ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編
第五回 6月15日(水)
竜騎士07 Illustration/ともひ
ゼロ年代の金字塔『ひぐらしのなく頃に』の小説が、驚愕のオールカラーイラストでついに星海社文庫化! ここに日本文学の“新たな名作”が誕生する!「鬼隠し編 (上)」を『最前線』にて全文公開!
6月15日(水)
俺が昨日、レナの家に行ったことがわかるとすぐにその話題になった。……あのインパクトの強い家は、やはり雛見沢中で有名だったらしい。
「あははは! どうだった圭ちゃん!」
「レナさんの家に行ったでございますの? をほほほ、凄かったでございましょ〜!?」
「…あははは…そんなことないよね…? ね?」
竜宮家はうちみたいな新築ではなく、すでに建っていた家を改修したものらしかった。ま、家はいい。問題は庭だった。
そこには……庭いっぱいに…未知のオブジェが並んでいたのだ!!
それはみんなケンタくん同様、町を歩けばどこかで見かけるようなものばかりだった。
ケーキ屋さんの店頭のペロちゃん人形。薬局前のケロモン人形。デパートの屋上につきものの空飛ぶゾウさんまでッ!! その圧倒的な光景を見て、俺はようやくレナの非凡なる美的感覚とお持ち帰り魂の真骨頂を理解するのだった…。
オブジェに見える俺は多分、マシな方だろう。…見えない人には粗大ゴミの集積場にしか見えないに違いない…。
「その他諸々は百歩譲ってかぁいいことにしてもいい! だが郵便ポストまでかぁいいかぁ!? それにあーゆうのってマズいんじゃないのか!?!?」
「…だって……はぅ……かぁいいんだもん…☆ はぅ〜!」
「デカけりゃいいのか! デカけりゃ!!」
「はぅ、そんなことないよぅ、小ちゃいのも大好きだよぅ、はぅ〜☆ もちろん、大きいのはもっと好きぃ、はぅはぅはぅ〜☆」
「なぁレナ。ニューヨークに自由の女神ってあるだろ。…あれ、かぁいいか?」
「……うん、かぁいいよ……はぅ……ほしぃよぅ……。」
合衆国政府は早急に対策を練るべきだろう。このままでは遠くない未来、雛見沢に本当に自由の女神がやって来てしまう…。
「…お待たせしましたです。」
梨花ちゃんが戻ってきた。先生に用があるとか言って職員室に呼ばれていたのだ。
「職員室に呼ばれるなんて面白くないよな。何かイタズラでもしたのか?」
「失礼な! 梨花は圭一さんのような不良とは違うでございますのことよ!」
沙都子が憤慨する。つくづく梨花ちゃんと沙都子は仲良しだよなぁ。勝手に感服し、沙都子の頭をわしわし撫でてやる。
「あはは。違うよ圭一くん。梨花ちゃんはお祭りの実行委員さんなの。」
「祭り? 学校の文化祭かなんかの?」
「圭ちゃん圭ちゃん、この前言ったじゃん。村祭りだよ。綿流しのお祭り。」
「あぁ、そう言えば今度の休みに神社でお祭りがあるって言っていたな。んで、そのワタナガシって何なんだ? 灯籠流しみたいなもんか?」
「最後に沢に流すってとこだけは同じかな。」
「傷んで使えなくなったお布団とかどてらとかにね、ご苦労さまって感謝して供養しながら沢に流すお祭りなの。」
レナと魅音が口頭で色々説明してくれるが、見たことのない俺にはなかなかイメージができない。
雛見沢中の住人が集まって布団やどてらを沢に積み上げる……???
流れが堰止められて大変だな…。そこに魚でも放してつかみ取り大会でもするのだろうか。…串刺しにして塩を振って…お、うまそうな匂いがしてきた…!!
「それじゃあサマーキャンプですわ! 圭一さんて意外に想像力貧困でございますのね〜。」
「な、な! なんで俺が下らん想像をしたことがわかったッ!?」
「……みー。表情に出てましたのです。」
今の想像が伝わる表情って一体どんなのだよ…!?
レナがこんなカオだよ、と言って再現してくれる。…………なるほど。納得。
「はははは! まぁそんなに面白いものじゃないけどさ。楽しみにしてりゃいいじゃん。」
「みんなで行こ。当日は迎えに行くからね!」
お祭りなんて誰かと誘い合ってじゃないと行く気がしないからな。それにこのメンバーなら退屈はしまい。
「退屈どころか! 今年もやるよッ!!」
魅音が全員をぐるりと見回しそう宣言した。…一体何が始まるってんだ? …魅音の様子から見るに…おそらく…、
「我が部の夏の風物詩ッ!! 綿流祭四凶爆闘!!」
「セ、センスねぇーッ!! なんだよそのネーミングは!!」
「…レ、レナはかぁいい名前だと…思ぅけどなぁ……。」
鋭く却下しようと思ったが、レナは取り敢えず幸せそうなので無理に否定しないでおく。
「……圭一もいますから、今年は五凶爆闘になりますです。」
「で、この仰々しいネーミングの部活動とお祭りがどう結び付くんだ?」
「をっほっほ! 日頃部活動で培った実力をご披露するのでございますわ!」
「その通り! 日々の厳しい試練を乗り越えた精鋭中の最精鋭たる我々の実力を…!!」
「でも去年は村長さんに怒られたし…。今年は迷惑をかけないようにしないとね…。」
「……つまり露店巡りをしながら部活動をするわけです。」
例によって梨花ちゃんだけが的を射た説明をしてくれる。
なるほど、俺たちのあの騒がしさを祭り会場で「発表」するわけか。そりゃあ、レナの言う通り、村長さんにも怒られるだろうなぁ!
