遙か凍土のカナン

第三回

芝村裕吏 Illustration/しずまよしのり

公女オレーナに協力し、極東にコサック国家を建設せよ。広大なユーラシア大陸を舞台に、大日本帝国の騎兵大尉・新田良造(にったりょうぞう)の戦いが始まるー。

第三章 習志野の小川

夕日が静かに落ちた後、太陽を惜しんでほたるが舞いはじめた。

脇腹を気にしながら新田良造は浴衣に袖を通し、団扇うちわを片手にゆっくりと歩き出した。

暮れたばかりの空をあおいで歩くそのさまは、騎兵大尉には見えない。戦争帰りにも見えなかった。

習志野にはぽつりぽつりと民家があって、その間には複雑な形で畑と田圃たんぼが混在している。うねる小川のせせらぎはりょうを取るには丁度良く、小川から立ち上るように蛍が飛んでいた。

古くからの伝説では蛍は死者のたましいであるという。遠い大陸で死んだ将兵の魂も、ここに無事に戻って来れているだろうか。

良造は手を伸ばした。蛍が指に止まり、それで少し、微笑んだ。

死んでまで俺に仕えないでもいいんだ。

そうつぶやいて蛍を放した。周囲が明るくなるほどに、蛍光が周囲を舞っている。

提灯ちょうちんも持たずにどうしたんですか?」

提灯を持った女が寄ってくる。洋装で長い黒髪をうでなく下ろしている女は、良造の一歩後ろで舞う蛍に照らされた。気の強そうな顔も、今日はどこかさみしそう。

「これだけ明るいんじゃ、いらないと思って」

そう答えながら蛍がいたらあの日の夜戦はどうなっていたろうと良造は思う。苦笑する。右の手指がしびれるような感じ。凍傷のあとは消えても、思い出は残っている。

「良造さんは、戦争から帰って変わった」

変わったのは当然と思うが、変わったのが悲しいとも思う。変わって悪いかと、そういう気分でもある。分からない。戦争が終わって日本に引き揚げて一年にもなろうというのに、未だに気持ちは落ち着くことがない。

「ごめんなさい」

顔をあげる。一歩後ろの女を見る。落ち込んでいる風情。

「ああ、ごめんね、蛍に見とれていた」

子供にいうように言うと女が頰を膨らませる。それはそれは小さな子がやるような仕草しぐさで、良造は思わず微笑んだ。

「おふじちゃんは変わってないな」

「あら、私は藤子になったんですよ」

女はそう言って笑った。近頃市井しせいでは宮家みやけがブームである。生まれた女の子に子をつけるのはもちろん、自ら改名して子をつけて名乗る者も多かった。秋田の山村の生まれの古田ふるた藤も今は藤子を名乗っている。新聞では安易に子を名乗るのはいかがなものか、法で規制すべきという社説を掲載するところもあった。

藤子はつまらなさそうに口を尖らせた。手を突っ張って、少しだけ良造の胸板むないたに触れた。

「それに良造さんは背が伸びすぎです」

「いや、日本人としてはそうだけど、これくらいじゃな」

良造は手を伸ばす。ロシアのコサック騎兵の中には槍を持つ者もいて、鹵獲ろかくしたそれらを使ったものだった。日本人は体格に劣り、どうにも白兵戦は不利である。日本人としては大柄おおがらの良造も、ロシア人の中では中ぐらいになるかならないかだった。

「軍人には体格もいるんですか」

「距離が近ければね」

軍事的に無知で居られる人々を守ることが出来たのだと、良造は思う。そう思うのなら戦った意味もあった。

「また遠いところのことを考えている」

「そうかな」

中国大陸で馬と駆けることを思い出しながら、そう言った。

「そうです。軍隊というものは、考えが落ち着かない人でもつとまるのですね」

藤子はそう言って笑った。

「そのようだ」

暗いところにいるのは」

良造は藤子を見た。藤子は横を向き、次いで下を見た。

「やっぱりそういう、つもり、ですよね」

「ああ、いや、そんなつもりじゃなかったが」

良造は恥ずかしそうな藤子の頭をなでた。田舎の山村で女は労働力である若い男を集めるための重要な戦力である。美人が生まれればそこに労働力が集まる。一夜遊ぶために村の若い男は田植えに刈り取りと手伝いに来ては頑張るのである。藤子は姉や妹と異なり、そういうことを好まなかった。それで幼なじみだった良造を世話すると、東京へ出た。親は止めなかった。騎兵将校という身分には、価値があると思われていた。

要は藤子に、ていのいい上京のダシにされたわけだが、良造は特に何をするでもなく家に住まわせ、自由にさせていた。金銭的支援もしている。藤子は女学校に行き、卒業後は少女雑誌を作ろうと数名とはかって活動しているようだった。

「人の多いところは苦手だ」

くすくすと藤子は笑った。世話を受けるだけの身分から解放されたような笑顔で良造の腕を取った。それじゃ姉や妹と変わらないぞと良造は思ったが、何も言わなかった。それ以外の感情も、籠もっていると感じたからだ。

