炎の、いちばん熱いやつだったら、骨も残さず消し炭になっちまうだろ。あれで残らず焼いちまうってのは?」
「可能だけれど……お薦めはしない」
しばし考え込んだものの、結局キアはそう結論づけた。
「あの怨霊たちが生前の遺骸を憑代にして活動してるのは事実だけど、だからこそ彼らは“人の形”に束縛されて、行動も生きていた頃の範囲に限定されてるんだ。その“形としての記憶”を奪ってしまうのは、危険かもしれない」
「そうなのか?」
「何せ五〇人分以上もある死霊の群れだからね。個々の区分を失って融合したりしたら、それこそどんな霊障になって荒れ狂うやら知れたものじゃない」
「……殴れる形があるだけまだマシ、ってことかい」
落胆に嘆息し、タウは雉肉を炙るための火を熾しにかかった。焼き串の代用品は、昨夜の骸骨たちが使っていた短槍である。悪霊たちが手に執り、ともすれば昨夜自らを串刺しにしていたかもしれない得物だというのに、この辺の頓着のなさはタウならではの肝の太さであった。
「今夜あたりで決着つけてもらわないと、俺もさすがに連日はきつくてな……その辺、どうなんだ? ラルーバスの旦那は」
「目処はついているんだよ。昨夜もあと一歩のところだったし。でもとにかく物凄い錠前だからね。あとは運が味方してくれるかどうか、かな」
「まぁ、仕方ないか。『ブラニガンの牙城』といえば盗賊の間じゃ神話も同然だもんな」
話題が件の大盗賊に及んだところで、キアはふと思い立ち、昨夜から胸に懐いていたものをタウに問うことにした。
「ラルーバスなんだけどさ。彼、もう引退できるだけの蓄えはあったんだって」
「へぇ……まあ、そりゃそうだろうさ。あの天下に名だたる『泥棒聖者』ともなれば」
キアと違い、ラルーバスの名声について知っていたタウは、さほど驚くこともなく聞き流す。
「一生かかっても使い切れないほどの財があったって。なのに結局またこんな城に乗り込んで、宝探しを続けてたなんて……盗賊って、そんなに辞めづらいものなのかい?」
タウとて、そうそう盗賊の世界に通暁しているわけでもなく、適切な回答が出せるかどうか怪しい問いではあったが、それでもキアが他者に向ける疑問というのは大なり小なり切実なものだ。知る限りの知識で答えられる範囲のことは説明してやりたかった。
「まぁ成功した盗賊なら、いずれは手下を集めて組織を作り、黒幕に収まって表舞台から姿を消すのが普通だな。だが、それはそれで気苦労の絶えない身分だろうさ。こと裏社会ってやつはどこまで行っても綱渡りみたいなもんだ。変に権力なんぞ摑むより、気儘な一匹狼でいたいと思う奴だっているだろう」
「ラルーバスも、そう考えたのかな」
「どうだかな。そもそも、ある程度の元手が揃ってるなら、転業してガラリと生き方を変えちまうことだって出来ただろう。それこそ多少のツテと強面の手下を揃えるだけで、高利貸しの暖簾ぐらいは下げられる。いっそ適当な爵位を荘園込みで買っちまうのも手だ。そういう成金貴族ってのは、辺境にはごまんといるもんさ」
だが、件のラルーバスはそうしなかった。そこにキアの問いは端を発している。相棒を納得させられるだけの回答を導き出せるかどうか、タウは暫し黙考した後に、先を続けた。
「――つまるところ、あの男は生き方を変えられなかったんだろうな。元手もチャンスもあったのに、それを活かそうとしなかった。何せ他でもない『泥棒聖者』だ。後に退けなくなっちまったんだろう」
「どういうことだい?」
「なまじ『義賊』として名を馳せちまっただけに、名声が一人歩きしちまったのさ。ラルーバスとは縁もゆかりもない大勢の赤の他人が、あいつに『盗賊』であり続けることを望み、そして当人もその期待を裏切れなかった……ってことじゃないか?」
