サクラコ・アトミカ

第十四回

犬村小六 Illustration/片山若子

「最前線」のフィクションズ。サクラコの美しさが世界を滅ぼすーー。 畸形都市・丁都に囚われた美貌の姫君、サクラコ。七つの都市国家を焼き払う原子の矢は、彼女の“ありえない美しさ”から創られる......。 期待の新星・犬村小六が放つ、ボーイ・ミーツ・ガールの新たな金字塔、ここに誕生!

「それでいい」

叫んだ次の瞬間、そんな言葉がサクラコの背後から届いた。

転瞬、サクラコへむかって伸びていた赤司の両腕が切断面から鮮血を噴き上げながら室内を舞う。

ケダモノじみた叫びと共に、赤司が後方へ吹っ飛んだ。

「覚えててくれたんだね」

もう二度と聞けないはずの声が、間近からサクラコへ降りそそぐ。

泣きっ面のまま、サクラコは目の前の彼の背中を見やる。

翼を出すための切れ込みが入った、いつものあの黒い軍服。

「ナギ?」

ナギは顔だけでわずかに背後を振り返って、にこりと笑んだ。

「ありがと。おかげでこの場所がわかった」

サクラコはほうけたように口をあけて、その笑みを見ていた。ナギはいたわるように、

「大丈夫? 怪我はない?」

うん」

「良かった。ちょっと待っててね。魔法使いの手先が、白馬の騎士をやっつけるから」

ナギの右手の先に、発光するみつみたいなものがうねった。蜜はすぐに波形にのたうつ刀身を形成する。フランベルジュ。ナギの剣。

「ナギぃ」

想いを込めてサクラコは呟く。ナギがいまここにいることを認識する。同時に身体が勝手に動いて、ナギの背中に抱きついた。

「生きておったのかあ。死んでおらんかったのかあ」

さっきとは全く違う意味の涙がぼろぼろこぼれてくる。ナギの胸へ両手を回し、頰を彼の背中へ押しつけた。

「わ、わ、サクラコ、動けない」

「ナギぃ。ナギぃ」

「わかった、うれしいのわかったから、離れてサクラコ、戦えないから」

「いやじゃあ、離れとうない~」

「あのね、きみ、お願いだからもう少し状況考えて行動してね。うわ、ほら、また来るよ」

両腕を切断された赤司はケダモノの眼差しのままゆっくりと起き上がり、正面からナギを睨め付けた。出血はすでに止まっており、かつて腕のあった場所が発光をはじめている。

「戦うから離れて」

「ゔ~。ゔ~」

いやいやと首を振るサクラコをあやしつけながら、ナギはゆっくり回された両手を引き剝がして、片目だけを背後へ送って、

「すぐ終わるから。怪我しないように、うしろで大人しくしてて」

浴衣のそでで目元をぬぐいながら、サクラコは言われた通り部屋の隅へ這っていき、ちょこんと膝を抱きかかえて座り、涙目のままナギの背を見やった。

ふっ、とひとつ息を抜いて、ナギは正面の赤司へと目を戻す。両腕の切断面から、早くも二本の脇差しが芽生えていた。

室内戦用か。

空間が狭い。ナギがいる八畳間と戸口を隔てて、赤司は廊下に佇立している。フランベルジュを振り上げたなら、鴨居かもいが邪魔になる。赤司が両腕に生やした刀身の短い脇差しの方が、ここでの戦いは優位に運べるだろう。

だがそれは普通の人間同士の戦いならば、の話だ。

ナギは戦闘イメージを加速させた。これからここで繰り広げられる光景を、強く、確固と思い描く。描いたそれが現実に顕現されるレベルにまで、繰り返し、繰り返し、強く、強く。

