2013年のゲーム・キッズ

第三十五回 聖者の行進

渡辺浩弐 Illustration/竹

それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。

第35話 聖者の行進

WHERE THE SAINTS GO

その日も朝からてくてく歩いていた。国道は緑の多い郊外に入っていた。なだらかな丘を上っている時、道の脇にゴミ集積場を見つけた。僕はそこでいったん列を離れてジャンパーを脱ぎ、ダストボックスに捨てた。

吹き抜ける風が、汗をかいた肌に心地よい。

身軽になって再び歩き始めると「そういえば、もうずいぶん暖かいね」そんな声が聞こえた。振り返ると2、3人が僕と同じように上着を脱ぎ、さっきのボックスに放りこんでいた。

僕の後ろにも前にも、ぞろぞろと歩く人々がいた。この一群だけで数百人はいるだろう。それぞれは一人旅だったが、何かといえば助け合っていた。ケータイを持っている人は位置情報や天候を調べては周りに教えた。お金を持っていない人もいたが、逆に気前がいい人もいた。あまりに冷え込む夜は名前も知らないどうしで一緒のシートにくるまることもあった。

全員、目的地はなかった。ただ、歩き続けていたのだ。

僕はある日、手ぶらでふっと家を出た。行くあてもなく歩きだしたら、同じような人が大勢いたのだった。

寂しくなったら何か喋れば、近くの誰かが応えてくれた。疲れたらいつでも休めばよかった。寝る場所はどこにでもあったし、通りまで出てきて食べ物や飲み物をくれる人も多かった。家族に遠慮しながらひきこもっていた頃より、心も体もずっと健康的だった。

同じ頃、同じように歩き始めた人達が、全国にいたらしいのだ。ひたすら旅を続けているバックパッカーは世界中にいる。日本でも四国あたりでは霊場を何ヶ月も徒歩で巡っている人が常に何万人もいる。しかしこの現象はそれらとは違う。有識者達も首をひねったあげく、「ひきこもり」の反動現象と結論づけた。それで「そとあるき」の人々、と呼ばれるようになった。マスコミは飽きっぽいから、最近は取材のカメラを向けられることもなくなったが。

目の前をばさあっと黒い影が横切って、僕は思わずうわっと叫んだ。転びそうになったところを、後ろの人が支えてくれた。

礼を言うと、ひげ面のその男性は「ははは、カラスだよ」と笑った。

「気をつけた方がいい。普段は人なつこい生き物だけどね、この時期だけは違う。巣で子育てをしているからだ。ヒナに危険が及ぶと判断したら、人間にも向かってくる」

こんなふうに、会話は誰からともなく、誰にともなく始まる。カラスはすぐそばの塀に留まりくちばしを開けて威嚇いかくしていた。僕らは目を合わさないようにわざとそっぽを向いて急いで通り過ぎた。

「気候がよくなって、動物達が活発になっているね。ほら」

と男が今度は真上を指さした。僕は「ひゃっ」と首をすくめた。電線の上を、ネズミが走っていた。

「大丈夫。ネズミは滅多なことでは人間に襲いかかってきたりはしない。あれはイエネズミだね。どこかに移動するところだ。ネズミの場合は、とにかく逃げる。人やネコに一度出くわしただけでも、巣を捨てて、別のところに引っ越してしまう。生まれたばかりの子どもがいても、ほったらかしでね。つまり見殺しだ。カラスとはそこが違う。情が、薄いんだ」

「ネズミも結構頭よさそうに見えるけど」

「親子の情は、知能とは関係ない。数の問題だ。カラスが一度に産み育てるヒナの数はせいぜい3、4羽だ。しかも産卵は年に1回限り。ネズミは、一度に7、8匹、それも年5、6回は産む。そして生まれた子は生後2、3ヶ月で子どもを産み始める。2匹のネズミが1年で1万匹にまで増える計算だ。その代わり、ものすごく死ぬ。天敵に襲われたり飢えたりして、99%は大人になる前に死んでしまう。つまり、ネズミの命は軽いってことだ。家族や仲間の死はやつらにとってそんなに大きな問題ではない。子どもが死んでも悲しんだりはしない」

