マージナル・オペレーション

第二章

芝村裕吏 Illustration/しずまよしのり

『ガンパレード・マーチ』の芝村裕吏が贈る、新たな戦いの叙事詩が今はじまるーー!

第2章 売春宿の英語修業

訓練キャンプ

都道府県もちょっと怪しい程度にしか覚えてない僕が、中央アジアについて何かを知っているかといえば、実のところ何も知らなかった。国名がなんとかスタンという印象だけがあった。

もっとも、知らないから困るとか、知らないので知ろうとかは、思わなかった。関心が無いのだった。行き先がウズベキスタンであるというのは航空券で知った。

どちらかというとその時には、日本語しか喋れないが大丈夫かと、思っていた。そちらの方に余程よほど関心があった。

二回乗り継いで十二時間。長い時間飛行機で揺られて腰や首が痛い。背中や腰を伸ばしながら、僕は周囲を見渡した。

現地の空港は現代的で立派なものだったが、ドアの開け閉めが全部人力なのには驚いた。なんでそうなのかは、分からない。

それが、肌の色や行き交う人々の言葉以外に感じた初めての外国だった。

日本人だけ五名で固まっていると、背筋がやけに伸びた人物がやって来て、日本語でこっちです。社員の方と言われた。

肌は焼けているが、この人物も白人だろう。

どこの国のものかも定かで無いバンに乗り、僕達はたまの街路樹以外は建物も余り見ないだだっ広い空港道路を走った。道はまっすぐで、良い感じ。左右にある広大な畑は、綿花の畑らしい。車の中で誰かが言っていた話なので、どこまで本当かは分からない。

車の窓ガラスにはフィルムが貼られているのか色がついていて、外の景色はみんな落ち着いた深い色に見えた。オズの魔法使いを思い出した。

緑色の色眼鏡で見る、緑色の魔法の都。

空港で僕達に声をかけた人物は、今や運転手だった。バンを運転しながら口を開く。この人物も車に乗ってからはサングラスをつけていたが、これはそう、陽射ひざしが強すぎるせいだろうと見て取れた。

「私はベンです。ようこそ、異国に。外は暑いですが、室内は涼しい事を保証します。外に見える光景は気にしないでください。皆さんはこれから十三週間訓練を受けた後、それぞれ現地に派遣されますが、その間休暇は全て訓練キャンプ内で消化してもらいます。もちろん、キャンプ内にはBARもありますしAmazonからの荷物も受け取る事が出来ます。困る事は無いのでご心配無く」

僕は緑色の魔法の都には関心があったが、その想像を喚起かんきしたこの中央アジアの街並みには、関心が無かった。だから黙っていた。窓際のせいか、冷房は強いのに暑い。

それで二時間も車に揺られていただろうか、すっかり尻と背中が強張こわばって痛くなって来た頃に車が止まった。

緑の眼鏡が外れたここは、ひどく赤茶けていて風が熱く、砂っぽいところだった。それでいて空は、日本ではあり得ないくらい青かった。

僕は腰を伸ばしながら、空を見上げた。中々痛い。

すごい音が耳朶じだを打っている。軍用のヘリがあって、突撃銃とつげきじゅうを抱えてそれぞれ雑多な服を着た我が社の社員達が、真剣そうな顔で散開さんかい、整列、気を付けするのが見えた。

ベンに指示されるまま、大きなカマボコの形をした宿舎に入り、ベッド番号を与えられてそこまで歩く。空調は効いているという請け合いだったが、音がうるさい割にはあまり涼しくも無かった。

ベッドは二段ベッド。僕は上段の割り当てだった。

手荷物を置いて、すぐ集合場所へ向かう。トイレに行く許可を貰って用をたす。

次からは許可など出さないので、時間をやりくりして行ってくださいと指示された。

この会社では小便については、ひょっとしたら大便も、素早くやらないといけないのかも知れない。

ブリーフィングルームという、会議室に集められる。机が無いのが印象的だった。そういえば、東京の会議室にも、僕達の前には机が無かった。メモやノートは、どうするんだろう。

前に立つ人物は、名前をチャーリーと言った。鍛え上げた肉体を持つ、黒人だった。

アテンション。注目せよ。

先ずはこれを覚えろ。と言う。

次に自分達の会社をPMSCs(Private Military and Security Companies)、自分達をコントラクター、即ち請負人と呼べと言われた。

この名前は先進国ではPSC、つまり民間警備会社、自らはガードマンになると言う。

「傭兵とか、軍人とか、そういう存在では無いし、自らをそう名乗るな。絶対に」

チャーリーはそう言った後、何か質問は? と訊いた。

誰かが手を上げた。それは何故ですか。と言う。

チャーリーは頷いて、国際条約の問題だと、返した。

僕はなるほど、我が社は文字通りのブラック企業だなと考える。国際法や国際条約では禁止されている事を、名前と看板を付け替えてやっている、胡散臭うさんくさい企業という訳だ。

次にドレスコード、服装規定の話になった。我々は軍人では無いので、服装は自由。一方で、派手な服装、目立つ服装は禁止される。また放出品であろうと中国の模造品もぞうひんだろうと、軍服や野戦服やせんふくも禁止される。

軍人と思われると困るが、軍人と同じ事をやる企業。僕はそう思った。実際その通りと、今でも思っている。

最後に教育過程の話になり、チャーリーは僕達の十三週間の予定を教えてくれた。

朝は五時半に起きる。身なりを整え、集合は五時四十五分。朝食は五時五十五分。六時十五分には課業開始。課業は九十分を基本単位とし、休みや移動のための十分が加わり、百分単位で動く。一日に六限ある。つまり十時間だ。昼休みはない。

ノートの持ち込みは許されない。ノートやテキストを見る暇はないと言う。課業で必要な知識を学ぶ。体育の授業はないが、健康保持のためにジムは開放され、自由時間に利用する事が推奨すいしょうされる。たっぷり一時間はやれ、と言う。就寝は二十二時半。休日は五日に一度。就寝時間は守らなければならない。

体調不良は契約に従って契約解除になる。

テストは五週目に存在し、そこでその後の身の振り方が決まると言う。

六週目からは語学の勉強がある。勤務地に合わせて勉強する。

同様に機材や任務に合わせた訓練も六週目から開始する。

これからしばらくは、健康的な生活が約束されたようなものだ。いいか悪いかは、関心がない。一日十時間労働は通勤時間ゼロを考えれば許容範囲だ。これで給料が貰えるなら、文句がない。

コンピューターゲーム

訓練キャンプ最初の日は、それで終わりだった。

チャーリーは、今日は時差ぼけを治すのに使えと言う。解消まで数日かかる人もいるかも知れない時差ぼけを、ここでは一日で修正する事が求められる。

僕の場合は、あまり辛くなかった。元々失業してから不安定な時間に寝起きしていたからかもしれない。

就寝時間前に寝て、翌日から訓練開始。

最初にさせられたのは青いボタンを押す訓練だ。

TOKYOで押したのと同じボタンが今度もあって、僕は求められた状況で、それを押す。敵が来たと言われて押し、射程に入ったと言われて押す。たまに民間人が来たと言われる。この時に押すと、減点だった。

