ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編
第三回 6月13日(月)
竜騎士07 Illustration/ともひ
ゼロ年代の金字塔『ひぐらしのなく頃に』の小説が、驚愕のオールカラーイラストでついに星海社文庫化! ここに日本文学の“新たな名作”が誕生する!「鬼隠し編 (上)」を『最前線』にて全文公開!
6月13日(月)
翌日の放課後、俺たち仲良しメンバーは放課後にもかかわらず、おしゃべりを続けていた。
普段ならみんなでぞろぞろ昇降口へ向かうのに、なぜ今日は残るのだろう? レナがこっそり教えてくれるには何か面白いことが起こるらしい。
何が起こるやら見当もつかないが、とりあえずそれが起こるまで、俺たちは昼休みの延長のような時間を過ごすのだった。
「ケンタくん人形ー!? あ〜そりゃあレナのツボだわなぁ!」
「…レナが沙都子や梨花ちゃんをお持ち帰りしたくなるのはわかる。確かにかぁいいからなぁ! だが、ケンタくん人形だけは理解できないぞ! あんな眼鏡親父のどこがいいんだ!」
「そりゃーレナに直接聞けばいいじゃん? どーせ『だってかぁいいんだもん☆』しか言わないだろうけどさ。あははは!」
レナのダム工事現場跡の宝探しは、仲間の誰もが知るもののようだった。
「レナはよくあそこ…ダム工事現場跡へ宝探しに行くのか?」
「……ちょくちょく見に行くって言ってましたです。」
「ふぅん。…年頃の女の子がゴミ漁りねぇ…。」
「…レナが楽しいなら、いいんだと思いますです。」
梨花ちゃんの言うのももっともだった。……いや、レナが何を趣味にしたって、人に迷惑さえ掛けなければ自由だろう。
それより、…俺が本当に聞きたいのは宝探しのことじゃなくて、あの宝探しの場所で何があったのか、だった。
「あそこは何だよ。ダムの工事か何かやってたのか?」
それは、言ってみれば昨夜から引っ掛かっている魚の小骨みたいなもの。我ながら些事にこだわっているとは思った。
「ははは! まぁね、やってたよ、ダムの工事。何年か前に中止になっちゃったけどね。」
「……みんなで力を合わせて、戦いましたです。」
「戦った? って、そりゃ何の話だ?」
「そうそう! 何しろとんでもない話だったんだよ! 雛見沢が丸ごとダム湖に沈むことに、一方的になってさ!」
…山奥の寒村が、ダムの建設に伴いダム湖に沈むことがあるという話は俺も聞いたことがある。どうも、そういう工事の計画がかつて雛見沢であったらしい。
で、梨花ちゃんの言う戦ったというのは、それに対する村人の抵抗運動のことを指すのだろう。…で、今ここに俺たちがいる、ってことはその抵抗運動が実ったわけだ。
そこへレナと沙都子がお手洗いから戻ってくる。
「ごめんねごめんね! 待たせちゃったかな? …かな?」
「申し訳ありませんわね圭一さん。お化粧直しに時間をかけてしまいましたわー!」
「沙都子。便所には溜めてから行け。一気に出せて楽で早いぞ。」
「きゃ……きゃ…、花も恥じらう乙女になんて口の利き方〜ッ!?!?」
誰が乙女だよ。沙都子が乙女なら絶対にしないリアクションで返してくる。
ドッタンバッタン! あとはいつものノリだった。
部活へのお誘い
しかし、何なんだろうな。俺はみんなに、今日の放課後に教室に残るように言われたのだ。まさか補習のわけもあるまい。教室で何か遊ぼうというつもりなのか?
すると魅音が一度咳払いをしてから立ち上がり、大仰な身振りを交えながら言い出した。
「さてと。今日は会則に則り、部員の諸君に是非を問いたい! 彼、前原圭一くんを新たな部員として我らの部活動に加えたいのだが…いかがだろうか!!」
「レナは異議な〜し!」
「をっほっほっほ! 貧民風情が私の相手を務められるかしら!」
「……ボクも沙都子も賛成しますですよ。」
「全会一致! おめでとう前原圭一くん。君に栄えある我が部への入部試験を許可する!」
「順を追って説明しろ! 何の部活だ? 俺はまだ入るとは言ってないぞ!」
「我が部はだね、複雑化する社会に対応するため、活動毎に提案されるさまざまな条件下、…時には順境、あるいは逆境からいかにして…!!」
「…レナは弱いから…いじめないでほしいな。仲良くやろうね。」
「レナさんは甘えてますわ! 弱いものは食い尽くされるのが世の常でございますわー!」
「……つまり、みんなでゲームして遊ぶ部活なのです。にぱ〜☆」
梨花ちゃんだけが的を射た説明をしてくれた。
ようやく思い出す。そう言えば魅音には、ボードゲームなどを収集する趣味があったっけ。
ようするにこの「部活」は、魅音がこれまでに集めたゲームでみんなで楽しく放課後に遊ぼうと、そういう趣旨なわけだ。
もちろんただ遊ぶだけでなく、ちゃんと順位に応じて、一位にはご褒美があったり、ビリには罰ゲームがあったりと盛りだくさんらしい。
「先に断っとくけど。ままごと遊びみたいなレベルじゃないからね! 一勝一敗に命がかかってるくらい本気でかかった方がいいよ!?」
「た、楽しくやれればいいじゃねえか…! そう凄むなよ。」
「会則第一条!! 狙うのは一位のみ! 遊びだからなんていういい加減なプレイは許さないッ!!!」
「会則第二条! そのためにはあらゆる努力をすることが義務付けられておりますのよ!」
…沙都子が言うと、どんな手段を使ってもいい、と言ってるように聞こえる。