「あはは…! でもとっても楽しいんだよ!」
その点に関してだけは疑いようもない。俺の仲間たちは遊ぶことや楽しむことについては天才的だ。転校してきての数日間でそれはもう実証されている。
都会にいた頃は祭りなんて興味なかったし、模擬店がちょっと並ぶ程度のもの以上の認識はなかった。だから心待ちにしたことも一度もない。……でも、みんなと行く雛見沢の祭りは、それとはまったく異なるだろう。
祭りの日はもう、すぐそこだった。
大貧民と罰ゲーム
「じゃ、それはそれとして。今日も始めようかね! 異議はぁ!?」
梨花ちゃんが戻ってくるのを待ってたのは、例によって放課後の「部活」のためだ。なので全員が揃ったことを確認すると魅音が威勢のいい声をあげてくれた。
「「「な〜〜しッ!!」」」
俺たちの声が綺麗にハモる。
「やっぱり人数が多いときはトランプが一番の王道だよねぇ! まさにこれぞテーブルゲームのベーシック!」
「ってことは、またガン牌トランプか!?」
「うぅん、今日は新品。傷はないから本当に条件は互角!」
「ほ、本当でございましょうねぇ! そのカード、改めさせてもらいますわぁ!」
む、沙都子の言うのも道理だな。学年上は後輩に当たっても、部活においては俺の先輩だ。その沙都子の慎重さは多分正しい! 念の為と、みんなでカードを改める。
「うん。これなら大丈夫だよ!」
「みんな納得した? じゃあ今日はね……『大貧民』にしよっか。五人て人数もいい感じでしょ!」
ほほぅ、大貧民とはなぁ! トランプのスタンダードなゲームのひとつだ。手札を全てなくしたヤツがあがり、なんてのは今さら説明不要なくらいの有名人気ゲームだ。
基本は、前に出されたカードより強いカードを出して行く。連番や二枚出し、革命等様々なテクがありゲーム性を増している。ただ、知名度の高いゲームなだけに地方差やローカルルールが多数存在するらしい。
例えば名称。俺の住んでた街では「大富豪」と呼んでいた。
さっそく沙都子から学んだ慎重さを発揮し、ゲーム開始前にその辺りを確認しておくことにする。
「…一応、細部を確認しとくぜ。ジョーカーはオールマイティーか? 3は三枚でも革命可能か?」
「ジョーカーはなし。2が最強。革命返しは有り。3でも四枚なきゃ革命不可。」
「あとね、ゲーム開始時に貧民がいいカードを上納するってルールがあるでしょ? あれはなしなの。」
「……圭一、だいぶ手馴れた感じがしますのです。」
「そ、そうですわね。…大貧民、だいぶお得意なんじゃございませんこと…?」
俺の手馴れたルール確認に梨花ちゃんと沙都子が警戒の眼差しを向ける…。
もう少し素人っぽく振舞うべきだったかもしれない。俺はこのゲームには多少慣れている! 大貧民で、しかもカードは新品。今日なら…勝てるかもしれない!!
さて、ルールはだいたいわかったが。…これだけじゃあるまい?
「で、今日の罰ゲームは何でございますの!?」
「それなんだけどさ、みんなで何枚かメモに書いて箱にでも入れて、敗者に一枚を引かせるってのはどうかな!」
「お、そりゃあなかなか面白そうだな!」
「をっほっほっほ! ではドギツ〜イのを書いて圭一さんに引かせてやりますわぁ!」
「あ、あんまりひどいのを書くと、自分で引いたとき大変だよ。」
レナの言うのももっともだ。とんでもない罰ゲームを書けば、万が一の時、自分が引くはめにもなるだろう。……でも、だからといって手加減をしようなんてヤツがこの場にいようはずもない!
「へへ、どんなドギツイのがあろうとも、負けなきゃいいってんだろ!?」
「わかってるじゃありませんの! をっほっほ!!」
魅音がメモ用紙を数枚ずつみんなに配る。
「じゃ適当に書いてこのカバンの中に入れてー。負けた人はこの中に手を突っ込んで一枚引くってことで。」
さて、罰ゲームは何がいいだろう。さっきは威勢よくドギツイのを書いてやるぜと息巻いたが、レナの言う通り、下手をすりゃ自分が引くはめになる。……あまり過激な内容は自分の首を絞めるよな…。
「……何もなし、って書くのは禁じ手にしましょうです。」
梨花ちゃんのさりげない提案に魅音がぎくっ! と手を止める。
「あぁあぁあ!! 魅音さん卑怯ですわぁ!! 『何もなし』って書いて角を折ってあるじゃございませんの〜!!!」
「はぅ、魅ぃちゃん、ずるーい!」
「へへ、えっへっへっへっへ…。」
な、なるほど。万が一自分が負けた時には「角の折ってあるメモ」を引き当てれば安全ってわけか。…うまい保険だな。さすがは魅音、部長を名乗るだけのことはあるぜ…!
しかし、それを看破する梨花ちゃんも侮れないな。存在感が薄いからと言って甘くは見られない!
「みんな…あ、あんまり意地悪な罰ゲームはやめようね…?」
このレナの提案には誰も賛同しない。……みんな非情だ。
「大丈夫だよレナ。負けなきゃあいいんだからな!!」
「…う、うん。そうだね。よし! 頑張ってレナの罰ゲームをみんなに引かせるぞぅ!」
気弱そうなわりに容赦のないレナのことだ。……あまり舐めてかからない方がいいな。
「同感ですわ…。特に『レナの罰ゲーム』ってのがとっても気になるでございますわ…!」
「……誰の罰ゲームでも怖いです。」
「そういう梨花ちゃんの罰ゲームこそ得体が知れないぜ!」
「つまり。このゲームには負けられないってわけ!! ご一同、覚悟はいいね!?」
皆、覚悟を決め、強く頷く。それを魅音が確認し、罰ゲームのメモをカバンに集めた。
……いよいよ…開戦だッ!!!
