Fate/Zero 1 第四次聖杯戦争秘話

第10回

虚淵 玄(Nitroplus) Illustration/武内 崇・TYPE-MOON

あの奈須きのこがシナリオを担当した大人気ゲーム『Fate/stay night』の前日譚を虚淵玄が描いた傑作小説『Fate/Zero』が星海社文庫の創刊に堂々の登場! 1巻目となる「第四次聖杯戦争秘話」は『最前線』にて全文公開!

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私室に戻った切嗣とアイリスフィールは、当主に託された長櫃を開け、その中身に目を奪われていた。

「まさか、本当にこんなものを見つけてくるなんて

滅多なことでは動揺しない切嗣も、こればかりは感銘を受けたらしい。

剣のさや、である。

黄金の地金に、目の醒めるような青の琺瑯ほうろうで装飾を施した豪勢なこしらえは、武具というより王冠や笏杖しゃくじょうといった、貴人の威を示す宝具を思わせる。中央部に彫られた刻印は、失われて久しい妖精文字。この鞘が人ならざる者の手による工芸品であることを証明している。

なんてこった、きずひとつない。これが一五〇〇年も前の時代の発掘品だって?」

「これ自体が一種の概念武装ですもの。物質として当たり前に風化することはないでしょうね。聖遺物として召喚の媒介に使うまでもなく、これは魔法の域にある宝物よ」

内張りの施されたケースの中から、アイリスフィールは黄金の鞘を恭しく手に取り、持ち上げる。

「ただ装備しているだけで、この鞘は伝説の通りに持ち主の傷を癒し、老化を停滞させるもちろん、“本来の持ち主”からの魔力供給があればの話だけれど」

「つまり、呼び出した英霊と対にして運用すれば、これ自体を“マスターの宝具”として活用できるわけだな」

鞘の神々しいまでに美しい意匠に見惚みとれていたのも束の間、早くもそれを“道具”として実用的に扱う方向で思考しはじめている切嗣に、アイリスフィールはやや呆れた風に苦笑した。

「あなたらしいわね。道具はどこまでも道具、というわけ?」

「それを言うなら、サーヴァントにしてもそうだ。どんな名高い英雄だろうと、サーヴァントとして召喚されればマスターにとっては道具も同然そこに妙な幻想を持ち込む奴は、きっとこの戦いには勝ち残れない」

父親や夫としてではなく、戦士としての側面を覗かせるとき、衛宮切嗣の横顔は限りなく冷酷になる。かつて、まだ夫の心の内を理解するより以前のアイリスフィールには、そんな切嗣が畏怖の対象だった。

「そんなあなたにこそ、この鞘は相応しいとそれが大お爺様の判断なのね」

「果たして、そうなんだろうか?」

切嗣は明らかに不満げだった。手を尽くして用意させた聖遺物に対する、これが婿養子の反応だと知ったなら、アハト翁は怒りに言葉を失っていただろう。

「大お爺様の贈り物が、ご不満?」

切嗣の不遜ふそんを咎めるどころか、どことなく面白がっている風な様子でアイリスフィールが訊く。

「まさか。ご老体はよくやってくれた。他にこれほどの切り札を手にしたマスターはいないだろうさ」

「じゃあ、何がいけないの?」

「これだけ“ゆかりの品”として完璧な聖遺物があるなら、間違いなく召喚に応じるのは目当ての英霊になるだろう。マスターである僕との相性などは二の次にして、ね

本来ならば、サーヴァントの召喚に際しては、招き寄せられる英霊の質はマスターの精神性によって大きく左右される。召喚する英霊を特定しなければ、原則的には召喚者の性格と似通った魂の持ち主が呼び出されることになる。だが聖遺物によるえにしはそれに優先される要素だ。聖遺物の来歴が確実であればあるほど、現界する英霊は単一に絞り込まれていく。

つまりあなたは、『騎士王』との契約に不安があるのね」

「当然だろう。およそ僕ぐらい騎士道なんてものと程遠いところにいる男はいないぜ」

やや冗談めかした風に、切嗣は酷薄な笑みを浮かべた。

「正面切っての決闘なんて僕の流儀じゃない。それが生存戦バトルロイヤルともなれば尚更だよ。狙うとしたら寝込みか背中だ。時間も場所も選ばずに、より効率よく、確実に仕留められる敵を討つ。そんな戦法に、高潔なる騎士サマが付き合ってくれるとは思えないからね」

アイリスフィールは黙して、曇り一つない鞘の輝きに見入る。

確かに切嗣はそういう戦士だ。勝利のためにはどんな手段もいとわない。おそらく試してみるまでもなく、かつてこの鞘を帯びていた人物との相性は最悪だろう。

でも、惜しいんじゃなくて? 『約束された勝利の剣エクスカリバー』の担い手ともなれば、間違いなく『セイバー』のクラスとしては最高のカードよ」

そう。

この輝く鞘こそは、かの至上の宝剣と対になるもの。遠く中世より語り継がれる伝説の騎士王、アーサー・ペンドラゴンの遺品に他ならない。

「そうだな。ただでさえ『セイバー』は聖杯が招く七つのクラスのうちでも最強とされている。そこに、かの騎士王を据えられるとなれば僕は無敵のサーヴァントを得ることになるだろう。