変性意識が現実に比肩するほど強烈に組み上げられてから、ナギは赤司へ宣告を下した。

「きみは十秒後に消滅する」

赤司は目を見ひらいた。こんな大雑把おおざっぱなイメージは聞いたことがない。サクラコに理性を破壊されながらも、哄笑こうしょうした。

「0点だな、わたしに会うまでは無敵だった個体。まずは細部からはじめるべきだ」

「九」

「わたしはセオリー通りにコツコツ行くぞ。勝ちたいからね」

「八」

「確実なところから切り刻んでいく」

「七」

「イメージができた」

「六」

「赤司源一郎はナギ・ハインリヒ・シュナイダーの小指を斬り落とした」

ナギの内部表現へその言語兵器が斬りかかる。

しかしナギは泰然とした構えを崩さない。

「五」

じり、と赤司は戸口へ爪先を乗せた。フランベルジュを中段に構えたまま、ナギはぴくりとも動かない。

「四」

「ふんっ」

電光石火、脇差しがひらめく。鮮血が噴き上がる。切断されたナギの左手の小指が宙を舞う。

「ナギっ!!」

サクラコが悲鳴をあげる。ナギは動かない。

「三」

「赤司源一郎はナギ・ハインリヒ・シュナイダーの右手首を斬り落とした」

「二」

赤司は八畳間へ踏み込み、左の脇差しの切っ先を走らせた。

「ふんっ」

すっ、とナギは右足を大きく後ろへ引いて、身体のさばきでかわす。

「一」

赤司のイメージによれば斬り落とされるはずの右手首が切断されない。

「なっ!?」

見ひらかれた赤司の両の瞳がこの世で最期に見た光景は、自分の肩口へ振り下ろされるフランベルジュだった。

「ゼロ」

短く呟いて、室内に赤司の身体を充分呼び込んだところでナギは斜め上段に振り上げた剣を振り下ろす。

波状にのたうつ刀身が赤司の左の肩口から入り、右の脇腹から外へ抜ける。昨日、自分がやられたのと同じ、教科書通りの袈裟斬りだった。

「さよなら、白馬の騎士さん」

ふたつに切り離された赤司の肉体は、しかし畳の上へ倒れ込むことはなかった。

鮮血を噴き上げることもなく、あたかも砂の彫像が崩れるがごとく、身体を構成していた骨や肉が微少な粒子のすがたとなって、音もなく空間へ溶けていく。

十秒前のナギの宣告通り、赤司源一郎は跡形もなく消滅してしまった。断末魔をあげる時間さえなかった。消滅の間際に、健常な状態におけるナギの戦闘力が隔絶したものであることを思い知る時間くらいはあったかもしれない。

醜い屍体も、零れた臓器も、血痕も残さないまま、ナギは勝った。

ほっ、と息を抜いて、片手のフランベルジュを消し去った。それから笑みを浮かべ、背後を振り向く。

「もう大丈だいじょう

「ナギぃぃっ!!」

言葉の途中でサクラコが飛びついてきて、正面からきつくすがりついた。そしてナギの胸へすりすりと頰を寄せて、嗚咽しながら何度も何度も名前を呼ぶ。

「ナギぃ。ナギぃ」

ナギは微笑んだ。両手をそっとサクラコの小さな背中に回して、柔らかく抱きしめた。

「昨日のこと、覚えてるよ。きみ、真っぷたつになったぼくを抱きしめて泣いてたでしょう」

「ゔえ~。ナギ~。ゔえ~」

「ぼく、血塗ちまみれで内臓とかはみ出てたのに。ワンピース、すごい汚れたでしょう? 汚いとか思わなかった?」

「アホ~。ゔえ~。ナギ~」

涙と鼻水と涎を垂れ流しながらサクラコはナギを見上げ、流れ出るものを遠慮無くナギの軍服でぬぐった。仕方なさそうに笑んで、ナギは言葉をつづけた。

「うれしかったよ。ぼくが死んだら、こんなふうに泣いてくれる人がいるんだってわかって」

「アホ~。アホ~」

「ほんとに悲しんでくれてたんだね。ウソだと思ってた。ぼくを利用するために、好意があるフリをしてるって思ってた」

「好意なんぞあるかボケ~。これからも利用してやるわいアホ~」

「うん、うん。わかったからちょっと離れててサクラコ。まだまだやることがあるからね」

サクラコの両肩に自分の両手を載せて、ぽんぽんと優しく叩いてから、ナギはサクラコから身を引こうとした。けれどサクラコはぎゅっとしがみついたまま離れようとしない。

「ボケ~。うえ~ん。アホ~」

罵倒しながら泣きじゃくりつつ、サクラコはあたかも今生の別れを惜しむかのごとく、しっかりとナギに抱きついたままだ。

ナギはますます困ったように微笑むと、サクラコの頭をよしよしと撫でた。

サクラコが泣き止むまで小一時間ほどを要した。しかしそれからがまた面倒だった。サクラコは泣きはらした真っ赤な上目遣いをナギへむけて、体育座りしたまま動きを止めた。悪い予感を覚えながら、ナギがあやす。

「なにその機嫌悪そうな体育座り。なんでいきなりふくれっ面なの、ねえ。できれば今日中に牢屋に戻った方がいいんだけど」

「あの、一応、きみもわかっていることをもう一度確認するけど、きみは虜囚りょしゅうでぼくは牢番なんだから、それ忘れないでね、うん。やっと白馬の騎士が来てくれたのにきみがなぜかぼくを応援していたことは感謝するけど基本的にぼくらはいまでも敵同士だからそれ忘れないでね」

ナギはひと息にまくしたてたが、サクラコはなんらかの重々しい感情を秘めた眼差しを黙々とナギへと突き立てるのみ。

「ね、ねえサクラコ、聞いてる? 怖いから返事くらいしてよ」

「サクラコ? もしかして目をあけたまま寝てる?」

寝とらんわボケぇ。どこの乙女が目をあけたまま体育座りで寝るんじゃアホぅ」

「あ、良かった、起きてたんだね。うん、きみのことだからもしかしたらそのくらいのことはやるんじゃないかと思って」

ナギ。頼みがある」

「ごめん、無理」

一生のお願いじゃ」

「いや。無理。許してください」

聞くだけ聞いてたもれ

「聞こえない。ぼくなんにも聞こえない」

ナギは両耳を両手で押さえて、いやいやと首を振った。サクラコの真っ赤な上目が容赦なくナギを見据える。

ひとりでいやいやしてから、ナギは片目でそっとサクラコの様子を見やった。

いまにも泣きそうな表情で、サクラコはじっと体育座りのまま、目線を下に落としていた。

これまでに見たサクラコの中で、最もしょぼくれたすがただった。