星海大戦

第一部 第四章 戦隊対艦隊

元長柾木 Illustration/moz

元長柾木が放つ、渾身のスペースオペラ!10年代の文学シーンをリードする「星海社SF」ムーブメントの幕開けを、“たった今”あなたは目撃する————。

第四章 戦隊対艦隊

1

敵艦の群れが一気に展開したノウアスフィアによって、木星軍ブローデル戦隊の通信網はほぼ崩壊した。

非友好的なノウアスフィアの侵蝕による通信の途絶を受けて、ヴィレッジグリーン艦長マクシミリアン・ルメルシェは、はじき飛ばされるように会議空間から離脱した。強制的な通信途絶は、一瞬の眩暈感をともなった。だが幼少期のようにその場によろめき倒れるようなことにはならず、まばたきを一つするあいだに認識を強引に立て直すと、ふたたび精神のすべてを戦場へと傾注した。

圧倒的といえる戦力差だった。数十万キロの距離を隔てていてなお、震えるような圧力を感じる。

上官の言によると、彼我ひがの戦力比は七対一であるという。それは、これまでに彼が経験したことのない物量差だった。

いや、ルメルシェに限らない。大戦終了後の緩慢かんまんな戦争状態のなかで、太陽系宇宙の誰もが経験したことのない事態だった。人類の軍隊同士がこれほどの戦力比で相対したのは、大戦が《敵》との戦いへと移行する直前に交わされた第二次ガリレオ会戦が最後のことであり、それ以来七〇年近くのあいだ、人類は圧倒的戦力差の戦闘というものを経験してこなかったのである。大戦を経験した軍人たちの多くはまだ存命ではあったが、軍に現役で在籍している者はいなかった。

それだけの戦力差があるということは、各艦と旗艦が連絡を密にし情報の共有を行っていれば容易に察知し、また周知しうることだった。にもかかわらず艦長のほとんどが会議空間においてブローデルの口から知らされるまでその事実を把握していなかったのは、怠慢たいまんのためというより、状況がこの時代の戦略および戦術常識から外れすぎていたためである。通信で伝達すれば済むことをあえて戦闘続行中に会議空間を展開して各艦長に言い含める必要があったのも、この事態が異例であることを証していた。そもそも物量差がそのまま戦力差となること自体が、彼らにとっては想定外のことであった。

想定外の事柄を、ルメルシェは上官に聞かされる前から、半身を戦場に身をひたしつつ感じ取っていた。正確な艦数の差までは把握しえなかったとしても、情報の共有もないなかで戦況を感知したことは、彼の才覚を十分に証拠だてる事実ではあった。

とはいえ、たとえそうだとしても、そんなことは彼の精神を満足させるにはまったく足りなかった。才覚はあくまで明晰めいせきさではなく具体的な戦果によって立証すべきことだ。彼の立場は一介の分析士ではなかったし、そもそもの彼の性格がそれを要求していた。

「身の毛がよだつな」

ルメルシェは意識のなかでは宇宙空間を凝視ぎょうししつつ、音声に出してつぶやいた。

「たしかに、あまり愉快ゆかいとはいえない戦況です」

首席幕僚のバラージュ大佐が語を受けた。すでにバラージュ以下の高級士官にも情報は共有されている。

戦況は良くない。とはいえ、経験のないことであり、どの程度良くないのかは誰にもわかっていなかった。

「そうではない」ルメルシェはほとんど全身で感じている不快感を表に出さないようそっと息をついてから言った。「戦況は有利もあれば不利もある。敵の戦意のことだ」

「戦意?」

バラージュは慇懃いんぎんな態度を保って言葉を返した。

「異様な戦意を感じる。これが敵の司令官だという八尋の眷属けんぞくが身にまとう負の力か、土星主義者サタニストそのものがもつ底意なのかは知らないが、宇宙うみが不快きわまりない戦意に満ちている。いや、不快というより不気味といった方がいい。底なしの無秩序がある。機関長のような、ただの場当たり的な混沌とはまた違う。計画的な無秩序とでもいおうか、世界全体を無秩序で満たしてしまおうという明確な意思の存在を感じる」

珍しく多言に説明する上官に、バラージュはほんの少しだけ興味深げなまなざしを向けたが、その感慨について口を挟むようなことはしなかった。

ルメルシェは、自分の周囲を取り囲む宇宙に嫌悪けんおを感じていた。

現在の彼は、戦闘を忌避きひする性質の所有者ではなかった。

回想する。なぜ軍人などになろうと思ったのか。そう母親に問われた少年時代のルメルシェは、表に出すつもりのなかった内心を口にした。

戦場そこに、あると思ったから。いや、そこにしかないと思ったから」

「何が?」

「限界を試すことのできる場所が」

限界それが、彼の人生の新しい目標だった。それを追い求めるために、両親のもとを離れて、二大公路の一つである天頂公路経由で木星圏のカリストに移住したのだった。

みずからの寿命がいつまでもつのかと問うような精神とは、意識のなかではすでに別れを告げた。病をかかえた身を憐れむことも、ことさらにいたわることもしない。重要なのは、限界へと到達すること、どれほどの高みにまで達しうるのかを見定めることだった。多くの人間の意思が交錯し相剋する戦闘という場に身を置くことは、その目的にとってあつらえ向きであり、彼にとっては歓迎すべきことであった。

しかしその彼にしても、敵と相対して嫌悪を感じているのだった。

みずからの限界を見きわめることと無軌道や無秩序のたぐいは根本的に違う。戦闘に生命を賭けることと不必要な殺戮さつりくを行うこととは異なる。

今宇宙に満ちているのは、まさにそういった唾棄すべきものへと向かう意思だった。相対したものを暴戻ぼうれいに捕食し、うちからきあがる暴力的な欲求で世界そのものを覆いつくそうとする意思。

敵からそれを感じ、ルメルシェは嫌悪したのだった。

重大な戦略上の転換。

ルメルシェは、さきほど上官が語ったことに思いをいたした。そして部下たちに対して宣言するように言った。

「戦略の転換というが、それはここにいるわれわれすべてが生まれる前の水準への退行にすぎない。無秩序、すなわち人が生きるためのよすがが存在しない世界への退行を自由と称するような倒錯は、人類を自任する者の行いではない」

ふだんは表に出さないような内面の吐露とろだったが、言わずにはいられなかった。存在の根源のレベルで、敵手を許容できなかった。この戦場に満ちた意思を嫌悪した。

「敵司令官たる八尋の眷属か、土星軍の最高統理部か、恩寵会議か、意思決定がどこで行われたかは知らないが、性根が曲がっている。徹底的に膺懲ようちょうする」

あまりに強い調子で言ったため、副官のカプリツキー大尉が不審そうな表情を見せた。だが今度は実際にも戦術神経リンク経由でも声をかけてくるようなことはなく、ただわずかだけ彼の心身の状態をおもんぱかるように視線で探ってきただけだった。

それは無作法ではなく、彼女に与えられた務めである。

ルメルシェの副官である、二〇代なかばの黒い短髪のアネジュカ・カプリツキー大尉の第一の職務は、病をもった上官の健康状態を管理することである。重要なのは、ただ健康を気遣うだけでなく、上官が病をもっていることを周囲の誰にも悟られないようにすることだった。そのためにルメルシェは彼女を起用し、専用回線まで用意していた。

彼は現在にいたるまで、病のことを隠しとおしていた。認識を揺るがす病であるため、操艦業務に就くことは本来できない。だから隠しとおす必要があった。

そのために、軍に入る前に一年間をかけて、主に中枢神経系への防護措置を加えた。神経系だけでみるならば、土星圏のタイタンの医寨街いさいがいまう自己目的的な改造愛好者やミーミル組合ツンフト機械主義者メヒャニステンに匹敵するほどの強化処置を身体に加えたのだった。

さらに適応訓練によって、感覚の異状を意識的に黙殺する技術を手に入れた。いつ襲いくるかしれない感覚の失調を無視しきるのは、たやすいことではなかった。目が見えずとも見えるかのように、耳が聞こえずとも聞こえるかのように足がなくとも歩けるかのようにふるまうことは、強化された神経系をもってしてもなお、鉄の意志力を必要とするものだった。

この一年間は、治療の期間というよりむしろ、精神のなかの鉄を鍛えあげるのにようした期間であった。

その期間で、ルメルシェは外見上、通常人と変わらぬ程度に活動できるようになったのだった。処置と訓練は、感覚の叛乱を終了させたわけではない。「感覚」という、内在するのか外在するのかわからない他者めいた何かとの闘いは、あくまで無視されたにすぎない。しかし、とりあえずはそれで十分だった。検査ではじかれることさえなければよかったのである。そして幸いに、彼は検査をくぐり抜けることができたのだった。

