遙か凍土のカナン
第一回
芝村裕吏 Illustration/しずまよしのり
公女オレーナに協力し、極東にコサック国家を建設せよ。広大なユーラシア大陸を舞台に、大日本帝国の騎兵大尉・新田良造(にったりょうぞう)の戦いが始まるー。
愛する曾祖父母に
この世の全ては、一人の可愛い女がいれば大抵どうでも良くなる。
お付きがいない世界
公女オレーナは深窓の令嬢であった。深窓の令嬢たらんと教育されていた。
出自を嫌われてか乗馬は許されず、銃の撃ち方も用兵も教わる事がなく、只々飼い主の顔色を窺い、レースを編み、ダンスを嗜み言質を取られぬ喋りを磨きドイツ語の勉強を強いられ続けた。いつしか顔に笑みが浮かばなくなり、物憂げな目をするようになった。太陽の下におらぬものだから、鼻の上のそばかすは消えてしまったけれど、代わりに白蠟の人形か白磁の陶器かという風に、肌がどんどん病的に白くなっていった。そしてそれこそを喜ばれた。
鏡を見ながらため息をつく。両手いっぱいに向日葵を抱え、どこがどうだか分からぬまま歩き続けた幼い日を、オレーナは窓の外を見ながら思い出す。別に怖くも無かったし、飼い主が言うほど不幸でもなかった。どこがどうだか分からぬでも、どこかにたどり着いた先で農作業をしていた大人たちは親切であったし、何より行く先を指示などされなかった。
行く先を指示されるのは嫌いだ。オレーナはそう考える。見世物になるのも嫌だった。さらに数年が過ぎオレーナが美しくなるごとに、走ることなど覚束ないような長いスカートを穿かされるほど、その表情は沈み、窓の外を見ることが多くなった。美しくなるのは彼女の願いではなかった。
心の慰めは幼いウラジミールが心配げに様子を見にくること、それと一緒に平民出の将軍が遊びに来てはマッチ棒を組んで家を作ったり、あるいはシベリアの珍しい犬を連れてきたりすることだった。
平民出の将軍は、齢そろそろ六◯になる。素朴な質で素朴な事を笑われる事も多かったが、オレーナもウラジミールも、この将軍が大好きであった。直ぐに魚を食べさせようとするのには閉口したが、それ以外に不満は無かった。
将軍から用兵を教わりだしたのは一二の頃、古代ギリシャの戦いを例にしてであった。飼い主に見つかればただでは済まなかったろうが、将軍は素知らぬ顔で教え続けた。また、屋敷を出ることができぬ彼女の目として、世界の珍しきを教えもした。
それで、彼女の心に翼が生えた。いつしかオレーナは、己の翼で飛んで行くことを夢見るようになった。夢を見るだけでなく計画し、ゆっくり準備を整えることもやりはじめた。夢を夢で終わらせるのが、嫌で嫌で仕方なかった。心の中ではオレーナは将軍であった。公女将軍である。
公女将軍は考える。勝算はある。一つは順調に馬鹿を作っていると飼い主が思い込んでいることである。もう一つは敵国である。
なるほどこの国はいくつもの子午線をまたがって存在する大帝国だが、未だ征服されぬ国もある。抵抗をやめず、武器をとって戦う、愚かかもしれぬが立派な国もありはする。そこに逃げ込みさえすれば、追っ手はかからぬはずだった。逃げ込む先は異教徒の国故、天国とは言えぬであろうが、おとぎの国くらいではあるだろう。そんな事を考えた。
最後の勝算は、自身の美貌だった。望んでなったわけでも願って磨き上げたわけでもないが、多年に渡り苦手ながらも訓練は受けてきた。これを予備兵力として決戦を挑まんと考えた。
私は悪凶。オレーナは思う。
自由のために身を捨てる。自由にはそれだけの価値がある。
手紙
藤子様へ
男子一生の仕事と書けば笑ふ者もいると思ひますが、余はその様に思って奉職を続けて参りました。
大した理由から騎兵を目指した訳ではありません。たまさか麴町にて立派な糞をする馬を見て、それを笑ったからです。郷里にて馬の世話をするのも、陸軍にて馬の世話をするのも、大して変わりないと思ひ、それで騎兵になろうと兵舎の門を叩きました。駒場の農学校を蹴って軍人となる変わり種は余しかおらず、かえって良い気分でいたものです。
誰も余を知らぬ場所へ来ると自分でも気付かぬ自分が現れるものです。余の場合、無口で静かな学生だと自分で思っていたのですが、実際兵舎では好く酒を飲み、大声で話すやうになっておりました。その頃の粗野な余と出会っていたならば、このやうな手紙をやりとりする仲にはなれていなかったかもしれません。
とまれ、二十歳と年は行きすぎておりましたが、幼年学校も出ていない者としては上出来の首尾で騎兵学校に入る事が出来、以来十年奉職を続けて参りました。
が、もはや陸軍は変わってしまひました。いまだ戦勝に浮かるる日本も変わってしまったやうに思えます。
余は死ぬ時を間違え、時流に残されたのやも知れませぬ。いや、どうでもいい。気に食わぬものは気に食わぬ。ただそれだけで良いと、思ひ定めるに至りました。
この上は職を辞し、国を捨てます。余は日本を貴方と同じく愛しておりました。好きで居続けるために、遠くへいってみやうと思ひます。
第一章 鉄嶺遠く
明治三八年。一月二五日。唯々快晴。遠く鉄嶺がくっきり見えるほど。雲一つなかったが、これは上空の風が強いせいと思われた。夜明けの気温はマイナス三〇度。時間と共に気温は上がるだろうが、昼過ぎでも零下になるのは確実だった。起伏ある荒涼たる大地には草木少なく、僅かな草も地面に這って雪の下に隠れていた。
払暁と共に陣地のこの辺りまで準備砲撃が及んでおり、頻繁に土が巻き上げられ、稀に凍った土が肩に落ちた。
兵はじっと石のように塹壕にへばりつき、小銃を構えている。銃剣を着剣してやりたいが、兵の持つ三十年式騎兵銃には銃剣を装着することができなかった。
腹の下の土が容赦なく体温を奪うので、それぞれ工夫して何かを敷くのが人気であった。戦闘という事で打ち捨てられた近所の民家から壁土をほじくり、藁などを取り出してこれに充てる者も多かったが、中には燃料や建築に使う木材をちょろまかして使う者もいた。
塹壕で敵の襲来を待つというのは退屈な死を待つ作業である。今、運悪く砲弾が近くに落ちた。何人かが吹き飛び、塹壕が少し崩れる。直視できるほど状態の良い遺体は稀だった。急いで遺体を収容する。死体を見れば、兵の士気は目立って下がり始めてしまう。
一時間ほども続く攻勢前の準備砲撃は少しずつ規模を大きくし、命中の精度をあげているように思えたが、そんな状況でも騎兵中尉新田良造は馬の世話を手ずから行うために半地下の馬房に向かっていた。
新田良造。良三、とも書く。江戸時代の延長としての明治時代、この頃よほど家格が高くなければ、名前に決まった漢字は使われていなかった。その日の気分や書きやすさ、思想というもので書く本人が変えることもある。
