ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編
第四回 6月14日(火)
竜騎士07 Illustration/ともひ
ゼロ年代の金字塔『ひぐらしのなく頃に』の小説が、驚愕のオールカラーイラストでついに星海社文庫化! ここに日本文学の“新たな名作”が誕生する!「鬼隠し編 (上)」を『最前線』にて全文公開!
6月14日(火)
この学校は、学校として機能しているのか本当に怪しい。中でも体育の時間はめちゃくちゃだ。
みんなで一緒にやったのは最初の準備体操だけ。その後は先生すらいない。みんなてんで勝手に遊び始めている。
「ほ、本当にこんなのが体育の時間でいいのか…。仮にも授業中なんだろ…。」
「仕方ないじゃん。年齢も性別もバラバラだしさー。」
「一応ね、体育の時間は校庭で体を動かすのだけが決まりなの。」
みんなが体操服に着替えているという外見以外は、昼休みの校庭と何も変わらないように見えた。
…まぁ確かに、雛見沢の子たちは軟弱な都会っ子とは基礎体力が違う。わざわざ体育の授業など受けなくても、充分に鍛えられているのかもしれない。
「……やれやれ。きっと、教育委員会はこの学校を見落としてるんだろうなぁ。」
「何よ。んじゃ圭ちゃんにだけ特別メニューで体育授業ってことにしてあげよっかぁ? くっくっくっく!」
魅音がにやにやと笑う。じょ、冗談じゃねぇ。魅音の特別メニューなんてきっと、どこかの海兵隊の訓練キャンプみたいなのに決まってる!
「……お待たせしましたです。」
「さぁてご一同様。今日の体育は何をいたしましょう!?」
前の授業の片付けで着替えが遅れていた梨花ちゃんと沙都子が合流した。これで仲間五人は勢揃いだ。
「おっしゃ。これでいつものメンバー全員集合だな。」
「さて魅ぃちゃん、今日はいったいどんな体育をやるのかな? やるのかな?」
…ふぅむ、と魅音が偉そうに腕組みして周囲を見渡す。
「瞬発力と持久力。スポーツの世界においては仲間などいない。全てがライバル! 信じられるのは己の肉体のみ!」
「何だそりゃ。漫画の読みすぎだろ。」
「ってわけで温故知新! 古いながらも全ての要素を詰め込んだ屋外乱戦の王様、『鬼ごっこ』で行こう!」
すごい前振りのわりにはなんとも可愛らしいお遊戯が出てきたものだ。
「望むところですわー!!! のろまな圭一さんはイの一番に鬼ですのー!」
「……ボクだって負けませんです。」
「レナもがんばるもん! 今日は負けないぞー!!」
「…何でお前ら、そんなにやる気満々なんだよ…。」
「会則第三条ッ!! ゲームは絶対に楽しく参加しなければならない!!!」
「じゃ、これ、部活なのかよ!?」
みんなが不敵に顔を見合わせる。
のんびりと日頃の運動不足を解消…、なんてのはどうやら甘えた考えだったらしい。どうやらこいつは…、再び「部活」ってヤツになっちまうようだ。
昨日はトランプで勝負したが、今日は肉体で勝負する。……なるほど、優劣が競えるなら種目は本当に何でもござれなんだな。…どうやら俺は、とんでもない部に引き込まれちまったみたいだぜ…。
しかし、みんな大した自信だ。俺は仮にも男だぞ。身体能力的に同世代の女子に後れを取るとは思わない。にもかかわらず、魅音や沙都子は勝てるつもりでいるし、レナは俺の不利を憐れんでいる。
「…上等だぜ。鬼ごっこ、乗ってやらぁあぁああぁ!!!」
ルールはこうだ。
授業終了のチャイムまで逃げきれた者が勝者。ただし鬼の交代はない。鬼に触られた者もまた鬼となるのだ。結果、鬼はどんどん増殖していく。終盤は鬼の方の人数が多くなり、阿鼻叫喚の包囲戦となるだろう。
「ここいらではこの遊びのこと、『ゾンビ鬼』って呼んでるけどね。」
「なるほど。食われたヤツがゾンビ化して増殖するからな。」
「…なんでそんな怖いこと、言うんだろ。…だろ?」
「レナを捕まえたら、生きたままお腹を食い破ってやるからなぁ…!!」
「…や、やや、やだよ圭一くん、そんなのや…!」
梨花ちゃんがあたふたとするレナの頭に、ぽんと手を載せた。
「……大丈夫です。圭一に食われる前にボクがやさしく食べてあげますですよ。にぱ〜☆」
「梨花、それは全然慰めになってませんわ。」
沙都子のもっともらしい突っ込みに、俺も激しく同意する。
「んで魅音、最初の鬼…ゾンビはどうやって決める? ジャンケンか?」
「一応授業時間だからね。問題で決めよう。問題を出すから答えられなかった人がゾンビ!」
どこがどう授業なのか全然わからん。
「『六』は英語で!?」
はぁ? 突然、妙なことを聞かれた。……六は英語で? 妙なトンチクイズでないなら、こんなの小学生にだってわかるぜ。
「シックスだッ!!」
「圭ちゃんOK! なら『靴下』は!?」
「ソックスだね!」
「レナOK! アルファベットの後ろから三つ目!」
「……エックスなのです。」
「梨花ちゃんもOK! では『性別』は英語で!?」
「もちろんわかりますわ〜!! セッ……、」
沙都子が答えきろうとしてぐっと言葉を飲みこんだ。…なるほど。実に嫌らしい…、というか下世話な問題だな。
「沙都子は大人だもんねぇ〜? 知らないわけはないよねぇ??」
「…し、知ってますもの…! 知ってるもん…!!」
「じゃあ言ってごらんよ。『アレ』だよ『アレ』。『アレ』は英語で〜!?!?」
沙都子に卑猥な単語を口走らせようと追い詰める魅音。……魅音って黙ってりゃそこそこ可愛い子なのになー。何でこう下品なネタとか得意なんだろーなー。
逆に、普段は生意気盛りの沙都子は、答えはわかりつつも恥ずかしくて口にできずわたわたしている。…その様子にぷるぷると身悶えして鼻血を垂らすレナ。
「…はぅ……沙都子ちゃん困ってる、……かぁいいよぅ〜!」
「も、持ち帰るなよ。犯罪だからな。」
「さぁさぁさあ言ってごらんよ大声で!! 『アレ』は英語で何と言う〜!?!?」
「知ってるもん…!! 知ってるもん!!! ……セッ、」
「…ザットですよ。〝that〟。」
「え? ……あら?」
梨花ちゃんの意外な解答にきょとんとする俺たち。
そうだ。『アレ』は英語でザットだ。……ハメられた!!