ただそれでも、不測の事態に備える必要があった。

准将に昇進し艤装員長の辞令を受けたとき最初に行った仕事の一つが副官の選任だったが、その際ルメルシェが求めた条件は軍事的識見でも事務処理能力でもなく、医師資格を所持していることと口が堅いことの二点だった。そういった基準で選ばれたカプリツキー大尉に与えた役割が、ルメルシェの健康を管理し病を隠匿いんとくすることだった。

加えて与えた役割が、もう一つあった。

「万が一私が病に倒れるようなことになった場合には、そのことを周囲に過不足なく周知し、とどこおりなく職権の引き継ぎが行える環境を作ってほしい。私の病によって組織全体が機能不全に陥ることは、絶対に避けねばならない」

ルメルシェは副官にそのように伝えた。

人生の目標に達しえず道なかばで倒れること以上に、自分のせいで組織が立ちゆかなくなることは耐えられなかった。それは責任感というより矜持であり、さらには秩序に重きを置く彼の価値観の根底にあるものだった。

新しい上官の言葉に対して、カプリツキー大尉は敬礼のみで応えた。

ルメルシェは副官に個人として心を許したわけではないが、口の堅さは買っていた。そして、冷たい視線に不釣り合いな濡れた瞳に、彼女の天性の観察眼の存在をも見てとっていたのだった。

「敵というのは、敵であるという時点で膺懲すべき存在です。というより、それが定義です」

発言したのは副官ではなく、ルメルシェよりひとまわりほど年長の、次席幕僚パトリキア・ハツィダキス少佐だった。非礼に近い物言いであったが、それが参謀という職務を遂行するうえでのこの人物の流儀であるらしかった。

ルメルシェは宿痾しゅくあの発作への対処と同じ要領で、宇宙に満ちる不快な戦意を鍛錬たんれんされた精神の力で抑えつけた。そののちに残るのはたんなる敵であり、たんなる戦場でしかなかった。

木星軍カリスト第三艦隊第二戦隊司令アマディス・ブローデル少将は、かすかに唇を嚙みながら戦闘を遂行していた。

隷下の艦との通信が途絶してから戦況が変化するのに、たいした時間を必要とはしなかった。

実時間で三〇秒ほど。三重存在トリニティとして在る意識のなかでは、体感的にはそれなりの長さはあったが、大局的にみれば長い時間とはいえなかった。それだけの時間で、一気に戦況がひっくり返ったのだった。

戦線によって差はあれ比較的優位に戦いを進めていたのが、雪崩なだれを打つように防戦一方となった。

七倍の敵と相対しているのだから当然ではあった。敵が第六艦隊の全戦力を動員していたと仮定して、正確な戦力比は六対四一。

経験したことのない、濃密な敵のノウアスフィアを感じていた。あまりにも重なりあっているため正確には把握できないが、ブローデルの実感は予想とそれほど齟齬そごのあるものではなかった。

七倍の敵に囲まれていて、通信もほぼ途絶。

絶望的といっていいのかどうかさえわからない状況だった。純粋に物量が多いということがどういった意味をもつのか、正確にはわかっていないのである。わからないというのは、絶望的であるよりさらに悪かった。せめて、どの程度悪いのかということだけでも判明していたなら、まだ対処法を考える糸口も与えられようものだが。

「ここまで綺麗に戦況がひっくり返るのを見たのははじめてです。いっそ悲しくなるほどに見事です。手加減していたのか、時機を見計らっていたのか

幕僚長ヘルケンホフ准将が、もともと景気の良くない顔つきをさらに悲愴にして言った。その口調が物静かであったことが、むしろ事態の深刻さを示していた。

「おそらくはその両方だ」ブローデルは答えた。「しかしここはむしろ、貴官にはうろたえていてほしかったところだ。そうすれば、それを私が叱咤しったしていくぶんかは精神状態を立て直すことができたんだが」

「まったくです。純戦術的な助言を行う余地がほぼないことが、戦況の悪さを雄弁に証明しています。うろたえるほどの情熱は、まるで湧きあがってきません」

ブローデル少将はわざとらしいほどにため息をついた。

幕僚長がこういった人物であるのは先刻承知である。異常に諦めが早いのだ。それが良い効果をもたらす場面もあるが、これから死線を切り抜けようというときには妨げにしかならないように思えた。いささかうっとうしくも感じて、檸檬色の髪をかき上げた。

「このうえは降参しますか」

「気が早いな」

「死ぬのは嫌ですからね」

あまりにも淡々とした幕僚長の言は、一般論として必ずしも誤っているわけではなかった。ただこの場面においては、ブローデルは見当外れであると感じた。

「もう少しあがこう」

上官の決断に対して、幕僚長は反論しなかった。幕僚長としてできる進言が、そこまでだったのだ。

ブローデルが幕僚長の言を見当外れであると感じたのは、敵が降伏を許すかどうか怪しいものだと考えていたからだ。新しい歴史をこれから切り開いていこうとする者が、そんなことを許すかどうか。

確たる根拠はないが、敵ノウアスフィアの感触もその疑念を裏づけていた。敵は凶暴だった。土星軍一般についていえることではあったが、通例に輪をかけてそれを感じた。

ヘルケンホフ准将が幕僚長としてできることが少ないのと同様に、ブローデルにとっても戦隊司令としてできることはほとんどなかった。意識接触通信がほぼ機能していない今となっては、戦隊司令といえど一艦長としてふるまうことしかできない。

時間が経つにつれて戦況は悪くなっていくだろう。しかしそれでも、あらゆる方向から飛来する弾体やレーザをかわしつつ、一つの宙域に追いこまれないよう細心の注意を払い、可動域を確保しながら戦闘を続行するしかなかった。できるのは、そのなかで好機を探しつづけることだけだった。

これが新しい戦いか。なぶり殺される側にとっては、たまったものじゃない。

スラローム砲を片舷に集中させていっせいに弾体を放ちながら、そんなことを考えた。

「細かい野郎だ!」

ヴィレッジグリーン機関長クラウディオ・チェルヴォ大佐はそう毒づきながら、両手両足を包みこむ外骨格のような操作ユニットで機関の管制を行っていた。

神経接続のみで可能だしその方が簡便であるのだが、クラウディオは手足の関節の細かい動きで命令を発するやり方を好んだ。根拠といえるほどのものはなかったが、手足を実際に動かした方がより直接に空間を認識できるような気がするのだった。クラウディオはそうやって艦長からやってくる命令を三〇〇名ほどの機関部要員にさばき、艦の推進機関を駆っていた。

クラウディオが吐き捨てた言葉は、艦長であるルメルシェに対するものだった。

ルメルシェからの命令は、これまで見てきたどの操艦者よりも緻密ちみつだった。いっそ推進機関と直結してしまっても問題ないと思えるほどだった。

そしてクラウディオは、舌打ちを放った。一瞬でもルメルシェの能力に感銘かんめいを受けてしまった自分に嫌悪の念を抱いたのだった。

それをごまかすために、彼は二歳年長の副機関長セルカーク中佐に話しかけた。

「上の奴にちまちまとした指示を出されたら、現場はやりにくくて仕方がない」

「楽ができていいじゃないか。俺はその方がいい」

神経接続のみで処理を行っている副機関長が答えた。それはクラウディオの気に入るたぐいの返答ではなかった。

「ふん、今のうちはな。けど、何か問題が起こったら、俺たちに責任を押しつけるに決まってる。あいつはそういう奴だ」

「あいつって?」

クラウディオと比して常識的な組織人である副機関長は、そらとぼけた。

「あいつさ」

クラウディオにとってあまりに自明であるそのことを説明する気にもなれなかった。

かわりに、別の人物とのあいだに戦術神経リンクの通信回路を開いた。その相手は、回路が開いたとたんにメッセージをよこしてきた。

いそがしいところをわざわざ見計らってきたのか?」

聴覚神経を経由せずともわかる若い声は、副砲戦長のローラン・パルマード中佐のものだった。

この艦では数少ない、クラウディオより年少の高級士官である。一八歳の小柄な人物で、軍人というより山師に近い斜に構えたまなざしと、それに不調和な健康的な躍動感をそなえた肉体をもっている。クラウディオとは数箇月前に同じ研修を受けた間柄であり、砲戦能力においてはこの艦のなかでは二番めに優れた人物であると評価していた。第一位が誰であるかは、クラウディオの主観のなかではわかりきったことである。