秋田の名主の出、その三人目の男子だから本来は良三であろう。だが本人は明治三三年以降、一貫して良造の字をあてるようになっている。
明治三三年といえば足尾鉱毒事件に対して政治家田中正造が国会で大演説をし、評判になった頃である。この時二二歳だった良造は、田中正造の気骨ある生き方に感銘を受けたようである。田中正造の名より一字を拝借し、以後、良造を名乗ったと思われる。
良造が良三であった幼年時代は、男の子の多くがそうであるように病弱であった。母は弱いこの子を溺愛し、父親はかえって弱く育つのではないかと、心配した。
父親は良三と母親を引き離すのに苦心した。子供の時分は遊ぶのが仕事と妻に言い聞かせ、一方で自身の兄であり、良三からみれば伯父にあたる遊び人に、その世話を頼んだ。弟に全部を任せる形で楽隠居している人物で、村内の評判は必ずしも良くなかったが、良三の父は兄をどこかで信頼していたようである。
万事に飽きっぽく、田畑を守るには向いてない伯父であったが多趣味で物知り、ついでに良三はこの伯父にひどく懐いていたから、この仕置きは上等であるように思われた。
以後しばらく、伯父は幼い良三を連れて村のあちこちをさまよっている。
この頃良三が覚えたのは魚釣りと馬の世話である。これらは共に、彼の一生の趣味になった。物心ついてからは農耕用の馬を世話し、遊び人だった伯父に連れられて釣りを覚えている。
御一新から二〇余年、巷には士族が溢れ、彼らにとっては手頃な事業ということで道場が乱立するようになっており、七つにもなると良三はそこで行儀や基本的な物書き、漢文の他、剣術も教わるようになった。幼少の病弱さは影を潜め、近所の大将格であったようである。良く人を引き連れて走り回っていたという。
頭のいい子というのは、まあ、どこの子供にでも使われそうな褒め言葉である。良三もそんな言葉で可愛がられた。他と少し違ったのはその言葉を真に受けて、母親が良三を学校に入れようとしたことである。
これには父も、反対しなかった。歳の離れた兄たちが土地を相続することになっており、良三は何も相続できなかったが、これを不憫に思って、良三をきちんとした学校に送ることとしたのであった。中学に進み、それなりの成績で卒業したのちは、上京を許し、そのための金子を用意している。
良三は上京後農学校に入るはずだったが、なぜか入ったのは軍であった。徴兵は二〇歳からだったが志願では一七歳から軍に入れたのである。母の当惑を別にして良三はそこで優秀な成績をあげはじめ、幹部候補生となった後は将来の士官として教育を受け急な階段を駆け上がるように進級した。
日露戦争を睨み、陸軍は大量の尉官を必要としていたのである。良三が良造に署名を改めた頃には騎兵科に進み、馬と再び付き合うことになった。
馬房は最前線にも拘わらず立派なものであった。穴を掘り、木組みをし、さらに上から土を盛り、蹄が濡れると一大事と床にも木材を敷いていた。人間より余程強固に守られている、それが明治の軍馬であった。江戸という長い太平の時代を経て日本の軍馬生産能力は激減し、また品種改良も長らく行われておらず、明治のはじめには、種馬の輸入からやり直しという状況だった。そこからおおよそ四〇年近い時が流れた今でも、軍馬の生産はあまりうまくいっているとは言えず、輸送馬はまだしも騎馬となると月に一〇〇頭がせいぜいで、コサックを中核に一度も絶やすことなく連綿と軍馬の生産と改良を続けていたロシアとは隔絶した差があった。
頭の上に落ちてきた凍った土塊を邪険に払い、飛び降りるようにして馬房に入る。
緊急時にて馬の世話などしている場合かと歩兵ならば言うだろう。だが騎兵には騎兵の理屈がある。今、この時こそ世話をせねばならぬ。
砲撃や吶喊の音には慣らされてはいるが、それでもたまに軍馬は怖がることはあった。元来自らの影にも驚く臆病な生き物である。それを人間同士が殺し合う凄惨な戦場で使うためには手間暇と、なにより愛情が必要だったのである。
元来人間同士の戦いに関係ない馬を戦場で走らせるには、馬に好かれねばならぬ。馬が進んで危険に向かって走るような、自然の摂理を曲げるだけの人間への愛情を馬が持っていないといけない。馬が本能よりも人を助けようと思うから、軍馬というものは成立する。
それを一言、訓練の結果と言いたがるのは、馬とのつきあいがないためであろう。良造はゆっくり尻尾を振る馬たちに微笑み、背を叩き、なで、飼い葉を見、馬糞を掃除するまでやった。本当は各馬の調子も見てやりたかったが、それだけの時間はなかった。そこは同じ騎兵科の当番兵に任せるしかない。騎兵士官は代わる代わる、馬の面倒を見に来て馬の士気がくじけぬよう、努力をしていた。
馬たちの吐息か、馬糞の熱のせいか、馬房は少し暖かい。そのせいか分厚い手袋をつけていても、両手指がかゆかった。軽い凍傷だと分かってはいるのだが、どうにもできない。熱い湯に手を浸すのが一番の養生と心得てはいるのだが、湯も火も薪も貴重品であり、早々にありつくことは出来なかった。
馬の白い息を見ながら、背を撫でて寒いなおいと話しかけた。馬は耳を振って返事した。まったくもって良く出来た馬であった。戦争が終わったらこの馬の払い下げを受けようかと思うほどである。
「今日、釣りの散歩はナシだ。ごめんな」
そう言った後で、言葉を続ける。
「いよいよ敵の攻勢だよ。お前達。報告は何度もしたのに結局何の応援も来なかった」
良造は笑いながら言った。人間を心配してか、馬は良造に頭をすりつけ、気遣った。
「せめて走らせてやりたいが、どうにも敵が多くてな。ちょっと苦労かける。悪く思わないでくれ」
良造が鼻面をなでながら言うと、馬たちは心配するなと尻尾を振りながら頭をすりつけた。良造は泣きたくなったが、当番兵たちが居る手前、微笑むだけで我慢した。
また一緒に走ろうねと、子供のように手を振った。
実際一発の砲弾で馬が全滅したり、自分が死んだりすることは充分にありえたが、一流の騎兵が馬に接する時には、憶測や大人の都合を都合良く棚にあげるものである。良造は一流の騎兵だった。馬房を出た後で、俺は生きられるかなと考えた。
無論、生きたいのは生きたいのだが日本が滅んでしまったら、それどころではなくなる。最悪死んでも日本を守りたいというのが、概ね日露戦争に参加した将兵の思いだった。逃げる先があるから逃げる選択もあるのであって、祖国がなくなるとなれば選択の余地もない。ここに疑問を持てるほど明治の人間は楽観主義ではなかった。亡国の民の辛酸は日本を訪れる外国人達の話を聞くだけで想像するに余りあり、周囲を見れば蹂躙され戦場になり植民地と化したところばかりである。そうならない唯一の手段は、自ら蹂躙する方になる、だった。