…俺が沙都子の立場だったらどうしたろう。…逆ギレしてもろにその「単語」を叫んでいたのだろうか…。敵に迴すと恐ろし過ぎるぜ園崎魅音! 女に生まれてよかったよな。お前、男だったらただのセクハラ野郎だよ…。
「し、…仕方ありませんわね。…不肖、この北条沙都子が最初のゾンビ役を務めさせてもらいますわ。……みんな食い殺してやりますわよーッ!!! 最初はどうしますの? 百数えればいいんですの!?」
「百数えるのはズルするヤツがいるからな。俺の問題が解けたら追ってよし。」
「…わ、圭一くん、簡単なのにしてあげてね…。」
「安心しろ、レナ。沙都子だってわかる簡単な算数の問題さ。五分の一のケーキと六分の一のケーキと七分の一のケーキを一皿に載せました。」
「うが!! ぶ、分母が違いますの…!?!?」
沙都子が慌てふためき、棒で地面に分数とケーキの絵を描き始める。
「ケーキ一個を六十秒で食べられる沙都子がそれを全部食べると、お皿にはケーキがいくつ残っているでしょう?」
「ハイ、その問題が解けたらゾンビは行動開始ね! よーーいどんッ!!!!」
魅音の合図に、沙都子をその場に残し全員が方々へ駆け出して行った。
「クスクス……圭一くん、それ算数じゃないよね?」
同じ方向に逃げながら、レナがくすくすと笑いかけてきた。
その通り。こいつは算数でも分母が違う計算でも何でもない。悩んだ時点で沙都子の負けだ。何しろ、全部食べたんだから、お皿にはケーキがゼロ個!
レナとも別れ、魅音も梨花ちゃんもみんな、それぞれ思い思いの方向へ散っていく。
どこへどう逃げたものかと思案する俺に比べると、他の仲間たちははっきりと逃走経路を頭に描けているようだ。…何しろ校内の地形については熟知してるんだろうからな。……地の利の分、俺がみんなよりも劣っていることは明白だった。
こういう場合、サバイバル能力に長けていそうな、例えば魅音辺りについていくのは有効な手だったように思う。だが、魅音はとっくにどこかへ逃げ去ってしまいその姿は見えない。……くそ、ゲーム開始時にそれに気付けなかったのは痛かったな。
ちらりと校庭をうかがうと、沙都子が今まさに立ち上がり行動を開始するところだった。
怒ってる怒ってる。くっくっく! 考えるだけ無駄な問題だったと今頃気付いたらしい。…こんなまぬけな問題に引っ掛かりおって、可愛いヤツめ!
さぁて、どう逃げる!?
現在のポジションは校舎角だ。二方向に長い視界を得られその接近を素早く察知できる。有事の際にはかなり早いレスポンスで行動することが可能だろう。
まず呼吸を整え、昨日さっそく鍛えられた部活的な思考に切り替える。
…冷静に考えろ前原圭一…。俺が鬼ならどうする? ゾンビ鬼の最大の特徴はゾンビが増殖する点。つまり仲間を増やすのが勝利への近道ってことになる。…ならばまずは弱いヤツから狙うのが定石。………つまり、俺だ!
「さぁて圭一さんはどこでございましょう!? 逃がしませんことよ〜!!!」
…当然だろうな。沙都子は露骨に俺狙いを宣言すると、どこに隠れたやらと周りをきょろきょろうかがい始める。
だが俺を優先して探すにはどうする? 足跡とか匂いとか…何かの痕跡とか。
それを巧みに隠すことができれば…沙都子の追跡はかわせる!
だが警察じゃあるまいし。たかが鬼ごっこでそれは可能なのだろうか?
「富田さん〜岡村さん〜! 圭一さんを見かけなかったではございませんこと!?」
なッ、なんだそりゃああぁあぁああッ!? 最近のゾンビは獲物の逃げた先を聞きこみ調査するのかよ!?!?
富田くんと岡村くんは素直に俺が潜伏するこの場所を指差している。沙都子がこちらへ駆け出すのを確認すると同時に、俺はこの場所を放棄した…!
とにかくこうなるとかなり厄介だ! 俺はゾンビだけでなく、このゲームに参加していない他のクラスメートの目からも逃れなきゃならなくなる! でも、好き勝手にはしゃぎまわる子供たちから完全に隠れきるのは簡単なことではない。俺に地の利がないことによる不利はますます明白…!
ならば…情報戦で挑んできたゾンビに対し、こちらも情報戦で対抗してやる…!!