ボタンを、一日に何度も押す。そのうちボタンを押す意味を考えずに機械的に押せるようになった。きっと本番も、そういうものなのだろう。僕が押す何万回かのボタンが、本当の引鉄ひきがねになる。ちょっとそう思ったが、この頃は僕だけじゃなく、訓練キャンプのみんなが、機械的にボタンを押せるようになっていた。本当にこの訓練は、良く出来ている。

感心したのは集中力が途切れがちになる課業の終わりあたりに意地の悪い指示が入っている事だ。とはいえ、いつまでも集中するのは難しい。最初のうちはそれで、ただ青いボタンを押すだけなのに疲れ果てる毎日だった。

これではいけないと、僕はうまくやる方法を考えはじめた。

考えた結果、指示には波がある事に気づいた。突発的な指示から、連続指示、そして途切れがちになって、ボタンを押さない時間がくる。

休む事が出来るのは、実は連続的な指示が来る時だった。一番いけないのは、ボタンを押さない時に休む事だ。体を動かすのと、脳を休めるのは違う。その違いに気付いたのは大きな前進だった。

連続してボタンを押す時は脳を休ませて、平和な時はつまりボタンを押さない時には体を休める。

小学校の頃にやった気をつけ、休めを思い出す。あの頃、同じく立っているだけじゃないかと思っていたが、あれはこっちの業界では、結構大切な事を教えていたんだなという事に気付かされた。

同じ立っているにも違いはある。違いを意識して動けば、違いはもっと大きくなっていく。大切な事は意識して違いを利用する事だ。それが良い仕事に繫がる。

最初の五日が終わる頃、僕は立派な青いボタンを押す職人になっていた。

はじめての休みではとにかく寝た。僕と同じ日本人は、大抵そんな感じだった。

次の五日では、ボタンが増えた。前進、後退という物が出て、指示は状況説明に変わった。状況を聞いて押すボタンを考えて押す。前よりは複雑だったが、それだけだった。

更に次の五日では、青いボタンそのものの種類が増えている。

青いボタンを使い分けていく訳だ。状況は今や戦術表示と呼ばれる図になり、僕はPCの画面を見ながらボタンを使い分けていった。

まるでというよりも、そのままずばりコンピューターゲームだった。

何故戦争から縁遠い日本人を雇うのか、なんと無く分かった気もした。

気を付けも休めもコンピューターゲームも、今は日本人の基礎教養だろう。最初から向いているのを更に選別して使っている訳だ。

売春宿

休みを休みとしてちゃんと取れるようになったのは、三回目の休日からだった。環境に慣れたという事だろう。

性的サービス係という物があると、キシモトという同期の人物に聞いて、僕は訓練キャンプから出ている送迎バンに乗り込んだ。

こういう所に連れ立っていく趣味は無かったので、一人だった。

乗った後に失敗したと思ったのだが、言葉が通じない。

我が社の方針なのか、課業は全部日本語で良かったのですっかりそれに慣れ親しんでいたが、こういう所までは面倒を見きれていないらしい。当たり前といえば当たり前の話で、僕としてはうかつというか、恥ずかしいとしかいいようがない。

バンでは英語らしい言葉が行き交っている。僕は黙って、席に座っていた。皆がなんと話しているか分からないのだから仕方ない。もっとも言葉が通じても、やっぱり黙っていたとは思う。

バンは三十分で着いた。

正確な所は全然分からないが、雰囲気的には夕方に迎えに来ると説明を受けた気がした。他に注意を受けた気もするが、そちらは良く分からなかった。おそらくはこの施設、性的サービス係の建物から離れるなという事だろう。我が社が脱走を嫌がっているというよりは、この国とそういう契約を結んでいるというのが正しい推察だろう。

どっちみち、言葉が通じない以上はどうしようも無い。

僕は迎えが来るまで待つかと考えて手近に座る所を探したが、周囲を見渡している内にこっちだと、建物の中の人に引っ張られた。

日本語でも英語でもない言葉だったが、こういうものは不思議と強い調子でいうと、伝わってしまうらしかった。万国共通という奴だろう。

思えばここは、性という万国共通の物を扱う所だ。僕自身が所属する会社も、万国共通の物の一つである軍事を提供している。もっとも、万国共通ではあるが、歓迎はされていないだろう。

建物の中は空調でうるさく、涼しいというよりは寒い所だった。

僕の母よりは明らかに歳上な太ったやり手そうな女の人が、何かしゃべりかけて来る。言葉が通じず、難儀なんぎしていたが、それは向こうも同じようで、程なく一人の女性が連れて来られた。

象牙ぞうげ色のスラックスと白いブラウスという服装は男性的な感じだが中身は完全に女性のそれだった。丸みや突き出るものが違う。浅黒い肌。大きな瞳。縮れた長い、黒い髪。

一体いくつだろうと、僕はその女性を見て思った。この国の陽射しのせいかなんなのか、顔など肌には深いしわがあって、十代から三十代まで、どこに当たるのか迷うような感じだった。僕がまともに女性を観察する事がこれまで無かったのはあるにしても、想像がつかない女性だった。

「日本人ですね」

僕はそう言われて頷いた。彼女は自分をシャウイーと言い、ここは前金で百ドルですと説明した。

僕が百ドルを払うと、やり手の女の人が口笛を吹いた。シャウイーは少し笑って、こっちへどうぞと僕のそでを引っ張った。

ドアの無い部屋に案内される。元々はあったのだろうが、この建物全般では、ドアはことごとく撤去されているようだった。

隣の部屋が見たく無くても見える。声が聞こえる。

無いドアの向こうから、筋肉質の太いあしと、色白で細い脚が絡み合うのを見て僕は驚いた。そういう事があっている事では無くて、見えるのに驚いた。

なんでドアが無いんですか。

僕はシャウイーに渡されるままに酒を飲みながら、そう尋ねた。

彼女は笑いながら、用心のためですと、短く言った。

僕が座るソファの横に、彼女がくっつくように座って来る。人肌の暖かさが心地よかった。なるほど空調の効きすぎは、こういう効果を期待しての事かも知れない。どんな仕事でもそこには工夫が満ち溢れている。

「用心とはなんですか」

僕が尋ねると、シャウイーはますます笑う。

少し考えて、シャウイーは僕の顔を見ながら、真面目に答えてくれた。

「お客さんの中には、酷い人もいます。首しめる、薬使う、銃使う、叩く、ナイフ。そういうのは、ダメです。だから、ドアはありません」

僕はひどく感心した。ドアがない事が用心になり得るというのは、とても新鮮な事だった。その発想は無かった。多分、日本には絶対にない発想だ。

僕の驚き様とは裏腹にシャウイーは、どこか都合悪そうに身じろぎしている。

こういうおしゃべりが続くと、彼女たちも仕事がやりにくいらしいとは、ずいぶん後になって教えられた。

でもその時の僕は、そんな事は分からなかった。知り様が無い立場と経験の中にあった。日本でも風俗には行った事が無かったのだった。そんな僕が何故こんな所にいるのか、自分でも不思議だった。

