銀河鉄道の夜宮沢賢治

わたしにとって何よりも大切なものが此処にあります。けれど、あまりに綺麗で、悲しいので、生きていくなら忘れてしまいたいものです。けれど、それを本という形で残されてしまったので、わたしは、この忘れたいことをいつまでも、本棚に、胸の内ポケットに、持っていることになりました。この童話を読んだ人が、みなそれを持って生きていくことになりました。彼がこの世にいなくなっても。

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レクイエムモーツァルト

先日、起きぬけに思い立ち、はじめて通しで聴きました。いや、正確に言うと聴こうとしたのですが、途中でやめてしまったのでした。怖くなったのです。いえね、百物語は最後のひとつを話し終えると必ず何かが起こるでしょう? 真っ暗い部屋の四隅に立った四人のうち、最後のひとりは五人目の肩をたたくでしょう? そういうものな気が、したのです。まあ間違いなく気のせいですが。だって後日、流しっぱなしのレクイエム、原稿しながら聴いてたら、いつの間にやらすっかり一巡してましたもん。

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八本脚の蝶二階堂奥歯

当時の担当編集者さんから薦められて読んだ本です。わたしはこれを読むまで、本の存在も二階堂奥歯さんという方も存じあげませんでした。ただその本のタイトルには惹かれるものがありました。これは彼女の日記です。世界はどうやって終わっていくと思う? わたしは「こんな風に世界が終わるとは思ってなかった」けれど、世界の最後のひとかけらが、瞬きひとつで消えてしまうような世界なら彼女は此処にいたのかもしれない、と思う。

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ころころにゃーん長 新太

わたしが子どもだったら、きっと一番好きな絵本だなって思うのです。でもわたしは子どもじゃないから…もう実際のことはわからないけれど。絵本は、子どもが読むものである前に、大人が一緒に読んであげるものなのかも知れないと、思うようになりました。そうしたとき、子供と大人の目線がどんなに違っても、長新太さんの絵本だけは、ほんとうに同じものを見せてくれる気がします。

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サグラダファミリア

未完の遺作。そう呼んでも良いものでしょうか。自分で遺作と言いながら、わたしは少し、迷いを感じています。世間で言う「遺作となった傑作」には、その中でのみ、創り主が生き続けているように思えます。それこそが傑作たる所以にさえ感じます。ですが…わたしはこの遠い時間をリレーしてゆく建造物に、ただガウディのみが生き続けているようには思えないのです。だって今、ここには未完の「遺作」をつくり続ける、現代の人間たちがいるからです。

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