誰も見ていないから出来ること、藤子は良造の腕に身を預けて口を開いた。

「軍人さんなのにですか」

「そうなんだ。ああ、でもあめの一つでも買って帰るか」

「はい」

藤子はゆっくり歩き出した。なんだか随分掛かった気がしますと言った。

良造は士族の娘のようなことを言うなと思った。戦争に行っている間に変わったのは、彼女の方かもしれない。

藤子は鼻の頭を蛍の光で照らした。目は飛んでいく蛍を追った。

「飛ぶ蛍を捕まえてガラスのびんに入れたらランプにならないかな」

「駄目だ」

「え?」

駄目だ。自由に、させてやれ」

「はい」

藤子は自由に飛ぶ蛍達に目をやった。考え、微笑んだ。

「私は蛍ですか」

「同じようなものだ」

「良かったと思います」

藤子は恥ずかしそうに微笑んだ。

良造は縁日へ向かった。神社には出店が並び、中には子供の集まるおもちゃの店もあった。

「良造さんは今でもああいうものが欲しいと思いますか」

半歩遅れて藤子が言った。

「いや、だがまあ、子供を眺めるのは好きだな」

「だったら頑張っていただかないと」

良造は言葉の意味を聞き損ねた。おもちゃに意識を奪われたからである。

子供に人気のおもちゃ、弁髪べんぱつを引っ張る日本兵のおもちゃやロシア兵とおぼしき赤髭あかひげを踏んで銃を前後させるおもちゃが飛ぶように売れている。

顔をこわばらせ、足早になる。

藤子は意味を勘違いしたか顔を真っ赤にした後息を吞み、小走りに良造の後を追った。

翌日、音を立てぬように寝所しんじょを出て、六時頃に自家用馬で出勤し馬房ばぼうに入った。これと言って産業もない習志野は黒溝台会戦のあと騎兵駐屯地ちゅうとんちとして、全国的に広く知られるようになった。

日本騎兵揺籃ようらんの地、騎兵の総本山、そんな言われ方をすることもある。もちろん、騎兵のことも軍事のことも分からない人々によってである。

その主である秋山好古少将は日本騎兵の父と呼ばれるようになっていた。本人は迷惑そうであった。

当然と言えば当然、名をあげることになった戦いであるところの黒溝台会戦では、騎兵として戦っていないのである。

しかも後に聞くところでは、あの時の敵は世界最強の騎兵集団と盛んに喧伝されていたコサック騎兵だったという。

そういえば、あの戦いで一回騎兵とぶつかったことがある。しかし主敵は騎兵ではなかった。しかし世に溢れる勇ましいが正確ではない出版物の数々を見ると、我が日本騎兵は黒溝台にて世界最強の騎兵団を打ち破ったことになっている。騎兵指揮官のミシチェンコ将軍は勇猛かつ有能だが我が堅い守りに敗れたとあった。

ミシチェンコ将軍は黒溝台の戦いの前、数日前から連絡用の電信柱を倒して回った人物である。電信が不通になれば何かが起きていると思うのが常識的な判断で、お陰で、日本は奇襲を免れた。少なくとも第八師団は援軍として送り込めた。そういう意味では大いに情報をくれた恩人とも言える人物ではあったが、優秀かどうかはまた別であった。

国民はいい加減で、事実などどうでも良く、ニュースは面白ければそれでいいらしい。一度ならず見てきたようにありもしなかった騎兵による運動戦の話をする人々の話や、解説を聞く度、その考えを強くした。

それならまだいい。苦い顔の親父さんこと秋山少将が、たまにぼやく程度だ。

心配するのはここのところの新聞の強気である。

藤子によれば、講和交渉の前に新聞の発禁処分が出たらしい。発禁処分を受けたのは戦争を賛美し、ロシアとの戦いを全面的に推進した東京朝日新聞などである。和平を推進する政府の意向にそぐわないという意味では立派なジャーナリズムと評価する向きもあったが、内容は荒唐無稽こうとうむけいで軍事的、財務的、人的な要素を全部無視したお粗末そまつなものばかりだった。

事実に即していない。だがそういうものこそを民衆は喜んだ。見たいニュース、喜ぶ内容のニュースしかみないのであれば、いずれひどい目に遭うぞと、良造は思う。最近広がる選挙の話にしても、同様だった。同じ理屈で民衆に聞こえのいい話しかしない政治家が政権を取りうる。

馬の世話をし、丹念たんねんにブラッシングし、たてがみを美しく垂らす。

くらを正しくつけ、訓練と称して歩き出す。馬の気の向くままのんびり歩いた。馬に心を任せ、夏の花が咲く川縁かわべりを歩いた。

馬は走り出した。そうか、走りたいか。

大陸で、もっと走らせたかった。活躍させたかった。活躍すれば騎兵の上に落ちる暗い影も、どうにかできたかもしれなかった。

日露戦争は日本の騎兵の未来を暗くした。否、世界中の騎兵の未来を暗くしたのかもしれない。陣地に籠もり、小規模であっても機関銃や砲で武装した歩兵は、騎兵の突撃も歩兵の攻撃もしのいで見せた。これは育成に手間も暇もかかる騎兵の価値を大きく減じた。少なくとも今後騎兵を攻撃戦力として使う陸軍は、もう現れまい。

