サクラコ・アトミカ

第三回

犬村小六 Illustration/片山若子

「最前線」のフィクションズ。サクラコの美しさが世界を滅ぼすーー。 畸形都市・丁都に囚われた美貌の姫君、サクラコ。七つの都市国家を焼き払う原子の矢は、彼女の“ありえない美しさ”から創られる......。 期待の新星・犬村小六が放つ、ボーイ・ミーツ・ガールの新たな金字塔、ここに誕生!

一.

「あぁ、姫さま、またしてもそのような」「危ない、おやめください」

側女たちの棒読み台詞ぜりふを背中で受け止めながら、サクラコは今日も塀の上に直立していた。

本日の衣裳は高校生の制服である。白い素地に紺の縁取り、胸元のリボン、膝の上で丈の切れた紺のミニスカートからぴんとした長くて細くて白い足がしなやかに突き出て、真新しいベルベットの靴に爪先がくるまれている。

「良いかナギー。わらわは死ぬぞー。ほんとに死ぬからなー。準備は良いかー」

言い放った次の瞬間、サクラコは両手を左右にひらくと、うりゃあと威勢良く掛け声をかけて中空へと身を投げた。

「あぁ、姫さまー」

感情のこもらない悲鳴とも溜息ともつかない言葉を背後に残して、サクラコは微笑ほほえみながら真っ逆さまに落下していく。

「いい加減にしてくれないかな」

そして気がつけば、そんな言葉と一緒にサクラコの身体は少年の両腕の中に収まっていた。

ナギはサクラコを胸の前に抱き上げると、不機嫌そうな表情で塔を駆け上がっていく。側面に爪先が吸い付いているかのように、垂直方向にすいすい登る。

サクラコは小悪魔な微笑を浮かべると、お姫さま抱っこされたままナギの首の後ろに両手を回し、

「おんしも難儀な役目よの」

「そう思うなら、こういうことやめてくれない?」

「退屈で死にそうなのじゃ。ちっとは付き合え」

ナギの踵が塀の上に降り立つ。側女たちはもう振り返りもしない。ナギはふわりと芝生に降り立ち、サクラコを抱き上げていた腕を解く。ミニスカートの裾をひらりと浮かせて着地すると、サクラコはきりりと表情を引き締めて間近からナギを見上げ、

「どうじゃ、わらわの今日の格好は。かわいらしいじゃろうが」

え?」

「辛抱たまらんじゃろうが」

ごめん。きみがなにを言ってるか、よくわかんないんだけど

サクラコは見ひらいた両目をまじまじとナギへ突き立ててから、口全体からこれみよがしな溜息を盛大に漏らし、えいえいと地面を踏みつけはじめた。

「なんという審美眼! わらわの美しさにひれ伏さんとは、おんしそれでも人間か!」

「あの、ごめん、たぶん言ったと思うけど、ぼく、人間じゃないから」

「そうじゃ、そういえばバケモノじゃったな。でもだがしかし、一応オスじゃろうに。わらわのような愛らしいメスに首ったけにならんとはどうした理屈じゃ」

ナギもまた長い長い溜息をつくと、両手を腰に当てて、サクラコへ説教を開始した。

もしもきみが万が一、ぼくをたぶらかしてここから脱獄しようと思っているなら、残念だけどその可能性はない。だって、ぼくは、人間じゃ、ないから。きみは人間の基準でいえばたしかに少し異常といえるくらいな美しさらしいけど、ぼくにはわからないんだ。ぼくから見たきみは、ただの独りよがりで、わがままで、自意識過剰な一個の肉のかたまりでしかない。悪いけど、きみになんの魅力も感じないね」

サクラコはぽかんと口をあけて説教を聞き遂げるとすぐさま反撃に出る。

「なにを言うておるのじゃ、この分からず屋! わらわの美しさは生物の垣根を越えるぞ! 阿岐ヶ原にいた頃のわらわがどのくらいもてたか、おんしは知るまい! 口で教えてやろう、わらわがいかに美しくて愛らしくて人心をたぶらかしてきたか! いかに小悪魔的であったか! いかにたくさんの男心をもてあそんできたか!」

「興味ないなあ

「なんという、なんというにぶい感性いくらバケモノとはいえあきれはてた。わらわの面前にいながらこれほど安穏あんのんとしておるとは小憎こにくらしい

「話が終わったなら、ぼくはこれで。頼むからもう飛び降りないでね」

「わらわはひまなのじゃ。茶でも飲んでいけ」

「あのねえ。ぼく、一応、牢番なんだけど。なんで囚人しゅうじんとお茶しなきゃいけないの?」

「だって、つまらんのじゃあ。下僕どもはわらわに冷たいし

サクラコは泣きそうな顔でうつむいた。

ナギは冷然とサクラコの後頭部を見下ろしていたが、はぁっ、と溜息をついて肩をすくめ、

まあ。間近できみを監視できるから、別にいいけど」

ぱぁっ、と晴れやかな笑みがナギの面前に咲いた。

「うむ、それで良い。館へ入れ、一緒に茶を飲めばわらわのとりこになるじゃろう

ぶつぶつ楽しげに呟きながら、サクラコは高空庭園の一隅に建てられた屋敷へナギを誘う。サクラコのために造られた瓦葺かわらぶきの木造平屋建てで、ナギが通された居間は清潔な畳敷きだった。側女が障子をあけると縁側のむこうに庭園が広く見晴らせた。