俺は物陰に潜みながら、すぐそこでボール遊びをしている女の子たちを手招きで呼び寄せた。
「すまんが伝言を頼まれてくれんか。北条沙都子にご両親が校門に来てるぞ、ってな。」
「伝言伝言あはははは〜〜!! いいよいいよ!」
「待てまだ行くな! あと園崎魅音にもだ。先生が校門のところで呼んでるぞって伝えてくれ。」
「沙都子ちゃんと委員長に? あははは、伝言伝言〜!!」
女の子たちは伝言遊びだと思い、きゃっきゃと騒ぎながら駆け出していった。
くくく、我ながら狡猾…! うまくかかれば沙都子と魅音は校門で鉢合わせだ!!
下手をすれば魅音は捕まり、鬼が増え、結果的には俺にも不利になるだろう。だがそこは魅音のこと。うまく立ち回って逃げ切るであろう。…だが、それでいいのだ。時間が稼げるならば…!! このゲームに勝ち残るには、授業の終わりまで逃げ切ればいいのだから。
くっくっく、踊れ魅音に沙都子!! 俺の手の平でなぁあぁあぁああ!!!
悪代官気分を満喫すると、取りあえずこの隙に、自分の隠れられる場所を探すことにする。
…しかし、冷静に考えれば稼げる時間はわずかでしかない。……それどころか、やがてはしっぺ返しが来るのだ…!
この伝言による情報戦は俺だけの専売特許じゃない。踊らされた沙都子も、同じ手を使って俺を追い詰めようとするだろう。
つまり、沙都子も他のクラスメートを伝言者に仕立て、一緒に俺を探させるわけだ。それは同時に…ゲーム参加者以上のゾンビが大量発生することを意味するッ!!
……お、俺のいたずら心が生んだわずかなウィルスが大発生の大感染…。クラスメートが次々とゾンビ化し……しかも俺だけを探して徘徊する!
……この作戦、…かえって自分の首を絞めたかもしれんな…。俺はやがて起こるバイオハザードに戦慄しながら隠れ家を探した。
「……お、物置の上って結構、死角っぽいよな…!」
校舎裏の焼却炉脇に物置を見つけ、屋根によじ登ると身を伏せ、息を殺した。…ふむ、なかなかいい潜伏場所だ!
鬼ごっこというのは結局、隠れんぼにも通じる。鬼から逃げる前段階として、そもそも鬼に見付からないというのが重要な戦術となるのだから。
ここは実に悪くない籠城場所だった。屋根の上に伏せているので簡単には見付からない。それでいて周囲の視界は良好な上、万が一の際には好きな方向に飛び降りて緊急脱出が可能! なかなかの砦じゃないか…、くっくっく!
下が慌ただしくなった。物置の下をクラスメートの下級生たちが走り回っている。
「いないね前原さん。そっちいた?」
「いない〜。前原さんどこだろ。お父さんが校門に来てるのにね。」
絶対ウソだ。校門という俺と同じキーワードに復讐性を感じる。下手人は魅音か沙都子か…!
しかし、俺の一手早い対応の勝利だった。まさかこんなところで息を潜めているとは夢にも思わず、みんなはウロウロと探し回っている。後輩諸君には申し訳ないがチャイムまでたっぷり探しまわってもらおう。
俺はにやにや笑いながら、下で困った顔をしている彼らを見下ろす。
「ねぇねぇ、圭一さん知らないー? お母さんが急病で大変なんだってー!」
「前原さんに伝言だよ。家が火事だから急いで校門に来い! って。」
「前原さんちにジャンボ機が墜落したらしいよ!」
「警察が事情聴取に来てるって言ってた!」
…もう何でもありだな。いくら何でも逸脱し過ぎだ。
「趣味はお風呂覗きなんだってー。」
「夜な夜な下着を盗んで回ってるって本当なのぅ?」
「ぱんつをかぶったり匂いを嗅いだりするんだって。」
はぁッ!? 誰がぁ!? んなわきゃねえだらぁああぁあぁ!!
「魅音委員長も被害にあったって言ってたよー!?」「゛えーーーッッ!?」
ぐをおおぉおおおぉおぉおおぉおおぉおおおッ!!!!!
てめぇの仕業か魅音んんんんッんんッ!!!
お、落ち付け前原圭一!! 俺をあぶり出そうとする魅音の作戦だ! 耐えろ!! まんまと校門前で鬼と鉢合わせにさせられたので、屈辱の怒りに燃える魅音の復讐でしかない! 後輩たちだって俺という一個人を冷静に考えればただのデマだとわかるはずさ!
……だがまだ幼い子供たちにそんな冷静さがあるはずもない。彼らにとって「それ」は全て事実として認識されると、げらげらと笑い合って俺を探しに散っていった。
くくくく…がはははは…! 勝ったぞ魅音! 俺の勝ちだ! がははははは…!!