パルマード中佐が鼻歌を歌いながら部下に指示を与えつつスラローム砲を縦横無尽じゅうおうむじんに滑らせているさまを想像しながら、クラウディオは言った。

「話は聞いたか?」

「標的が多すぎるって話で合ってるならな」

気軽な口調ではあったが、そこにわずかな緊張感が含まれているのをクラウディオは感じた。すでに戦況が相当に悪いことを知っているのだ。

実際、艦表面のスラローム砲で敵の攻撃にじかにさらされているパルマード中佐は、クラウディオ以上に切実に敵の圧力を感じていた。

言葉に出すことはしないし、鼻歌を歌いながらではあったが、敵の攻撃密度がこれまでとは段違いであることを認識していた。高密度のエネルギーを知覚している気がして、息が詰まりそうになる。そんななか、機関長が一方的に回線を開いてきたのだった。

「わかってないなら教えてやるが、今不必要なくらい忙しいんだ。無駄話なら後にしてくれないか?」

パルマードは冷たく言った。

それは本心ではあったが、クラウディオの様子にいつもと変わったところがないのを感じ取って安心してもいた。多少の面倒も、クラウディオのような人物が不安に沈んでいたり焦燥にかられていたりするよりは幾層倍もましだ。

クラウディオ・チェルヴォとはじめて顔を合わせたのは、数箇月前に行われた、ブローデル少将が監督する研修においてだった。

研修のときから、一歳年上のクラウディオとルメルシェのいさかいは目にしていた。それはどちらが悪いというより、単純に相性が悪いように見えた。ただパルマードの見るところ、二人の人物は、生来の気質は異なるとはいえ、折れることのない精神の所有者であるという点では一致していた。それが現状においても保たれていることに、とりあえずは安心したのだった。

「そうか。なら俺と同じだ。無駄話をする余裕くらいあるってことだな」

「好きにしろ。聞くか聞かないかは気分で判断する」

そんなやりとりを交わしながらも、パルマードはスラローム砲の操作と砲戦指揮を同時に行っていた。それは、言葉でいうほどたやすいことではないが、彼らにとっては不可能ではなかった。

パルマードにもまた、みずからの能力に対する自負があった。

クラウディオやルメルシェとはじめて対面した研修において、パルマードは自分が員数合わせであることを自覚していた。しかしそれは、彼が当時一八歳の誕生日をむかえる直前の少佐であり、いくら何でも三階級特進での艦長就任がありえないことを理解していたというだけのことにすぎない。けっして自己の能力を低くみてのことではなかったし、クラウディオにも、こと砲戦能力において後れをとっているとは考えていない。

自分にはまだ実戦で試す機会がおとずれていないが、クラウディオの単砲十字砲火シングル・クロスファイアなど、戦技研究課の研究結果を待つまでもなく、その話を伝え聞いた瞬間におおまかな技法は想像できていた。さらにいえばそれはまだ二次元的な技巧にすぎず、宇宙空間ではより立体的で派手な砲戦術が可能であると彼は考えていた。そして自分にそれなりの権限が与えられたときには、人がまだ見たことのない、驚異的な砲戦を実演してやるつもりでいた。

敵の攻撃は、猛攻といってよかった。

こちらからもおもに高い速力をもつレーザを放っているが、敵の攻撃が作る光条の束の隙間を縫うようにして進むそれは、攻撃というよりも敵の攻撃範囲を制限することが目的だった。ようするに防御のためのものであり、その企図が十全に果たされたとしても、得られるものは現状維持でしかない。とはいえ、全周を敵に包囲されていては、できることはそれしかないのだった。

そのような状況下でまだ緒戦と変わらぬ可動域を保持していられることは、奇跡的であるようにパルマードには感じられた。それが操艦者の能力の優秀さを示しているなどと言ったならば、機関長は気分を悪くして通信を切るかむきになって反論してくることだろう。だからパルマードは別のことを言った。

「全弾詰まったリボルバーでロシアンルーレット。さて、話術でどこまで死期を引き延ばせるかってところだな、現状は。しかも、ゲームのルールはこっちじゃ変えられないときている」

独り言に、クラウディオが反応した。

「ふん、むしろ好都合じゃないか、全弾詰まってるなら。相手にぶっ放してやればいい。まだ終わっちゃいないんだぜ」

2

「ただ無為に劣勢であると思ったか、弱輩者」

宇宙空間に精神を同一化させ虚空の彼方かなたに敵艦を幻視していた、土星軍第六艦隊第五戦隊司令マルーシャ・トカチェンコ少将は、吐き捨てるように言った。

闇の向こうにいる敵艦の指揮官は、三〇歳の彼女にとって弱輩者といっていい。何といっても、いまだ一〇代なのである。いかに若年者の多いグリーンホーンとはいえ、笑い飛ばしてしまいたくなるほどの若造だった。

それだけ才能を見込まれているということではあろうが、天才などそうそういるものではない。闘争のつばぜりあいにおいて勝敗を決するのは、死線をくぐり抜けた経験であり、その結果身につけた覚悟である。彼女はそのように考えており、そういった意味で年功序列主義者であった。

彼女は赤い髪をもっていたが、現在は肌の色もそれにわずかばかり近づいていた。

興奮しているのだった。

上官の指示によってさきほどまで消極的な動きを余儀なくされていたが、今や全能力を解放して戦うことを許されていた。沈潜状態から解放されて、もともと攻撃的な性格をもっていた彼女は息を吹き返していた。

実のところ上官である九重有嗣中将も彼女より年少であり、その下風に立つのは面白いことではありえないのだが、上官のもつ階級と政治的影響力が彼女を納得させていた。

それに、たしかに戦闘自体は面白いものだった。圧倒的多数をもって敵を包囲するなど、効率を無視した常識外の用兵であり、歴史的な過去のなかにしか存在しない戦いだった。めったにない機会を与えられたわけであり、そのことに関しては、上官に感謝しないまでも幸運をありがたく思ってはいた。

「初陣であるらしいが、徐々に可動域を削られていく恐怖を思い知れ」

彼女は勝利の確信とともにそんな言葉を吐き、意識を戦場へとより深く没入させていった。

みずからも旗艦艦長として艦を操りながら、土星軍の指揮官である九重有嗣は感じていた。

麾下きかのすべての艦が躍動していることを。感覚と各艦から上がってくる報告との双方が、そのことを示していた。

負けるはずのない戦い。何も憂える必要のない、それぞれが十全に能力を発揮できる舞台。そんな場所に身を置いて、否が応でも精神が高揚しているのだった。もちろん個人によって温度差はあるにせよ、活力のたぎりを、はっきりと感じとることができた。

艦の機動にもスラローム砲による砲撃にも、積極性があった。行動を制約されていた先刻までのような、萎縮いしゅくした雰囲気はない。思うさますべての能力を発揮しようという意志にち満ちていた。

自分に対して非好意的な感情を抱いている者もいるに違いなかったが、実戦指揮官として、このような舞台を与えられて心躍らぬ者はいないはずだった。

これでいい、と有嗣は考えていた。すくなくとも戦場においてはこれでいい。細かな人心掌握術しょうあくじゅつなど必要ない。武人としての獣性を野に放つ機会さえ整えてやったならば、実戦指揮官はついてくる。それ以上複雑なことは考えたくない。

この戦いには、第六艦隊に所属する七個戦隊四一隻の航宙艦すべてを動員して臨んでいる。対する敵は一個戦隊六隻。敵の陣容の方が通常であり、彼らにとっては不運だとしかいいようがない。

それでも有嗣は、自軍と敵軍すべての艦の配置を脳内で想像しながらつぶやいた。

「とりあえず、苦労した分の元は取らせてもらう」

こちらとしても、苦労があったのだ。だからそれ相応の戦果を挙げさせてもらわねば割に合わない。

通常の巡回業務に一個艦隊を動員するなど、すくなくとも大戦後においては例のないことであり、それなりの根回しが必要だった。

この手の苦労は有嗣の不得手とするところであり、できれば弟などに任せたい種類のことだった。しかし、弟がその頼みを引き受けないであろうこともまた、あらかじめわかっていた。戦いの規模を拡大したり前例を破ったりといったことに、積極的に手を貸すことはしない性質なのだ。だから有嗣はみずから行わざるをえなかったのだが、そこで最終的にものをいったのは「八尋」の名前だった。

「恐ろしい光景です」

殺伐さつばつとした空気を意気ごむことなく身体ににじませたような参謀長デリャーギン少将が、平板な口調で言った。

「暗に批判しているのか?」

有嗣は問うた。

失礼しました。何でもない感想です」

デリャーギンは慇懃に答える。

批判にならないように言質げんちを残したということか、と有嗣は解釈した。

有嗣は、デリャーギンの反対側にいる弟の顔を、眼球の動きだけで視野に収めた。剃りあげられた頭と柔らかい輪郭線。そこで形作られる表情はあくまで抑制的で、感情の動きを認めることは難しかった。