「……もちろんボクもがんばりますです。」
「レナも弱いけどね、精一杯頑張ってるの。」
でも、みんなの言うのもわかった。
みんなで優勝を争うゲームに、楽しければいいやなんていう考え方はアンフェアだ。みんなが優勝を狙うなら、自分も狙わなければならない! だからこそ熱い激突が起こり大いに盛り上がるに違いないのだ。
「よし、俺も……本気でやってやるぜーー!!!」
雄叫びと共に拳を天に突き出すと、みんなは笑顔で頷いてくれた。
こうして俺は、いよいよ入部試験の洗礼を受けることになった。
「はぅ、がんばろうね圭一くん…。入部試験は大変だよ…。」
「お、おぅ、気遣いありがとうよ。何だかわからんが頑張るぜ…!」
「くっくっく! 圭ちゃんに一応忠告。レナも結構エゲツナイからね? うっひっひっひ!」
魅音の嫌らし〜い笑いが、これから起こる暗闘を物語っているのだった…。
「さって、圭ちゃんの入部試験だけど、何の種目がいいかねぇ?」
魅音は教室のうしろにある生徒用のロッカーを漁っている。
…学校にゲームを持ちこんでいるのか。…ま、部の備品だからいいのだろう。
「難しいゲームは圭ちゃんだけに不利だからね。今日は誰にでもわかるゲームにしよう。スタンダードにトランプの……ジジ抜きはどうッ!?」
「よし! 受けてやるぜ!!!」
「罰ゲームは月並みに……一位がビリに一個命令! この辺でどうかな!?」
「上等でございますわーー!! をっほっほっほ! 私が一位になって圭一さんをビリにして、とんでもない目に遭わせてさしあげますわよー!!」
「みー! ボクも一位になってビリの圭一に恥ずかしい罰ゲームをしてやりますのです。」
「み、みんな、初日からそれは可哀想だよぅ、…はぅ。」
ギロギロとした目線が恐ろしい…。どうやらこの部活とやら、…一筋縄では行かないようだな……。
「じゃあカード切って……みんなに配るねー!」
ジジ抜きってのはつまりババ抜きと同じゲームだ。
違うのは一箇所。ババが入っていない。かわりに最初にカードが一枚抜かれている。
つまり、抜かれたカードと対になるカードは最後に必ず一枚残ってしまうわけだ。
どれがジョーカーにあたるカードかわからない。そんなスリリングなゲームなのだ!
「じゃあ、一枚抜くね。」
レナが一枚カードを抜き、裏返しのまま車座の中央に置いた。
みんなそのカードをじっと凝視する。
「ま、終盤になれば自ずとわかるし。最初は様子見で行くしかないよなー。」
だが…他の部員たちは真剣だ。俺のような弛緩した雰囲気はない。
手札と伏せたカードを見比べ、そして周りの人間の様子をうかがう。
まるで…伏せたカードの裏側が見えているような……。……まさか…。
「…このトランプ、結構傷物だろ。……まさか、…みんなにはその傷で、そこに伏せたカードがわかってる…?」
「会則第二条ですわ〜。圭一さんも勝つために最善の努力をなさいませ〜!」
「いくつかのカードは特徴的だから……圭一くんにもすぐ覚えられるよ。」
あ、あまりにもさらりと言われる…。
何てことだ…。仲間たちは、…いや、部活メンバーたちは、このトランプの傷を暗記していて、裏側がわかるというのだ…!?
「じょ、上等だぜ!! この程度でハンデになると思うなよ!!!」
…と威勢良くタンカを切ってみせたところで俺の不利は明白だった。ジジ抜きは本来、運のゲームだ。そこに、カードの裏がわかるインチキが横行しては俺の不利は火を見るより明らか!!
これはもはやただのジジ抜きじゃない。……麻雀風に言うなら…ガン牌ジジ抜き!!
「じょ、上等だぜぇえぇ!! 来い! 貴様らの油断を逆手に取って返り討ちにしてくれるぜ!!」
…もちろん、そんな何の根拠もない自信も、すぐに打ち砕かれることになる…。
「くっくっく! 圭ちゃんの手札を右から言うよー? 3、4、9、J、Q。」
「ぐわああぁぁぁあ!!」
「……ちなみに、ジジはダイヤのJなのです。」
「うがぁあぁああッ!!」
「どうカードを入れ換えたって見え見えですわ! あがりですのー!!」
「ぐおぉおおぉおお!!」
覚悟はしていたが……これほどまで…圧倒的とは…!!!
みんながみんな、ほとんどのカードの傷を暗記している上、しかもそのズルを活用することに何の躊躇もない! 確かに魅音が予め予告した通り、この部活はお遊戯のような甘いレベルじゃない! 勝てば官軍、フェアプレイなど敗者の戯言だとでも言わんばかりの弱肉強食の世界だった…!!
「お…おにだ…こいつらは鬼だ…! レナ…は…鬼じゃないよな…?」
「ご、ごめんね圭一くん。……こっちがハートの3だよね? ……あがり!」
「おわぁあぁああぁあぁああぁああ!!」
「をーっほっほっほ!! 圭一さん、さっそく華麗にビリを決めてくださいましたわねぇ!」
「かぁいそかぁいそなのですよ、にぱ〜☆」
ち、血も涙もない…!! レナや…梨花ちゃんまで…!!
恐るべし部活。この部のOBなら、どんな過酷な環境でも生き抜けるに違いない…。
多分、クラス全員が無人島で自爆首輪付きで殺し合いなんて状況下では水を得た魚と化すだろうな。嬉々としながらクラスメートを狩る光景が目に浮かぶぞ…。
「はいはい、ポイントは減点制ね。着順がそのままマイナス点。トータルで減点の一番少ない人が優勝!」
「……では圭一はビリなので5です。」
俺のスコアボードにさっそく減点「5」が書き込まれる…!
