サクラコ・アトミカ
第十五回
犬村小六 Illustration/片山若子
「最前線」のフィクションズ。サクラコの美しさが世界を滅ぼすーー。 畸形都市・丁都に囚われた美貌の姫君、サクラコ。七つの都市国家を焼き払う原子の矢は、彼女の“ありえない美しさ”から創られる......。 期待の新星・犬村小六が放つ、ボーイ・ミーツ・ガールの新たな金字塔、ここに誕生!
しばらく元気のないサクラコを見下ろしてから、溜息をついて、ナギは両耳から手を離し、肩をすくめて、彼女の正面に体育座りした。
「……聞くだけだよ。聞くだけ。その通りにするとは言ってないから」
「…………」
「ほら、早くしてよ。お願いの内容次第では善処するから」
「……わらわを連れて逃げておくれ」
「無理。それをやった瞬間、ぼくは死んで、きみは高空庭園に連れ戻される」
「…………」
「知事にはそのくらいのこと、造作もなくできる。たいていのことなら願ったその場で叶っちゃう人だよ? ぼくの力ではどうしようもない」
「……わらわにこのまま死ねというのか」
「……都域圏付近に、きみを奪還するために阿岐ヶ原から送られた未知の脅威が迫ってるんだってさ。街の人がみんなその噂してた。もしかすると知事の力を越えて、きみを助けてくれるかもしれない。そっちに賭けた方が賢明だよ」
「前にもその話を聞いたが一向に来んではないか。いつここにくるかもわからん。わらわは明日にもあのバカな塔に連結させられて世界を焼き尽くしてしまうかもしれんのに」
「……ぼくの口からはなんにも言えないよ。ただ……ひどいことだとは思う」
「……ナギ、一日だけ……」
「?」
「一日だけ、なんとかならんか? いまはあの変質者も都域圏の戦いに注意が逸れておろう。わらわが一日くらい牢を出て羽を伸ばしたところで問題なかろう」
「問題はあると思うけど……でもねえ……」
「お願いじゃ。一日だけでいいんじゃ。おしゃれをして外を歩き回りたい。イチゴのソフトクリームを食べながら、遊園地の観覧車に乗りたい。ナギ、おんしにしか頼めんのじゃ」
「ううん……それでも充分、無茶だよ……ううん……一日だけかあ……」
「そしたらおとなしくあの牢に戻って、助けが来るのを待つから。なんとかうまいことごまかしてくれい」
「うんとねえ……一晩寝ないで大丈夫?」
「夜更かし大好きじゃあ」
「そう……。徹夜で遊ぶくらいならできるかもしれない。ここから高空庭園に帰るついでに寄り道する感じで。それでもいい?」
体育座りしたまま、サクラコはこれでもかと瞳をひろげて、真顔でこくこくと頷いた。いまにも通りへ飛び出していきかねない表情だ。ナギは慌てて言葉を重ねる。
「わかってると思うけど、これだけでもかなりの冒険なんだからね? あんまり無茶なことしないでね?」
「うん、うん。しない、しない」
「じゃあまず着替えて。この家にある服で着れそうなやつ選んで。あと、帽子! きみの顔がさらけだされると、またさっきみたいに男の人が理性失っちゃうから」
「任せるがよい。男どもの目に留まらぬよう、最低な服とダサイ帽子を選んでやるわい。幸い流行遅れのファッションには事欠かぬ家のようじゃからのう」
サクラコは不敵な笑みを浮かべながら失礼極まりない台詞を呟くと、さっそくいそいそと他人の家の洋服ダンスを漁りはじめた。これもダサイ、あれもダサイ、などと楽しげに独りごちながら、あれこれ物色する。そのうち幾つか候補を選んで、立ち上がり、楽しそうに胸の前にいろんな服をあててナギに見せびらかす。
「どれが良い? わらわにどんな格好をしてほしい?」