「戦場に遊びに来ている以上は、そこが血なまぐさい修羅場しゅらばとなるのは当然のことだ」

有嗣は独り言のように、しかし実際には二人の参謀の双方に向けて言った。そしてそれは同時に、彼の感知しえない敵艦長の一人マクシミリアン・ルメルシェの無秩序を嫌悪する思いに対する回答ともなっていた。

有嗣は望んでいた。

圧倒的な攻勢を。太陽系宇宙にとどろく武名を。そして、世界の始まりを。

土星軍一個艦隊の一翼を担う第七戦隊司令ジーナット・ダントワラ少将は、浅黒い肌とりの深い顔貌がんぼう、それに無造作に後ろでまとめた縮れた髪をもつ二九歳の女性である。その額には赤い涙滴状の装飾がなされている。

彼女が受け持っているダイクストラ准将という敵の指揮官は、公開情報によれば二七歳だった。

だが彼女は同輩であるトカチェンコ少将のように年齢にもとづく序列意識などもっていなかったため、そのことによって敵を軽侮けいぶするということはしなかった。

彼女にとって絶対的な重要性をもつのは、年齢などより階級だった。階級が上位であるならば無条件で敬意を払うにあたいするし、そうでなければ見下す対象となる。

それは個人の性格というより、たんに故地の違いに起因するのかもしれない。土星圏のなかでも最も厳格な階級制度をもつ内衛星諸国インナーズに生まれ育った彼女は、細かく分断された階級によって生みだされる平和と平穏というものを知悉ちしつしており、ゆえに階級を絶対視するのだった。

階級の低い者は、そのことによってのみ侮られるべきである。それが彼女の合理性だった。だから彼女は、トカチェンコ少将とは違う理由で、しかし同様に敵を侮っていた。もっとも、こちらが戦隊司令であり向こうは一艦長にすぎないのだから、階級差があるのは当然のことではあったが。

さきほどまで敵指揮官ダイクストラ准将は、荒っぽく精密さに欠けるきらいはあったものの、その分果断な挙動をし、ときに思いがけない方向からの攻撃でこちらを眩惑した。

しかし、こちらが全戦力を戦場に投入してからはもろいものだった。圧倒的多数による攻撃で一気に可動域を削られていき、またたくまに窮地きゅうちに陥っていった。

「もともと几帳面きちょうめんな性格でない者は、守勢に回ったとき弱いものです。そのことを、敵は身をもって証しているようです」

彼女は部下に対して言った。

敵の可動域はすでに半径二〇〇〇キロほどになっていた。これを下回ると攻撃をかわすことが困難になる。つまり敵は、戦闘続行不能となる瀬戸際の状態にあるのだった。

これほどの多数でもってたった一隻の敵を相手にするのは、はじめての経験だった。作戦計画を聞かされた当初は興味をもったが、実際に戦ってみると、創意工夫の余地というものがあまりに小さいことに気づいた。他の同僚はどうか知らないが、彼女にとっては面白味に欠ける戦いだった。

せいぜい、精密な詰めを心がけるとしましょう」

つまりそれは、なぶり殺すという意味であった。

土星軍ダントワラ戦隊と対峙する、セルフォーティフォー艦長ダイクストラ准将はいらだっていた。

さきほどまでの優勢は夢のなかの出来事であったかのようにはかなく消失し、いまや戦況は反転して圧倒的劣勢下にあった。あまりに多数の敵の攻撃に対処しきれず、可動域は縮小し、行動の選択肢はしだいに限定されていった。

防戦一方であるのはもちろんのこと、砲戦における選択肢も皆無に等しい状態にまで落ち込んでいた。

スラローム砲は懸命の砲撃を行っているが、それは敵の行動を掣肘せいちゅうし自艦の可動域を確保する予備防戦ではなく、飛来してきた弾体等を撃退ないし眩惑する直接防戦、すなわち場当たり的な迎撃でしかなかった。彼我の距離が接近しているため、レーザに関しては回避行動を行う余裕すらなく、浅い角度をつけて艦表面に命中させ受け流すしかない状況だった。そのため、わずかながら艦表面のスラローム砲に被害が出はじめていた。

「何とかならねえのか!」

ダイクストラのその叫びに、意味はなかった。つばを飛ばしたところで、艦速が上がるわけでも弾幕が濃密になるわけでもない。そもそも、「何とかする」のはまずもって艦長である彼の職責だった。彼にできないことが他の誰にもできるはずがない。

少しずつ、確実に可動域が削りとられていく。

実際の被害は小さいとしても、意識浸潤を行っているダイクストラにとっては、みずからの身体を少しずつえぐりとられていくような感覚があった。ほとんど痛みさえ感じて、彼は顔をしかめ冷や汗をしたたらせた。

何をなすべきか、彼にはほとんどわかっていなかった。あまりにも常識を外れた状況で、思考が空白となっていた。

「艦長

首席幕僚の声にも、震えが感じられた。

「こんなときに話しかけるな!」

ほとんど恐慌きょうこうに陥っている上官の怒声に一瞬ひるんだが、それでも何とか精神を立て直して首席幕僚は言った。

「降伏を申し出てはいかがでしょうか

!」

絶望感にとらわれていたダイクストラにとって、その考えは天啓のように思えた。まだ生き残る方法があったすがるような思いで首席幕僚の提案を数秒だけ検討した。

しかしその考えが実行に移されることはなかった。ダイクストラが具体的な指示を与える前に、致命的な一撃がやってきたからである。

敵が放った徹甲弾体が艦の腹部に着弾し、二〇に及ぶ装甲を貫いて艦内に侵入した。着弾の衝撃で艦全体が激しく揺り動かされ、乗員の多くがその場から投げ出されて壁面なり機器なりに叩きつけられた。しかし彼らが痛みを感じる瞬間は永遠におとずれなかった。

弾頭に搭載された再因果化機構が稼動した。

再因果化機構は、艦の周囲に展開されたノウアスフィアを無効化した。

ノウアスフィアの消失は、古典力学の法則の復権を意味していた。

運動しているものは運動しつづける。運動量の変化は及ぼされた力の方向に起こる。作用と反作用は大きさが等しく逆向きである。冷厳な物理法則の復権をまえにして、全長五〇〇メートル弱の航宙艦はまったくの無力だった。

膝を抱えた巨人になぞらえられる航宙艦は、さらに巨大な宇宙の摂理の手によって、艦体を無残にねじ切られた。艦は亀裂が入る暇もないほど瞬間的に破壊されて無数の無機物の群れへと還元され、復権した物理法則にしたがって四散した。その直後に推進機関が崩壊し、それにともなう爆炎と衝撃波とが艦の残骸を追いかけ、そして包みこんだ。

しかし航宙艦セルフォーティフォーのほとんどの乗員は、宇宙空間に投げ出されたり超高温の炎に吞まれたりするよりも早く、強烈な加速度にさらされてねじ切られ、打ち砕かれ、すり潰され、原形をとどめない肉塊となりはてていた。無慈悲な物理法則に相対するには、人間の身体はあまりに虚弱にすぎた。二六〇〇ほどの生命は、一秒にも満たない時間のうちに失われた。

それはこの戦闘における最初の航宙艦の喪失であり、そして惨劇の始まりであった。

宇宙空間に、不可聴の絶叫が響きわたった。

胸をえぐるような悲痛な叫びは、緩衝体かんしょうたいの断末魔だ。恐怖と闘いながらも生きのびることが叶わず、半永久的に宇宙をただようデブリとなりはてた緩衝体の、世界と運命への悪罵あくばの声だ。それは敵味方を問わず、この戦場にいるすべての者が感じとったはずだ。

ノウアスフィア機関の崩壊にともなう、デスハウリングと呼ばれる現象であった。

「まったく、典雅さに欠ける。このような要素が戦いに残っている時点で、告白しているようなものだ。われわれの文化水準が、地球の表面をはいずり回っていたころとさして変わらぬと」

土星軍第六艦隊第四戦隊司令庫翡潤クー・フェイルン少将が、なげくようにあるいは嘲弄ちょうろうするように言い放った。その口調には、他者とみずからとを同等に見下しているような含みがある。

「敵がたおれること自体は歓迎ですが、これには慣れませんね」

若い副官が応じた。

「死ぬのはよいとして、呪詛じゅその声を浴びせかけるのは、直接対峙している相手だけにしてもらいたいものだ」

「しかも憂鬱なことに、始まったばかりです」

表情を引き締めて、副官が言った。これから敵を殲滅せんめつするにあたって、何度もこの絶叫を感じることになるだろう、と言っているのだった。

庫翡潤は無言で頷きながら、少し違うことを考えていた。願わくば、その仲間入りを果たす愚者が味方に出ないように、と。これだけの攻勢にあってもなお、味方の死はまるでありえないことではないと彼は考えていたが、それを言葉にすることはなかった。精神の射程が長くない者が、不相応に多くのことを知る必要はない。愚者には愚者の権利がある。

圧倒的な攻勢というが、本当にそうか?

