Fate/Zero 1 第四次聖杯戦争秘話
第19回
虚淵 玄(Nitroplus) Illustration/武内 崇・TYPE-MOON
あの奈須きのこがシナリオを担当した大人気ゲーム『Fate/stay night』の前日譚を虚淵玄が描いた傑作小説『Fate/Zero』が星海社文庫の創刊に堂々の登場! 1巻目となる「第四次聖杯戦争秘話」は『最前線』にて全文公開!
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氷に閉ざされた、最果てのアインツベルン城。
いにしえの魔術師がひそやかに命脈を保つ、人も通わぬ深山の古城は、その日、久方ぶりに風雪から解放されていた。
空が晴れ渡るまでには到らなかったが、乳白色に霞んだ空でも雪の日よりは格段に明るい。羽ばたく鳥もいなければ青い草木もない冬の大地にも、光だけは存分にある。
こんな日は、父がどんなに忙しかろうと疲れていようと関係なく、二人で城の外の森を散歩する。それは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと衛宮切嗣が取り交わした不文律の第一条だった。
「よーし、今日こそは絶対に負けないからね!」
そう意気揚々と宣言しながら、イリヤスフィールは父の先に立ち、ずんずんと森を進んでいく。深い雪を小さなブーツで苦労しいしい踏み分けながら、それでも目はせわしなく周囲の木々を窺い、何ひとつ見落とすまいと、一分の油断も隙もない。少女は今、父親との真剣勝負の真っ最中だった。
「お、見つけた。今日一個目」
背後の切嗣が、そう得意げに宣言したのを聞いて、イリヤスフィールは驚きと腹立ちに目の色を変えて振り向いた。
「うそ! どこどこ? わたし見落としたりしてないのに!」
真っ赤になって悔しがる愛娘に不敵な笑みを返しながら、切嗣は頭上の小枝のひとつを指さす。霜の降りたクルミの枝から、小さく慎ましやかな冬芽が覗いていた。
「ふっふっふ、先取点だな。この調子でがんがん行くぞ」
「負けないもん! 今日はぜったい負けないもん!」
冬の森で父と娘が繰り広げる競い合いは、クルミの冬芽探しである。今年のイリヤの戦績は一二勝九敗一引き分け。通算スコアはイリヤが四二七個に対し、切嗣が三七四個である。目下、イリヤの圧勝ではあるのだが、ここ数回は切嗣が怒濤の三連勝を収め、チャンピオンに多大なプレッシャーを与えていた。
ムキになって先を急ぐイリヤスフィール。その様子を見守りながら、切嗣は苦笑いが止まらなかった。父親が見つけた冬芽がどれなのか、いちいち確認するあたり、今日は娘も必死と見える。いよいよ、今度ばかりは手の内を明かす羽目になりそうだ。
「あ、あった。イリヤも一個みーつけたっ」
はしゃぐイリヤの後ろから、切嗣は意地の悪い含み笑いを投げかける。
「ふふふ、父さんも二個目を見つけたぞ」
今度こそイリヤは、まるで水飛沫を飛ばされた猫のように跳び上がった。
「どれ? どれ!?」
少女からしてみれば、今度ばかりはプライドに懸けて、見落としなどなかったと断言できるのであろう。事実、彼女は見落としてなどいなかった。ただ単に張り合う相手が、じつに大人げなく狡猾なだけである。
一〇秒後のイリヤの反応を予期して笑いを嚙み殺しながら、切嗣は“二個目”と宣言した冬芽を指さした。
「えー? あの枝、クルミじゃないよ?」
切嗣が示したのは、それまでイリヤスフィールが標的外のものとして無視してきた枝である。
「いやいやイリヤ、あの枝はサワグルミといってだな、クルミの仲間なんだよ。だからあれも、クルミの冬芽だ」
狐につままれたような面持ちで二、三秒ほど黙ったあと、イリヤスフィールは真っ赤に頰を膨らませて喚きだした。
「ずるーい! ズルイズルイズルイ! キリツグずっとズルしてた!」
まったくもってズルである。前々回から切嗣は、クルミの冬芽にサワグルミの冬芽を加算していた。もはやインチキというよりも詭弁の領域の反則である。
「だってなぁ、こうでもしないと父さん勝ち目ないし」
「そんなの駄目なのっ! キリツグだけ知ってるクルミなんてナシなの!」
憤懣やるかたないイリヤスフィールは、父親の膝をポカポカ叩きはじめる。
「ハハハ、でもイリヤ、またひとつ勉強になっただろう? サワグルミの実はクルミと違って食べられない、って憶えておきなさい」
まるで反省の色を見せない父親にむけてイリヤスフィールは、うー、と小さな歯を剝いて脅かすように唸る。
「そういうズルイことばっかりやってたら、もうイリヤ、キリツグと遊んであげないよ!」
「そりゃ困る――ゴメンゴメン、謝るよ」
最後通牒をつきつけられた切嗣は、素直に恐縮して謝った。それでようやく、イリヤスフィールも機嫌を直しはじめる。
「もうズルしないって約束する?」
「するする。もうサワグルミはなし」
でも今度はノグルミって手があるよな……と、切嗣は胸の中でほくそ笑んだ。
性懲りのない父の心算を余所に、まだ他人を疑うということを知らないイリヤスフィールは満足げに頷いて、えっへん、と胸を張る。
「よろしい。なら、また勝負してあげる。チャンピオンはいつでも挑戦を受けるのだ」
「はい、光栄であります。お姫様」
恭順の証として、今日の冬芽探しでは切嗣が馬になるということで話がついた。
「あははっ! 高い、高い!」
父親の肩車は、イリヤスフィールの大のお気に入りだった。彼女の足では踏み込めないような深い雪の中でも、切嗣の長い脚ならば難なく渡ってしまえる。おまけに視野も高くなり、冬芽探しにはますます有利だ。
「さぁ、しゅっぱーつ!」
「ヤーヴォール!」
切嗣は首に娘を跨らせたまま、小走りに木立の中を抜けていく。スリリングな刺激にキャッキャと声を上げてはしゃぐイリヤスフィール。
そんな、肩に掛かる重みの少なさが、父親には哀しかった。
イリヤスフィールより以前には子育ての経験などないし、子供の成長の度合いというのがどの程度のものなのか、切嗣は実感として知っているわけではない。が、今年で八歳になる娘の体重が一五キロに満たないというのは、どう考えても異常だと理解できた。
おそらくは、出産の段階で無茶な調整を受けたのが原因だろう。切嗣とアイリスフィールの愛娘は、明らかに成長が遅れていた。このまま年齢を重ねても、身体がちゃんと成人の体格に到るかどうか。
いや、むしろ期待の方が虚しい。魔術師である切嗣の知識は、すでに私情を抜きにして冷酷な見立てを済ませている。おそらく十中八九、イリヤスフィールの成長は第二次性徴の前段階で止まるだろう。
それでもどうか、彼女が自分の身の上を不遇と思わないほどに、幸多くあってほしいと――そう願うのは親のエゴでしかない。が、その想いが胸を穿つときの、その痛みは、まぎれもなく切嗣という男の愛情の証でもあった。