後になって思い返せば、あの時の僕はプライベートが欲しかったのだと思う。トイレ以外の全部を不特定多数の人物と一緒に過ごすのは、疲れる。ただただ、疲れる。

そうして逃避した先にドアが無かったのは、考えてもいなかったのだが。とにかく僕が欲しかったのはプライベートだった。

まあ、当時の気分を明瞭めいりょうに言語化して正直に言えば、相手もいらない気分だった訳だ。

昼頃、僕は鳥肉と玉ねぎをニンニク、パプリカで煮込んだ物とふくらまないパンで食事をした。料金は取られなかった。シャウイーはあきれているようだった。

僕は料理の味に満足し、そこから彼女とおしゃべりした。

彼女は途中からそういう客だと思ったのか、積極的に会話に乗って来た。

それで結局、そういう意味では何もせずに夕方に帰った。帰り間際、彼女が激しく何かに葛藤かっとうするのを感じたが、それがなんなのかは僕には分からなかった。

彼女はきっとまた来てくださいと言った。僕は曖昧あいまいに頷いた。

キシモトという男

「そりゃボラれたんだよ」

僕が今日の出来事を端的たんてきかつ、それがあったかどうかを語らずに話すと、キシモトは呆れてそう言った。

キシモトという人物は僕と一緒にTOKYOから来た人物の一人で、所謂同期だった。年齢は、僕より上だろう。妻子があるのに、まずい事をして逃げ出して来たという話だった。不倫か使い込みか借金か、そういう噂も聞いた事があるが、その三つでは範囲が広すぎて何も知り得ていないも同然で、だから僕は、噂を無視していた。

こういう身の上話は僕以外の日本人の間では結構行われていたらしいが、僕にとっては関心のない話で、だから僕は、日本語しかしゃべれないのに日本人同期の事を殆ど知らなかった。

キシモトは、同期の中では例外的に英語も出来て、お陰で僕や他の同期に情報を流す貴重な存在だった。買い物で少しお金をチョロまかされる事はあったが、そこに気づくものはいても、誰も何も言わなかった。役立つ存在だった。

キシモトは、こういう所では値引き交渉あっての話なんで、今度からきちんとやったほうが良いよと言った。僕はそういうものかと考えたが、頷く事もしなかった。僕は消極的で明日はどうか自信は無いが、少なくとも今日の気分ではシャウイーというひどく肌の荒れた女性の、心情的な味方のつもりだった。

キシモトは、まあ次はうまくいくと良いねと笑って、去って行く。

彼の姿を見たのはそれが最後で、僕は彼にシャウイーの話をしそこねてしまった。

キシモトが居なくなった事について会社からは何の説明も無かった。そういう説明義務だか説明の必要性だかは、我が社に存在して居ない様だった。

男に襲われてそれが理由で辞めたという話もあれば、別コースにいったとか、事故で死んだとか、そういう噂があったが、キシモトの身の上の噂同様、あてになる事は一つも無かった。結局全てはうやむやになった。

そういう出来事がキシモトだけで無く一つ二つあって、僕だけで無く皆が、親しく人と話す事はなくなっていった。人と関係を築く無意味さを憶えたというのが、正確だろう。何度か人間関係を壊されると、またやり直すのは、どうにも面倒臭くなる。

必要最小限の実務的な会話の毎日。

僕だけで無く、同期が皆そんな感じになっていった。

眼精疲労と肩こり

これといった人間関係がなくなってしまうと、このキャンプでは訓練以外、やる事が少なくなる。

休みだろうと、ネットワークや電話が使える訳でもなかった。キャンプの置かれている国や、職務から考えれば当然だろう。

と、簡単に書いているが、最初のうちは休みを貰ってもネットどころでは無く、一日十時間勤務の疲れが酷くて寝るばかりを繰り返していた。

その後ようやく環境と仕事に慣れてネットが使えないと分かった時には、日本人同期は皆それを受け入れていて、僕は周回遅れの気分で怒りを落とす先も無い状況になっていた。

この国は日本から遠すぎて、この会社は国際条約にも背を向けている、本当のブラック企業だった。

条約逃れはさて置き、ネットが使えないくらいでブラック企業と決めつけるなといわれそうだが、実際見るかどうかは別にしても、最初から動画サイトやTwitterを見ることが出来ないというのは、相当ストレスだった。

このままではオタクとしても周回遅れになってしまいそうだ。僕はそれが嫌だった。今季のアニメに有力なものが無かったとはいえ、来季も視聴出来ないとなるとなんのため仕事をしているのかよく分からなくなる。

と、一時期はかなり深刻に会社をやめようかとすら思ったものの実際にはそんな度胸はないのだが慣れというのは恐ろしいもので、そのうちネットもアニメも無くても生活出来る様になってしまった。き物が落ちたというか、タバコの禁断症状に悩まされて禁煙に成功後、怖くてタバコが吸えなくなった状態というべきか、とにかく自分でも不思議な程、無くても良くなった。

まあ、一年仕事したら日本に戻って、そこからまた見始めよう。などと思った。今は貯金が出来る事を喜ばねば。

いずれにせよ、僕は与えられた課題をこなし続けていた。

青いボタンを押すプロのコンピューターゲーマーというのが、僕の仕事の内容の全部だ。

日本製ゲームとこのゲームが違うのは、このゲームのグラフィックは残念なレベルに留まっていて、時折クリア出来ない状況に追い込まれる事だ。

あと、強制長時間プレイ。

長時間仕事をすると目が疲れる。目の奥が重い、目が充血している。これが数日も続くと、洒落しゃれでなく目に見えて視力が低下していく。

僕はモニターの輝度きどを最低に落としつつ、目に良いという健康法に気を遣い始めた。

気を遣うといえばこの仕事は肩こりもひどい。十時間労働は伊達だてじゃない。

四、五回目の休みだったか、配属テストの前だから四回目の休みだに、僕は通販を利用したいと考えた。

肩こりに効く塗り薬や視力に良いという、ブルーベリーが欲しい。

それで頑張って通販で購入しようと思い立ったのだが、そもそもネットに繫がらないので通販は利用出来ないという間抜けな状況に気付かされた。

案内のバンの中ではAmazonが使えると聞いて居たのだが、あれは冗談だった事に気づいたのは、この時だ。

まったく、間抜けとしかいい様がない。僕は忘れ掛けていた怒りを再び取り戻しそうになったが、怒ってもこの際どうしようもない。

結局僕は、もう二人だけになった日本人の同僚に話しかけて、眼精疲労がんせいひろうや肩こりに効く方法はないかと尋ねた。

同じ事をしているのだから同じ悩みを抱えていると見えて、ぐに返事が返ってきた。蒸しタオルを目にあてて、まぶたの上に石をおくなりで少しの荷重かじゅうを掛けるのが良いらしい。

