エレGY

CHAPTER 1-9『ジスカルドの魔法』

泉 和良 Illustration/huke

「最前線」のフィクションズ。破天荒に加速する“運命の恋”を天性のリズム感で瑞々しく描ききった泉和良の記念碑的デビュー作が、hukeの絵筆による唯一無二の色彩とともに「最前線」に堂々登場! 「最前線」のフィクションズページにて“期間無制限”で“完全公開中”!

9『ジスカルドの魔法』

ゲームをプレーして感動したら、その制作者の事が好きになってしまう事はよくある。

そうでなければ、外見が良いわけでもなく、高い収入があるわけでもない、そんな二十六歳のならず者に好意を抱くファンは出現したりしない。

その好意とは、思い込みという幻想によって誇張され肥大している。

僕はこの現象を「ジスカルドの魔法」と呼ぶ事にした。

個人制作のゲームは、多くのエンターテーメントメディアの前にはあり同然である。

なんとか少数のファンを摑み、その場しのぎの収入を得ても、家賃や光熱費という強敵は毎月容赦なくやって来る。

フリーウェアゲーム作家一本で生活を維持していくためには、最低でも毎月一本のゲームとその二次商品を制作し続けなければならないのだ。そうしないと、次の月が乗り越えられない。

大きなゲーム会社でも、毎月ソフトを発売する所は少ない。ゲーム制作自体、膨大な時間が掛かるものだし、単なるコンテンツの乱発では駄作しか生まないからだ。

しかし僕はそうは言っていられない。

半年や一年に一本なら、いくらかのファンを獲得するだけのいい作品も作れるだろう。

だが、一年の大半をまかなう程の収入をその数回で獲得する事は、個人制作のフリーウェアゲームではまず無理である。

毎月、作り続けるしかないのだ。

たとえ駄作でも

そんな中で、僕はある術を編み出した。

もし「作者が天才だ」とファンに思わせる事ができれば、どんな未完成な物を発表しても、ファンにはそれが名作に見えるだろう。

更に作者の事が好きになってしまえば、作者がどんな物を作ろうが無償で受け入れられる。

そう。

これが「ジスカルドの魔法」だ。

僕は、駄作しか生めないハイペースな制作を強いられる苦しい状況の中で、いつの間にか、大勢の人々に好かれるような作者像をゲームやサイト上で構築し、それを利用するようになっていた。

多くのゲームを作るうちに、ゲーム内ではプレーヤーをある程度、洗脳する事が可能であると、僕は気づいていたのだ。

プレーヤーに「ジスカルド」を理想像として演出する事で、他のどんな駄作さえも、良作に思わせる手法。それが魔法だった。

アンディー・メンテ内のゲーム公開ページを開くと、ウィンドウのタスクバーには「あばたもえくぼ」と表示される。

そこには、そんな魔法を利用せねば、フリーウェアゲーム作家として日々を乗り越えていけない現状を、自ら嘲笑した皮肉が込められていた。

ファンが主催するオフ会に招かれるなどして、これまで多くのファン達と直接出会った。

半数は女性だ。

彼女達全員が、ジスカルドの魔法に掛かっていた。

ジスカルドは凄い。ジスカルドは天才だ。ジスカルドは何でも知っていて、正しき道を照らしてくれる。ジスカルドなら私を救ってくれる。この世の全ての苦しみから解き放ってくれる彼女達はそう思っていた。そんな風に僕を見ていた。

初めは冗談かと思った。

それとも僕の気付かぬうちに、実は僕は本当に天才になっていて、神のような力を得たのかと、勘違いさえした。

違う。

彼女達が見ているのは僕ではない。ジスカルドだ。

正体は魔法だ。

ジスカルドの魔法が、ゲームやネットを飛び越えて、彼女達の幻想をそこまで飛躍させていた。

彼女達にとって、ジスカルドはまさに神のような存在なのだ。

ジスカルドには、どんな欠点や弱点も、美点に見せる力がある。

その力の源は、全て彼女達の幻想にある。

ジスカルドが「いいゲームが作れず悩んでいる」と日記に書けば、なんて苦悩しているんだろう。凡人には想像もつかない苦しみを抱いているんだと思われ、「お金が無くて生活が苦しい」と書けば、天才はなかなか世に認められないものだ。なんてかわいそう。がんばってと思われる。

だが、この魔法には欠点があった。

これはあくまで幻術だ。実体を知れば、魔法は解けてしまうのだ。

現実の僕を前にした時、彼女達は初めてそれが単なる幻想だと気付く。

現実の僕が同じ事を口にしても、決して美点には変化しない。

「ゲームが作れず悩んでいる」と言っても、それはただの愚痴ぐちにしか聞こえない。

「お金が無い」と言っても、もはや単に貧乏くさいとしか思えない。

個人差はあれ、どのファンも、一度僕と会えば、あとは時間が経つほど僕への情熱から冷めていった。

ジスカルドが単なる理想像だったと分かり、少しずつ去っていった。

暴走する期待に現実が添えないのは当たり前だ。

そしてその度に、僕は思い知った。

ファンはあくまでファンである。

彼女達はファンとして理想を抱き、僕を見る。

その視線は決して真の僕に向けられているものではない。

勘違いしてはいけない。

それを承知し、自重じちょうしなくてはならない。

自重できなかった。

あれほど気持ちを抑えろと言ったのに、心が言うことをきかなかった。

二度会っただけなのに、エレGYの笑う顔が鮮明に思い出される。

エレGYの事が頭から離れない。

彼女から魔法が解けてしまう事を恐怖している。

僕はエレGYの事を好きになってしまっていた

僕の失恋が確定した。

魔法が切れ、彼女が「泉和良はジスカルドとは違う」と理解した時、僕は傷ついてしまうのだ。

エレGYが好きだ

エレGYに嫌われたくない

だが、魔法の副作用によって敷かれたレールは、一直線に失恋を目指している。

彼女がこれまでのファンと同じく、いつか現実の僕に失望するのは必至なのだ。

後は終焉しゅうえんの訪れを待つのみ。

魔法が解けなければどんなにいいか。

これが、今まで魔法によって、ファン達の目をあざむいてきた事への罰であると言わず何と言おう。

因果応報、自業自得。

泉和良は、自らが生み出したジスカルドによって殺される。

泉和良は愚かである。