なんのことはない。黒溝台会戦において日本騎兵は自らの存在価値をおとしめたのだ。他の選択肢がなかったとはいえ、日本騎兵は騎兵という長い歴史を、終わらせる最初の一歩になってしまった。

騎兵科はこの事態を正しく認識してはいた。その上で騎兵の有用性をアピールしようと、作戦を立案実行することまでしている。永沼挺身隊ながぬまていしんたいとして二個騎兵中隊に加えその一〇倍の中国馬賊ばぞくを編成投入し、後方攪乱かくらんにあたったのである。

その効果は大ではあったが、黒溝台会戦の印象を変えるには、至っていない。元々金食い虫だったことに加え、日露戦争の戦費が莫大だったこともあって、騎兵は陸軍上層部からの心証がよくなかった。

これまでは大規模な部隊を編成できなかったからだが、今後も騎兵は連絡・捜索・後方攪乱にのみ用いる。日本騎兵はそんな状況に置かれつつある。

その日本騎兵を守るのは、いい加減な新聞記事とそれを信じた民衆であった。彼らは日本騎兵の精強さを好ましく思い、永沼挺身隊の活躍は小説になって広く巷間こうかんの知るところになっていた。おかげで不本意ながら、騎兵は直ぐに規模縮小などとならないでいる。秋山少将はそれが分かっているので、日露戦争について話せと言われても不機嫌そうに黙っているだけという噂だった。

戦争の頃が良かったとは言わないが、勝ってからどうもおかしくなった。

そんなことを一人つぶやいた。どうにも日本はおかしな方へ足を踏み入れている、そんな気がする。新聞もそうだが、昨日露店で見たおもちゃはひどかった。永沼挺身隊にしても数の上での主力は中国人の馬賊である。ロシアよりはましと日本を手助けした中国人達を軽視するどころか無視して見下すその態度が、気にくわない。

国の行く末の不安に仕事上の不安。どうにも先行きが暗い。今後一〇年、この仕事でやっていけるのか不安になったせいで、国に対するものの見方まで暗くなっているという方が正確か。日本では他国のように軍人の恩給おんきゅう制度などはなく、大尉だろうと傷病などで職を失えば、即座に困窮こんきゅうした。だから失職の恐ろしさは大きい。

それでも生きていればまだどうにか職探しもあろうが、軍人が夫となり父となり、一家の大黒柱となったあと死んでしまえば、残された家族は悲惨極まりない生活を送ることになる。ある程度日露戦争の勝敗が見えた頃からは、この問題が表面化して時に軍事上必要な勇敢ささえも捨てて命を大事にする風潮が目立った。これではまともに戦えないので軍人の恩給制度や傷病軍人の補助制度を設立させるという話ではあったが、これらの予算がさらに国家財政を逼迫ひっぱくさせるであろうことは、良造にも想像できた。

世間は戦争に勝って明るい気分である。

それに乗り切れていない自分がいて、それが残念にも思える。

良造は青々とした水田を横手に馬を走らせながら、そう考えた。夏の雲はまだ育っていなかったが、気温は上がり始めている。馬は乗り手を心配してか、速度を落として走っていた。気持ちを汲むこと軍曹のごとし。

そう言えば土肥は軍を辞めると言う。馬から下りてどうするんだろう。他に芸などあるんだろうか。いや、騎兵の将来に暗雲立ちこめる今、転職は悪くもない気がする。

駐屯地に戻り、勤務に戻る。中尉から大尉になったのだが、大隊長になれたわけでもなく、本部付きとして勤務していた。最近の仕事は、訓練の監督である。ロシア兵の大砲に耳をやられながら塹壕で怯えているよりはましだったが、型どおりの騎兵の訓練を重ねても、未来への道が開かれるとは思えない。

「要するに大尉は、先々が不安な訳ですな。さもなきゃ戦争がまだ続いている気分になっているんだ」

その日の夕刻、今や無位無冠むいむかんになった土肥は、笑いながら言った。

下士官と士官が酒を飲むというのは、死を含む命令を下す関係である以上なれ合いは好ましくないという不文律ふぶんりつに触れるという事でこれまで一度もやっていなかったが、このたび土肥が退職し、ならばもはや士官だなんだも関係あるまいと、良造が誘ったのである。

土肥は苦笑したものの、それだけで了承した。

吞む、といっても習志野付近に居酒屋はない。必然として家で吞む。習志野は注目を受けて増え始めた観光客や駐屯地の兵相手の店と商店街が出来つつあるという段階であった。これといった産業のなかった習志野は、駐屯地という特徴を生かして近代化と町おこしを推し進めようとしている。

家の中より明るいという事で外に出した縁台に二人して座り、その間に陶器の酒瓶を置いた。口には麻のひもが巻いてあり、良造はこの紐に魚の干物と笹の葉を結わえて一緒に持ってきていた。近くの漁港で干物を仕入れていたのである。