キアは不可解そうに眉根を寄せ、考え込んだ。
「……名声っていうのは、そんなに窮屈なものなのかい?」
「馬鹿な話だとは思うが、往々にしてあることさ。金にせよ名誉にせよ、いったん手に入れたモノには執着しちまうのが人間ってもんだからな」
そう、ぞんざいに総括してのけた後で、タウは何故かキアから妙に気遣わしげな眼差しで眺められている自分に気付いた。
「……何だ?」
「タウもさ、名声を追いかけているうちに、いつかラルーバスみたいに名声に囚われてしまうんじゃないのか? そういう不安は感じないのかい?」
その心底心配そうな表情に、タウは思わず苦笑する。これが他の誰かからの諫言であれば“大きなお世話だ”と腹を立てるところだが、キアの的外れな危惧に対しては、べつだん嫌な気分はしない。その“ずれ具合”がキアの持ち味なのだからと重々承知しているからだろう。
「大丈夫さ。俺にとっては金も名声も、ただの『道具』でしかないよ。本当に欲しいもののために利用し、使い潰すだけの消耗品だ。余計な執着なんて持つつもりはない」
「タウが本当に欲しいものって――」
キアはなおも、やや戸惑いを交えながら問いを重ねる。
「――それはよく口にしてる『出世』ってやつかい? それが富や名誉とどう違うのか、僕にはいまいち解らない」
「金は使い尽くせばそれまで。名声も忘れ去られたらそれまでだ。だが地位っていうのは違う。喩えるなら出城みたいなもんさ。そこを拠点にしてどこまでも人生を切り拓いていける」
熱を込めて語るタウだが、彼もまた件の『地位』なるものを手にとって検分したことがあるわけではない。そう信じ、そう憧れているというだけの架空の価値だ。
だがそれは決して虚しい絵空事ではない。神に触れたことがない者であっても神を礼讃し祈りを捧げるように、タウもまた己の野心が命を賭すに足るものだと確信している。
一方で、キアが依然として納得しかねる様子なのも無理からぬことだった。きっとキアなら神でさえ、直に対面するまでは崇めも敬いもしないだろう。そんな彼に、夢や理想について語り聞かせて理解させるのは、いつだって骨の折れる仕事になる。
「――なんで盗賊を辞めなかったか、って?」
廃城で過ごす四度目の夜。またしてもランタンの手明かりの中、触覚を強化した両手を盗賊の操作に委ね、見えざる鍵穴の中の機構に全神経を傾けながら、役目のない耳と舌の慰みのために交わす雑談の中で、キアはラルーバスに昼間の疑問を質した。
「そいつは、昨夜も話さなかったっけか? この錠前を探してたんだよ。ブラニガンの最後の傑作を、な」
「……そこまで価値があることなんですか? この錠前を破るのは」
そんな疑念を懐くキアの方こそ、ラルーバスにとっては不可思議に思えた様子だった。
「そりゃァお前、鍵王ブラニガンの『一六の牙城』を全て制覇したとなりゃ、俺は『錠前殺し』どころじゃねぇ。それこそ『錠前神』の名で知れ渡ろうってなもんさ。挑まぬわけにはいくまいて」
「じゃあやっぱり、肝心なのは実利でなく、名誉?」
「応よ。箱の寸法からしてみりゃ、中の財宝の量なんて高が知れてるからな。その程度の端金、もう俺には惜しくも何ともねぇ。……おぉっと、それでも配当はきっちり三等分で戴くぜ。それはそれ、まぁ、仕事の上でのケジメってやつさ」
「それは――勿論。僕の連れもきっと納得してくれると思います」
やけに神妙な面持ちでそう返されて、むしろ毒気を抜かれたのはラルーバスの方だった。
「ふん、こういう即席の徒党だと、大概は分け前の配分で揉めるもんだが……案外、欲がねぇんだな。お前ら」