後輩たちが去った後、俺はひとり屋根の上に伏せながら、笑い泣きするのだった…。
「聞いたー? 転校生の前原さんてHな人なんだってー! きゃはははは!!」
…勝利と魅音をはめた代償はあまりにも大きいようだ…。
っと! ………お、誰かが下に来るぞ。あれは…レナに梨花ちゃんか。
「……はぁはぁ。梨花ちゃんはまだ無事かな!?」
「……何とかがんばってますです。」
「…な、なんかね、…魅ぃちゃんも鬼になっちゃったみたいなの…。」
魅音がッ!? まさか…俺の作戦で鬼になったのか!? そこまでの戦果は期待してなかった…。なるほど、執拗な魅音の報復の裏がようやくわかった。…しかし…だとするとまずいな…。ゾンビにかなり強力な助っ人を加えてしまったことにもなる…。
「魅ぃちゃんは、なんとか撒いたけど……。沙都子ちゃんはどこだろ…。」
「……沙都子は土管のところを探してますから、ここはしばらくは安全ですよ。」
その一言に、聞き耳を立てている俺も安堵の息を吐く。
ぺたりとしゃがみこみ、荒い呼吸を整えているレナの背中に、いやに足音を殺した梨花ちゃんが歩み寄る…。
梨花ちゃんが足音を立てずに歩くのはいつものことだが……変だ。…まさか…、
「わ!? ……梨花ちゃん? ……何かな? 何かな!? …えぇ…!?」
「……大丈夫ですよ。」
「な、何で近寄ってくるのかな? くるのかな!? 梨花ちゃんは…ゾンビじゃないもんね!?」
「……怖くないですよ。…ボクがやさしく、」
「やさしく……?」
「……食べてあげますのです。みー。」
「う、ううう噓だよね!? …梨花ちゃんがそんな……ひ…ッ!!」
レナが壁に追い詰められ、じりじりと梨花ちゃんがゾンビよろしく両腕を突き出しながらよたよたと近付いて行く…。レナは震えながら背中を壁に押しつけていた。
こ、これはすごい生ホラーだ…。そんじょそこらのゾンビビデオを地で行っている。
その時、レナと俺の目が合った。
「け、圭一くん!! 助けてぇええぇッ!!!」
梨花ちゃんゾンビがエクソシストよろしくぐるりと一八〇度反転し俺を睨む!
「いたぁ!! 圭ちゃん見っけッ!!!!」
梨花ちゃんと目が合った時、さらにどこか遠くから魅音の威勢のいい声も聞こえた。
見れば、向こうのゴミ捨て場のブロック塀の上に仁王立ちしていて、まさに俺を指差しているところだった。
この地形の有利はゾンビがひとりの時だけだ。挟み撃ちはまずい!
「何ですってぇ!? 圭一さんを見付けたですってぇえぇ!?!?」
その騒ぎを聞きつけ、遠くから沙都子も駆けて来るのがわかる。梨花ちゃんはレナを取り逃がしたらしく、今やその矛先を俺に向けていた。
「えぅうぅ〜……あぅあぅう〜……。」
「…お〜り〜て〜こ〜い〜…圭ちゃぁあぁあぁん…。」
呪いの言葉を吐きながらゾンビ三匹が俺を狙って物置の周りをぐるぐると徘徊する。ぞわぞわとしたものが背中を昇り、チビりかけている俺は悲鳴のように叫ぶ!
「お、お前ら怖い!! 怖過ぎるッ!!!」
「圭一さんのハラワタはどんな味がするのかしらぁぁ?? 圭一さぁあぁあん…!」
「……圭一も、…ボクたちの仲間になってほしいですよ。」
「をーっほっほっほ! さぁさぁ、そろそろ観念なさいませー!!」
「だ、だだ、誰か、たた助けてくれぇぇぇええ!!!」
この状況で俺を助けてくれる人間はもうレナしか残っていない。…そのレナはさっき梨花ちゃんから逃れて今どこだ?
はるか向こうの校庭にレナの姿があった。こっちを見て拝むようにしながらぺこぺこ謝っている。
…謝る? 謝罪? ごめんなさい? ってことはつまり、見殺し? …レ、レナぁあぁぁぁぁあぁあ!! 俺をダシにして逃げ延びることができた恩も忘れやがってぇええぇ!!
恐怖にかられた俺は屋根から飛び降りるも、滑って転倒。
沙都子と梨花ちゃんに飛びかかられ馬乗りされると、全身を存分に……くすぐられた。
「ぎゃっはっはっはッ!!! やめ! やめッ!! ぎゃ〜〜〜ッ!!! 沙都子やめて、わき腹はダメ!! あぁん魅音、そこはもっとダメぇええぇ!! はぅん!? 梨花ちゃん、耳たぶ嚙むのもダメえぇえぇ!! お嫁に行けなくなるぅううぅ!!」
俺の悲しき断末魔の声も、賑やかな校庭の喧騒に混じれば、楽しそうに聞こえるのが皮肉だった…。
「ってことはあとはレナだね。おりょ? チャイムまであと何分もないよ!」
「…ぅのれレナぁあぁあ…!! よくも…俺を見殺しにぃいいぃいい!!」
ゾンビの気分。無念の怨霊の気分がとてもよくわかるぞ。自分を見捨てたヤツに復讐してやるぅううぅ!
「……かわいそかわいそです。…でもこれで圭一も仲間ですよ。」
ゾンビというより、吸血鬼に血を吸われて、自らも吸血鬼化した犠牲者の気分だな。
これまで自分を追いまわしていた側に、新しく歓迎されるのは何だか不思議な感覚だ。
「ゾンビ鬼、なかなか奥深し!」
「気取っている場合じゃありませんわ!! レナさんを捕まえるですのよー!!」
「まずい、校長が廊下を歩いてる! …もうすぐチャイムが鳴る、ゲームセットだよ!!」
「ふっふっふ! …任せろ。こうなったらもう誰にも俺は止められねぇぜ。レナだけ勝ち逃げなんて断じて許さねぇ!! リミッター解除! 戦闘力上昇! うぉおおぉ、俺は地球人をやめるぞおおおお!!」
復讐鬼と化した俺はレナを食い殺すため、あらゆる手を尽くさねばなるまい! だが今の俺はただのゾンビじゃない。闇の眷属を従えた吸血鬼なのだ!!
先ほどは自分の首を絞めてしまったあの技も、今はレナを炙り出すためにもっとも有効な手として使える!
部活メンバーたちの大騒ぎに加わりたくてしょうがない後輩たちを集め、大々的に命じる!
「さぁ散れしもべたちよ!! 竜宮レナを探し出せ! ぐわははははははッ!!」
かくして、クラス全員がレナ一人を追うという、恐るべきフォックスハンティングが始まるのだった。だが残された時間はわずかだ。俺たちはレナ一人に勝ち逃げを許すのか、否かッ!!
