金の瞳と鉄の剣

第三回

虚淵 玄 Illustration/高河ゆん

竜と剣、そして目くるめく魔法の世界。ファンタジーの王道中の王道に颯爽と挑むスーパータッグ、虚淵玄×高河ゆん! 2010年、ファンタジーの歴史に新たな一章が刻まれる……。最新&最高の“バディもの”がここに!

『錠前殺し』のラルーバス廃墟の古城でキアが出会った男はそう名乗ったものの、その二つ名を聞いたキアがさほどの感銘かんめいを表さなかったことが、少なからず不服な様子だった。

お前さ、本当に聞いたことないわけ? 俺の名前」

「残念ながら世事せじにはうといもので。でも、僕の連れはどうやら聞き覚えがあったみたいですね」

取りなすように言いながら、キアは、男の名乗りを耳にしたときタウが示した表情を思い起こす。

「彼、相当驚いてましたけどあなたは、かなり有名な方なんですか?」

「そういう訊かれ方をすると自信がなくなるがねぇ。まぁ、旗揚げからしばらくの間は、名前を売り込むためだけに相当無茶ばっかりやったもんさ」

吞気のんきに雑談をわしている二人だが、その表情はあくまで真剣そのものだ。今、キアとラルーバスが協力して当たっている作業は、一瞬の気のゆるみも許されない、細心さいしんの注意を要するものだった。

「しかし、あんたら二人組だって、さぞや名うての墓荒らしなんじゃないのかい? この城まで無事に踏み込んでくるなんざ、見上げたもんだと思うぜ」

「それを言ったら、あなたはたった一人で外のわなを突破してきたんでしょう?」

「いやこの天守閣てんしゅかくまで辿り着いたのが俺一人、ってだけの話でな。初めは五人の徒党パーティを組んできたのさ。それが毒霧の沼地で一人、妖術の迷路で二人やられて、あとの一人もくだん番犬どもに喰われちまった」

キアも、ここに至るまでタウとともにからくもくぐり抜けてきた数々の障害を思い起こし、ほとほとあきれたとばかり溜息ためいきをつく。

「ここの防備は、本当に無茶苦茶ですね。大昔に廃墟になった城とは、とても思えない」

「だろ? しかもあれだけ高度な魔術でった罠を仕掛けておきながら、最後に控える難関がコレだからな。城主の底意地の悪さがしのばれるってもんさ」

キアとラルーバスが対峙たいじしているのは、腰掛けほどの大きさのある、鋼鉄製の重厚なチェストだった。より正しくは、その正面にめられた錠前である。

城主が櫃の中に秘蔵していたという金銀財宝のうわさは、当の城主の血脈が途絶とだえ、城の住民が残らず立ち去り、放置された城跡がてた今に至るまで延々と語り継がれてきている。そしてこの古城は、探索に挑戦した盗掘者たちをことごとく敗退させてきたことでも有名だ。

かつて城の主が周囲に設置した悪辣あくらつな死の罠の数々は、守るべき住人たちが姿を消した後も、意思なき忠節をつらぬいて、招かれざる者たちを黙々と排除し続けている。侵入を試み、かつ生きて戻ったのは城外の罠の攻略をあきらめて撤収した臆病者おくびょうものばかり。城内にまで踏み込んで生還したという報告はいまだにない。

にもかくにも城の外の仕掛けを突破してのけたタウとキアは、目下もっかのところ、初の生還者となるべく奮闘している最中である。そんな彼らが城の中で出会でくわしたのが、同じく櫃の中身を狙って先に侵入を果たしていたこのラルーバスという盗賊だった。

「あれだけ手の込んだ罠を仕掛けられるだけの魔術師をそろえておきながら、どうして最後の錠前だけが機械式なんでしょうか

「甘いな兄ちゃん。外の防備が魔術尽くしでしつらえてあるからこそ、墓荒らしは魔術やぶりのそなえばかりをかかえ込んで乗り込んでくるわけじゃないか。で、最後にこの錠前にぶち当たる。魔術抜きの、本物の職人芸だけで組み上げられた最高難度のカラクリ仕掛けに、な」

視線と指先を鍵穴の攻略に専念させつつ、語るラルーバスの口ぶりはさも誇らしげであった。

「そもそも魔術頼りの施錠せじょうなんて、より高位の魔術師を連れてこられたら簡単に解呪かいじゅされちまう。ところが一流の鍵匠かぎしょうが組んだ機械式の錠前は、そうはいかない。こいつをバラせるのは同じ鍵師の指先だけだ。どこまで歯車と板バネを巧みに操り、意のままにできるか互いの技術の真剣勝負ってわけさ」

確かに、僕らだけじゃあお手上げでしたけどね。これは」

何の変哲もない錠前であれば、魔術師にとって解除は苦にならない。内部構造を透視し、かなめになる掛け金を念動力で動かせばそれまでだ。初歩の初歩である術の組み合わせで事足りる。

ゆえに魔術師は同業者に対する防備のために、ふたや扉、そしてその開閉機構そのものを魔力によって封印する術を好む。こうなると今度は、術式を解除できるかどうかの魔術勝負に争点が移ってくる。とりわけ城外の仕掛けが魔術的なものに特化していたこの城は、最後に控える宝箱の施錠も魔術によるものと予想するのが当然のところだった。

ところが

「いくら魔術師でも、ここまで複雑な機械装置となると、中身を透視したところで構造を把握はあくしきれない。何をどう動かせば鍵を解除できるのか、まるで見当がつきませんよ」

「だろ? こいつは正真正銘の芸術品さ。鍵開け一つで場数を踏んだ専門家でなけりゃあ手も足も出ねぇ。とはいえ俺だって一人じゃ持て余してた、ってのが正直なところだ。へへっ、本当なら競争相手になるところだが。こうなってみるとお前らは天の御使みつかいだな」

「お互い、幸運なめぐり合いでしたよね」

同じ財宝を狙う盗掘者同士が現場で遭遇そうぐうするのは、むしろ流血沙汰ざたを回避する方が難しいほどの災厄さいやくだ。互いに力を合わせて事に当たるなどという平和的解決は、普通なら望むべくもない。

ところが今回は偶然にも、タウとキア、そしてラルーバスの双方は利害の一致を見た。

「これまでにも魔術師と組んだことは何度かあるがキアさんよ、お前は文句なく最高だぜ。こんなえた手を思いつく奴はいなかった」

「きっとプライドの問題なんでしょう。僕はそういうの、こだわりがないだけなんですけど

キアとラルーバスは肩を並べて櫃の前に座り込み、二人揃って一つの錠前に手をかざしている。より厳密には、鍵穴を攻略しているのはキアの指先で、ラルーバスの手はキアの手の上に重ねて置かれているだけだ。

業腹ごうはらだがこの俺も、年を追う毎に手先がびついてきたのはいなめねぇ。ところがどうだ? お前の指を“借りて”ると、若い頃の技の冴えが戻ってきたみたいだぜ」

「僕は両手の感覚をまるごと譲渡じょうとしちゃってますから、何も感じませんけどむしろあなたが平気だってのが驚きです。触覚なんて五倍に鋭敏化させてますからね。あやつってるあなたにはものすごい反饋フィードバックがある筈なんですが」

「いやいや、感触は鋭ければ鋭いほど有り難い。こんなに指先を細かく動かせるなんて、痛快でたまらんぜ」

ラルーバスの手がえられたキアの指先は、まさに曲芸のような動作をこなしていた。人差し指と親指でかんぬきつまんで引っ張りつつ、残る三本の指で挟んで保持したピンを操り、鍵穴の中をまさぐっている。

