2013年のゲーム・キッズ

第三十七回 息子の嫁

渡辺浩弐 Illustration/竹

それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。

第37話 息子の嫁

NEET BUT NEAT

ドアを開けると、異世界が広がった。カーテンにも壁にもデスクにも、派手なコスチュームに身を包んだ美少女が描かれていた。いやそれはただの絵ではない。彼女たちは全身を動かして飛び跳ねたり踊ったりしているのだった。

空中には色とりどりの熱帯魚が泳いでいた。と思ったら、それらも美少女の、マーメイドたちだった。

「やあ、母さん」

振り返った息子の肩の上にも、身長20センチのメイドが踊っていた。

この空間は彼のセンスをそのまま実体化したものだ。

息子はもう長いこと、この部屋の中だけで暮らしている。いわゆる「ひきこもり」という状態である。ただしうちの場合はよそと違う。この生活が、うまくいっているのだ。

学校にも行かず働きもしないことを許す代わりに、私は息子に2つの条件を出した。

条件その1。私に部屋の鍵を渡すこと。

つまり私だけはこの部屋に自由に出入りできる。

おかげで息子が何をやっているのか、私は全て把握している。服は着替えているのか、食事はちゃんと食べているか、いつでも調べてあげられる。毎日こうして訪問しては隅々まで掃除しているから、部屋はきちんと清潔に保たれている。

かけているメガネをずらして見てみる。と、そこはとてもシンプルな世界になる。壁も、床も、家具も、白一色。息子の着ている服もだ。

息子はオタクだけれど、フィギュアとか写真集とかそういうもので部屋が散らかったりはしない。なぜなら、この部屋に充満している彼のアイテムは全て、バーチャルだからだ。

そう、これが条件その2だ。購入・所有はバーチャルのものに限る、そしてその世界を私にだけは共有させること。

私と息子がかけているメガネはレンズ部分が透明液晶になっている。そこに映像が現れることによって、現実の世界にVRの事象が重なって見える。

息子は一日中、モニターに向かってネットにアクセスして、いろいろなものを見ている。アニメ、アイドル、ゲーム。そして特に気に入ったものを購入して、実体化させる。

この部屋の中は、彼にとって、全ての望みを実現した理想郷となっているわけだ。

その風景を私はこうやって息子と同じように体験できる。息子がこの閉鎖空間の中にこもっている限り、私は胎児たいじをみごもっているような安らかな満足感を味わうことができるのだった。

「食事はもう済んだの? あら」

私はテーブルの上を見て驚いた。

「ケーキなんて。あなた甘いもの苦手だったじゃない」

近づいてみると、それは豪華なデコレーションケーキだった。

「あっ」

思わず叫んでしまった。テーブルの向こうに人が隠れていたのだ。

頭をかきながら立ち上がったのは、小柄で童顔の、美少女だった。肩をあらわにして、フリルの裾から膝小僧を出していた。

「あなた、誰」

「あたしチヨコっていいます。よろしく」

「母さん、紹介するよ。僕の嫁なんだ」

「いつからこんな女を連れ込んでいたの!  そういえば先月からアイテム課金が急に増えていたわ。この女のせいだったのね」

私はすぐに事情を察知した。最近は、一緒に暮らせる、簡単な会話までできるAIキャラクターがいるのだ。

「実写キャラは課金が激しいから禁止だって、あれほど言っておいたのに」

「チョコたんはお金をとるわけじゃないよ。僕たちはお金の関係じゃないんだ」

「だまされているのよ。無料だと思っていても、ほらそのケーキは有料でしょ」

「違うって。ケーキは僕が食べたいから買ったんだ」

「その女に買わされたくせに。だってあなたケーキ嫌いだったじゃないの」

「お母様、それは違いますわ」

少女が口をはさんだ。

「マサオさんは甘いお菓子が大好物なのよ」

「そうだよ。買わされたわけじゃないよ。僕はこのケーキを自分の意志で選んだんだ。母さんは知らないかもしれないけど、僕はずっと前から、ケーキやクッキーが好きだった。チョコたんは僕の本当に好きなものを知っているんだ」

「噓よ!」

私はケータイを出した。震える指でその表面を叩いた。

ふっ、とケーキが消えた。そこに、白い物質が残った。

「よく見てごらんなさい。そこにあるのは、ただのパン。無味無臭のね。私が用意したのよ。あなたはいつもそれに食べ物の映像を載せて食べている。100円くらいのカレーパンとか肉まんが好きだったじゃない。ところがその変な女にすすめられて買っているそのケーキは、5万円もするのよ」

息子は皿の上の白いパンをしばらくじっと見つめていたが、やがて顔を上げた。

「僕の勝手だ。チョコたんは僕が選んだ子なんだ。だから僕は、チョコたんが好きなものを、好きになる。それのどこが悪い?」

「違うわ。そのアイドルは、あなたが選んだわけじゃない。あなたは、その子を、選ばされただけ。そのキャラのもとになった女は、アイドルよ。そろそろ落ち目のね。テレビのワイドショーで見たわ。男関係でスキャンダルを起こして謝罪会見していたのよ」

「僕はチョコたんを自分の意志で選んだんだ! ほっといてくれ母さん、もう、この部屋に入らないでくれ」

聞いたことのない口調だった。私は決心し、もう一度ケータイを叩いた。

しゅん。その少女が消えた。

「おいっ」

息子が立ち上がった。

「返せよ。チョコたんを、元に戻せよ!」

「チョコたんなんて、いないのよ。あなたは一線を越えている。他の女をここに入れることだけは、母さん、許さないんだから!」

「戻せ、返せ!!」

興奮した息子は私に体当たりしてきた。衝撃。どん。私は尻餅をついた。メガネがふっとんだ。風景から色が消えた。

白い壁。白い家具。白い床。みんな、いなくなっていた。アニメキャラも、少女も、そこには誰もいない。

見回したが、息子も、いなかった。

肩をぽん、と叩かれた。

「もういいだろう。終わりにしよう」

私は振り返った。そこに夫がいた。

「あの子はもういない。ずっと、いないんだ。君は流産したわけじゃない。君は、あの子を、自分の意志で、堕ろしたんだよ」