「戦争が続いている気分になるのはたまにあるな。いや、誰だってそうだろう。はい終わりと言われて、気持ちが切り替わるほど人は楽じゃない。そして先々の不安か」

良造は少しの気恥ずかしさを覚えつつ、土肥のさかずきに酒を注いだ。土肥は実にうまそうに酒を飲む。近所の人に貰ったという沢庵たくあんをかじり、暮れていく夕日を見ながら考えた。

「不安なのかは分からんが、なんとなく面白くないのは確かだな」

「大尉は戦争向きですからね」

「ばかいえ、そんなものがこの世にあるものか。人間は銃弾一発で死ぬ。向きも不向きもない」

「自分はあると思いますがね」

笑う土肥に、どう言い返そうかと考える。

「向いているといえば土肥こそ軍に向いていると思ったが」

「まさに」

土肥の答えは予想外だった。良造は続きを促すように夕日を横に土肥を見た。

「自分は荒事あらごとに向いていると思います。だからですよ。大尉。我が国はもう何十年かは戦争をせんのじゃないですか」

確かに、現場に近いほどそういう印象だった。戦争で被った人的損害から回復するには数十年かかりそうな勢いである。

日本は日露戦争を前に徴兵制度をいじくり回し、一旦現役を終えた者を後備兵役として活用したほか、その年限も五年から一〇年に延長し上は三八歳まで動員している。そうでなくても体格の良くないものも戦争後半には相当交じっており、訓練の不足は目を覆いたくなるような状況だった。士官も率先して戦った尉官を中心に損耗と不足激しく、とても戦争が出来る状況ではない。

そも、武器や弾薬を買おうにも国に金がない。戦時国債を買われすぎてイギリスの植民地になるような事態こそどうにか避けたものの、日本は大債権国イギリスに頭が上がらない状況である。それを把握していないのは都合のいいニュースしか見ない国民だけだった。

「自分からはな。でもまあ、戦争は日本の都合だけでできはせんだろう」

「それでも全力で避けようとはするでしょう」

「そりゃなあ」

戦後、今度はアメリカが日本を目の仇にして海軍を主とした大規模な軍事拡張をしているという。これは和平仲介の代わりに満州の権益を得る密約を日本と交わしていたせいだが、最終的には日本が反故ほごにしてしまった。外務大臣小村寿太郎こむらじゅたろうがこれを許さなかったせいである。この一件以後、アメリカ政府の対日感情は一気に悪化した。

表向きには太平洋にロシア海軍が消滅した今、日本海軍だけが突出した存在として君臨くんりんをはじめたため、その気になればアメリカの植民地であるフィリピンも簡単に占領される(だから対策をしよう)としきりに国内宣伝を行って軍拡をしている。日本はこれに対し、アメリカに反発する世論を押さえ、平和外交を展開しようとしていた。

「そういうことです。戦争はしませんよ。上がバカじゃなければね」

「政府はバカでないとは思っているんだな」

「大尉は違うんですか」

「いや、違わないが」

西国さいごく生まれの土肥には分からないが、東北出身者としては微妙な気分になる話である。御一新から四〇年を過ぎた今も、明治政府は西国政府である。西日本を中核として人事も工場建設も進む。海軍の戦艦ですら東北の地名を使ったものがない。意外に東北出身者はこれを気にしていて、だから政府に対しても評価は素直ではなかった。

「そうだな。そうかもしれん」

良造が難しい顔で頷くと、土肥も酒を飲みながら頷いた。

「そうなんですよ。自分は荒事に能があると思うんですが、まあ、これで戦争はなくなったわけです」

「どうするんだ」

「だからって戦争を期待するのもおよそ人の道からはずれていますし、このまま軍にしがみついても唯々若さを失うだけでしょう。だからですよ、辞めようと」

「うん。辞めるのは分かった。辞めた後だ。どうするんだ」

「それがまだ何も考えてませんで」

自分も参考にしようと思っていた良造はがっかりした。だったら次が見つかるまで仕事を続けてもいいじゃないかとも思ったが、酒を飲む土肥を見る内に考えは変わった。

土肥は燃え尽きたのだ。そう思った。戦時中の雰囲気から抜けられない良造は、今だ酒を控えめに飲み、周囲の気配を探ることを忘れない。土肥は一仕事終わって骨休めするように酒を飲んでいる。