普通なら両手を使ってこなす作業を片手で行っている理由は、ごく単純この錠前は閂と鍵穴がそれぞれ二つあり、しかも双方を同時に解除しなければ開かないという複雑怪奇な構造をしているからだ。故にラルーバスが操るキアの両手は、左右それぞれ片手ずつで別個の鍵を同時に攻略するという至難のわざを要求されていた。

さらに加えて、錠前破りの試練を困難なものにしているのは、時間制限だった。厄介やっかいなことにこの櫃には、“夜間にしか開けられない”という重大な制約があった。あと一寸ちょっと、というところまで手を進めても、日の出とともに全てが御破算になってしまう。事実、キアとラルーバスが解錠に挑むのはこれが三夜目であった。

下の騒動、ますます激しくなってるな」

やや不安げに言葉尻をすぼめて、ふとラルーバスがつぶやく。

「ええ。でも彼なら大丈夫」

錠前の構造の複雑さと時間制限がキアとラルーバスにとっての試練なら、別行動中のタウの試練は“敵”の足止めだ。

この難解きわまりない錠前を攻略する上で、夜明けまでの時間というのはあまりにも短すぎる。だが見方を変えるなら、夜の間をただひたすら鍵開けだけに専念して過ごせるという贅沢ぜいたくが許されているのは、この天守閣へと大挙して押し寄せてくる『衛兵』たちを、タウが一手に引き受けて蹴散けちらしていればこそだった。

「僕の相棒は戦上手いくさじょうずです。ちゃんと退ぎわわきまえてます。いよいよとなったら諦めてこの天守閣まで撤退してきますよ」

「そうなったら俺たちまでヤバいじゃねぇか」

「まぁ鍵開けは諦めて、今度は朝まで生き延びるための戦いに専念しなきゃならなくなりますが

その展開はまず心配しなくていいと、キアは楽観していた。いま古城の階下で展開されているであろう戦闘は、たしかに身の毛もよだつものではあるが、それでもタウの武練と胆力たんりょくもってすれば決して困難に過ぎるものではない。彼が冷静さをたもち、戦略をあやまらない限りは、まず間違いはないものと信用して構わない。

そろそろ夜半を過ぎます。むしろ僕らの方が急がないと。昨夜と比べても遅れてますよ。今夜は」

「ああ、そうだな。ちょいと巻きを入れるとするか」

両手の動きは完全にラルーバスに任せ、自らは感覚増幅の術の維持に専念しつつ、キアは階下から聞こえる乱闘の響きに耳をまし、タウの奮迅ふんじんぶりにおもいをせた。

ランダルリード 北風の兄弟

 城壁の隙間すきまを吹き抜ける

  悪党の財布にすべり込み 不埒ふらち泡銭あぶくぜに失敬しっけい

   呼べよランダルリード そのめぐみを私に分けとくれ

昔馴染みの童謡を漫然まんぜんと口ずさみながら、タウは手にした連接棍フレイルよこぎに振り払う。うなりを上げた分銅ふんどうが敵の胸板を直撃し、部屋の片隅かたすみにまで吹き飛ばす。

だが一人を攻めたその隙を、二人目と三人目に攻められた。これが普通の乱戦ならば命取りになるところだが、幸いに今戦っている『衛兵』たちは動きがにぶい上に打撃も軽い。左手の盾で危なげなく攻撃を防ぎつつ、さらに連接棍の反撃を見舞みまう。

キアたちが寸刻すんこくしむほどき立てられる一方で、タウにされているのは時間稼ぎの持久戦だった。いくら倒したところでこの『衛兵』たちは“数をげんじる”ということがない。口さがないラルーバスは彼らをしょうして『番犬』と呼んでいるが、そこまで遠慮のない呼称はタウとしてもはばかられるところだった。確かにもう、彼らはとうに人間であることを辞めてしまった存在ではあるが

錆び付き、朽ち果てた剣と盾を構えて、タウににじり寄ってくる敵勢は、すべて白骨化したむくろだった。風化して黄ばんだ骨を包むのは肉ではなく、冷たくゆらめく青白い燐光りんこうである。てられた古城で宝物の番をつとめていたのは、生命いのちなき亡者もうじゃたちのれだったのだ。

ランダルリード 影をける

 いかな城壁もはばめはしない

  夜のやみのあるところ すなわち全て彼の庭

   たたえよランダルリード その手業てわざに不可能は無し

手強い敵かといえば、そんなことはない。数こそ多いが一人一人は非力だし、戦略も何もなくただ無作為むさくいに攻めかかってくるだけなので、それこそうたいながらでもしのぎ通せる。だがそれでも、ぞろぞろと無言のまま押し寄せる死者たちのうつろな眼窩がんかを前にして、一晩中防戦をいられるというのは、百戦錬磨ひゃくせんれんまのタウをして気を滅入めいらせるのに充分なものだった。それこそ歌でも唄って気をらしていないと、分刻みで正気をむしばまれていくような気分になる。

非力でもろい上に俊敏さにも欠ける亡者たちだが、何せすでに一度死んでいるだけに、もう二度と殺しようがないというのが、生身の戦士より厄介な点だ。干涸ひからびた骨は連接棍の一撃で微塵みじんくだけ散るものの、骨と骨を繫いでいるあの青白い燐光は消しようがない。砕けた骨片こっぺん各々おのおのは虫のように地をって集合し、すぐさま人型に繫ぎ合わさって立ち上がる。再生までの所要時間タイムラグを稼ぐには、なるべく盛大に叩き壊して破片を遠く広範囲に吹き飛ばすぐらいしか処方しょほうがない。

邪悪な魔術によって死者の怨霊おんりょうが生前の亡骸なきがらに呼び戻され、傀儡くぐつのように使役しえきされるという伝承は、怪談としてよく聞く話だし、タウも流浪るろうの旅の中で幾度か実例を目にしたことがある。だがこれだけ大勢の亡者に取り囲まれるというのは初めての体験だった。

古城に踏み込んだ第一夜は、それこそきもつぶして恐慌きょうこうの一歩手前にまで追いめられたものだ。キアの魔術の援護がなければ、生きて朝を迎えることもできなかっただろう。結局、蹴散らしては立ち上がる白骨の群れが、ついに動きを止めたのは、古城に曙光しょこうし込んだときだった。亡者たちの時間は夜闇よやみとともに訪れ、朝の訪れによって終わりを告げる。命拾いに安堵あんどし、朝日に向かって快哉かいさいさけんだタウだったが、肝心の宝箱を開けられるのが夜の間だけだと知るや否や、歓喜かんきはたちまちしぼんでしまった。

天守閣にある櫃の錠前を破ることができるのは、古城が亡者たちの跳梁ちょうりょうを許す時間だけ。そうとわかれば、もう泣いても笑っても始まらない。数十体におよぶ亡者の群れを天守閣から追い払いつつ、鍵開けの細工に挑む策をひねり出すしか他にない。

結局、タウたちは日中を自由に使えるという生者の優位性アドバンテージを最大限にかすことにした。夜になるまではただの骸でしかない白骨を拾い集めて城の一ヵ所に集積し、亡者たちの活動開始地点を限定して、地の利を活かした防戦を展開しようと企てたのだ。

ここで古城の構造が大いに味方した。地下室にある深い縦穴が、骨の封印にうってつけの条件を揃えていたのだ。

その穴は、かつては落とし格子ごうしによって封印され地下牢ちかろうの役を果たしていたのだろう。残念ながら鉄格子は腐食ふしょくして穴の底に崩れ落ちてしまい、穴をふさぐことまでは出来なかったが、深さが優に二〇フィートを超える縦穴の壁は、よじ登るのにそれなりの時間を要する。