「えーん、何でレナはクラス全員に追われなくちゃならないのかな、かな!!」
いくらレナでもクラス総がかりでは逃げ切れない。
これはもはや鬼ごっこじゃない。サメの海に放り込まれたウサギが逃げ回っているようなものだ…。
でも、レナもあとわずかでゲームセットになるのを理解しているようで、最後の瞬間まで諦めるつもりはないようだった。…だが、この圧倒的な不利は覆せない!
詰め将棋のように、次々と追い立てられ、レナはとうとう体育倉庫奥に追い詰められてしまった。
「こ、怖いよみんな!! 圭一くんまで…!! 怖いよぅ!!!」
ゾンビたちがゆらゆらとレナを追い詰める。そりゃあ怖いだろうなぁ。…何しろクラス全員が自分を追い回してくるのだから。その恐怖、察して余りあるぞ。…だが、同情はしないぞ!
「レナぁあ、さっきはよくも見捨てたなぁ!! 覚悟はできてるだろうなぁ…!?!?」
「ささ、さっきはごめんね圭一くん、…だだ、だって仕方なかったんだもん…!!」
「をーっほっほっほ! 大人しく…食い尽くされるでございますのよ!!」
「……みんなに食べられて、ゾンビで仲良しなのです。にぱ〜☆」
「くーっくっくっく! どうやら今日のゾンビ鬼は勝者無しで終わりそうだねぇ? さぁレナ…念仏でも唱えな!! うっひゃっひゃっひゃッ!!!!!」
マットに躓き、震えながら倉庫奥で涙ぐむレナ。追い詰める俺。その様子に著しく不道徳的なシチュエーションを連想し、俺はちょっぴりドキドキ、前屈み気味だ。
…両手をわきわきとさせている沙都子と梨花ちゃん。きっとレナをくすぐる気だろう。レナもそれを知っていて、それだけは嫌だと身を硬くしている。
「……け……圭一くんは……みんなみたいなひどいこと…しないよね? …しないよね?」
「…さぁどうかなぁあぁあ〜!?!?」
「……ぅ…ぁ、………はぅ……………、」
「…さぁて…覚悟は決まったかなぁあぁあ!?」
「……いいよ…圭一くんなら……。」
覚悟の決まった笑顔に、一瞬俺の心臓がどきんと跳ねた。
「け…圭一くんはひどいことしないって……レナ、信じてるし…。」
う。
……こ、この最後の瞬間に…、何て卑怯な言葉をぉおぉぉ…!! そんなこと女の子に言われたら、並みの男はお預け状態になるじゃないかよ!? あああぁでも、敢えてそう言っておきながら据え膳ってケースも!? でもでも本当に信じてくれてるかもしれないしぃいいぃ!? ぬおおおおぉおおぉおぉ、俺は紳士だ、紳士だぞ前原圭一ぃいいぃ!!
と、俺が両腕で頭を抱えながら悶絶している時、からーんからーんと清らかなチャイムの音が聞こえてきた。ゲームセットだ。
「はぅ〜〜〜!! やったやった!! 生き残ったよ! わぁいわ〜〜い☆!!」
レナが呪縛が解けたかのように大はしゃぎして喜んだ。
「…フ、…あとわずかのところで日光が差し、悪のゾンビ軍団は灰燼に帰したか…。ヒロインだけが生き残るのは映画のお約束、だもんな…。完敗だぜ、竜宮レナ…。」
俺を信じると言ってくれたレナに、俺は持てる限りのダンディパワーを結集してキザに決めてやる。…そのダンディな後頭部を沙都子がぱかーんと叩く!
「何を気取ってるですのー!! 圭一さんがもたもたしてるからぁあぁあ!!!」
「……戦犯の圭一にはおしおきしますのです。」
「ひぃいいいぃいい許ッ許してッ!! あぁんそこはダメぇ! だから梨花ちゃん、耳たぶはダメぇえぇえぇえ!!」
沙都子と梨花ちゃんが、俺に馬乗りになってくすぐっているのを面白そうに見下ろしながら、魅音はレナの腕を取る。
「じゃあ生き残ったで賞は、竜宮レナと園崎魅音。いぇ〜い!」
「え? あれ…? 魅ぃちゃん、ゾンビじゃなかったの…?」
「フリしてただけ〜。敵を騙すには味方からって言うじゃ〜ん?」
魅音が小馬鹿にしたようにペロっと舌を出す。……や、やっぱり魅音は沙都子なんかに捕まりはしなかったのだ。自分はもうゾンビだと噓をついて、しゃあしゃあと追う側に紛れ込んでいやがったのだ!
「…ぅおおぉおおおおぉお!! 魅音〜てめっぇええぇえぇえぇ!! あひゃひゃひゃひゃひゃ、だから沙都子そこダメ、あぁん梨花ちゃんそこはもっとダメぇええぇえぇ!!」
「はいはい。急いで着替えないとね〜。次の授業に遅れないでよ〜!」
放課後に遊べば大騒ぎ。体育の授業はそれ以上にハチャメチャ。……まったく雛見沢ってとこの学校はどういうことになってんだよ!
