ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編
第八回 6月21日(火)
竜騎士07 Illustration/ともひ
ゼロ年代の金字塔『ひぐらしのなく頃に』の小説が、驚愕のオールカラーイラストでついに星海社文庫化! ここに日本文学の“新たな名作”が誕生する!「鬼隠し編 (上)」を『最前線』にて全文公開!
6月21日(火)
眠い。
「わぁ…圭一くん、でっかいあくび。」
飯を食う時って結構目が覚めてるもんだが…今日に限ってはだめなようだ…。
みんなでの楽しいお昼なのに、俺は食いながらさっきから大あくびを繰り返している。
「昨夜遅くまでテレビ見てたら……眠くて眠くて……。」
「圭ちゃんが喜びそうなH番組なんかやってたっけぇ?」
「ふ、ふふ不潔千万でございますわぁあぁあぁ〜!!」
「勝手に決め付けるんじゃねえぇえぇ!!!」
「……男の子なら当然なのです。恥ずかしくないですよ。」
梨花ちゃんのまったくフォローにならないなでなでが駄目押しする。
「すまん。ちょっと…この昼休みは爆睡させてくれ。…いや本当マジで。」
「あぁら、私が黙って見過ごすとお思いでぇ?」
「邪魔したら怒る。すごい怒る! …ふぁあ〜〜あ……。」
凄みなんかありゃしない。とにかく……眠い……。
俺は問答無用に机に突っ伏し、昼寝を決め込む。
沙都子が何か言い返してきたようだが、聞こえないふりをしてやる。
「…沙都子ちゃん、やめなよ。圭一くん寝ちゃった。………寝顔、かぁいい☆」
「あとでお持ち帰りしていいから。そっとしときな。」
「……向こうへ移動しましょうです。圭一にうるさいと悪いですよ。」
…やっぱ梨花ちゃんっていい子だよな…。
「先生が来ても起こさないであげましょうです。み〜☆」
前言撤回。
テレビを見ていて寝不足だったというのは…噓だった。
いつもの時間に消灯したが…昼間の大石さんの話がちらつき、少しも寝付けなかったのだ。
こうして過ごしていると…富竹さんの事件など、初めからなかったように思える。……ひょっとして大石さんに騙されたんじゃないかとすら思える。
だけど……きっとあの話は事実なのだ。……そして、それは誰にも喋ってはいけないこと。
協力を求められたが…どうせ俺にわかる事など何もない。何の役にも立てないなら、最初からこんな話、聞かされなきゃよかった。
結局俺はまたしても……知らなくていい事を知って後悔してしまったわけだ…。
何も知らなければ、俺は今この瞬間も、みんなと一緒にお昼のバカ騒ぎをしていたに違いない。………大石さんのことを逆恨みせずにはいられなかった。
「……え、…それっていつから?」
「もう次の日にはいなかったって。……綿流しの晩に失踪したらしいよ。」
魅音とレナが小声でしている話が聞こえてきた。…魅音は声が大きいタイプなので、潜めているつもりでもよく聞こえる。でもレナの声は本当に小声で、何を言っているのか聞き取りにくい。でも、不安そうな様子はその声色から伝わってきた…。
…なんだろう。まさか、富竹さんの話…!?
「……さん………けなの?」
「わかんない。私の知る限りではね。」
富竹さんの事件を胸にしまう自分としては、あくまでも知らないふりをしていなければならない話題だった。
起きあがり、話に交じって噓を重ねるくらいなら、こうして寝たふりをしながら耳を傾けている方がよっぽど気が楽だった。
しかし……どうして俺は寝たふりをしながら仲間の会話を盗み聞かなきゃならないんだろう…? 後ろめたさに…胸が痛んだ。
「……で……ってこ………他にもいるんでしょ? ………が。」
「…彼女が祟りにあったのか、オニカクシにあったのかはわかんないけどね……。」
オニカクシ…? 鬼カクシ…? 鬼隠し?
不思議な単語だった。……ただ、言い知れぬ不吉な気配に彩られていることだけはわかる。
「……ゃあ……らにせよ……もう一人いるんだよね? ……だよね?」
「オヤシロさまなら……ね。」
「でもでも! ……今年は………てないよ…?」
「婆っちゃと村長さんが話してたんだけどさ。……今年は事前に警察と話が付けてあるらしいんだよ。……何が起こっても、騒ぎにしないで穏便に片付ける、って。」
「じゃあ、……レナたちが知らないだけで………どこかで誰かが………たかもしれない……ってこと…?」
「…かも、ね。」
「………次は……レナ、……かな……。」
「……安心しなよ。レナはちゃんと帰ってきたよ。」
「……でも………は…駄目だったんでしょ……?」
「昔の話だよ。もうやめよ、この話。」
気まずい雰囲気になったのか、二人は沈黙してしまった。
全体像のおぼろげな会話だったが…いくつか気になるものがあった。
まず鬼隠しという単語だ。…鬼隠しにあう、という言葉の使い方と前後関係から見て、類似語の神隠しと同義のものだろうか。…富竹さんと一緒にいた女性(名前がわからないのが実に歯痒い…)は綿流し以降、消息不明ということからもそれをうかがうことができる。
次に気になったのは、レナのもう一人いるんだよね、という言葉だ。魅音も、オヤシロさまならね、と言い添えている。
オヤシロさまの祟りなら、…必ず二人犠牲者が出るということなのか…?