「タウならきっと、あなたと組んで仕事したことを自慢して回りたがるでしょうから。まさか最後に配当を渋った、なんて格好のつかない逸話を付け足したくはないでしょう」
「ほぉ? そうか、じゃあお前らもまた、実入りよりまずは風聞を立てたいってクチか」
「それが、そうでもないらしくて……」
昼間のタウとの会話を思い出し、キアはやや言葉を濁す。
「……彼も躍起になって富と名声を求めてますが、それは効率よく地位を得るための手段だと断言してて。そこがあなたとは違う、と」
「おやおや、青いねェ。地位のための富と名声か……まぁ駆け出しのうちは、そういう動機もアリだわな」
ラルーバスは気を悪くした風もなく、むしろ懐かしい景色でも目にしたかのように笑って続けた。
「俺だって若い頃はな、たんまり稼いでから爵位のひとつも買いつけて、クソ貴族どもを見返してやろうと意気込んだ時期もあったわさ。だがそれが本当に叶うまでになると――賭けてもいい。身分なんてクダラネェものはどうでもいいと思えるようになってるぜ」
「他者からの賞賛にはそれ以上の価値がある、と?」
ラルーバスは頷きかけてから小首を傾げ、思い直して先を続けた。
「んん、賞賛ってのもまた違うな。考えてみりゃこの錠前も、破った後で誰かに自慢したいのかと訊かれたら――どうでもいいわな、今更。そんなんじゃねぇんだ。俺は『ブラニガンの牙城』をすべて突破してぇ。俺が俺のために、そうしたいんだ」
「自己満足?」
「いちいち身も蓋もねぇこと言うね、お前」
名うての大盗賊は苦笑したものの、否定まではしようとしなかった。
「何だろうなぁ、俺が生きた証、っていうのかな。そいつをきっちりと示しておいてやりたくなるのさ。いつか死に際に立ったときの自分のために、な」
「……これが開いたら、それだけであなたは報われるんですね」
なぜかしみじみと意味深に呟くキアに対して、ラルーバスは重ねて念を押す。
「言っておくが、錠前を破っただけで満足だ、なんて気前の良い台詞は期待するなよ? それはそれ、これはこれ。分け前はきっちりと――いよ、っと――へへっ、これで一〇対目だぜ」
徒然と戯れ言を交わしているうちに、気がつけば二人は昨夜の成果に追いついていた。いよいよ正念場である。ここから先は万に一つのミスも許されない。より慎重に時間をかけて根気よく、微細なピンの動きを意識して手を進めていかなければならない。
「夜明けまでは?」
「あと二時間弱、ってところです」
「良し。今夜こそケリをつけようじゃねぇか。階下で戦ってる坊やにも、これ以上は申し訳が立たねぇからな」
タウは昨夜より大分長く大広間に踏みとどまっていた。連接棍の新戦術として、分銅を余分に一回転振り回してから叩きつけるという大技を編み出したことで、亡者たちの攻勢をさらに圧倒できるようになったからだ。
過剰な威力で叩き砕かれた骸骨は、飛び散った骨片によってさらに背後の骸骨をも巻き込んで破壊されていく。本当ならもっと手堅い戦法で体力の浪費を抑えるべきだったが、四日続けて防戦のみに徹することを強いられる鬱憤は、単調な戦い方では晴らしようもなかった。既に何度も繰り返した攻防だけに、スタミナの配分には鉄壁のプランが出来ている。むしろ精神的な疲労を拭うためにも、ここは敢えて派手な戦法でストレスを発散するべきだと思えたのだ。
「しかし使い込んでみると面白いもんだね、これ!」
普段の戦場では、隣の仲間を巻き込まないよう気を遣うのが面倒で敬遠していた連接棍だが、こうして思うさま振り回すことのできる環境で扱ってみると、その破壊力は惚れ惚れするほど痛快なものだった。分銅の遠心力を巧みに扱えるようになればなるほど、軽快なスピードで重く強烈な打撃を繰り出せる。
