2013年のゲーム・キッズ
第三十四回 罪のない世代
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第34話 罪のない世代
SHE IS WATCHING YOU
「ごきげんよう」「ごきげんよう」
正確な抑揚で交わされる挨拶。生徒達は等間隔で、同速度で、みな背筋をぴんと伸ばした同じ姿勢で、進む。寮舎から校舎へ。それぞれの教室に入り、定位置の席にすっぽりと収まっていく。そう、私と同じように。
立ち並ぶ建物も、それらを繫ぐ舗道も、直線と直角のみで構成されている。並木や植木も人工物で、単体の枝振りから全体の配置まで、完璧にシンメトリックだ。風景の全体が、幾何学デザインになっている。
私達一人一人がこの美しい空間のパーツとしてプライドを持っている。髪の長さ、スカートの裾からハイソックス上端までの距離、プリーツの間隔、誰一人、何一つ、乱れていない。これらは強制されているのではない。私達はごく自然にふるまっているだけだ。すると結果的に、他の人達と同じになる。目が覚めたらいつもちょうど起床時間だし、食堂に行くと必ず食べたいと思っていたメニューが並んでいるのだ。
私達はいるべき場所にいる。ここで24時間365日を過ごし、学び、そしてほとんどの生徒は卒業後も一緒に、隣の敷地に移る。そこにある企業のいずれかに就職し、その寮に住まうことになる。引き続きみんなと同じ服、同じ部屋、同じ食べ物で、満ち足りながら、整然と暮らし続けるのである。
ここにいる人々は形質や性質が同じ仲間なのだ。私達は生まれつきの特性によって分類された上で、ここに配置された。人間は遺伝子診断によって1024パターンに分けられているそうだから、こういう施設は少なくとも1024箇所、存在するということになる。図書館で本が分類され並べられているように、人間だって、整理整頓されているわけだ。
昔はありとあらゆる種類の人々が同じ生活空間で暮らしていた。そのせいで、大変に混乱していたそうだ。身長1.5メートルの人と2メートルの人が、知能指数50の人と200の人が、一緒にうまくやっていくなんて、無理な話だ。だからすごくたくさんトラブルがあったという。喧嘩、訴訟沙汰、犯罪も日常茶飯だった。セキュリティーや警備のシステムに多大な費用と人材を割かなくてはならなかった。
午前中の授業の中で、ちょうど「分類前」の時代のことが出てきた。私は質問してみた。
「遺伝子診断技術のおかげで人を分類することが可能になったという話はわかります。しかし、そんな技術がなくても、姿形や性格が似た人どうしでまとめることはできたはずです。なぜ、人類は動物園で肉食動物と草食動物を一緒に飼うような状態を何千年もの間、放置していたのですか」
「良い質問ですね。教科書には載っていないけれど、教えておきましょう。生殖のためです。昔は、『男性』と『女性』が、同じ区域で暮らしていました」
その一言で、教室じゅうがざわめいた。まさか。男と女が一緒だったなんて!
私達にとって「男」は異世界の存在だ。それらを見るためには、海外の男国まで行くか、逆に観光エリアに行って男国からの旅行客を見るしかない。
「体の形状まで違う二つの種族、男と、女が、近くで暮らしている必要がありました。昔は生殖の方法が違っていたからです。男女でセックスという行為をしなくてはならなかった。つまり交尾です。XX遺伝子個体とXY遺伝子個体が、肉体的接触をする機会を持たなくてはならなかったわけです」
生徒達はさらに騒いだ。悲鳴を上げる子もいたし、顔を両手で覆っている子もいた。実験動物が交尾する様子は動画で見たことがあったが、あんなことを昔は人間までがしていたなんて。なんと、おぞましいことだろうか。先生はためらうことなく話を続けた。
「一人の人間の遺伝子から、新しい人間を作り出すクローニング技術がなかったからです。子供を作るため男女が出会い、特別な関係性を築くためにも、多くの種類の人々が絶えず接触している必要があったのです。さらには一緒の場所で生活する段階まで、ありました。そのためトイレを同じ場所で2種類用意せざるを得ないことなど非効率的な事例が多くありました。作った子供は、自分達の手で育てていました。それも大変なことでした。二人の人間を掛け合わせた以上、新生児は親の男と女、どちらにも似ていないこともありえたのです」
嫌悪の声がまた広がった。どんなタイプになるか予想できない人間が続々と生まれる社会なんて、とても想像できない。
「昔の人達は、その状況を我慢できていたか。いいえ、決してそんなことはありませんでした。当時から、できるなら単性生殖したい、一人だけで子供を作りたいと考えていました。技術が確立していないはずの時代に、単性生殖を試み成功した女性がいたという記録も、残っています。多くの人がその女性に憧れ、そうして生まれた子供に敬意を払いました。それは、ある意味で予言だったのです。科学技術は目標を得てそこに向かって進み、実現したのです」
先生は終始さっぱりとした口調だったが、午前中の授業が終わって昼休みになっても私はそのことが頭から離れず、いつまでも気分が悪かった。昼食をとる気にもなれず、中庭のベンチで一人座っていた。
昔の人はみなセックスの、交尾の結果として生まれてきたということなのか。動物のように、腹の中に子供を作っていたということだ。不気味だし、だいいちあまりに危険ではないか。
私達は修学旅行で男国に行った。まあ訪れたのは観光スポットだけだったし、そこで私達に姿を見せる「男」は正装してマナーも身につけている人ばかりだったが、それでも、近くに寄るのは気がひけた。
そういえば、隣のクラスに一人、勇気のある子がいたのだった。そうだ、その子の行為が問題になったという噂があった。あの話、どうなったんだっけ。
そんなことを考えていると、ふいにざわめきが聞こえた。校門の方向だった。
数十人の生徒達がいつになく不規則に動いていた。その視線の先に、一人の少女がいた。
私服で大きな荷物を持って、学校の出口に向かって歩いていた。
「麻衣子!」と集団の中の誰かが叫んだ。私は思い出した。修学旅行の時、ホテルから抜け出して無断外泊をしたあの生徒だ。
「出て行くんだね」と別の声が聞こえた。やはり噂は本当だったのか。あの行為が問題となって、退学処分となったということか。校門の外に、大きな黒いクルマが停まっていた。この施設から出てどこに行くのだろう。もしかしたら矯正施設だろうか。
しかし、修学旅行はもう4ヶ月も前のことだ。なぜ今頃になって。
「妊娠」「子供が」とそんな言葉が耳に入った。私ははっとして、もう一度、その少女を見た。おびえた小動物のように目を伏せて歩く少女。そのおなかが、大きかった。
目を離せなくなった。あれが、妊娠というものなのか。今の彼女は、自分の腹の中に、未完成の人間を入れている状態なのだ。
びしっ。乾いた音がした。麻衣子と呼ばれたその少女がぎゃっと叫び体を曲げた。
石だ。誰かが石つぶてを投げつけたのだった。
「けがらわしい」と、吐き捨てるように誰かが言った。
それでダムが決壊したように、たくさんの石が飛び始めた。大勢の生徒たちがてんでに足もとから拾い、彼女を狙うのだった。
少女はしゃがみ込み両手で腹をかばっていた。うつむいた顔に、血が流れていた。頭にも体にも、雨のように石が降り注いでいた。
私は思わず立ち上がって、言った。
「あなた達の中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」
ぴたり、とみんなの動きが止まった。
石つぶての雨もやんだ。
みんな、中途半端な格好でしばらく考えていた。
しかしやがてそれぞれに、頷き、そしてまた石を投げ始めた。