Fate/Zero 1 第四次聖杯戦争秘話
第21回
虚淵 玄(Nitroplus) Illustration/武内 崇・TYPE-MOON
あの奈須きのこがシナリオを担当した大人気ゲーム『Fate/stay night』の前日譚を虚淵玄が描いた傑作小説『Fate/Zero』が星海社文庫の創刊に堂々の登場! 1巻目となる「第四次聖杯戦争秘話」は『最前線』にて全文公開!
× ×
公明正大なる勝負の結果、クルミの冬芽探しはイリヤスフィールの勝利に終わり、チャンピオンの連敗は三で歯止めがかかった。加えて言うなら、アインツベルンの森にはノグルミの樹が見当たらなかった。
勝負を終えた二人は、並んでのんびりと歩きながら帰路につく。森の奥まで踏み込んだせいで、アインツベルン城の威容は靄の彼方で影絵のように霞んでいた。
「次は、キリツグが日本から帰ってきてからだね」
雪辱を果たしたイリヤスフィールが、満面の笑顔で父親を見上げる。直視できないその顔を、切嗣は精一杯の平静を装って受け止めた。
「そうだね……次こそは、父さんも負けないからな」
「うふふ、頑張らないと、もうすぐ一〇〇個まで差が開いちゃうよ?」
さも得意げな愛娘の笑顔は、多くを背負いすぎた男にとって、あまりにも酷すぎる重石だった。
一体どうして告白することができようか。――これが娘との最後の思い出になるかもしれない、などとは。
これより待ち受ける死闘を、切嗣は決して侮ってはいない。だが是が非でも勝利だけは勝ち取る。そのためには、おのが命を擲つことも辞さない。
ならば――ふたたびこの冬の森での遊戯を娘と約束しようにも、それは勝利の二の次でしかない。
すべてを救う。そのためにすべてを捨てる。
そう誓った男にとって、情愛とは茨の棘でしかない。
誰かを愛するたびに、その愛を喪う覚悟を心に秘め続けねばならないという呪い。それが衛宮切嗣の、理想の代価に背負った宿命だった。情愛は彼を責め苛むばかりで、決して癒すことはない。
なのに何故――切嗣は、白く凍てついた空と大地を見渡しながら自問する。
なぜ一人の女と、血を分けた我が子とを、こんなにも愛してしまったのか。
「キリツグとお母様のお仕事、どのぐらいかかるの? いつ帰ってくる?」
イリヤスフィールは父親の苦悩を露知らず、弾んだ声で問いかける。
「父さんは、たぶん二週間もすれば戻ってくる。――母さんは、その、だいぶ先になると思うんだけど……」
「うん。イリヤもお母様から聞いたよ。永いお別れになる、って」
何の曇りもない顔でそう返されて、切嗣は最後のとどめとも言うべき重圧に打ちのめされた。雪道を踏み分ける膝から力が抜けかかる。
妻は覚悟した。そして娘に覚悟をさせた。
衛宮切嗣が、この幼い少女から母親を奪うのだという現実を。
「お母様は、これからはイリヤと会えなくても、ずっとイリヤの傍にいてくれるんだって。だから寂しくなんかないって、ゆうべ寝る前に教えてくれたよ。だからイリヤはこれからも、ずっとお母様と一緒なの」
「……そうか……」
そのとき切嗣は、真っ赤な血に染まったおのれの両手を意識した。
もはや幾人を殺したのかも解らない、穢れきった両の腕。この手が人並みの父親として我が子を抱きしめることなど、決して赦されないものと――そう自分を戒めてきた。
だが、その戒めこそが逃避だったのではないか?
もはや、この子が母に抱擁されることは永遠にない。そして父である切嗣までもが、その役を辞するとしたら……この先、誰がイリヤスフィールを抱きしめてやれるのか。
「――なぁ、イリヤ」
切嗣は、傍らを歩く娘を呼び止めると、腰を落として少女の背中に手を迴した。
「……キリツグ?」
八年間、こうして小さな軀を腕に抱きしめるたびに、切嗣は胸の内でおのれの父性を疑ってきた。さも父親然として振る舞う欺瞞を嫌悪し、そうせずにはいられない自分を冷笑してきた。
だがそれも終わりだ。これより先は、この子のただ一人の父親として、腕の中のぬくもりを受け入れていかねばならない。逃げることなく。偽ることなく。
「イリヤは、待っていられるかい? お父さんが帰ってくるまで、寂しくても我慢できるかい?」
「うん! イリヤは我慢するよ。キリツグのこと、お母様と一緒に待ってるよ」
イリヤスフィールは、今日という思い出の日を、最後まで喜びのうちに全うする気でいるのだろう。明るく弾むその声は、どこまでも悲嘆とは無縁だった。
「……じゃあ、父さんも約束する。イリヤのことを待たせたりしない。父さんは必ず、すぐに帰ってくる」
衛宮切嗣は、またひとつ重荷を負った。
愛という、総身を締め上げる茨の棘に耐えながら、彼はいつまでも我が子を固く抱きしめていた。