ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編
第七回 6月20日(月)
竜騎士07 Illustration/ともひ
ゼロ年代の金字塔『ひぐらしのなく頃に』の小説が、驚愕のオールカラーイラストでついに星海社文庫化! ここに日本文学の“新たな名作”が誕生する!「鬼隠し編 (上)」を『最前線』にて全文公開!
6月20日(月)
「おっはよ〜! 圭ちゃん、昨日はお疲れ様〜!」
「魅音こそお疲れさんな! 昨日は楽しかったぜ!」
「そうそう、圭一くん、本当にありがとね! くまさん!」
「気に入ってもらえてうれしいぜ、裁縫針とか刺したりするのに使うなよ。」
「し、しないよそんなこと…!」
みんなで談笑しながら教室に入ろうと足を踏み入れると、ドポンと嫌な感触。
そこには…なみなみと水を張った掃除用のバケツ。俺の足が無情にも突っ込まれている。
「あぁら朝から雑巾がけとは熱心でございますわねぇ〜!」
すたすた。ひょい。びし!
「ふ、ふわぁあぁあぁああん!! 圭一さんがデコピンしたぁ〜!!」
「……みー! 今度はもっと凶悪なワナを仕掛けなさいですよ。」
その様子を見て悶絶しながら沙都子と梨花ちゃんに頰擦りするレナと呆れる魅音。
何もかもが全ていつものままだ。欠けているクラスメートもいないし、雰囲気が変わったところもない。
昨夜からずっと頭の隅でもやもやしていたものが一気に晴れる。今日も爽やかな一日の幕開けだった。
「どしたの圭一くん? ひょっとして寝不足かな? かな?」
「ばっちり爆睡したよ。なんなら授業中にも実演するぜ?」
「はぅ、だめだよそんなの…!」
「はい、先生来たよー! 着席着席ぃー!」
魅音が先生が来たことを告げると、みんなはぞろぞろと着席した。
「みなさん、おはようございます。昨日はお祭りでしたね。最後まで後片付けに参加した人たちは本当にお疲れ様でした。」
梨花ちゃんたちは祭りに残ったから、後片付けにも参加したのだろう。…あれだけ大騒ぎさせてもらったんだから、俺も残って片付けを手伝うべきだったなぁ。来年の綿流しではぜひそうしようと誓う。
「さて、この時期にはお祭りの取材で遠くから雑誌なんかの取材の方が見えたりします。」
いつものお題目と思い聞き流していたが、少し先生の声色が変わったので意識が戻った。
「皆さんが取材を受けることがあるかもしれませんが、曖昧なことやいい加減なことは言わないように。……いいですね?」
は〜〜い! とみんなが合唱する。
巧みに言葉を濁していたが、先生が何を言いたいのかよくわかった。
なにしろ。……今年で五年目なのだ。祟りを期待して三流雑誌の記者などが出入りすることもあるのだろう。村としてはマイナスイメージを助長するだけで百害あって一利なし。それに対し、面白半分にいい加減なことをしゃべるな、と言っているのだ。記者たちは、三歳の子の戯言でも、村人談ってことにしちまうだろうからな…。
今度は俺も、黙っている側の人間なのだ。…そっか、そっか。記者たちに不穏な事件がなかったかと聞かれたら、今度は俺も「知らない」と答える側。
こういうささやかなところで結束を感じてしまう自分がちょっぴり可愛かった。
部活再開
放課後、やはり部活の召集がかかった。昨日の疲れもあるだろうから今日は大人しく…なんて思いやりはここにはない!
むしろ俺たち的には、昨日の余韻がまだ冷めず、エネルギーを持て余してるくらいだった。
「今日は…本格派の推理ゲームで行こう! こんなのはどうかな!?」
魅音が机の上に置いたのは、英語でタイトルが書かれたカードゲームのようだった。和製とは異なる渋い雰囲気が非常に面白そうだ。
「お! 海外もののゲームかぁ! そういや魅音、洋モノのゲームをだいぶ集めてるって言ってたもんなぁ!」
「説明書も英語ですのよ。でも、ルールはそう難しくはありませんの!」
「はぅ! ま、負けないからね。」
「今日こそ、レナは罰ゲーム常連から脱出、なのですよ☆」
どうやらレナはこのゲーム、苦手みたいだな。
「ルールはね、事件の犯人と凶器、あと犯行現場の三つを当てられた人が勝ち!」
犯人、凶器、犯行現場の三種のカードがあるらしい。
犯人のカードを見ると…「魅音」やら「梨花」やら…みんなの名前が書いてある。お、俺の名前のカードもあるぞ!
「凶器のカードにもいろいろ種類があるな! 斧やらナイフやら毒物やら! 犯行現場のカードも渋いぞ! リビングやら書斎やら中庭やら! いかにも推理小説に出てきそうなキーワードがいっぱい登場して実に面白そうだ!」
「つまりね。これらのカードが一枚ずつ抜かれるの。それが正解のカード。」
「で、残ったカードはシャッフルしてみんなで等分。互いに手持ちのカードを質問しあって、抜かれた正解のカードが何かを探るわけ!」
「なぁるほど。誰も持っていないカードがすなわち、真犯人なわけだな!」
「それで、答えがわかったら挙手! ゲームを終了して答えが正しいかを確認。」
「正解なら勝ちで一ポイント! 外れていればマイナス一ポイント! 正解してもしなくてもゲーム終了だからカードは集めて仕切り直しってわけ!」
「やってみればわかるでございますわぁ! 結構アタマを使うでございますわよ!」
「……メモを取りながらじゃないと混乱しますです。」
「あとはやって覚えるさ。…で魅音! 今回の罰ゲームはなんだ!?」
部活と言えば罰ゲームだ! はっきり言おう、こいつがあるから白熱するんだ。こいつがあるから負けられないんだ! さぁ、今日の罰ゲームは何なのか、みんなの目線が部長の魅音に集まる!