…よしよし、まずは軽快な滑り出し。
様々なカードが次々と場に出されていく。魅音は言うに及ばず、沙都子も梨花ちゃんもカードの切れは冴える。やや長考気味なのは俺とレナだ。
レナの場合は純粋に悩んでいるだけのようだが…俺は違う! 獲物を狙うサメの心持ちでじっと牙を伏せる。
「あれ? これ通るのかよ? じゃあ3出してあがりだぜ!」
「9! いらっしゃいませんの!? 8! 7! あがりですわよッ!!」
「……5と5。あがりますです。」
「じゃあ最後の一枚を捨てて、あがりね!」
「ち…! おじさんが機を逸すとは…ッ!!!」
なんと! 初戦で敗北を喫したのは魅音だった! そして俺は確信する。
…今日なら…俺は勝てるッ!!!
「じゃあじゃあ! 魅ぃちゃん、この中から一枚引いてね〜!」
意気揚々とレナが罰ゲームの詰まったカバンを魅音に突き出す。魅音は照れ笑いを浮かべ、頭をぽりぽりと搔きながら、その中に手を突っ込んで一枚を取り出した。
…そして、その内容を目にした途端、絶叫してわなわなと震えだす。
「……だッ!? 誰これ!? 書いたヤツだれぇえぇえ!?」
「…えぇと、どんなの? どんなの? ……………えぇッ!?」
覗き込んだレナも驚く。…一体どんなヤバいのが書いてあるってんだ!?
〝校長先生の頭をなでる〟
なんだこりゃ。…魅音とレナの狼狽ぶりについていけない。
「…ちょっと待て。これがどうヤバいんだ?」
「圭一さんは気付きませんの!? 校長先生はハゲ頭を恥ずかしがってますの!!」
「確かに校長先生の頭はいい感じで光っちまってるが。…だからってあの驚きようは大袈裟だろ。」
「……校長先生は武道の達人なのです。」
「若い頃は世界を修行して回って、武術の奥義を極めきったと豪語してますのよ!? 素手で熊を倒したことがあるとか聞いたことがございましてよ!」
「戦後の日本の教育の乱れを憂えて教育者に転向したんだって…。」
な、何だか妙な雲行きになってきたぞ。…そいつの頭を撫でろってのか…?
「ぶ、部長の私が模範を示さないわけには行かないね…。ふぅ。…………………うりゃああぁぁああッ!!」
気合いの雄叫びと共に、魅音は廊下へ駆け出して行った。
「なぁ、静かにこっそり行って、穏便に済ます方が有利じゃないのか?」
「多分無理だよ…。だって気配でアメフラシが探せるって言ってたし。」
それはもはや人間の領域じゃねぇぞ…。
どっがぁあぁあぁんッ!!! その時、教室を揺るがす轟音!!
「……校長の渾身の一撃なのですよ、にぱ〜。」
梨花ちゃんだけが、にぱ〜と笑うが、俺やレナは魅音が救急車の世話にならずに無事帰ってこれるかで心配だ…。
とりあえず、この学校に不良がひとりもいない理由がよくわかった。……あんな一撃、生徒指導の度に食らってたら、命がいくつあっても足りないぜ…。
しばらくの沈黙の後、よたよたとした足取りで魅音が戻ってきた。
「……撫でた。……これで……いい…!?」
そう言って魅音がドサリと倒れこむ。
沙都子と梨花ちゃんが近付き、介抱するのかと思いきや、首筋や手首に手を当て脈を測りだす。
「取りあえず生きてますわね。ゲーム続行は可能でございますわぁ!!」
「……お……鬼……。」
そーゆう部活にした部長がよく言う。
「でもでも! これで一番おっかない罰ゲームはなくなったね! ね!?」
気を取り直して笑うレナに魅音が憎々しげな笑みを向ける。
「もぉ手加減しないからねぇ!!! あんたたちにも思い知らせてやろうじゃーん!!」
今の第一戦で、この大貧民がのんびりのどかなトランプゲームでないことは完全に立証された。……これは本物の戦争と同じだ。わずかの油断とちょっとした罰ゲームの巡り合わせで命すら落としかねないッ!!
となれば、場が一気に熱気を帯びるのは必定だ! ゲームの回転が異様に速くなった。ゲームがヒートアップしているのがわかる。
「A! 3・4・5!! あっがりぃ!!」
「…これでボクもあがりますです。」
「へへ! 俺もあがらせてもらうぜ!」
「3!! これであがりですの!!」
「ひぅ!! ま、負けちゃったよぅうぅうぅう……!?」
…そして天は敗者にレナを選んだ。
「ど……どんな罰ゲームだろ…どんな罰ゲームだろ…!」
レナが不安がるのも無理はあるまい…。初っ端の魅音の罰ゲームの難度を思えば俺だって震える…。そして…震えながら引き当てた罰ゲームの内容は!!!
………なんだそりゃ。
〝メイドさん口調でしゃべる〟
「ぇえ!? な、なにこれー!?!? …これって…どうすればいいのかな、かな!?」
「…ってことはつまり…そういう口調でしゃべれ、ということではございませんの…?」
「は…はぅ……。…はい…ご主人様ぁ…。」
くら! と来る俺。…全国平均の日本男児として、一度は可愛い女の子にそう言わせてみたいものだ。えぇい、隠すな君だって一度は思ったことあるだろ!? そうさ俺もさ!!
…しかし、誰が書いた罰ゲームか知らんがそいつ最高だッ、うおおおおお!!!