授業が始まる時には、こんないい加減なことでいいのかなと余計な心配をしていたが、終わる時にはそれはどうでもいいことになっていた。
体育なんて、受験に無関係な科目だから適当にこなせばいい。…かつての俺はそう考えていたんじゃなかったっけ。……俺は、雛見沢の学校で本当に大切なことを学び直していることに少しずつ気付き始めていた。
富竹再び
帰宅後、俺はさっそく身支度を整えることにした。レナと例の宝の山のケンタくん人形を発掘する約束だ。
昨日の作業でわかったことは、結構大仕事であること。備えを充分にして臨んだ方がいいだろう。
「母さん、うちに軍手ってあるかな。あとタオル。」
「表の物置の中になかった? タオルは洗面所ね。」
よし。これで準備は万端だ。…それを見てお袋が怪訝な顔をしている。
「なぁに圭一。すごいいでたちでどこへお出かけ…??」
「ちょっと発掘に。クラスメートを犯罪者にしないために。」
不法投棄のダンプがまたゴミを捨てていって、今度こそ完全に埋って発掘不能、なんてことになれば……間違いなくレナは町のフライドチキン屋を襲ってでも、ケンタくん人形を手に入れようとするだろう。それは阻止しなければならないからな!
「?? …よくわかんないけど、あまり遅くならないようにね。」
ダム工事現場跡への近道の林道を抜けて行くと、林の木立にカメラを向けている人影に出くわした。富竹さんだった。
そう言えば、野鳥を撮るのが専門だって言ってたっけ。いい野鳥は見付かったのだろうか。…まさか夕焼けにたそがれる美少年ばっかりを撮ってるんじゃないだろうな…??
「やぁ久しぶり。圭一くん、だったよね。」
「どうもその節は。いい写真は撮れましたか?」
失礼な想像を頭から追い出し、無難に挨拶する。
「ひょっとして、レナちゃんとダム現場で待ち合わせかい?」
「…えぇ、まぁそんなとこです。」
「そうか…。うーん、……これは言った方がいいのかなぁ…。」
富竹さんがそわそわしている。…何か妙な話でもあるのだろうか。
「実はね、さっきレナちゃんとすれ違ったんだけどね…。どうも様子がおかしいんだ。はぅ〜はぅ〜ってにやにや笑いながら、ぎらぎらと光る剝き出しの大きな鉈を持ってたんだよ! あれは一体何だろうね?? け、圭一くん、もし彼女に呼び出されてるなら…その、注意した方がいい。あそこ、ひと気が少ないからね……。」
「……………は、………はぁ…。」
富竹さんには、レナが俺をひと気のない場所に呼び出して、あの鉈で殺してしまうようにでも見えたのかもしれないな…。でもまぁ、ケンタくん人形を語る時の夢見心地のレナを思えば理解できなくもない。順調に発掘が進めば今日にはお持ち帰りできるだろうからな。きっとだらしない笑いが隠せないに違いない…。
「身の危険を察して隠れたけど……、警察に電話した方がいいんじゃないかなぁ…!?」
確かに年頃の女の子が剝き出しの鉈を持って徘徊しているのはヤバい。富竹さんの反応は極めて正常だ。
「いーんですいーんです。ほっといて下さい。また犠牲者を探して徘徊しているだけですから。」
俺のぞんざいな反応に富竹さんは目を白黒させている。まぁ、一般的な常識人にレナの異常性を理解するのはとても難しいだろう…。適当に煙に巻いておくことにする。
「富竹さんがここで殺されたら多分犯人はあいつです。…せいぜい嗅ぎ回らないようにすることですねぇ。」
意地悪っぽくにやりと笑ってやると、俺はとっととレナの待つダム現場へ向かった。
少し歩きかけて、不意に富竹さんが呼び止めてきた。
「それ、警告のつもりかい?」
…え、そんなマジな意味で言ったんじゃないですよ。そう弁解しようとしたが、
「…せいぜい気をつけることにするよ。はは、ありがとう。」
それだけ言い残すと、富竹さんは踵を返し、去って行った。
……なぜだろう。どうしてだかわからなかったが、彼を不愉快にさせたことだけはわかった。
ついに発掘!
レナは俺がやって来たのを見つけると大はしゃぎで迎えてくれた。
「圭一く〜ん! 待ってたよ。今日もがんばろ!」
……確かに富竹さんの言うのもわかる。鉈をぶんぶん振りまわしながらはしゃぐのは確かにヤバい。
「鉈は鞘とかを被せて持って来い。剝き出しはさすがにまずいだろ!」
「なくしちゃったみたいで、ないんだもん。」
「いやその、しかしだなぁ…! にやにや笑いながら剝き出しの鉈を持って徘徊してたら、お巡りさんに呼び止められたりとかしちゃうぞ?」
「……はぅ? お巡りさんにはさっき会ったよ? 今日も宝探しだよ、はぅ〜って挨拶したけど…??」
「…………………ふがー。」
…考えたら世間体もヘチマもないな。レナの奇癖は多分、雛見沢中に知れ渡っているだろう。この雛見沢で凶器を持って徘徊しても不審に思われない唯一の人物なのだ…。
まぁ、どうでもいいことか!