昼の間に全ての白骨死体をこの穴に放り込んでおけば、夜になって亡者たちが目覚めても、すぐに攻め寄せてくることはない。ぞろぞろと壁を這い上がってくる骸骨たちをかたぱしから穴の底に叩き落としていくだけで、かなりの時間が稼げる。

いよいよ縦穴の周囲で歯止めがかなくなっても、階段まで撤退てったいすれば再び有利な条件で防戦に徹することができる。いかに亡者たちが多勢たぜいでも、その行列の先頭を迎え撃つだけで済む場所ならば、タウ一人で充分に足止めができた。

今夜も地下室の防衛線こそ破棄はきしたタウだったが、一階の大広間に続く階段の出口に陣取ることで、まだ当面は時間稼ぎを続けられる目処めどがついていた。広間にはよいの口のうちに盛大な篝火かがりびいてあるので、夜通し光源には困らない。

昨夜、城の武器庫で発見した年代物の連接棍も、大いに役に立っていた。タウが持参した幅広剣はばひろけんは、亡者たちとの戦いには不向きな武器だった。何せ相手にはやいばで切り裂いて致命傷ちめいしょうになるような血管も内臓もないのだ。その点、骨そのものを破砕はさいする鈍器どんきは、まだしも歩く骸骨たちの動きを止める上で有効だった。わけてもの先に鎖で繫いだ分銅を遠心力で叩きつける連接棍は、取り扱いに熟練じゅくれんを要するものの、使いこなせれば普通の棍棒よりも重量と威力の効率比に優れ、持久戦にはうってつけの武器になる。こんな廃墟の中で保存状態の良好なものを拾うことができたのは、実に僥倖ぎょうこうと言えた。

目下のところ、最大の敵は疲労である。敵は脆弱ぜいじゃくながらも間断かんだんなく攻めてくる。こちらの集中力が途切れたらそこで一巻の終わりだ。この攻勢が朝まで続くことを肝にめいじつつ、スタミナの消耗しょうもうに細心の注意を払い続けなくてはならない。

戦いも三夜目ともなると、さすがにペースの配分にも慣れてきた。亡者の群れを相手取るおぞましさについても、なかば感覚が麻痺まひしてきたのか、もうさしたる抵抗も感じない。

そういえばキアからも助言を受けていた。相手を死者と思うな。どうやって死んで、こんな境遇きょうぐうになっているかなど考えるな。ただの木偶でく人形、魔法で動くだけの自動機械だと思って潰すんだと。

激しくも単調な運動を延々と繰り返していれば、思考を放棄するのは割と簡単だ。いま想いを馳せるのは、朝日が昇った後に満喫まんきつできる休息のことだけでいい。

そう、ただ殴り壊すだけならば、亡者だろうが骸骨だろうが、どうということはない。何をおそれることがあろうか。天守閣でキアが引き受けている役目に比べれば、数段マシというものだ

この錠前をつくった鍵師は、ブラニガンっていう職人でな。この業界じゃ神とも悪魔とも呼ばれてる達人さ」

キアとラルーバスの、延々と続く錠前破りの最中の雑談は、いつしか鍵の来歴らいれきにまで話が及んでいた。

「神か悪魔かほどね。たしかにこの設計は人間業とは思えない」

「だろ? なにも魔術ばかりが人の業の極限ってわけじゃない。ただの鍵職人でも、極まれば人の域を逸脱いつだつしちまうことだってあるのさ」

「そして、それに挑む錠前破りもですか?」

「へへっ、まぁな」

要となる二本の閂は蓋の留め金でなく蝶番ちょうつがいを貫く形で固定されており、これを壊してしまったら蓋そのものが開かなくなる。そして鍵穴はそれぞれの閂に、その軸線を貫く形で口を開けている。

閂はどちらも、複数の鉛直えんちょくボルトに貫かれて封印されている。各々のボルトはまちまちの長さで二つに断ち切られており、その全ての断面が閂の表面と均一になる位置まで各ボルトが押し戻されたとき、はじめて閂を抜くことができる。正しい鍵を鍵穴に差し込めば、鍵の波形はけいが全てのボルトを所定の位置に調整し、閂を解放する。ここまではごく普通の錠前とそう構造の異なるものではない。

このような構造の錠前を鍵なしで解除する際には、まず閂を軽く引っ張ってある程度の加圧を与え、摩擦力まさつりょくでボルトを押さえつつ、その一本一本をピンで押し上げていくことになる。当然、各ボルトの断面がどの高さにあるかは手探てさぐりで確かめるしかない。ボルトの断面と閂の表面が揃った際の、ほんの僅かな感触の変化をとらえられる指先の鋭敏さが要求される。

普通ならば鉛直ボルトの数はせいぜい四本から五本というところだが、このブラニガンの錠前のすさまじさは、片方の鍵穴だけでも上下に七本ずつの鉛直ボルト、さらに左右に五本ずつの水平ボルトという、都合二四対のボルトが閂を封印しているという点だ。おそらくは鍵そのものも十文字の断面をした特注品だったのだろう。

さらに加えて、この錠前には二つの鍵を同時に、均等のペースで差し込まなければならないという特徴がある。左右の閂のボルトが、手前から順に均等な動きをしない限り、内部の防御機構が働いてしまうのだ。もし対になったボルトが異なる動き方をしたら、閂は別の強力なカムによって即座に固定され、このカムを解除するためには一旦鍵を抜かなければ即ち、全てのボルトを元の位置まで戻さなければならない。

つまり左右の手でボルトの断面を同時に探り当てるという試練を、一二回連続で成功させなければ、全ての苦労が水の泡となる。

「ブラニガンが生涯かけてこしらえた錠前のうち、決して解除不可能と言われた一六個には『牙城』の名がかんせられた。あらゆる盗賊が攻略を夢に見る最高峰の錠前だ。俺はそのうち一五個を解除してのけたことで、『錠前殺し』の二つ名を手に入れたってわけさ」

「ではこれが、一六個目の?」

「ああ、『ブラニガンの牙城』の最後の一つ。長年こいつの在処ありかを探し求めて、俺は引退を先延さきのべにしてたんだよ。まさかこんな所でお目にかかるとは、な」

感慨かんがい深げに呟くラルーバスを前にして、キアはしばしの間、無言になった。

引退、考えてたんですか?」

「ん? まぁ、そうだなぁ。もう一生かかっても使いきれないほど稼ぎもたくわえてあったしな。そろそろ潮時とは思っていたさ。盗賊稼業かぎょうなんて、老いぼれ爺ィになった後まで続けられるもんでもなかろうよ」

「そんなに荒稼ぎを?」

「へへっ、そりゃお前、西から東まで、このラルーバス様が荒らしに入らなかった金蔵かねぐらはねえって程さ。稼ぎすぎた金は貧乏人にほどこしたりしてな。ロレンツのはずれには俺の寄付きふで建った礼拝堂れいはいどうがあるんだぜ。あの辺じゃ俺のこと『泥棒聖者』って呼ぶんだとさ」

成る程、僕は世事に疎いにしても程があるってわけですか」

「あのなぁ、こちとら天下に名を響かせた大怪盗だぜ? 南方なんぽう吟遊詩人ぎんゆうしじんには、今でもまだ俺の逸話いつわがお気に入りのテーマになってんだ。そんな俺のことを知らんとはお前さん、一体どんな僻地へきちで育ったってんだ?」

