Fate/Zero 1 第四次聖杯戦争秘話
第11回
虚淵 玄(Nitroplus) Illustration/武内 崇・TYPE-MOON
あの奈須きのこがシナリオを担当した大人気ゲーム『Fate/stay night』の前日譚を虚淵玄が描いた傑作小説『Fate/Zero』が星海社文庫の創刊に堂々の登場! 1巻目となる「第四次聖杯戦争秘話」は『最前線』にて全文公開!
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同じ頃、遠く海を隔てた東の地においても、衛宮切嗣と同様にイギリスに潜ませた間諜からの報告を受け取っている者がいた。
正統なる魔術師である遠坂時臣は、切嗣のように俗世の最新技術などは用いない。彼が頼みとする遠隔通信の手段は、宝石魔術を代々継承してきた遠坂家ならではの秘術である。
冬木市は深山町の高台に聳える遠坂邸。その地下に設けられた時臣の工房には、俗にブラックバーン振り子と呼ばれる実験道具に似た装置が用意されている。ただの物理科学の器具と違うのは、振り子の錘になっているのが遠坂伝来の魔力を帯びた宝石である点と、それを吊す紐を伝ってインクが宝石を濡らす仕掛けになっていることである。
この振り子の宝石と対になる石が、遠坂の間諜には預けられている。その石をペン軸の先端に塡めて文字を書くと、それに共振して振り子の宝石が揺れはじめ、滴り落ちるインクが下のロール紙に寸分違わぬ文字を描き出す、という仕組みなのだ。
いま魔石の振り子は、ちょうど地球の反対側のロンドンにある対の石に共振しはじめ、一見無秩序に見える奇怪な反復運動で、すらすらと正確に報告者の筆致を再現しはじめた。
それに気付いた時臣は、まだインクの生乾きの用紙を取り上げて、逐一、その記述に目を通していった。
「――何度見てもいかがわしい仕掛けですね」
その様を傍らで見守っていた言峰綺礼が、忌憚のない感想を漏らす。
「フフ、君にはファクシミリの方が便利にでも見えるかね? これなら電気も使わないし故障もない。情報漏洩の心配も皆無だ。なにも新しい技術に頼らなくても、われわれ魔術師はそれに劣らず便利な道具を、とうの昔に手に入れている」
それでも綺礼から見れば、誰にでも扱えるFAXの方が利便性ははるかに高いと思えたが、そういう手段を“誰もが”使うという必然性は、きっと時臣の理解の外にあるのだろう。貴人と平民とでは、手にする技術も知識も異なっていて当たり前……今の時代にもそういう古風な認識を貫いている時臣は、まさに筋金入りの“魔術師”だった。
「『時計塔』からの最新の報告だ。“神童”ことロード・エルメロイが新たな聖遺物を手に入れたらしい。これで彼の参加も確定のようだな。ふむ、これは歯応えのある敵になりそうだ。これで既に判明しているマスターは、我々も含めて五人か……」
「この期に及んでまだ二人も空席があるというのは、不気味ですね」
「なに。相応しい令呪の担い手がいない、というだけのことだろう。時が来れば聖杯は質を問わず七人を用意する。そういう員数合わせについては、まぁ概ね小物だからな。警戒には及ぶまい」
時臣らしい楽観である。三年の期間を師事してよく解ったが、綺礼の師たるこの人物は、こと準備においては用意周到でありながら、いざ実行に移す段になると足元を見なくなるという癖がある。そういう些末な部分に気を配るのは、むしろ自分の役目なのだろう、と、すでに綺礼も納得済みだった。
「まぁ用心について言うのなら――綺礼、この屋敷に入るところは誰にも見られていないだろうね? 表向きには、我々は既に敵対関係なのだからね」
遠坂時臣の筋書き通り、事実は歪曲して公表されていた。すでに三年前から聖杯に選ばれていた綺礼だが、彼は時臣の命により右手の刻印を慎重に隠し通し、今月になってからようやく令呪を宿したことを公にした。その時点で、共に聖杯を狙う者同士として師の時臣と決裂したことになっている。
「ご心配なく。可視不可視を問わず、この屋敷を監視している使い魔や魔導器の存在はありません。それは――」
「――それは、私が保証いたします」
第三者の声が割り込むとともに、綺礼の傍らに黒い影が、ゆらり、と蟠った。
それまで霊体として綺礼に同伴していた存在が、実体化して時臣の前に姿を現したのである。
長身瘦軀のその人影は、だが人間とは桁違いの魔力を帯びた“人と異なるもの”だった。漆黒のローブに身を包み、白い髑髏を模した仮面で貌を隠した怪人物。