そう言えばさっき魅音が、祟りにあったのか鬼隠しにあったのかわからない、と言ったのを思い出す。
祟りと鬼隠しは、どうやら別のもので、必ず対になって起こる「現象」らしい…?
富竹さんの惨たらしい最期を思い返した…。それはとても隠しなんてスマートなものじゃない。…それこそ祟りという形容が相応しい、壮絶な最期だ。
じゃあ…連れの女の人は…鬼隠しにあって失踪したことになるのだろうか……?
確かに大石さんは、出勤もしていないし帰宅もしていない、と言っていたように思う。…それは、世間一般では失踪といって差し支えないと思う。
ひとつわかったのは……正しい祟りの犠牲者の数は、常に偶数らしいということ。
そして…最後に気になったのはレナだった。
レナは怯えていた。…どういう理由でかはわからない。だが、何か身に覚えがあり、自らがオヤシロさまの祟りの標的になる確率が高いことを知っている…。
オヤシロさまは…確か、雛見沢の守り神のはずだ。…守り神ってのは住民を守り、外敵を追い払うものじゃないだろうか…?
確かに昨日、大石さんが言っていたように、初めこそ村の敵が標的だったが、近年、よそ者であれば見境なし…な状況にはなってきているらしい。
でもそれなら…レナよりも引っ越してきて日が浅い俺の方が狙われるべきだと思う。
レナの雰囲気からは、次こそ自分だ…というような悲愴感すら感じられる…。
…今聞いた話を大石さんに伝えた方がいいんだろうか。
寝たふりをし、仲間から盗み聞きした話を警察にする…。………気分は沈むばかりだった。
いくつもの疑問が生じ、俺を嫌な気分の黒雲で包んでいく…。
これらの疑問に…答えを求めない方がいいのだろうか…? これまで同様、知る事によって、俺はもっともっと…戻れないくらいの深みに落ちて行くのだろうか…。いつか、きっと俺は後悔しそうな気がする。……知らなければよかったと、きっと後悔するんだ…。
その後悔は、思えばもう、始まっている。
その時、沙都子の大きな声が飛び込んできた。
「先生が来るでございますわよ〜!! 圭一さぁん! お起きなさいですわー!!」
遠くで午後の授業の始まりを知らせる振鈴の音がする。……げ! ほとんど寝れなかった!
俺は慌てて目を覚まし顔を上げる。背もたれに背中を押し付けた瞬間、
「痛ぇえぇッ!?!?」
俺の席の背もたれに、いつのまにかガムテープで画鋲が仕掛けられていた。…状況証拠だけで充分だ…!!
「沙都子ぉおおおぉおぉおおぉッ!」
法廷不要で即有罪!! 極刑に処すッ!!!!
威勢よく席を立ち上がる!! と、俺の足がもつれた。
いつのまにか…俺の両足の靴紐が結び付けられていたのだ!
「や、やるじゃねぇか沙都子ぉおおぉお!! 俺が寝ている間に…気配を消してこれだけの上等をやってくれるたぁよぅ…!!!」
上靴を脱いで沙都子に飛びかかろうとした矢先に、ちょうど先生が入ってきた。
「をっほっほ!! 先生が来ましてよ圭一さん? ご着席あそばせ〜!」
つかつか、ひょい、びし!!
そんなのお構いなしにデコピンを食らわしてやる。
「ふ、ふわぁあぁあぁああん!! 圭一さんがいじめたぁあぁああぁ…!!」
「こら! 前原くん、下級生をいじめてはいけません! 謝りなさい!」
沙都子がべーっと舌を出しているのが見えた。…こんのクソガキぃぃいぃい!!!
「ほら! 前原くん!?」
「ヘイヘイ謝りますよー。沙都子サン、ゴメンナサイ。」
丸っきりの棒読みだが取りあえず謝る。…沙都子め、覚えてろよぉおぉおッ!!
「圭ちゃん圭ちゃん、その恨みは部活でね! 着席着席。」
委員長モードの魅音に促され、俺は着席することにした。
…こうしていると、今の昼休みが、…レナと魅音の会話がまるごと夢だったのではないかと思えた…。
噓だよ
退屈な授業も終わり、ようやくの放課後だった。
さぁて今日の部活は何だろう!? もう俺は部活なしじゃ生きていけない体になっちまってるなぁ。みんなでわいわい遊ぶ。書いたらそれだけのことなのに、こんなに麻薬的に楽しいなんて。都会の頃の生活の潤いのなさを嘆いてやりたいぜ。
俺的には…昨日の推理ゲームをもう一回やってもらいたい。…大石さんのせいでろくろくできなかったからな。レナとのフォーメーションも全然活かしてないし!
