エレGY
CHAPTER 2-5『小さな新作』
泉 和良 Illustration/huke
「最前線」のフィクションズ。破天荒に加速する“運命の恋”を天性のリズム感で瑞々しく描ききった泉和良の記念碑的デビュー作が、hukeの絵筆による唯一無二の色彩とともに「最前線」に堂々登場! 「最前線」のフィクションズページにて“期間無制限”で“完全公開中”!
5『小さな新作』
風邪に苦しみながら数日が過ぎた。
外出は最低限に抑えた。
郵便局と碁会所はずっと休んだまま。
エレGYとは会いたかったが、今会って再び風邪がぶり返すのも困る。彼女とはメールとオンライン上での会話に留めた。
彼女は、何度もお見舞いに家まで行くと言ってきたが、こんな所を見られては、ますます魔法が解けるのが早まってしまう。
家にだけは絶対に来させてはならない。
僕は「来たら殺す」と言って、必死に断った。
病気とは言え、さすがに一日中家にいると退屈だった。
その日は、朝起きると熱も引いていた。頭痛はまだあったが酷くはない。
エレGYに「じすさん、新作まだ?」と急かされた事を思い出し、久しく手をつけていなかったゲーム制作を行う事にした。
作りかけたまま放置しているゲームが幾つかハードディスクの中にはあったが、どれも再開させる気分にはなれなかった。
風邪が治りきるまでの短期間で、楽に作れるものがいい。
僕は開発ツールを立ち上げ、デフォルトのままのプロジェクトフォームを見つめながら、しばし頭を巡らせた。
浮かんでくるのはエレGYとの事ばかりだった。
仕方ない。
ボタンのコンポーネントをフォームに貼り、試しに「自転車を漕ぐ」と入力した。
二つ目のボタンには「ジャンプ」と書いた。
まだ何のアクションも持っていないその二つのボタンを無意味にクリックする。
「はは…」思い出し笑い。
エレGYと二人乗りをして、何度も分離帯の上に乗り上げては転倒するシーンが、頭の中で再生された。
エディタ画面を呼び出すと、メインスレッドに円を描写する命令文を書いた。
ゲーム中での仮の自機だ。後でちゃんとした絵に差し替える。
入力ルーチンで、自機の操作系をプログラムする。
マウスカーソルのある方向を認識させて、そっちへ自機が自動移動するようにした。
幾つかの縦のラインを描写させ、画面の上から下へとループさせる。とりあえずの背景。
ここまで約十分。最初のコンパイルを行う。
これくらいのショートプログラムは、今のマシンなら半秒もかからずにコンパイルできる。僕が中学生の頃は、数行のプログラムをコンパイルするだけでも数分を要したものだ。開発ツールも飛躍的に進歩した。この十分でやった作業を、中学生の頃の僕にやらせたら、一時間以上はかかる。
モニタの画面中央に灰色のウィンドウが表示された。
ウィンドウ内下方に、黒い円が描写され、その後ろを縦のラインが雨のように流れている。道路の上を走る自転車の出来上がり。
マウスを右へ動かせば、円は右へ、左へ動かせば、左へ……、流れる疑似道路の上をゆっくりと移動した。まずは成功だ。
ウィンドウの右端には「自転車を漕ぐ」と書かれたボタンと、そのすぐ下に「ジャンプ」と書かれたボタンの、二つが表示されている。
両方のボタンを交互に連打した。
もちろんまだ何も起こらない。流れるラインの上を円がただ静かに浮遊したまま。
だが僕の頭の中では、大迫力のアクションシーンが、派手なエフェクトとSEを伴って想像された。
「ビシュンッ」自転車がジャンプした音だ。
何の反応も見せない空のボタンをクリックしながら、自分の口で言った。傍から見たら、さぞ憐れに映るに違いない。幼児顔負けの一人遊び。ゲームを作る者にとって、最も重要なスキル。
「良し」と一人で呟いた。
想像のビジョンに手応えを感じる。後は頭の中にできた完成品に少しでも近づけられるよう、現実において再現するだけだ。
「でもこれ……、あはは」と、また一人で笑った。「きっと、このゲームが面白いのは彼女だけだろな」
一息つく。
しんどいはずの仕事だったが、しんどいどころか不思議と愉快だった。エレGYがこのゲームをどんな風にプレーするのかと思うと胸が躍る。いつもはユーザーの反応を予想する度に胃が痛くなるのに。
背伸びをして肩をほぐした。頭痛が気になったが、それよりお腹が減っていた。
パソコンの横に転がるマーガリン入りのロールパンの袋を手に取る。二つ取り出して、二つ一気に口に押し込んだ。口の中の唾液をパンが全て吸ってしまって、なかなか飲み込めない。気にせず画像ソフトを起動した。
六十四×六十四ドットの大きさにキャンバスを設定し、まずはペンタブレットで大雑把に輪郭を描く。
上から見た自転車の図。
線はふにゃふにゃで、言われなければ何か分からない。乗ったら事故間違いなしの自転車が生まれた。
一ドットごと黒色を置いて線を修整していく。
輪郭線が整形できたら色を塗り、線と塗りつぶした面の境界を中間色で補完する。いわゆるジャギー消しと呼ばれる作業。