彼はひそかに疑念を抱いていた。優勢であるのは間違いないにせよ、体験したことのない状況であるのは敵も味方も同じなのだ。

たしかに演習はした。その点でこちらに一日いちじつの長はある。しかし演習は演習であり、実戦ではない。何万という人間が意思力のかぎりを尽くす実戦では、何が起こるかわからないのだ。

みずからの死も敗北も彼は想定していなかったが、他の者たちほど楽観的にはなれないのだった。

現在、航宙艦同士の戦闘において、火線の集中という概念は残っていたが、戦力の集中という発想が消えてなくなってすでに久しい。

それは、古代地球の戦争の考え方だ。

人類が宇宙に進出した最初の数百年のあいだは戦争らしい戦争は起こらず、必然的に忘れ去られていた。やがて恩寵戦争の勃発ぼっぱつにともないその概念は復活したが、しかしそれは事態として蘇っただけであり、理論としてはほとんど整備されないままに人類は《敵》との戦争に突入した。そしてバルニバービ協定締結後は、抑止という発想が奏効して、戦隊対戦隊規模以下の戦闘しか行われていない。実質的には、五〇〇年ほど歴史をさかのぼる所業なのだ。

そんなものを、年若く狷介けんかいさを発散する上官は、歴史の過去から呼び起こした。それが愚行であるかどうかは、今のところ判断がつかない。新しいことを、強固な意志のもとで、整然とやりとげたことは評価してよい。しかしその評価が正の方向であるか負の方向であるかは、即断できない。

この男についていってもよいものかどうかそして、それがいちばんの懸念になるのだった。

常識の枠内で理解できる人間であるならば、さして心配する必要もない。やっかいなのは、有能であれ無能であれ、規格を外れた人間なのだ。

タイタンに戻ったら、友人と相談してみよう。

そう結論して思考を切り上げると、片手を挙げて人払いの合図をした。その動作の意味するところを知っている部下たちは、すぐに一礼して退室していった。

戦闘に没頭するときは、スタッフの手は借りない。それが彼の流儀だった。

3

航宙艦ヴィレッジグリーンを駆る艦長マクシミリアン・ルメルシェは、不本意きわまりない戦いを強いられていた。七倍する敵の攻撃のもとに、積極的な攻勢に出ることができず、ひたすら守備的な戦闘を行っていた。戦うからには当然勝利を目指すべきであるが、この状況では生き残ることを優先目標とせざるをえない。

しかし目標を下げても、それはこのうえなく困難な仕事だった。七倍の敵に包囲されて生き残った例など、歴史を振り返ってみても稀少であるに違いない。

それに、もはや一対七ですらない。

さきほど分析士から、セルフォーティフォーが轟沈ごうちんしたとの報告を受けた。戦場を駆けめぐり荒れ狂うデスハウリングによってそのことはあらかじめ知っていたとはいえ、あらためて聞かされると陰鬱にならざるをえない。

ともあれ、単純な艦数比較にもとづく戦力比が、六対四一から五対四一となったのである。つまり、敵戦力はこちらの八倍である。

一対一なら、どんな敵であっても倒す自信がある。

一対二でも、対等に渡りあえると思っている。

一対三となるとさすがに困難な戦いとなるが、それでも何とか穴を見つけて戦場を一時的に離脱し、しかるのちに敵の後背から襲いかかり個別に打ち破ることができるはずだ。

しかし一対四となると、困難の度合いはさらにはね上がる。戦闘を継続することがせいいっぱい、という状況にまで陥る。

そしてそれ以上となると、実質的には変わらない。包囲を受けて絶望的である、という事実の変奏となるにすぎない。

攻勢に出るにせよ逃走するにせよ、それが可能なのは一対三までだ。一対三と一対四のあいだに境界線が引かれるのは、一対三であれば敵の展開するノウアスフィアにまだ空隙くうげきがあるが、一対四となるとほぼ完全に包囲されてしまうからである。いいかえると、一対三であるならば何とか死角をみつけることができるが、一対四ではこちらの挙動が敵から丸見えになる。

それは経験則とシミュレーションの双方で明らかになっていることだった。平均的なノウアスフィア展開能力をもった者によって戦闘が行われた場合、一対四で包囲が完成する。もっとも実際の戦闘は拮抗した艦数で行われることがほとんどであるため、そういった状況に陥ることは、一時的な限られた状況をのぞいてはほぼ発生していないこれまでは。

自分が限界まで能力を発揮すれば、一対四であっても、死角を見つけて逃走することないし攻勢に出ることは可能であるかもしれない、という考えはある。自己の能力に対する自負もある。さらに、数で圧倒されているとはいえ、虚空を隔てて相対するトカチェンコ少将という指揮官やその配下の艦長たちが、彼のもつ判断基準と照らしあわせてさほどに有能であるとは考えていなかった。

とはいえ、限界ぎりぎりを想定しすぎるのは危険であるし、相手の力量の見立ても絶対ではない。戦争である以上冒険は欠かせないことではあるが、数千の生命を預かる身としては無謀は慎まなければならなかった。

「敵の包囲に穴が空く徴候があったならば、細大漏らさず報告せよ」

ルメルシェはそのように分析士に指示していた。

彼が意識浸潤を行って感知した情報は、すべて分析士たちのもとに送られている。それを分析して、少しでも包囲の薄い部分を見つけだすことを求めたのだった。四周を包囲されている状況を一時的にではあっても脱することができたならば、何らかの可能性を見いだすことができるのではないかとみていた。

「それさえできれば、勝機はある」

ときに絶望感にとらわれそうになる部下たちを鼓舞こぶするため、やや大げさにルメルシェは言った。実際にはかすかに光明がみえるかもしれないという程度にすぎなかったが、そこまで正直になる必要はない。

しかし大げさではあっても、まったくのはったりというわけでもなかった。

一対三にまでもっていければ活路は見いだせる。問題はどのようにしてその状況を呼びこむかだが、それについても考えがあった。

現状打破の可能性は、戦力比が一対八だといっても、あくまでそれが比であるというところにある。ヴィレッジグリーンが実際に八隻に囲まれているわけではない。五隻の艦が四一隻の艦に包囲されているにすぎない。であるならば、局限的にであっても一対三の状況を作りだすことは不可能ではないはずだった。それができれば、ぶざまな防戦としかいえない現況を、戦闘と称しうる水準にまで引き上げることができる。

それでは、具体的にどうするか。

それについても考えはあったが、気が重いことでもあった。

「迷っておられますか?」

首席幕僚バラージュ大佐が声をかけてきた。

唐突に思えるタイミングであり、心中を見透かされた気がして内心少し驚いたが、ルメルシェは感情を表面には出さずに答えた。

卑怯ひきょう・卑劣は許されないにしても、利己りこは全体に利する」

思考のなかで前もって用意していた結論だった。

彼の思考の道筋を知らない他人にとっては、真意を読みとりえない発言であったろう。バラージュに対しても通じるかどうかわからなかったが、決意を示すためにそう言った。

一対三を作りだす。そのために利用するのは、人はやすきに流れる、という普遍的真理だった。

当然だが、人は強い敵より弱い敵を好む。つまりルメルシェが奮戦すればするほど、敵は自分以外の弱い敵を僚艦りょうかんを攻撃対象として選択する。そこに好機が生まれる。僚艦が敵を引きつけてくれたならば、その分こちらが引き受ける敵の数は減る。瞬間的にではあっても、一対三という状況を作りだすことも可能だろう。そのうえで、彼には考えがあった。

味方を盾にするような行いは、絶対に許されない。しかし、みずからの奮戦の結果生まれた状況であるならば話は別だ。ルメルシェはそのように思いさだめていた。

これが、往古の組織戦闘ならばそううまくはいかないかもしれない。軍隊組織のトップダウンは、戦闘時にも維持される。しかし現代においては、戦闘に入ると通信が途絶しがちになるため、場面場面において各個の裁量に任される部分が大きくなる。そこにつけこむ余地があるのだった。つまりは、時代状況そのものが狙い目なのだった。

奮戦して敵の目先を変えさせる。

それは卑怯・卑劣のたぐいではない、とルメルシェは認識していた。みずからに与えられた権限において可能な範囲で最善を尽くす。彼が生き残ることは、全体の利益とも適合するはずだった。