「じゃ、じゃあレナ、カード集めて…みんなに配ってくれるかな…??」
「は、はい…ご主人様ぁ……。」
鼻の奥に熱いものが込み上げる。どうも俺、鼻血が出たらしい。…あぁ俺、今すぐ死んでもいいや♪!!
「と、とととにかくゲームを続行しよう!!! なぁレナ!!」
「…はいご主人様ぁ…。」
あぁ、レナの語尾にご主人様と付けさせたくて、むやみやたらとレナに話しかけてしまう自分の素直さがかわいくてしょうがない。
「うりゃ!! もう負けないよ! あがりぃ!」
「私も絶対負けられないでございますのよ!!」
「…あがりましたです。」
「ならこれで俺も……あがりだぁあぁあッ!!!!」
「そ、そんなあぁああ!! またレナの負けでございますかぁ!?」
ま、またレナか…! 一体今度はどんな罰ゲームが…!?
不思議な期待感に胸が躍る。……期待? いや、これは確信だッ!!
〝上下一枚ずつ脱衣。〟
ぶぷッ。もう片方の鼻の穴からも熱い鮮血がほとばしるのを感じた。
「そ、そそそそりゃまずいだろッ!?!? 誰だよこんなの書いたのッ!?」
俺は真っ赤になりながらいきり立つ。取りあえず何か叫んでないと動揺が隠しきれない!!
あぁ誰だよこんなの書いたの!! 神様、そいつにノーベル賞を渡してくれ!!
「きっとノーベルすけべぇ賞ですわね。」
い、いかんいかん! また表情で胸の内を語ってしまったぜ。
「……はぅ………ぅ………魅ぃちゃん……。」
レナが目を潤ませながら魅音に助けを乞うが…、非情の部活の部長、園崎魅音の答えは決まっている。
「ハイハイ! 甘えない甘えない!! 負けたら潔〜くッ!!」
「…わ、わかりましたご主人様…。…………はぅ……ぬ…脱ぎます…。」
「え、えぇ!?!? いやそのあの、マジっすか!? うえぇええぇ!?」
いやそのマジかよ本当かよ!? 誰かがやめさせるだろうとキョロキョロするが、誰もレナを止めようとしない!?
やがて衣擦れの音がして……スカートが床に落ちる音に俺の心臓がどきんと高鳴る!
「こ、これで…よろしいでしょうか…ご………ご主人様ぁ…。」
紳士的に顔を背ける俺。…で、でも部活は…ひ、非情だもんな…! それにどの道、対戦中は向かい合うしかないんだしな、…だだ、だから俺は仕方なく見るんだぞ! 決して邪な気持ちで見るんじゃないからなー!!
「あ、………な、なんだ……あははは……は。」
「圭一さん、何を期待してますの〜!? 下に体操服着てなかったらさすがに脱げませんわぁ!!」
…レナは制服の下に体操服を着ていたのだ。…期待する姿と大きく違い、俺のこの世の終わりのようにがっかりしているのが、不覚にも言葉の端からにじみ出ていた…。
「くっくっく! 圭ちゃんもやるねぇ〜!! こっちの方向で攻めてくるとはおじさん、予想もつかなかったわぁ。」
「ちちち…ちッ違うぞ魅音、誤解だ!! これは俺が書いたんじゃない!!」
「ご、…ご主人様が書いたんじゃないんですかぁ…?」
レナが赤面しながらもじもじとこちらを見る。
…う、体操服なんて体育の時間に見慣れてるからどうってことないつもりだったが、……なんていうのか、…脱いだら体操服だったという前置詞が付くと…、何かこう、…あぁ! ぐっと来るものが感じられるッ!?
「……圭一の頭から湯気がぷしゅーでにやにや笑ってて気持ち悪いのですよ?」
「う、うぇへへへへ梨花ちゃん、それは誤解だぜ、俺は極めて冷静だぜだぜだぜ、ぷしゅーーー。」
「はぅ、ご主人様、そんな目で見ないでくださいぃぃぃ…。」
ふんぬぐおおおお!! レナの恥ずかしがる仕草がいちいちクリティカルヒットする! お、おちつけ前原圭一…!! 多分、この罰ゲームは魅音辺りが書いて俺のパニックを狙ったつもりなのだッ!! 敵のワナと知ってわざわざ踊るな前原圭一!!! 心頭滅却! 冷静になって今の状況を分析しろ……!!!
俺は頭のコンピューターをフル回転させ状況判断に努めた。…そして出た答えは非常に単純だった。
「ぉ……俺は勝ぁああぁあぁあつッッ!!!!!」
そう、俺が勝ち続ける限りこの夢のユートピアミレニアムハーレムヘブンは永久に続くのだ!! そんなにも簡単なことで、たかだか部活メンバー四人に勝ち続けるだけで、この夢が終わらずに済むなんてッ!?
……そして俺は神になった。
「…ひぇ!? 何でこんなにカード運が悪いでございますのー!?!?」
「くくくくく! 沙都子の負けだな。罰ゲームカードを引くぞ。そりゃ来たぁッ!! 〝妹口調でしゃべる〟!!!」
「ぅぅう!! …はい、お兄ちゃん…。…くぅぅ!!」
くぅうぅうう!!! 生意気ッ子を屈服させるこの快感!!
「くわぁ! …またおじさんの負けぇ!? おっかしいなぁッ!」
「ほほぅ、魅音の負けか。では引くぞぅ!? うひょぅ! 〝女子スクール水着に着替える〟!!!」
「のぉおぉおぉ!! そいつは圭ちゃんに引かせたかったぁあ!!」
くううぅうう!!! 魅音の嘆きは蜜の味よのぉぉお〜ッ!!!
「えっぇぇ!? ご、ご主人様ぁ…ま、また負けちゃいましたぁ…!!」
「レナの負けだな。引くぞ。 〝一位にひざまくら〟!! もちろん一位は俺だぁあああぁ!!」
「……は、はぅ……この格好でですか…ご主人様ぁ……。」
くぅおおぉおぉ!! スカート穿いてないから生ひざまくらだあああッ!!!