「生まれてこの方、ずっと土蔵どぞうに閉じこめられていたもので」

キアがそう事も無げに答えると、今度はラルーバスの方が気まずそうにだまり込んだ。

「んん、そりゃぁまた難儀なんぎ経緯いきさつがあったもんだ。わりィな、妙なこと訊いちまって」

「いいんですよ。今はこうして自由の身なわけで

言い終える前に、思わずキアが口をつぐむ。手の触覚を全てラルーバスに委譲いじょうしている彼にも、錠前から漏れたかすかな異音を耳で捉えることはできた。二つの閂が防御機構によって強制固定される無情な音。

あちゃぁ、かさねてまねぇ。しくじった」

今度こそ落胆らくたんあらわなラルーバスの呟き。夜半からここまでかけて彼は一度のミスもなく、実に左右とも一〇対目のボルトまでを攻略していたのである。あと一歩という所での痛恨の失態だった。

「クソッ、今夜こそいけると思ってたのに! よりにもよって

「でも、これで攻略の目処は立ちましたよ。あなたと僕で力を合わせれば、所要時間は夜の間だけで事足りる。それが確認できただけでも収穫です。続きは、明日にしましょう」

未練みれんがましく沈黙するラルーバスだったが、既に天守閣の窓から覗く夜空は黎明れいめい仄明ほのあかるくしらんでいる。夜明けより前に仕切り直しをはかるのは、明らかに無理だった。

溜息とともに、左右の閂から指を離すラルーバス。即座に加圧のせた解除済みのボルトたちが一斉いっせいに定位置に戻り、難攻不落なんこうふらくの施錠を回復する。

今日こそと、思ったんだがな」

意気消沈いきしょうちんしたまま、大盗賊は櫃にもたれかかって錠前にひたいを押しつける。ラルーバスへの感覚委譲を中断し、もとの自分の触覚を取り戻したキアは、術の余韻よいんであるしびれを取るために両手の指をみほぐしてから、一夜の戦いを終えた盗賊の肩に手を置いた。

「今はゆっくり休息してください。僕は仲間の援護に行ってきます」

ああ」

脱力したラルーバスを残して天守閣を後にしながら、キアは自らの言葉をかえりみる。他愛たあいない雑談のつもりで交わしていた会話が、どこかで彼の動揺どうようを誘って集中力をいでしまったのだとしたら今夜の失敗はキアの落ち度でもある。怪しいとすればラルーバスが手元を誤る直前の話題だが内容は思い出せても、それがどうして他人の心を騒がせることになるのか、キアにはいまひとつ理解が及ばない。きっとタウが隣にいたならば、説明してくれたのかもしれないが。

そのタウは、天守閣に続く階段の途中の踊り場で、せまる亡者の群れを食い止めて奮戦ふんせんしていた。亡者たちは狭い階段に邪魔されて一斉攻撃がかなわず、長い行列をしてタウのもと殺到さっとうしては、片っ端から連接棍に叩き砕かれて階下へと転がり落ちていく。

よぉ。そっちは店仕舞じまいかい」

気配けはいだけで背後の相棒を察知さっちしてか、タウは骸骨を叩き伏せる手を休めることなく、振り向きもせずに問うてきた。

「で、ラルーバスの首尾しゅびは?」

「今夜も駄目だったよ」

タウも落胆した風に大仰おおぎょうな溜息をつくが、その両腕は自らの務めを忘れることなく、機械的な正確さで目の前の骸骨たちを叩き伏せていく。ラルーバスの役割は諦めた時点で終了だが、タウの分担はそうもいかない。亡者たちの攻勢は日が昇るまでくことなく続くのだ。

済まない。今夜もまた、君の頑張りを無駄にしてしまった」

「まぁ気にすんな。そうそう簡単にお宝をおがめるとは思ってねぇよっと!」

言葉尻に拍子ひょうしを合わせて、さらに連接棍を振り下ろすタウ。まるで余裕綽々よゆうしゃくしゃくで戦っているかに見えるが、その余裕を生み出すことにこそタウは懸命けんめいになっている。そもそも、この程度の無駄口さえはばかられるほど緊張していたのでは、一夜を通じて防戦を続けるなど不可能だ。

「大体、俺なんぞよりもキア、お前の方がよほど難儀な役回りなんだ。びる道理どうりなんてないさ」

? 僕はだって、両手を他人に預けてただ座ってるだけなんだけど」

当惑するキアに、タウがちらりと肩越しの一瞥いちべつをくれる。その面持おももちの半分は何をか言わんや、という驚き呆れた白け顔であり、残るもう半分は隠しようもない畏怖いふの念だった。

「まぁ、お前が平気だっていうんなら、いいけどよ

「そんなことより、手伝てつだうよ。どの手でいく?」

「ああ、そうだなじゃあ『縛り』の術で」

タウの要請ようせいうなずいて、キアは狭い階段の中に魔力のあみを編み上げる。今まさにタウめがけて錆びた小剣で突きかかろうとしていた骸骨が、その網に触れて硬直した。敵を攻撃せんとする怨霊の力と、それを封殺ふうさつするキアの魔力の板挟みになって、意思なきからだががくがくと激しく痙攣けいれんする。

後続の骸骨たちは、機能不全におちいった先頭の一体を押し退けてさらに攻撃を続行しようと前進し、結果、次から次へとキアの魔力に捕縛ほばくされて動きを封じられていく。ただ殺戮さつりく衝動しょうどうのみに駆られる怨霊は、こと知能においては昆虫程度の単純な思考しか持ち合わせていない。こういう状況で臨機応変りんきおうへんに対処するなど無理な相談である。

「よォし、そのまま動くんじゃねーぞ」

タウは左手の盾を足元に捨てて連接棍の柄を両手に握ると、頭上で分銅を大きく振り回し一気に加速を重ねていく。

「これでも喰らいなッ!」

分銅は唸りを上げて旋回し、充分な運動量を蓄えたところで、もつれ合う亡者の群れに叩きつけられた。タウの渾身の一撃で、五体から六体の骸骨が木っ端微塵に粉砕される。ざらざらと滝のように階段を転がり落ちていく無数の骨片を、さらに蹴散らしながら上がってくる後続の骸骨たち。が、これもまたキアの緊縛魔術があぶなげなくはばんで渋滞じゅうたいに陥らせる。

網でまとめては大技で砕く、という単純な戦法の繰り返しで、タウとキアはたちまちのうちに防衛線を押し戻し、亡者たちを階下の広間にまで後退させた。

「そろそろだな、キア」

「うん

古城の壁の倒壊した一角から垣間かいま見える空は、もう夜の闇色を残らず洗い流されて白々しらじらと朝日を待ち構えている。

そして城の周囲を巡る森林から、不意にき上がる啼鳥ていちょうのざわめき。東の地平よりほとばしる曙光の一閃いっせんが、世界を鮮やかな色彩で染め直す。

まるで時間が止まったかのように、うごめく亡者たちが一斉に硬直して静止する。だが実際には、滞ることなく進む時の歩みから、彼らだけが取り残されただけのこと。次の瞬間、怨霊の青い光芒こうぼう朝霞あさがすみごとく消え失せ、すべての遺骨はただの生命の残骸にして、ざらりと広間の石畳に散乱した。

終わった、ね」

「ああ水、くれるか」

怨霊たちが退散するや否や、タウは安堵と解放感に身をまかせ、連接棍をその場に放り出して座り込む。キアが手渡した水筒から、まず中身の半分を一気にのどに流し込み、それから残りの水は頭から被って、汗やほこりもろともに一夜の緊張と戦慄せんりつの記憶を洗い清める。