バラージュは、ルメルシェの思考内容そのものを推察したわけではない。それでも上官の態度のなかからわずかな逡巡を感じとり、その背を押したのだった。

バラージュの見るところ、ルメルシェの心身は戦闘の始まったころより活性状態にあった。肌の色は生き生きとして見えたし、実際に驚異的な技量を示してもいた。何といっても、この状況で戦闘開始時と同じ水準の可動域を保っているのである。困難な状況でこそ輝くというのは、その逆であるよりはよほど望ましいことだった。そしてその資質が信頼するに足ると判断したからこそ、決断を行うのにほんの少し手を貸したのだった。

一方、ルメルシェの様子をつぶさに観察している副官カプリツキー大尉は、職責上、首席幕僚とは違った見方をしていた。冷静なようでいて、上官は苦渋くじゅうの決断をくだしたのだった。それが精神の負担にならなければいいが、と少しだけ気にかかった。もちろん、職務における役割として。

「あの野郎、囲まれてびびってやがる」クラウディオは、戦術神経リンクを介して副砲戦長パルマード中佐に言った。「鈍い奴にはわからんかもしれんが、俺にはわかる」

分析チームから逐次ちくじ情報は下りてくるとはいっても、敵の存在を直接に感知しているわけではない。それでも、自軍が危機的状況下にあることは体で理解していた。重厚で猛々しい、敵のノウアスフィアの存在を肌で感じる。

そしてそれとともに、ルメルシェの迷いのようなものをも感じとっていた。感情を実際に感知したのではなく、艦長からくだされる指示の濃度に微妙な変化を感じたのだった。少しばかりエッジが取れている曖昧ではあったが、そんな印象をもった。

「まあ、びびりもするさ。恐怖と友達になれない奴に、勝負に参加する資格はないからな」

パルマードの返答は、淡々としたものだった。

「ふん」クラウディオは戦術神経リンクで鼻を鳴らすという器用なまねをした。「一〇倍の敵がどうした。全員やっつけりゃいいだけだ」

「わかりやすい理屈だ。だけど、なかなか簡単に言ってくれるじゃないか。算数はできるか?」

「臆したら負けだ。敵が多いなら、なおのこと見つけしだい斃す。それだけのことだ。反応が遅れたら、その時点で負けだ。びびってる暇なんかない。あの坊やは、そこのところがまるでわかってない」

「坊やね。あんたと同い年じゃなかったか?」

「格の差だ」

クラウディオは断言した。

「なるほど」

パルマードはその件についてはそれ以上追及してこなかった。

実のところ、クラウディオが言うほどには指示の濃度の変化は大きなものではなかったし、すぐにもとの状態に復していった。だから公平にみるならばクラウディオの物言いは過小評価といえたが、彼にとっては、自分にできると考えていることを他人しかも上位者がなしえないというのは、それだけで無能や怯懦きょうだを意味するのだった。

彼は機関長であり、意識浸潤を行っているわけではなくとも、自艦の機動については完全に把握している。そしてそこから、艦長の意図も敵の状況もおおむね推測できるのだった。それは学習や経験によるものではなく、彼の天性の素質だった。生来の認知そのものが、宇宙空間における戦闘に特化しているのだ。だから細かい分析のたぐいを頭のなかで行わずとも、直感的に状況認識を行うことができる。

「行儀がいいこった。だけど今はそれじゃ駄目なんだよ」

クラウディオは結論としてそう評した。

「そりゃ、あんたと較べたら誰だって行儀がいいだろうさ」

「敵の数をどう感じる、ローラン?」

クラウディオは副砲戦長を名で呼んだ。

「どうって、分析チームが言ってきたとおり七、八倍ってところじゃないか? 体感とは外れてない。目が回る。敵が多いってのがどういうことか、今はじめて知ったよ。ただ忙しいってだけじゃない。砲戦管制の考え方が根本から違ってくる」

「可動域を守るためにか?」

「まあ、そうだ。敵に対して反応するというより、自分の周りをよろいで固めるみたいな砲戦になる。こんなの、習ったことはなかった」

「そう、そこが問題だ。しょせん奴は、習ってないことにはどうしたらいいかわからないんだ。結局、教科書的な秀才ってやつさ」

いつのまにか話が変わっていた。

ルメルシェに対する偏見に満ちた悪口を、パルマードは聞き流した。

「それじゃ、どこまでいっても勝つことなんかできない」クラウディオは語を継いだ。「なあ、そっちに下りてきてる敵の情報と、それからあの野郎からの砲戦指揮の指示を見せてくれないか」

おいおい」

パルマードは珍しく呆れたような声を上げた。クラウディオの要求は、明らかに越権行為だった。

「非常事態なんだ、情報は共有した方がいいだろう? まあ、指揮領域に侵入してもいいんだけどな」

「やめとけよ。俺は、敵にやられる前に仲間割れで死にたくなんかない」

「だったら、早くデータをよこせ」

仕方ないな。チェルヴォ大佐に強要されてやむをえず、って始末書には書くぜ」

ため息をつきながらも、パルマードはクラウディオの要求に応えた。

「助かる」

新たな情報の群れが流れこんできた。それは意識せずとも、これまでのルメルシェからの指示やみずからが行ってきた機動の情報と結びつき、より明瞭めいりょうな戦場のイメージを形作った。それでも完全ではないが、とりあえずは十分だった。

クラウディオは軽く深呼吸してから、ネットワーク空間内をひととおり見まわして、彼らのやりとりを聞いている者がいないかどうか確認した。

そうしてから、いくぶんか声を落としてパルマードに説明した。彼の腹案を。

クラウディオの説明を聞いて、パルマードは絶句した。彼は生真面目な人物ではなく、むしろ軍隊組織のなかではかなり放縦ほうしょうな方ではあったが、それでもあっけにとられた。

「そいつはさすがにまずいだろうよ」パルマードはやっとのことで言った。「情報をただ見せてやるのとはわけが違う」

「いつからそんな優等生になったんだ。死にたくないだろ、無茶するしかないんだよ。運よく生き残ったところで、土星の奴らに捕まったら奴隷どれい労働だっていうぜ。ろくに食い物も与えられずに、土星で採掘作業。それが終わったら、思想改造とくる。やるしかないんだよ、俺たちで」

奴隷労働云々は、かつて両親からよく聞かされた話だった。クラウディオ自身はあまり信じていないというか、真偽を考えたことがなかった。それでも方便として言ってみたのだった。

「とりあえずおまえの動かせる範囲でいい。一発花火を打ち上げてやれば、どんな間抜けでも目を覚ますだろうさ」

ただ守りを固めているだけでは現状を打破することはできない。やるしかないのだった。

生き残るために。そして、みずからの完全なる優越をルメルシェに対して示すために。

承諾の言葉を確認しないままに、クラウディオは具体的な指示に移った。しかし説明を始めてすぐに、パルマードにさえぎられた。

待て。五秒くれ。計算する」

それまでとは異なる、有無をいわせない迫力をもった低い声だった。

「何?」

きっかり五秒後、パルマードから応答があった。

「謹慎とカルタヘナ大佐の小言だな。了解だ。あんたの賭けに乗る」

肯定的な返答に少しだけほっとしつつ、クラウディオは訊いた。

「いったい何の計算をしたんだ」

パルマードはその問いには答えなかった。

「そうそう、いちおう言っておくが、教本みたいな説明なんてされなくてもわかってる。あんな手品、一度見たら十分だ。俺に任せろ」

かわりに返ってきた言葉から感じられたのは、ある種の覚悟のようなものだった。自己規定そのものを直接ぶつけられたようにさえ感じた。やる気になったってことか、と考えてクラウディオは満足した。

わずかな沈黙ののちに、クラウディオは言った。

オーケイ、任せた」

それからクラウディオはパルマードとの通信を切った。大きく息を吸い、これからの計画に備える。そのときだった。

彼の認識に、強引に不愉快な像が割りこんできた。たくましくしっかりとした顔立ちのその人物は、政治士官クリールマン人文准将だった。

クリールマンは、クラウディオが反応を示す前に口を開いた。

「指揮系統を乱すような行動は、厳に慎みたまえ」

その言葉に、クラウディオの頭は瞬間的に沸騰ふっとうした。

この野郎、検閲ぬすみぎきしてやがったのか!