「いやだからきみ人の話聞いてる? 人目をひかない格好。格好悪くて時代遅れでみすぼらしい、見た人が全員思わず顔をしかめてしまうかわいそうな感じの格好」
「酷なことを言う男よのう。これからデートするのにダサイ格好をしろなどと」
「きみ、いまさっき自分で言ったこと覚えてる? ねえ、ふざけてないでお願い、真面目に最低な服を選んでください。お願いします」
「つまらん男じゃ、やれやれ」
にこにこしながらそう言って、サクラコは言われた通りの服を選んだ。それから毅然と胸を反らして命令する。
「着替えるから外に出ておれ、助平」
「はいはい。できるだけ手早くね」
ナギはあくびしながら部屋を出て、廊下でサクラコが出てくるのを待った。
ほどなくして戸口がひらき、これでもかと珍妙な格好のサクラコが両手を腰に当てて誇らしげにふんぞり返った。
「どうじゃっ! ダサイじゃろうが!」
「うわあ……。うん、予想を越えてダサイよ」
雑巾にも似た薄汚いどどめ色の割烹着の上に無骨な腹巻きをあて、その下は褪せた柿色をしたフリル付きスカート、頭には金色のカウボーイハット。見事なまでに統一性を欠いており、みすぼらしく、どう見ても大馬鹿者であり、できるならこの人には近づきたくないと他人に思わせる力のあるファッションだった。
ナギは感心して拍手した。
「うん、すごい、完璧だ。こんな格好の人を街で見かけたら、ぼく絶対近づかない。視界に入ったらすぐ目を背けるよ、うん」
「そうじゃろう! わらわの美しさを完膚無きまでに破壊しているであろう!」
「うん、文句のつけどころがない。馬鹿みたい……ていうか馬鹿だよサクラコ!」
「わっはっはっはっは。うえーん」
「うわ、笑いながら泣かないで! 悲しいのわかってるから気持ち悪いことやめて!」
「うえーん。わははは。うえーん。出かけるのはうれしいけどおしゃれがしたい、えーん」
「うん、うん、気持ちはわかるけど我慢して。ひどい格好だけど、それで外が歩けるんだからいいじゃない」
「ダサイよ~。無様じゃよ~。せっかくのお出かけじゃのに、なんでこんなアホな格好せにゃあならんのじゃあ~」
「わかった、譲歩して、その腹巻きは巻かなくていいよ。腹巻きを外せば、ほら、ちょっとしたお調子者、くらいの立ち位置にのぼることができるはず……」
泣きべそをかきながら腹巻きを外し、ばあんと勢いよく床に叩きつけると、サクラコは再び泣きっ面を持ち上げて、
「このスカートも穿きたくない~」
「いや、そのスカートは必要だよ。うん、ひらひらのフリル、割烹着に合うよ」
「この帽子もイヤじゃ~」
「うん……カウボーイハットは無いね。なにか他になかったの? 顔が隠せればいいよ?」
べそをかきながらサクラコは再び洋服ダンスを荒々しく漁り、怒りをこめて混ぜ返して、黒いベールのついた帽子を見つけた。葬式のときにかぶる、モーニングベールというやつだ。これなら顔が隠せる。サクラコは満足そうにひとつ頷いた。
「うむ、もう一回着替えるぞえ」
戸口が閉ざされ、ナギは退屈しながら着替えが終わるのを待つ。ほどなくして現れたサクラコは、くすんだ黒いモーニングドレスを身につけ、モーニングベールで顔を覆っていた。
「どうじゃ。これで顔は隠せるぞ。葬式帰りの美少女という設定じゃ」
うーんと唸りながらナギはその格好を眺める。ドレスは余計な飾りもなく質素な仕立てで、身動きも取りやすそうだが。
「怖いなあ。なんだかまともすぎるんだよね。そのベールがちょっとでもめくれたら、道行く男の人がみんなさっきの赤司くんみたいに腰をへこへこ動かしはじめるんでしょう?」