そうすることで昨日をやり直し、変な話など聞かなかったことにしたかった。
「そうだね。今日こそ圭一くんと二人で大勝利だよね!」
「でもどうでしょうね。同じゲームを続けて二日やった例はありませんし。」
「…魅ぃにお願いしてみたらどうでしょうです。」
魅音に振り返り目線を合わせると、おもむろに手をぽんと叩いて叫んだ。
「いっけね! 今日、叔父さんの手伝いの日だ…! 悪い、みんな! 今日なし!」
「叔父さんの手伝い〜? 柄にもなく孝行なヤツだなぁ!」
「悪い悪ぃ…! ホントすっかり忘れてた。…じゃあごめんねみんな! 今日はおじさん、これで帰るわぁ!」
魅音は一方的にそれだけ告げると、カバンを引っ摑み、どたどたと昇降口へ走って行った。
「魅ぃちゃんね、たまに町にある叔父さんのお店の手伝いに行くんだよ。」
「へぇ…そんな面倒臭いこと、絶対に引き受けないヤツだと思ってたけどなぁ。」
「バイト代が出ると言ってましたですわ。結構なお小遣いになるらしいですの。」
「なぁるほどな。山ほど持ってるゲーム代はこれで稼いでるわけだ。しかしそれは…アルバイトと言うんじゃあないのか? 校則で禁止されてないか?」
「……家業手伝いは除くと書いてありますです。」
「親戚の叔父さんの仕事は家業に入るのかなぁ? ……まぁとにかく、じゃあなんだ。今日の部活はお流れなのか?」
「…はぅ。…今日はこれで解散かな? …かな?」
「別に部長不在でもいいだろ? やろうぜ部活!」
俺は部活ロッカーを開け、積み上げられたゲームの山から昨日のゲームを探し始める。
「お、あったあった! 昨日の推理ゲーム! ようやくコツがわかって来た所で中断しちゃったからな〜。というか、せめて沙都子に今日の昼休みの復讐をしないとなぁ!!」
「をっほっほっほ! そぉんなに返り討ちにされたいんですの!? 魅音さんがいない部活なんて私の独壇場でしてよ? 私は別に構いませんけど。レナさんと梨花はどういたしますの?」
「う〜ん、…圭一くんがどうしてもって言うんなら…ちょっとだけいいかな。」
「……ボクはみんなが揃っての方がいいな、と思いますです。」
「ん、…それを言われると…う〜ん。」
「部活がないなら、ボクはお買い物に行きたかったのです。…お醬油とかを買いに行きますですよ。」
「あ、…そうでしたわねぇ! すっかり忘れてましたわ。」
「なら……、レナも久しぶりに宝探しに行こうかなぁ…!」
「なんだなんだ。…場はすっかり部活という雰囲気ではなくなっちまったな。」
これ以上、わがままを言うと逆に策があることを勘付かれてしまうかもしれないな…。……仕方あるまい。今回は諦めるとするか。魅音のいないところで勝手に盛り上がるのも、何だか悪い気もしてきた。
「ちぇ〜、このゲーム、楽しみにしていたのになぁ……。」
未練がましそうにカードをべらべらとめくる。
「またの機会に叩きのめしてさしあげましてよ! をっほっほ!!」
「犯人は『沙都子』! 凶器は『ピストル』! やはり貴様の仕業だったか!!」
「な、なんですってぇええぇ!! じゃあじゃあじゃあ!!」
沙都子が机の上のカードを探し、三枚のカードを俺に突きつける。
「犯人は『圭一』! 凶器は『ロープ』で犯行現場は『ラウンジ』ですわぁ!!」
「ロープなんかいらねぇ! このまま絞め殺してやらぁあぁあ!!」
「いっやぁあぁあぁあ!! 圭一さんのケダモノぉおぉおぉ!!! ふがががぐぐぐ、リーチの差が卑怯でしてよー!!」
しばらくの間、沙都子とドッタンバッタン、互いの首を絞めあってじゃれる。
ふぅ。…取り敢えずうっぷんは晴らせたので良しとするか。
「ふわぁあぁあぁあん!! 圭一さん、覚えてらっしゃあぁああぁい!!」
「…いっぱいいっぱい慰みものにされましたですね。かわいそかわいそです。」
「あははは☆ かぁいいかぁいい…☆」
みんなは帰り支度を始める。俺も散らかしたカードを集め、ロッカーに片付けておくことにする。
その時、手がふっと止まった。……ただの犯人カードなのに…違和感があった。
「レナ」「沙都子」「梨花」「圭一」「魅音」………「悟史」。
悟史? ………犯人カードの名前はみんな創作じゃない。少なくともこの名前以外は全員、部活のメンバーの名前だ。……じゃあ、この悟史というヤツも…部員?
クラスの男子に悟史って名前のヤツはいただろうか…? 壁に貼ってあるクラス全員の名前には悟史という名は見当たらない。
「圭一くん、早く片付けよ!」
レナに急かされ、はっとする。
賑やかな沙都子と梨花ちゃんはもう下駄箱に向かい、教室に残っているのは俺たちだけだ。当のレナもカバンを担ぎ、もう帰る態勢でいた。
「レナ。やっぱりこのクラスからも、転校で出て行っちゃった生徒って…結構いるんだろ?」
ちょっと遠回しにレナに聞いてみる。レナはちょっと困った顔をしてから答えた。
「…うん。雛見沢って田舎でしょ? 転校して行っちゃう人も時々いるよ。」
「じゃあ、この悟史ってヤツも転校してったのか?」
「ごめん! ………よく知らないの。」
ちょっと間はあったが、ほぼ即答だった。
「ぁ、その…意地悪で言ってるんじゃないの! ……ちょうど去年。レナが転校してきてから…入れ替わりだったかな。だからあんまりお話ししたことないの。…ごめんね!」
よく知らない、ごめん。
以前、レナにバラバラ殺人のことを聞き、拒絶された時とよく似た答え方だった。
拒絶されたことに寂しさも覚えたが……ほんの少しだけ怒りも感じた。
俺は…みんなの仲間だろ? 仲間同士で隠し事なんて…ないはずだろ?