そう、彼こそは第四次聖杯戦争に臨んで最初に呼び出され、言峰綺礼との契約によって『アサシン』の座に宿ったサーヴァント――ハサン・サッバーハの英霊だった。
「いかな小細工を弄そうとも、間諜の英霊たるこのハサンめの目を誤魔化すことは敵いませぬ。我がマスター、綺礼の身辺には、現在いかなる追跡の気配もなし……どうかご安心くださいますよう」
主たる言峰綺礼の、さらに上に立つ盟主として時臣のことを了解しているのだろう。アサシンは恭しく頭を垂れて報告した。
さらに綺礼が言葉を続ける。
「聖杯に招かれた英霊が現界すれば、どの座が埋まったかは間違いなく父に伝わります」
聖杯戦争の監督役を務めるにあたり、現在、専任司祭という形で冬木教会に派遣されている璃正神父の手元には、『霊器盤』と呼ばれる魔導器が預けられている。これには聖杯が招いた英霊の属性を表示する機能がある。
マスターの身元は個々の申告によって確かめるしか他にないが、現界したサーヴァントの数とそのクラスについては、召喚がいずこの地で行われようと、必ず『霊器盤』によって監督役の把握するところとなるのだ。
「父によれば、現界しているサーヴァントはいまだ私のアサシン一体のみ。他の魔術師たちが行動を起こすのは、まだ先のことと思われます」
「うむ。だがそれも時間の問題だ。いずれこの屋敷の周囲には他のマスターの放った使い魔どもが右往左往するようになるだろう。ここと間桐邸、それにアインツベルンの別宅は、すでにマスターの根城として確定しているからな」
御三家に対する外来の魔術師たちのアドバンテージは、その正体が秘匿されている点にある。それゆえ聖杯戦争の前段階では、どの家門でも密偵を使った諜報戦に明け暮れることになる。
綺礼は時臣の情報網を信用していないわけではなかったが、残る二人の謎のマスターが、その上を行く手段で正体を隠蔽している可能性も警戒していた。そういう策略家の敵に対処するとなれば、綺礼が得たアサシンのサーヴァントは最大限の力を発揮する。
「この場はもういい。アサシン、引き続き外の警戒を。念には念を入れてな」
「御意」
綺礼の下知を受けて、アサシンはふたたび非実体化してその場から姿を消した。根本的に霊体であるサーヴァントは、実体から非実体へと自在に転位することができる。
他のクラスにはない『気配遮断』という特殊能力を備えたアサシンは、隠密行動においては他の追随を許さない。自ら勝ちを狙うのでなく時臣を掩護するのが役目の綺礼にとって、アサシン召喚は最善の選択だった。
戦略はこうだ。
まず綺礼のアサシンが奔走し、他のマスター全員の作戦や行動方針、サーヴァントの弱点などについて徹底的に調査する。そして各々の敵に対する必勝法を検証した後で、時臣のサーヴァントが各個撃破で潰していく。
そのために時臣は、徹底して攻撃力に特化したサーヴァントを召喚する方針でいるという。だが彼がどんな英霊に目をつけているのか、まだ綺礼は聞かされていない。
「私の手配していた聖遺物は、今朝ようやく到着した」
綺礼の表情から察したと見えて、時臣は問いに先回りしてそう答えた。
「希望通りの品が見つかったよ。私が招くサーヴァントは、すべての敵に対し優位に立つだろう。およそ英霊である限り、アレを相手にして勝ち目はない」
そうほくそ笑む時臣は、持ち前の不敵な自信に満ちあふれていた。
「さっそく今夜にも召喚の儀を行う。――他のマスターの監視がないというのなら、綺礼、君も同席するといい。それにお父上も」
「父も、ですか?」
「そうだ。首尾よくアレを呼び出したなら、その時点で我々の勝利は確定する。喜びは皆で分かち合いたい」
こういう傲岸なまでの自信を、何の衒いもなく誇示できるところが、遠坂時臣の持ち味といえよう。その器の大きさに、綺礼は呆れると同時に敬服もしていた。
ふと綺礼は、振り子の宝石に目をやった。ロール紙に認められる宝石の揺れは、まだ止むことなく続いている。
「まだ他にも、続きがあるようですが」
「ん? ああ、それは別件の調査でね。最新のニュースじゃない。――おそらくアインツベルンのマスターになるであろう男について、調査を依頼しておいたんだ」
外界との接触を断絶しているアインツベルン家についての情報は、ロンドンの時計塔においてもきわめて手に入りにくい。だが時臣はそのマスターについて心当たりがあると、かねてから語っていた。手元の紙を巻いて書見台に置くと、彼は新たな印字紙を手元に取り寄せる。