良造は少し迷って馬房の端、私物の釣り竿の横に自らの騎兵刀を立てかけると、軽く手を振って塹壕に戻った。
砲弾などないかのようにのんびり帰る良造を、兵士達がバカを見るような目で尊敬している。
薄く笑い、余裕たっぷりに肩に降ってきた土を払い塹壕の中に入った。もう少し余裕を示した方がよかったかなとは少し思ったが、手が震えているところなど見られると馬より先に人間の士気が崩壊しそうであった。国が滅ぶくらいなら死んだ方がましと分かっていても、怖いのも辛いのも嫌で逃げ出したくなるのが人情である。だが逃げては、人間らしくはあっても軍人ではない。そこは軍馬と同じであった。即ち国家同士の戦いに関係ない人間を戦場で走らせるには、人間に好かれねばならぬ。人間が進んで危険に向かって走るような、自然の摂理を曲げるだけの国や士官への愛情を人間が持っていないといけない。人間が本能よりも部隊や国を助けようと思うから、軍人というものは成立する。
それを一言、訓練の結果と言いたがるのは、人間とのつきあいが薄いためであろう。
人間が人間として在り続けるために士官は存在する。
今のは秋山支隊の指揮を執る旅団長、秋山好古少将がふとしたおりに良造に漏らした言葉である。良造はこれを、士官の極意であると思っていた。そうか、兵も軍馬も同じだなと思い始めてから、良造は士官として才能を開花させている。即ち、超然と振る舞い馬に対するように兵に接し始めてから俄然、部下がついてくるようになったのである。
この頃の兵は戦争体験として頭のネジが外れたような剛胆な士官を面白おかしく語るのが常であった。明治の日本兵は超然とした士官こそを愛したのである。そこにはただの人間にではなく巨人、超人に指揮されたいという願望が幾分か交じっていた。
「お疲れ様でした」
塹壕に入って悠々と敵方を窺いだすと、にやりと笑いながら下士官の土肥が水筒を渡しながら言った。軽く頷き、水筒を受け取る。沸かした後、腹巻きの下にでも入れていたのか水はぬるく、実にうまかった。本邦とは異なり雪や冷たい水はてきめんに腹をこわしたから、このぬるい水はありがたいものだった。
「もう少し余裕を見せたがよかったかな。釣り竿を持った姿を見せるとか」
「いや、充分でしょう。長く立っていたら手が震えているのを見抜かれていましたよ」
「ああうん。それは自分も思った」
良造がそう言うと、土肥は笑った。日露戦争が始まった頃、ふらりと転属してきた男である。大阪からの転属であるという。その割に上方の訛りがないのが印象に残る、気の利く下士官で良造は真の剛胆とはこの軍曹の事を言うんだな、とつくづく思った。兵は士官の噓を信じればいいが、下士官はそうもいかないのである。
馬で言うなら、乗り手の不安も分かるような出来た馬だ。良造は目を細めて敵方を窺う。土肥軍曹が居てくれて本当に良かったと考えた。良馬が騎兵にとっての親友であるように、良造にとって土肥という軍曹は親友である。土肥もそれを分かっているようではあって、たまに軽妙な事を言った。そんな仲ではあったが、互いに友人であるとは確認したことがない。私事でも決して関わったりはしない。馬と人が友達だよねと言い合えないように、下士官と士官という立場の差が確認を許さないでいた。
「それにしても、この寒いのに攻撃してくるなんざ、露助さんは何考えているんでしょうかね」
それは良造も思っていた。暢気な感想ではなく軍事技術者の冷静な意見として、銃砲の発達した現代でこの気温での攻撃は手軽な自死行為にしか見えなかった。
敵は交通壕を掘り進めてくるでなく、直接地面にへばりついて寄って来ようとしている。それこそが、自死行為。科学技術によって火力が増大した現代の戦いにおいての悪手である。
この寒さでは交通壕を掘る事が難しい。この地は本邦では考えつくことが出来ないほど、何もかもが凍り付いている。地面ですら凍り付き、年が改まってからは陣地を拡張しようにも、一日七センチしか掘り進むことが出来ぬほどだった。歩兵の持つシャベルではなく、工兵の持つツルハシを用いての話である。ツルハシを振るえば数分で手が痺れ、金属を叩くような音にめげるのだった。この状況では普通に考えて、攻勢は無理。敵の陣地にたどり着く前に全滅する。出来たとしても損害を高く積み上げることになる。
思えば準備砲撃というものは偉大な鉄量の無駄遣いである。何百発撃っているか分からないが、着弾後の衝撃波は並行に進むので塹壕に身を隠す限りは損害が少なく、意味が薄かった。ただ、見た目には効果があるように見える。実際の被害はともかく、一日かけて七センチ掘れるかどうかの凍土を、デコボコにできたからである。その上を這って進むのだから、歩兵というものは大変だ。
彼らの考える準備砲撃が終わったのか、遠方では緑がかった軍衣をつけた男達が、へばりつくように姿を見せ始めている。それが即ち良造の敵、日本の敵であるロシア軍であった。
良造はもう少し引きつけろと言った。土肥や伍長、一等兵たちが伝令となり、良造の言葉を伝えていく。大声を出せば聞こえそうな距離ではあったが、あいにくこの日は雪の代わりに砲弾が降る日である。伝令がなければどんな命令もまともに伝達するのは無理だった。
近づいて来る敵は、五〇〇ほど。一個大隊ほどもいる。対してこちらは中隊。定数を割って久しく、人数は一〇〇名を僅かに超えるほど。
敵味方の顔が識別できるほど、距離が短くなっている。良造は片手を軽くあげた。一列に並び塹壕に隠れた兵達が一斉に銃を構え直した。
寒さにめげそうな顔で、髭面の親しみやすそうなロシアのおじさんが匍匐前進している。瓜のような下ぶくれの長い顔が郷里の伯父を思い出させ、良造は嫌な顔が表情に出ないように苦労した。交通壕を中腰で走るのと比べて、匍匐前進はひどく遅い。お陰でおじさんが恐怖で蒼白な顔をしているのまでが見えてしまった。
緑色の軍衣の兵達が突撃のラッパの音と共に立ち上がり、銃撃を加えながらこちらに走りこようとする。もっと匍匐前進を続けた方がいいのではないかと思ったが、敵は時限でも切られているのか、遠目の距離で突撃を敢行した。
手を下ろす。遠目とはいえ、騎兵銃の有効射程をかなり割っている。十分な命中を期待出来た。
最初の一発は全員が一斉に撃った。耳をつんざく音が走ると緑色の軍衣に赤い花が咲いて、ばたばたと勇敢であったであろう誰かの父が、兄が、弟達が倒れていった。