「お疲れ様。まずはゆっくり休憩きゅうけいして。後始末は午後になってからでいい」

「ん」

キアのねぎらいに対し、タウは普段のような軽口を叩いて返す暇すら惜しんでか、一声唸っただけで応じると、散らばる白骨の直中ただなかに引っ繰り返るようにして仰臥ぎょうがして、そのまま驚くほどのすみやかさでいびきをかきはじめた。

戦いの達人であるところのタウは、すなわち休息の達人でもある。革鎧を脱ぐこともなく石畳の上で即座に寝入ねいることができるというのは、並の神経の持ち主にはとてもかなわない芸当だが、引き続き翌晩に持ち越された戦いに備えるためには、そこまで寸刻を惜しんで英気を養う必要があるのだ。

夢すら見ていないに違いない弛緩しかんしきったタウの寝顔に、キアは何となく微笑ほほえましい気分になって相好そうごうを崩すと、魔力で呼び集めた朝の風を一旋いっせんさせて、大広間の闇を払っていた篝火の炎を吹き消した。

「おやすみ、タウ」

穏やかな午後の日差しの中、古城の遺跡は草すままに打ち棄てられたさびれぶりをあらわにし、深く静かな眠りの中に沈んでいるかのようだった。

過日の栄華えいがを偲ばせる風雅ふうがは何一つなく、いわんや昨夜の怨霊たちの狂騒きょうそううかがわせる気配など微塵も残っていない。石畳の上に散らばった白骨や、そこかしこの壁に刻みつけられた真新しい剣戟けんげき痕跡きずあとも、すべてがまるで場違いな冗談のように思えてくる。

長閑のどかさえずる小鳥たちの歌声。鷹揚おうように宙をさまようあぶ羽音はおと。生者たちに支配権を譲った日中の古城には、タウやキアたちをおびやかす危険のきざしなど何一つ見当たらなかった。

だがその和やかな静寂が落日とともに一変することは、ここ三日間の繰り返しで解りきっている。夜の死闘に備えた下準備は、すべて夕闇が訪れる前に整えておく必要があった。

正午過ぎに目を覚ましたタウは、まず昨日のうちにさばいて火を通しておいた野兎の肉で腹拵はらごしらえを済ませ、それから食料の補充のために狩猟しゅりょう用の小弓を携えて森におもむく。その間に、城内のそこかしこに散らばった白骨を片付けるのはキアの役目だった。開けた空間では突風を呼び込み、より狭い場所では力場りきばを操って、ありったけの骨片を掃き集めて地下室に運び、あの縦穴の地下牢に放り込んでいく。夜になって怨霊の憑依ひょういした骸骨たちが活動を開始する場所を一点に絞り込んでおくことは、たった一人で防戦を演じるタウのために必要不可欠の準備だった。

二羽のきじ仕留しとめ、ついでに近場のき水で水筒を満たしてきたタウが古城に戻る頃には、キアの作業もあらかた片付いていた。手分けして雉の羽根をむしるうちに、やがてタウが深い溜息をついて手を止める。

「俺、連接棍の扱いはそれほど得手えてじゃなかったんだが。一昨日おとといと昨日で随分ずいぶんと上達したぞ」

「そうなのかい?」

「あの骸骨ども、練習台にはうってつけだな。動きは鈍くて単純で、そのくせいくら殴り飛ばしても減りゃしない」

冗談めかしてぼやくタウに対し、キアは真顔で小首を傾げる。

「そうか君が喜んでるとは意外だった。てっきり、ああいう持久戦には気が滅入ってるものとばかり思っていたよ」

皮肉を皮肉として理解してくれないキアの純朴じゅんぼくさに、タウはむっつりと押し黙る。

「修練の役に立つようなら、せっかくの機会だ。宝箱が開いた後も、ここに幾晩か逗留とうりゅうしていこうか。僕は別に構わないよ」

いや、いいんだ。忘れてくれ」

タウは何事かキアに言い聞かせようとしてから思い止まり、かぶりを振って雉の羽根毟りを再開する。

「もうちょっと、こう、どうにかして楽にならないもんか? あの骸骨どもの足止めは」

「え? だって練習台には」

「だから忘れろ。夜毎よごとに怨霊を死体に呼び戻して動かしてるのも、この城にかかった呪いの魔術なんだろ? そいつを打ち消す魔術ってのはないのか?」

「それは僕も考えたけどね。結論から言うと、無理だ」

キアの回答は無情なほどに、至極しごくあっさりしたものだった。

「あの骨はすべて、この城の宝物を狙ってやってきた盗賊たちの遺骨なんだよ。そして彼らが死に際に残した宝に対する未練の思念が、そのまま束ねられて怨霊召喚しょうかんの魔術の起点きてんになっている。術を破るためには、まずあの骸骨たち全員を相手に『宝物なんか諦めろ』とせて納得させるしかない」

殴った方がまだ早い、か」

「説得か腕力か、得意分野は人それぞれだと思うけど、タウはどちらかというと後者だよね」

「大きなお世話せわだ」

毒づきながら、タウは丸裸になった雉の腹を割いて内臓の始末にとりかかる。

「じゃあ殴って追っ払うしか他にないのは良しとして、だ。それをもっと楽にする方法は? 昼のうちにあの骨を粉々に磨り潰しちまうとか、さ」

「組み立てて元通りの形にできる限り、いくら細切こまぎれにしたって無駄だよ」

それは夜の戦闘でタウも散々に思い知らされている。

お前が魔術で操る炎の、いちばん熱いやつだったら、骨も残さず消し炭になっちまうだろ。あれで残らず焼いちまうってのは?」

「可能だけれどすすめはしない」

しばし考え込んだものの、結局キアはそう結論づけた。

「あの怨霊たちが生前の遺骸いがい憑代よりしろにして活動してるのは事実だけど、だからこそ彼らは“人の形”に束縛そくばくされて、行動も生きていた頃の範囲に限定されてるんだ。その“形としての記憶”を奪ってしまうのは、危険かもしれない」

「そうなのか?」

「何せ五〇人分以上もある死霊の群れだからね。個々の区分を失って融合ゆうごうしたりしたら、それこそどんな霊障れいしょうになってくるうやら知れたものじゃない」

殴れる形があるだけまだマシ、ってことかい」

落胆に嘆息たんそくし、タウは雉肉をあぶるための火をおこしにかかった。焼き串の代用品は、昨夜の骸骨たちが使っていた短槍たんそうである。悪霊たちが手にり、ともすれば昨夜自らを串刺しにしていたかもしれない得物えものだというのに、この辺の頓着とんちゃくのなさはタウならではの肝の太さであった。

「今夜あたりで決着つけてもらわないと、俺もさすがに連日はきつくてなその辺、どうなんだ? ラルーバスの旦那だんなは」

「目処はついているんだよ。昨夜ゆうべもあと一歩のところだったし。でもとにかく物凄い錠前だからね。あとは運が味方してくれるかどうか、かな」

「まぁ、仕方ないか。『ブラニガンの牙城』といえば盗賊の間じゃ神話も同然だもんな」

話題が件の大盗賊におよんだところで、キアはふと思い立ち、昨夜から胸にいだいていたものをタウに問うことにした。

「ラルーバスなんだけどさ。彼、もう引退できるだけの蓄えはあったんだって」

「へぇまあ、そりゃそうだろうさ。あの天下に名だたる『泥棒聖者』ともなれば」

キアと違い、ラルーバスの名声について知っていたタウは、さほど驚くこともなく聞き流す。

「一生かかっても使い切れないほどの財があったって。なのに結局またこんな城に乗り込んで、宝探しを続けてたなんて盗賊って、そんなに辞めづらいものなのかい?」

タウとて、そうそう盗賊の世界に通暁つうぎょうしているわけでもなく、適切な回答が出せるかどうか怪しい問いではあったが、それでもキアが他者に向ける疑問というのは大なり小なり切実なものだ。知る限りの知識で答えられる範囲のことは説明してやりたかった。