「そうだねぇ…。じゃ、昨日の疲れも多少あるだろうから今日はソフトに。『使いっぱしりの刑』はどう? みんなからお使いを頼まれてそれを買いに走るってわけ!」
「つまり、ジュースとかお菓子とかを買いに行かされるんだね。」
「……今日の罰ゲームは何だか簡単そうな気がしますです。」
「ほ、本当にか? 何か落し穴がある気がするぜ…。」
「やはり、圭一さんもそう思いますの?」
「あぁ…。何を買いに行かされるかわからないからな…。魅音のことだ、負けたら『痔の薬』やら『Hなゴム風船』やら、まともでないものを買いに行かされるに違いない!!」
「は、はぅ! Hなゴム風船って何だろ、何だろ!?」
「風船なんか、文房具と一緒に福田屋さんで売ってますわよ??」
「みー☆ 沙都子もその内、必要になりますのですよ、にぱ〜。」
「くっくっくっく! さぁて何を買いに行かされるんだかねぇ〜! せいぜい負けないようにみんな気合を入れて行きなッ!! 始めるよー!!」
さっそくカードがシャッフルされみんなに配られる。
真犯人と正しい凶器、犯行現場のカードはそれぞれ抜かれているから、手元にあるカードは全て「無実」のカードということになるわけだ。
ちなみに、例によってカードに傷がないかどうかのチェックはすでに済ませてある。今回のゲームはイカサマなしの知力勝負だ!
「じゃ〜一番は部長の私からいくよ? じゃあねぇ…『魅音』『ナイフ』『書斎』!」
犯人、凶器、犯行現場の中から一つを宣言し、その所有を全員に尋ねる。その内、一枚でも持っていたら「持っている」と答えなければならない。(何を持っているのか言わなくていいところがポイントだ)
「あ、俺持ってるぜ。」
「レナもあるよ。」
「……ボクも持ってますです。」
「あら、完全な通しですわね?」
「魅音」「ナイフ」「書斎」はないかとの問いに三人があると答えた。つまりこれは「魅音」も「ナイフ」も「書斎」もシロ、というわけだ。メモメモ…。
「じゃあレナはねぇ……『レナ』『斧』『ラウンジ』だよ!」
今度は二人だけが持っていると答えた。
むむ? ってことは…「レナ」「斧」「ラウンジ」のどれかひとつは…犯人、正解ということか!?
いや待てよ、あると言っても、何枚持っているかは言っていない! 今あると答えた沙都子と梨花ちゃんのどっちかが、内二枚を持っていることも考えられる…!! この三つの中に正解が混じっていると考えるのは早計だ!
「じゃあ次は圭ちゃんだね。どうぞ〜!」
「まま、待ってくれよ…! まだ整理中!」
くそ、集まる情報をどうまとめるかにもコツがいるな…! このゲーム、思ったより頭を使うぞ…! ヤバイぜ…苦戦の予感ッ!!
「よっしゃ! おじさんわーかった! 犯人確定!!」
「なに!? もう!?!?」
右往左往してゲームを進める内にとうとう魅音が挙手する。やっぱり場慣れしてやがるな!
「犯人は『梨花』ちゃん! 凶器は『毒物』で犯行現場は『医務室』! どう!?」
箱の中に隠していた正解のカードを取りだし、魅音の推理を検証する…。
「正解だねッ!!」
「き〜! あと一手だったですのに〜! 『毒物』か『ピストル』かわからなかったですわ〜!!」
「……み〜! ピストルなんか使わないです。毒物でじわりじわりがいいのです。」
梨花ちゃんがソフトな顔してハードな事をさらりと言っている…。
みんなであと少しだったのにと大賑わいしている。蚊帳の外なのは俺とレナだ。
「…圭一くんはどうだったかな…? レナは全然…。」
「安心しろ。俺もさっぱりだ。……というかさ、みんなのペースが速いんだよ! 情報をどう書き留めようか迷っている内に番がすすんで混乱しちまう!」
「はぅはぅ! レナもそうなのー! 最初は付いてけるんだけど、途中から混乱しちゃうぅ…。」
「二人ともなぁに自信ないこと言ってんだか! 二人なかよくビリになっちゃうよ〜? まさか二人で一緒に、Hなゴム風船を買いに行きたいのぉ〜?」
「ぐおおおおおおおぉおおぉ!! 何だそりゃああぁあぁ、駄目だ、それは極めてまずい!! 明日から日中に表を歩けなくなるうぅうううぅ!!」
「……圭一は明日から村中の人気者なのですよ。みー!」
「くっくっくっく! 大貧民の時に大暴れした圭ちゃんらしくもない〜。もう降参なわけぇ?」
「なッ! 全然そんなことはないぞッ!! 見てろよ、次でシャーロック前原の実力を見せてやる!」
「をーっほっほっほ! 早くお見せになりませんと、手遅れになりましてよー!!」
その後、何とかコツらしきものを摑むが、どう戦っても数手遅れる。……魅音などは相手が発した質問からも何らかの情報を得ているように見える。…駄目だ、場数の違いが圧倒的だ!
この不利を覆すには……、俺も非情に徹しなければなるまいッ!!! そうさ、部活では生き残るためにあらゆる努力がいる! 運に任せて伸るか反るかなんてやってる内は罰ゲーム常連だ!
推理という狭い思考を捨て、ゲームに勝つための部活的思考に切りかえる…。大切なのは犯人を見付けることじゃないぞ……このゲームに勝つことだぞ……!!
……むッ! 閃いたぜ!!!