おじさんは無事だったか。自身は銃を持たぬ良造は、そう思いながらじっと凄惨な現場を睨み続けた。兵は射撃に夢中であろうから、今この時は厳しい顔をしていてもいい。
次発からは各々勝手に撃つので射撃にはばらつきが生じる。昔と今の違いである。昔、銃が単発の頃は一斉に打ち続けるのが果たされえぬ一つの目標だったが、革命的とも言えるモーゼル式の手動遊底旋回式小銃が流行してからは、変わった。挿弾子による弾込めの時間が劇的に縮んだこともあり、一斉射撃には誰も拘らなくなった。
個人的に交換する時間はあれども、概ね正面を間断なく銃撃し続けることが出来るようになったのである。攻勢をかける方としては損害が跳ね上がる事を意味し、突撃は巨大な損害を覚悟して行う一大事業になりかけていた。
地を揺るがすウラーの声と共に始まった五〇〇人規模の突撃は一〇〇名ほどの小銃射撃で破砕され、敵は組織的な動きを失ってばらばらになって後退した。
敵が去った後は凍土の上は緑の軍衣と血によって春がきたかのような有様になっていた。ただ、凄惨な春ではある。うめき声が満ち、ロシア語で神だか家族だかへ祈る声が響いた。
いつのまにかおじさんの姿は見えなくなっていた。
良造は内心をよそに勝利の笑みを浮かべる。突撃を破砕し、一息つけば、兵は指揮官を見るものと相場が決まっている。兵がやっていることは少しも間違っていないと、態度と表情で示す必要があった。
「よくやった。五倍する敵の攻勢を破砕したぞ」
「今日はまた、随分強引に攻めてきますね」
ねぎらいの言葉を受けた後、土肥はうめく敵を眺めながら言った。一番近くで倒れている敵は、三○mも離れていない。一発の銃弾では仕留めることが出来ず、四、五発がその身に撃ち込まれていた。
まだ生きている味方に遠慮してか砲撃はやみ、そのぶんうめき声が良く聞こえる。
「敵さん、こんなところ攻めてどうする気だ?」
「日本軍がいたから叩きに来るんじゃないですか」
良造は土肥を見た。面と向かって下士官の間違いを指摘するのは士官にとって勇気のいる事業である。へそを曲げられては大弱り、うまい言い方を考えねばならぬ。
「ところで軍曹は将棋はやるかね」
「多少は。縁日で賭け将棋をするぐらいですが」
「意味のないところに歩を打つかね」
「そいつはヘボ将棋ですな。あー、なるほど」
土肥はうなずいた後、良造の心を理解したかのようにうなずいて口を開いた。やはりこいつは良馬だな。
「敵の将軍にヘボがいるんですかね」
良造は目を白黒させた。その発想はなかった。
「冬なら勝てると思ったようなヘボがか? いや、ナポレオン戦争時代ならともかく、現代国家の将軍にそんなのはいないだろう。そうだな。持ち時間が一杯になったのかもな」
「ああ。それでヘボと分かっても一手打ったと」
「多分な。本邦でも銃後の気勢のいい連中に叩かれて腰を上げるってのはある話だ」
「そう思えば敵も哀れですな」
「兵に聞かせるなよ。士気が下がる」
「了解しております」
土肥はにやりと笑って、現有戦力の把握に入った。忙しい下士官が雑談に長く付き合うほど自分はそんなに参った顔をしていたかなと良造は思う。敵の顔をまじまじ見ていたのがいけなかったのかもしれなかった。
祈りの声が弱々しい嘆願の声にも聞こえる。ロシアの言葉は分からぬが助けてくれという風にも聞こえ、良造は忌々しい気分で敵情を見る。助けてやりたいのは山々だが、まだ戦闘が終わっているという雰囲気ではなかった。
間接照準のため敵の砲兵の姿は見えないが、砲兵が無事なのは確かである。脅威は、まだ去ってない。敵は丘と言うにはなだらかすぎる起伏の向こうに陣取って善後策を立てているのかもしれない。砲兵が無事なうちは、敵はまだまだやりようがあると考えているだろう。
報告のため、土肥が走ってくる。
「戦死五、負傷七、いずれも大砲によるものです。敵ですが、おそらく二〇〇ほどが戦場に遺棄されております。半数以上、どうかすると四分の三は生きている模様です」
「良く当たったんだがな」
小銃を撃つ真似をして、良造は言った。
「有坂銃はどうも弱いようで。訓練の時使ってた村田銃が懐かしくはあります」
明治三○年に採用された銃を、三十年式歩兵銃と呼ぶ。この頃は年式で呼ぶよりも、設計者の名から有坂銃と呼んだ。海外でもこの呼び名を借りてarisakaライフルと呼ぶ。この歩兵銃を馬上での取り扱いを良くするために短くしたのが三十年式騎兵銃である。これもまた有坂銃と呼んだ。国内ではこれらの銃を有坂の後を継いだ南部麒次郎が改良して新式としたが、これまでの通例から南部銃と呼ぶには前作に似すぎていたことから南部銃とは呼ばず、年式で呼ぶようになり、有坂銃の名は廃れた。
騎兵銃は馬上では使うまいと銃剣の装着は想定されていなかったが、今、下馬して歩兵のように戦う限りにおいては、威力不足もあって銃剣の必要性が痛感された。一番近くで倒れた敵までの距離は三〇mである。もっと引きつけて射撃をしていれば、一部は塹壕に届いていたかも知れなかった。そうなれば肉弾戦となり、損害は激増していたであろう。
「射撃開始をもう少し遠くした方が良さそうだ」
「そうですね。殺傷力がこれくらい、となると場合によっては敵が陣地内になだれ込んだかもしれません」
「分かった。敵から遺体収容の使者は来てないだろうか」
「はい。いいえ。来ておりません」
報告を聞いて良造は頭をかく。
どうやら敵は、本気で戦闘を続けるようだった。
この日、奉天の南で長く対峙を続けていた戦線に大規模な動きが起きていた。
兵力の少ない最左翼に、ロシア軍が大規模な攻勢をかけてきていたのである。後にこれを奇襲と称するが、ロシア側はともかくとして日本側からすれば数日前からロシア軍騎兵が活発に動いていることは何度も報告されていた。現地部隊は歩哨を増やし、対応準備も進めていたから、だからこれは、奇襲ではない。強襲である。
それでもこの戦いを公表する際奇襲と称したのは、日本側の都合によるものである。日本軍は兵力を払底させており、ロシア軍が攻勢を開始する前日に左翼に増派することを決定したものの、その数は二万人ほどであった。これは予備のほとんど全部であり、言い換えれば日本軍は全力をあげて対応していたことになる。この一点を指しても奇襲されたというのは事実に沿った表現ではない。
それでも奇襲されたという形にしたのは、予備がそれだけしかなかったという形を隠すための修辞である。兵力がそれだけしかないと、兵力はあったがミスをした、どちらがより好ましい報道かで後者が選ばれたに過ぎない。
日露戦争はニュースメディアの戦争である。当事国だけではなくアメリカでもヨーロッパでも日露戦争の様子は注視され、ニュースは続々配信されていた。これらのニュースは庶民の娯楽やパブでの話題にとどまらず、世界経済に強い影響を与えていた。