薄気味悪い祟りの話を隠してくれるのはありがたいさ。……だけど…みんなが不安なら、俺だってみんなと同じ不安を共有したい。……それが…仲間ってもんだろ…?
悲しさと苛立たしさが入り混じった今の俺は…一体どんな表情をしているんだろう…。
「け……圭一くん、…怖い顔してる。……なんでだろ? …なんでだろ?」
レナの、言う通りの表情なのだろう。…俺の険しい表情に少し怯えて戸惑っているようだった。
「あ、ごめん。…今日の部活、楽しみにしてたからさ、残念だっただけだよ。」
レナの頭をぐしゃぐしゃと撫でてはぐらかす。
「帰ろうぜ。」
ちょっと気まずい雰囲気を引きずりながら、俺たちは下校した。
なぜだろう。…なぜ最近、こうも面白くない気持ちになるんだろう…?
何も知らなかった頃は…何も心配はなく、ただ日々が楽しかっただけのはずなのに。
俺の素朴な疑問に、長く伸びた影は答えてくれなかった。
「……圭一くん、疲れてるのかな…? …かな?」
レナが恐る恐る俺の顔色をうかがっている。…気まずい雰囲気が余計気まずくなる、そんな表情だった。
「…そうか?」
「う、うん。…今朝から圭一くん、なんだか元気ないよ。風邪……かな?」
そういう意味では健康体だと思う。小学校はこう見えても皆勤だ。
俺がなかなか返事を返さないので、レナは勝手に先を続けた。
「きっと圭一くん、引越しの疲れが今になって来たんだよ。……前に住んでた所とは全然違うところだもん。いろいろ慣れたり覚えたり……疲れて当然だよ。」
「そうなのかな。」
「うん。絶対にそうだよ。レナも最初、そうだったから。わかるんだよ? …だよ?」
俺が今感じている些細な疎外感を、レナもまた去年、感じていたのだろうか。……そう思うと、レナだけは俺の気持ちをわかってくれるんじゃないかという気がした。
「レナが雛見沢に転校してきた時の話が聞きたいな。…どんなだった?」
俺が話に乗って来たのに気付くと、レナの顔が急に明るくなった。
「あははは。圭一くんと同じだよ。人の名前も村の中も全然わかんなかった。魅ぃちゃんとかが親切にしてくれたから全然寂しくなかったけど……、やっぱり心細かったよ。」
レナは自分が引っ越してきた時のことを細かく話してくれた。出会いや驚き、不安や喜びをいろいろと。それらは今、俺が体験してることとまったく同じだった。
「なんだ! じゃあ…レナも沙都子にやられたのかよ!?」
「うん。椅子に座ろうとしたら画鋲が置いてあったの。どっさり。…そしたらそれを、……………うん。懐かしいなぁ!」
「魅音の部活にはいつ頃誘われたんだ? さっそく初日にか?」
「うぅん。最初は部活なんてなかったんだよ。途中からできたの。………放課後にみんなで残ってゲーム大会をやろうって言い出して。」
「そう言えば…魅音、初代部長とか言ってたっけなぁ。納得。」
「内緒だけどね。魅ぃちゃん、最初は弱かったんだよ。全然勝てなかった。」
「ええ!? 魅音が!? ……ちょっと想像つかないぞ!?」
「自分で言い出した罰ゲーム、ほとんど自分でやってたんだよ。あはは! 本当に内緒だからね!」
「あの魅音がねぇ…! …んで、その内、勝つためには手段を選ばない鬼みたいなヤツへと変貌していくわけだ。ダーティプレイになってからが魅音の真骨頂だからなぁ!」
「魅ぃちゃん以外ともちょっとずつお友達になれて……でも、うん。圭一くんが引っ越してきてからかな。ようやくここに馴染めたって自覚したのは。」
レナもやはり…引っ越してきた当初は、オヤシロさまの話は内緒にされていたんだろうか。……オヤシロさまの話を打ち明けられて初めて、俺は仲間と認められるんだろうか。
だったら、その話を伏せられている俺は、……まだみんなに、本当の意味での仲間とは認めてもらっていないのだろうか…。
「俺はいつになったら、仲間だと認めてもらえるんだろうな。」
「え? 何て言ったの?」
「……いやごめん。独り言。」
「あははは。圭一くん、へんなの。」
レナはからからと笑ったが、それにつられて俺が笑う事はない…。
俺はふと足を止めた。そして……意を決し、それを口にした。
「なぁレナ。……みんなは俺に、噓や隠し事なんかしてないよな…?」
「え。…してないよ。全然。」
「噓だろ…?」
レナも足を止める。その表情は冷たく、少しだけ乾いていた。…俺の言葉がそれ以上に乾いていたからだ。
「どういう意味だろ…? …圭一くん。」
口調だけはさっきまでの明るい、ちょっとおどけたものだった。…その乾いた言葉が自分の聞き間違いであってほしい。そう信じたいような声だった。
だが、…俺はそれが聞き間違いでないことをもう一度はっきり言う。
「してるよな。…俺に、隠し事を。」
レナはその意味を理解すると表情を強張らせた。…その顔を見て、軽はずみなことを口にしたと後悔してしまう。…だがレナの切り返しは俺の想像とは違った。
「じゃあさ、圭一くん。……圭一くんこそ、レナたちに噓や隠し事をしてないかな?」
「…………え。」
口調こそいつもと変わらなかったが、…レナが初めて見せる表情だった。とてもレナのそれとは思えない鋭い眼光に俺の両目は射貫かれる。
その質問は俺がしたはずの質問だった。…それから、瞬きを三つする時間も経っていないはずなのに、……自分が質問される立場にひっくり返っているのだ。
聞きたいのはこっちだ…、そう言いたかったが、レナの眼光がその言葉を俺の喉に押し込んでしまう。
「してないかな? 噓や隠し事。……してないかな?」
してるよね。隠し事。…レナは口にこそ出さなかったが、…そう続けていた。
確かに、…富竹さんの事件や…みんなに感じている疎外感。…自分の胸に聞くまでもなく…俺はいくつかのやましさを持っている…。
でも……富竹さんの事件をみんなに知らせないのは……気を遣っているつもりだからだ。…みんなが俺に気を遣ってオヤシロさまの話を隠すように、俺だって隠すさ…。なら…おあいこじゃないのかよ…!?