「…や、やっぱりさ、綺麗なトランプでやらないと圭一くんに不公平だよ…。」
「いいのいいの。圭ちゃんだって男だし。…これくらいの逆境ははね返せるよね!?」
「貧民風情は逃げ帰って涙で枕をぬらすのがお似合いでございますことよ〜??」
やりきれぬ悔しさに震える俺の頭に、すっと小さな手がかかる。……梨花ちゃんだった。
「……ファイト、おーです。」
「お、…おー…。」
梨花ちゃんの励ましに俺はようやく冷静さを取り戻した。追い詰められた時にこそ冷静になれる。…それが俺の火事場の「力」だ。
冷静に考えろ前原圭一。……時間をかけてカードをよく観察しよう。レナの言う通り、いくつかのカードの傷はとても特徴的で、暗記は簡単そうだぞ。
よし、この状況で考えられる、少しでも勝率を上げられる全ての努力をしてみよう。
「わ、…うまいよ圭一くん。その調子!」
端に特徴的な傷のあるカードは手や他のカードに重ね、見えないように工夫する。
「……角が割れているのはスペードの5だったはずです。……あがりましたです。」
「ふむふむなるほどな、あのカードはスペードの5と…。よし覚えたぞ…!」
他のプレイヤーの貴重なヒント発言は聞き漏らさない。全ての情報が武器だ。
そして俺の順番になった。上手の沙都子が仰々しくカードを扇状にして突き出す。
「ほしいのは7なんだが。……これかな?」
「…さぁてどうかしら…?? 引いてみないとわかりませんことよ…?」
「見えたッ!! これだっぁああぁああぁああ!!!!」
当たり! スペードの7…!!! おぉお! と歓声が湧く!
「な、なななんですってぇえぇ!? 7は一番わかり難いはずですのに〜!?!?」
暗記じゃない。カードを選ぶ時の相手の微妙な反応でも充分に参考になるのだ! よっしゃ、少しずつ戦い方がわかってきたぞ!
「ほら圭ちゃん、カード隠さない隠さない! ……この傷が確かダイヤの2だったよね。……あれッ!?」
魅音が自らの読み間違いに驚愕する。もちろん他の全員も…!
「…わ、…魅ぃちゃんがカード間違えるなんて珍しいねぇ。」
「ち、違う……。圭ちゃん……あんた…まさかぁ…ッ!!」
彼女らは「傷」でカードを識別しているのだ。その傷には「爪の跡」もある。
だから……付けたのだ。俺が…新しく!!
「ダイヤの2を…擬装したと言うんですの!? あ、…あじな真似をするでございますわぁぁあぁああ…ッ!!」
「……圭一、一矢報いましたです。」ぱちぱちぱち。
「やったね圭一くん! 大善戦だよ!? だよ!?」
首魁の魅音を討ち取った俺は、自らの善戦に有頂天だった。だが、すでにトータル得点では、優勝魅音、ビリは俺が確定している。
…くそ、トップを取ることはもはや不可能だが、…何とかビリから脱出する起死回生の大技はないものか…! となれば…大将戦しかない!
俺は魅音の神経を逆撫でしそうな声色を慎重に選び、たははと笑いながら言った。
「へへ。まぁビリは確定しちまったけどなー。でも園崎魅音サマを華麗に騙して一本取れたんだからなぁ。それで大満足だぜ、へっへっへ〜!」
後に知るのだが、魅音はこの部活では常に一位を争うプライド高き王者だという。その魅音にとって、入部試験に臨むド素人にただの一本でも取られるのは許せないことらしい。
結果、俺の挑発にまんまと魅音は乗ってくる!
「この回、仮に圭ちゃんが一着になってもトータルビリは確定してるんだけど……嫌でしょ?」
「当たり前だ!」
「一騎討ちしようじゃない。ラストチャンス! 勝てたら圭ちゃん一位で私ビリの大逆転! …なんてどう!? 乗るでしょ!?」
「な、何ぃ!? すでに優勝が確定しているというセーフティを全て投げ出そうってのか!? そのラストチャンスとやらに負けたら今日積み上げた勝ちが全部チャラになっちまうんだぞ!?」
「くっくっくっく。そう、おじさんは次の勝負にそれだけのチップを積み上げるってことよ。……あれしきのことでこの私から一本取ったつもりなんて笑止千万!! 何しろ私は百パーセント次の勝負に勝てる自信があるからねぇ。自分の全てを賭けても何も恐ろしくないもの。…これくらいのリスクを自らに課すからこそ、さっきの一本を取り返せるってもんなんだよ。ねぇ、圭ちゃん…!?」
「く……、なんつー覇気だ…ッ!! へへ、よっぽどさっきのダイヤの2が悔しかったらしいなッ! その汚点を取り戻すため、全てを投げ出す気迫、大いに気に入ったぜッ!! よっしゃ魅音、そのラストチャンスとやらを説明してもらうぞ!!」
魅音と最後に一騎討ちできれば充分だったが…、ここまで向こうが乗ってくるとはな…。へへ、面白いじゃねぇか! 今日の戦いの最終決戦に相応しいぜ!!
魅音は手元の二枚の手札の片方を捨て、今までゲームに加えていなかったジョーカーを加えると、それを背中に回してよく切った。
「右手のカードと左手のカード! どっちがジョーカーか当てたら圭ちゃんの勝ち! どう? これ以上ないくらいにシンプルな勝負だと思わない?」
………確かにシンプルだ。だが、今日やったガン牌ジジ抜きと本質は変わらない。つまり、提示されたカードの傷は何か、そして裏側は何かってことを探りあうのは同じってわけさ…!
「……い、今、後ろに回したときジョーカーを抜いた、ってことはないだろうな!?」
「圭ちゃんが負けたら反対の手のカードも公開するよ。それならOKでしょ?」
「…よ、…よし、乗ったぜ…!!」
他の三人は思わぬラストギャンブルにごくりと唾を飲みこむ。
「さ、最後の最後にとんでもない大勝負になりましたわねぇ! をほほほ、これは見物でございましてよ!」
「でも魅ぃちゃん、すっごい本気…。圭一くん、勝てるかな、かな…!」
「……どっちが勝とうとボクたちはビリにはならないので、高見の見物なのです☆」
「気に入ったよ前原圭一…! さぁ勝負ッ!! ジョーカーはどっちッ!?」
魅音がばっと両手に一枚ずつカードを持って俺に突き出す! カードの背中だ! 背中の傷を見ろ!! それが何のカードかを雄弁に物語るッ!! つまりこいつは、…今日の俺がどれだけ多くのカードの傷を暗記できたかってのを試しているわけだ。へへん、なるほどな…。今日のが部活とやらの入部試験ってことなら、その最後に相応しい勝負じゃねぇか!!