「きゃ!! お兄ちゃん…強過ぎですの………くすん。」
「おうおう、また沙都子の負けだな。引くぞ。 〝一位にご奉仕〟!! そうだのぉ、肩でも揉んでもらおっかなぁあぁ!?!?」
「は、はいお兄ちゃん…。くうううぅ、悔しいぃいぃ!!」
「ほぅらもっと奥まで! 爪立てんじゃねーぞぉぉおお! ぎゃっはっはっは〜♪!!」
すでに悪の皇帝と化した俺はこれ以上ないくらいに絶好調! 今の俺なら眼力ひとつでカードを操り、念ずるだけで次に引くカードの絵柄まで決められる…そんな気分だッ!!
…気がつけば、そこはすでにハーレム状態。俺はブルマーメイドと化したレナのひざまくらで高笑い。沙都子は首輪付きで妹属性化。魅音はスクール水着で羽団扇を扇いでいる。
「はぅ……きょ、今日はご主人様は、圧勝でございますね…。…きゃふ! あんまり頭をごろごろしないで下さいましぃ…。」
あぁ、最初は直視できなかったはずのレナの恥ずかしい姿も、今の俺は当然のものとして見ることができる…。なぜなら俺は神だからだー!!
あぁ、俺は思う。…どうして人間の欲望には終点がないのか。これだけのドリーム御殿状態でこれ以上、何を望むッ!?!? にもかかわらず、まだ求めてしまうのだ! それは、まだ俺のハーレムに加わることを頑なに拒んでいる人間が一人いるからだー!
「……みー? どうしましたですか圭一。」
「どうして人の欲望には限りがないのか…憂えていたのさ。」
そう。梨花ちゃんは一位こそ取らないものの、さっきからのらりくらりとビリを回避し続けている。
「……圭一は欲張りさんですよ。足るを知るといいのです。」
「ふっふっふ、充分理解してるよ。……なんてゆーのかな。もう死んでもいいってカンジ♪♪♪」
「きゃふ! ご主人様ぁ…あんまりごろごろしないで……きゃふ…!」
「……死んでもいい、ですね。なら、その願いをボクがかなえて差し上げますのです。」
「ほぉう…?」
あまりに穏やかに、いつものようににこやかに言う。…だがそれは紛れもなく、梨花ちゃんの宣戦布告だった…!
「いいぞ梨花ちゃん!! やっちゃえーー!!!」
「このどすけべ大魔王をやっつけておしまいですわ〜!!!!」
「……ボクでは勝てないかもしれませんですが、それでも一矢報いますのです。」
「ほほぅ? 梨花ちゃんにしちゃなかなか言うじゃないか。今のこの俺に勝てるとでも…?」
だが認めてやろう。沙都子の陰にやや埋もれがちなこの少女の精一杯の克己! それを受けて立たないのは失礼というものだ。…相手になってやるぞ小娘ぇえぇええッ!!!!
さてさて、どんな足搔きを見せて、どんな罰ゲームを以って我がハーレムに加わってくれるというのか!
ゲーム中盤、魅音が数枚のカードを梨花ちゃんとすり替えているのを見抜くが、俺は知らないフリをする。……その程度で今の圭一さまが敗れると思うのかぁあああ!! その程度のことは取るにも足らない。これぞ王者の貫禄なのだ!!
「…2です。A・A・Aです。……8・8・8・8。革命しますです。」
梨花ちゃんがみんなから集めた強力な切り札の数々で畳み掛ける! 序盤に惜しげもなく強力カードを束で使い、さらに革命でひっくり返しカードの優劣を逆さにする! 見事な連続攻撃だ。さすがにこれでは手も足も出ないだろうとばかりに、みんなが一斉に、自信たっぷりそうに俺を振り返る。
「……くっくっく! 四人揃って共同戦線を張って…この程度か…笑止千万ッ!!! 愚か者どもめ身の程を知るがいいッ!! ………有りだったよな。革命返しだぁああぁあぁああッ!!!」
「んなッ!? そんな馬鹿なことがあるわけ……ッ!?!?」
沙都子が絶望的な嘆きを漏らす! ……くっくっく! うつけ者めッ!!! そのそんな馬鹿なが今、目の前で起こったのだー!! くっくっく、革命を前提にカードを切っていた梨花ちゃんにはもう強力なカードは残っていまいッ!!
梨花ちゃんの手札は、革命後の流れを摑むために弱いカードだけが集められている。つまり、その革命が潰された今、それらのカードには何の価値もない!
だから、呆気ないくらい一瞬で勝負は決着した。
「……ボクの…負けです…。」
梨花ちゃんが大量に抱え込んだ屑カードを手から取り落としながら俯く。……ふふふ、くっくっくっく、
「がっはっはっは!!! ついに我が軍門に下ったり古手梨花ぁッ!!! さぁさぁ、罰ゲームのメモ一枚引くぞ!? 来い来い素敵な罰ゲームよ我が導きに応えよぉおお! をぉおお!?!?」
〝猫耳・鈴付き首輪・しっぽ装備〟
「くっくっく!! もはや罰ゲームまでが俺の意のままに現れるわッ!!! これは素晴らしい、素晴らしい罰ゲームだ、ぐわっはっはっは!!」
「……み、……みー…。」
梨花ちゃんはうな垂れながら諦め、猫耳、首輪、しっぽの三種の神器を装備する。そんなものがどうして魅音のロッカーに入っているのか疑問だが異論はないので突っ込まない。
「をお!! こ、これは!! ……はぅ〜〜!! 俺までレナ化した気分だ…! こりゃあ確かに…か、かぁいい……♪♪♪」
「かぁいいよねぇ?? ねぇ!? ……はぅ……お持ち帰り……☆」
これは俺のセリフじゃない。本家レナのセリフだ。両鼻から鼻血をぼたぼたと零しながら、今すぐにでも拉致監禁しようと両手をわきわきさせている…。
しかし、今の俺ならその気持ちはよくわかる…。あああぁ、俺もレナになりきって、梨花ちゃんをお持ち帰りしちゃおうかなぁぁああぁ、げへげへ!!