「わらわの経験上、確実にそうなるじゃろうなあ」
「その服にカウボーイハットじゃダメなの?」
「ダメじゃボケぇ。これがわらわの最大限の譲歩じゃ」
「……わかった。その格好でいいよ。黒い服着てれば人目はひきにくいだろうし」
「ほんとかっ! よっしゃあ。うれしいな、デートじゃデートじゃあ」
「あの、一応確認しておくけど、牢屋に帰るまでのあいだだけだよ? わかってる?」
「わかっておる、わかっておるぞう。よしそうと決まれば一刻の猶予もならぬ。ゆくぞナギ、わらわのような究極美少女とデートできる役得に感謝せよ。腕を組め。胸を張れ。尻の穴を引き締めよ。準備はできたか? ならば早速レッツゴーじゃあ」
「大丈夫かなあ。不安だなあ」
ぼやきながらもナギはサクラコに引っ張られ、酒屋の外へと歩を踏み出した。
「外じゃあ!」
大天井の人工星空を仰いで、サクラコはこころから気持ちよさそうに伸びをした。
「どこでも歩いていける! やっぱり外はいいのう。気持ちがよいぞ~」
とてとて足を踏みならして文字面通りに小躍りしながら、サクラコは丁都の煤けた夜景を意気揚々と見やる。時刻は現在二十時半。行き交う蒸気自動車の吐き出す煤煙が瓦斯灯の光域の中にくすんでたゆたう。
「わらわは遊園地に行きたい! 牢獄からいつもあのきらびやかな観覧車を見ておった。あそこへ連れて行ってくれ~」
「スウィート・オルガ・パークだね。知事が自分のためだけに造った遊園地だよ」
「それを聞いて行く気が萎えたが、じゃがあの観覧車は乗ってみたい~」
「了解。いい機会だから行ってみようか。ぼくも行ったことないし。ていうか考えてみるとぼく、他の人と遊びに出かけるのってこれがはじめてかも」
愛想良く頷いてから、ナギはスウィート・オルガ・パークへと爪先をむけた。
「おんし、遊びに行ったことがないんか」
「うん。ずっと戦ってばっかりだったから」
「そうかあ。それは面白そうじゃのう。生まれてはじめてのデートがわらわのような史上空前の美少女とは、おんしも運がいいぞえ。よしナギまずは腕を組め」
サクラコは強引にナギの腕に自分の腕を絡ませた。実はサクラコ自身もはじめてのデートなのだがそのことは黙っていた。
「どうじゃ。楽しいか」
「なんとなく、わくわくするよ」
「そうかあ。そうじゃろう、そうじゃろう」
「うん。きみとこうやって歩くの、楽しい」
サクラコは真っ赤に染まった頰がナギに見られないように一度うつむいて、ほころびそうになる口元を締め直してから天井を見上げ、いつものように文句を言った。
「しっかしあの屋根は邪魔じゃ。この街の住人は本物の夜空を見たこともなかろうのう」
持ち上げたサクラコの目線の先は、そびえ立つ石造りの高層建築群とサーチライト、その狭間に黒々とした天井があるだけだった。曇天と蒸気機関の排出する白煙が常に都市全体に覆い被さって、視界をおぼろに白濁させる。
白いけぶりの中、なぜか一様に灰色の服を着て猫背気味の通行人たちとすれ違いながら濡れた石畳の街路を歩くこと二十分、ふたりは丁都歓楽街のど真ん中に建設された巨大遊園地の入口に辿りついた。
「お金はぼくに任せて」
「すまんのう」
陰気な係員にお金を払って一日乗り放題券をふたり分買った。サクラコは不満そうな顔つきで知事自らデザインした、なにやら意味ありげにうねったり曲がりくねったりしている華美で豪壮な入場ゲートを見上げる。
「変態のくせに格好つけおって。なんじゃあ、アホかあ、わけのわからんもんが高尚じゃとでも思っておるのかエセ芸術家めが」
