Fate/Zero 1 第四次聖杯戦争秘話
第17回
虚淵 玄(Nitroplus) Illustration/武内 崇・TYPE-MOON
あの奈須きのこがシナリオを担当した大人気ゲーム『Fate/stay night』の前日譚を虚淵玄が描いた傑作小説『Fate/Zero』が星海社文庫の創刊に堂々の登場! 1巻目となる「第四次聖杯戦争秘話」は『最前線』にて全文公開!
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首尾よく召喚を成功させ、ウェイバーは得意絶頂のうちに今日という日を終えるものと、そう本人は期待していた。
にっくき鶏との激闘に費やされた昨晩とはうって変わって、今夜は大義を果たした心地よい疲労に浸りながら、満足のうちにベッドに就くはずだった。
それが――
「……どうして、こうなる?」
空っ風の吹きすさぶ新都の市民公園で、独り寒さに身を縮こませつつベンチに腰掛けているウェイバーは、いったいどこをどう間違えて自分の予定が裏切られたのか、未だに理解しきれない。
召喚は成功した。まさに会心の手応えだった。
召喚の達成と同時に、招かれたサーヴァントのステータスもまたウェイバーの意識に流れ込んできた。クラスはライダー。三大騎士クラスの括りからは外れるものの、それでも基礎能力値は充分にアベレージ以上。申し分なく強力なサーヴァントだ。
白煙にけぶる召喚陣から、のっそりと立ち上がる巨軀のシルエットを目にした瞬間。その昂揚たるや、ウェイバーはあやうく射精してパンツを台無しにしかかったほどである。
……思い返せば、その辺りからどうにも雲行きが怪しくなってきた。
ウェイバーが認識するところの“使い魔”というのは、あくまで召喚者の傀儡である。魔術師から供給される魔力によって、かろうじて現界していられるだけの存在。術者の一存次第でいかようにも使役できる木偶人形。使い魔とは本来そういうものだ。ならばその延長上にあるサーヴァントとて、概ね似たようなものであろうと想像していた。
が、召喚陣から出てきたアレは――
まず最初に、燃え立つように炯々と光る双眸の鋭さだけで、ウェイバーは魂を抜かれた。目を合わせた瞬間に、そのサーヴァントが、自分より圧倒的に強大な相手であることを、彼はなかば小動物めいた本能的直感で察知していた。
目の前に立ちはだかった巨漢の、圧倒的な存在感。その筋骨隆々たる体軀から香る、むくつけき体臭までも嗅ぎ取るに至って、ウェイバーは認識した。こいつは、幽霊だとか、使い魔だとか、そういう屁理屈を抜きにして本当にでかい男なのだと。
聖杯に招かれた英霊が、ただの霊体であるのみならず物質的な“肉体”を得て現界することは、ウェイバーも知識として知っていた。が、虚像でも影でもない、掛け値なしの実体である分厚い筋肉の塊によって目の前を塞がれるという感覚は、ウェイバーの想像を絶して脅威的だった。
ところで、ウェイバーは大男が嫌いである。
なにもウェイバーが人並みより少しばかり小柄だから、というだけの理由ではない。たしかに彼の肉体はいささか脆弱なきらいがあるが、それというのも幼少から魔術の学習に明け暮れるあまり、身体を鍛えるような時間的余裕など持ち合わせていなかったからであり、決して引け目に感じるようなことではない。むしろ肉体よりも優先して磨き上げた頭脳こそウェイバーの誇りなのである。
が、そんな当たり前な物事の道理が、大男の筋肉には通じない。こういう手合いが岩の塊みたいな拳を振り上げ、振り下ろすまでのタイムラグというのは、どうしようもなく短すぎる。いかに簡潔な弁論であろうとも展開する時間はなく、魔術を行使する猶予もない。
つまり――でかい筋肉には、拳が届くほどに近寄られたら終わり、なのである。
「……だから訊いておろうが。貴様、余のマスターで相違ないのだな?」
「は?」
それは大男が発した二度目の問いだった。大地を底から揺すり上げるような野太い声。そんな聞き漏らしようのない声でありながら、最初に問われたときは相手に圧倒されるあまり意識できなかったらしい。
「そ――そう! ぼぼぼボクが、いやワタシが! オマエのマスターの、ウ、ウェイバー・ベルベットです! いや、なのだッ! マスターなんだってばッ!!」