「あ、ごめん、ちょっとトイレ行って来るな。」
「くっくっく、トイレで黙考? ゆっくりブリブリしておいで〜!」
「魅ぃちゃん、それ下品…!」
俺はゲームを中断させ、廊下へ出た。
ふー、空気が澄んでいるぜ。いかに教室が俺たちの熱気で澱んでいるかわかる。
校庭では俺たち同様、帰らずに遊んでいるクラスメートたちがにぎやかに騒いでいる。それに比べれば、教室で遊んでいる俺たちは一見不健康そうに見えるがそんなことはない。教室の俺たちの方が百倍熱く遊んでると断言できるぜ!
しばらくの間、混乱して熱くなった額を冷ましていると、教室からレナがやってきた。
「…圭一くん、ひょっとしてレナのこと、呼んだ?」
「あぁ、呼んだ。」
席を立つ時、俺はレナに目配せをしておいたのだ。うまく通じてよかった。
「時間の無駄なので単刀直入に行く。レナ、お前の今日のゲームの過去の戦績は?」
レナは一瞬戸惑ってから、おずおずと口を開いた。
「え…と……うん。…全敗だよ。……どうしてそんなこと聞くんだろ。…だろ?」
レナの自信なさそうなプレイから想像はついていた。しかし全敗とはなぁ…。
「このままで行くと俺もそうなる。今日のゲームは、大貧民なんかと違って運や流れでどうにかなるタイプじゃない!」
「じゃ、じゃあ、…今日の罰ゲームは圭一くんと一緒なのかな…?」
「おいおい! 早くも負けを受け入れるなよ! 勝ちに行こうぜ!? 俺たちで!」
「で、でも…どうやって!?」
レナの耳元に口を寄せる。ごにょごにょごにょ……。
「え? そ、そんなのありなのかなぁ!?」
「忘れたのかレナ。会則第二条だぞ! 勝つためには全ての努力が許されてるんだろ!? 今ここで実践せずしてどこで実践する!」
「う、うん! レナも今日の罰ゲームは嫌だからね…。が、頑張るよ。」
俺とレナの作戦は非常にスタンダードなものだ。
ゲーム開始時、全員にカードが配られるとしばらくの間はメモ書き等のため、みんなの視線が手元のみに集中する。その瞬間、隣り合って座るレナと俺のカードを互いに公開し合うのだ! 机の下でさっと済ませればまずバレない!
結局、このゲームは疑わしい情報の潰しあいだ。平たく言えば、サイコロの代わりに情報を潰してゴールを目指すスゴロクみたいなものとまで言い切れる。となれば、他の連中の倍の情報を持ってスタートするというのは、かなり有利な条件のはずなのだ。
何しろ、情報が多いがゆえに質問にも無駄が無くなる。しかも、その有利を俺とレナの二人が持っているのだから、他の三人はちょっとやそっとのことでは勝ちを奪えなくなるだろう。そうしている間に俺たちはスコアを重ね、焦った他の連中にミスと減点を誘うことができれば、圧倒的大勝利も夢ではない…!
「……な!? この作戦なら他の連中よりも確実なリードを持って開始できる!」
「う、うん! これなら…今度こそ勝てそうだよ…!」
にやりと二人で笑い合う! 俺が越後屋ならレナは悪代官だ。くくく、お主も悪よのぅ!!
「じゃあさっそく戻ろうよ! 二人で組んでみんなをあっと言わせちゃおう!」
「おいおい! 二人で一緒に戻っちゃ意味ないだろ! いかにも打ち合せしてきました〜ってカンジだぞ!」
「あ、ごめん。じゃあどうしよ…?」
「レナは先に戻れ。俺は洗面所で顔でも洗って、のんびりしてから時間差で戻る。」
「うん。わかった!」
レナは踵を返すと教室に戻って行った。
ん、もうちょっと引き止めてから戻した方がよかったかな? ちょっと早過ぎてトイレっぽくない。魅音辺りに勘付かれると厄介かも…。
ま、いずれはバレるだろう。なにしろ俺とレナがこれから連勝を続けるんだからな! 魅音が勘付く頃には俺とレナはビリを回避できるだけの充分なポイントを稼いでるという寸法だ!! グッド!! こいつぁ悪くないぜ!!
ようやく俺も、我が部の戦い方ってもんを理解してきたように思う。正々堂々なんてのは我が部では創意工夫のないヤツの言い訳だからな。…座していれば食われるのを待つのみ! バレなければ全て合法、勝てば正義だ! …あぁ、何て社会的含蓄の多い部活だろう。ここで鍛えられれば、将来は相当たくましくなれる気がするぜ…。
「前原くーん。ちょっといいですか?」
そこを突然、先生に呼ばれた。
「なんですか? 今ちょっと大事な…、」
「前原くんにお客さんがいらしてますよ。昇降口へ行って下さい。」
「お客さん? 誰に? ………俺、ですか?」
「待たせていますよ。早く行ってきなさい。」
もし親が学校にやってきたなら、お客さんという言い方はしないだろう。……一体誰が俺を訪ねてくるというんだ…?
早く教室に戻って部活を再開したいという気持ちもあったが、それ以上に一体誰がやって来たのかということにも強い好奇心を覚えた。
遊ぶ時間を無駄にしたくないので、とっととその用件を済ませることにし、俺は昇降口へ向かうのだった。
大石蔵人
昇降口は強い日差しと日陰の明暗のくっきりしたコントラストに彩られていた。
その中を、暑そうに小脇にジャケットを抱え、だらしなくネクタイを緩めた中年のおっさんが待ち構えていた。
「前原さんですか? 前原圭一さん。」
雛見沢の人間なら、前原さんですか? というような聞き方はしない。俺にもこんな男と会った記憶はなく、初対面に違いなかった。
……どうも富竹さん以降、俺はおっさんに縁があるようだな。
「そうですよ。…どちら様ですか?」
「私の車はエアコンが利いてますから、そっちでお話ししましょう。ここ、暑くありません?」
男はこちらの問いかけをあっさり無視すると、校門に停まっている車を指差し、とっとと歩き出す。
じょ、冗談じゃないぞ。こんな見ず知らずのおっさんに付き合う気もないし、しかも車に乗れだって?