じっと心を落ち着けて、両方のカードを見比べる。……右のカードは特徴的な傷がなく、まったく正体がわからない。
「……どっちだろ。…圭一くん…慎重にね!」
「は、話しかけるなレナ! 気が散るぜ…!」
……く、……記憶を探れ。今日のゲームに使ったカードなんだ。必ず俺はそのカードの傷を一度は目にしているはず…!
おや? …左のカードには良く見ると傷があり、どこかで見たような気がしなくもない。
「あ、…あのカードは…!! んが、むぐ!」
沙都子が何かに気付き思わず口にしてしまう。それを慌てて梨花ちゃんが口を塞ぐが遅かった。魅音が、ちっと舌を打つ。それは重要なヒントに違いなかった。
左のカードの傷は、俺が暗記するほんの何枚かのカードの特徴とは一致しない。
だが沙都子の反応を見る限り、左のカードが何であれ、それはゲームに登場したカードだということだ。ゲームに登場した、ということは絶対にジョーカーではないということ! 何しろ今日の種目はジジ抜き。ジョーカーは未使用なんだからな!
「……ふぅん。圭ちゃんは右のカードを疑ってる? じゃあ右にする? 右?」
沙都子の反応だけで決め付けるのは早計過ぎる! もっと…慎重に……あ!
…思い出した…!! あの傷は…左のカードは……間違いない! クラブの7!!!
「うん…。きっとクラブの7だね…。」
レナがこっそり助け船を送ってくれる。そのお陰で俺は完全な確信を持つ! あれは間違いなくクラブの7だ!
ということは、左がクラブの7なら、…残るは右。右がジョーカーだッ!!!
「ふ、…ふっはははははははは!! 魅音敗れたり、食らえぇええぇえ!!」
そしてッ、右のカードにまさに触れんとした瞬間、俺はぴた、と手を止めた。
「……ふっふっふ……くっくっく…。さすが魅音だよ。」
場の誰もが右のカードがジョーカーだと確信した矢先の俺の『止め』に皆がざわつく。
「?? え? 圭一さんは何を言ってるでございますの?? だって左はクラブ…、」
「……シーなのです。」
みんなが何事かと見守る中、魅音だけが、にや〜りと嫌らしい笑みを浮かべる。
「へー…。圭ちゃんはどうして右が『ジョーカーじゃない』って確信できるの?」
魅音からの思わぬ発言。俺を除く全員が困惑する。
「右のカードが何かは俺にもわからないさ。だが左のカードがクラブの7だってことだけはわかる。」
「じゃあ! 残りの右のカードがジョーカーなのじゃありませんこと!? 必ず左右どっちかがジョーカーという約束じゃありませんの!」
「あぁ。…左右のどっちかにジョーカーがあるのは本当だろうな。」
「……圭一は勘がいいです。」
「え? 梨花ちゃんそれってどういう…、」
へっへっへ…。どうやら梨花ちゃんも魅音のトリックに気が付いたようだな。
「つまりさ。…クラブの7は。…さっき俺が沙都子のスペードの7と合わせて捨てたカードなんだよ…ッ!」
みんなが一斉に場に捨てられたカードを凝視する! ぐちゃぐちゃに捨てられたこの状況では真偽はわからない…!
「つまり……魅音は捨て札を一枚拾って…左のカードに重ねている…つまりッ!!!」
「…そうか、わかった! 左のカードを…クラブの7に見せかけているんだね!?」
魅音は、俺が左のカードをクラブの7だと見抜くことを最初から見越していたのだ! 普通なら消去法で安易に右を選び、ワナに掛かる!! だが俺は見抜いた。魅音はさりげなく捨て札から一枚を取り、ジョーカーに重ねてクラブの7に偽装したのだッ!! つまり、つまりつまりつまりッ!!!
このゲームが始まって初めて、魅音の顔に影がさしたのを俺は見逃さない。そして……俺は三回転半のひねりを入れてからビシリと指定したッ!!
「ジョーカーは……『左手』、そのクラブの7の裏側だぁあぁああああぁああッッ!!!!!!」
あまりに熱過ぎる一瞬…! その一秒間がその場の全員には何時間にも感じられた。
その沈黙を破り、初めに口を開いたのは…魅音だった。
「……初代部長として私も様々なプレイングを見てきたけど。……圭ちゃん。…あんたは…ベストだよ。…ベストオブザベストオブザベスト…ッ!!!」
おそらくは魅音の最高の賛辞だろう。魅音は観念し…カードを握ったまま、両手を下ろした。
……俺の……逆転勝利だッッ!!!!!!!
梨花ちゃんがぽん、と俺の頭に手を載せ、俺の逆転勝利を祝ってくれた。
「にぱ〜。なでなでしますのです。」
「へ、へへ! ありがとな梨花ちゃん! どうだよみんなも見たかよ、俺の華麗な逆転劇を!!」
でも、レナと沙都子はきょとん、とした顔で…まるで幽霊でも見たかのような顔をしている。…何だよ、今の俺の勝負に何かイチャモンでもあるのかよ。
「なんだよレナに沙都子。別に俺はインチキしてないだろ? 俺は正々堂々と!」
「……あの、圭一さん? 梨花は、慰めるときにしか頭を撫でませんの。」
え…? それってどういう……? その時、レナが短い悲鳴をあげた。
「け…圭一くん…ッ! ……こんなことって…ッッ!?!?」
レナが凍りつく。魅音が晒したカードを見て凍りつく。
な、何を見たってんだレナは…。ひ、左だろ? ジョーカーはクラブの7の裏に隠して左だったんだろ!?
その不気味な沈黙を切り裂く魅音の不気味な笑い声…。
「圭ちゃんならさ。ここまで読んでくれる、と思ってたよ。………くっくっく!」
誰もが凍り付く。…いや、それは俺だけなのか…。
「賭けだった。圭ちゃんがおてんばさんの早とちりだったなら、負けてたのは私だった。圭ちゃんはさ、この負けを誇っていいよ。」
魅音が両方のカードを裏返す。……ジョーカーは……み、『右手』だった…! クラブの7の裏には、全然関係のない、ハートの6が隠れていたのだ!