「……してないよ。…噓も。隠し事も。」
「噓だよ。」
即答され、俺はぎょっとする。
レナは食い入るように俺を見つめていた。その眼光は冷え切り、……あのレナがこんな眼差しができるなんて信じられなかった。
「……どうして噓だって…、」
「圭一くん、昨日の部活の時、先生に呼ばれて職員室に行ってたって言ったよね!? ……レナは知っているよ。圭一くんは職員室になんか行かなかった。」
ごくりと唾を飲みこむ…。それはレナのはったりなんかじゃなく…事実だからだ。
「先生はお客さんが来たって言ったんだよね? でも昇降口ではお話ししてなかった。校門の所の車の中で話をしてたよね。知らないおじさんと!」
「…………ぅ、」
レナは……全部知っているのだ…。俺が大石さんに呼ばれ、車中で富竹さんの話を聞かされていたことも……全部!?
「誰、あのおじさん。」
「し、知らない人だよ…!」
「知らない人がなんで圭一くんに用があるの。」
「お、…俺が知りたいよ!」
「じゃあ何の話をしていたの!」
「みんなとは関係のない話だよ…!」
噓だ。
「噓だッ!!!」
レナの叫びが木々の合間を木霊する…。それに驚いた鳥たちが慌てて羽ばたく音が静寂を破った。
大きく吸いこんだ息が、吐き出せない。いや、息を吐き出す事すら許してくれない。
ここで俺は……初めて悟った。……俺の目の前にいるのは…竜宮レナじゃない。
…じゃあ……俺の目の前にいるのは…一体、誰なんだ? ……竜宮レナの外見をした、誰なんだ!?
窒息するくらい長い時間、俺はそいつに文字通り息の根を止められていた……。
「ね?」
〝そいつ〟は、レナがいつも浮かべるようなにこやかさで表情を崩した。
…それはいつもの、やわらかなレナの笑顔だったにもかかわらず、………俺は凍り付いたままでいる。
レナが顔を近づけてくる。その吐息が顔にかかる。……なんのときめきもない。
近付く唇。…でも恐怖した。このレナの顔をした誰かに鼻を食い千切られると思ったからだ…。
しかし、唇は鼻先で止まってくれる。そして…そんな俺の内心を見透かしたかのように、にやぁと笑った。
「圭一くんに内緒や隠し事があるように、…レナたちにだってあるんだよ?」
レナは…いつもの笑顔で。…でも鷹のような目つきで。……互いの鼻がぶつかるくらいにまで顔を近づけ……「やさしく」、そう諭した。
俺は頷く事も、頭を横に振る事もできない。ただ…無性に……目の前の誰かが…レナに見える誰かが、怖い。
ごくり、と飲みこむ唾の音が、聞かれるんじゃないかと怖くなるほど大きく感じた。
永遠とも思える…長い空白の時間を経て、…そいつは言う。
「行こ。…だいぶ涼しくなってきたよ。」
レナだった。
レナがよく言うような、やわらかい言葉だった。
彼女はもう一度にっこりと微笑むと、まるで何事もなかったかのように踵を返し、歩き始めた。……あいつの眼差しから解放された途端に、俺の両膝がかくんと抜け、だらしなく地面につく…。
…結局、俺はあいつの後ろ姿が視界から消えるまで、指一本動かす事もできなかった。
「…あれは、……誰だったんだよ……?」
……体中に冷えた、それでいてべたべたした汗をいっぱいにかいている。
俺は喉の奥からやっと声を搾り出し、もう一度自問した。
あれは……竜宮レナの姿をした、…誰だったんだよ!?