また、肩こりはジムで肩を鍛えるのが良いらしい。

良いらしいばかりで確実なのは一つもないが、それはそれで仕方が無い。Google検索がない環境での個人の知識なんて、こんなものだろう。

十時間の勤務が終わると、僕は雑多な筋肉自慢達の中で、一人肩の筋肉を鍛えた。片手用のバーベルを持ってなんとなく振るだけだが、確かに肩こりには効いている気がした。

眼精疲労は蒸しタオルで、確かに改善した。

隣でシャワーを浴びても鏡が曇らないのがこの国の風土だが、蒸しタオルを作るのは簡単でいい。たっぷり濡れたタオルを日向ひなたに出しておけば、砂っぽくはなるが直ぐに熱いタオルが出来る。間違えるとすっかり乾いたタオルになってしまうけど。

これを目にあてるのは喜びだ。

日本でもこれ以上の喜びは中々ない。

配属テスト

五回目の休みの翌日は、配属テストだった。

とはいえ、やる事は同じ。青いボタンを、押すだけだった。

コンピューターゲーム然として、押すボタンの数は増えているが、結局の所は、変わらない。

すでに青いボタンではなくなっていたが、僕は便宜上青いボタンと今でも呼んでいる。青いボタンは、僕にとってこの仕事の象徴になっている。

テストで与えられた状況は余り良いものではなかった。

戦術単位Pが四輛の車に分乗して片道一車線ほどの道路を通過中、爆発に巻き込まれるという状況だ。

状況の確認を求めるボタンキューを押す。

Pリーダーからの返事なし、サブリーダーからの返答あり、結果はEX。すなわち爆発だ。

それ以外のメンバーに出したキューの返事を見ながら、考える時間は二秒。状況を想像する。先頭車はPリーダーごと吹き飛んで居るようだ。

僕は即時二百m以上後退を指示した。ここで足止めを受けている間に次の攻撃が来る事はとても多い。

地図を見ながら、移動ルートを指示。道の真ん中を全力で、ジグザグに走らせて後退する。反撃の必要なし、移動専念を指示。

三百m先には友軍の検問所がある。そちらの方には向かわせず、距離を取る。

これまでのパターンでいうならば、敵はそんなに多くはない。

さらに踏み込んで敵の得点パターンを想像すれば、敵の狙いは検問所だろう。あそこが一番、敵にとって点数が高い。

僕のPは、陽動ようどうでアタックされた状況だ。

遺体収容の要望が表示されているが僕はそれを無視した。

遺体収容では点数が稼げない。

負傷者確認の要望も出たが、確認より前に撤退を優先させた。

良くある負けパターンは、遺体収容と負傷者確認にかまけて二次攻撃を受ける事だ。

それは避けたい。

味方は三百m後退。爆発と車の放棄によって、交通渋滞が起きている。良い状況だ。一般車の影に隠れて再編成をサブリーダーに指示。

残る戦術単位Sは三つ。

状況が更新される。検問所で爆発。僕は戦術単位S一つを割り当てて、一番近い建物に急行。そこに狙撃兵がいる可能性が高い。

狙撃兵なし。それが確認されてすぐに、残る戦術単位Sを検問所に向かわせる。道の端を走らせた。合流指示。建物の一個戦術単位Sは、移動を開始する。

検問所を助けるのは、いい点数になる。Pリーダーを失った以上に点数を得られる可能性もある。

再度の遺体収容の要望。

僕は一個戦術単位Sだけ、爆発した車に走らせる。

地域住民が敵に変わることは良くある。何故かは分からないが、攻撃を受けた跡地に地域住民が来ると、多くは敵に変わる。

そうさせないために、車に住民を近づかせない必要がある。僕はそう判断した。

取りあえず爆発現場の保全さえしておけば、あとで遺体収容は出来る。

検問所では激しい銃撃戦が終わろうとしている。一方的に撃ちまくって敵は撤退するつもりのようだ。

残る二個戦術単位Sを使って僕はそこに強襲をかける。青いボタンを、今日はじめて押した。

二分待つ。確認のキューを押すか迷う時に、サブリーダーから敵の戦術単位S一つの消滅を確認。敵撤退の報告が来る。

僕は撤退する敵に嫌がらせを指示。窓から狙撃兵に逃げる敵を撃たせる。

一個戦術単位Sを車に呼び戻し、さらに敵の戦術単位Sが一つ消滅したのを確認して、全面撤退させた。車に合流させ、遺体収容、負傷者収容を指示。

それでテストは、終わりだった。

テストで僕が優秀だったかどうかは、正直よく分からない。

いつもそうだが、我が社は説明というものが全くといって良いほど、足りていない。

ただ、その日から僕は他の人間と別れてカリキュラムを受ける事になった。やって居ることが変わったかというと、そんな事はないが課題で与えられるMAP、つまり地形については随分様変さまがわりした。

山がちで視界が悪い。難易度的には前より高いと感じている。

特別休暇

配属テストが終わると、特別に休暇が二日与えられた。

はじめての連休ということで僕は張り切っていたが、実際のところ、このキャンプでやれる事は余りない。

売春宿に行く事も少しは考えたが気分が盛り上がらず取りやめ。

続いて、つたない英語力を駆使して売店でビールでも買おうかとも思ったが、これも面倒でやめた。

結局は寝て過ごす事にした。これが中々、気持ちがいい。

夕方に起きてキャンプの外れ、整地されていない駐車場の隅で夕陽を見る。

手近な岩の上に座り込む。余りに熱いので座るのを諦めて、立って夕陽を見た。今まで許された事のない、優雅な時間の使い方だ。日本にいる間は、思いつきもしなかった。

唐突に、英語を勉強したいと考えた。

ただでさえ狭い行動範囲が、言葉のせいでますます狭くなっている。

これではいけない。

この夕陽に文句はないが、この先休みになる度に夕陽を見るのでは黄昏たそがれてしまいそうだった。

問題は教材だった。勉強する気は今までになく盛り上がったが、先生とはいわないまでも教科書くらいは欲しい気がする。

どうすればそういうものを手に入れられるだろう。

それから夕食の後にジムで身体を動かすまで、僕はそればかりを考えた。

答えに辿り着いたのはシャワーを浴びている時だった。

この国のシャワーは出が悪く、一人頭の水量まで決まっている。大体二分位で、水が止まる仕組みだ。風呂桶などは存在しない。仕事より余程戦略的に立ち居振る舞わないと、頭だけ洗って終わりになる。