眼前にかかった顔隠し用ベール越しに悪態をついて、遅れてきたナギの手をとりゲートをくぐった。
「おぉ、中はいっぱしの遊園地ではないか。変質者が造ったくせに生意気な」
サクラコは素直に感心する。広々とした園内はそこかしこに明るい電飾がきらめいて、メリーゴーラウンドや回転ブランコ、蒸気ゴーカートなど楽しげなアトラクションもたくさん稼動しており、入場者もそれなりに多かった。人々が影絵のすがたで行き交うメインストリートのむこうに、お目当ての巨大観覧車が光の七彩をきらめかせていた。
「うぬう。楽しそうじゃあ。まずどれに乗ろうかのう。観覧車は一番最後に取っておくぞ」
サクラコの目がきらきらしはじめる。片手でナギの手を引っ張りながら、残った手でコーヒーカップを指さす。
「よし最初はあれじゃ、あれに乗るぞう」
「目が回りそうだなあ」
ふたり仲良く安っぽいコーヒーカップに並んで座った。他のお客は少なかった。家族連れが一組とカップル一組が離れたところにジッと座っているだけ。無愛想なブザーがやたら大きな音で鳴り響いてから、ふたりの身体はサイクロイド曲線上を回転しはじめた。
「わははは。面白いなあ」
サクラコは足をぱたぱたさせてご機嫌だ。
「このハンドルなにかな」
ナギはカップの真ん中に据えられた銀のハンドルを不思議そうに見つめて、試しに少し回してみた。コーヒーカップの回転速度が上がる。
「このハンドル回すと回転が速くなるんだね。乗り物酔いしそう」
「なんじゃと、わらわにもやらせろ。えいえいっ。わはは、本当じゃ、アホみたいに回るぞ!」
「うえー。回しすぎだよ、うえー」
「なんじゃおんし。ひょっとして乗り物酔いする人か」
「うえー。おえー」
「わはははは。これはいい。くらえナギ、うりゃあっ」
「やめれー。おえー」
調子に乗ったサクラコは目一杯にハンドルを回した。ナギは青ざめた顔で、片手のひらを口元に当て、カップの縁に背中を預けてのけぞるのみ。
「本気でおえー」
どうもこのコーヒーカップは通常の遊園地のそれよりもハンドルによる加速効果が大きいらしく、下手をすればカップの外へ投げ出されそうなほどナギの身体はのけぞってしまっている。だがナギの悲鳴に構うことなくサクラコはけらけら笑いながら三分間にわたって高速回転を楽しんだ。
「あぁ、楽しかったあ。もう一回乗るか?」
地面に降り立ったサクラコは足取りのおぼつかないナギの背中へそう声をかけた。青ざめたナギはサクラコを振り返りもせず首を左右にぶんぶん振って、
「回らないのに乗ろうよ。もうちょっとのんびりしたやつ」
「回らないやつか。そうじゃなあ……。お。よし、ならば次はあれにするぞ」
サクラコが指さす先にあったのは、超高速で回転するメリーゴーラウンドだった。一般の遊園地であればのんびりと楽しむアトラクションであるはずだが、スウィート・オルガ・パークにおいては乗客を振り落とそうとするかのように木馬たちが荒々しく後ろ足を跳ね上げて互いに身体をぶつけあっており、そこかしこで鞍から転げ落ちた挑戦者の悲鳴が沸き起こっていた。
「ねえきみ人の話聞いてる? 回転しないやつがいいの、回らないやつが。しかもなにあれ、馬鹿じゃないの? なんでここのお客さんたち、あんな目に遭ってまで乗ろうとするの?」
「登山家はなあ、そこに山があるから登るのじゃ。では行くぞナギ、荒ぶる木馬を見事乗りこなしてみせよ」
「意味わかんないよ~」
サクラコはナギの首根っこを鷲づかみにすると、無理矢理メリーゴーラウンドへと引きずっていった。とほほほ、と口で言いながら、されるがままのナギだった。