「え、えっとえっと、じゃあこれはつまりなんだッ!? 俺が左手のカードをクラブの7だと下手に見破ったがばかりに、搦め捕られちまったってわけなのかぁッ!?」
「圭ちゃんならちゃんとこのクラブの7を看破してくれると思ったよ…。もし看破せず運に託されていたら、私は二分の一の確率で負けてたね。でも私は圭ちゃんを信じた! 圭ちゃんは今日の戦いで我が部の新部員に相応しい成長を遂げて、必ずこいつを看破すると信じた! そして、さらにその裏まで読んで安易に右を選ばないと信じた! だからこのワナに引っ掛かってくれると確信できたんだよ! だからこの負けは、負けではあるけれども負けじゃない。圭ちゃんがたくましき成長を見せたからこそ至った負けだった!」
「う、うおおおおおおおおお、何てこったぁあああぁあぁ…!! 深読みがむしろ逆にワナだったのかぁあぁあ!!」
「その負けぶり、実に見事なりッ!! 部長、園崎魅音の名において! 前原圭一、……あんたの我が部への入部を許可するッ!!!」
放心しがっくりと膝をついた瞬間、みんなはこの好ゲームを割れんばかりの拍手で称えてくれるのだった…。
「ま、とゆーわけでこれにて決着ッ!! 本日の優勝は私! 園崎魅音!! 栄えあるビリは…前原圭一〜!!!」
みんながきゃっきゃと喜びながら拍手する。
敗北感はあったが、その傷口はとても鋭利で逆に爽やかなくらいだった…。
「魅ぃちゃんが後ろ手で細工した時、またやるんだ〜って思ってどきどきしちゃった!」
「圭一さんが正解に触れる直前で止まったときには掛かった! って思いましてよ〜!」
「……やっぱり入部試験の人は罰ゲームにならないとダメなのですよ、にぱ〜☆」
「…え? ちょっと待て。お前ら全員、最初から全部、魅音がワナを仕掛けてるって知ってて見守ってたのか!? い、いかにもな感じで大盛り上がりしてたあれは何だったんだ!?」
「……みー! 楽しくなるようにみんなで盛り上げましたですよ。」
……………お、
「お前らみんな鬼だぁあぁああ! 人でなし〜ッ!!!」
「さぁて圭ちゃんには罰ゲームだねぇ…! 今日は部活の初日だしねぇ。ソフトなのから行こうかなぁ。…いきなり登校拒否になられちゃ困るし!」
残りの三人が俺の両腕、両肩をがっちり押さえる。…女の子の力とは思えないくらいにがっちりだ。いやその、マジで身動きできない…。
「お、おいおい、何をする気だよ、罰ゲームって一体なんだー!!」
そんな俺に魅音が舌なめずりをしながら近づいてくる…。右手はポケットから何かを取り出そうとしているが、…まさか…ナイフとか!?!?
「くっくっくっく! ほんじゃ行くよ〜。覚悟しなぁ…、ひーっひっひっひ!」
「や、や、やめろおぉおおぉおぉ……ぉ……ぉ…!!!」
黄昏の雛見沢に、俺の悲痛な断末魔が木霊していった…。
魅音と下校
レナは部活が終わると同時にすっ飛んで帰って行った。
きっと昨日持ち帰り損ねた、かぁいいケンタくん人形を掘り出しに行くのだろう。
だから今日は珍しく、魅音と二人での下校となった。
「宝の山かぁ。捨ててる連中も、まさかレナに感謝されてるとは夢にも思わないだろうねぇ。」
「あそこさ、ダムの工事現場跡。…なんかあったんだろ? 昔。」
「そりゃああったよ。戦いが! 座りこみやったりデモをやったり!」
聞きたい話とは少し違ったが、聞いておこうと思った。
「自分たちの土地がダム湖に沈むんだもんなぁ。俺だって戦うだろうな。」
「役人どもは本当に一方的だった。偉そうで威張ってた! 金で解決できないと悟るとあらゆる嫌がらせをしてきたんだよ!? 嫌らしいヤツらだった!」
「よく勝てたな…。相手は国だろ?」
「村長や村の有力者たちがね、方々に陳情した。東京にも行ったし、いろんな政治家に根回しもした。……そうしてる内に計画は撤回されたんだよ。私たちの完全勝利だった! あっはははは!」
「暴力沙汰とかには…ならなかったのか? 傷害事件とか…殺人、」
「なかった。」
……ぴしゃりと言い切られた。
レナの時と同じ。言葉にはピリオドが込められていた。
富竹さんは「事件」と言い「腕が一本見つからない」と言っていた。俺はてっきり…バラバラ殺人とかがあったのかと思っていたのだが…違うのだろうか。
でも、なぜだろう。…レナには知らないと言われ、魅音にはなかったとはっきり言われたのに、……なぜか納得できない。彼女らが、本当のことを知っていながら口を閉ざしているように感じたからだ。
…だが、知ったとしても、何だというのか。
知って何かをしたいわけじゃない。…ただその、…気になってすっきりしないというだけのことなのだ。
収まりのつかない俺の好奇心は、胸の中で所在なくうなだれるのだった…。
「じゃね、また明日ねぇ! 圭ちゃんそれ、家に帰るまで消しちゃダメだからね!」
「わかってるよ消さねぇよ!」
魅音は俺の顔をちらちらと見ては笑いを堪えている。……いったい、どんなえげつないラクガキをしたのだろうか…。
今日の部活の罰ゲームに勝者の魅音が指定したのは……、マジックで顔面ラクガキの刑だった…!
何しろ自分の顔に書かれているのだ。鏡を見せてもらえなかったから何を書かれているのかわからない。でも、みんなのあの笑い転げようから見て、そうとうエゲツないことが書かれているに違いない…。
お、覚えてろ魅音め…! もし逆の立場になったら、貴様の顔面にねっちりと! タワシじゃ落ちないくらいラクガキしてやるからなぁ…!!!
