イース トリビュート

より 橘ぱん「パルトネルの花嫁」

ゲーム×出版×Web 魅惑のトライアングルに、綺羅星の如き豪華執筆陣。ここから、ノベライズの“新たな地平”がはじまるーー。

あらしが晴れたため、航海中えずエステリア島がありありと見えていた。

おかげで天にさるようにそびえ立つダームのとうが、その巨大さゆえにいつまでも小さく見えることはなかった。まるで、あの塔でまだ僕が冒険を続けているかのような錯覚さっかくおぼえてしまう。

「おいおい。バルバドのみなとを出てからこのかた、ひまさえあればエステリアを見てるぞ」

ドギの声が背後から聞こえた。豪放磊落ごうほうらいらくで楽観的な彼にしては珍しく、やや沈んだ声だ。

「そんなに見ていたかな」

振り返ると、彼はひたいに手を当てて天をあおいだ。

「やれやれ、こいつは重傷だ」

「どこも怪我けがなんてしてないけど」

「こっちの傷だ」

ドギが、僕の胸を太い指先でドンッと強く突いた。戸惑とまどう僕に口を開く。

「アドル、エステリアに何か心残りがあるんだろう」

その言葉に僕は息をんだ。数秒ほど固まった後で、ゆっくりとエステリアに顔を向ける。

ドギに指摘されて初めて、漠然ばくぜんとしていた自分の想いがはっきりと分かった。それは、心残りとはやや違う想い。その想いはおりとなって、新たな冒険へ向かないように心を閉じ込めている。

もっとも僕がエステリアに残っていたところで、何も変わりはしない。もう彼女は、手の届かない所に行ってしまったのだ。

「おい、アドル。どうしたんだよ」

なんでもないさ。ドギの言うとおり、エステリアには忘れられないことがある。でも、きっと時間が解決してくれる問題なんだ」

「ふうん、アドルにしては消極的な言い方だな」

「そうかな?」

「ま、いいさ。それより見てみろ。もうプロマロックの港があんなに大きく見えてきてるぜ」

舳先へさきへ視線を向けると、ロムン帝国管理下にあるプロマロックの港町が、道々のモザイクタイルまで分かるほどに大きく見えてきていた。

「まさか生きて帰ってくるとは」

僕を見た途端とたん、宿屋の主人ビクセンが立ち上がり目を丸くした。よっぽど驚いたらしく、読みかけの本を床に落としてしまう。

「運良く帰ってこれたよ」

僕の言葉にビクセンが、吐息といきと共に肩の力を抜いた。

「わしはね、あんたにエステリアのことを話したのは失敗だったんじゃないかと、後悔してたんだ。そうしたら、嵐の結界けっかいがなくなったって言うじゃないか。もしやと思っていたんだが、まさか本当に帰ってくるとはな」

ビクセンの言葉に、僕はうなずいた。彼にエステリアのことを聞かなければ、冒険は始まっていなかっただろう。

「当然、今夜はわしの宿に泊まるんだろうね」

「ああ、そのつもりさ。ドギも一緒にね」

後ろで、手持ち無沙汰にしていたドギが軽く会釈えしゃくをする。

「あんたの仲間か。かまわんかまわん。それに、今夜は冒険譚ぼうけんたんを色々と聞かせてもらわにゃならんしな」

子供のように好奇心で瞳を輝かせながら、ビクセンは上機嫌じょうきげんに笑った。

その好奇心は僕の予想を大きく上回るものだった。要するに、格好かっこう退屈たいくつしのぎになったということだ。結局、せがまれるまま数日にわたって、エステリアでの冒険を話す羽目はめになってしまった。

そんなある日、ふらりと一人の行商人ぎょうしょうにんが訪れた。ただ、主人が暇をもてあますのが普通のこの宿にしては珍しく、部屋は宿泊客で全て埋まってしまっている。

「困ったの。もう部屋はいっぱいなんじゃが。ふむ、そうだ。アドルとドギ、お前さん達の部屋にもう一人くらい入るだろう」

連日連夜、エステリアのことを話しつつ夕食を共にしたせいか、ビクセンは気安く一方的に決めてしまった。思わず僕とドギは顔を見合わせたが、行商人に深々ふかぶかと頭を下げられてしまっては、もう断りようがない。