鬼神もかくやという暴れぶりのタウに、しかし怖じる心すら持ち合わせぬ怨霊の群れは、機械じみた単調さで淡々と攻め寄せる。その無機質さに対する恐怖感を強引に意識の外へと追い払うことに、もうタウは慣れきっていた。
「ははッ、どんと来やがれ死に損ないども! 子守歌を聴かせてやるぜ!」
躁じみた昂揚で吼え立てながら振るう連接棍が、いきなり重みを失って跳ね返る。
「……なッ!?」
タウは愕然と、柄にぶら下がる千切れた鎖の断面を眺めた。力のままに振り回していた分銅は、もうどこに飛んでいったのやら見当もつかない。
いかに外観は堅牢に見えても、所詮は拾い物の骨董品である。鎖の部分の金属疲労は、思いのほか深刻に累積していたらしい。昼のうちに入念に点検して問題なしと判断していたタウだったが、どうやら評価を誤ったようだ。何よりも調子に乗って武器の耐久性を慮らない扱い方をしたのが、限界を早めてしまったのだろう。
「こなくそっ……」
もはや後悔したところで後の祭りである。柄だけ残った得物は既に連接棍でなく、ただの中途半端な棒きれにすぎないが、それでも拳で殴るよりはまだマシだ。
タウは心許ない棍棒と盾の縁で骸骨たちを殴り伏せて退路を拓き、天守閣へと続く階段にまで退散した。こうなってしまうと予備の武器を帯びてこなかったことが悔やまれるが、緊急時に備えた用心よりも体力の温存を優先して軽装を選んでいたからこそ、毎夜この長丁場を戦い抜くことができたのだ。もはや責める相手は運の悪さぐらいしかない。
ともあれ狭い階段に先に陣取り、毎度の通り要撃の優位を確保したタウであったが、それでも武器の故障によって、この先の戦闘が前夜より格段に危険なものになるのは間違いなかった。
“……いいさ、構やしねぇ。上等だ!”
ぞろぞろと後を追ってくる骸骨たちを前に、タウの内側に獰猛な闘志が湧き起こる。
もう疲労への配慮だの、朝日が昇るまでの時間を逆算し、全力を控える、などといった七面倒くさい思考は必要ない。ただ死に物狂いで戦い、生き残る――むしろこういう切迫した窮地こそが、彼の慣れ親しんだ『戦場』というものだ。
二一本目、そして二二本目のボルトの解除は、驚くほど速やかに終わった。
常識外れに深い鍵穴の奥を、箸ほどもある長さのピンでまさぐる作業には、もはやゼロに限りなく近い細密さの精度が要求される。にもかかわらずラルーバスは、まさに入神の域にある正確無比な指使いによって、昨夜の関門を突破し、さらにその先へと突き進んでいた。
そして、一二対目――閂に圧力を加える二本の指は、ここまで解除してきた二二本のボルトを全て一度に保持できるほど強く、なおかつ残る一本をピンで押し滑らせられる程度に軽く、絶妙の力加減を維持したまま静止している。そして残る三本の指に挟まれたピンは、もはや目で見て判別できないほどの微細さで蠢きながら、ゆっくりと着実に、最後のボルトの解除位置を探っていく。そんな曲芸にも等しい作業を、左右の手で同時に、寸分違わぬ精度で進行させているのだ。
指先の感覚がないキアにも、隣に座るラルーバスが全神経を指先に集中させているのは、気配だけでそれと察しがつく。ここに至るまで他愛もない無駄話に興じてきた二人だが、今にして思えばそれは、この極限の精神集中を最後まで温存しておくための采配だったのだろう。ここまでの工程について、すべて鼻歌交じりにこなすほどリラックスした状態で臨んできたからこそ、今ラルーバスは本当の全力を発揮していられるのだ。
そして――まるで口から先に生まれてきたかのようなこの大盗賊は、そこまで全身全霊を傾けてなお、譫言のような独り語りを止めようとしなかった。それは誰に聞かせるでもなく、彼自身の精神を限界まで研ぎ澄ませておくための呪文のようなものだったのかもしれない。