僕は自分の家庭のことを思い出していた。男は先生のような口調くちょうで続けた。

「魚類や昆虫の場合は、もっと極端だ。卵を何千何万と産む。そしてほとんどの種が、一切、子育てをしない。確率的には、放っておいても生き残りがあるからだ。子孫を残すために、多数を産み放置するやり方がある。逆に少なく産み、その代わり、より生き残れるように面倒を見るやり方もある。そのことを、親子の愛情なんて呼んだりするわけだね。配偶者へのこだわりも、つきつめればそれと同じことだ。つまり、愛とか恋なんていうものはデジタルに定義できるものなんだよ。ところで君はなぜ『そとあるき』を始めたんだい」

「あ、ええ、その、家にいづらくなって。というか、そもそもは中学になってもIQが100行かなくて。これ以上学校行ってもムダだからひきこもっとけってことになって」

「兄弟は?」

「20人です。できのいい2人だけが社会人コースに入りましたけど残りは僕も含めてみんなひきこもりました。あなたは?」

「オレも、ひきこもりだった。うちは兄弟が300人とちょっと。全員、人口子宮産、つまり天然じゃなくて養殖ものだけどな。うちの場合、〝ハズレ〟の子は次々とひきこもり施設に入れられた。そこを脱走してきたんだ」

少子化が進みこのままでは人類滅亡とまで危惧されるようになってから、子作りの方法が大幅に変わった。政府の肝煎きもいりで、腹を痛めずにどんどん子どもを作れるシステムが大々的に稼働しはじめた。たくさん産んで、その中から優秀な子だけを社会に送り出す。できが悪い子には小さな部屋をあてがって一生ネットとゲームだけやっていてもらう。それなら、邪魔にもならないし消費も少なくて済むというわけだ。

「人間もネズミみたいに数打ちゃあたる方式で増えるようになったってことだな。けどネズミや虫や魚の場合、敗者は天敵のえさになったりして生態系に貢献している。オレ達は価値がないのに生き続けている。そこが不思議なところだ。生殖能力は肥大化しているのに、適者生存のフィルターがない。だからやみくもにただ個体数が増えていく。そういう場合、自然界の動物達はどうしてきたのだろうな」

その時、上り坂が急に平坦になり、視界がぱっと開けた。

うわあ、と僕とその男は同時に声を上げた。目の前に青空が広がっていた。

道路はそこで終わっていて、僕らより先に到達した人々がたむろしていた。十数人くらいか。ずいぶん少ない。さっきまで前方に連なっていた大行列は、どこに行ったのだろう。疑問に思いながら見ていると、彼らはさらにどんどん減っていくのだった。

数歩進んで理由がわかった。そこは断崖の上だった。身を乗り出して覗くと、はるか下に、岩に打ちつける波が見えた。岩も波も、ところどころ赤黒く染まっていた。

粉々に飛び散った人間の血肉だった。人々はそこから順番に飛び降りていたのだ。

僕は後ろを振り返ってみた。ものすごい数の人々が、てくてくと、こちらに向かって歩いてくる。いつの間にかずいぶん増えている。その数は何百何千、いや何万かもしれない。みんな目を輝かせ、本能に突き動かされるように前へ前へ、そうこのがけぷちへと歩いてくる。

「わかった!」

ひげ面の男が叫んだ。

「そうか、そういうことだったのか! ああ、これまで自分が何を目指して歩いていたか、ついにわかったぞ」

そしてげらげら笑い始めた。笑いながら先に進み、僕の目の前からふっと消えた。

気がつくと僕も笑っていた。足が勝手に動いた。実に気分がよかった。大勢の仲間達と一緒に、ぞろぞろと、絶壁ぜっぺきの縁に進んだ。

やがて足下の岩が消えた。

落下しながら見た。僕と一緒に落ちていく人々も皆、笑っていた。