「まぁ成功した盗賊なら、いずれは手下を集めて組織ギルドを作り、黒幕くろまくおさまって表舞台から姿を消すのが普通だな。だが、それはそれで気苦労きぐろうえない身分だろうさ。こと裏社会ってやつはどこまで行っても綱渡りみたいなもんだ。変に権力なんぞつかむより、気儘きままな一匹狼でいたいと思う奴だっているだろう」

「ラルーバスも、そう考えたのかな」

「どうだかな。そもそも、ある程度の元手が揃ってるなら、転業してガラリと生き方を変えちまうことだって出来ただろう。それこそ多少のツテと強面こわもての手下を揃えるだけで、高利貸しの暖簾のれんぐらいは下げられる。いっそ適当な爵位しゃくい荘園しょうえん込みで買っちまうのも手だ。そういう成金貴族ってのは、辺境にはごまんといるもんさ」

だが、件のラルーバスはそうしなかった。そこにキアの問いはたんはっしている。相棒を納得させられるだけの回答を導き出せるかどうか、タウは暫し黙考もっこうした後に、先を続けた。

つまるところ、あの男は生き方を変えられなかったんだろうな。元手もチャンスもあったのに、それを活かそうとしなかった。何せ他でもない『泥棒聖者』だ。後に退けなくなっちまったんだろう」

「どういうことだい?」

「なまじ『義賊』として名を馳せちまっただけに、名声が一人歩きしちまったのさ。ラルーバスとはえんもゆかりもない大勢の赤の他人が、あいつに『盗賊』であり続けることを望み、そして当人もその期待を裏切れなかったってことじゃないか?」

キアは不可解そうに眉根まゆねを寄せ、考え込んだ。

名声っていうのは、そんなに窮屈きゅうくつなものなのかい?」

「馬鹿な話だとは思うが、往々おうおうにしてあることさ。金にせよ名誉めいよにせよ、いったん手に入れたモノには執着しゅうちゃくしちまうのが人間ってもんだからな」

そう、ぞんざいに総括そうかつしてのけた後で、タウは何故かキアから妙に気遣きづかわしげな眼差まなざしで眺められている自分に気付いた。

何だ?」

「タウもさ、名声を追いかけているうちに、いつかラルーバスみたいに名声にとらわれてしまうんじゃないのか? そういう不安は感じないのかい?」

その心底心配そうな表情に、タウは思わず苦笑する。これが他の誰かからの諫言かんげんであれば“大きなお世話だ”と腹を立てるところだが、キアの的外れな危惧きぐに対しては、べつだん嫌な気分はしない。その“ずれ具合”がキアの持ち味なのだからと重々じゅうじゅう承知しょうちしているからだろう。

「大丈夫さ。俺にとっては金も名声も、ただの『道具』でしかないよ。本当に欲しいもののために利用し、使い潰すだけの消耗品だ。余計な執着なんて持つつもりはない」

「タウが本当に欲しいものって

キアはなおも、やや戸惑とまどいを交えながら問いを重ねる。

それはよく口にしてる『出世』ってやつかい? それが富や名誉とどう違うのか、僕にはいまいち解らない」

「金は使い尽くせばそれまで。名声も忘れ去られたらそれまでだ。だが地位っていうのは違う。たとえるなら出城でじろみたいなもんさ。そこを拠点きょてんにしてどこまでも人生を切りひらいていける」

熱を込めて語るタウだが、彼もまた件の『地位』なるものを手にとって検分けんぶんしたことがあるわけではない。そう信じ、そうあこがれているというだけの架空かくうの価値だ。

だがそれは決してむなしい絵空事ではない。神に触れたことがない者であっても神を礼讃らいさんし祈りを捧げるように、タウもまたおのれの野心が命をすにるものだと確信している。

一方で、キアが依然いぜんとして納得しかねる様子なのも無理からぬことだった。きっとキアなら神でさえ、じかに対面するまではあがめもうやまいもしないだろう。そんな彼に、夢や理想について語り聞かせて理解させるのは、いつだって骨の折れる仕事になる。

なんで盗賊を辞めなかったか、って?」

廃城で過ごす四度目の夜。またしてもランタンの手明かりの中、触覚を強化した両手を盗賊の操作に委ね、見えざる鍵穴の中の機構に全神経をかたむけながら、役目のない耳と舌のなぐさみのために交わす雑談の中で、キアはラルーバスに昼間の疑問をただした。

「そいつは、昨夜も話さなかったっけか? この錠前を探してたんだよ。ブラニガンの最後の傑作けっさくを、な」

そこまで価値があることなんですか? この錠前を破るのは」

そんな疑念ぎねんを懐くキアの方こそ、ラルーバスにとっては不可思議に思えた様子だった。

「そりゃァお前、鍵王ブラニガンの『一六の牙城』を全て制覇せいはしたとなりゃ、俺は『錠前殺し』どころじゃねぇ。それこそ『錠前神』の名で知れ渡ろうってなもんさ。挑まぬわけにはいくまいて」

「じゃあやっぱり、肝心なのは実利でなく、名誉?」

おうよ。箱の寸法からしてみりゃ、中の財宝の量なんてたかが知れてるからな。その程度の端金はしたがね、もう俺には惜しくも何ともねぇ。おぉっと、それでも配当はきっちり三等分でいただくぜ。それはそれ、まぁ、仕事の上でのケジメってやつさ」

「それは勿論もちろん。僕の連れもきっと納得してくれると思います」

やけに神妙しんみょうな面持ちでそう返されて、むしろ毒気を抜かれたのはラルーバスの方だった。

「ふん、こういう即席そくせき徒党パーティだと、大概たいがいは分け前の配分でめるもんだが案外、欲がねぇんだな。お前ら」

「タウならきっと、あなたと組んで仕事したことを自慢して回りたがるでしょうから。まさか最後に配当をしぶった、なんて格好かっこうのつかない逸話いつわを付け足したくはないでしょう」

「ほぉ? そうか、じゃあお前らもまた、実入りよりまずは風聞ふうぶんを立てたいってクチか」

「それが、そうでもないらしくて

昼間のタウとの会話を思い出し、キアはやや言葉を濁す。

彼も躍起やっきになって富と名声を求めてますが、それは効率よく地位を得るための手段だと断言してて。そこがあなたとは違う、と」

「おやおや、青いねェ。地位のための富と名声かまぁ駆け出しのうちは、そういう動機もアリだわな」

ラルーバスは気を悪くした風もなく、むしろ懐かしい景色でも目にしたかのように笑って続けた。

「俺だって若い頃はな、たんまり稼いでから爵位のひとつも買いつけて、クソ貴族どもを見返してやろうと意気込いきごんだ時期もあったわさ。だがそれが本当に叶うまでになるとけてもいい。身分なんてクダラネェものはどうでもいいと思えるようになってるぜ」