問題はね、その最強戦力をどう使いこなせばいいのか、なんだ。正直なところ、扱いやすさだけで言うなら『キャスター』か『アサシン』あたりの方が、よほど僕の性に合ってたんだけどね」

そのときぜいを尽くしたフランボワイヤン様式の内装に全く似つかわしくない、軽薄な電子音が、二人の会話に割り込んだ。

「ああ、ようやく届いたか」

樫材かしざいの重厚な執務机の上に、無造作に置かれたラップトップ式のコンピューターは、まさに手術台の上のミシンの如き珍奇な組み合わせだった。由緒正しい魔導の家門の常として、科学技術にまるで利便性を見出さないのはアインツベルンも例外ではない。アイリスフィールの目には卦体けったいきわまりなく映るこの小さな電算機は、切嗣個人が城に持ち込んだ私物である。こういう機具の使用に抵抗感を持たない魔術師というのはそれだけで希有けうな存在だが、切嗣がまさにその一人だった。かつて彼が城に電話線と発電機を設けるよう要求した折は、老当主と一悶着ひともんちゃくあった程である。

何なの? それ」

「ロンドンの時計塔に潜り込ませていた連中からの報告だ。今度の聖杯戦争のマスターについて、調べさせていたんでね」

切嗣は執務机に戻ると、慣れた手つきでキーボードを操作し、新着の電子メールを液晶ディスプレイに表示した。それが『インターネット』と称する、近頃、都市部で普及しはじめた新技術によるものだという説明は、アイリスフィールも聞いたことがあったが、彼女には夫の丁寧な説明でさえ一割程度も理解できずにいた。

ふむ、判明したのは四人まで、か。

遠坂からは、まぁ当然ながら今代当主の遠坂時臣。“火”属性で宝石魔術を扱う手強てごわい奴だ。

間桐は間桐で、当主を継がなかった落伍者を強引にマスターに仕立てたらしい。無茶をするあそこの老人も必死だな。

外来の魔術師には、まず時計塔から一級講師のケイネス・エルメロイ・アーチボルト。ああ、こいつなら知っている。“風”と“水”の二重属性を持ち、降霊術、召喚術、錬金術に通ずるエキスパート。今の協会では筆頭の花形魔術師か。厄介やっかいなのが出てきたもんだ。

それと、聖堂教会からの派遣が一人言峰綺礼。もと“第八”の代行者で、監督役を務める言峰璃正神父の息子。三年前から遠坂時臣に師事し、その後に令呪を授かったことで師と決裂、か。フン、何やらキナくさい奴だな」

引き続き画面をスクロールさせながら、詳細しょうさいな調査内容に目を通していく切嗣の様子を、アイリスフィールは手持ち無沙汰ぶさたに眺めていたが、そのうちにふと気がついた。いつの間にか、モニターに見入る切嗣が表情を引き締め、剣吞な面持ちになっている。

どうか、しました?」

「この、言峰神父の息子。経歴まで洗ってあるんだが

アイリスフィールは切嗣の後ろから液晶ディスプレイを覗き込み、彼の指さしている箇所に目を走らせた。紙でなく画面から文字を読みとるのには慣れていないので難儀したが、真顔の切嗣の前ではそんな愚痴ぐちも言っていられない。

言峰綺礼。一九六七年生まれ。幼少期から父、璃正の聖地巡礼に同伴し、八一年にはマンレーサの聖イグナチオ神学校を卒業二年飛び級で、しかも首席? 大した人物のようね」

切嗣は憮然ぶぜんとして頷いた。

「このまま行けば枢機卿すうきけいにでもなりかねない勢いだったが、ここで出世街道を外れて聖堂教会に志願してる。他にいくらでも展望があったのに、何故、よりによって教会の裏組織に身を落とすような真似をしたのか」

「父親の影響かしら? 言峰璃正も聖堂教会の所属よね」

「だったら最初から、父親と同じ聖遺物回収を目指したはずだ。たしかに綺礼は最終的に父と同じ部署に落ち着くが、その前に転々と三度も所属を替えて、一度は『代行者』にまで任命されたこともある。まだ十代のうちに、だぞ。生半可なまはんかな根性でできることじゃない」

それは聖堂教会においてもひときわ血腥ちなまぐさい部署、異端討伐とうばつの任を負う修羅の巣窟そうくつとも言うべき役職である。『代行者』の称号を得たというのは、すなわち第一級の殺戮者、人間兵器としての修練を潜り抜けてきたことを意味している。