歪んだカセットテープで聞くようなひぐらしたちの歪んだ合唱が頭をいっぱいに満たしていく。…もちろん、それらの合唱が俺の問いに答えてくれることは決してなかった…。
興宮書房の電話
自宅にどうやって戻ってきたか記憶はない。
……ただ、ぼーっと自分の部屋の天井を眺めて横になっているだけだった。
そして、あのレナとのやり取りを思い出し、…あれが現実だったのか、幻だったのか、それすらもわからずに呆然としていた…。
俺はレナに逆上されて…恐怖していた? …いや違う。あれはレナに似た別物だった。
じゃあ……あれは誰だったんだ? そういう恐ろしい気持ち。
でも、あれとレナは別人なんだから、明日、レナとはいつものように話せるよな。そういう奇妙な安堵。
今は何も考えずに、頭を空っぽにすべきだという理性。…それらが頭の中でごちゃまぜになり、ずっと騒いでいるだけだった。
……ふと意識が戻り、階下のお袋が呼んでいるのが聞こえた。
「圭一〜! 本屋さんから電話よ〜。」
本屋? 電話を受けるような覚えはない。…取りあえず階下に降り、受話器を取った。
「夜分遅くに申し訳ありません。私、興宮書房の大石と申します。」
「大石さん? …大石さんじゃないですか!」
「すみませんねぇ。親御さんが出られたので本屋さんということにしておきました。警察ですって名乗ると、いろいろ気分を害されるでしょうしね。」
大石さんなりに気を遣ってくれたつもりらしい。
それでも警察の人と話をしているところを親に見られたくない。…俺は子機に持ち替えると二階の自分の部屋へ駆け戻った。
「夜分遅くにすみませんですね。実は昨日お渡しした電話番号のメモ、あれ古い番号だったんです。本当に申し訳ない。これから申し上げる番号を控えておいてもらえますか?」
「あ、はい。……えー…どうぞ。」
職場の直通番号を教えてもらい、それを書き留める。
それだけで用件が終わりかと思ったが、下らない世間話が始まり、なかなか電話を切らせようとはしなかった。
「さてどうでしょう、前原さん。何か変わった事はありましたか?」
…なるほど。これが本題か。まわりくどい、大人的な話術にしばし閉口する。
「大石さんは…ここの、地元の方ですか?」
「ええ、そうです。生まれも育ちも興宮ですよ。」
地元の人間なら…知っているかもしれない。
俺は、昼休みにレナと魅音が話していた気味の悪いあの会話について話してみることにする…。
「あの、大石さん。……『鬼隠し』って何の事か知ってますか?」
「ん、…それはですね、人が鬼にさらわれ忽然といなくなってしまうことなんです。この辺り独特の言い回しですね。世間様で言う、神隠しと同じ意味です。」
…神隠しと近い意味だろうとは自分も想定していたため、特別驚くような返事ではない。…でも、今の自分にはそうだとしてもこの返事は何か頼もしいものを感じさせた。
仲間から聞く事もかなわないことを、歳すら大きく離れているこのおっさんは即答してくれる。……その包み隠さない即答ぶりが少しだけ嬉しかったのだ。
「雛見沢は、……うーん、前原さんにこんなこと言っていいんでしょうか。」
「もったいぶらないで下さいよ。大石さんが言わないなら俺も何も言いませんよ!」
「あ、いやいや! そういう意味じゃないんですよ。ただその、気を悪くされないかと思いましてね。………実はですね、雛見沢はその昔、鬼の住む里って呼ばれて恐れられていたんですよ。」
「鬼? 鬼って地獄にいる、金棒を持ったあの?」
「う〜ん、というよりは人食い鬼ですなぁ。里に降りてきて人をさらって食い散らかしてしまう、なぁんて怖ぁい昔話があるんですよ。」
この、鬼が人をさらってしまうことを本来、「鬼隠し」というらしい…。
「…祟りと鬼隠しは一緒に起こるって言ってましたけど。…どういうことですか?」
五年連続で人が怪死していることはすでに知っている。…だが、それと同時に五年連続で人が消えているという話は聞いていない。でも、レナたちは祟りと鬼隠しが必ずワンセットで起こる、というようなことを言っていた気がする。
「祟りと鬼隠しが必ず一緒に? それは初めて聞きました。そうなんですか前原さん?」
「それは俺が聞きたいですよ。…レナと魅音が話してたんです。オヤシロさまの祟りなら必ず、祟りと鬼隠しが起こるって。」
大石さんは受話器の向こうでうなり始める。……思い当たるフシがあるのだろうか。
「前原さん。最初の事件、ご存知ですよね? バラバラ殺人。」
「えぇ。六人の犯人の内、一人はまだ逃走中なんですよね?」
「例えばそれ。……逃走中じゃなく、鬼隠しにあったんじゃないでしょうかね?」
「え!?」
……それは大石さんの、あまりに大胆な仮説だった。
四年前の事件は稀に見る凶悪な事件。犯人はすでに特定されていた。警察は顔写真入りの手配書を多量に刷った。あらゆる場所に目を光らせ、その逃走路をきつく締め上げていたはずだ。
だが…四年経った今日でも手がかりはない。……警察が無能でないなら。そんな大胆な仮説も…今は笑い飛ばせない。
バラバラ殺人の最後の犯人は、現在も逃走中なんじゃなくて、……鬼隠しで、……すでに消え去ってしまっている……?