「よっしゃ、始めようぜ! 今日で決めるぞ! 最後の梁をぶっ壊せば引きずり出せるはずさ。軍手まで用意して準備万端。任せとけ!」
「うん!」
レナから鉈を受け取り、不安定な斜面を降りて行く。
「待っててね、ケンタくん。…今、圭一くんが助け出してくれるからね…☆ はぅはぅはぅ〜、は〜やくケンタくんをお持ち帰りし〜たい〜〜♪!」
歌うように言いながら、レナはくるくると踊り出す。…興奮し過ぎだろと思ったが、そういうつまらない突っ込みはやめた。日々の出来事を全て、ありのままに受け入れ楽しんだなら、レナのような反応を示すのは当然なのだ。
何があっても無関心を装うのが美徳という、腐った都会根性とは俺もいい加減、決別しなくちゃならない。
「よぉし、燃えてきたぜ! 必ずお持ち帰りさせてやるからなぁ! 一気にケリをつけてやるぜ! うをりゃッ!!」
豪快に振り下ろす鉈が、ケンタくん人形を閉じ込める梁を打ち、木こりが斧を打つような心地よい音を響き渡らせる。
「…どう? うまく行きそう? 無理そうだったら無理しなくていいよ…?」
「ここさえ折れればあとは何とかなる! 今日は気力も充実! 行ける!!!」
…だが思ったより敵も手ごわかった。
第一、俺は今まで鉈を使った事なんかない。林間学校の時、薪割りをやりたくて立候補したが、ジャンケンに負けてできなかった。
不安定な足場にも翻弄され、ついにへばり、休憩を挟むことにする。レナがシートを広げると水筒の紅茶と甘そうな駄菓子を出してくれた。
「大丈夫! もう一息。今夜レナが寝るときにはケンタくんにお休みのキスができるようになってるさ。」
汗だくの俺を申し訳なさそうにレナが見ている。頼りないと思われたくないので、ここは弱音を吐いちゃいけないところだぜ。
「…うん、ありがとぅ! ……はぅ、ケンタくん……お休みのキス……はぅ……☆」
レナは再び紅潮すると、瞳の中に星をいっぱいちりばめて夢見心地になる。そんなレナに最初は面食らったが、今では純粋に可愛い、面白いと思うようになっていた。
「そう言えばさ。レナも転校生だったんだろ? 前はどこに住んでたんだよ。」
紅茶を飲みながら、レナにさりげなく聞いてみる。てっきりレナは昔からここに住んでいるとばかり思っていたからだ。
「ん? 関東の方だよ。ここほどじゃないけど、やっぱり田舎だったかな。」
「何で引っ越してきたんだよ。雛見沢に。ほら、ここって結構田舎だろ?」
「圭一くんは何で引っ越してきたの? お父さんの仕事と関係あるのかな?」
「うちの親父がアトリエを移したいって言い出したんだよ。こーゆう山奥がいいって前々から言っててさ。」
「アトリエ? …圭一くんのお父さんて芸術家さんなの??」
「風景画ばっかり描いてる。年に一回くらいはどっかで個展を開いてるらしい。」
「それってすごいね! 今度レナにも見せてね!」
まぁその内な。曖昧に答えながら俺は腰を上げた。親父が画家であることは知ってるが、どういう仕事なのかは見せてくれないし、俺も実はそんなに関心がない。
家と職場が一緒というのは、俺くらいの年頃の息子には結構、迷惑なもんだ。一度出勤したら夜までは家にいない、世間平均の父親をだいぶ羨ましく思ったこともある。
「でも…学期途中の転校だったんでしょ? 大変じゃなかった?」
「別に。…都会ってのには飽きてたし。」
レナに質問していたつもりが、いつのまにか自分が質問されている。…これ以上、話が及ぶと自分のつまらない身の上話になりそうなので、もう切り上げることにした。
「さて! もうひとふんばりするか。何が何でも今日中に決着つけてやるぜ!」
「うん!」
気付けばもう、日が傾きだし、少しずつ空気が冷えてくる。ひぐらしたちも、今日はもうやめて家へ帰れと合唱し始めていた。
くそ、もう少しなんだ。今日で絶対に決着をつける!
初めはレナに軽口を叩きながらの作業だったが、もうそんな余裕はなかった。ぼろぼろと零れ落ちる汗を拭いもせず、無心に鉈を振り下ろし続けた。
「うら! てめ! 畜生!!」
今日一日、何度もそうしてきたように、鉈を振る。叩く。小気味良い音が響き渡る。木片が砕け散る。
……ひぐらしの合唱が始まったからだろうか。なぜか俺の脳裏に、あの写真週刊誌の物騒な一文が蘇った。
〝犯人達は被害者を鉈やつるはしや斧で滅多打ちにして惨殺し、〟
振り下ろす鉈が梁を打つ。…そこには、何度も打ち付けられてできた無数の刃の跡が残されていた。……これは太い梁だからこんなにも頑丈だけれど。…もし、人間に対してこんなにも無慈悲な刃を振り下ろしたなら、…腕なら折れ、頭なら一撃で割られてしまうかもしれない…。
…梁の下に見える人形。それに鉈を振り下ろしている自分の姿が、なぜか不吉な光景とオーバーラップするように感じられた…。
その時、これまでとは違う手応え。最後の一撃が、とうとう拒み続けてきた梁を叩き折ったのだ。
だが、最後の一撃は梁を割っただけでなく、その下の人形の肩も打ち砕いていた。
体より一足先に自由を得た腕が、梁の隙間をごろんと抜け、俺の足下に転がり出る…。
「……ぁ、」
「ど、どうしたの大丈夫!? ケガしたの!?」
「ご、ごめん…、人形の腕、壊しちゃったよ…。」
「…な、なぁんだ。圭一くんがケガをしたんじゃないかって思っちゃった。」
レナは、俺がどこかに手をぶつけるかして怪我でもしたのかと思ったらしい。そうでないとわかり安堵の溜め息を漏らすのだった。
「修理するから大丈夫。ガムテープとかでくっつけて、その上に上着を着せるもの。だから全然問題ないんだよ。」
「…そっか。じゃあ引っ張り出そうぜ。そっち持ってくれるか?」
「うん!」
〝…腕が一本、まだ見つかってないんだろ?〟
さっきのごろんと転がった腕がやけに不吉に思えたが、そこでふと気付き、俺はちょっと自分の情けなさに苦笑した。
胸くその悪くなる事件だってことはレナも魅音も知っていた。俺が知れば、きっと同じ不愉快な思いをするに違いない。だからすっ惚けて知らないふりをしてくれた。
そこで余計な好奇心を出し、わざわざ調べたのは自分だ。…で、情けなくも俺は知らなくていい事件を知ってしまい怖がっている。……レナたちの気遣いを自分でふいにしておきながら、何て俺は情けない…。
「…よっしゃレナ! 一気に行くぞ!? せーのぉッ!!」
もうケンタくんの救出を拒むものはいなかった。こうして二日掛けてとうとう、ケンタくん発掘作戦の偉業は成し遂げられたのである!