「なにしてんの、ぼく

独りごちてちゃぶ台の前であぐらを組み、出されたお茶に口をつける。サクラコは制服すがたで対面に腰を下ろし、ナギを上目遣いに睨みながらずずずとお茶をすすった。

そろそろではないか?」

え?」

「普通の男であればそろそろ目を血走らせて呼吸を荒げる頃合いじゃが

「全然。なんとも思わない」

あぁ、悔しいのう。悔しいのう。これだけ差し向かいで会話しておるのにわらわの魅力がわからんとは悔しいのう」

サクラコはほとんど半泣きの表情でちゃぶ台の前にあぐらを組むと、長い睫毛まつげかげらせた。

ナギはなんだか悪いことをした気分になり、あらぬ方向をぼんやり眺めていた。

無言の時間だけが流れていく。

なにも聞かんのか?」

先に口をひらいたのはサクラコだった。

え?」

「普通はこういう状況なら聞くじゃろうが。わらわの過去とか思い出とか昔話とか」

「いや、別に、興味ないし」

「この馬鹿者っ!」

「な、なんで怒るの

「聞けっ! さりげなくわらわの過去をたずねよっ! そしたら語ってやる、深刻そうな表情で、その場で思いついたうそ八百の過去を語ってやる!」

「そんなもん語られても

「なんじゃ文句があるかこの馬鹿者め。もういい、語ってやらん。おんし、いつか後悔するぞ。あぁ、あのとき聞いてれば良かった~。ぼくが馬鹿だった~。って後悔する」

「きみの言う意味が全く全然完膚無かんぷなきまでにわからない」

「ふん。退屈じゃ、おどれ。唇を突き出しておもしろおかしくタコ踊りを踊ってわらわを楽しませろ」

「なんじゃその呆れ顔は。ふん。使えないやつ。あぁ、つまらん、つまらん、つまらんのう。全くなにも盛り上がらん。どれ、これみよがしに他の衣裳に着替えるかのう」

「いや、もういいでしょ。ところでなんでそんないっぱい服があるの?」

「あの変質者に命じれば送りつけてくるのじゃ。全て完璧に採寸されておってのう。この制服もまったくわらわのサイズにぴったりじゃ。服だけではない。食いたいものも飲みたいものもなにからなにまで命令すれば送りつけてくる。自由にならんのはただひとつ、ここから出られんことだけじゃ」

「ふーん。贅沢ぜいたくだね」

「贅沢じゃないわい。うら若き十七歳の肉体をもてあましこんな狭苦しいところで誰も見てくれんのにひとりで衣装替えしておるのじゃぞ。なんと寂しい青春じゃ、とほほほ」

「とほほほって口で言う人はじめて見たよ。でもまあ一応きみだって囚われのお姫さまなわけだから、不自由なのは我慢してよ」

「一応とかいうな。悪い魔法使いに目をつけられて処刑の日を待つばかりの明らかな囚われのお姫さまではないか。あぁ、つらいつらい。なんとかわいそうなわらわ。早く白馬の騎士が助けに来ないかのう」

「都域圏近くになんかすごいのが来てるっぽいけどね。でもまあ万が一、丁都に辿りついたとしても奪還は無理だよ。なにせぼくが牢番してるから」

「魔法使いの手先め。配役でいうとおんしは悪役ど真ん中ではないか」

「しょうがないよ。親には逆らえないし」

サクラコはちゃぶ台に両肘をつくと、組んだ手の甲に片頰かたほおを当てて、両の瞳をぱっちりとひらき、甘やかな口調で、

「のう、ナギ。お願いがあるのじゃが

「手心は加えない。きみをここに閉じ込めておくのがぼくの役目だから」

「せっかくこうして仲良く茶を飲むほど打ち解けたというに」

「残念だけど打ち解けてないから」

「おんしにも情くらいあるじゃろう? このままではわらわは例のけったいな塔に連れて行かれてわけのわからん装置に連結され、この美しさを核分裂物質に置換されて世界を焼き尽くしてしまう。そんなふざけた死に方はいやじゃ。おんしに人のこころがあるなら、少しは同情してたもれ」

はーーーっとうつむいて長い溜息をつくと、ナギは困り顔を上げて、

「だから、ぼくは、人間じゃないの。残念だけどあわれみとか同情とか、そういう人間的な感情は一切持ってない。ぼくはただの知事の道具。言われたことをこなすだけの機械。だからもしもきみがぼくを懐柔かいじゅうしようと思っているなら、早めにあきらめてくれないかな。付き合わされるぼくも迷惑だし」

ぱっちりとひらいていたサクラコの両目が徐々に閉ざされていき、やがて冷たい横目になった。頰を手の甲から外し、つんとそっぽをむいて、

「ふん。おんしはやはり悪役じゃの。最低なやつじゃ。騎士の乗る馬にしりを蹴られて舞台から退場する一番かっこわるいタイプそれがおんしじゃ」

「話は終わり? ぼく、もう行くね。何度もいうけど、ほいほい気軽に飛び降りるのやめてね」

「うるさい。わらわはやりたいようにやるぞ。何度でも困らせてやる」

もはや溜息をつくこともなく、ナギはいやそうに顔をしかめて腰を浮かし、じゃあねと手を振って縁側から庭園へと降り立った。サクラコに背をむけたまま塀の上に飛び乗り、一度も振り返ることなく視界のむこうへと飛び降りて消えた。

サクラコはちゃぶ台の前にあぐらを組んだまま、ナギのいなくなった方向をにらみつけていた。

庭の木の枝の小鳥がさえずっていた。静けさだけがあった。丁都を覆い尽くす天井はいつもと変わらず暗くて大きい。

サクラコはひとり、ずずとお茶をすすり、うつむいた。

ぽたり。

茶碗にひとしずく水滴が落ちて、そんな音を立てた。