「凄ぇ……お前さんの指は本当に凄ェよ、キア。今なら蜘蛛の巣だって解きほぐして縒り直すことができそうだ……」
忘我の境地で漏らす呟きには、どこか恍惚の気配さえあった。魔術によって強化されたキアの指の触覚は、ラルーバスに人外の境地の体験を味わわせているのだろう。
「何だろうな、この奇妙な感覚……指先でモノが“観える”んだ。鍵穴の中の光景がさ、解るんだよ。まるで自分が蚤か何かになって錠前の中に入り込んじまったみたいに、よぉ……」
キアは応じることなく、ただ沈黙してラルーバスの手の動きを見守っている。ただ一声を発することすら危ういと感じるほどに張り詰めた気配を、大盗賊は漂わせていた。
きっとラルーバスは、窓の外で白みゆく空の色など、まるで意中にないことだろう。夜明けの光は刻一刻と迫っている。だが刻限に注意を促すことすら、キアには躊躇われた。そしてまた一方では、そんな助言などさしたる意味を持つまいという察しもついた。おそらく今のラルーバスには、時間との闘い、などという認識はあるまい。
「この箱は――開くぜ」
キアの直感に応じるかのように、ラルーバスが囁き声で宣言する。
「妙なモンだな。でも、何もかもが解るんだ……ブラニガンがこの錠前を造ったことも……今まで大勢の盗賊が挑戦して敗退し……そして今夜、俺がこいつを解錠することも……全てが必然だったと、この指先を通して伝わってくる。まるで……この手が、宇宙の真ん中に触れてるみたいだよ……」
穏やかな語り口は、静かな法悦に満たされている。いま彼が身を置くのは、ある種の悟りの境地にも似た領域だったのかもしれない。ただ見守るしかないキアには推し量る術さえないが、それでも独言に漏れ出る歓喜の色には、羨望を禁じ得なかった。
キアは錠前から目を逸らし、ただ窓の外の空を見つめて待った。蒼褪めた黎明の中から月影が、そして最後の星明かりが翳って消え、やがて暁雲が緋色を濃くしていく様を、まんじりともせず眺めていた。
――ふと、両手に戻った感覚に気付き、キアは錠前に視線を戻す。
再びキアのものになった指先が、二本の閂を引き抜いた状態で震えている。手の甲に載っていたラルーバスの指は滑り落ち、力なく床に投げ出されていた。
窓から射し込む一条の曙光が、開け放たれた櫃の中に注ぎ、長い歳月の封印からとかれた金銀財宝を燦然と輝かせている。
いかな美辞麗句をもってしても、大盗賊の成し遂げた偉業を謳うには値しない。ただ無言のままにきらめき踊る財宝の光躍だけが、彼の技を褒め称えるに相応しい讃辞たり得た。
「……終わった、か?」
疲弊しきったおぼつかない足取りで、階下からタウが姿を現す。破損の目立つ革鎧と、手足に刻まれた無数の掠り傷は、今夜の戦いがひときわ熾烈を極めたことを物語っていた。にもかかわらず、掠れたその声が達成感に満ちていたのは、兎にも角にも生き延びたという成果と――そして開け放たれた櫃の蓋のせいだろう。
「凄かったよ。ひとつの頂点を極めた技巧ってものを見せつけられた。……人間っていうものは、こんな領域にまで辿り着けるものなんだね」
「まぁ、伝説にまで名を残した男だからな。……こいつももう一度、肉と皮の備わった指で錠前破りができて本望だっただろうよ」
感慨に鎮魂の想いを乗せて、タウは櫃の前に座り込んだまま朽ち果てた骸骨を一瞥する。
「……本当に、物凄い精神力だよ。この城の呪術に囚われて亡者になりながら、それでも生前の執着だけで人間としての自我を保ち続けたなんて」
