エレGY
CHAPTER 1-11『セカンドマック』
泉 和良 Illustration/huke
「最前線」のフィクションズ。破天荒に加速する“運命の恋”を天性のリズム感で瑞々しく描ききった泉和良の記念碑的デビュー作が、hukeの絵筆による唯一無二の色彩とともに「最前線」に堂々登場! 「最前線」のフィクションズページにて“期間無制限”で“完全公開中”!
11『セカンドマック』
会合の当日、月曜日。
僕は早起きをして、約束の時間より早くマクドナルドへと赴いた。
今度は彼女より先に待って、気分を落ち着かせたかったのだが、三十分早く到着したにもかかわらず、彼女は前回と同じ席に同じ服装で座っていた。
「まだ九時半だよっ、なんでこんなに早くいるわけ」
「いーじゃん、朝気持ちいいよ」
満面の笑みでそう答える彼女を見て、僕は思わず泣きべそでもかいてしまいそうになった。
彼女が幻想から覚めるまで後どれくらいなんだ。
魔法をちょっとやそっと引き延ばせても、いつか消えてしまうと思うとあまりに切ない。
魔法が切れた後、この気持ちをどうしたらいいんだろう。
傷つきたくない……
もっと自分の気持ちをセーブすべきだ。
……だが、半端な自制心など無意味だった。
朝マックを注文する。気持ちを整理できぬまま席につき、彼女と対峙する。
彼女の笑顔は無敵過ぎた。
まるで、ジスカルド以上の魔法を放っているかの如く。
口角が上がって笑窪が見える度に、全身の血管が麻薬で満ちるようだ。
この世の全ての辛苦を解放するかのような繊細で透き通った声で「おはよ」と改めて言われた。
「おはよう、何時に来たの?」
平然と挨拶を返す心中は、混乱の極み。
視線が合う度、視線が合わなかった場合の平行宇宙に至らなかった事を祝福せずにはいられない。
「一時間くらい前」
「早過ぎだろ……」
「私、マクドナルド好きだからいいんだ」
ああ、あの美麗で凄艶なぷるんとした唇はいったい何なんだと、脳は恍然と訴えていた。
あ゛あ゛あ゛あ゛あ
もう頭がぐちゃぐちゃだ。
「じすさん、今日は何時まで遊べる?」
「うーーん……」
「久しぶりなんだから、たくさん遊ぼうよ」
「そうか……、よし、今日はずっとここに居座ろうぜっ」
「えーっ、うん、そうしよう! あれ、郵便局のバイトは?」
「夕方からあるけど、それまでっ……。いや、ズル休みしようかな……、でもな……。まーいーやっ。よし決めた、休もう休もう。今日は夜まで遊ぶ!」
「えーーーっ、ホント? じすさんやばいよっ」
「大丈夫さ、副業なんだから」
「そっか、本業はアンディー・メンテだもんね」
「そうだよっ」
「わーい、やったねじすさんっ」
「やったぜ!」
もはや自制の欠片も無かった。
余計な悩みは全て頭の隅に追いやった。
僕は右手の拳を大きく天へと掲げて、大げさに喜びを表現する。
すると、彼女も真似して拳を突き上げた。
「きゃははは」
彼女は無邪気に笑い続けたが、その時、袖の口から見えた手首に、以前とは違う新しい傷が増えているのを、僕は見逃さなかった。
一瞬、話題として触れる事に戸惑ったが、彼女の右手を素早く摑むと、「これ、また切ったんだろ」と尋ねた。
さっきまで笑ってた彼女の顔がぱっと怒りの表情へと変化した。
強い力で僕の手を振り解くと、
「うるさい。おまえがなかなか会ってくれなかったから、嫌われたのかと思って死のうとしたんだよ」と、彼女は強い口調で訴えた。
瞬時に空気が一転し、頭が真っ白になる。
狼狽した。
「ばか!!」
僕は、自分が彼女の傷の一因になっている事に心底びっくりして、思わずそう叫んでしまった。
彼女に対してではなく、自分の無頓着さに対しての叱責だった。
己が傷つく事ばかりを気にしていた自分が、急速に情けなく思えたのだ。
彼女は、当然自分が怒鳴られたと思い、きょとんとして僕を見た。
「いや、違う。僕がばかだ」
「え?」
「いや……、ごめんよ……、ごめん。手見せて、両手」
新しい傷はちゃんと両方の手首にあった。まだ日の経っていない鮮やかな生々しい傷だ。
目の前の傷が、自分のせいであると思うと、心中に恐怖と激痛が走った。
「今日、会えたろ? いつだって会えるよ」
「え?」
彼女は不思議そうに僕を見た。僕が何を言ってるのか理解できていないかのような表情だ。
僕はしばらく、彼女の両手首を握り締めたまま放さなかった。
自分の心配だけをして、彼女の気持ちなど何も考えていなかった事が恥ずかしかった。
彼女は既に現実的に傷ついてる。弱っているのは僕ではなく、彼女の方なのだ。
彼女に救いを求めていた自分が痴がましい。
何がフリーウェアゲーム作家だろう。
救いを与える立場であるはずなのに。
彼女のような存在すら救えていない。それどころか彼女は僕のせいで手首を切ったのだ。
ああ、僕は馬鹿だ。なんて馬鹿なんだ。
「じすさん、悪くないよ。私が勝手に切っただけだしね」
少しの沈黙の後、彼女ははにかんでそう言った。まるで落ち込む僕を慰めでもするような優しい声だった。
「ごめんなさい。もう切らないで」僕は彼女の手首を握ったまま、頭を下げて言った。
「うん」
「痛い?」
「んーん、痛くない」
掌で傷口を隠すように包み、もう一度「ごめんなさい」と謝った。
「じすさんの手、柔らかいね」
見ると彼女の頰が紅潮していた。
僕はため息混じりに笑って、彼女の両手を捨てるように突き放した。
「えー、もう終わり?」
彼女は少しだけムッとした顔をして、それからベロをちょこっと出して微笑んだ。
×
その日、家に帰宅したのは夜の九時頃だった。
改めて時計を見、郵便局のアルバイトを休んでしまった罪悪感が胸の中で湧き上がる。しかし瞼の裏に残るエレGYの顔がすぐにそれをかき消した。
PCを起動させメッセンジャーにログインする。エレGYは既にオンライン状態になっていた。
ついさっきまで会っていたばかりだ。さすがの彼女も今は話しかけてこないかもしれない。
僕はまだまだ話し足りない気分だったが、精神的余裕の少ない男だと思われてはだめだ。あしらうくらいでなければ、それこそあっという間に飽きられてしまいかねない。
僕は彼女に話しかけたい欲求をぐっと堪えた。
僕の低レベルな葛藤などいとも簡単に踏み潰して、エレGYからのメッセージウィンドウは開いた。
彼女の純粋でストレートな欲求の表現が飛んでくる。
「明日!」と即答したいのは山々だが、それでも
と、あくまで渋る振りを通した。まだ全く眠くなかった。