特にイギリスは敵の敵は味方という観点から、日露戦争で普通に考えて負けそうな日本に肩入れする立場であり、国をあげた宣伝活動を通じて戦費の原資である日本国債をどんどん購入しているという実状があった。兵力の底が見えたという報道は、この国債の価値を紙くずに変えかねない衝撃を伴うものであり、だから日本は見解として奇襲を受けた、対応が遅れたと言い逃れしていたのである。
後の小説や歴史的評価はこの言い逃れを真に受けての話であり、現代に至るも当時の意思決定に関わった参謀など一部の関係者は無能の烙印を押されてしまっている。
実際は、違った。日本はやれることをやっていたが、兵力も弾薬も足りていなかった。敵であるロシア軍はこの時一〇万の人員をかけて攻撃しようとしていた。増派二万を加えても左翼は三万人には及ばず、日本は予備を使い果たして全軍瓦解の危機にある。
日本軍は左翼が一番薄かった、兵力が少なかったのには理由がある。左翼には川が多く、また狭隘な地形だったので大軍の展開が難しいと見られていたのである。敵が来るなら広い荒原に面した右翼だろう。このため左翼には騎兵部隊を集中的に配置し、状況に応じて機動的な対応ができるようにしていた。実際は左翼に応援を派遣することになるのだが、兵力配置段階では、左翼の兵こそ応援として機動的な運用をするつもりであった。よくよく考えられた布陣である。
この上で最左翼を指揮する秋山好古少将は、地形を鑑みて敵の進行ルートになりえそうな場所を四箇所に絞り込み、兵力を集中的に配備した。新田良造の指揮する中隊も、この四箇所の中にある。
配備された兵はこの戦いの時までに野戦築城にせいを出し、重層的で互いに連結し、助け合う形で強固な陣地を形成していた。強固とはいってもコンクリートなどは使われず、できうる限りという範囲ではあったが、それでも考えられる最高の防御態勢が取られていた。
その上での、今日である。秋山少将は敵が攻めてきたことを知ると、そのまま陣地を頼って戦闘することを選択した。そのための陣地であるから当然なのだが、巷間においては感動的に語られるところであった。騎兵が馬に乗らずに戦うことを悲壮な選択と称した。実際は、状況がそれを許さなかったというだけの話である。ロシアの攻勢が右翼からのものであれば、また話も違ったろう。
予備を使い果たした日本は、今度は他の前線から兵力を引き抜いて対応した。右翼から戦力を引き抜いて左翼に移動するのである。これには異論と反発が多かった。異論を唱えた者の多くは左翼だけに敵が攻撃を仕掛けてくるわけがないと、常識的に考えていた。攻めるなら全面攻勢となるべきで、ロシア軍の兵力の一部だけが限定的に攻めてくるという形は、想定外だった。調整は難航し、様子を見ながらの引き抜きと部隊派遣になったのでこれを戦力の逐次投入という批判もある。難癖であろう。敵が対峙する戦力の内三分の一だけの戦力で攻めてくるなど、常識ではあり得ない。常識でありえなかった行動にロシア軍がでたのは、主として政治が理由であった。
政治は大抵、軍の不合理な動きを生み出す。この時も、同じである。
敵が遺体や負傷者を放置したまま、二時間近くが経とうとしていた。異常な事態である。うめき声がだんだん小さくなるのが、良造の心に深刻な打撃を与えつつあった。
「何をやってるんだ、敵は」
自分たちで銃撃して怪我を負わせておいて、相手が治療されないことを怒る。人間とは身勝手極まりない生き物である。良造も身勝手な生き物の一人だったが、中隊の皆も似たり寄ったりの事をつぶやいていた。このままじゃ死ぬぞ、なんで敵は助けないのだと。
戦闘の合間に食事や用は足されるものである。冷たくなって行くロシア人を前に飯を食うのは、なんとも言えない気分になるものであった。小隊に一人ずつしかいない医療兵が集まってきて、治療をしましょうかと言ってきたのも、その延長であろう。
藤島という小隊長は良造のもとにやってきて、自分が使者となって遺体収容と怪我人の保護を行うように伝えましょうと言った。それぐらい、後味の悪い話だった。
良造は、敵にも都合があるのだろうといい、ついでそれに口を出すのも敵としてどうなんだと言ったあと、黙った。念頭には戦闘時に見た、親しみやすそうなおじさんの顔があった。敵の動きを待っていたら、死者が増えそうな寒さではある、そうなれば、さらに飯がまずくなるだろう。喉も通らないかもしれない。
「仕方が無い、うちで収容できるだけやってみよう」
良造はそう言って行動を起こした。行動を起こし始めてから、こんなことならもっと早く助けてやるんだったと後悔した。人間はつくづく矛盾に満ちている。
さしあたって藤島少尉を使ってロシア人が倒れている前方を捜索させた。毛布と井桁に組んだ木の棒で即席の担架をつくり、人を運ぶ。
銃撃もなければ使者もない。敵はひょっとして攻撃を頓挫したのかと考えた。味方の遺体を捨てて撤退するとはロシア軍のこれまでになかった動きである。敵に手違いでもあったかと思う内、別の中隊が受け持つ側面から攻撃を受けたとの報告がやってきた。
「北側陣地より敵騎兵。襲来。数不明。旅団規模とおぼしき。彼猛烈な攻撃にさらされつつあり」
伝令を受けながら良造はうなずいた。土肥に目をやる。
「軍曹、大隊本部は何を言っている?」
「まだ何も。持ち場を堅持せよ、ということでしょう。しかし、歩兵のあとに騎兵ってのはあべこべですね」
普通、機動力に富む騎兵の方が先に攻撃しても良さそうなものではある。
「騎兵を迂回させて同時に攻撃しようとして、失敗したのかもしれないな」
良造は北側の地形を走らせたことを思い出した。道すらない峻厳な地形である。渡河の難しい河もある。
「確かに。機会をあわせるのに失敗したのなら分かります。それにしたってたいしたもんです。北側から旅団規模で迂回するなんて。噂に聞くコサック軍ですかな」
「おそらくは。それだけ腕に自信があるというところだろう。うちならどうかな」
「落伍三割というところですか」
「いいとこそれ位だな。コサック騎兵は凄いもんだ」
大柄なロシア兵の遺体を集めるだけで重労働だった。良造は息のある兵を優先して集めた。どう考えても助からない兵をどうするかと部下に問われ、そのままにしておけと答えた。殺してやるのが親切だと思ったが、いらぬ噂が立って国際社会がどう動くかは分からない。戦力の払底している日本にとり、終戦の頼みは国際社会の声にこそあった。日本は国際社会において優等生の軍でなければならぬ。