自宅に着き、見事にお袋と鉢合わせして、俺は改めて恥をかくことになったのだった…。
自宅
自宅は妙な緊迫感に包まれていた。
その気疲れするムードの元凶は、どうやら親父のようだった。おそらく、新しい絵のアイデアが行き詰まっているのだろう。
煮詰まった時、親父は短気になる。子連れ熊みたいな感じで、イライラしながら家中をウロウロしているのだ。こういう時は無理に刺激しない方がいいことを俺は知っていた。ちなみに俺は親父とはまったく逆で、ヤバければヤバいほど冷静になる性質だ。
となれば、家にいるのは得策ではない。俺は荷物を置いて着替えると、とっとと表に出た。
そして自転車にまたがり、どこでどう時間を潰そうか思案する。
本屋で立ち読みでもできればいいのだが、町は自転車でも遠い。今の時間から出掛けたら、帰りは暗くなってしまうだろうからよしたい。
何しろ雛見沢は田舎だから街灯の数は少なく、夜は本当に真っ暗で、ついでに薄気味悪い。
あ、そうだ。俺、昨日、レナと約束してるんじゃなかったっけ。レナの宝探しを手伝ってやるという約束じゃないか。
レナは今頃、あのダム工事現場跡のゴミ山で、積もり積もった粗大ゴミと格闘しているに違いない。…昨日約束しているし、ここいらでひとつ、恩を売っておくのも悪くないだろう。
…何しろ、妙な部活に巻き込まれてしまった以上、今後もあの苛烈な戦いに否応無く参戦させられるんだからな…。味方はひとりでもいた方がいい。
そんなことを考え、ちょっぴり打算的に俺は足をダム工事現場跡へ向けた。
だが、それだけが本音じゃない。
……ひょっとするとまたあそこに富竹さんがいるかもしれない。
それも本音だった。
ダム工事現場跡
ダム工事現場跡だとわかって見渡してみれば、なるほど、そうであることを物語るたくさんのものが残されていることがわかった。
おそらく、ここに大きな堤が作られ、それが沢を堰止め、やがては緩慢に村を水没させることになっていたのだろう。
それに対して村人が反対運動を繰り広げ、ダムの計画を中止に追い込んだ。
……その時、何か物騒な事件でも起きたのだろうか。
「お、…いたいた。」
レナが斜面のゴミ山で奮闘しているのが見えた。
一心不乱に作業する様子を見る限り、レナが欲するお宝は相当しっかりと埋まってしまっているようだった。
今日はここには富竹さんは来ていないようだ。…俺は少しだけ肩を落とすと、レナを手伝おうと危なっかしい足取りで粗大ゴミの斜面を降りていった。
「よぅレナ! 精が出ますなぁ。」
「……わ、わ、圭一くん! …どうしたの、こんなところへ。」
どうもレナも、俺が今日手伝うって約束を忘れてるらしいな。
「事故発生の緊急通報を受け参上しました! 負傷者はどこでありますか!?」
「え!? え!? 事故って!? …え!?」
「ケンタくん人形がゴミ山に生き埋めになっているとの通報でしたが…!?」
「え? …っな、なぁんだ。びっくりした…。圭一くん驚かさないでよ。」
「あははは、冗談だよ。レナがひとりで困ってるだろうなって思ってさ、手伝いに来てやったんだよ。昨日、手伝うって約束したじゃねぇか。」
「……へ? …って……レナのため…に…? ……はぅ……。」
レナはぽぅっと赤面する。…約束を忘れていたわけではないようだが、守られるとも思わなかったらしい。
妙なもんで、期待されてない方が、なら頑張って手伝ってやろうって気持ちになってくる。
「冗談だよ。こっちまで恥ずかしくなるだろ、いつまで赤面してんだ!」
「……て、…え? ……冗談って…どこからだろ? どこからだろ!?」
「ほれ、どいたどいた。で、どこだよケンタくんは。」
「…あ、ごめん! ……ほらこの隙間から…見える?」
「こりゃあ……本当に生き埋めだなぁ…!!」
生き埋めのケンタくん人形を、複雑に絡み合った木材や建材がまるで牢屋のように閉じこめていた。
レナの話によると、昨日まではこうではなかったらしい。どうも昨夜のうちにまた不法投棄のダンプが来て、またゴミを捨てて行き、さらに深く埋めてしまったというのだ。
「お前、この凄まじいゴミ山をひとりで発掘するつもりだったのか? その細い腕で!?」
「……でも……ケンタくん人形…かぁいいんだもん……。お店のケンタくんには鎖がついてるけど……これならお持ち帰りできる……はぅ………。」
「…はー。レナって、本当にかぁいいものをお持ち帰りするためには、どんな苦労も厭わないんだなぁ…! 負けたぜ。このゴミ山にひとりで挑もうとしたその度胸に惚れて、この前原圭一さまが手伝ってやるぜ!」
「え、あ、ありがとう!」
このケンタくんを諦めることになれば、レナは多分、町にあるケンタくんフライドチキンのチェーン店を襲ってでも人形を強奪するだろうからな…。レナの保護者として、断固犯罪に手を染めさせるわけにはいかない!