みんなと楽しく遊んでいるのに、その教室からさらに離れてしまわなくてはならないのが何だか不愉快だった。
「捕って食いやしません。どうぞどうぞ!」
車の後部ドアを開けて俺を呼んでいる。……何だかマイペースで気に入らないオヤジだが、一体何の話をしに来たというのか。その内容が気になる。…昔からこういう切り出し方をされる話にはろくなものがないとは知りつつ、俺は誘いに乗ることにした。
車内は本当に涼しかった。カーエアコンなんて結構高級品のはずだ。少なくともうちの親父の車には付いていない。
「冷え過ぎだったら言って下さいよ? 私、ガンガンに冷やしちゃう性質ですから。」
「で、俺に何の用ですか?」
向こうのマイペースっぷりのお返しに、俺も相手の問いかけを無視して切り出すことにする。話には付き合うが、今は遊ぶ時間が削られることが一分でも惜しかった。
男は胸ポケットから手帳を取り出しぱらぱらとめくると、そこに挟まれた一枚の写真を取り出した。そこには……寝ぼけたような顔をした男の顔が写っていた。
「この男性のことで、ご存知のことがあったら教えて下さい。」
誰だ、このおっさん。
……こんな免許の写真みたいな感情のない様子だったら身近な友人でもそれとわかるまい。
「シャツにマジックで落書きがありましてね。前原さんを始めクラスメート何人かの署名が入っていました。」
「……え、…これ…富竹さん!?!?」
いつものあの、どこか頼りなさそうで、でも飄々とした雰囲気はこの写真からは微塵も感じられない。こんな寝ぼけた感情のない顔だったので、なかなかそうだと認識できなかった。
「ではこちらの女性はわかりますか?」
…となれば、見る前から何となく察しはついていた。
「……えぇと、名前は知りませんけど、昨夜、富竹さんと一緒にいた女の人です。」
名前こそよく知らなかったが、雛見沢の住人であることは知っている。ちょっぴり薄気味悪い笑い方をするのが印象的だった…。
「この二人に最後に会ったのはいつですか?」
「綿流しのお祭りの晩、一緒に話をしました。…二人とも仲良さそうでしたよ?」
「何か気になったこととかありませんか? 何でも結構です。話して下さい。」
こう根掘り葉掘り聞かれると正直困る。…この頃には、俺にもこのオヤジの正体の見当がついていた。
「…あの、富竹さんたちに…何かあったんですか?」
その問いかけに答えはなかった。だからこっちも同じくそれを沈黙で返してやることにする。
多分おそらく……いや、間違いなく…このおっさんは警察だ。
だったらなぜ?? どうして富竹さんのことを尋ねる? 彼に何かあったのか? それよりも何で俺なんだ? 俺よりも詳しそうなヤツは大勢いるはずなのに?
カーエアコンの唸る音がやたらとうるさく感じる…。
………長い空白時間ののち、彼はようやく口を開いた。
「前原さんはまだこちらに越されて来たばかりですよね? ご存知ですかな? 例の…………オヤシロさまの話は。」
心臓がどきんと跳ね上がる。隠し事のヘタな俺のことだ。さぞや表情に出してしまったことだろう…。
「まったく知らない? 知らないんなら結構なんですがね…。」
「………まぁ……聞いたことくらいは。富竹さんに教えてもらったんですけど…。」
「どの辺までご存知ですか?」
バラバラ殺人。事故死。病死に自殺。それから撲殺。毎年、必ず綿流しの日に起こる怪死事件…。
富竹さんが隠し事をするとは思えない。あれが全てだと思う…。…いや、あれ以上があるとは思いたくない。
「前原さんは…その…祟りとかを信じていますか? 率直なところで結構です。」
「信じてません。」
即答する。
それには信じていないというよりも、信じかけているからその疑念を晴らしたい、という感情の方が強く出ていた。
「本当に? ならよかったです。やっぱり前原さんは都会育ちですねぇ〜。」
「信じてなかったら何なんですか。俺、仲間を待たせてるんであまり時間取れないんすけど。」
「その写真の男性は昨晩、お亡くなりになりました。」
頭の中が真っ白になる。
……え? 富竹さんが…どうしたって?
「よりにもよってね、お亡くなりになられたのが昨日なんですよ。つまり綿流しの当日。………前原さんにはどういう意味があるのか、わかりますよね?」
「意味って、…意味なんか……、」
死因とか理由とかじゃない。…問題なのは綿流しの日に死んだということだ…。
つまり……今年も……オヤシロさまの祟りは……ッ!