「他者からの賞賛しょうさんにはそれ以上の価値がある、と?」

ラルーバスは頷きかけてから小首を傾げ、思い直して先を続けた。

「んん、賞賛ってのもまた違うな。考えてみりゃこの錠前も、破った後で誰かに自慢したいのかと訊かれたらどうでもいいわな、今更いまさら。そんなんじゃねぇんだ。俺は『ブラニガンの牙城』をすべて突破してぇ。俺が俺のために、そうしたいんだ」

「自己満足?」

「いちいち身も蓋もねぇこと言うね、お前」

名うての大盗賊は苦笑したものの、否定まではしようとしなかった。

「何だろうなぁ、俺が生きたあかし、っていうのかな。そいつをきっちりと示しておいてやりたくなるのさ。いつか死に際に立ったときの自分のために、な」

これが開いたら、それだけであなたは報われるんですね」

なぜかしみじみと意味深いみしんに呟くキアに対して、ラルーバスは重ねて念を押す。

「言っておくが、錠前を破っただけで満足だ、なんて気前の良い台詞は期待するなよ? それはそれ、これはこれ。分け前はきっちりといよ、っとへへっ、これで一〇対目だぜ」

徒然つれづれごとを交わしているうちに、気がつけば二人は昨夜の成果せいかに追いついていた。いよいよ正念場しょうねんばである。ここから先は万に一つのミスも許されない。より慎重に時間をかけて根気よく、微細なピンの動きを意識して手を進めていかなければならない。

「夜明けまでは?」

「あと二時間弱、ってところです」

「良し。今夜こそケリをつけようじゃねぇか。階下したで戦ってる坊やにも、これ以上は申し訳が立たねぇからな」

タウは昨夜より大分長く大広間に踏みとどまっていた。連接棍の新戦術として、分銅を余分に一回転振り回してから叩きつけるという大技を編み出したことで、亡者たちの攻勢をさらに圧倒できるようになったからだ。

過剰な威力で叩き砕かれた骸骨は、飛び散った骨片によってさらに背後の骸骨をも巻き込んで破壊されていく。本当ならもっと手堅い戦法で体力の浪費をおさえるべきだったが、四日続けて防戦のみに徹することを強いられる鬱憤うっぷんは、単調な戦い方では晴らしようもなかった。既に何度も繰り返した攻防だけに、スタミナの配分には鉄壁てっぺきのプランが出来ている。むしろ精神的な疲労をぬぐうためにも、ここはえて派手はでな戦法でストレスを発散するべきだと思えたのだ。

「しかし使い込んでみると面白いもんだね、これ!」

普段の戦場では、隣の仲間を巻き込まないよう気を遣うのが面倒で敬遠していた連接棍だが、こうして思うさま振り回すことのできる環境で扱ってみると、その破壊力はれするほど痛快なものだった。分銅の遠心力をたくみに扱えるようになればなるほど、軽快なスピードで重く強烈な打撃を繰り出せる。

鬼神きじんもかくやという暴れぶりのタウに、しかしじる心すら持ち合わせぬ怨霊の群れは、機械じみた単調さで淡々と攻め寄せる。その無機質さに対する恐怖感を強引に意識の外へと追い払うことに、もうタウは慣れきっていた。

「ははッ、どんと来やがれ死に損ないども! 子守歌を聴かせてやるぜ!」

そうじみた昂揚こうようえ立てながら振るう連接棍が、いきなり重みを失って跳ね返る。

なッ!?」

タウは愕然がくぜんと、柄にぶら下がる千切ちぎれた鎖の断面を眺めた。力のままに振り回していた分銅は、もうどこに飛んでいったのやら見当もつかない。

いかに外観は堅牢けんろうに見えても、所詮しょせんは拾い物の骨董品である。鎖の部分の金属疲労は、思いのほか深刻に累積るいせきしていたらしい。昼のうちに入念に点検して問題なしと判断していたタウだったが、どうやら評価を誤ったようだ。何よりも調子に乗って武器の耐久性をおもんぱからない扱い方をしたのが、限界を早めてしまったのだろう。

「こなくそっ

もはや後悔したところで後の祭りである。柄だけ残った得物は既に連接棍でなく、ただの中途半端な棒きれにすぎないが、それでも拳で殴るよりはまだマシだ。

タウは心許こころもとない棍棒と盾のふちで骸骨たちを殴り伏せて退路を拓き、天守閣へと続く階段にまで退散した。こうなってしまうと予備の武器をびてこなかったことがやまれるが、緊急時に備えた用心よりも体力の温存を優先して軽装けいそうを選んでいたからこそ、毎夜この長丁場ながちょうばを戦い抜くことができたのだ。もはや責める相手は運の悪さぐらいしかない。

ともあれ狭い階段に先に陣取り、毎度の通り要撃ようげきの優位を確保したタウであったが、それでも武器の故障によって、この先の戦闘が前夜より格段に危険なものになるのは間違いなかった。

いいさ、かまやしねぇ。上等だ!”

ぞろぞろと後を追ってくる骸骨たちを前に、タウの内側に獰猛どうもうな闘志が湧き起こる。

もう疲労への配慮だの、朝日が昇るまでの時間を逆算し、全力をひかえる、などといった七面倒しちめんどうくさい思考は必要ない。ただ死に物狂いで戦い生き残るむしろこういう切迫せっぱくした窮地きゅうちこそが、彼の慣れ親しんだ『戦場』というものだ。

二一本目、そして二二本目のボルトの解除は、驚くほど速やかに終わった。

常識外れに深い鍵穴の奥を、はしほどもある長さのピンでまさぐる作業には、もはやゼロに限りなく近い細密さいみつさの精度が要求される。にもかかわらずラルーバスは、まさに入神にゅうしんの域にある正確無比むひな指使いによって、昨夜の関門を突破し、さらにその先へと突き進んでいた。

そして、一二対目閂に圧力を加える二本の指は、ここまで解除してきた二二本のボルトを全て一度に保持できるほど強く、なおかつ残る一本をピンで押しすべらせられる程度に軽く、絶妙ぜつみょうの力加減を維持いじしたまま静止している。そして残る三本の指に挟まれたピンは、もはや目で見て判別できないほどの微細びさいさでうごめきながら、ゆっくりと着実に、最後のボルトの解除位置を探っていく。そんな曲芸にも等しい作業を、左右の手で同時に、寸分すんぶんたがわぬ精度で進行させているのだ。

指先の感覚がないキアにも、隣に座るラルーバスが全神経を指先に集中させているのは、気配だけでそれとさっしがつく。ここに至るまで他愛もない無駄話にきょうじてきた二人だが、今にして思えばそれは、この極限の精神集中を最後まで温存しておくための采配さいはいだったのだろう。ここまでの工程こうていについて、すべて鼻歌じりにこなすほどリラックスした状態でのぞんできたからこそ、今ラルーバスは本当の全力を発揮はっきしていられるのだ。

そしてまるで口から先に生まれてきたかのようなこの大盗賊は、そこまで全身全霊を傾けてなお、譫言うわごとのようなひとがたりを止めようとしなかった。それは誰に聞かせるでもなく、彼自身の精神を限界までませておくための呪文のようなものだったのかもしれない。

すげお前さんの指は本当に凄ェよ、キア。今なら蜘蛛くもの巣だってきほぐしてり直すことができそうだ

忘我ぼうがの境地で漏らす呟きには、どこか恍惚こうこつの気配さえあった。魔術によって強化されたキアの指の触覚は、ラルーバスに人外の境地の体験を味わわせているのだろう。