ようやく自転車らしく見えてきた。
次にその上に乗せる二人の人間を描く。
またもや上から見た図。面倒だから適当に描いた。出来損ないっぽい雰囲気がこのゲームには合いそうだ。
道路の背景チップ、分離帯、空、雲、自動車、通行人、犬、猫、ゴミ、民家、信号機、標識、ガードレール、塀、木……など、ゲームを演出するための小道具を描いていく。
どれも真剣に描かず落書きのようなタッチでいい加減に仕上げる。
このゲームにはそういうのが合うんだ、と自分に言い訳。一々真面目に描いてたら完成する前にモチベーションが尽きてしまう。そうなったらこのゲームも、作りかけという名の棺桶行きだ。
見た目がボロボロでもなんとか完成させたかった。
……エレGYに遊んで貰いたい。彼女に伝えたいのは、小奇麗なグラフィックや表層的完成度じゃない。
いい加減とは言え、闘病中にしては根を詰め過ぎた。夜になったら咳が止まらなくなった。
だが、パソコンのモニタには、一日の作業量にしては十分すぎるほどの結果が映されていた。
ただの円だった自機が二人乗りの自転車に変わり、線だけだった背景には、空間を表現する様々なユニークなオブジェクトがスクロールしている。
二つあったボタンは姿を消している。それらのアクションは、マウスの左右のクリックに割り当てた。もう無反応ではなく、クリックすればちゃんと自転車は速度を上げ、ジャンプした。
まだゲームシステム上の目的……「クリア」とか「点数」「ストーリー」などといったゲーム性を生むための道標……は実装されていなかったが、アクションの基盤はできた。
僕は画面を見ながら満足した。
数日経って、ゲームは完成を迎えた。ミニゲームではあるが久しぶりの新作だった。
タイトルは『二人乗り』。
自転車に二人乗りをして、車道と歩道を区切る分離帯の上をどこまで走れるか……、というふざけた内容のアクションゲーム。
数ヵ月ぶりの新作ではあったが、収入には到底繫がりそうにない。
丸きりエレGYだけを意識したゲームだ。不特定多数のユーザーや、収入の事は全く考慮せずに作った。ゲームとして面白いかどうかすら怪しい。
だが、気持ちは充足していた。
ただ作る事が楽しかった。
彼女にさえプレーしてもらえればいい。
余計な意識に遮られず、自由に何かを創作する……そんな感覚を数年ぶりに味わい、僕の心は安らいだ。
ネットに公開すると、すぐにエレGYから携帯にメールが届いた。
そのメッセージを見ただけで、僕は何物にも代えがたい喜びを得た。
誰か一人のためだけに作品を作る。衝動はその人を喜ばせたいという気持ちのみ。その人からの賞賛によって全てが報われる……シンプルな創作構造。
こんな物を作っていたのでは、収入の見込みがますます薄れると分かってはいたが、金のために作るゲームより、何倍も充実しているように思えた。
×
ようやく咳も治まりかけてきた日、郵便局から電話があった。
ついに僕はアルバイトをクビになったらしい。
これだけ休んでいたら当然だろう。
薄々こうなるとは予想していたが、改めて社会的脱落者の烙印を押されたようでちょっと凹む。やはり僕には、普通の仕事やアルバイトは向かないのだ。
エレGYにその事をメールで伝えると、「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは……」と、『は』が永遠に続く返事がきた。
そのメールを読むと、クビも大した事じゃないなと思えた。
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『Readme.txt』
【ソフト名】二人乗り
【バージョン】1.00
【ソフト種別】フリーソフト
【動作可能OS】Windows系(Windows XPで動作確認済み)
【必要なもの】このゲームをやってみようと思うに至る暇
【開発言語】Delphi
【掲載日】2007/11/14
【著作権】Copyright (c)アンディー・メンテ
※遊び方
マウスで操作します。
左クリック:自転車を漕ぎます
右クリック:ジャンプ
自動車や歩行者に気をつけながら、車道と歩道を分かつ分離帯の上に飛び乗りましょう。
分離帯の上を進めた分だけポイントが得られます。
転倒したり歩行者にぶつかったりすると体力が減り、0になるとゲームオーバーになります。
【インストール方法】適当なフォルダに解凍して下さい。
【アンインストール方法】フォルダごと削除すれば、何も残りません。
【URL】http://f4.aaa.livedoor.jp/~jiscald/
【電子メール】andymente@akheron.co.jp
(批判、批評、評論の類のメールは不要です。また攻略の質問や、起動上の問題等にも対応できかねます、御了承下さい)
30000rpm/sec.で加速しろ。二人乗りの自転車こそ、最速最高の二輪と知れ。
アンディー・メンテ