「三年ぶりに、故郷のパルトネルに帰るところなんですよ」

マルセルと名乗った二十代半ばの行商人は、部屋の椅子に座ると嬉しそうに笑った。人の好さそうな青年で、行商の苦労のせいか黒く焼けて引き締まった体をしている。

「パルトネル? 聞いたことのない町だな」

ドギが、数秒視線を宙に彷徨さまよわせてから観念したように、マルセルを見た。

「町だなんて、そんな大層なものじゃないですよ。プロマロックから歩いて三日ほどの山間やまあいにある、小さな小さな村です」

その答えで、同じく山間の村を故郷とする僕は、マルセルに自分を少し重ねてしまった。

そうなると、一度も故郷に戻ろうだなんて思ったことがない自分との差が、気になってしまう。

「でも、折角せっかく行商に出たのに、どうして三年間で戻るんですか? 失礼だけど、商売が上手うまくいかなかったとか」

「いえいえ、おかげさまで商売は、とても順調でしたよ」

笑いながら答える。

「だったら、なおさらなんでですか」

するとマルセルが、嬉しさではち切れそうな笑みを浮かべた。

「実は結婚するんですよ」

その言葉に、ドギが口笛を吹いた。

「そりゃ目出度めでたいじゃねぇか」

「でも、マルセルさんは三年も村をけていたんじゃ」

僕の疑問に、マルセルは頷く。

「村の古い古い風習ふうしゅうなんですよ。将来をちかった後に、男は三年間村を出るんです。そうした後に結婚すれば、幸せな家庭を築けるっていうね」

「かぁ、三年間もかよ。めんどくさい風習だな」

ドギが、うんざりとした顔で肩をすくめた。それを見たマルセルの顔に苦笑が広がる。

「ええ、本当に。だから今では、すたれてしまっています。百年近く、誰もやってなかったんじゃないですかね。ただ、彼女フェリシーって言うんですが、村長の一人娘なんですよ」

「身分違いだから嫌がらせってわけか?」

身を乗り出したドギに、マルセルは首を左右に振った。

「まさか。フェリシーと結婚するってことは、村長になるってことです。それにはしっかりした人間でなければいけないでしょう。だから私に、外の世界で多くの経験を積んでこいと、元金がんきんまでくれて送り出してくれたんですよ」

「へぇ、いい人なんですね」

僕が言うと、マルセルが自分がめられたかのように喜ぶ。この様子だと、行商で成功したお金もあるし、幸せな家庭になることは間違いなさそうだ。古い風習というが、中々良い風習なのかも知れない。

と、絶えず喜びでいっぱいといった様子だったマルセルが、ふっと不安そうな顔をした。

「どうしたんですか?」

「さっき表通りで耳にしたんですが、パルトネルに帰る道に、最近山賊さんぞくが出るとか。私は、これだけ荷物を持っていますからね、道中が少し心配なんです」

行商の成果である、多くの物産ぶっさんが入ったいくつもの袋を不安げに見る。

「なるほどな。それだけの荷物を持ってれば、山賊にとっちゃ格好かっこうのカモってわけか」

自分の言葉に頷くのを見たドギが、ニヤリと笑う。

「なあアドル。マルセルと一緒にパルトネルまで旅してみないか」

え?」

旅に出る。本来の僕なら心おどって当然の提案に、なぜか一瞬ひるうつむいてしまった。

「そろそろ毎朝、エステリアを見る習慣をち切ってもいい頃合いだ」

ドギの言葉に、僕はまたわずかに怯んだ。

嵐の結界がなくなった一時的な影響なのか、かすみの海とまで呼ばれるこの辺りのドゥアール海には珍しく、ずっと快晴が続いている。おかげで毎朝、僕は海の向こうのエステリアとダームの塔をながめていた。

「ま、歩いて三日じゃ大した冒険にはならねぇが、行こうぜアドル」

ドンッと僕の背中を叩く。

冒険その響きに、僕は思わず顔を上げた。そこにあるのは、ドギのエネルギーと好奇心にあふれた顔だ。

思わず笑みが浮かんでしまう。

「なんだよアドル。人の顔を見て笑いやがって」

「いや、ドギが壁を壊した時のことを思い出してさ」

「ああ、ダームの塔でか」

「そうだよ。ドギ、キミは今回も壁を壊して僕を解き放つんだね」

ま、壊しきれたとは思わねぇけどな」

ドギがボリボリと頭をく。そのやりとりを見ていたマルセルが、おずおずと口を開いた。

「あの、本当に一緒にパルトネルまで来てくれるんですか?」

「ええ、もちろん。僕達は冒険を続けているんですから」

「おうとも。なあに、護衛代は村の宿代で十分だ」

しっかりと頷いた僕とドギに、マルセルが脱力して心底安堵あんどした表情をした。

こうして僕達は、翌日にはプロマロックを出てパルトネルへと向かったのだった。