「……みぃ…。」
梨花ちゃんが涙目で泣き真似をした時、レナの両耳からぽん! と音がして輪っか状の煙があがる。…それでもなお残っていた、レナの最後のリミッターが外れる音だった。
「は、…はううううぅううぅ!! りり、梨花ちゃん、お持ち帰りお持ち帰りぃいぃ!!☆」
「そ…そうか…その手が残ってたか…ッ!!」
レナの異常な様子を見て、魅音がぽんと手を打つ。
「……みー。…レナがどうしてもって言うなら……ボクはお持ち帰りされてしまうのです。」
「をっほっほっほ、でもそれは、レナさんに圭一さんが倒せたらですわぁあぁああぁッ!!!」
「はぁ? くっくっく、はーっはっはっは!! なるほどなぁ!? かぁいいモードのレナなら俺を倒せると踏んだわけか! だがそううまく行くかな!?!? 俺への反逆は神への反逆だッ!! 身のほどを思い知らせてくれようぞ!!! レナなど返り討ちに……ひッ!?」
威勢のいい俺の買い言葉は、みっともない悲鳴と共に飲み込まれてしまう。
…レナに一瞬、何が起こっているのかわからなかった。
なんと、レナの両手を五十二枚のカードがうねり、踊り、まるで手品師のカードさばきのように自由自在に駆け巡っているのだッ!!! そのカードのうねりの渦中でレナが恍惚とした表情で頭をぐるんぐるんと回している…!!
「や…ややややろやろ圭一くん……早くぅ早くぅッ!! 圭一くんをやっつけて、レナが梨花ちゃんをお持ち帰りするんだよ〜〜ぅ!! はぅはぅはぅはぅうううぅ!!!」
…俺の全身から、血の気と運気がザーッと潮が引く音を立てながら引いていくのがわかる…。俺は体全体で理解した。……俺は、負ける。
「出ない!? 出ないの圭ちゃん!? ……ならこれで…あっがりぃ!!!」
レナの圧倒的な運気に吸い寄せられ、俺の手札は見事にゴミばかり…。運気の流れが完全に逆になったことをこれ以上ない形で思い知りつつ、俺は完全敗北した…。
悪の限りを尽くした俺の敗北を受け、みんなが一斉に大歓声をあげる。
「ふっ、悔いはないさ……。神さま、短い夢をサンキューな…。」
「さぁ! 引くでございますよ、圭一さんの罰ゲーム!! どれがよろしいかしら、ゴソゴソ! …これですわ!!」
みんなが一斉にそれを覗き込み、文面と俺の顔を交互に見比べる。
「今日一日、はしゃがせてもらったからな。…なんでもやってやるぜ。で、内容はなんだ?」
「全部。」
「は?」
〝今まで出た罰ゲーム全部〟
「なッ、……なんだそりゃぁあぁあぁあぁッ!?!?!?」
「圭一さん、言葉遣いが弟属性になっていませんでしてよ!?」
「ぅう! ……はいお姉ちゃん。……くぅううぅ!!!」
「ふわぁあ…☆ こ、これは病み付きになるでございますわぁ! あと肩も揉んでもらいますわよ!!」
「圭一くん、ひざまくらはいいから…レナにも、ね?」
「うぐぐぅ…、は、はいご主人様ぁ……。」
「は、はぅ…! 圭一くん、そ…それ……すごくかぁいい…!! もも、もっと言って!? もっと言ってッ!?」
「あぁん、もうお許し下さいご主人様ぁ〜…!!」
はぅ〜〜! と叫びながら、レナは鼻血を噴き出して悶絶する。もう俺のプライドなんか一山百円状態だ。
「次はおじさんだねぇ! まずはの〜んびりと団扇で扇いでもらおうかなぁ!?」
ばっさばっさ!!!
「…あ、そうか。これも着ないと駄目だよねぇ? スクール水着☆」
「ぇ、ええ!?!? それ女子用だろッ!? 俺は男子用でいいんじゃないのかぁ!?」
「ここにちゃんと〝女子スクール水着に着替える〟と明記してございますわぁあッ!!!!」
「だだ、だって!? 誰のスクール水着を着るんだよ!? やだろ!? 俺なんかに着られたら!!!」
「あ、おじさん、そーゆうのはぜぇんぜん気にしないからぁ☆ いいじゃん役得でさぁ! 私、スタイルすっごく悪いからぁ圭ちゃんでも着れないことないと思うよ!!」
執行人たちが両手をわきわきとさせながら俺を取り囲む。
じょじょ、冗談じゃない!! 男の俺が女用の水着を着せられるなんて末代までの恥だぁあぁあ!! だが部活メンバーに慈悲の心なんてあるわけない!!
