エレGY

CHAPTER 3-1『夜の道、一人歩いて』

泉 和良 Illustration/huke

「最前線」のフィクションズ。破天荒に加速する“運命の恋”を天性のリズム感で瑞々しく描ききった泉和良の記念碑的デビュー作が、hukeの絵筆による唯一無二の色彩とともに「最前線」に堂々登場! 「最前線」のフィクションズページにて“期間無制限”で“完全公開中”!

CHAPTER 3
1『夜の道、一人歩いて』

エレGYが去った後、大井町から戸越公園駅まで電車に乗った。

駅を出て、彼女が忘れていった紙袋を引きずりながら、アパートまでの夜道を一人歩く。

昨日も今日も、二人だとあまり気にならなかったが、もう夜に外を歩くにはかなり寒い。

お腹には、まだ彼女に殴られた時の痛みが残っていた。

加減がない

これで終わったな、と僕は思った。

彼女が僕の腹を殴ったのは、おそらく僕の言った事が当たっていて、何も言い返せなかったからだろう。

僕自身の事を好きなわけではないと、彼女も薄々感じていたのかも知れない。彼女にしてみれば、現実には存在しないジスカルドに近づくためには、もう僕を求めるしかないのだ。

腹が立った。

彼女が幻影のジスカルドしか求めていないのに、僕の気持ちだけは本物の彼女に虚しく向けられている。

惨めで苦しい。

彼女は悪くない。

ジスカルドを操り、自分を誤魔化していたのは僕だ。

ただ魔法が切れて終わった。それだけ

エレGYの泣き顔を思い出す。

彼女がこの事で再び手首を切ってしまわないかを考えると、より気が重くなった。

しかし、それを確認しようとメールを出したりするのは止そうと決めた。

そんな事をしていたら、根性の弱い僕は彼女を諦めきれなくなってしまいそうだ。

彼女の荷物は郵送しよう。住所は通販の履歴で分かる。

アパートまで着くと、再び扉の前にエレGYが立っているのではないか、と一瞬思ったが、誰も立ってはいなかった。

代わりにポストの中に、ガス供給の停止を伝える紙が入っていた。

おそらく今日の午後の内に止められたのだろうが、その頃僕は、一晩泊まったエレGYをやっと帰した後で、ほっとして熟睡していたのだ。

僕はその紙をくしゃくしゃに丸めてポストの中に押し戻した。

家の中は、エレGYが泊まっていったままの状態で残っていた。

軽く後片付けをしてから、PCを起動させようとして手が止まる。

何のためにPCを点けるんだ、と自問した。仕事をする時間でもないし、もうメッセンジャーでエレGYの名を探すこともない。

駅から持って帰ってきた彼女の紙袋二つが目に入った。

「あの馬鹿、何持ってきてんだよ」と、一人で呟く。

少しだけ躊躇したが、結局、荷物の中身を一つずつ出してみることにした。

まず、フライパン

アルミの片手鍋

果物包丁

調味料の小瓶数個

チャーハンの素

パスタ

レトルトのミートソース

レトルトカレー二袋

インスタントラーメン三袋

変な猫の絵が描かれたマグカップ二個

モノポリーの柄が描かれたビニール袋が出てくる。

中を開けると、

何故か初期の頃の少し大きめなゲームボーイ。シールが完全にげて何のタイトルか分からないソフトが差さっている。起動すると、テトリスだった。

更に、同じ袋の中から

CDプレーヤーと、CD収納ケース

箱からはみ出してぐちゃぐちゃに混ざり合った幾つかのカードゲーム

携帯用ミニモノポリー

携帯用ミニ碁盤

サイコロ

もう一つの紙袋の方には

化粧品の詰まったリロ&スティッチのポーチ

ピンクの手鏡

ドライヤーとヘアブラシ

歯磨きセット

のど飴とチョコレートが無数に入った袋

あとは、イトーヨーカドーのビニール袋に包まれた着替えが入っていた。

やつは無人島でも行く気か

しかし、エレGYは本当に僕の家で同棲どうせいでも始めようと思っていたのかもしれない。

そこまでいかずとも、数日間は滞在しようと計画していたのは間違いないだろう。

これらの荷物を詰めるエレGYの姿を想像すると、胸が苦しくなった。

彼女のCDプレーヤーを開けてみると、僕のCDが入っていた。

かなり初期の頃のCDだ。

まだレーベル印刷ができず、表面にサインペンで手書きでタイトルを記入していた頃の物である。

インクは所々がかすれ、CDを何度も聴いた形跡がうかがえた。

CDの収納ケースの方も覗いてみる

三十枚くらいあるCDは、全てが僕の作ったものだった。

彼女が中学生の頃から四年間をかけ、買い求め続けたCD達がそこに収められていた。

収納ケースの端に小さなメモ帳が挟んであった。

『AMゲーム・プレーノート その三』と表紙に書かれてある。

かなり傷んでおり、使い古されている。

中を見ると、びっしりと文字が並んでいた。

僕のゲームの名前がリスト化され、それぞれに彼女のプレー記録やコメントがあった。

色とりどりのペンで書かれ、所々に可愛いシールやイラストがちりばめられている。

二〇〇五年下半期からのゲームが、公開された順に書かれていた。おそらく新作が出る度に追加していったのだろう。最初のページの方は、文字の色が薄れて消えかかっている。

誰に見せるわけでもなく、エレGYが自分のためだけに作ったプレーノート。

『その三』と書かれているからには、『その一』と『その二』もあるに違いない。

この一冊だけでも、書かれている内容は相当な量だ。

このメモ帳は、僕のゲームを見守り続けてきた彼女の記録の一部だ。

大きな時間と想いの重さが感じられた。

辛くて読めなかった。

メモ帳を閉じる

裏表紙には『フレーフレー、じすさん!』と書かれてあった。

それを見て、そこで初めて僕は泣いた。