「どいてろよ。俺がやってやるぜ。」
レナはまだ赤面しているが、今回はからかわないでおく。今は時間が惜しい。
何しろ、不法投棄のダンプは今夜もやってくるかもしれないのだ。そうなれば、状況はさらに悪化する。現状でもかなりやっかいな発掘作業になりそうなのに、これ以上になったらもうどうにもなるまい。
「圭一くん、レナも手伝えるよ。手伝わせて。」
「かえって邪魔んなるから下がってろって! ぃよいしょぉおおッ!!」
四の五の考えててもしょうがない。俺は覚悟を決めると、手当たり次第に廃材を引っこ抜き、放り投げていった。
それは決して楽な作業ではない。すぐに汗まみれの埃まみれになった。
「…ぜぇぜぇ、はぁはぁ! ほ、本気でやるなら…斧とかのこぎりとかがいるかもしれねえなぁ…! これ以上は引っこ抜けない。あとは切断だなぁ!」
「もういいよ圭一くん…! すごい汗だよ。……そんな…無理しなくてもいいんだよ…。」
「レナのためにやってるだけだ。気にするな。」
レナは言葉を詰まらせると、さっきまでよりさらに真っ赤な、ゆでダコみたいな色で赤面した。
う、言葉を間違えた…。レナを犯罪者にしないために頑張ってるんだって言うつもりだったんだが……。まぁいいか。
男が手伝うと口にした以上、後には退けない。その後も素手で出来る限りの発掘を行ったが、それ以上はもう素手でどうにかなるレベルではなかった。
「さすがに…休憩……! こいつは…手ごわいぜ…!!」
俺は草むらの斜面にどかっと大の字になって倒れこむ。口では悪態をつくが、実は汗がちょっと気持ちよかった。
「ごめんねごめんね…。すごい……汗だく……。」
レナのハンカチがペタペタと額に触れる。その感触も気持ちいい。
「あ、あのね、ちょっとここで休んでてね! 私、家近いから。麦茶とか持ってきてあげるね!」
ハンカチを額に置くと、レナはぴゅーっと駆け出して行った。
「……からかい甲斐もあるけど、手伝い甲斐もあるヤツだよな。竜宮レナか。いいヤツだよホント。都会の普通の学校に通ってたら、結構モテてるんだろうになぁ。」
もっとも、粗大ゴミ置き場でゴミ漁りが趣味なんて誰も想像できないだろうが。
レナの駆けて行く足音が完全に聞こえなくなり、静かなひぐらしの合唱だけが辺りを支配していた。
「………………………。」
少し起き上がり、レナの姿がないことを改めて確認する。……大丈夫、レナだけじゃなく誰の姿も見えない。
俺は体を起こして、さっき見付けたモノへ近付いて行った。
それは、紙紐で縛られた新聞や週刊誌の束で積み上げられたゴミ山だった。
さっきのが見間違いでなければ…。たしか…この辺に積まれていたと思う…。
……………あった。
それはあまり上品でない写真週刊誌を束ねて縛ったものだった。過去数年分のバックナンバーが順番通りに重ねられている。
〝……嫌な事件だったね。…腕が一本、まだ見つかってないんだろ?〟
富竹さんの言葉通りなら、それは間違いなくバラバラ殺人を示唆していた。
最近は物騒な世の中だ。そういう気色悪い事件は跡を絶たない。
そして、そんな事件に好奇心を寄せる大衆だって大勢いる。ならば載っているはずだ。この手の写真週刊誌には必ず、どこかに。
手早く梱包を解き、雨で貼り付いたページを器用にこじ開け目次に目を通す。
ない。次。ない。次。
事件がいつあったのかわからないのが痛手だった。犯人も被害者もわからない。わかるのはここであったということだけ。…時折顔を上げ、レナがまだ戻ってこないかを確認した。
この手の写真週刊誌には大抵、エッチなグラビアが付き物なので、こんなものを漁ってるところをクラスメートになど見られたくない。…でも実際はそれだけではなかった。
レナも、魅音も、知らないと言った。
だが間違いなくそれはあったのだ。……富竹さんが噓をついていない限り。
レナも魅音も。「うん。あったね。」と一言言ってくれれば、俺の妙な好奇心も収まったのかもしれない。でも、彼女らはそれを拒んだ…。
レナも魅音も口にしたくないような「事件」。
好意で隠してくれていることをわざわざ暴こうとしている……。
さっきから自分を襲うこの不快な気持ちの正体は、そんな気遣いをしてくれる仲間たちへの背徳感だった。
〝雛見沢ダム工事現場・作業員リンチ死! バラバラ殺人!!〟
…あった。
特集記事は後のページで、巻頭のカラーページに写真が出ているようだった。
特集ページは雨か何かのせいでがっちり貼り付いてしまって簡単に開かない。
そろそろレナが戻ってきてもおかしくない頃だ。…とりあえず今はそちらを諦め、写真ページの方を開く。
警官が死体袋を運び、報道陣が一斉にフラッシュを浴びせているシーンだった。写真は黒ずんでわかり難いが、白抜きの見出しはくっきりと読み取れた。
〝雛見沢ダムで悪夢の惨劇! リンチ・バラバラ殺人!〟
…あったのだ。……やっぱりあったのだ。
〝犯人達は被害者を鉈やつるはしや斧で滅多打ちにして惨殺し、〟
〝さらに斧で遺体を頭部・両腕・両脚・胴体の六つに分割、〟
見出しだけでも充分わかる、……それは…あまりに無惨な…事件だった。
普通、リンチってのは殴ったり蹴ったりじゃないのか…? 鉈やつるはしや斧で? こんなのはリンチですらない。文字通りの惨殺、残虐殺人だ…。
何人もでよってたかって。…鉈で。…つるはしで。…斧、で。
…その時。その人影は、肉厚の鉈を携えて俺の後ろに立ちはだかった。
その人影は俺を見下ろし、………その鉈を、すぅっと振り上げて……、
「ぅ、わああぁあぁあぁあぁあッ!!!」
「きゃッ! ごご、ごめんなさい…!!! 驚いたかな!? 驚いたかな!?」
レナもまた、俺の声に驚き、その手の鉈をどさりと草むらに落とした。
「圭一くんね、さっきほら、斧とかのこぎりとかがあると便利だって言ったじゃない!? そ、それでねレナ、物置からちゃんと鉈、持ってきたんだよ…!!」
レナは慌てふためきながら弁解と謝罪の言葉を続ける。…どうやら、俺は相当険しい目つきをしているらしかった。
