エレGY
CHAPTER 2-3『雨マック』
泉 和良 Illustration/huke
「最前線」のフィクションズ。破天荒に加速する“運命の恋”を天性のリズム感で瑞々しく描ききった泉和良の記念碑的デビュー作が、hukeの絵筆による唯一無二の色彩とともに「最前線」に堂々登場! 「最前線」のフィクションズページにて“期間無制限”で“完全公開中”!
3『雨マック』
朝、外は雨が降っていた。傘をさしても防ぎきれないくらいの大粒の雨だ。
自転車で行くのは諦め、歩いて戸越公園駅まで向かった。
そこから電車で大井町駅まで行く。
駅までの距離と電車の待ち時間を含めると、自転車で行くよりも時間が掛かる。
僕はエレGYに、少し遅れる事を携帯のメールで伝えた。
大井町に着き、マクドナルドへ向かう。
店外からでも確認できるいつもの席が、雨と曇った窓ガラスのせいでよく見えない。
更に接近すると、赤いマフラーの色がなんとか判別できた。
僕は少しだけ早足になって、店内へと入った。
傘をたたみ、時計を見ると十時三十分。
ようやく見れた彼女の表情に、怒っているような雰囲気は微塵もなかった。
「おはよ」
「……」
エレGYは何も言わずににんまりと口角を上げた。耳にはイヤホンがついている。
「何聴いてるの?」
「……」
またしても無言だ。
「こいつ……」
僕はエレGYの頰をぎゅっと抓った。
「いあ゛い、はなしぇっ」と、彼女は抓られて半開きになった口でそう訴えた。
いつまでも放そうとしない僕の手を顔の動きだけで振りほどき、キッと僕を睨みつける。
そんな事をしながらも、僕は彼女の両手首に新しい傷が生まれていないかをさりげなく確認した。
よし、古い傷跡のままだ。
「注文してくるよ」
カウンターへ向かおうとすると、服の裾をつかまれた。
彼女は、片方のイヤホンを僕の耳に近づけて、流れている音を聴かせた。
何の曲かはすぐ分かった。僕のゲームに使われている『雨』という名の曲だ。
窓の外を指差して「雨だろ」と答えると、彼女は右手でOKのマークを作って正解だと示した。
彼女が風邪を引いてると気づいたのは、注文を済ませ席へ戻ってから十分も過ぎた後だった。
彼女の手首にばかり気を取られ、ほとんど無言なのはいつもの悪ふざけかと思っていた。
よく見れば顔も少し赤く、さっき頰を抓った時も確かにやや熱っぽかったかもしれない。
平静を装おうとはしているが、彼女が今日無理をしてここに現れている事は察しがついた。
僕は今日の予定の中止を告げた。
当然彼女は嫌がったが、帰って風邪を治さないともう会わない、と脅した。
肩を落とし、しぶしぶ駅へと向かう後ろ姿を見て、これがきっかけでまた手首を切ったりするかもしれないと不安になった。
慌てて駆け寄って、「治ったら遊ぼう。いくらでも。無限だぜ!」と、大袈裟に言った。
彼女は少しだけ笑って、駅の中へと消えていった。
彼女の風邪によって、僕の中でほっとしている嫌な自分がいた。
そいつはこう思っている……
風邪でしばらく会えなくなるぞ、これでまた魔法の延長ができる……と。
確かに、会えない時間に阻まれて、彼女はより僕に気を魅かれるかもしれない。
僕に対する幻想が再度膨らみ、興味を失うまでの時間を稼げる。
「ふん!」
僕は傘をたたんで歩道の脇に投げ捨てた。
大粒の雨が一斉に頭上から襲い掛かってくる。
彼女の風邪につけこんで、保身ばかりを考えるおまえに罰を与えてやる。
泉和良、おまえは最低だ。
おまえのような奴は、家まで歩きだ。
雨でズブ濡れになって帰れ。
それで風邪でも引けば、少しは彼女の辛さが分かるだろう。
次の日、僕は風邪を引いた。
……馬鹿じゃないのか。