「しかし、馬に乗れなくなるのはつらいな」

「騎兵の終わりを見るよりは、今別れた方が綺麗だと思います」

「俺は軍を辞めるにしても馬と関わる仕事をしたい」

「失礼ながら大尉には伯楽はくらくは向いてないんじゃないですか」

「馬の目利きはできるぞ」

「馬の相手じゃなく人間の相手が難しいって言ってるんです。誰も彼もが騎兵刀抜けばついてくるなんて思っちゃいけません」

「まあ確かに、人間相手は嫌だな」

「田舎に引っ込んで牧場でも開く風にも見えません」

「まったくだ。いや、俺までも辞めることを考えてしまったな」

土肥は大いに笑った。今後については明日にも家を引き払い、自分に向いたことをやるという。

良造は少しばかり、うらやましくも思いはした。肩の荷が下りた土肥は五歳ほども若くなったように見えた。

「大尉と酒をわしただけでも、辞めたかいがありました」

「よせ。文字は読めるな? この半紙に俺の連絡先を書いておいたから、何かあれば連絡してくれ」

赤ら顔の土肥は苦笑する。

「私は大尉を好いてますが、お世話になる気はありませんよ」

「俺も世話できるほど甲斐性かいしょうがあるわけじゃないが、何があるかわからんし。俺が世話になるかもしれんからな」

「大尉の世話ですか」

「今、嫌そうな顔したな」

「いえ。自分が世話するとすればそれはもう、国家の一大事です。そうならない事を願っています」

大げさな物言いだと良造は笑い、土肥も笑った。席を立ち、手綱を引いて歩いて帰る。歩いて帰るのは飲み過ぎて乗馬が危なくなったからである。

歩きながら、戦争の事を考える。遺体収容や救出活動がない戦場で、塹壕の中からロシア兵が冷たくなっていくのを眺める。なぜ様子を見ようとしたと、自分で自分が嫌になる。取り返しのつかない一年以上も前の話なのに、ふとした拍子に思い出してしまう。

思い出すのはあれだけではない。塹壕の中で助広を振るうことも良く思いだした。刀が肉を切って骨で止まる、その時手が受ける衝撃を夢の中で思い出し、夜中目覚める時がある。

何度も思い出す割に、良造は思い出の中で何人殺したか、数えるようなことはしていなかった。殺した数を誰かに言うようなこともないだろう。悪趣味だと思うし、仕方がない事とは思うがあれを誇るべき事とは思えなかった。それが普通の感覚だと思いたい。

生き残ったロシア兵も同じような気分になることはあるのだろうか。そんなことを考えた。

暗い中を一人提灯を持って家に帰り、浴衣姿の藤子がまだ家にいるのを見てびっくりした。藤子は手に団扇を持って縁側でぼんやりと座っていた。良造に気付き慌てて藤子はランプを点けて、天井から出ているかぎに吊り下げる。

「おかえりなさい」

明るくなった縁側には、おひつに茶椀と漬け物と、煮物。飯の準備がしてあった。

「東京に帰ったんじゃなかったのか」

「私の家はここだと、思っています。良造さんが許せば、ですが」

「いや、ああ」

良造は藤子の頭をなでて、ありがとうと言った。これを最初に言えば良かったと後悔した。

「仕事はいいのか」

「明日、一旦東京に行きます」

藤子は戦争前から出版業をはじめようと、数名の同好の志と活動している。少女雑誌を作るというのが夢であった。良造はこれを金銭的に支援してきた経緯がある。中尉の俸給など大した額ではないが、良造としては自分が戦死した時のため、藤子が手に職を持つことを歓迎していた。

街で働く女というのは最近は余り見ないが、農家では女も当然のように働くので良造には抵抗がない。そもそも、藤子を妻にしたという意識が希薄であった。祝言しゅうげんもあげておらず、藤子にもその気はなかろうと思っていたところがある。

かいがいしく食事を作って待っているなどは想像出来ず、家計を気にして灯油を節約していることを知るに至っては、素直に仰天ぎょうてんした。調子が狂う。

「俺の世話なんかしないでもいいんだぞ」

「他に世話するひとがいるんですか」

「いないが」

「じゃあ、私がやってもいいじゃないですか」

良造は酒を飲む話を藤子にしておけば良かったと考えた。それにしても節目というか儀式なく夫婦生活が始まったような気になって照れる。いや、今からでも遅くないと何かやるべきであろうか。

「今日はなんだったんですか」

「部下が辞めるんで、送別だ」

「平和になりましたからね」

仕事の話をしたのはそれだけだった。実際はそうでもないが、あえて何かを言う事はなかった。二度目の夕餉ゆうげをがんばろうと思った。椀物わんものを温めるというのを止め、冷えた椀物をすすった。これはこれでありだろう。

その日の夜、寝所にて蚊帳かやの向こうの月を眺めた。たまに吹く風は涼しく、青い草の匂いがする。

とりとめもなく考えるのは仕事を辞めた土肥のこと、隣で寝ている藤子のこと、日本のこと、自分のこと。

軍人以外の職を、自分ができるだろうかと考えた。牧場主をやるには土地を持たぬし、剣を教えるにも時代遅れだ。いや、馬も剣も、軍内部で時代遅れだ。人材不足のおりとはいえ、東北出身で幼年学校も出ていない自分は少佐にはなれないだろう。これから年下の連中がどんどん自分の上司になる。その上司が戦争を体験してなかったとき、自分はどう考えるんだろう。

悶々もんもんとして漠然とした不安を抱え込む。眠るのは難しい気がした。

藤子の寝顔を見て、いつかは出来るであろう子のことも考えた。妻と子を抱えるという前提で言えば、石にかじりついてでも軍にいたほうがいい。万年大尉、それでいいじゃないかと思った。騎兵が終わる時が来る前に、自分が引退する可能性だってある。

目をつぶる。そもそも自分が職を辞すことを考えているということにびっくりした。職を捨ててどうするかを考えていないのはもちろんのこと、陸軍に愛想あいそがつきたというわけでもないのに。