「富竹ジロウさんがお亡くなりになられたことはまだ内緒です。どうしてかは、何となくおわかりになりますよね?」
わかりたくもない…。…オヤシロさまの祟りは今年も起こったというショッキングな事実を伏せたい以上の何があるってんだ…。
「………教えて下さい。…一体、何があったんですか?」
「…特異なんですよ。雛見沢の方にはちょっと刺激の強い。」
もったいぶった言い方だったが、その先を聞くことに一瞬、躊躇した。
俺は、無用の好奇心で知らなくてもいいことを無理に知り、その結果、後悔してきた。
バラバラ殺人という不愉快な事件をみんなは伏せてくれた。なのに俺は勝手な好奇心でそれに興味を持ち、…知る必要のなかったオヤシロさまの祟りの話を聞いてしまった。
そしてオヤシロさまの祟りの話も同じ。…嫌な予感がしていたなら話を断ち切って逃げればよかったのに先を促してしまい、あの楽しかったお祭りの夜をおかしくしてしまった。
そして、そのオヤシロさまの祟りの話は、あの夜を越えてとうとう、こんな白昼に学校まで押し掛けてきて続きを話そうとしているのだ…。
俺の下らない好奇心が、連鎖的に不吉な何かを呼び寄せている…。そして、この男が話そうとすることに耳を傾ければ、さらに連鎖的に何かが続いていってしまう…? 第六感にも似たもので、それを俺は感じ取っていた…。
だが、だからといって今すぐこの車を降りる度胸がなかった。
俺はまたしても、……下らない好奇心から逃れられない。富竹さんがどうして亡くなったのか、それを聞き遂げようとしている…。
「最初の発見は祭りの警備を終えて帰還中のうちのワゴンでした。時刻は二十四時五分前。場所は、…えーと、町へ出る道路がちょうど砂利から舗装道路に変わるところありますよね? 坂を下りきった辺りに。あそこの路肩でした。」
街灯もほとんどない道だ。月明かり以外は車のライトしかない暗闇。
そんな中で路肩に倒れている富竹さんを発見したのは偶然中の偶然だった。
血塗れで道路に突っ伏した富竹さん。…アスファルトいっぱいに広がった血と汚物…。
「みんな初めは轢き逃げされたものだと思っていました。ですが、意識を確かめるために近付いた警官はすぐに異状に気付きました。…喉がね、引き裂かれていたんですよ。」
「ひ、引き裂かれてって……。ナ、…ナイフとか……!?」
「いいえ。爪でした。」
「爪!? 爪って、指についてる…この爪!? それで…ガリガリと!?!?」
「検死の結果、それも自分の爪で、ということが判明しました。」
「え? え? …それって…どういうことですか…?」
つまり……これは他殺じゃなくて……自殺なのか!?
富竹さんは…何を思ったか、自分の爪で力いっぱいガリガリと! 喉を搔き毟りだしたのだ。
…皮が引き千切れて血が滲み出して…。それでも富竹さんはやめない。ガリガリと!!
爪が剝がれるくらいの凄まじい力で…ガリガリ! ガリガリ!!
そして…傷つけてはいけない大切な血管にまで爪が届き……ガリガリ! プチ、……辺り一面に鮮血を撒き散らす! 血を吐きながら。嘔吐しながら。…そして倒れ…痙攣しながら………悶死。
「薬物を疑いましたが、そういう類のものは検出できませんでした。」
でもこれ……自殺なのかッ!? こんなの聞いたこともない!! …こんな尋常でない死に方…!!!
これを怪死と言わなくてなんと言う…? こんな死に方……この五年間の死で、…一番祟りらしいじゃないか…! それもまるで、祟りなんかないと力説した富竹さんと、俺に見せ付けるような…!!
「他にもいくつか不審な点があります。体内分泌物、発汗、脱毛等から、富竹さんはお亡くなりになる直前、極度の興奮状態だったようなのです。」
「そりゃそうですよ…。冷静な状態で自分の喉を搔き毟るなんて考えらんないです…。」
「手の傷と付近に落ちていた角材が一致しました。…周囲の木やガードレールに叩いた跡。周囲に散乱する富竹さんの血痕…。………つまりですね、」
富竹さんは喉を搔き毟り血塗れになりながらも、角材を片手にそれを振り回していたということだ。
「また、体からは本人によらない外傷がいくつか発見されました。…富竹さんは何者かに暴行を受けた可能性があるということです。外傷の部位から見て、複数犯の可能性もあります。」
……まとめるとこうだ。
富竹さんはあの夜、おそらく祭りからの帰り。何者かに取り囲まれ、襲われた。そして夜道を興奮状態で逃げ惑い、とうとう逃げ切れなくなり、落ちていた角材を拾い抵抗を試みたのだ…。
その最中、何かが起こった。そして富竹さんは錯乱しながら自分の喉を搔き毟り始めたのだ。…ガリガリと!!
「そして……絶命した…。」
「死亡推定時刻は二十一時から二十三時頃のようです。つまり…お祭りで前原さんが富竹さんとお話しして別れてからすぐの出来事なんですよ。」
みんなで富竹さんのシャツに寄せ書きを書いて…お別れして……。…すぐ……。
そう言えば…富竹さんは女の人と一緒だったはずだ。…彼女は!?
「行方不明です。出勤もしていませんし、昨夜は自宅にも帰っていません。…事件に巻きこまれた可能性が極めて高いようです。」
しばらくの間、俺は放心するしかない。
身近な人の不幸が、これほど鮮烈なものだとは思いもしなかった…。
俺と富竹さんの共にした時間は呆れるくらいわずかかもしれない。……だが、同じ祭りで、同じ時間を過ごし、同じゲームで競った。…仲間だ。
「我々もあらゆる面から捜査を進めますが、村人たちはオヤシロさまの祟りの話になるととにかく口が重くなる…。」
…それはよくわかる。…俺自身、富竹さんという村人でない人間に聞かされるまで何も知らなかったくらいなのだから…。
「…だから、俺なんですか? 俺が雛見沢の人間じゃないから。」
それが俺から話を聞こうとした理由なら憤慨すべきもののはずだ…。
俺は雛見沢に早く馴染みたいと願っている。だからこの男が俺を狙って訪れてきたなら、それはとても悔しいことのはず…。……だが、今はそういう感情にはなれなかった。
「このままでは、富竹ジロウさんはオヤシロさまの祟りで死んだことになってしまいます。」
男は視線を俺から外し、遠くを見つめた。
「……綿流しの晩、神聖な儀式の時、無神経にカメラをばしゃばしゃやってたものだから、オヤシロさまの怒りに触れた、…そういう話になってしまうんですよ。」
「と、富竹さんにオヤシロさまのバチが当たるわけがない…! あの人は確かに住んでるのは東京かもしれないけど、雛見沢をとても好きでした。村人にも馴染んでいました。そんな彼に、こんなこと、あるわけがない…! 富竹さんを殺したのは人間の、それも卑劣な連中です。…祟りなんかのせいにされてうやむやにされて…たまるか…!」
「私もそう思います。バチも祟りもあるわけがない!!」
シンとした緊迫の中、…やがて男はにっこりと笑って語気を緩めた。
「つまりそういうことですよ前原さん。……祟りを信じていない雛見沢の方の協力が不可欠なのです。わかりますね?」
富竹さんも俺も、祟りなんか信じない。…だが、このままでは富竹さんの死は五年目の祟りとして上乗せされてしまうだけだ。それは、富竹さんを雛見沢が拒絶したことを認めることになる。それだけは…許せない。
富竹さんは俺たちの仲間だ。雛見沢に住んでこそいないけど、毎年毎年訪れている、…ある意味、俺なんかよりもずっと雛見沢の人間と言える。
その富竹さんに…オヤシロさまの祟りなんか、あるわけがない…!
