サクラコ・アトミカ

第十六回

犬村小六 Illustration/片山若子

「最前線」のフィクションズ。サクラコの美しさが世界を滅ぼすーー。 畸形都市・丁都に囚われた美貌の姫君、サクラコ。七つの都市国家を焼き払う原子の矢は、彼女の“ありえない美しさ”から創られる......。 期待の新星・犬村小六が放つ、ボーイ・ミーツ・ガールの新たな金字塔、ここに誕生!

二時間後。

「わははは。これじゃ、これに乗りたかったのじゃ!」

お互いの膝がくっつくくらい小さなゴンドラの中、相変わらず足をぱたぱたさせながら、サクラコはベールの付いた帽子を脱いで、素顔を晒して微笑んでいた。

その対面に腰掛けたナギは憔悴しょうすいしきった目線を窓の外の夜景へむける。遊園地の灯りが徐々に押し下がっていく。

「これはまあ知事が考えたにしてはまともみたいだね」

観覧車は夜の中へとりどりの光を投げかけながら、ゆっくり回っている。お目当ての乗り物に乗れて上機嫌のサクラコは、せわしなくナギと夜景を交互に見やりながら、

「楽しみを最後に取っておいて良かった! のんびりしておっていいのう!」

これ以上ないほどにこにこする。

「これで終わりだからね? これ終わったら、牢屋に戻るんだよ、いいね?」

念を押すナギの言葉を聞き流し、サクラコは真正面から微笑みかける。

「また来たいのう。こんなに楽しいのは生まれてはじめてじゃあ」

「へえ。阿岐ヶ原にはもっと面白くて珍しいものがたくさんあるとか言ってなかったっけ」

サクラコは笑みを保ったまま朗らかに、

「あれはウソじゃっ!」

「そんな誇らしげに言われても」

「実はデートなど一回もしたことはないわい、アホウ!」

「いや、うん、いいけど、アホウ、はいらないと思うなあ」

「なにしろどの男どももわらわをひと目見るなり一介のエテ公と化してしまうでのう。はあはあいいながら腰を前後に振るばかりで、まともな会話にもならんのじゃわい」

「大変だねえ」

「だからほんとは最高に楽しいのじゃ。うれしくてたまらんのじゃ~」

素直な気持ちをそのまま言葉にしてナギへ投げつけ、サクラコは再びゴンドラの外の夜景を見渡した。高くなるにつれて、眼下、遊園地の灯りが遠ざかっていく。

ナギのすぐ近くにサクラコの横顔があった。地上の灯りを背景にして、くっきりした鼻梁びりょうの線が窓ガラスに映り込んでいた。

きれいだ。

ふとナギはそう思った。

そう思った次の瞬間、戸惑った。

自分には人間の美醜びしゅうを判断することなどできないはずなのに。それになぜだか心臓がどきどきしてきた。

この乗り物、終わらないといいな。

ナギの頭蓋の内に、そんな言葉が勝手に爆ぜた。一周したら、ゴンドラを降りなければならないことが寂しく思えた。

いつもおしゃべりなサクラコは、いま、口をつぐんで夜景に見とれている。心地よい静寂がふたりのあいだを浸している。ゴンドラはゆっくりと、円周の頂点を目指していく。

「うう~。もう半分来てしまう~」

諦めの笑いを浮かべながら、おどけた調子でサクラコがうめいた。ナギは平然を装って、ただ肩をすくめてみせた。サクラコは不満げに、

「なんじゃその態度は。せっかくわらわほどの美少女とこんな狭いところにふたりきりじゃというのに。おんしも男なら、なんかロマンティックなことを言え。ぼくはもっとずっときみといたい~、とか。このままいつまでもこうしているんだ~、とか」

気持ちを言い当てられて、ナギの胸がどきんと鳴った。いつもなら反射的に減らず口が出てくるはずなのに、いまはなんにも言葉が出てこない。できたことはただ、頰を真っ赤にしてサクラコから目を背け、黙って夜景を見渡すことだけだった。