ではなぜ辞めようと考えた。命を賭けて戦うのはどうということはないが人殺しはこりごりだと思うからか。

いや、それも違うな。天井を見てそう思った。自分は、必要ならまた同じように戦うだろう。内心の嫌悪とは別に、必要性があれば戦いも殺しもするだろう。殺し殺されるのが嫌だから辞めるんじゃない。じゃあなぜ辞めようと考える。

答えはない。答えはないので、眠るためにも無理矢理に答えを作った。土肥が辞めたせいだ。いろいろ考えた後、そう結論をつけた。

あれが辞めたので、自分も影響を受けている。惜しい下士官だった。

翌日。朝餉あさげを食べ、今日は早くに帰ると藤子に言って出勤した。体のどこかにべったりと、仕事を辞めるという考えがくっついている。だが何故辞めるか、それが分からぬ。戦争が出来ないからか。いや、戦争はこりごりだ。

駐屯地内は大騒ぎだった。

何事かと、藤島中尉を捕まえて尋ねた。熊本の生まれという肌を真っ黒に焼いた中尉は、短く刈った髪を自ら叩きながら言った。

勲章くんしょうが授与されるそうです」

「今頃か。ちなみになんで自分の頭を叩いているんだ」

「信じられません」

「前の戦争じゃなくてなにか別に功労でもあったのか」

藤島は目を動かして良造を見た。

「何言ってるんですか大尉。前の戦争ですよ」

良造が顎をかくと、藤島中尉は良造に目配めくばせをして離れた。藤島は幼年学校の出であり、公で良造と親しく話すのは色々なさわりがあった。それで、隠れて話を続けた。

「ロシアが勲章を授与するそうです」

「暇な連中だ。いつから習志野は女学校になった。かつての敵国とはいえ他国の論功行賞ろんこうこうしょうなんぞどうだっていいだろう」

「勲章を授与されたのはうちの親父ですよ」

「秋山少将が? 何を言ってるんだ」

良造は至って真面目かつ常識に沿って言ったつもりだったが、藤島は不満そうに身じろぎした。藤島自身、思いは同じようであった。少し考え、上を見る。

「本当か」

「本当です」

「しかし、少将が敵、じゃない元敵の役に立ったとは思えんが」

「むしろ、敵に取っては一番嫌な奴の一人かと思います。弟さんも授与されたそうです」

「少将の弟さんは海軍だったか」

「ええ」

ますます分からなくなった。

「ロシアはもう少し常識的なところだと思っていた」

良造は正直にそう言った。なるほど。この件について騒然となるはずだとそう思った。聞いた事が無い上に、何を考えてやっているのか見当がつかない。とりあえず周囲とああだこうだと言いたくなるのも分かる。

「まったくです」

「上も大変だな」

「大尉も。尉官で唯一の勲章授与らしいですよ」

良造は藤島を見た。藤島はそんな顔をされても困るということを、表情で示した。

それもそうだと頷いて、直ぐに大股で歩き、何処かに文句をつけようと考えた。幸い、秋山少将に呼ばれ、これ幸いにと勇んで出頭した。

秋山少将は、長身で禿げ上がった鼻の大きい人物である。日本人的には人相が悪い、とも言える風貌ふうぼうだったが、欧州では日本人の中では例外的に親しみやすい顔立ちとされていた。この人物、幼年学校出身者ではなくだからというわけでもなかろうが、同じような境遇の良造を可愛がった。

もっとも可愛がってもらっていたのは少尉の頃で、ここ最近は忙しくて道であったら挨拶する程度になっている。久しぶりに見る秋山少将は顔色悪く、戦地での風呂嫌いから来る匂いはともかく戦争で大陸にいた頃の方が健康的に見えた。

「何をやった?」

単刀直入に、秋山はそう言った。

「まだ何もやっていませんが、なんで自分がロシアから勲章を貰わなければならんのですか」

「中尉、いや、もう大尉か。大尉。それはあしも思った。外務省を通じて尋ねることにしたが、正直面食らっている」

「なるほど。戦争中より余程うまい敵の奇襲ですね」

良造の言葉にうなずきかけて、秋山少将は目を開いた。

「元敵だ。戦争はもう終わった。いつまでもそんな気分じゃいかん。それはいいが、受勲者の中になぜか大尉の名前があってな。尉官じゃ陸海軍通じてただ一人だ」

「あいつら何か取り違えたんじゃないですか」

「取り違えたかどうかはあしが決める。思い当たることはないか」

「まったくありません」

堂々と良造は言った。噓だった。察しはついていた。

秋山は難しい顔のまま、書類を見る。

「黒溝台ではどこにいた?」

豊辺とよべ大佐のところであります。最初は西陣地、その後で北陣地の防衛にあたりました」

「その時になにか覚えはあるか」

「いえ、加納少佐に貰った刀が良く切れたくらいで。いや、他にもありました。怪我けがしました」

「普通だな」

「覚えがないと申しました」

「そうか。わかった。退出していい」

「はっ」

良造は頭を下げて下がった。帽子をかぶっていないので敬礼ではなく、普通にお辞儀じぎである。ドアを開けて退出する前に振り向く。

「ちなみに、遠慮とかできんのですか」

「悪趣味だとはあしも思ってはいる。だがな。大尉。外交のことは外務省が決める」

「ははぁ、なるほど。了解しました」

「まあ、とばっちりを受けたと思え」

「了解であります。すぐに忘れます」

実際のところ、ボラを一緒に釣ったせいだなと、良造は思っている。黒鳩金将軍は、黒溝台会戦に続く奉天会戦での秩序だった後退に対して理不尽とも言える降格処分を受け入れつつも、中央に戻ることをよしとせず、満州に残り続けたという。この一点だけ見ても責任感のある人物だ。まあ、その責任感が自分にも向いた、というところだろう。