「じゃあ、その翌年の事故はどうです? 推進派の男と妻が一緒に事故死したんですよね?」
「実はですね。……正式には事故死したのは夫だけなんです。妻は死体が上がりませんでしたから。………現行法では死体が発見されない限り行方不明扱いなんですよ。」
事故当時、崖下の川は増水し濁流となっていたという。数十キロに及ぶ本流支流を警察のダイバーがくまなく捜したが、結局、妻の死体は見つからなかった。
「でも…死体が見つからないだけで、亡くなったんですよね? 鬼隠しとは違うんじゃないですか…?」
「死体が出ない以上、亡くなったとは言えません。法律で定めた年月が過ぎるまで生存扱いなんです。」
これを鬼隠しと呼んでいいかわからない…。妻は行方不明。死体は出ていない。これだけが事実だ。
「三年目はどうなんですか? 神主は病死。妻は自殺ですよ…?」
「前原さん。実はね、これもまぁったく同じなんですよ。」
妻は雛見沢の奥にある底無し沼に身を投げたらしいのだ。……つまり、状況証拠だけ。遺書と沼の前に揃えられたぞうりだけ…。
ダイバーが沼に潜りいくつかの遺品を回収したが肝心の死体は発見できなかった。
捜査本部は擬装自殺の疑いから、重要参考人として今日も捜索中だという。
「これらを鬼隠しと呼んでいいかはちょぉっとわかりませんがね。前原さんの言う通り、確かに毎年一人、行方不明になっていると見ることもできます。」
「今年の事件では…富竹さんの連れの女の人が行方不明……。……じゃあ去年の主婦の撲殺事件はどうです? 誰か行方不明になりましたか? …確か犯人は逮捕されたんですよね?」
「えぇ逮捕されてます。覚醒剤の常習歴もあるトンチンカンでしてね。別件で取り調べ中に犯行を自供してます。………ですがですね。犯人逮捕からしばらくして、被害者宅の子供が行方不明になったんです。犯罪に巻きこまれたのかどうなのか……。現在も捜索してます。」
「だって犯人は捕まったんですよね? それともその仲間が!?」
「さぁ…多分単独犯だと思います。もっとも、今では確かめようもないんですよ。……実はその男、取り調べ中に、拘置所内でお亡くなりになっちゃいまして。」
食事用の先割れスプーンを喉に詰まらせ窒息死したというのだ。自殺なのか事故なのかはよくわからなかったという。
「つまり…………過去五年間、必ず死者と行方不明者が一人ずつ出ているわけなんですよね…?」
「そうなります。……いえね、私も驚いていますよ。こんな共通項には気付きませんでした。」
これが事件解決の糸口になるとは思わない。…単なる共通項でしかない。
「……例えば…鬼隠しにあって失踪した人には…何か共通点があるとか?」
大石さんはう〜んとうなり思案している様子だ。代わりに俺が整理する。
「一年目はダムの作業員。二年目は推進派の男の妻。三年目は神主の妻。四年目は被害者宅の子供で、五年目は交際相手…かな。……特につながりはなさそうだし。」
「一年目はともかく、妻とか交際相手とか、…そういう人が目立ちますなぁ。」
…確かに多いように感じた。だとすると…四年目の被害者宅の子供というのが変わっている。
夫婦ごとの被害が目立つのに、ここだけ夫婦でなく、親子だ。…そう言えば…確か富竹さんも「弟本人は生きていて引っ越した」みたいなことを話してくれた気がする。
「四年目に行方不明になった子供って…どんなだったんですか?」
「大人しい感じの方でしたよ。歳はあなたのひとつ上です。名前は北条悟史さん。」
「…え、悟史…!?!?」
聞き覚えのある名前だった。…確か悟史ってのは、去年、転校して行ったって言ってた……!? そう、あの推理カードゲームの犯人カードに名前のあった……。
「あなたの学校に去年まで通っていました。話を聞いていませんか?」
そう言えば……転校してきて、席に案内された時、「転校した生徒の席」だと言われたような気がする…??
じゃあ……俺が座ってる席は……鬼隠しにあって……失踪した子の席なんだ!?
俺は…机の天板の、ひんやりとした手触りを思い出し、ぞっとする…。
連続怪死事件は…いや、オヤシロさまの祟りはとうとう……俺につながったのだ。
だから、あの冷たい手触りは……オヤシロさまに首筋を撫でられたような、…そんな感触なのだ…。
「………オヤシロさまの祟り、か。」
……本当に…オヤシロさまの祟りは実在するんだろうか?
正直に白状する。…俺はオヤシロさまの祟りを信じている。そして怖い。…だからこそ、祟りなんかじゃなく、何者かの起こした陰謀であると決めつけたい。
だが…調べても調べても、それらしい気配はない。いや、むしろ調べれば調べるほどに不可解さは増していくばかりだ。
…このまま調べていくと……やがて、………本当に知ってはいけないことにまで、辿り着いてしまうかもしれない…。すでに知らなくてもいいことをいくつも知り、俺は立ち入ってはいけない深みにまでいつの間にか誘われている…。
このまま知らずに過ごすことと、後悔するかもしれない答えを求めて深入りを続けるのと。…果たしてどちらが俺にとって幸せなのだろう。…引き返すなら今なのか。それとも、それすらももう手遅れなのか。
ひょっとすると……来年の祟りは自分かもしれない。…それは一年間だけの執行猶予……?