「でも、…俺に協力できることなんか何もないですよ。あの晩のことは何も知らないし…。」
「いえいえ、何か気になるものを見たり、聞いたりしたら教えて下さればいいんです。」
見たり聞いたり? 未来形だ。
「モノでもヒトでもウワサでも。何でも結構です。不確かなもので構いませんから。……これ、私の電話番号です。不在でしたら出た者に伝言して下されば結構です。」
電話番号の書かれたメモを渡されたが、一瞬、受け取るのに躊躇した。
これを受け取れば…否応なく俺は当事者になる。
「富竹さんの無念を晴らすためにどうか、ご協力をお願いしたいのです。」
そうだ。…俺は何を躊躇する? …仲間を殺した犯人を…見つけなきゃ!
力強くメモを毟り取ると、男は満足そうに笑ってから一気に表情を険しくした。
「今日ここでした話は全て内緒です。絶対に他言無用でお願いします。」
「わかりました。」
「お友達にも内緒です。特に、園崎魅音さんや古手梨花さんには絶対に知られないようにして下さい。」
「な、なんでだよ! ……あいつらが事件に関係あるっていうのかよ!?」
急に身近な仲間の名前を出され、しかもその仲間には内緒にしろと言われ、俺はとっさに憤慨してしまう。
「…う〜ん、捜査上の都合、ということなんです。」
「煙に巻くなよ! 魅音たちは俺の大切な仲間だぞ!!」
食って掛かるが男は特に気に留める様子もない。
「言ってもいいですが……気を悪くしないで下さいね?」
「言えよ!!」
男は少し躊躇した。目線を車外へ向け、少し思案してから口を開く。
「雛見沢で起こった一連の事件は、村ぐるみで引き起こされている可能性があるのです。」
「…………そ、…そんなことあるわけないじゃないか!! バカも休み休み言え!! 第一、そんな証拠はあるのかよ!?」
「証拠はありません。しかも過去の事件は個々に解決し、いずれの犯人も村とは直接関係ありませんでしたしね。」
「じゃあどう考えたらそんな考えに至るんだよ!!?」
「毎年、綿流しの日に村の仇敵が死ぬ!! それだけで充分に疑えると思いませんか?」
綿流しの日に神聖性を感じるのは雛見沢の人間だけだ。……つまり、その日のみに事件が起こるのは「雛見沢と関係」があるからだ…???
「初めはダム工事の作業員! そして次にダムを推進した村人! 村の仇敵は次々に怪死しました。過程はともかく、結果はそうなのです。」
理不尽な証拠なき疑惑だ。……だが、それを一笑に付すことは難しかった。
「じゃあ…、次に死んだ神主や、その次に死んだ主婦はどうです!? 別に村の敵だったわけじゃない…!!」
「神主はダム騒動当時、リーダーシップを期待されながらも、積極的な働きがなかったため、一部の村人から失望、反感を買っていました。」
「反感があったにしたって……別に村に害を与えたわけじゃないだろ!? その次の主婦なんかどうだよ! 推進した男の弟夫婦だったってだけの理由だろ!? もっと殺される理由が薄いじゃないか!! そして富竹さんに至ってはどうだよ!! ダム工事とは関係すらないじゃないか!!! ただよそ者だ、ってだけの理由だぞッ!?」
初めこそダム工事関係者に偏っていたかもしれないが、後年になればなるほど、犠牲者の「敵対度」は希薄になっていく。
「…それがね、怖いんですよ。徐々に希薄になって行くのが。」
「何がだよ…!」
「つまり、村の敵でなく、よそ者だというだけの理由で犠牲になりつつあるんですよ。」
「じゃあ…来年の被害者は…『村のよそ者』から選ばれるっていうのか!?」
「あるいは引っ越してきたばかりの人かもしれません。」
「それってどういう……、」
言葉を飲みこんだ。この雛見沢で…今一番のよそ者がいるとしたら……それは…うちだ。
俺自身がいい証拠じゃないか。…未だすれ違う人々の名前も充分にわかってない……。
じゃあ……次の犠牲者は……うち、………俺だって言うのか…ッ!?