元敵国から勲章を貰うと思うとどうにも変な気分だが、ボラを一緒に釣ったおじさんから貰ったと思えば腹も立たない。いっそ愉快である。

いっそ愉快か。良造はかわやに隠れて笑いながら自分の言葉を反芻はんすうした。いっそ愉快も愉快には違いない。結構なことである。最近自分はそんな気持ちが足りなかったのではないかとも思った。

思った事を土肥に話そうとして彼が軍を辞めていることに気付いた。

それで帰って藤子に話そうとしたところ、藤子が東京に帰っていたことに気付いた。

仕事とはいえ、残念な話。数日飯の支度したくをして貰っただけなのに、自分で飯の支度をするのが面倒ではあった。沢庵と酒で済ますことにして、縁側に寝転がった。

藤子に仕事を辞めて貰って、家事をやって貰う。自分も仕事を辞める。先だって妻を不幸にしない職につく。向いてないとはいわれたが、やはり伯楽にでもなるかと思う。どうせ出世は望めないし、戦争もない。お国のために銃を取ることもないと思えば、西国政府の出張所、幼年学校出身者の出世レースに明け暮れる軍にしがみつくのが面倒だった。

できもしない妄想の風呂敷を広げ、良造は少し満足する。

藤子は自分のやりたい仕事をしているのだろうし、伯楽に向いてないというのは自分でも分かっている。とはいえ、不満はあるのだ。それをうまく表現できないけれど。

その日、ロシアの勲章を貰って周囲から笑われる夢を見た。笑いかえしてやろうと大口開けたところで目がさめた。

ロシア人を殺してロシアの勲章貰うんだから世話ないな。

この日、休暇である。週に一度休みがあるのはいいことだと、自家用馬を歩かせながら思った。この馬は大陸で一緒に戦った仲間である。老齢を理由にお役御免ごめんのところ、良造が払い下げを受けたのだった。名を富士号ふじごうと言う。セン馬である。

馬に乗り、東京に行くことにする。ロシアから勲章を貰ったと、たわいもないことを藤子に言うためである。着替え、手綱をつけ、鞍を乗せた。富士号は嬉しそうであった。

いっそ愉快であるという言葉が、頭にずっと残っている。

馬を走らせ、飼い葉をやりつつ、水を共に飲み、江戸川を渡り荒川を渡る。人が増え、人力車も増える。馬で歩くと目立つ。時刻は昼過ぎである。

江戸時代に運河として整備された小名木おなぎ川を右手に倉庫と工場の横に、真っ直ぐと馬を歩かせた。この辺りからは馬を走らせるのが大変になってくる。

隅田川に合流。ここを渡れば藤子が働く銀座まで直ぐである。路面電車の横を走り、乗客がこちらを見るのが楽しかった。

愉快な気分で昼飯を食べようと店を探す。大きなうなぎ屋があってふらりと入った。

鰻を食べ、その身の柔らかさに感心する。鰻を釣りたいとも思ったが、皮に毒があり、さばくには特別の技があると言う。良造は店の前にとめた馬を見るために子供が集まっているのに気付いた。富士号は人慣れしているが、いたずらされて暴れたら子供など直ぐ死んでしまう。急ぎ食べ終わり勘定かんじょうを払って声をかけて、しばし遊びにつきあった。子供達は馬の上に乗せられると目を輝かすのが常であった。

子供達と別れ、隅田川の手前で宿を探す。馬房つきの宿は中々ないが、まったくない程でもない。旅籠はたご風の旅館に泊まり、馬を預けて隅田川を渡る。徒歩の他、自転車に力車、路面電車と、両国橋の上は中々の混雑である。馬に乗っても良かったが、どうせこの辺りでは馬が特別速いわけでもない。道は自然周囲の速度に併せてゆっくりになるものである。

銀座についたのは夕刻である。きらびやかな灯りに照らされた銀座は、浅草などと違って煉瓦れんが街になっている。不燃都市化と言われて久しいが、銀座はその最初のものであった。

中国の街のように驚くほど広い道幅があり、電車や力車が行き交う。歩道と車道を分ける街路樹が風に揺れており、涼しそうな風情ではあった。もと、ここを走る電車は馬車鉄道であったが、戦争中に路面電車になった。

色々な方言が入り乱れているここは東京の地方中心地である。地方出身者は上野や浅草に中々近寄りがたく、この新しい街にこそ集まっていた。成功者と成功者を目指す地方出身者は、たいていここに集まる。