そのままにしておけという決定後、ロシア兵は二時間ほども苦悶しながら死んだ。せめて酒でも飲ませてやりたかったと良造は思った。
事態が動いたのは昼過ぎである。
「敵の猛攻止まず。援軍へ迎へ」
大隊本部からの指令に良造は迅速に動いた。藤島の小隊に後事を任せ、残る戦力で北側陣地へ移動を始めた。
騎兵銃を持ち、連絡壕を身を少しかがめながら走る。歩兵銃より短い騎兵銃は、塹壕を走り回る上では有効な武器だった。その事実に微妙な気分になりながら、良造は塹壕の外に広がる凍土を見る。新しい蹄鉄を履いた馬で駆ければ楽しそうだった。何かをこらえて先頭をきって走る。見殺しにしたロシア兵は、銃撃の前見かけた、親しみやすそうな顔をしたおじさんであった。
連絡壕から塹壕に入る。既に第一陣地帯は蹂躙されており、後方の第二陣地帯で戦闘が行われている。
堅陣に騎兵で突撃するとは冬期の攻勢以上に正気の沙汰ではない。まして北側は地形からして、砲兵支援を受けることが出来ないはずである。それをやってのけた敵の有能さに驚きつつ、敵の損害を思って慄然とした。
良造は想像する。勇敢な騎兵達が叫びながら馬を走らせる。密集して走る馬はどんどん速度を上げる。密集するが故に速度を落とすことはそのまま踏まれることを意味し、馬は恐慌に陥りながら命がけで走る。馬上の兵とて落ちれば死ぬ。時速五〇km以上は出ている。もはや真っ直ぐしか走る事ができなくなった人馬の群れは正面の塹壕から射撃を受ける……。
どれだけの損害を積み上げれば、塹壕に突入できようか。後ろに閻魔様でもいて督戦しているとしか思えない戦いぶりである。
「こと、こんな状況では歩兵による攻撃より騎兵の攻撃のほうがいいのかもな」
独り言を聞きつけて、土肥が苦笑いした。
「交通壕を掘れない以上、速度で補うということですか。いや、うちなら一回の突撃で向こう五年先まで再建できないくらいの損害になりますよ」
「大国だから出来るって話か」
「日本が大国になってもやらんでくださいよ。中尉」
土肥の言葉にうなずいて、良造は手を振る。援軍は第二陣地のさらに後方にある第三陣地帯にまず入る。そこから状況を把握して、進出できそうなら前方の第二陣地へ連絡壕を通じて進出する。
塹壕から顔を出して視察する。敵の姿は見えなかった。敵側とおぼしき人馬が散乱しているのだけが見えた。
どこでどう敵味方が戦っているかまでは分からないが、敵は塹壕に入り馬を捨てて下馬戦闘を行っているようだった。主のいない馬が戦場の中をほっつき歩いている。
この戦い、敵も味方も馬を捨てて戦おうとしている。人類と馬の歴史は何千年にも及んだが、いよいよここに来て別れの時が来たような有様であった。
「敵の後続が見えない」
「途切れた可能性はありますね。後続が歩兵なら遅れているのかもしれません」
「取り返すなら今が機会か」
「どうします?」
土肥の問いに、良造は笑って銃を持った。中隊長自ら銃を持ち、先頭に立って歩くのは陣地が破られたという情報に動揺する部下を落ち着かせる効果がある。
交通壕の案内を、普段伝令をやっている兵に任せ、慎重に走る。直線距離にして一〇〇〇mもない第二陣地への道だが、連絡壕は真っ直ぐ走っておらず、幾重にも他の塹壕と連絡している。そのどれに敵味方がいるか分からないので、肝を冷やす一時であった。
走り、敵かと思えば同じ濃紺絨の肋骨服だった。今となっては旧式の、装飾性の高い肋骨服をつけているのは騎兵ばかりのはずである。落ち着いて顔を見れば別の騎兵中隊の中隊長であった。こちらの部下も銃を構えていたが、彼の部下も銃を構えている。今慌てて双方が銃を上に向けた。前込め銃の記憶が遠くなく、危害が無い方へ銃を向けると言えば上であった。
「新田か」
「加納、そっちは」
加納中尉は良造より年下だが、任官時期が同じ同期であった。気があって良く吞みに行っていたが、加納は妻子がいるくせに芸妓遊びにいれあげて、開戦前からこっち、一緒に行動したことがない。
「こっちも今着いたばかりだ」
「そうか」
これ幸いと情報を交換し、互いに進行する道を決めあった。良造が担当する西側と並んで北側には戦力が少なかった。北側のほうが険しい地形に面していたのである。一方で南側を担当する加納中尉は大隊から機関銃を一門借り受けていた。砲盾を持ち、車輪をつけて引っ張られるそれは随分大きく見えた。本来馬が牽くものだが、ここでは人間が運んでいる。
「大隊からも火砲支援が入る。まずは第二陣地を奪還しよう」
「分かった」
「ところで騎兵刀はもっとらんのか。こういう時のためのもんだろう」
加納は半ばあきれて言った。良造は頭をかいたあと、正直に言った。
「あれを持っていると頭に血が上ったとき、指揮を忘れる。だから置いてきた」
加納の顔をまともに見ることが出来ず、良造は言いつのる。
「大丈夫。郷里から送られてきた餞別で拳銃を買っている」
郷里、秋田の山村において、陸軍士官となれば大出世だった。自分の子息が上京した際に便宜を払って貰おうと、村で作った密造酒を売り、金品を集めて良造に送っている。基本、制服などが自弁である士官にとってこの金品は大変にありがたいものであった。
「その剣の腕を生かさんでどうする」
加納は腰に吊った騎兵刀を外して言った。良造に渡す。
「しつらえは洋刀だが中身は助広だ。本物だぞ」
「こりゃお前のところの家宝だろう」
加納の家は三河から大阪に移り幕臣として続いた家柄である。
「お前の剣の腕は国宝もんだ。それを生かせば俺の家にも御一新の後まで続いた意味はあった。それに、貸すだけだ。生きて返せよ」
戦争が終わったら久しぶりに吞みに行くかと、加納に言われ良造は頷いた。代わりに舶来の流麗なフランス拳銃を渡し、分かれた。部下に手を振り、再び連絡壕を渡る。
これからお国のために殺し合うのにこんな気分ではいかんなと気を引き締め、柄頭を軽く叩いた。
きちんとした測量が出来ていないせいで塹壕は妙に折れ曲がっている。視界が悪いのはもちろんのこと、視界の良い直線では砲で全滅する恐れもあった。半ば狙っての話ではあったが、視界が利かないのは恐怖ではあった。
戦闘騒音が聞こえる。日本語とロシア語の叫び声、野獣めいた声、火薬の臭いに潜んだ血だか鉄だかの臭い。
一気に頭に血が上り、鞘を鳴らして良造は助広を抜いた。二尺五寸の業物は切先が伸びた優しい姿だった。踏み込み、角を曲がる。騎兵銃で止めをさされる若い日本兵の姿が見えた。走り、袈裟懸けで銃を持つロシア兵の両腕を切断した。刀を返さず体当たりし、相手を転がし、振り下げた刀の切っ先で喉も切った。突然の乱入者にロシア兵どもが凍った。
「中尉殿を助けんか」