サクラコは怪訝けげんそうに、対面のナギの様子を見やった。てっきり軽口が返ってくる、と思っていたのに彼の反応が薄い。

「なんじゃあ、アホウ。なんとか言えい」

文句をつけながらナギのすねをつま先で蹴っ飛ばすと、ぎこちない返事がかろうじて届いた。

「痛い、やめてよ」

「やかましい、わらわを無視するとこうなるのじゃ、えいえい」

サクラコは至近距離から容赦なく、げしげしとナギの脛を蹴っ飛ばす。ナギは口をへの字に曲げ、ひょいひょいとサクラコのつま先をかわしはじめた。

「えい、やあ、とう」

かわされると頭に来て、サクラコはそんな掛け声と共に蹴りを繰り出すが、ナギは器用に足を上下左右へ動かして当てさせない。

「うぬう。生意気な」

荒く息をつきながらサクラコはナギを睨みつけると、おもむろに意地悪な笑みを浮かべて、座席から腰を浮かせた。

「ならば接近戦じゃ」

そのままひょいとナギの傍らに腰を下ろす。悪戯な表情で戸惑うナギの横顔を見上げて、彼の右腕に自分の両手を絡ませる。

「どうじゃ、逃げられまい」

「あー。うん。逃げられない」

「なんじゃそのつまらん反応は。面白いことを言うまでこうしてやる、うりうり」

サクラコはナギに身体をぎゅうぎゅう密着させて、左足の踵でナギの足をぐりぐりと踏みつけはじめた。

「やめてやめて。痛い痛い」

ますます頰を真っ赤に染め上げ、ナギは感情のこもらない泣き言をこぼした。本当は大して痛くもないのだが、なにやらこれまで経験したことのない感情が横隔膜を一方的に押し上げて息苦しくて仕方ない。絡ませた腕から伝ってくるサクラコの柔らかさと温かさが危険なほどに心地よく、脳髄が弛緩しかんしていくのがわかる。この気持ちはなんだろう。

気が済むまでナギの足を踏みにじってから、サクラコは腕を組んだままナギの身体にもたれかかって、蠱惑的こわくてきに笑み、ナギの耳元へ口を寄せた。

「どうじゃ、参ったか。ロマンティックなことを言わんとまた踏むぞ」

「う、うん」

「こっぱずかしい台詞を誇らしげに言え。聞いてしまった第三者が回転しながら銀河の彼方へ飛んでいってしまうくらい、言うた本人の子孫が末代まで指を差されて笑われるくらい、恥ずかしい、バカみたいな、切腹ものの愛の言葉をわらわへささやくのじゃ」

「ごめん無理。許してください」

「簡単に諦めるでない。いかなる試練も、諦めなければ道はひらける」

「なんか一見いいこと言ってるっぽいけど、この試練そのものが間違ってる」

「うるさい黙れボケエ。早う言えい。足りない頭を振り絞ってアホみたいな愛の告白をせい。もうすぐ降り口に着いてしまうわい」

サクラコの言う通り、ゴンドラはいつのまにか頂点を過ぎ去り、ゆっくりと下降をはじめていた。狭苦しいゴンドラのなか、サクラコはますます身体を寄せ付けて、一方的な要求を突きつけてくる。ナギのあらがいはたどたどしい。

「あ、あの、よくわかんないけど、そういうのは人間が言うもので、ぼくはバケモノだからそういうこと言っても仕方ないのね」

「なんじゃ、なんでじゃ。そんなもん別にどうでもよかろうが」

「たぶんもう百回以上同じこと言ってるけど、どうでもよくないの。ぼくは人間そっくりの生物兵器。予め組み込まれたものの範囲内でしか思考できないし、行動もできない。愛情とか、戦闘行為に不必要なものはぼくの中には埋め込まれてない」

「ア~ホ~かあ~」

「なにその顔。なんでアホなの」

「アホ~。アホ~」

「答えになってない。きみの表情の方がアホだし」

醒めきった色がサクラコの眉に差した。ふん、と鼻を鳴らすと、苛立たしそうに窓の外を見やる。あと少しで降り口だった。

「もう一周追加できんかのう」

寂しそうに、サクラコはそう呟いた。

一拍挟んで、ナギは淡泊な調子を装って返事した。

「大丈夫じゃない? 他にお客さんもいないし」

サクラコの両目が見ひらかれる。

「ほんとか? もう一周、回ってもいいか?」

まあ。係員さんがOKなら」

サクラコの表情が、ますますぱあっと晴れた。いつもよりも素早く足をぱたぱたさせると、うんうん頷く。

「頼むぞう。係員に頼むぞう」

「頼んでいいけど、顔は隠しといてね。係員さんが腰をへこへこ動かしはじめても困るから」

「おうおう、忘れるところじゃった。うん、よし、準備いいぞう」

帽子をかぶって顔の前にベールを下ろし、片手に一日乗り放題チケットを握りしめてサクラコは頰を引き締めた。

のろのろしたゴンドラは降り口へさしかかった。陰気な係員が近づいてくる。サクラコは両肩を怒らせてチケットを振り回しながら、必死に叫ぶ。

「もう一周! もう一周じゃあ!」

ゴンドラの出入り口をひらこうとしていた係員は抗議することもなく手を引っ込めると、やる気なさげにパイプ椅子へ腰を戻し、生気のない瞳を人工星空へむけた。

ベールが跳ね上げられ、勝ち誇ったサクラコの表情が並んで腰掛けるナギへむけられた。

「やったぞ! あの係員、仕事に対する情熱はない! 何周でもできるぞ!」

「うん。そうみたいだね」

「楽しいのう! うれしいなあ。いっぱい回るぞう」

サクラコはナギの腕に両手ですがりついて、満面の笑顔を彼の肩へすりつけた。