何かもう色々な意味で駄目だったが、ともかくウェイバーは精一杯の虚勢を張って目の前の筋肉に対抗した。……それにしても、いつの間にやら相手の体格はさっきよりいっそう巨大で威圧的になっている気がする。
「うむ、じゃあ契約は完了、と。――では坊主、さっそく書庫に案内してもらおうか」
「は?」
ふたたびウェイバーは気の抜けた返事を余儀なくされた。
「だーかーら、本だよ。本」
鬱陶しそうにそう言い直して、巨漢のサーヴァントはウェイバーにのしかかるように、松の根を思わせる剛腕を伸ばしてくる。
殺される――そう思った直後、ウェイバーは浮遊感に見舞われた。大男が彼の襟首を摑んで、ひょいと軽々しく持ち上げたのだ。そのときまでウェイバーは、自分が腰を抜かして地面に座り込んでいたことに気付かなかった。なぜ途中から相手が輪をかけて巨大化して見えたのか、ようやく合点がいった。
「貴様も魔術師の端くれなら、書庫のひとつやふたつは設えておるのだろう? さぁ案内しろ。戦の準備が必要だ」
「い、戦……?」
巨漢にそう指摘されるまで、ウェイバーはすっかり綺麗に聖杯戦争のことを失念していた。
当然、行きずりの民家に寄生しているだけのウェイバーが書庫なんぞ持ち合わせている筈もなく、やむなく彼はライダーを連れて図書館に行くことにした。
冬木市の中央図書館は、まだ開発途中の新都にある市民公園の中にあった。正直なところ、夜中に街中を出歩くのは気が引けたのだが――それというのも近頃、冬木市では猟奇的な殺人事件が頻発したせいで、警察が非常事態宣言を発令していた――ウェイバーにとっては巡回中の警官に見咎められて職務質問を受ける危険より、目の前のでかい筋肉に何をされるか判らない、という危機感の方が重大だった。
幸いなことに、巨漢は雑木林から出るや否や、搔き消されるように不可視になった。サーヴァントならではの霊体化、という能力だろう。鎧を着込んだ大男と連れだって歩いていたのでは不審人物どころの騒ぎではないので、その点はウェイバーも大いに助かったが、それでも威圧的な存在感はまとわりつくようにしてウェイバーの背中に圧力をかけ続けてきた。
運良く誰にも出会さずに冬木大橋を渡って新都に入り、目指す市民公園まで着いたところで、ウェイバーは奥にある小綺麗な近代建築を指さした。
「本なら、あそこにいくらでもある――と、思う」
すると、ウェイバーにのしかかっていた圧力がふわりと遠のいた。どうやらライダーは霊体のまま建物の中へと入っていったらしい。
――そうして、ひとり取り残されて待つこと三〇分あまり。訳の解らない脅威から解放されたウェイバーは、ようやく冷静に考えを整理する猶予を得た。
「……どうして、こうなる?」
さっきまでの自分の醜態を思い返して、ウェイバーは頭を抱えた。いかに強力な存在であろうともサーヴァントは彼の契約者。主導権はマスターであるウェイバーこそが握っている。
たしかにウェイバーの呼び出したサーヴァントは強力だ。それはケイネスから盗んだ聖遺物の来歴から充分に承知していた。
英霊イスカンダル。またの名をアレキサンダー、アレクサンドロス等でも知られる。ひとつの人名が様々な土地の発音によって呼びならわされるに到った経緯こそ、すなわちかの英雄の『征服王』たる所以である。齢二〇歳にしてマケドニアの王位を継ぐや否や、古代ギリシアを統率してペルシアへの侵攻に踏み切り、以後エジプト、西インドまでをも席巻する『東方遠征』の偉業を、わずか一〇年足らずで成し遂げた大英雄。後にヘレニズム文化として知られる一時代を築いた、文字通りの“大王”である。
そんな偉人の中の偉人たる男であろうとも、ひとたびサーヴァントとして呼び出された以上は、決してマスターには逆らえない。まず第一の理由は、サーヴァントの現界がウェイバーを依り代としていること。あの大男はウェイバーからの魔力供給によって現代の世界に繫ぎ止められているのであり、ウェイバーに万が一のことがあれば消え去るしか他にない。
すべてのサーヴァントには、マスターの召喚に応えるだけの理由――すなわち、マスターとともに聖杯戦争に参加し、勝ち抜かねばならない理由がある。即ち、彼らもまたマスター同様、聖杯を求める願望があるのだ。願望機たる聖杯が受け入れる願いとは、最後まで勝ち残った唯一人のマスターによるものとされているが、のみならず、そのマスターが従えたサーヴァントもまた、ともに願望機の恩恵に与る権限を得るのだという。つまり利害が一致する以上、サーヴァントはマスターと協調関係を保つのが当然なのだ。