「ご、ごめん…、ちょっとオーバーに驚き過ぎたかな。」
「う、うぅん、…こ、こっちこそごめんね! …ごめんね!」
…もうすぐ日が落ちてしまう。辺りは急に薄暗くなり始めていた。……体はくたくただし、続きを明日にしてもいいだろう。
「最後の梁はその鉈じゃないと壊せそうにない。せっかく持ってきてくれたんだし。…明日借りるよ。な?」
「…うん。」
「なにしょんぼりしてるんだよ。明日にはケンタくんが掘り出せてお持ち帰りできるんだぜ!?」
「そうだよね。…あははは! 早くケンタくんをお持ち帰りしたい〜!」
互いに、これ以上謝り合っても意味がないことは充分にわかっていた。
俺たちはレナの持ってきてくれた麦茶で喉を潤すと、すっかり冷えてしまった汗を拭き、帰路につく。
……脱いだ上着にくるんで隠した写真週刊誌が、今はとても後ろめたかった。
雛見沢ダム計画
昭和××年十月。
総理府告示第×××号を以て、雛見沢発電所電源開発基本計画が発表された。
計画された「雛見沢ダム」の規模は甚大で、雛見沢村の受ける影響は余りに重大だった。
雛見沢ダムにより水没する地域は雛見沢、高津戸、清津、松本、谷河内の五ヶ村落に及び、水没世帯は二九一戸、人口一二五一人、小学校一、中学校一、郵便局一、農協支所一、営林署貯木場一、神社五、寺院二、魚族増殖場一、等多数の公共的文化的生産的施設と信仰の対象を永久に湖底に没するものである。
この天恵豊かで住みよい郷土を、血と汗をもって築いてくれた父祖幾百年の艱難辛苦を思えば余りに痛ましいことであり、水没地域はもとより全村は郷土死守の決意を固め次々に決起、団結し鬼ヶ淵死守同盟を結成。ダム建設の中止、又は支流への計画変更を強力に要請し続けたのである。
平和的かつ民主的な話し合いを求めるも、政府とその傀儡である電源会社総裁×××××はこれを拒否。筆舌に尽くし難い極悪非道を以て、村民の民主的運動と雛見沢の郷土を踏みにじったのである。だが村民はこれに怯むことなく益々団結、郷土死守の決意をさらに強固にしていき、ついには勝利を収めるのである。
今日、恐るべき雛見沢ダム建設計画は、その再開が無期限に凍結されている。村民はこの凍結が自らの団結の崇高な力によってなされていることを理解しており、そしてこの恐るべき計画が依然撤回されていないことも理解しているのである。
すでに鬼ヶ淵死守同盟はその役割を終え解散しているが、そこで育まれた団結の炎は消えていない。村民の心にこの炎が灯り続ける限り、再び郷土が湖底に沈む災厄に見舞われることは断じてあり得ないのである。
鬼ヶ淵死守同盟会長 公由喜一郎書
週刊誌の特集記事
雛見沢ダムで悪夢の惨劇! リンチ・バラバラ殺人!
×月×日、××県鹿骨市の雛見沢ダム建設作業現場で起こった血も凍るバラバラ殺人。列島を震撼させたショッキングな事件でありながら、警察はその細部を語ろうとしていない…。一体、雛見沢ダムで何が…?
「初めは殺すつもりはなかったのでしょう。ですが被害者がシャベルを振り回して抵抗を始めると、加害者たちも一斉に得物を手にし、一気に殺し合いにエスカレートしたのです。」と前述の捜査関係者A氏は語る。
血の惨劇が終われば、そこには誰の眼にも生きているとは思えない無残な屍…。
日頃から粗暴な振る舞いで容疑者たちをいじめていた××さん。初めはちょっとした仕返しのつもりだった…。
「加害者たちは皆、自らの罪深さに恐れおののきました。警察へ出頭しようと言い出す者もいたのです。」
だがリーダー格の××だけは、死体を隠そうと提案した。初めは渋った彼らも、次第に捕まりたくないと思い始めるようになる。人数は六人いて死体を隠す方法がいくらでもある建設現場…。彼らは悠々と死体を隠し、その場を離れるはずだった…。
「しかしリーダー格の××は、他の五人が良心の呵責に耐えられなくなり、自首して事件が発覚することを恐れ、恐るべき方法でその口封じを図ったのです。」
なんと××は死体を人数分に切断し、それぞれの責任で隠すという悪魔の方法を思いついたのである。
「××は、単なる暴行致死でなくもっと恐ろしいバラバラ殺人に仕立て上げ、ひとりひとりを深く関与させることで結束を固めようとしたのです。」
ひとりひとりを深く関与させる。…これが意味するものは何なのか。A氏は重い口を開く。
「××は、ひとりひとりに自らの手で遺体を切断するよう命じたのです。彼らは初めは渋りましたが、結局誰も逆らえませんでした。」
毒食らわば皿まで…ということなのか。かくして、想像するのも躊躇われる恐るべき血の儀式が始まったのである。
「加害者たちは泣きながら嘔吐しながら、死体を切断しました。頑強に抵抗する者もいましたが、××に『今さらもうひとり死んでも同じことだぞ。』と凄まれ、結局は抗えなかったのです。」
だが××の目論見はわずか一晩で崩れた。死体の切断に最後まで抵抗した×××が、乱闘時の傷の治療に訪れた病院で、泣き崩れながら告白したのである…。
犯人たちは芋づる式に逮捕されたが、リーダー格の××の行方だけは摑めていない。また、××が隠した右腕部分も発見されていない。警察の連日の捜査にもかかわらず、悪魔のような男が未だ法の手を逃れているのである。警察は何をしているのか…。
「××が死体(右腕)を沼に捨てに行くと言っていたらしいのです。実際、沼の近くに××の乗用車が乗り捨ててあったのですが、その後の足取りはまったくわかりません。」
仲間の裏切りを最後まで疑っていた××。仲間が警察に自供することを見越して、沼以外の場所に逃れた可能性は拭いきれない。
「もちろんそれも疑っています。…車はないはずなので、逃げられる範囲にも限度があると思うのですが…。署内では、死体を捨てる時に誤って自分も沼に落ち、溺れてしまったのではないかと囁かれています…。」
この沼、地元では底なし沼と恐れられ、その名を鬼ヶ淵と言い、沼の底の底は地獄の鬼の国につながっているのだという。
まさに地獄の鬼とも言える残虐非道の××。まさか沼から元の地獄へ帰ったのでは…?