うっかり帽子屋で洒落しゃれた帽子を買い、良造は藤子を捜して歩いた。正確な住所など分からぬが、まあ見つかるだろうとのんびりしたことを思っている。

たまには繁華街に出るのもいい。

藤子の姿を捜しつつ、ゆっくり歩く。

くだらないことを話しに来たと言って笑われるだろうかとも思ったが、ただ優しく笑ってくれる気もした。おそらくは後者だと思うから、東京まで出てきた。

時間が時間か、道に出る酔客すいきゃくが増え始めている。酒を一、二杯、つまみを一品たいらげて店から店へと渡り歩くのが、最近の流行であった。酒を飲んで大声で歌いながら歩く学生もいる。一緒に歩く年上の女は世話を焼くのが楽しいようだった。目があう。

藤子だった。

藤子は学生に抱き付かれ、着物の胸元に手をいれられている。笑っていた。

目線をそらし、帽子をかぶり直して人混みの向こうに行く。

そういうことならば、何も俺を誘ったりしないでも良かったのになと思った。

急に人混みがわずらわしく感じられ、良造は宿に帰って金を払い、馬と一緒に夜を走った。

あいつも姉や妹と同じだなと負け惜しみを思った後、いや、あれの方がずっと賢いかとそう思った。愚かなのは、子供のようだったのは自分であった。

いっそ愉快だ。

なんだか泣けたが、泣くのはやめた。塹壕で人を斬り殺し、耳をやられながら土をかぶったのは、ここで泣くためではないと思った。

いっそ愉快。いっそ愉快。

心の中で念仏ねんぶつのように唱えた。

富士号は老年にも拘わらず良く走り、今でも軍馬で通用しそうだった。富士号は習志野へ向かって道を駆ける。大陸の野、大陸の夜。それらと違って日本は平和だ。平和だから、どうでもいいことで悲しくなるのだ。

騎兵の皆で金を出し合って立てた馬魂碑ばこんひに立ち寄り、人に劣らず膨大な数死んだ馬達の冥福めいふくを祈った。

家に帰ったが余り眠ることが出来ず、自分は阿呆だなと考えた。塹壕の中の方がよく眠れたというのでは余りに情けない。

翌日。出勤。

出勤して馬の鬣をうまいこと垂らそうとブラシをかけていると、周囲の自分を見る目が変わっているのに気付いた。

自分がひがみっぽくなっているとも思ったが、どうもそれだけではない。

勲章の件かと、うんざりする。クロパトキンのおじさんはちょっとした冗談のつもりだったのかもしれないが、良い迷惑だった。

いや、ここは迷惑と思う方がおかしい。あのおじさんとしては煙草をくれたのと同じ気分で勲章をまわしてくれたのだろう。一度言葉を交わした程度で名前や素性まで調べてきたその諜報能力には恐るべきものを感じるが、本質的にはただの親切だ。

訓練を監督し、少尉に乗馬を教える。歩兵少尉として任官されたあと、騎兵に移ってくる者もいる。そういう者に乗馬技術を授けるのがここ最近の良造の仕事である。日本では生まれに拘わらず乗馬技術を持っている者は非常に少なかった。

同じく乗馬技術の教育にあたる下士官達を率い、生徒一人に先生一人という形で短期集中で乗馬を教えるのである。閲兵式の関係上、将官に教える事もある。

一番難しいのは、基本馬にゆだねるという初歩の初歩である。人間が馬の主人のつもりで振る舞うと、まったくといって良いほど馬は動かないのだが、一度偉くなった人間は謙虚さを失うものらしく、馬を歩かせる事に苦労していた。

無論、立派な人間はどこにでもいて、一度で馬を歩かせるような将官もいる。

語りぐさになっているのは乃木希典のぎまれすけという将軍で、この人物は僅かな訓練で直ぐに馬を使いこなしたという。騎兵は馬を通じて人物を見るところがあり、だから乃木将軍について好意的な者も多かった。

訓練を終え、事務作業を行う。多くは生徒の馬術についての評価である。騎兵を目指して他兵科から志願する者も、この評価いかんでは原隊に戻される可能性がある。が、他の評価との兼ね合いで不適合な士官が残されることもあった。出身地の問題はこういうところにも影を落としている。長州ちょうしゅう生まれは得だった。

最終的には無視されるであろう生徒評価を書きながら、良造は仕事を辞めることを考える。ここ最近、そればかりを考えている気がした。辞めてどうする、どうなる、自分は何をしたいんだとは思うが、答えはもう出ているとも思った。

軍を辞める。

そう、決めた。決定的な辞める理由などなかったし、不満というものもどこの世でもありそうなものばかりではあったが、辞める事と決めた。全ては辞めてから考えようという気になった。

ついでに日本を離れるかとも思った。そう思うと、心が沸き立つのを感じた。いっそ愉快であった。ある意味おじさんに背を押されたようなものだと思った。勲章の件がなければ、一年だか二年だかは我慢して過ごしていたかもしれぬ。

仕事を辞める事を決めると気分が軽くなった。その日の仕事を終え、家に帰る。