「ぎゃぎゃ…ぎゃああぁあぁあぁあぁああッ!!!」
第一感想。…胴回りがキツイ。第二感想。胸だけはわりとラク…。第三感想。股間が………はぅ。
「あははは〜圭一くん、前屈みだぁぁ……かぁいいかぁいいッ!!」
「……あとこれに猫耳と首輪としっぽを付けて完成しますのです。」
「圭ちゃん、鏡見る? ……いやマジ凄いって。多分見といた方がいい。」
魅音の面白がる表情に混じる科学者的な冷静さがすごくイヤだ。見たらきっと俺の目が潰れちまうだろう…。
「え、…遠慮しますご主人様……。」
「ほほほ! これで出来上がりですわね!! このままの格好で下校するってのもあれば良かったですのにぃ! をーっほっほっほ、残念ですわぁ!!」
「じゃ…も、もういいか? 着替えてさ…。」
そう言って肩紐に手をかけた俺の背後に音もなく梨花ちゃんが立つ。
「……まだです圭一。…一番最初にやった罰ゲームが残ってますですよ?」
「え? あと何が残ってたよ…? ……うぇ、」
梨花ちゃんが満面の笑みで突きつけた罰ゲームのメモには、……今日の大貧民の一番最初に引き当てられた罰ゲームが書かれていた…。
〝校長先生の頭をなでる〟
「………この格好で、…か?」
「にぱ〜☆」
梨花ちゃんは黙って俺の頭を撫でてくれた…。
「ぅ押忍ッ!! 失礼します!!」
「うむ。入りたまえ。」
ガラリと引き戸を豪快に引き開け、俺は校長室に躍りこむ。首輪のちりんという音が無意味に可愛らしかった。
その俺の姿を見て、校長は笑顔のまま表情を硬直させていた。……無理もないだろう。俺が逆の立場でもそうなるに違いない。
だがこれは俺が狙った作戦でもある。何しろ校長は武道の達人だという。どんな奇策を以ってしてもその頭には触れられまい! となれば、精神的な隙を生み出しその一瞬に賭けて真っ向勝負しかない!
そう、つまりこれこそは擬態・カモフラージュの原点と言えるのだ。人間は相手を見て「それは人間だ」と認識して初めて行動に移れる! つまり、目の前に現れたものが何か理解できなければ、理解できるまでの一瞬は完全な空白時間となるわけだ…!!!
校長め、この俺の服装が何なのか理解できまい!! あぁそうさ俺だって何でこんなスゲエ格好してるのか理解できないさ!! だがそのインパクトが与える一瞬の空白時間、それが俺の唯一の……勝機ッ!!!!
「校長ぉぉおおおおぉおおおッ!!! その頭もらったぁああぁあッ!!!!!」
ピタリ。え…?
それは宙に舞い上がって空中より校長に襲い掛かる俺の額に、校長が左手の人差し指を当てた音。……じゃなくて、宙より襲い掛かる俺を、指一本で止めた音…!?
校長は一言俺に言った。
「漢とはなんぞや…?」
そして一心拍の間………。
ごおぉおぉおおおぉおん……ッ!!
黄昏の雛見沢に轟音が響き渡るのだった……。
考え過ぎ
あの後の罰ゲームで、レナは梨花ちゃんの頭を好きなだけなでなでできる権利を獲得したので、ほくほくしながら梨花ちゃんたちと下校していった。
なので今日はまた魅音と二人での下校だ。
「いやぁ…白熱したねぇ! 圭ちゃんがあんなに大貧民が強いとは思わなかった!」
「いや、俺自身が一番驚いてるよ。でも、あの大負けのせいでちっとも強かったと思えねぇぞー。」
「あーれは古今稀に見る強烈なヤツだったねぇ! くーっくっくっく!」
「いや…、ひっでえ目にあった。…あんな姿で担架で運ばれた日にゃ末代までの恥だぜ。」
「あっはは! でもいいじゃーん? 七代は自慢できるくらいイイ目も見たんだしぃ!?」
はぅ。それを言われると弱い。二人で笑い合う。
こうして下校しながら今日を振り返るなら、それはものすごく充実して楽しい時間だったと断言できるのだから。
この頃には、俺はもうすっかり、魅音の「部活」の虜になっていた。レナや沙都子に梨花ちゃんたちと過ごす部活の楽しさは、いつだって俺の人生の最高の思い出を塗り替えてくれるのだ。
「おや、また会ったね。圭一くん。」
突然、自分の名を呼ばれて驚く。
振り返ると、そこには折り畳み自転車にまたがる富竹さんの姿があった。
俺が挨拶を返すより早く魅音が挨拶する。その雰囲気から親しい面識があるように見えた。
「ありゃ、富竹のおじさまじゃないですのー。どうです? いい写真は撮れてますー?」
「ま、そこそこにね! ……んで、」
富竹さんが急に俺の肩を引き寄せボソボソ声でしゃべる。
「しかし圭一くんも隅に置けないなぁ。今日はこの間とは違う彼女かい!?」
「そ、そーゆんじゃないですよぉ!」
「とぼけないとぼけない! 若いうちは経験が大事なんだからなぁ〜! いやぁ羨ましい羨ましい!」
富竹さんなりに小声で気を遣っているつもりらしいが、身近にいる魅音には全て筒抜けで何の意味もない!