さらに加えて切り札となるのは、マスターがその手に宿す令呪である。
三つの刻印をひとつずつ消費して行使される、すなわち三度限りの絶対命令権。これがマスターとサーヴァントの主従関係を決定的なものにしている。令呪による命令は、たとえ自滅に到る理不尽な指示であろうとも、決してサーヴァントには逆らえない。これが『始まりの御三家』の一家門、マキリによってもたらされたサーヴァント召喚の要となる契約システムなのだ。
裏を返せば、三つの令呪を使い切ったマスターは、即、サーヴァントによる謀叛の危険に晒されるわけだが、そこはマスターが慎重に立ち振る舞う限り回避できるリスクである。
そう、この手に令呪の刻印がある限り――腹の内の苛立ちを抑えて、ウェイバーはうっとりと自分の右手に見入りつつほくそ笑んだ――どれほどデカイ筋肉であろうとも、魔術師ウェイバー・ベルベットに逆らえる道理はないのである。
あのサーヴァントが戻ってきたら、その辺の鉄則をひとつガツンと言い聞かせてやらねばなるまい……
そんなことを考えていたウェイバーの背後で、突如、豪快な破壊音が轟いた。
「ひっ!?」
驚きのあまり跳び上がって振り向くと、図書館の玄関を閉鎖していたシャッターが、ぐしゃぐしゃに歪んで引き裂かれている。そこから悠々たる足取りで月明かりの中に現れたのは、他ならぬウェイバーのサーヴァント、ライダーその人だった。
初見が暗い森の中だっただけに、充分な明かりの中でその風体を仔細に見て取れたのは、思えばこれが最初だった。
身の丈は二メートルを優に超えて余りあるだろう。青銅の胴鎧から伸びる剝き出しの上腕と腿は、内側から張り詰めたかのような分厚い筋肉の束に覆われ、熊でも素手で絞め殺しかねないほどの膂力を窺わせる。いかつく彫りの深い面貌に、ぎらつくほど底光りする瞳と、燃え立つように赤い髪と髭。同じく緋色に染め上げられ、豪奢な裾飾りによって縁取られた分厚いマントは、さながら劇場の舞台を覆う緞帳を思わせる。
そんな恰好の大男が、近代設備の図書館の前に堂々と仁王立ちしている様子は、どこか滑稽なものすら感じさせる取り合わせだったが、けたたましく鳴り渡る警報装置のサイレンに浮き足立ったウェイバーには、面白がっている余裕などあろう筈もない。
「バカッ! バカバカバカッ! シャッター蹴破って出てくるなんて何考えてんだオマエ! なんで入るときみたいに霊体化しないんだよッ!?」
食ってかかるウェイバーに、だがライダーは妙に上機嫌な笑顔で、手にした二冊の本を掲げて見せた。
「霊体のままでは、コレを持って歩けんではないか」
分厚いハードカバーの装丁と、大判だが薄い冊子。どうやらライダーはその二冊を図書館から持ち出したかったらしい。だがそんな些末な理由のために治安擾乱なぞされたのでは、マスターとてたまったものではない。
「もたもたしてるな! 逃げろ! 逃げるんだよ!」
「見苦しいぞ、狼狽えるでない。まるで盗人か何かのようではないか」
「盗ッ人じゃなくて何なんだよオマエ!」
そう喚くウェイバーの剣幕に、ライダーは憮然となった。
「大いに違う。闇に紛れて逃げ去るのなら匹夫の夜盗。凱歌とともに立ち去るならば、それは征服王の略奪だ」
まったく話の通じない相手に、ウェイバーは頭を搔きむしる。ともかく、あの二冊の本を持たせている限り、ライダーは頑として霊体化することなく、深夜のコスプレ怪人として堂々と闊歩する気でいるらしい。
切羽詰まったウェイバーは、ライダーに駆け寄ると、その手の中から本を二冊とも引ったくった。
「これでいいだろ!? さあ消えろ! いま消えろ! すぐ消えろ!」
「おお、では荷運びは任せた。くれぐれも落とすなよ」
満足げに頷いて、ライダーは再び不可視になる。
だがウェイバーも安堵している暇はなかった。図書館の警報は間違いなく、いずこかの警備会社にまで届いているだろう。ガードマンが駆けつけてくるまでにどれほどの猶予があるか、もう知れたものではない。
「ああもう――どうして――こうなるんだよッ!?」
今夜何度目になるのか判らない嘆きの言葉を吐き捨てながら、ウェイバーは全力で駆けだした。