「でも…それと魅音とどう関係があるんだよ!?」
「詳しくは申し上げられませんが、園崎さん一家はダム騒動時の抵抗運動の旗頭だったのです。それも過激なね。例えば園崎魅音さんについても同様です。抵抗運動時、いくつかの軽犯罪と公務執行妨害で補導歴があります。」
魅音が「戦った」ことは知っている。…だが一家が抵抗運動のリーダー格なのは初めて知った。……じゃあつまり…どういうことだ…、
「…魅音の一家が……一連の事件に関係しているとでも言うのかよ?」
「そうまでは言いません。……もしもそうだったら、一番確率が高い、それだけのことなんです。」
よくわからない説明だった。俺の、本当に知りたい部分はさっきから見事にはぐらかされている気がする…。
「誰が一体どれだけ関わっているのか、まったくわかりません。……だからこそ、村人に口外してほしくないのです。」
俺は露骨に渋い顔をして返事の代わりとした。…それは充分に伝わったようだった。
「じゃあこう考えましょう。…祟りを盲信する村人の皆さんに心配させたくないから内緒。……そういうことでどうです?」
何がそういうことだとどうなのか、さっぱりわからない。ただ、迂闊に口外すべきでないことなのは理解に難しくなかった。
犯人はどこかにいる。それは祟りとは無縁だ。そしてそいつはきっと警察が逮捕して、然るべき報いを与えるだろう。…そしてその過程はみんなには関係のないことだ。
祟りに過敏になっているみんなに…余計な心配をかけることなどないのかもしれない。
「……みんなが俺に心配させないために内緒にしてくれたように。……今度は俺がみんなに心配させないために内緒にする番、てことなのか…?」
独り言だった。
俺と違い、毎年起こる怪事件に不安を募らせてきたみんなにとっては、今度の事件が意味するところは大きいだろうな…。なら、みんなの心に…余計な負担をかけたくない…。
結局、男の言う通りに事が進んだのが面白くなかったが、仕方なかった…。
「わかりました。俺だけの秘密にします。それでいいですよね、…えぇと……名前、」
「興宮署の大石と申します。なんなら蔵ちゃんでもいいですよ?」
「あ、いや、大石さんでいいです…。」
いやらしい喋り方のくせに妙に敬語な、いかにもスケベ親父な感じの刑事だ。…俺の知るどんなドラマにもこんなデカはいないぞ…。
「…時間を取らせ過ぎました。お友達を待たせていますよね? もう戻った方がいいでしょう。」
がちゃりと扉を開けると、茹だるような熱気がぶわっと入り込んできた。
車の外は凄まじい熱気だ。今日はこんなにも暑い日だったんだっけ…?
機械的な涼しさの車内とは対照的に、意地悪するような暑さ…。まるで、雛見沢という土地に急に嫌われたような、…そんな悲しい錯覚がした。
「お友達を疑え、と言ったわけではありませんからね。誤解しないで下さいよ。」
今更勝手なことを言うな、と思ったが口には出さない。
「前原さんが何も見つけず、何も聞きもしなかったとしても、それで充分なのです。……それは村が関わっていないという証拠になるのですから。」
「見たり聞いたりしたら連絡しますけど。……俺は探偵じゃないですからね。へんな期待、しないで下さいよ。」
「しませんしません! 探偵になんかならなくていいですよ。今までのように自然に生活して下さい。その中で見聞きしたことを教えてくだされば結構なんです。」
俺は大石さんに一礼すると校舎へと足早に戻って行った。
「またお会いしましょう、前原さぁん!」
俺は振り向きもせず校舎に戻った。
部活は終わる
どのくらい時間を潰してしまったかわからない。
みんなを待たせてしまって悪いという気持ちもあったが、今の頭の中は他のことでいっぱいだった。
……富竹さんの死だけでも充分に大変なことなのに……それが村ぐるみの可能性がある? しかも……それに魅音が関わっている可能性もあるだって??
馬鹿馬鹿しい…。魅音やレナや沙都子や梨花ちゃんに限って、あるわけがない。
富竹さんを襲った犯人は複数? 一体誰が犯人なんだろう。…そして…その犯人は雛見沢に潜んでいるんだろうか…? ……わからない。
…確かに言えることは、魅音に限って犯人ということはありえないということだ。あんな快活なヤツがどうして人殺しなんか、
「魅ぃちゃんだよ!! 犯人はッ!!」
え、………レナの声に一瞬、ぎょっとする。
「凶器は『ロープ』で、犯行現場は……う〜ん……『ラウンジ』!!!」
「わっはっはっはッ!! ハッズレ〜〜!!!!」
「はぅうううぅう!! またハズレたああぁぁ!!!」
頭を抱えてのたうち回るレナ。……派手に自爆したようだな。
「あぁあー!! 圭一さん、遅かったですわねぇえぇ!!! ぷんぷんでございますのことよ!?」
「あ、あぁごめんごめん…。ちょっと先生に職員室呼ばれてさ…。」
「素行が悪くて怒られましたですか? …かわいそかわいそです。」
「ま、こっちも白熱してて圭ちゃんのことなんかころっと忘れてたしねぇ! まぁ、今日はもういい時間だから次で最後のゲームにしよう。」
「おいおい…。俺の今の持ち点って…確か零点だろ…。…ビリ確定じゃないのかよ?」
「だ、大丈夫だよ圭一くん。……レナ、マイナス一点。………はぅ…。」
「なんだそりゃ! ゲームに参加してなかった俺より点数が低いぞ…!」
「罰ゲームはレナがひとりでか、圭ちゃんと二人でかを決める最終戦!!」
「冗談じゃねぇぞ。罰ゲームはレナひとりでやってくれ!」
「……圭一くんと…二人で勝とうって約束したのに……ずーっと待ってたんだよ? …だよ?」
「……ぅ……そりゃ俺が悪いな…。」
俺は当初の取り決め通り、レナにカードを公開するが、犯人がわかっても答えず、レナがあがるのを黙って待った。…レナが勝とうが俺が勝とうが、レナは罰ゲームから逃れられないのだが、そうなってしまった責任は俺にもある。…今日は腹を括ろう。
「わかったよ!! 犯人は『私』! 凶器は『毒物』で犯行現場は『玄関ホール』!! どうかな!? どうかな!?」
「おーおーレナ、回答早いじゃ〜ん? また当てずっぽうじゃないのぅ? ……お。」
「……みー。レナの正解なのです。」
「をーっほっほっほ!! じゃあこれで圭一さんも仲良く罰ゲーム決定ですわねぇ!!」
「やったぁああぁ!! 圭一くん、一緒にがんばろうねぇ☆」
「あ、あぁ、一緒にがんばろうな…ははは…。」
「ではゲームセット!! トップは私、園崎魅音!! ビリは前原圭一と竜宮レナ!!」
みんなが拍手してゲーム終了だ。……問題は…罰ゲームだよな…。
「じゃあ、使いっぱしりの刑の買って来るものはトップの私が決めようかねぇ!」
「…な、何を買いに行かされるんだろ? …だろ?」
「薬局は禁じ手にしような。図星だろ!?」
「はぁ? 薬屋なんかに用ないよ。おじさんが買って欲しいものはね、このメモに書いてあるから〜!」
「わぁ……いっぱい書いてあるよ…。」
い、いっぱい!? 畜生、一体何を買わされるんだよ!?