僕は手早くシャワーを浴びながら、やはり売春宿に行こうと考える。

翌日、昼前から揺れるバンにまた乗って売春宿にやってきた。

幸い婆さんは僕の事を覚えていて、すぐにシャウイーが飛んで来た。

「やっと来た。何をしていましたか」

僕の腕を摑み、そう言うシャウイー。

僕は腕を摑まれて歩きながら、英語はしゃべれるかを尋ねた。

「出来ます」

シャウイーはそっけなく言った。

良かった。僕は喜んだ。シャウイーが怪訝けげんな顔をしている。

僕はシャウイーに頼み込み、英語教材や肩こりに効く塗り薬やブルーベリーが手に入れられないかと頼み込んだ。

「ここはどこか、分かっていますか」

呆れるというよりは少し怒った調子でシャウイーは言う。

が、僕としては他に頼りが居ない。分かっているけどごめん、お願いしますと言って押し切った。百ドルという言葉に、即座に払う。シャウイーはお金を貰った後、不機嫌そうに考え、休み毎に来なさいと言った。

それで、英語の授業が始まった。シャウイーはなぜか照れながら英語を教え出す。彼女がどうやら高等教育を受けているらしいと気づいたのは、この時だった。

ひょっとしないでも大学位は出ているかもしれない。

シャウイーの英語、会社の英語

売春宿で習う英語は、思ったよりは普通だった。

配属テスト後、並行して会社から英語習得の授業があったが、僕としては売春宿の英語の方を、推したい。

シャウイーはいい先生だった。何せ実践というか、実戦的だ。

これはペンです。などではなく、これは幾らですか。高すぎます。いりません。幾らなら買います。

と、買い物で使う英語から入る。

確かに外国で使う英語の七割は買い物や注文オーダーに関するものなので、これは非常に実践的かつ助かった。

すぐさま役立つ英語というのはその後の勉強に非常に役立つ。役立った経験が、もっと勉強しようと言う気にさせるからだ。

そういう意味でシャウイーは重ね重ね、良い先生だった。外国人が何を必要とするのか、よく分かっている。

次に、指さして、これは何ですか。何に使うのですか。どういうものですか。もっと簡単に。と、定型文を教わる。

これまた実践的で、外国人が英語を必要とするのは、分からないものを尋ねるからという理由だった。

そして、単語学習。

シャウイーがあちこちたまに自分のからだの一部を差し、僕がそれに答える。そういう手ほどきを受ける。

たまに答えにくい所を指さす。

それで途中で英語の授業にならなそうな時もあったが、おおよそ僕はこの方法で必要最低限、初歩の手ほどきを受けた。

一方、会社で習う英語は簡単明瞭無味乾燥なものだった。まあこれはこれで、実践的だった。

なにせ完全暗記だった。考える余地がまったく無い。シーンが明示され、続いて例文というかテンプレートを覚える。以上終わりときた。

仕事で使う英語しか教えないのだからそれで十分なのだろうが、小隊前へとか、撃てとか、報告します。損害は幾らですとか、気の滅入めいるものが多かった。

覚えさせられたテンプレートは六週間で二千個に及ぶ。一日五十個くらいは覚えさせられる。

イエスとかノーとか、簡単なものが大半だったが、数が多いのは面倒くさかった。

僕は記憶力だけは優れているほうだったからあんまり問題ではなかったが、人によってはかなり苦戦していたようだ。

こうして僕の英語力の基礎は作られたのだが、実際の所、これだけではやはり足りず、同僚との日常会話に困ることが多くて僕はその後に文法を改めて勉強している。

文法というものの重要性は、買い物や仕事でない、つまり不規則な会話の時に痛感する。

何を言っているか類推するのに単語だけでは限界があるのだった。

オムツ

コースが決まって地形一新、本格的に訓練を受け始めると、かえって生活は楽になった。拘束時間の十時間の内、二時間ほどが大小の休息に割り当てられるようになったからだ。

大休止は、一時間ほどの休みをいう。運のいい食事、即ちサンドイッチ以外の食事はこの時行う。この他、僕は受け持ちを離れて、仮眠する事も許された。

小休止は、十分程の休みをいう。モニターを監視する義務があり、トイレに行く事は許されないが、それ以外は自由だった。その気になればマスターベーションだって出来るだろう。もちろん、そんな趣味は僕にはない。

問題はいつ大休止が来るかは分からないことで、これはトイレが不定期になる事を意味した。実戦では垂れ流すしかないのかも知れない。

日本では介護用か、成人用のオムツがあった。あれが使えれば随分楽だったろう。少なくとも今よりもっと、仕事に専念出来るはずだ。

日本にいる間は、そんな事は思いもしなかった事を、ここ最近良く痛感する。

今度大量に仕入れて、戦友に売りさばいても良いな。僕はちらりとそう考えた。もしも日本に帰って来て、僕がまたここに来たいと思ったらの話だが。

それにしても、ここの地形は複雑だ。前はだだっ広かったが、今度は北部西部の山と南部の広い平野が組み合わさっている。

今時映画でも見ないグリーンのワイヤーフレームに描画された地形図を見ながら、ここに映っている光景は、きっと現実のどこかと同じなんだろうと考えた。

現実感はないけれど、実戦は近いと頭では思う。

思っただけだった。僕は心の中で、青いボタンを押した。

現実では流れるように確認のキューを押す。状況に変化はない。

オペレーター・オペレーター

僕はオペレーターのオペレーターという職になったらしい。

なんでそういう名前になったのか、未だ英語が怪しい僕には分からなかったが、たまたま書類を届けに来たチャーリーを捕まえて、話を聴く事が出来た。

「昔、我々請負人の事をプライベート・オペレーターと言った。そのオペレーターをオペレートするのが、お前たちの仕事だ」

チャーリーはそういうと、今度酒をおごると言って去って行った。

なぜおごられるかは、分からない。

オペレーターと連呼するが、一体それは何だろう。僕は辞書が引きたくなった。休日を楽しみに待ち、僕にとっては塾でキャンプで手に入らないものを仕入れるための市場である売春宿に行く。

シャウイーから辞書を借りて読むと、オペレーターとは機械を操作する人の事らしい。戦術単位Sは機械なのだろうかとちょっと思ったが、一応意味は分かったので満足した。

シャウイーは相変わらず少し怒った顔で英語を教える。

英語を教え始めた一時期は、肌もあらわなものを着ていたシャウイーだったが、最近はまた、露出の少ない普通の服に変わってきている。

「英語は飽きましたか?」

挑戦的な目つきで、シャウイーはそう言う。

僕は違うよと、そう返した。

シャウイーが、どういう考えや思いでそう言っているのかは、未だに僕はよくわからない。普段から不機嫌な人なのかも知れないし、僕が知らずに、ひどい事を言っているのかも知れない。

よく分からないが、僕にとっては必要だから、頼っている。

悪い話だと思うが、他に手もないのは確かだ。

僕がひどい事を言っていない自信はない。英語が分かるようになれば、彼女の態度の理由も分かるかも知れない。

どちらにせよ、今は英語を勉強するしかない。英語がわかれば必要だから頼るという関係からも、僕自身の態度の問題もどうにかなるだろう。

それにしてもシャウイー曰くのアメリカ式というこの英語教育は、日本語のそれよりずっと簡単だ。移民を長年受け入れて来たアメリカは、英語という言葉を流れ作業で人に教え込むことについて、凄いノウハウがあるように思える。