土肥が叫ぶ。立射と膝射を組み合わせ、騎兵銃を兵が撃つ。三十年式は威力は弱かったがとにかく良く当たり、こういうときには大変に頼りになった。数名のロシア兵が倒れ、その後ろで呆然とするロシア兵の胸に良造は助広を突き立て、引き抜き、肘で別の一人の顎を砕き、睾丸を突いて止めをさした。小便の臭いが漂う中部下が良造を追い抜き、ロシア兵に襲いかかる。良造の部下達は銃剣の代わりに塹壕掘りに散々使ったシャベルを使い、体格に勝るロシア兵の脚にその縁を何度も振り下ろした。
足下が血で滑るといけないので、入念に靴裏を地面に塗りたくり、まったく頭に血が上るのはいかんなと良造は土肥に言った。肘に刺さった何本かのロシア人の歯を指でつまんで引き抜き捨てて、土肥が自分の代わりに最前列に進んでいったことに気付いた。
若い初年兵が、震えている。体格が悪いので伝令に使っていた兵だった。土肥の代わりに、彼が良造の言葉を聞いていた。弁解もごまかしも出来ず、良造は苦笑して逃げるように前に出た。
「殺し、助け、見殺し、殺し」
良造は今日を数えながら土肥達に追いついた。血糊のついた助広を提げたまま、指揮を執った。指揮杖のごとく助広を指し、撃つところを指示した。塹壕の敵は掃討され、ロシア兵数名が銃を捨てて降参した。
良造に続いていた日本兵の先頭列はロシア兵が日本兵を殺しているところを目撃している。言葉が通じぬのをいいことに無視して殺そうとするところを、良造はとめた。
「そして助け」
「なんですかそれは」
土肥が顎髭の生えた細身のロシア兵を虫を見るような目で眺めながら言った。
「独り言だ。各々言いたいことはあるだろうが、我々は国際社会の一員として名誉ある立場を得ようとせんというところだ。お国のためだ、怒りを鎮めろとは言わん。ただ、少し待て。怒りを放つ機会は、今後いくらでもある」
捕虜を大隊本部に送り、塹壕から顔をだして外の様子を見る。第一陣地帯の向こうから、ロシア兵が河の土手を上って来ているのが見えた。今度は歩兵だった。
「ロシアは本気のようで」
土肥は苦笑い。よくもまあ、これだけ動員できると言いたげだった。
「第一陣地帯を取り戻したかったが、敵の方が早かったな」
「どうします」
「決まってる。第二陣地に籠もって戦う」
敵が湧き出すように出てくるのに対し、兵の数が絶対的に足りない。そして中隊には砲もない。多数の敵と戦う手は他になかった。地の利を生かして敵を待ち、銃弾つきるまで戦うしかない。
「分かりました。血を拭く布でも探させましょう」
「すまん」
自分の指をはがすように、良造はゆっくり助広から手を離した。普通数名切れば刃が伸びて鞘におさまらなくなるものだが、まさかの本物か、伸びていないように見えた。一応遠慮もかねて胴を斬ることなしに腕を切ったほかは突いただけだったが、それでも駄目になる日本刀はいくらでもある。
感嘆を覚え、しかし銃の方が好みだなと良造は思った。剣術大会で何度も優勝しながらも、実際にその技を使えば人を斬った感触がずっと残るのが、良造は嫌いだった。
人を殺すなら銃が良い。その夜もよく眠れる。剣では、そうはいかない。
耳慣れぬ音を聞きながら塹壕から目をやると、第一陣地へ向かおうとする敵兵がなぎ倒されている。加納の中隊が連れてきた機関銃が火を吹いているようであった。大量の敵兵が倒れ、生き残った兵も匍匐前進を余儀なくされている。
「探してきました」
「ああうん。前言撤回だ。味方の機関銃が時間を稼いでくれている。第一陣地を取り戻すぞ」
土肥が初めて良造をまじまじと見た。頭を下げる。
「了解しました」
中隊の残りから白兵で陣地を取り戻す切込隊が作られた。軍刀の他、レンコンとも呼ばれた二十六年式拳銃だけを持って行くのである。
良造は流れ上自身で切込隊を指揮したかったが、これはかなわなかった。部下が止めた。止められるほどには部隊士気が回復していた。
切込隊は白石という少尉が指揮し、中隊に先駆けて第一陣地奪還に動く事になった。
レンコンについては極端に威力が不足しているために使用することをためらったが、士官が持つ自前で揃えた拳銃では数が絶対的に足りず、選ばれた。
良造は中隊中程にて連絡壕を駆け足で走り、第一陣地帯に突入した。
先に突入した切込隊が凄惨な白兵戦を展開していたが、押している風には到底見えなかった。ロシア兵の体格は大きく、待ち構えてもいたらしい。銃で倒れている切込隊の者も多く、その中には白石少尉もいた。余程好条件でない限り白兵戦の被害は大きすぎるなと良造は思った。自分の場合は単に運が良かっただけらしいとも。
調子に乗って切込隊を指揮していたら出会い頭に発砲されていたろう。部下はよく分かっている。
「構え、撃て」
大声を出して指示した。
一斉射によって援護射撃で終了した。切込隊の対応で敵が躍起になっていた上、第一陣地帯の塹壕は比較的真っ直ぐで、射撃しやすかった。最初から白兵戦など必要なかったなと思いつつ、良造は生き残った兵をねぎらった。これは自分のミスだ。あたら若い少尉と兵を殺してしまった。
急ぎ、塹壕に残る敵味方の死体を脇にどけ、塹壕に身を寄せて射撃体勢を作る。死体を見せると部下の士気が下がる、それは分かっているのだが、敵が近い。背に腹は替えられない。
号令一下、射撃開始。機関銃で特に遮蔽物もなく射すくめられていたロシア兵は次々撃たれて倒れる。良造は敵が伏せたまま射撃を開始したのを見た。どうせ一気に塹壕に潜り込めないなら射撃戦をしても良いだろうというもくろみに見えたが、他に手がないようにも、見えはした。
敵も撃って来るとなるとそうそう良く狙って撃つことも出来ず、朝の時のような命中率は期待出来なかった。敵の中には工兵、もしくは擲弾兵とおぼしき導火線に火をいれんとする爆弾を持った者がおり、良造はこれらを集中的に狙わせた。爆弾を投げ入れられれば塹壕に籠もっていてもただではすまない。
忘れた頃に砲で撃ってもいないのに、爆発が起きてロシア兵が何人も吹き飛ぶということがあった。充分に長い導火索を用意していたと思われるが、機関銃で射すくめられ、塹壕からの射撃で完全に足が止まり、終には導火索を切断せずに爆弾を抱えた工兵が死んでいたものと思われた。
戦闘は長引いた。落ちる影が長くなり、途中から良造は騎兵銃の弾の不足に悩み始めた。
敵はつきることもなく川向こうからやってきており、視界が悪くなる頃には砲撃まで加わった。おそらくは西側にいた砲兵が、移動したものと思われた。
良造は弾の不足を数名の伝令を通じて大隊に訴えた後、そこら中に散らばる味方戦死者から弾薬を頂戴して戦闘を続行した。ロシア兵の死体が持っていた銃も使われた。