「ありゃあ、それを言ったら富竹のおじさまだってなかなか隅に置けないって噂ですけどぉ?」
「え!? あ、あははは! 嫌だなぁ、そりゃ僕と誰のことかな? はは、ははは!」
「くっくっく! プロポーズはいつなんですぅ? というかそのカメラのフィルム! 何枚が彼女を収めているんだか〜!」
「からかわないでくれよ! なは、なっはっはっはっは…!」
苦笑いをしながら頭を搔く富竹さん。…人のことをからかうわりには、自分にも気になる女性がいるという風な感じだ。
魅音はしばらくの間、それをネタに、男ならガツーンと! みたいな話をしてからかうのだった。
「んで、おじさまは今年は? 綿流しまで滞在ですか?」
「うん、そのつもりだよ。お祭りを一通り撮影したらまた東京に戻るつもりさ。」
「やれやれ、カメラマンってヤツぁ本当に気楽な商売ですことぉ! 早くでっかい賞を獲って有名になって下さいよねぇ! 婚期逃してまで写真撮影に熱中してるんだからぁ!」
「そ、そんなことはないと思うな! 男は三十路から味が出るんだよ…?」
「ミソから味が出てどーすんですかぁバッチイなぁ!」
「ん、あ、あはははは! おっと、そろそろ宿に戻らないと暗くなっちゃうなぁ!」
富竹さんは苦笑いしながら、そろそろ話を切り上げてその場を去りたいようだ。どうも魅音には全然頭が上がらないらしい。
「じゃあお二人とも。お祭りでまた会おうね!」
富竹さんは陽気に手を振るとひぐらしの声の中に消えて行った…。
「あんな調子で本当に有名になれんのかねぇ。個展開いたら私の写真、展示してもらう約束になってんだけど〜、こりゃ当分実現しそうにないかねぇ。」
「魅音は富竹さんのこと知ってるんだ。」
「ん、知り合いっていうか、ほら、ここじゃよそ者はすぐわかっちゃうからね。」
「昨日今日会ったばかりという感じじゃなかったな。」
「富竹さんはね、季節の風景や野鳥を撮影してるんだとかで、季節ごとにマメに雛見沢に通ってるんだよ。だから、遭遇率はレアだけど、顔と名前は村中に知られてるんだよ。まぁ、あんな感じでユニークなお人だからねぇ! いい歳しててからかい甲斐があるし! 一昨年だったかな!? 秋頃にさ〜!」
住んでいるのは東京らしいが、だいぶちょくちょく雛見沢に現れるので、村人にとってはだいぶ知名度の高い人らしい。
それだけに、富竹さんに関わるエピソードも少なくないらしく、魅音はそれらを回想しては、面白そうに語るのだった。
そんな魅音が口にする富竹さんはずいぶんユニークなイメージだ。
…俺の中での富竹さんは、……もう少しミステリアスだ。…バラバラ殺人とか、…「それは警告かい?」とか、……何と言うか。
その心の中の言葉が、そのまま口から出た。
「……富竹さんって本当に野鳥撮影で来てるのかな?」
魅音がきょとんとした顔で、なんで? と聞き返す。
「なんかこう…撮影以外の目的で来てるような…さ。…そんな気がしないか?」
例えば……例の…バラバラ殺人の何かを……。そう言おうとしたら魅音がポンと手を打って笑い出した。
「へぇ!? やっぱりそう思う? ……だとしたらいい勘してるよ圭ちゃ〜ん!」
「何だよ、何か知ってるのかよ魅音…。」
「まぁねぇ〜! 他のみんなはひょっとすると気付いてないかもしれないけど……このおじさんの目は誤魔化せないしねぇ〜…☆」
魅音はやたらともったいぶったが、その答えが俺の想像する方向とはまったく違うことは容易に想像できた。
魅音が言うには、村のある女性に心を寄せているらしく、そのために通い詰めているのが本当の雛見沢来訪の理由らしく、写真はその方便に過ぎないという。
それから魅音は、富竹さんのことをよく知らない俺のために色々なことを教えてくれた。
彼がカメラマンとしては三流であること。煮え切らない奥手な男で、相手の女性にいい感じで尻に敷かれていること。でも基本的にいい人で子供たちと一緒に遊んだり写真を撮ってくれたりすることもあるという。
そのイメージは非常にのどかで、俺が彼に対して持っていた妙なイメージは勘違いであることを認めなければならなかった。
「そうなのか…。いやごめん。俺、富竹さんって人をちょっと勘違いしてたよ。」
「へー? どう勘違いしてたの?」
「いやさ、何と言うかミステリアスな感じと言うか…。だからてっきり探偵とかスパイとかそういう感じの、」
「探偵!? スパイぃ!? あっははははははは、そりゃあどっちも富竹のおじさまに一番向きそうも無い職業だねぇ、あっはっはっは!」
愚直で疑うことを知らぬお人好し。それが富竹さんなのだ。魅音にこうして笑われていると、俺も何だってそんな妙な勘違いをしてしまったのか恥ずかしくなる。だから魅音と一緒に俺も笑い、その勘違いを吹き飛ばすことにした。
そうして、富竹さんに対する勘違いが消えると、急に肩が楽になった。
俺は雛見沢の、夕暮れの空気がこんなにも澄んでいたことをやっと思い出す。
「………ッ、はあぁあぁああぁぁ〜!!」
肺の空気を全て吐き出し、同じだけ思いきり吸いこむ。黄昏の匂いがした。
「どしたの圭ちゃん。」
「ひぐらしの声ってさ。こんなにも気持ちいいものだったんだな、って。」
「あはははは! 圭ちゃん、何を今更。」
どちらからともなく。もう一度二人そろって軽く笑い合う。
涼しい風と徐々に朱を混じらせていく空の色。…そして、ちょっぴりの儚さを感じさせるひぐらしの美しい大合唱。
ようやく俺は先日から心の中に居座っていた、もやもやした気持ちを吹き飛ばせるのだった。
「レナは今頃どうしてるかな。梨花ちゃんを思う存分可愛がれたのかな。」
「今頃は夕食を振舞うから遊びにおいでって誘っている真っ最中だと思うよ。」
「はは、うまく持ち帰れるといいな。」
「どうだろうねぇ。梨花ちゃんってあれでなかなかうまいから!」
「あぁ、それは同感だ。可愛い優等生に見えて、あれでなかなか狸だよなぁ! 頭を撫でる罰ゲーム、あれきっと梨花ちゃんだぜ。」
「私も同感〜! 校長先生が頭を撫でさせてくれるのは梨花ちゃんだけだしね!」
とりとめのないおしゃべり。
夕方の空気とひぐらしの声が、熱かった今日一日の熱をやさしく冷ましてくれた。