…そこで俺は思い出す。…レナだ。レナは、次の祟りの犠牲者こそ自分だと言っていた。
「…竜宮レナさんがですか? 去年転校されて来た、前原さんのクラスメートですよね。……女の子には刺激の強い事件ばかりです。怖がるのも無理ないんじゃないでしょうかね?」
そんなのじゃない。次こそ自分だとはっきり言った。具体的な心当たりがあるとしか思えないような言い方だった。
「…もっと確信じみたものだったように思います。……なんていうのか、その…、」
レナの怯え。レナの豹変。レナに似た、レナじゃない誰か…。
…それは関係のない話なのか。今日一日、レナに感じた違和感がぶり返す。
「そうですか…。ではこちらでも少し調べてみます。前原さんも少し竜宮さんの様子に注意してあげて下さい。」
「…それは…レナを見張れってことですか?」
「そんな意味ではありませんよ前原さん。お友達が次の被害者にならないよう、少し気にしてあげて欲しいということです。」
本当に大人的な、うまい言い回しをすると感心し、閉口しかけた時…、
ドンドン!
突然のノック音に心臓が飛びあがった。咄嗟に、意味もなく受話器を隠してしまう。
「圭一〜、ちょっとここを開けてくれ〜。」
ドアの向こうから親父の妙に機嫌の良さそうな声がした。…なんだ? しかもこんな時間に。
「すみません、親父が来ました。…今夜はこれくらいでいいですか?」
「えぇ。夜分遅くに本当に申し訳ありませんでしたね。…何かわかりましたら教えて下さい。こちらも進展がありましたらご連絡しますよ。では失礼します。」
「圭一〜、早く開けてくれ〜。父さん、両手がふさがってるんだー。」
何やってんだ親父は…。長い時間、同じ格好で電話をしていたので、立ち上がると体の節々が痛んだ。
扉を開くと、親父が両手でお盆を持って立っていた。お盆の上には…うちじゃ貴重品のクッキーと紅茶のティーカップが二つ。角砂糖にレモンスライス付き。至れり尽くせりだ。……どう見てもサービスが良過ぎる。
「な、何、父さん。……それ、何のつもりだよ??」
「もーぅ、はぐらかすなよ圭一〜。入るぞー。」
親父はにやにや笑うほどの上機嫌だ。しかし…生まれてこの方、こんなサービスをされた覚えはない。…一体、どういう風の吹き回しだ?
「…で、何の話をしてたんだ?」
ぎくりとする。……親父に隠さなければならない話ではないが、…警察の人と夜に電話しているなんて、うまく説明できない…。
「べ、別に何も…。友達だよ…!」
「電話の話じゃなくて。来てたんだろ〜今。レナちゃんが。」
……?
親父の言う言葉の意味が、よくわからない。
「…来てないよ? っていうか、何の話…?」
「も〜、誤魔化さなくったっていいぞ〜! さっきレナちゃんが遊びに来てたじゃないか。だいぶ話し込んでるみたいだったから、お茶でも、って思ったらすれ違いだったんだよ。」
そこまで言われてなお、親父の言っている話がよく理解できない。……なのに、俺の背中を凍るくらい冷たい汗がどろりと流れる…。
「ど、……どのくらい話し込んでたかな…?」
「レナちゃんが二階に上がったのが半くらいだったから…小一時間くらいかな?」
「二階に上がったの……父さん見たの?」
「あぁ見たよ。圭一の部屋は階段を上がって奥の扉だよって声もかけた。」
レナが一時間前に俺の家にやって来た。…親父が玄関に迎えて…二階の俺に声をかけた。きっと、大石さんの電話に集中していて…聞こえなかったに違いない。
俺の返事はなかったが、部屋にいることはわかっていたので、親父はレナに上がってもらった。…そして俺の部屋は二階の奥だと教えた。……レナは親父にお礼を言って、階段を上がった…。そして小一時間して。…お茶を持って上がってきた親父とすれ違い、帰って行った。
階段を上がってから、小一時間。それから親父とすれ違って、帰宅。
じゃ……じゃあ、…階段を上がってから…帰るまで……レナは…どこに居たんだよ…?
俺の部屋と階段の間には……狭い廊下があるだけだ。
つまり……レナは………小一時間もの間………廊下に、…いや、…俺の部屋の前にずーっと立っていたわけだ……?
俺の部屋の扉は大して厚みがあるわけじゃない。中での話し声はほとんど素通しだろう。
……大石さんとしていた、不穏な、不用意な数々の会話が頭を過ぎる……。
「お父さん、あまりからかっちゃ駄目よ。それより、アトリエを片付けてー。またこぼすわよー。」
階下のお袋が親父を呼ぶ。親父は、残念そうに笑うとお盆を残したまま降りて行った。
親父が部屋を出て行くのを呆然と見送りながら、……レナがずっと立ち尽くしていたかもしれない、廊下の床を見る。
さっき…俺が大石さんと話していた時…背中の向こう、わずか二百センチのところに……ずっとレナが立っていた……?
こんな薄暗い廊下に、ずっと……? 何を見て? 何を聞いて? 何の為に?
俺と、大石さんの電話を聞きながら………?
二人分のティーカップのほのかな湯気が、不吉な形にぐにゃりと歪みながら、俺の部屋いっぱいに紅茶の香りを満たしていった……。
〈ひぐらしのなく頃に 第一話〜鬼隠し編〜 下巻に続く〉