訴えから一時間ほどで八つの飯盒に弾を満載した伝令達が戻り、塹壕に伏せる兵は我先にと弾を受け取った。弾の補給は焼け石に水だったがさらに一時間もすると木箱に入れた弾が届いた。当面の危機は去った。本部は的確に機能している。
当面の危機は去ったものの夜になろうとしている。この頃には横にいる土肥の顔も見分けるのが難しくなっており、狙いもつけずに射撃戦が展開されようとしていた。銃声が聞こえる度にそちらへ向かって銃を撃ち返す、そういう戦いである。
敵が夜陰に乗じて肉薄してきていたら、どうするか。良造は暗闇の中でそんなことを考えた。あるいは敵は、今まさに撤退しているかもしれない。最大の問題は士気の崩壊だ。死体を横に置いての銃撃戦、暗闇を恐れて持ち場を離れ、どことも知れず走って逃げていく兵がでるかもしれぬ。
肉薄にしても士気の崩壊にしても恐怖だがこれといった対策もない。
どうにかいい手はないものかと、答えなきまま悩む内に猫の目のような細い月が姿を見せ、それで少し救われた気になった。心の問題ではない。明るさの問題だった。
お天道様を見るように月を見上げればもやが掛かっているのが見え、天候が変わりつつあるのが分かる。天の助力も、大したことは期待出来ぬのは明白である。
急ぎ目をこらし、敵方を見る。砲撃音は遠ざかり、おそらくは弾が切れたのだろうと良造は思った。敵が対抗陣地を作っていないといいんだが。
目が慣れるのをずっと待ち、うごめいているロシア兵達を見る。月を頼りに動き出したのは、敵も同じようであった。
敵はどうにも攻撃を続けたいらしい。
敵の前進速度は遅い。陣地を捨てて第二陣に後退し、時間を稼ぎ損耗を減らす。そういう手もある。いっそ逆襲に出るという手もある。直ぐに全滅するだろうが、それまでは楽しかろう。ただ騎兵である以上は、馬に乗って死にたい。ここは譲れない。
「激夜になるな」
良造がそう言うと、土肥は闇夜の中で笑った。
「失礼しました。中尉は剛胆でいらっしゃる」
「どういうことだ?」
「いえ、まだまだやる気でいらっしゃるので」
「応射やめ、指示する度に一斉射。暗くなった後は照準をつけないでいい。その場合でも筒は下げるな」
「はっ」
良造は結局、陣地に残って射撃をすることにした。後退も逆襲も、大隊本部が無事である以上、中隊長が適当に決めていいものではない。それでも長く迷っていたのは、あれは疲れて死にたくなっていたんだろうと考えた。死に魅入られていたところを月の女神が現れて救ってくれたのだなと、学生だった頃を思い出して少し笑った。
「構え、撃て」
斉射がはじまる。六〇数えて一発ずつ、二度に一度は一二〇に一発。稀に三〇に一発。これで敵の動きは止まるのではないかと、そう考えた。なぜなら暗闇から飛んでくる弾は、怖い。
怖いなら脚も止まるだろう。死に魅入られたりしない限りは。
いや、向こうは閻魔様もかくやという何かが督戦しているんだっけな。
暗闇の中で部下が射撃を終え、次弾の準備をしている。
特徴的な音を立てながら、槓桿を起こし、引き、空薬莢を落とす。その後せり上がってきた弾を槓桿を押して装塡し、槓桿を倒して装塡完了、射撃の準備を行う。
暗闇の向こうで悲鳴のような声が聞こえる。たまには当たっているような気がした。
「腹が減りましたね」
眠気覚ましか、土肥がそんなことを言った。遺体に囲まれても、腹は減る。これを異常な状態だと、誰かは言うだろうが、実際やれば、糞に似た内臓の臭いがしても鼻は慣れるし腹は減る。暗いせいかも知れない。明るければさすがに食欲もわかないだろう。
「まったくだ」
付き合うことにする。煙草のひとつも吹かしたい気分だったが、火元を狙って敵が撃つ可能性があり、喫煙は禁じていた。
「夜襲までやるならもうすこしこう、月が出ている時がいいんじゃないですかね」
「傍目から見た論理的都合という話なら冬になる前に我が軍は総攻撃しても良いはずだ」
「それもそうですね」
「そういうことだ。敵には敵の都合があるんだろう。うちが広い範囲で攻勢を控えているのと同じだ」
日露戦争の何もかもを狂わせた旅順攻略戦からこちら深刻な弾薬不足に日本は陥っている。先年一〇月頭には弾薬不足から既に攻勢は絶望的な状況になっており、結果日本は奉天を睨む形でロシア軍と対峙する形になった。日々細々と送られてくる砲弾をケチケチしながら、来る攻勢のために備蓄しているのが現在の日本軍の実情であった。足りないのは人材も同じで、日本は兵士に向いていない人材までかき集めて師団を作っている。
敵はどうだろう。やっぱり向こうの皇帝あたりが頭に来て総大将であるおじさんというか黒鳩金将軍をせっついたんだろうか。
交通壕を作らない攻撃は無謀でしかない。攻勢側が五倍の兵力でも撃退されうる。実際今日、一度ならずそれをやってしまった。冬期の攻勢などあり得ないと参謀達が主張する理由はそこにある。
あり得ないことが、起きている。これからどうなるんだろう。
「眠らないでくださいよ」
「大丈夫だ。構え。撃て」
配給の少尉が部下を率い、握り飯を届けに来たのは一〇発も撃った頃だった。懐中時計を見ることがかなわず、正確な時刻は分からない。
死体を踏むなと言う叱咤の声を聞きながら、良造は月が出てくれないかと考えた。
いや、食っている最中は暗い方がいい。人間は都合の良い生き物だ。
射撃する人員を間引き、交替で人員を休ませる。握り飯はどこかで落としたのか、砂が少々ついていたが実にうまかった。兵も士官も、食う内容は変わらなかった。
良造は仮眠の前に煙草を吸った。莫大な戦費で財政破綻の危機にある日本は煙草も専売にしてしまっている。去年のことになる。
二〇本入り、口付きの四種の煙草、敷島、大和、朝日、山桜の他、両切りでスター、チェリー、リリーという銘柄があり、こちらは一〇本入りだった。割高に見えるが両切りは煙草の葉の密度が二倍ほども高いので重さはほぼ同じであった。リリーも山桜も、値段は変わらず五銭である。
良造はリリーの愛煙者であった。口を潰し、唇をあて、ゆっくりゆっくり煙を吸って肺に入れずはき出す。紫煙をくゆらせるとはまさにこれだった。一方兵は値段が一番安い山桜の使用者が多く、肺に煙を入れて早々に寝た。
のんびり煙草を吸うのが好きである。急いで吸うのは好きではない。なにより味がまずくなる。
何事も急ぐのが良い軍人なのかもしれないが、ここを譲る気はない。譲るとすれば馬にだけである。馬に灰が落ちるといけないので、馬に関わるときはけして煙草を吸わなかった。
結局仮眠することもなく、のんびり紫煙をはき続けた。寝るのと同じかそれ以上に休んだと自分としては思っている。