「狂信者だったんじゃないかしら。幼くて純粋すぎるほどに、一線を越えて信仰にのめり込むことも有り得るわ」

アイリスフィールの意見に、だが切嗣はまたしてもかぶりを振った。

「違うだろうなそれだと、ここ三年のこいつの近況が納得できない。

魔術協会への出向なんて、信仰に潔癖であれば無理な相談だ。いちおう聖堂教会からの辞令だったらしいし、教義そのものより組織に対して忠義を誓っていたのかもしれないが、だとしても、ここまで本気で魔術に打ち込む理由はないはずだ。

見なよ。遠坂時臣が魔術協会に提出した、綺礼に関する報告だ。修得したカテゴリーは練金、降霊、召喚、卜占ぼくせん治癒魔術については師である遠坂すら超えている。この積極性は何なんだ?」

アイリスフィールはさらに先へとテキストを読み進め、結びの文章に総括されている言峰綺礼の能力分析に目を通した。

ねぇあなた。たしかにこの綺礼というのは変わり者のようだけれど、そこまで注目するほどの男なの? 色々と多芸を身につけてるみたいだけれど、格別に際立ったものは何もないじゃない」

「ああ、そこがますます引っかかるんだよ」

解せない様子のアイリスフィールに、切嗣は根気よく説明した。

「この男は何をやらせても“超一流”には到らない。天才なんて持ち合わせていない、どこまでも普通な凡人なんだよ。そのくせ努力だけで辿り着けるレベルまでの習熟は、おそろしく速い。おそらく他人の十倍、二十倍の鍛錬をこなしてるんだ。そうやって、あと一歩のところまで突き詰めて、そこから何の未練もなく次のジャンルに乗り換える。まるでそれまでつちかってきたものをくず同然に捨てるみたいに」

「誰よりも激しい生き方ばかりを選んできたくせに、この男の人生には、ただの一度も“情熱”がない。こいつはきっと、危険なヤツだ」

切嗣はそう結論づけた。その言葉の裏に秘められた意味を、アイリスフィールは知っている。

彼が『厄介だ』と言うときには、敵をうとんじてはいても、実のところ脅威とまでは見なしていない。そういう敵に対する対処も勝算も、すでに切嗣の中では八割方完成している。だが『危険だ』というコメントは衛宮切嗣という男が本気で牙をくべき相手と見込んだ場合にだけ、贈られる評価なのだ。

「この男はきっと何も信じていない。ただ答えを得たい一心であれだけの遍歴をして、結局、何も見つけられなかったそういう、底抜けにうつろな人間だ。こいつが心の中に何か持ち合わせているとするなら、それは怒りと絶望だけだろう」

遠坂時臣やアーチボルトよりも、あなたにとっては、この代行者の方が強敵だと?」

しばし間をおいてから、切嗣はきっぱりと頷いた。

恐ろしい男だな。

たしかに遠坂やロード・エルメロイは強敵だ。だがそれ以上に、僕にはこの言峰綺礼の“在り方”が恐ろしい」

「在り方?」

「この男の中身は徹底して空虚だ。願望と呼べるようなものは何ひとつ持ち合わせないだろう。そんな男が、どうして命を賭してまで聖杯を求める?」

聖堂教会の意向ではないの? あの連中は冬木の聖杯を聖者ゆかりの品と勘違いして狙っている、っていう話よね」

「いいや、たかだかその程度の動機しかない人間に、聖杯は令呪を授けない。この男はマスターとして聖杯に選ばれた。聖杯を手にするだけの所以ゆえんを持ち合わせているはずなんだ。それが何なのか、まるで見えないのが恐ろしい」

深く溜息をつき、沈鬱な眼差しで、切嗣はじっと液晶ディスプレイに見入った。無味乾燥な文字のみによって語られる言峰綺礼の人物像から、それ以上のものを見出そうとして。

「こんな虚ろな、願望を持ち合わせていない人間が、聖杯を手にしたらどうなると思う?

この男の生涯は絶望の積み重ねだけで出来ている。願望機としての聖杯の力を、その絶望の色で染め上げるかもしれない」

暗い感慨にふける切嗣を、アイリスフィールは戒める意味で、力強くかぶりを振った。

「私の預かる聖杯の器は、決して誰にも渡さない。聖杯の満たされる時、それを手にするのは切嗣、あなただけよ」

アインツベルンの長老が、ただ聖杯の完成だけを悲願とするのであろうとも若い二人には、その先にこそ叶えるべき願いがある。夢がある。

切嗣はラップトップコンピューターの蓋を閉じ、アイリスフィールの肩を抱き寄せた。

「どうあっても、負けられないな」

彼の妻たる女は、いま自らの家門の悲願より、夫たる男と志を同じくしている。その事実は深く切嗣の心に響いた。

策がひらめいたよ。最強のサーヴァントを、最強のままに使い切る方法が」