2013年のゲーム・キッズ

第三回 気の合う二人

渡辺浩弐 Illustration/竹

それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。

第3話 気の合う二人

PARTNER

ドアの鍵はちょろかった。チェーンは切断するつもりでワイヤーカッターを持ってきていたのだが、小指を引っかけるだけで外れた。

俺は靴をちゃんと脱ぎ、堂々と部屋に入った。カーテンの厚さを確認し、部屋の明かりをつけた。

ここの住人は料理を全くしないようだ。キッチンの棚には袋菓子やインスタントラーメンが、冷蔵庫を開けるとびんや缶がぎっしり並んでいた。

ビールを見つけた。俺は座ってプルタブを開けた。くつろぎながら、部屋を見渡した。

片付いているのにすっきりしない。ちぐはぐな印象がある。あちこちに飾られたキャラクターグッズや壁のアニメ絵ポスターのせいだろうか。形の不揃いな本棚が並び、ゲームソフトとコミックスが詰め込まれている。今どきの中年オタク夫婦の部屋として、これは典型的てんけいてきな風景といえるかもしれない。

リビングの隅に、パソコンデスクがあった。写真立ての中でほほえむカップルが、この部屋の主のようだ。近づいて手に取り、俺は思わず笑ってしまった。

夫婦は双子ふたごのようによく似ていた。どちらも相撲すもうりのような体型で、目鼻が肉に埋もれているせいで、にんまり笑っているように見えた。奥さんと思しき女性はとあるファンタジーRPGのヒロインの、旦那だんなさんらしき男性は格闘ゲームのファイターの格好をしていた。背景は京都か奈良ならか、普通の観光地のようだから、これはコスプレではなく彼らの外出着なのかもしれない。

似ても似つかない風貌ふうぼうなのになぜすぐにゲームを特定できたかといえば、彼らがそれぞれそのキャラクターを、自分のツイッターのアイコンに使っていたからだ。そして二人はネット上ではお互いを「ブラッディー」「フランシーヌ」と呼び合ってもいた。

そんなことまでを知ったのは、つい先ほどのことだ。俺は彼らの友人でも知り合いでもない。

俺は仕事でここを訪れている。ざっと説明すると、こういうことだ。俺はまず、ツイッターで「これから 旅行」とか「旅行 出発なう」とか、そういう書き込みを検索する。あんたも試しにやってみたらいい。ぞろぞろ出てくるよ、泥棒どろぼうさんいらっしゃいと全世界に向けて宣言している善良な人々が。

その中からターゲットを選び出し、さらにフェイスブックやミクシィといったSNSや、ブログを調べる。その人物の該当ページを探すわけだ。自宅で撮った写真に位置情報がついていれば場所の特定も簡単だ。本人の日記だけでなく、友達の日記も役に立つ。念には念をいれてできるだけ多くの情報を仕入れておく。

この夫婦はゲームマニアのコミュニティで知り合ったようだ。二人ともSNSに日記を書いていて、特に好きなゲームやアニメについては関係者顔負けの細かいデータまでを記録している。

それで意気投合したらしく、つきあい始めの頃はそれぞれが「こんなにとんがってる僕と、カンペキに合う人がいたなんて奇跡です」「彼とは前世ぜんせから繫がってたとしか思えないのですが、現世で出会えたのはネットのおかげです」なんて歯の浮くような日記が続いていた。それほどまでに趣味が合うのなら、実際に出会った時にはもう相手の容姿ようしなんかどうでもよくなっていたことだろう(そしてこのお人好しの二人と俺が出会うことができたのも、ネットのおかげ、ネットの奇跡といえないこともない)。

二人が結婚して一緒に暮らしている今でさえ、双方の日記はほとんど交換日記のようになっている。メールでやりとりすればいいと思うのだが、そんなものを公開するカップルは結構多いのである。まあ一種の露出狂ろしゅつきょうだと俺は思う。今は「マジカルアニバーサリードライブ」というものに出かけているらしい。結婚記念日の、温泉一泊旅行だ。

まあいらんことまで知りすぎたわけだが、俺にとって重要なのは三つだけ。

1.二人はこの部屋にセキュリティーシステムを入れていない。そういう奴らの常として鍵は市販の安物のみ(これは既に実証済み)。

2.二人は今夜、伊豆いずにいる。現地でいちゃいちゃしているツイートが今も逐次ちくじ入っているから、少なくとも3時間は帰ってこない。

3.この部屋には盗み出すに値するブツが少なくとも一つ、存在する。妻が母親の形見かたみにもらったアンティークの指輪だ。18世紀フランスの鑑定書までを彼女はネットにさらしている。どうやら本物だ。と、したら時価じか1千万は下らない。

泥棒ってのはせせこましい稼業かぎょうってイメージがあるかもしれないが、今は違う。ここまで知っていれば、実に優雅ゆうがに仕事ができる。俺はビールをゆっくりと飲み干してから、仕事に取りかかった。

リビングの奥に進み、ドアを開ける。暗いけれど、見覚えがある。日記によく登場する寝室だ。指輪がしまってある引き出しも、すぐにわかった。写真で見たことがあった。

楽勝だ。俺は一歩、進んだ。その瞬間、轟音ごうおんが鳴り響いた。俺はつんのめって前に倒れた。見ると、両足が金属の巨大な輪の中に挟まれていた。輪の内側にサメの歯のようなギザギザを認めて、俺はようやく激痛を感じた。

うめきながら足を動かそうとしたら、痛みはさらにひどくなった。食い込んだ金属歯きんぞくしの隙間から血がき出してきた。

「こんばんはー」まず、男の声。「泥棒さん、はじめましてー」続いて、女の声。

部屋の壁が、いや壁だと思っていた場所に存在したクローゼットが開いた。その小さな空間から二つの巨体が次々と現れた。派手なコスプレ。この部屋の主の夫婦だ。俺は激痛で、おどろく余裕もなかった。

「もし誰もひっかからなかったら本当に旅行に出かけようと思ってたのよ」

「けど日記やたらと見に来てる人がいるから、キターーーーってなったわけ」

俺はうなり声で答えるしかできなかった。

「それにしてもネットってすごいね。本当に同じ趣味の人どうしを結びつけてくれる。僕らは二人とも、心優しくて、親切で、正しいことが大好きなんだ。動物が好きで、子供が好きで、ゲームやアニメが大好きで」

俺に言っているのか、お互いに向けて話しているのか、わからない。しゃべりながら二人はクローゼットから何かをがちゃがちゃと取り出していた。

「そういうことだけなら、ネットがなくても同じ趣味の人を見つけられる。けど、こういうことは、きっとネットがなければ誰にも言えなかった。一緒にやる人なんて絶対に見つからなかった」

女が向き直ると、その手元に銀色にきらめくものが見えた。大きな肉切り包丁だった。

部屋の床に、ビニールシートが敷きつめられていることに気づいた。その表面に、乾いた血の跡がある。ういん、と音。男が、電動ノコギリを起動した。