正確なタイミングまでは覚えていないが、キャンプの後半からは深夜に仕事をするケースが出始めた。夜勤という訳だ。

正真正銘のブラック企業の我が社だが、夜勤については驚いた事に、手当が出た。一時間で八百円という所だ。それで僕は、余り文句は無かった。中には夜勤を心待ちにする同僚もいた程だ。

この頃は、僕たち戦術単位Pのオペレーターより上の戦術単位Cを統括するマネージャーという人物が居て、彼の指示で夜勤や日勤がころころ変わった。マネージャーの名前を、ダリアンといった。

本格的な語学研修も始まったとは言え、未だ英語がきちんと話せないでいたので後ろの席で喋るのを聴くだけだったが、ダリアンはどうやら、再度このキャンプに来た人物らしい。中間管理職の訓練も、ここでは行っているようだ。さしずめここは我が社の社内教育の中心、センターに当たるのだろう。

マネージャーがついたからといって、僕の仕事自身に変わりはない。

ただ、山間部で奇襲を受ける事が多くて、それが不満だった。

中々点数を稼げない。被害による減点のほうが大抵多い。

点数というのは僕がこれをコンピューターゲームと呼ぶ主たる理由の一つで、敵性戦術単位を除去すると何点、味方が損害を受けるとマイナス何点とスコアがつけてあった。

そのスコアの合計が高いからどう、ということは僕の見る範囲ではなかったが、僕自身はなんとはなしに点数を意識してなるべく高くなるように振舞っていた。

おそらく、僕以外もそんな感じで動いていたんだと思う。

点数のおかげで仕事にやる気や“はり”が出たのは間違いない。

僕の受け持つ戦術単位Pが、大休止に入る。

今日はいつもの一個戦術単位Pでの行軍中の襲撃対応訓練ではなく、複数の戦術単位Pによる共同作戦だった。

戦術単位Pの集合を戦術単位Cと呼ぶので、戦術単位Cによる戦いといった方が、良いかも知れない。おおよそ三個戦術単位Pが、一個戦術単位Cだ。

この日の僕の受け持ちは、右翼だった。

大休止の指示がダリアンから出て、僕たちの半数は休憩に入った。

僕が受け持つ戦術単位Pも、休憩に入る。右翼から中央に移動。休憩しそこねた戦術単位Pに囲われるような形で休憩に入った。

より大きないい方をすると、戦術単位Cは配置を変え、大休止用のフォーメーションになった。

僕はこれを、円陣と呼んでいる。

半数のOO、即ちオペレーターのオペレーターである僕たちが昼寝する中、僕はシャウイーに貰ったブルーベリーとは似ても似付かない、まあ干した果物を食べながら、点数のために作業をしていた。

奇襲を受ける回数が減れば、損害も減る。

これまでのデータを見直す限り、奇襲を受けるのは地図上で村がある近くに限られていた。

訓練キャンプでの訓練とはいえ、中々良く出来ている。

敵はかすみを食べている訳ではなく、村を拠点に日帰りの範囲で行動している訳だ。

だったら村を消せばいいんじゃ無いかと僕は考えた。

それで以後の点数の減点は、大きく減る。

交代してそれぞれ大休止した後、戦術単位Cの隷下れいかにある三個戦術単位Pは、新しい指示を受けた。

偶然の一致か、考える事は皆同じというべきか、命令は村への攻撃だった。まあ、そうだろうなと思った。

再び僕の受け持つ戦術単位Pは右翼に戻り、途中で戦術単位Sを落としながら村を包みこむように前進する。僕は指示よりさらに前進し、道沿いに戦術単位Pを配置させた。いつもの逆というやつだ。

ダリアン、戦術単位Cから命令。青いボタンを押せ。僕は確認のキューを押した後、青いボタンを押した。

戦術単位Pのリーダーから、返信。青いボタンは本当かという確認が来ている。質問に質問で返してくるようなものだなと、僕はイラつきながら、再度青いボタンを押す。既に他の部隊は攻撃に入っている。

ようやく、僕の戦術単位Pが攻撃を開始した。

村から脱出し、移動してくる敵を打つ、簡単な仕事だ。

僕は点数がどんどん伸びていくのを上機嫌に見守った。

反撃してくる敵もいるが、それらのほとんどは村の中で僕以外の戦術単位Pを相手にしていた。こっちの敵はまっすぐ逃げる一方だ。ジグザグに動きもしないというのは、とても都合がいい。弾の消費が少なくて済む。敵は慌てているのか、まるで素人だ。

僕は上機嫌に後ろの席を見た。ダリアンが思ったよりずっと厳しい顔をしていたのが、ひどく印象に残った。

その日、僕の点数は最高記録を更新した。

兵器との出会い

五日ごとの休みに慣れてしまうと、世間並みの週という概念が希薄きはくになってしまう。実際のところ、今が何曜日かという事については、その頃随分と怪しくなっていた。

だからといって僕はそれで困る事なく、それで今が何曜日かの確認は、どんどん後回しになっていた。

それで、今度の日曜日はいつもと違って、オペレータールームでなく、格納庫に行けとダリアンに指示された時は、ひどく慌てた。

ここはシャウイーの教育の見せ所だろうと、僕は日曜日はいつですかと尋ねた。ダリアンは馬鹿かと言った後、三日後だと、ゆっくり言い直した。こちらが英語が全然ダメな事を、向こうは思い出したらしかった。

追い出されるように移動する。このところダリアンは、僕を毛嫌いしているように見える。

理由は良く分からない。気にもしないで、三日経った。

朝起きて、トイレと朝食を済ませ、格納庫に行くまでの時間をどう潰すか考える。

時間を潰すという体験は、休み中はともかくとして、仕事においては、こっちにきて初めての体験だった。そう考えると、日本の企業は無駄が多い。

結局、英語の勉強をする事にした。

最近気づいたのだが、耳が慣れると意外にも自分は沢山の英単語を覚えていて、語彙ごいは比較的たくさんある事に気づいた。小学生か中学生位の語彙は確実にある気がする。

中学高校で習った英語は、無駄では無かったらしい。ただ、習った事と、個人の体験を結びつけて考える事が出来なかっただけで、基礎はあったわけだ。

それで今は、もっぱら文法を勉強している。文法が判れば、文脈が分かる。その文法も、過去高校位で習った気はする。覚えてないが。

集合十五分前になった。腕時計を見て確認する。

このキャンプに携帯電話はない。無いから時間の確認は、携帯電話に頼れない。これまで腕時計をつけた事のない僕だが、今では随分慣れた気がする。今はもっと丈夫で狂いのない時計が欲しい。割と切実に欲しい。