平時ならさておき戦闘時に、しかも緊急時に邪魔だてされることは我慢がならない。クラウディオは遠慮することなく言った。

うるせえな

本当は胸ぐらをつかみたいところだったが、残念ながら今は手が届かない。

クラウディオの直截ちょくせつな言いざまに、さすがにクリールマンは驚いたようだった。だがクラウディオはそんなことに構ってはいられなかった。

「俺の両親だって、そんなにうっとうしくはなかったぜ」

政治士官と現場の軍人とのあいだの軋轢あつれきは、木星軍において珍しいことではなかった。

それは立場の違いということもあったが、そもそも根本的には政治士官というものが文民統制を確実にするという実際上の目的より、土星に対する民主主義的優位性をアピールするために設置されたという側面が大きいことに起因していた。そのために、政治士官は何かと権威主義的になりやすいのだった。

ただそれにしても、クラウディオの喧嘩腰は明らかにやりすぎだった。しかし戦闘の渦中にあって、そんなことを冷静に考慮するゆとりはクラウディオにはなかった。

そして結果的には、クリールマンの横槍がクラウディオの決断にはずみをつける恰好かっこうとなった。

クラウディオはクリールマンに二の句を継ぐ余裕を与えず、自分から接続を解除してふたたびパルマードを呼びだした。

「ローラン! 方針変更だ。動かせる範囲じゃない。徹底してやる」

のんびりしていては、敵に撃沈される前に政治士官に妨害される恐れがあった。

「何を今さら」

パルマードからの返答は、簡潔なものだった。

4

土星軍の指揮官である九重有嗣中将は、麾下四〇の艦のすべてからの報告を受け、それを総合し戦況を判断しつつ、みずからも旗艦艦長として戦闘に参加していた。

木星軍とは違って、彼は戦場全体の状況をほぼ把握していた。自軍の展開するノウアスフィアが戦場のほぼ全域を覆っていたため、それが可能なのだった。

指揮席に座する有嗣は、戦闘指揮官としての緊張感を放ちながらも、ある種悠然とした雰囲気をも帯びていた。意思と意思がぶつかりあう戦場に身を浸して、有嗣の精神はむしろ安らいでさえいた。それは通常の意味での安穏さとは違ったが、方面軍基地や王都東雲しののめで政治的な根回しをしているよりよほど座りがいいのだった。

操艦と艦隊指揮を同時に行うことは、有嗣にとって難しいことではなかった。この程度のことが行えないようでは、指揮官たるの資格はない。

「アマディス・ブローデル少将、か」

今対峙している敵の名前をつぶやいた。とくに意図したわけではないが、有嗣は敵の指揮官と相対することとなったのだった。

「木星圏においては、オズワルド・グリンステッド大将のお気に入りとして通っているとのことです」

事務的な口調で、デリャーギン少将が言った。

「あの『英雄』の」

有嗣は言ったが、さして興味を抱いたわけではなかった。軽んじているわけではなく、この場にいない人間になど興味がもてなかっただけだ。相手は連合航宙艦隊への就任も近いといわれる人物だ。今思いを馳せずとも、いずれ戦場で対面することもあるだろう。そのときにゆっくりと、その才覚と心性を味わえばよい。それに、偉大な人間に目をかけられていることが、そのまま能力の保証となるわけでもない。考える必要のないことだった。

「とはいえ、よく防戦している」

目の前のブローデル少将は、八倍の敵の包囲を受けながら、よくしのいでいた。

有嗣が戦況全体を見渡しながら戦っているため自分の戦線に本腰を入れていないということもあったが、それでも堅牢な防戦を行って致命的な一撃を避けつづけていた。

「賞賛にあたいする」

ブローデル少将の勇戦に敬意を表してそろそろ自分の戦いにも力を入れようかと考えたとき、この戦闘において二回めのデスハウリングが戦域を圧した。重量をともなっているような精神的金切り声が虚空を駆けめぐり、人々の精神にぬぐいようのない不快感を残す。

すぐさま、庫翡潤クー・フェイルンの第四戦隊が敵艦を轟沈せしめたという報告が入ってきた。宇宙に散った艦の名はアニマルトラック、艦長はメンディサバル准将とのことだった。

通信士からの報告ののちに、庫翡潤との回線がつながった。

「ご苦労」

敬礼する年長の少将に、有嗣は短くねぎらいの言葉をかけた。

「私の功績ではありません。沈めたのはファン准将の艦ですので」

「そうか」

庫翡潤の言葉遣いに少し興味を覚えたが、言葉に出しては簡単に応じたのみだった。

「それでは、戦域保護に移ります」

通信はすぐに終了した。

今回の戦闘においては、受けもった敵を撃破したならば、その後は味方に合流しその援護を行うのではなく、後方に退いてノウアスフィアを戦場の周囲に展開することとあらかじめ定めていた。

この戦いは新しい世界を切り開く一つの宣言であると同時に、未来の戦いの実験だった。すべての部下になるべく均等に経験を積ませること。敵に逃亡されることのないよう包囲を徹底すること。それが、できるだけ実験を効率的に遂行するための方針だった。

それにしても興味深い結果が出ているものだ、と有嗣は考えていた。

あくまで現段階ではであるが、旺盛おうせいな戦闘意欲をもっている者より、どちらかといえば慎重しんちょうな性格の者の方が戦果を挙げている。ジーナット・ダントワラにせよ庫翡潤にせよ、血気盛んという型の指揮官ではない。とくに庫翡潤にいたっては、敵艦を沈めたのは旗艦の攻撃ですらなかった。

それは、興味深いと同時にやっかいなことであるのかもしれない。戦闘をあてがって忠誠を買うといったことが難しいのかもしれないからだ。もちろんまだ判断をくだすには早すぎるだろうし、それに表面上の性格だけで好戦性を明らかにしうるものでもない。

三度めのデスハウリングが轟いた。

有嗣はまゆを動かした。

それは、断末魔が不快だったからではない。

轟沈したのが、彼の麾下の艦であったからだ。

5

デスハウリング。

その不快は誰しもがひとしく感じるものだったが、ルメルシェにとってはとくに気分の悪いものだった。

それは、彼が生来もつ病である「感覚の叛乱」に近い不快感をもたらしたからだ。自己の支配下にある器官が叛逆はんぎゃくし、暴力的な意思が中枢神経系へと這いのぼっていくおぞましさと同種の不快感があった。

虫酸むしずの走るおぞましさを宇宙に残して艦もろとも砕け散ったのは、土星軍のマルーシャ・トカチェンコ少将の艦だった。まさにルメルシェが相対していた敵手であったが、しかしその轟沈は、彼の操艦によるものではなかった。

おろか者が!」

彼は吐き捨てた。

感覚的な不快のゆえでも、交戦相手の無能をあざけったわけでもない。味方のあまりにも度を外れた愚行に対して、ののしりの声を上げざるをえなかったのだ。

クラウディオチェルヴォの愚行に対して。

マルーシャ・トカチェンコ少将は、死の瞬間までみずからにその危険が迫っていることに気づかなかった。

しかし、予兆のような、多少のいらだちはあった。

若造の駆る一隻の艦に対して、数的有利を生かしきれていなかったのだ。押されているわけではないとはいえ、なかなか敵の可動域を削りとることができなかった。

たしかに未経験の戦いではあった。敵より数が多いということが実質的にどのような意味をもつのか、はっきりと理解してはいなかった。ただそれは彼女に限らず他の者にとっても多かれ少なかれあてはまることであり、この戦闘はそもそもそれを理解するための実験でもあった。

そうはいったところで、敵に有効な打撃を与えられていないという事実は、愉快なものではなかった。

そして愉快でない状況は、さらに愉快でない考えを呼び起こした。

艦隊司令官の指示により戦線に麾下の全戦力を投入する以前、彼女の操る旗艦スタレゾロトは、敵の攻撃によって一時は可動域が半径五〇〇〇キロという状態にまで追いこまれた。もちろんそれは戦力の投入に備えてある程度攻撃を控えていた段階のことであり、現在は戦闘開始時の水準にまで回復していたが、しかし実際に「手加減」をせずにそのまま一対一の戦闘を続行していたとして、はたして形勢逆転が可能であったかというと、確信がもてないのだった。

自分が操艦能力においていまだ一九歳だという弱輩者に劣るなどという可能性は、彼女としては絶対に認められないことであったが、もどかしい状況下でいらだちを募らせていると、不愉快な考えが脳裡をちらつくのだった。

「《恩寵ソボールノスチ》よ

超越的な救世主に祈るような性質ではない彼女だったが、ふとそうつぶやいた。柄でもないと自分でも思ったが、《聖母》と同じマリーヤマルーシャという名を与えられた者としては、むしろ自然であったのかもしれない。そしてそのとき、破滅が唐突におとずれた。

破滅は、天頂方向から弾幕の形をとって現れた。

その登場は、あまりにもだしぬけだった。

敵の可動域を縮小しえてはいないといっても、けっして劣勢であったわけではなかった。それどころか、スタレゾロトの近傍への攻撃も許していなかった。敵は自艦の行動範囲を確保することに忙殺されており、こちらに到達するほどの砲撃を行う余裕などないはずだった。