日中のタウとキアが櫃に手を出せなかった理由はただ一つ。解除不能な太古の錠前に対処しうる技を持ち合わせていたラルーバスもまた、夜のみの活動を許された亡者たちの一員であったからだ。
「ラルーバス・ランダルリード。御伽噺に聞く『錠前殺し』……まさか実在していたなんてなぁ」
「どれくらい昔の人なんだい? 彼は」
「さぁな。昔、傭兵仲間に教わったランダルリードの唄でさえ、ひい祖母さんから聴いた子守歌だって話だった。まぁ間違いなく一〇〇年は昔の御仁だろうな」
「一〇〇年……」
「吟遊詩人の語りだと、最後は魔王の宮殿に忍び込んで囚われの身になったとか、海を渡って盗賊の国を創ったとか、みな好き勝手な結末をつけてるが。実際はこんな鄙びた廃城でくたばっていたなんて、きっと誰も知るまいよ」
キアはその気の遠くなるような歳月に想いを馳せながら、大盗賊の亡骸を痛ましげに眺めた。
「そんなにも永い間、彼は毎晩この櫃の前に座って、宿敵の錠前を破るという執念を果たそうとして……そしていつも叶わぬままに朝を迎えてきたんだね」
「そりゃあ、骨の指じゃあ生きてた頃の鍵開けの技なんて揮いようもないだろうけどな……」
偉大な故人に対して相応の敬意を払うのは吝かでないタウだったが、それでもこの四日間、夜毎にこの天守閣で展開されていたであろう光景を思うと、うそ寒い思いをせずにはいられない。
ラルーバスの骸骨と意思の疎通に成功したキアは、自らの両手に亡者を憑依させることを条件に、協力関係を築いたのである。確かにタウもキアもこの櫃の堅牢な施錠に対しては打つ手がなかったとはいえ、死霊に対して何の畏怖も懐くことなく交渉できたキアの心胆は、タウの想像を絶していた。
骸骨と肩を寄せ合って座り、その冷たい骨の掌を両手の甲に載せられて、為すがままに身を任せながら一夜を過ごす――想像しただけで怖気が走る。いっそ群れを成して襲いかかってくる骸骨たちを延々と武器で殴り潰しながら朝を待つ方が、まだしも精神的には許容範囲の体験だ。楽な仕事だと笑っていたキアの神経は、そもそも常人と出来が違うとしか思えない。
「執着の元になっていた財宝が場内から持ち出されたら、亡者たちも現世に繫がる因果を失い、呼び戻されることはなくなるだろう。今夜からもう、この城は静かな場所になると思うよ」
「……ラルーバスの旦那も、これでもう未練は何も残ってないんだろうか」
「ああ、それは間違いない」
キアの首肯に込められた確信は、タウが子細を問うこともなく信用しようという気になるほど、確固たるものだった。
「それにしても――」
タウは櫃の中を覗き込み、色とりどりの宝石を一つずつ手にとって検分しながら、満足の吐息を漏らす。
「こいつは大層な稼ぎだなぁ。久々に苦労の甲斐がある仕事になったぜ」
「君が欲しい『地位』を買い取れるほどの額になりそうかい? タウ」
虫が良すぎるキアの問いに、タウは笑ってかぶりを振ったが、実際のところ半年かそこいらは節制を気にせず吞気に食い繫げるだろう。それなりの好条件で換金するには都市部まで運ばなければならないし、その間、野盗やら何やらの襲撃に神経を尖らせなければならないが。
タウは渡世術の一環として身につけた鑑定眼で一つ一つの宝石を見定め、大まかな売値の予想を立てた。
「この翠玉石が一番の高値になりそうだが……残り全部を合わせたら、大凡その倍くらいにはなる。これなら換金する前に配当を決められそうだ」
「それは、つまり――三等分できる、ってことかい?」
含みを込めて聞き返すキアに、タウは頷く。
「ああ、三等分だ。当然だろ」
タウから受け取った大粒の翠玉石の輝きに、しばしキアは感慨を込めて見入った後、それを櫃の傍らに蹲る物言わぬ骸骨の手に、そっと握らせた。