時報をそうそうに聴けない場所にいる。狂いを修正しようにも余り出来ないから、そういう意味で正確な時計が欲しい。文字盤は見やすいのがいい。デジタル表示は時間計算が難しく、しっかり見ないと時間を確認出来ないので、やはりアナログがいいと思っている。

集合十分前になった。移動を開始する。

格納庫には五分前についた。

中に入ると気を付けの号令。僕の目の前の請負人たちが一斉に直立不動になった。

格納庫の中には十五人の屈強な男たちがいる。

服装がばらばらだから、これは請負人達だろう。全員が映画で見た事がある小銃。アサルトライフルといったっけを持っている。

全員が僕をにらむのが、なんとも変な気分だ。

それ以外には、人が到底乗れ無そうな小さな車が三台。操縦席も無いから、無線か自動で動くのだろうと僕は考えた。

これの荷台には色々な装具そうぐが詰め込まれている。弾薬に、武器のような筒、ヘルメット。

後ろには、乗用車のようなトラック。ピックアップトラック。日本製のようだった。四台あって一台は派手に壊れていて、残骸ざんがいといえる姿をさらしていた。

「小隊、揃いました」

一名が前に出て、英語でそんな事を言う。小隊はプラトゥーンという英単語だ。

我が社では敬礼は禁止されているのに、全員が僕に向かって敬礼した。意味が分からない。

何時の間にかチャーリーがやって来て、僕の肩を叩いた。

「チャーリー。彼らは敬礼をしている」

「敬礼をするしかない相手がいたんだ。仕方ない」

チャーリーはウインク。意味が分からない。

一歩前に出た屈強くっきょうな男が、僕の前に折り目正しく歩いて立ち止まり、僕を見た。ピンと張った文字通りの首筋が見える。

彼が勢いよく何か言う。

チャーリーは隣で訳してくれる。僕はその頃には、訳してくれなくても意味は分かったが、あえては何も言わなかった。

「先日の任務でのオペレートに対して、心から感謝します。取り分け、小隊長や戦友の遺体を尊重した事を」

小隊、プラトゥーン、戦術単位Pかと、僕は膝が震えそうになりながらようやく意味を理解した。戦術単位Cは、なら中隊というところか。

「アラタ、彼らは検問所の戦いでの貴方のオペレートに感謝している。もちろん、俺もだ。俺の仲の良い友人が生き残ったのは、ニッポーズ、貴方のおかげだ」

日本語で言われているのに意味が分からない。そんな気分に陥っている。

実戦は近いなどと思っていた僕は、とんだ間抜けだった。

村は、村はどうなんだ。ダリアンのあの表情は。素人くさく、道の上をまっすぐ走っていた敵は。

目の前の感謝を全部すっとばして、僕は気分が悪くなるのを抑えきれない。アレが敵じゃなくてただの民間人だったら。

「奢ると、言ったろう」

チャーリーが笑顔で言う。

「お前は良くやった」

そんな馬鹿な。

無題

それから後は、よく覚えて居ない。

はっきりしているのは、さして体重がある訳でもないのに、たっぷり五kgせた事と、やけに白い便器に、何もかもをぶちまけ続けたことだ。

それでも契約解除されなかったのは、僕がこれまで、どうやら良い仕事をしていたせいらしい。

僕は特別に休みを一日貰い、売春宿に向かった。他に行くところを思いつかなかった。

僕の姿を見てシャウイーと婆さんが驚いているのが見えた。

シャウイーが僕の腕を引っ張り、この宿ではじめて、ドアのついた部屋に案内される。

僕が泣くとシャウイーが抱きつき、何度も背中をでてくれた。

あの日あの時、僕はお金を払い損ねた事を心の底からいている。

あんなに良くしてくれたのに、僕は代価を払う事もなく、馬鹿のように泣きじゃくっていた。

復帰

そのまま体調不良を続ければ、あるいは僕は日本に帰れたかもしれないが、僕はそうしなかった。

どこまでが訓練で、どこまでが本当なのか、それを確かめたかった。分かったからといってどうしようも無いのだが、それでも知りたかったのだ。どうしようもなく。

頭の何処かでは、九十九%あれは事実と思いながら、村への攻撃は訓練で架空のものだと信じたい気持ちがあって、残留は後者に賭けた結果だった。

TOKYOに帰っても、この吐き気は収まらない。そう思った。

自分勝手で最低だ、自己満足ですらあり得ないと思うが、僕は村人を民間人を殺したかもしれない事に、酷く腹を立てていた。

僕という人間はお金を貰って戦争をしている。それは納得している。

想像もしていた。サインもした。

だがまっすぐに道を走って逃げていた、僕のモニター上では敵表示されていた村人を撃つのは、戦争ではない。

契約違反だと、頭の中で誰かがわめいている。喚いてもどうにもならないと、僕は考える。訴えても無駄だろう。我が社は本物のブラック企業だ。

僕は三日目に復帰したが、ダリアンはどんちゃん騒ぎをしたせいだと僕をなじった。

ABC

チャーリーの本当の名前をボブ・シュタインというらしい。

訓練では規則に従い、チャーリーという名前で勤務している。

思えば今まであった人物はアンドリュー、ベン、チャーリー、ダリアンで、見事に頭文字がABC順になっていた。

なるほど、良く出来ている。訓練は完璧だ。ついでに気付けば本当の青いボタンを押している寸法だ。いつかこれが本物になると感じながら、それを忘れていた僕は間抜けのきわみだな。