「何だろうな、この奇妙な感覚指先でモノが“える”んだ。鍵穴の中の光景がさ、解るんだよ。まるで自分がのみか何かになって錠前の中に入り込んじまったみたいに、よぉ

キアは応じることなく、ただ沈黙してラルーバスの手の動きを見守っている。ただ一声を発することすら危ういと感じるほどに張り詰めた気配を、大盗賊はただよわせていた。

きっとラルーバスは、窓の外で白みゆく空の色など、まるで意中にないことだろう。夜明けの光は刻一刻こくいっこくと迫っている。だが刻限に注意をうながすことすら、キアには躊躇ためらわれた。そしてまた一方では、そんな助言などさしたる意味を持つまいという察しもついた。おそらく今のラルーバスには、時間との闘い、などという認識はあるまい。

「この箱は開くぜ」

キアの直感に応じるかのように、ラルーバスがささやき声で宣言する。

「妙なモンだな。でも、何もかもが解るんだブラニガンがこの錠前を造ったことも今まで大勢の盗賊が挑戦して敗退しそして今夜、俺がこいつを解錠することも全てが必然だったと、この指先を通して伝わってくる。まるでこの手が、宇宙の真ん中に触れてるみたいだよ

おだやかな語り口は、静かな法悦ほうえつに満たされている。いま彼が身を置くのは、ある種のさとりの境地にも似た領域だったのかもしれない。ただ見守るしかないキアにははかすべさえないが、それでも独言どくげんに漏れ出る歓喜の色には、羨望せんぼうきんなかった。

キアは錠前から目をらし、ただ窓の外の空を見つめて待った。蒼褪あおざめた黎明の中から月影が、そして最後の星明かりがかげって消え、やがて暁雲ぎょううん緋色ひいろを濃くしていく様を、まんじりともせず眺めていた。

ふと、両手に戻った感覚に気付き、キアは錠前に視線を戻す。

再びキアのものになった指先が、二本の閂を引き抜いた状態で震えている。手の甲にっていたラルーバスの指は滑り落ち、力なく床に投げ出されていた。

窓から射し込む一条いちじょうの曙光が、開け放たれた櫃の中に注ぎ、長い歳月の封印からとかれた金銀財宝を燦然さんぜんと輝かせている。

いかな美辞麗句びじれいくをもってしても、大盗賊のげた偉業いぎょううたうにはあたいしない。ただ無言のままにきらめき踊る財宝の光躍こうやくだけが、彼の技をたたえるに相応ふさわしい讃辞さんじたり得た。

終わった、か?」

疲弊ひへいしきったおぼつかない足取あしどりで、階下からタウが姿をあらわす。破損の目立つ革鎧と、手足に刻まれた無数のかすり傷は、今夜の戦いがひときわ熾烈しれつを極めたことを物語っていた。にもかかわらず、掠れたその声が達成感に満ちていたのは、兎にも角にも生き延びたという成果とそして開け放たれた櫃の蓋のせいだろう。

「凄かったよ。ひとつの頂点を極めた技巧ワザってものを見せつけられた。人間っていうものは、こんな領域にまで辿り着けるものなんだね」

「まぁ、伝説にまで名を残した男だからな。こいつももう一度、肉と皮の備わった指で錠前破りができて本望だっただろうよ」

感慨に鎮魂の想いを乗せて、タウは櫃の前に座り込んだまま朽ち果てた骸骨を一瞥いちべつする。

本当に、物凄い精神力だよ。この城の呪術に囚われて亡者になりながら、それでも生前の執着だけで人間としての自我じがを保ち続けたなんて」

日中のタウとキアが櫃に手を出せなかった理由はただ一つ。解除不能な太古たいこの錠前に対処しうる技を持ち合わせていたラルーバスもまた、夜のみの活動を許された亡者たちの一員であったからだ。

「ラルーバス・ランダルリード。御伽噺おとぎばなしに聞く『錠前殺し』まさか実在していたなんてなぁ」

「どれくらい昔の人なんだい? 彼は」

「さぁな。昔、傭兵仲間に教わったランダルリードの唄でさえ、ひい祖母ばあさんから聴いた子守歌だって話だった。まぁ間違いなく一〇〇年は昔の御仁ごじんだろうな」

「一〇〇年

「吟遊詩人の語りだと、最後は魔王の宮殿に忍び込んで囚われの身になったとか、海を渡って盗賊の国をつくったとか、みな好き勝手な結末をつけてるが。実際はこんなひなびた廃城でくたばっていたなんて、きっと誰も知るまいよ」

キアはその気の遠くなるような歳月に想いを馳せながら、大盗賊の亡骸を痛ましげに眺めた。

「そんなにもながい間、彼は毎晩この櫃の前に座って、宿敵しゅくてきの錠前を破るという執念を果たそうとしてそしていつも叶わぬままに朝を迎えてきたんだね」

「そりゃあ、骨の指じゃあ生きてた頃の鍵開けの技なんてふるいようもないだろうけどな

偉大な故人に対して相応の敬意を払うのはやぶさかでないタウだったが、それでもこの四日間、夜毎にこの天守閣で展開されていたであろう光景を思うと、うそ寒い思いをせずにはいられない。

ラルーバスの骸骨と意思の疎通に成功したキアは、自らの両手に亡者を憑依させることを条件に、協力関係をきずいたのである。確かにタウもキアもこの櫃の堅牢けんろうな施錠に対しては打つ手がなかったとはいえ、死霊に対して何の畏怖も懐くことなく交渉できたキアの心胆しんたんは、タウの想像をぜっしていた。

骸骨と肩を寄せ合って座り、その冷たい骨のてのひらを両手の甲に載せられて、すがままに身を任せながら一夜を過ごす想像しただけで怖気おぞけが走る。いっそ群れをして襲いかかってくる骸骨たちを延々と武器で殴り潰しながら朝を待つ方が、まだしも精神的には許容範囲の体験だ。楽な仕事だと笑っていたキアの神経は、そもそも常人と出来が違うとしか思えない。

「執着の元になっていた財宝が場内から持ち出されたら、亡者たちも現世に繫がる因果を失い、呼び戻されることはなくなるだろう。今夜からもう、この城は静かな場所になると思うよ」

ラルーバスの旦那も、これでもう未練は何も残ってないんだろうか」

「ああ、それは間違いない」

キアの首肯しゅこうに込められた確信は、タウが子細しさいを問うこともなく信用しようという気になるほど、確固かっこたるものだった。

「それにしても

タウは櫃の中を覗き込み、色とりどりの宝石を一つずつ手にとって検分しながら、満足の吐息を漏らす。

「こいつは大層な稼ぎだなぁ。久々に苦労の甲斐がある仕事ヤマになったぜ」

「君が欲しい『地位』を買い取れるほどの額になりそうかい? タウ」

虫が良すぎるキアの問いに、タウは笑ってかぶりを振ったが、実際のところ半年かそこいらは節制を気にせず吞気に食い繫げるだろう。それなりの好条件で換金するには都市部まで運ばなければならないし、その間、野盗やら何やらの襲撃に神経をとがらせなければならないが。

タウは渡世術とせいじゅつの一環として身につけた鑑定眼で一つ一つの宝石を見定め、大まかな売値の予想を立てた。

「この翠玉石すいぎょくせきが一番の高値になりそうだが残り全部を合わせたら、大凡おおよそその倍くらいにはなる。これなら換金する前に配当を決められそうだ」

「それは、つまり三等分できる、ってことかい?」

含みを込めて聞き返すキアに、タウは頷く。

「ああ、三等分だ。当然だろ」

タウから受け取った大粒の翠玉石の輝きに、しばしキアは感慨を込めて見入った後、それを櫃のかたわらにうずくまる物言わぬ骸骨の手に、そっと握らせた。