どこかのフライドチキン屋の店先でずっと働き、この雛見沢の地で終焉を迎えようとしていた彼は、レナによって再び迎えられたのだった。ツイてたなケンタくん。次のご主人様がいい人で!
「…わぁあ…ケンタくんだケンタくんだ! やっぱ、かぁいいよぅ!!」
汚れているにもかかわらず、レナは嬉しそうに頰擦りをしている。
すごく疲れたが、レナの嬉しそうな顔を見ているとそれだけで報われるような気がした。
「じゃ手伝うからレナの家に持って行こうぜ。暗くなるとまずいだろ。」
「…うん。そうだね! 圭一くん本当にありがとうね! この恩は忘れないね!」
「ほほぅ、武士に二言はないな!? ふっふっふ、恩返しは何がいいか、よく考えておくぜぇ。」
「わ、わ…、…どんな恩返しだろ。…恩返しだろ? はぅはぅ…!」
取り敢えずは意地悪そうに笑い、今日のところはそれ以上からかわないことにする。
人形をシートで包み、二人で抱えて帰る途中、レナはずっとご機嫌だった。その様子に俺ももちろんご機嫌だった。
でも、ひぐらしの合唱が今日の汗を冷やしていくにつれ、……どうでもいいことを脳裏に蘇らせていく。
〝…それ、警告のつもりかい?〟
ちょっとした冗談を言ったつもりなのに、嚙み合わない返事を返した富竹さん。
……何かが、釈然としない。
その気持ちを心から追い出そうとした頃、ようやく俺たちはレナの家に到着したのだった…。
レナってどういう名前だよ?
「……レナがいないです。圭一は知りませんですか?」
「あれ? たった今までそこにいたのにな。…おい魅音。レナはどこ行ったんだ?」
「レナー? トイレじゃない? 最近、お通じが来ないって言ってたなぁ。」
「そんなことは一言も聞いてない!」
「……沙都子。レナを知りませんですか?」
「レナさんですの? さっき廊下ですれ違いましてよ。レナさんは日直だから、花壇にお水をやらないといけませんので。」
「あーレナが日直かぁ。そりゃお疲れ様なことで。」
…レナレナレナ。…とレナの名が乱発され、ふと疑問に思った。
人の名前にこんなこと言っちゃ失礼だが、……変わった名前だよな。外人さんみたいな名前だ。
「レナってどういう名前なんだろうな。…レナって漢字だとどうなるんだ?」
「……レナはあだ名なのです。ちゃんとした名前がありますですよ。」
「え、そうなのか!? 俺はてっきり竜宮レナってのが本名だと思ってたよ。」
「まぁ確かに。レナさんとしか呼んでませんから間違えるのも無理はないですわね。」
しかも、習字の名前も「レナ」になってるしな。学校では本名同然のようだ。
「本当の名前は何て言うんだろうな。…レナが戻ってきたら聞いてみるかな!」
沙都子と梨花ちゃんが顔を見合わせる。
「……聞かなくてもいいですよ。ボクたちが教えてあげますです。」
「お礼の礼に、奈良の奈。…竜宮礼奈が本名ですのよ!」
「礼奈か。………ふーん。それでレイナじゃなくてレナって読むのか? 面白い読み方だよな。」
「……いいえ、違いますです。レイナで正しいのです。」
「レナが言ったのですわ。レナと呼んで欲しいって。だからレナなのですわ。」
「圭ちゃん。…レナはレナだよ? 礼奈って呼ぶのは他人だけ。そこんとこ、わかってるよね?」
魅音の言いたいことはわかる。本名が何だって、俺たちの間の通り名が全てに決まってる! 竜宮レナはレナだ。それ以外の誰でもないさ。
「思ったんだけどさ、自己申請すれば俺も今日からあだ名で呼ばれるのか?」
「面白けりゃね。何て呼ばれたいわけ?」
「越後屋。」
やがてレナが教室に戻ってきた。入り口で後輩が、レナを探している人がいたことを教えている。
「あれあれ? 誰かレナの事を探してたかな? かな?」
それを見てにんまりと笑う俺と魅音。
「お代官様、竜宮めがまんまと現れましたぞ!!」
「越後屋、お主も悪よのぅ。…ふぉっふぉっふぉ!!!」
「なな、何かな何かな!? 圭一くんと魅ぃちゃんが悪代官だよ? 越後屋だよ!?」
「おのれ竜宮レナの助! ここで会ったが百年目でおじゃる。いざ覚悟〜!!」
「わ! わ! 助さん格さん、こらしめてやりなさいかな、かな!!」
「アイアイサーですわー!!!」
「……報酬はスイス銀行に入れて欲しいのです。」
こうなっては仕方ない! あとは五人入り乱れての大乱闘…!!!
印籠の出てくるタイミングでレナの必殺パンチが炸裂する。結局、悪は滅びる俺と魅音…。
「…レナにはぜひ世直しの旅に出てもらいたいもんだ。…永田町なんかどうだ?」
「……ダメだよ。旅先でかぁいいものをチョロまかすから。」
振鈴が休み時間の終わりを告げる。
「ほらほら、圭一くんも魅ぃちゃんも。先生来るよ!」
レナに手を借りて起き上がる。ちょうど先生が教室に入ってきたところだった。
……あと一時間か。やれやれ。……もうひと踏ん張りするかな!