それなのに、予想もしていなかった方向から弾幕がやってきた。

いきなり背後から斬りつけられたようなものだったが、それでも紙一重かみひとえで回避しえたのは、彼女の経験のたまものだった。

ただしそれは、一瞬の延命にすぎなかった。回避を行ったまさにその先に、最前よりも濃密な弾幕が襲いかかってきたのだった。

今度は回避行動をとることもできず、スタレゾロトは艦の横腹に帯のように大量の弾体の直撃を受けた。

無数の着弾の衝撃が織りなす複雑な振動によって指揮席から吹き飛ばされ、壁面に叩きつけられたトカチェンコ少将は、鼻の奥から流れだす熱いものの存在を感じながら、朦朧もうろうとする意識のなかで考えた。

すべては、わなだったのか。劣勢を装っていたのか

「弱輩者め

それが、彼女の最期の言葉だった。

弾幕を受けてから八秒ほどのちに、航宙艦スタレゾロトは爆散した。

宇宙が、デスハウリングに満ちた。

それは、消えてなくなりつつある生命が、みずからを現世につなぎとめようとする最後のあがきだった。すくなくともクラウディオはそう感じていた。幼少期から緩衝体に触れていたクラウディオにとって、デスハウリングは不快である以上に痛みであった。

ヴィレッジグリーンの機関司令室で、彼は片手の操作ユニットを取り外して、哀惜の念とともに小さく敬礼した。

「自分以外のものに祈ってるから負けるんだ」

クラウディオはぼそりとつぶやいた。

彼が土星軍トカチェンコ少将の死に際を知っているはずもなく、それは気まぐれで口にした言葉にすぎなかった。ただその言葉のなかには嘲笑や冷笑の成分は含まれておらず、あるのは弔いの意だった。

「やることはやったが、さて、この後いったいどうなるか」

乾いた笑いとともに、通信で神経に直接語りかけてくるのは、副砲戦長パルマード中佐だった。

「まだ終わっちゃいないさ」

だろうな」

トカチェンコ少将の考えは、正しくなかった。

罠などではなかった。

スタレゾロトへの攻撃は、ヴィレッジグリーンの艦長の意思とはまったく無関係に行われた。

パルマードから提供された砲戦管制の情報にもとづいて、クラウディオは敵艦の機動パターンを推測した。そして戦術神経リンクをつうじて送りこまれてくる指示を無視して、独断で艦の機動を行った。それと同時に、パルマードが一〇〇ほどのスラローム砲を運用して複雑な軌道パターンをもつ弾幕を放つ。

これらのことを、〇・二秒ほどのあいだに行ったのだった。

この組み合わせが、奇跡のような光景を現出せしめた。

まだ半径四万キロという可動域を残している、いわば無傷といえる敵艦に、十字に交差するようなかたちで、弾幕が二方向からピンポイントで襲いかかったのだった。しかも二つの弾幕は、微妙にタイミングがずらされていた。最初の弾幕はかわされることを計算に入れており、第二撃がおとずれる場所に敵艦を誘導するのが目的だった。

それは、クラウディオがかつて演じた、単砲十字砲火シングル・クロスファイアの変形だった。

「始まったばかりだ」

まだ、四一隻のうち一隻を沈めたにすぎない。

むしろ、これからが正念場だった。

6

クラウディオの独断専行は、即座にルメルシェの知るところとなった。

一瞬とはいえ艦がみずからの意に沿わぬ機動をしたのだから、露見して当然だった。ただそれがミスではなく故意の専行であると判断したのは、根拠あってのことというより、ルメルシェのクラウディオに対する人物評にもとづいてだった。端的にいえば、あの男ならそんな愚行をしでかしかねない、ということだった。そしてそれは、完全に真実だった。

「愚か者が」

デスハウリングが響くなか、ルメルシェはもう一度吐き捨てた。

クラウディオと、そしてそれに協力した副砲戦長の攻撃によって、さきほどまでヴィレッジグリーンが相対していた土星軍第六艦隊第五戦隊の旗艦が轟沈した。

しかし、それを喜ぶ気にはまったくなれなかった。

湧きあがってくるのは、いらだちのみだ。

限界は秩序の基盤のうえにしか存在しない。無秩序のなかで最高を僭称せんしょうするだけなら、それはただの妄想というものであり、完全な無価値である。妄想で運命は克服できない。そのことは、生来の病をもったルメルシェにとっては、あたりまえすぎる真理だった。今回のクラウディオの所業のごときは、戦功などではなくたんなるでたらめにすぎないし、運命を切りひらくものでもない。

「まったく、足を引っ張ってくれるものだ

ルメルシェは舌打ちした。だが、いらだってばかりもいられなかった。

気が進まなかったが、通信でクラウディオを呼びだした。認識の隅に現れた機関長の像は、開口一番言った。

「目が覚めたか?」

どういう意味だ?」

「花火は上げてやった。どういうことが必要か、どれだけ間抜けな人間でもさすがにわかったんじゃないか?」

クラウディオの口調はいつもどおりに非友好的だったが、ふだんの様子と少し異なってもいた。その表情が、優越感に染まっているように見えたのだ。

「功をほこっているつもりか、愚か者」ルメルシェは、クラウディオのたわごとの相手をするつもりはなかった。「なぜ専行した」

「決まってる、勝つためだ。守ってるだけじゃ勝てないってことを、臆病者に教えてやるためだ。腑抜ふぬけた奴のせいで死にたくはないからな」

「そうか、ならば邪魔をするな」

つきあっていられなかった。

ルメルシェは通信を切ると、クラウディオと艦の戦術神経リンクの接続を強制的に解除し、さらに機関長権限を副機関長のセルカーク中佐に委譲した。本来なら営倉送りにしてやりたいところだったが、とりあえずは後回しだ。副砲戦長の処遇に関しては、バラージュ大佐に一任した。

一連の手続きを、一秒に満たない時間で粛々と済ませた。わずかな時間だったが、それだけでも浪費したという思いが強かった。宇宙空間における戦闘というのは、秒などよりはるかに小さな単位で状況が変化するのだ。

ただでさえ困難な状況なのだ。そんなときに、内部から足を引っ張られてはたまったものではなかった。

九重有嗣率いる土星軍は、この戦闘においてはじめて艦を失った。

悲痛な叫びを宇宙に残して消失したのは、マルーシャ・トカチェンコの操る第五戦隊旗艦だった。

その報に触れた有嗣は、この圧倒的攻勢下で艦を失うとは何と愚かなのかと思った。

たしかに、数が多いということがどれほど戦闘において有利にはたらくのかは、未知の領域に属する事柄ではある。しかしその程度のことは、戦闘を行いながらつかみとってもらわなければ困る。そのために作戦計画を立てたのだ。

とはいうものの、トカチェンコの死について、有嗣はさほど怒りを覚えているわけではなかった。それは彼が寛大だというより、宇宙の漆黒に身をひたして上機嫌であったという要因の方が大きい。周囲からはそのように見えないだろうが、彼は上機嫌なのだった。

その証拠にというべきか、有嗣は敵に興味を示していた。トカチェンコを戦死させた木星軍の艦長に。

この状況でこちらの艦を轟沈せしめたというのは、たとえトカチェンコの才能が乏しいのだとしても、艦長の有能さを示す事実に違いない。

情報によると、その艦の艦長はマクシミリアン・ルメルシェといい、まだ一九歳であるという。土星軍にも、それほど若い艦長はいないはずだ。有嗣であっても、艦長になったのは二〇歳をすぎてからだった。

「青二才め」

そのことが新鮮だった。

有嗣はこれまで、青二才として生きてきた。年齢より高い地位についているという視線に、つねにさらされてきた。同階級の者はほぼ全員が年上で、陰に陽に反感をぶつけられることも多かった。一方で、それを利用しもした。

青二才であることは力だ。

無知、未熟、世間知らず。そのように見なされることは、他者からの干渉を小さくする。また責任の回避も可能にする。軽侮は自由を生むのだ。

そのようにして生きてきた彼にとって、自分より若くして艦長を務める人物の存在が興味深かったのだ。しかもその人物は、それなりの有能さを示してもいる。ルメルシェという艦長の人間性に興味をいだいたというより、みずからの青二才としての境遇に思いをいたすきっかけとなったという方が正確ではあったが、すくなくとも印象には残った。実のところ直接的にトカチェンコ少将を戦死させたのはルメルシェではないが、そんなことを有嗣が知るよしもない。

青二才上等。

何十年も前に流行したフレーズを心中につぶやいて、他者にはそれと判別できないほどのかすかな笑みを浮かべる。

有嗣は全軍に命じた。

「トカチェンコ戦隊は以後戦域保護に回れ。その宙域には、かわって私の第一戦隊が入る。敵指揮官ブローデル少将の相手は、後詰めのゲレリーン少将が担当するものとする」

そうして九重有嗣は、いくつかの死の咆哮ほうこうののちに、マクシミリアン・ルメルシェおよびクラウディオ・チェルヴォと対峙することになったのだった。