「――今から九年ほど昔になるか。純血の血統を誇ってきたアインツベルンが、唐突に外部の魔術師を婿養子に迎え入れた。協会でもちょっとした噂になったんだが、その真意を見抜いたのは、私と、あとは間桐のご老体ぐらいなものだろう。
もともと錬金術ばかりに特化したアインツベルン家の魔術師は、荒事に向いていない。過去の聖杯戦争での敗北も、すべてそれが原因だった。それでいよいよ連中も痺れを切らしたのだろう。招かれた魔術師というのが“いかにも”という人物だった」
喋りながらもざっと流し読みを済ませた印字紙を、時臣は綺礼に手渡した。『調査報告:衛宮切嗣』という記述を見咎めて、綺礼の目がわずかに細まる。
「この名前……聞き覚えがあります。かなり危険な人物だとか」
「ほう、聖堂教会にも轟いていたか。“魔術師殺し”の衛宮といえば、当時はかなりの悪名だった。表向きは協会に属さないはぐれ者だったが、上層部の連中は奴をいろいろと便利に使っていたようだ」
「教会で言うところの、代行者のようなものですか?」
「もっと性が悪い。あれは魔術師専門に特化した、フリーランスの暗殺者のようなものだった。魔術師として魔術師を知るが故に、もっとも魔術師らしからぬ方法で魔術師を追いつめる……そういう下衆な戦法を平然とやってのける男だ」
嫌悪もあらわにそう語る時臣の語調で、綺礼はむしろその衛宮切嗣という人物に興味を持った。たしかに噂には聞いていたし、過去に聖堂教会と対立したこともあるらしく、要注意人物という勧告も受けていた憶えがある。
渡された資料に目を通してみる。記述の大部分は、衛宮切嗣の戦術に関する考察――彼の仕業と推測される魔術師の変死や失踪と、その手口の分析に費やされていた。読み進むうちに、時臣がこの男を忌避する理由が段々と綺礼にも見えてきた。狙撃や毒殺はまだ序の口。公衆の面前で爆殺したり、乗り合わせた旅客機ごと撃墜、などという信じがたい報告もある。かつて無差別テロ事件として世間に報道された大惨事が、じつはただ一人の魔術師を標的とした衛宮切嗣による犯行ではないかという推測まであった。確証はないものの、列挙された証拠を読む限りでは確かに信憑性が高い。
暗殺者、という表現はなるほど至極妥当だった。魔術師同士の対立が殺し合いに発展するケースはままあるが、それらは往々にして純然たる魔術勝負、決闘じみた形式の段取りで解決されるのが常である。その意味では聖杯戦争もまた同様で、“戦争”などと称されながらも決して無秩序な殺戮ではなく、いくつかのルールや鉄則が厳然として存在する。
そういう“魔術師として尋常な”手段によって戦いに臨んだ記録は、衛宮切嗣の戦歴には一行たりとも存在しない。
「魔術師というのはな、世間の法から外れた存在であるからこそ、自らに課した法を厳格に遵守しなければならない」
声音に静かな怒りを滲ませながら、時臣は断言する。
「だがこの衛宮という男は徹底して手段を選ばない。魔術師であるという誇りを微塵も持ち合わせていないんだ。こういう手合いは断じて許せない」
「誇り……ですか」
「そう。この男にしても、かつては魔術師となるにあたって厳しい修練を経てきたのだろう。ならばその苦難を凌ぎうるだけの信念も持ち合わせていたはずだ。そういう初志は、たとえ力を得た後でも決して忘れてはならない」
「……」
時臣の言うことは間違いだ。苛烈な訓練に、何の目的もないまま没頭するほどの愚か者も、この世には存在する。それは綺礼が誰よりもよく知っている。
「――ではこの衛宮切嗣は、何を目的に殺し屋などを?」
「まぁ、おそらくは金銭だろうな。アインツベルンに迎えられて以後は、外道働きもぱったりと途絶えた。一生遊んで暮らせるだけの富を得たのだから当然だろう。――その報告書にもあるだろうが、奴が関わってきたのは魔術師の暗殺だけではない。事あるごとに世界中で小遣い稼ぎをやっていたらしい」
時臣の言うとおり、報告書の末尾には、魔術師がらみの事件とは別に、衛宮切嗣の経歴がずらりと列挙されていた。なるほど、およそ思いつく限りの世界中の紛争地に切嗣は姿を現している。殺し屋ばかりでなく傭兵としても相当な荒稼ぎをこなしてきたと見える。
「……この書類、少しお借りしてもいいでしょうか?」
「ああ、構わんよ。私に代わって吟味してもらえれば助かる。こちらは今夜の召喚の準備で忙しいんでね」