「…豆腐二丁。シャンプーとリンス。みりんに油揚げ。何だこりゃ。」
「罰ゲームってより…お買い物に見えるでございますわねぇ…。」
「……今日の魅ぃは勝つ気満々でしたです。」
「会則第七条!! 罰ゲームの内容に逆らわな〜い!!! はい、お金。シャンプーはうち、果物物語だからね。よろしくぅ!」
「こ、これ、お前が頼まれたお使いだろぉおおぉ! 罰ゲームに使うなー!!」
俺は今度こそ勝ったなら、魅音に痔の薬を買わせようと誓うのだった…。
犯人は四人以上?
大石の姿は休憩室の脇に設けられた喫煙スペースにあった。鑑識の老人も一緒だ。
「自分で喉を搔き破った出血性ショック死。爪の間に肉や皮がびっしり詰まっとった。他人の爪じゃない。間違いなく本人の爪じゃわい。傷の形も一致する。」
「えぇえぇ。直接死因が自殺ってのはわかってますよ。」
「わかっとるわい。人為的にこういう症状が起こせんかと言っとるんだろう?」
大石は、富竹の特異な死に方に何かの鍵があると睨んでいた。だが調べれば調べるほどに不可解さが募っていくのである…。
「背中が痒くて搔きすぎて、血が出ちゃうのとはちょっと訳がちがいますからねぇ。」
富竹氏の指には爪が剝がれたものもある。
爪自体はわりと簡単に剝がれる。だがとても痛い。だから普通は剝がれるような無茶はしない。
そして、富竹氏の遺体に残る数々のアザ。…形状その他から素手の暴行によるもの、それも複数人に囲まれてであることは明白だ。
「分泌物から見て、仏は極度の興奮状態にあったのは間違いないのう。」
「では乱闘になって、興奮のあまり自分の喉を引っ搔きだしたってことですか? 襲った連中、さぞや度肝を抜かれたでしょうなぁ。」
確かに異常な環境で異常に興奮した人間は、健常者には考えられない行動を取ることはありえる。無論、極めて稀有なケースだが。
「実はな、大石。仏が武器にしたらしい角材な。砂粒とかガードレールの塗装片とかそんなのしか出んかったぞい。」
「ホシの服の繊維とか、皮膚片とかは?」
「出んかった。仏は犯人を殴っとらん。…あるいは殴った角材を、ホシが持ち去ったのかもしれんの。」
「なら、わざわざ角材なんて置いてきませんよ。全部持ってっちゃいます。」
「かっかっかっか! それもそうじゃのう。」
「富竹氏は結構、体格もいいし肌も焼けてるし。…スポーツマンですよねぇ。」
「ん? そうだな。よく運動しとるようだの。筋肉の付き方はなかなかのもんじゃ。」
…生前に何のスポーツを嗜んでいたか想像はつかないが、身体能力は高い方だと思う。つまり、乱闘では決してひけを取らないはずなのだ。
これだけ体格のいい男が、身に危険が迫って、死に物狂いで武器を振り回して。それが犯人にかすりもしないなんて、ちょっと普通では考えられない。
しかも相手は素手。こっちは角材なんだから、一回くらいは殴れたと思うのだが…。にもかかわらず、角材からは不審な付着物は一切出なかった。
「こんだけ体格のいい相手を取り囲んで襲おうとしたら、…何人くらいいりますかねぇ。」
「あほぅ。それは大石の方が得意だろうが。悪タレ時代を思い出さんかい!」
「なっはっはっは…。そうだなぁ…。私が彼と喧嘩するなら何人ほしいかなぁ。…確かに富竹さん、なかなか大柄で一対一じゃ相当梃子摺るだろうなぁ。」
群が時に大型獣を倒すように、多人数で襲うのは狩りの鉄則だ。
……四人くらいはほしい。多少の体格差があってもこれだけいればなんとかなる。
「だとすると、結構犯人は多人数だの。祭りで泥酔した四人以上のグループが怪しいとなるかの?」
………四人以上のグループ。
しかし…それだけの人数がいれば、遺体をもっと目に付きにくいところに隠せなかっただろうか? あるいは…瀕死の状態で監禁されていたのをなんとか抜け出してきたのか…。だとしたら自殺する理由がわからない。それ以上に、あの異常な死に方の理由がわからない……。謎だらけだ。
「こっちもそこは重視しとる。徹底的に調べるつもりだが…あまり期待できんな。何しろ、過去にこんな例はないんだからな。一般的な薬物反応はどれも空振りしたので、県警本部に分析に出させとるが、それでも何も出んかもしれんの。何しろ、怪しげな薬は星の数ほどある。特に、漢方系や天然生薬の類は非常に厄介じゃ。ソ連の暗殺機関が使う毒物や、中国伝来の毒物なんかは既存の方法では検出不可能とも言われとるしのう。……早い話が、お手上げの可能性が高いっちゅうこっちゃ。」
「期待はしませんよ。ですが県警本部の分析結果を楽しみにしてます。」
「大石さん〜! 課長が呼んでるっすー!」
「すみません、ではまた来年お会いしましょう。」
「おう。良いお年をの!」