僕はチャーリーに誘われて、BARにいる。

僕は余り酒に強くない。ビール一杯で顔が真っ赤だし、正直にいえばビールが美味うまいとは未だ思えていなかった。

この状況でも僕は、眠る為に酒ではなくジムで運動してくたびれる方を選んでいた。

「どこから実戦だったんですか」

僕はずっと、聞きたかった事を聞いた。

最初からとチャーリーは笑って言う。そう答えるのが規則だそうだ。

その規則に、なんの意味があるのかは分からない。単に実感するのが遅れただけという気もする。

最初から金の為に志願しておいて、なんだそれはと、自分でもおかしい。だが僕はどうしても確認したかった。最初に僕が引鉄を、本当の青いボタンを押したのはいつだろう。

僕の表情を見てチャーリーは苦笑い。

検問所の戦いの二つ前からだと小声で言った。

随分前だなと、僕は思う。

チャーリーは僕のオペレートは素晴らしく、そこで訓練カリキュラムも変更されたと言っている。具体的には我が社にとってより価値のある戦場に僕を配置したらしい。

僕は考える。検問所の戦いはこの国で起きた事だろう。

でなければ車の残骸を運ぶのは難しかったろう。あの残骸に特別な価値があるとは思えない。

じゃあ、今僕は何処に配置されているんだろう。我が社にとってより価値がある場所とはどこだ。

自分の居場所を推理する。はたから聞けば間抜けな事を、僕は真剣に考えた。この国の北部は山がちなのだろうか。それともあれは無かったのか。

ビールの苦味で我に返る。

チャーリーは赤ら顔で、そろそろ十三週も終わりだなと言った。

そうか、もうそんなに経ったのかと、僕は思う。

訓練が終わったら、どうなるのですか。

僕がそう尋ねると、チャーリーは肩をすくめた。

彼の権限では知る立場に無いらしい。

「分かっているのは、来週には、この訓練キャンプに貴方の姿は無いという事だ」

チャーリーはそう言った。残念そうでもあるが、それだけでは無いようにも見えた。一番近いのは、僕がTOKYOに出ると言ったときの、父の表情だろうか。

「まあ、その成績だ。どっちに転んでもHOTな場所になるだろう」

チャーリーは笑ってそう言うと、缶ビールをまた注文した。

このBARではビールを頼むと、コップ付きで缶ビールがそのまま出てくる。

それがとても変に見えたが、思えば日本でも瓶入りのビールならこんな風に出ていた。むしろ逆に、缶ビールだけこういうスタイルで出てこない事を不思議がってもいいのかも知れない。

無趣味に落ちる

戦争とは無関係な非戦闘人員を殺したかも知れないと日常的に考えていると、他の事はかなりどうでもよくなる。

当たり前の話なのだが、そういう境遇になるまでの僕は、それを予想する想像力に欠けていた。

元はフィギアやアニメという、ささやかな趣味を守りつつ、生活のためにこの業界に入ったのだが、その趣味が、急にどうでもよくなった。

正確には、趣味が魅力的に思えなくなった。本末転倒な話だ。でも、普通の話だと思う。自分は無害だと思っているから、人は無邪気に遊んでいられる。

自分が有害だと思い始めたら、もう、無邪気ではいられない。作品を素直に見るのも無理だ。

その上で無邪気を演じることは僕には出来なかったし、自分は有害だと納得して生き続けることも出来なかった。死ぬことも怖くて出来なかった。

出来ないばかりで逃げた先が売春宿だ。人間として僕は随分終わっている。いや、終わっていたのはニート時代に気づいていたが、終わった先にも終わりがあった。

まったく下には下がある。これが最悪だと思ったら、次の最悪が出てくるのが人生なのかも知れない。

それでいて、もうどうでもいいはずの趣味の部屋を捨てることも出来ないでいる。僕は毎月、家賃を払っている。何なんだろうな。僕は。心のどこかでは、いつかはまたアニメを見て笑えるとか思っているのだろうか。

ハンドクリーム

十三週が終わろうとしている。

この国での最後の休みの前日、僕は売店でハンドクリームを購入した。

本当は美肌クリームとか美容品が欲しかったが、さすがに訓練キャンプ内の売店にはない。一方でストッキングは、沢山売っていたのが不思議だった。そういうのが好きな人物がいるのかも知れない。

ハンドクリームを持って、バンに乗る。尻が痛いのは確かだが、今はもう慣れてしまった。

十三週が終わるという事で、多くの請負人がバンに乗っている。

他の客にシャウイーを取られたら嫌だなと思ったが、まあ、最悪ハンドクリームだけ渡して帰るかと考えた。

売春宿に着く。シャウイーが店の中から姿を見せる。いつかのように僕の腕を握った。歩き出す。

「大丈夫でしたか。体重は?」

シャウイーの質問に大丈夫と答えつつ、廊下で僕はハンドクリームを押し付けた。薄暗い廊下でシャウイーが目を凝らしてハンドクリームの容器を見ているのが見えた。

「これを。ハンドとあるけど、顔にも使えるから。その肌荒れに効くよ」

僕はそう言った。

シャウイーが僕を見る。

「肌荒れとはなんですか」

「スキンケアだよ」

僕はそう答えた。

離任

異国といえばそれまでなのだが、訓練キャンプでの十三週間で一度も雨が降らなかった事は、僕にとっては驚異的に思えた。

本日は十三週と一日め。訓練キャンプは、昨日で終わっている。

あれが本当だったのか、ずっと知りたいと思っているが、今の段階では知る立場にも、知りえる場所にも居ない。

先ずはここを離れて、そこからだ。

ここより規律が緩い支社に赴任ふにんして、それからだ。

そう考えて吐き気を抑え、やる気を鼓舞こぶした。

僕はTOKYOの小さなデザイン会社で下請けをしていた頃を思い出す。TOKYOなのに地方都市の企業の支社から、時折仕事がやって来る。こういう場合、中央と比べ地方に勤める彼らの口は軽く、規律は随分緩んでいた。

国は違えど会社であるには違いない。我が社の人材教育の中央センターであるここから離れるのは答えに近づく第一歩だろう。

来た時と同じような、忌々いまいましい程の青空を見上げた。

今度この空を見る時の自分を考える。

キャンプを離れ、四台の大きなバスに乗って米軍の基地キャンプに行く。

今日、一緒に移動するのは二百人位だろうか。増強一個中隊位、僕にとって馴染みのある表現でいえば六個戦術単位Pによる増強戦術単位Cだ。

補助座席まで一杯の車の、窓際の席に押し込められている。

この国を離れるとシャウイーに別れを告げたほうがよかったのかどうか、僕はバスの中でも考えていた。彼女にとって僕は、せいぜい五日に一度しかこない風変わりな客だったんだろうが、僕にとっては大切な英語の先生だった。

僕は窓ガラスに額をつけて苦笑する。

別れを告げるのはただの自己満足だ。あの日から気付いていた事だけど、僕は自分勝手で最低だ。

バスが止まる。バスから降りる。

我が社と比べて米軍の規模、装備は凄いものだった。下請けとは違うなあというのが、正直な感想だ。歩兵装備だけならたいした差はないが、映画でしか見た事の無い装甲車が並んでいるのが、その印象を強くした。

車輪が八個ついたこの装甲車は、戦術単位S二つを輸送出来るらしい。搭載人数の割にはコンパクトなサイズだ。乗る際は寿司詰めになるのかも知れない。

これらの装甲車は、輸送待ちという。

そのまま、輸送機に便乗して移動を開始する。

輸送機の主たる荷物は装甲車だった。一機の輸送機に、一りょうの装甲車が運び込まれている。僕達といえば空いた壁際のスペースに、金属製のベンチをつけて、そこに座って輸送された。

下請けの悲哀というよりは、民間航空が飛んでいないのだろうと考えた。多分間違っていないと思う。

航空機が揺れると、ワイヤーで固定されている装甲車も揺れる。

テンションがかかったワイヤーが揺れるのは、見ていて面白いというか、中々見ない光景だった。ワイヤーが外れる事は考えないようにした。

映画でもこういう表現はすれば良いのになとは、少し思った。

それにしても、輸送機で装甲車を輸送するのは大変な無駄に見えなくもない。列車や船ならもっと簡単に運べたろう。そうしない、あるいは出来ない理由が、この付近にはあるのだろうか。