2013年のゲーム・キッズ
第二十九回 電脳の城
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第29話 電脳の城
THE SIEGE
僕らはデジタルネットワークが完璧に機能している時代に生きている。
個人が個室にいて、世界の全てと繫がることができるのだ。
だからひきこもっていたって、何の不自由もない。端末から、僕はなんでも知ることができる。面白いもの、感動すること、猥褻なもの。刺激も快楽も、いくらでも得られる。
それで満たされないのは、わずかな食欲くらいのものだ。食事だけは母親に頼むしかないが、ただしこの空間はあくまで侵害させず、パイプを経由して送り込んでもらっている。
この部屋には水回りも完備していて、食べ残しや排泄物はすぐにきれいさっぱり流れていく。一歩も外に出なくても、清潔で快適な生活を続けていくことができた。
ここにこもりはじめてからどれくらいの月日が経過したのだろう。最初に僕を暴力的にここに押し込んだのは父親だったような気もする。しかし、そんなことはもうどうでもいい。ここまで長引いたのは母親のせいだ。だから、彼女が責任をもって面倒をみてくれるのは、当然のことだ。それが母の罪であり罰でもあるのだ。
端末に流れてくる情報は音声ソフトで読み上げてもらっている。ある日、ふと気づいた。その声が、母親の声ととても似ているということに。
いろいろな考えが同時に浮かび、薄気味悪さが全身を包んだ。そういえば毎日トップページで僕に勧められるニュースは、親子関係についてのことがとても多かった。そして、どうしてもアクセスできない情報が、たくさんあったことも思い出した。
母親が、この部屋に、この端末に繫がる情報を全てチェックし、フィルターをかけている。
母は、意図的に僕を閉じ込めているのだ。僕は身震いした。
理由はいろいろと考えられる。
例えば。彼女の人生はとても過酷なものだった。寝る間もなく勉強し、働き、そしてやっと一段落つきそうだという時に、子供ができた。彼女はその子供を自分という存在の延長だと考えた。だから自分が楽をすることを諦め、その代わりに子供の代で、ゆっくりと休む決心をしたのではないか。
あるいは。彼女は子供を、僕を、溺愛しているのだ。外に出て別の人と愛し合ったりしてほしくない、だからここに閉じ込めて、独占しているのではないか。
どの推測も、多かれ少なかれ当たっているだろう。いずれにせよ気色が悪い。
外に出よう。僕はそう思った。
そうだ、一度出てみたら、楽しいかもしれないじゃないか。だめだったらまた戻ってくればいい。
ああ、僕は今、やる気になっている。体じゅうに元気が湧いてきた。
僕は部屋の扉の前に立った。
鍵はかかっていない。手でそっと押してみる。開かない。
強く押しても、やはりびくともしない。
足で蹴る。と、「だめよ!」と悲痛な声が聞こえてきた。母だ。
扉は揺れる。いったん開きかけて、また戻される。母が外から強く押し返しているのだ。
「だめ、だめよ! そこから出たら、死んじゃうから。知らないから」
母が泣き叫んでいる。僕はかっとなってさらに押した。
「母さん、僕、がんばる。外に出て、がんばることにしたんだ」
「バカめ」
と、低い声が聞こえた。僕は驚いた。母だけではない。外に、別の誰かがいて、母と一緒に扉を押さえているのだ。
「おい、お前は誰にも、何にも期待されていない。出てくる必要など、ない」
地獄の底から響いてくるような声だった。僕をひきこもりにさせていたのは、母だけの仕業ではなかったということだ。
「お前ががんばったところで、何ができる。がんばると言われて出てこられても、迷惑なだけなんだよ」
重い扉を押し続けながら、僕は、考えた。社会というものは、誰もが自己実現できるところではない。がんばれば報われるというのは噓だ。がんばっても、だめな人間がいる。そういう奴らがでしゃばってきたら、迷惑なのだ。だめな人間はむしろ、じっとうずくまって、ひきこもっていてくれた方がいい。
デジタルネットワークが世界を網羅した。それは、僕達「一人一人」のためのものではなかった。社会「全体」のものだった。全体がよりよくなるためには、邪魔な個人は排除すべきだということを、冷徹に判断してしまったのだ。
劣等な人間だからといって殺害してしまうわけにはいかない。だからできる限り活動を抑えて最低限の栄養分で暮らしてもらう生き方を、提示した。それがこの形だった。
「ひきこもり」は僕の問題ではなく母の責任でもなく、世界の陰謀だったのだ。
しかしそれを知って僕はますます必死になることができた。
僕だって人間だ。生きる権利があるはずだ。どしん、どしん。扉に、体当たりをした。痛い、やめて! と、母親が泣く。ちくしょう。僕はだまされて、このゴミ箱に、閉じ込められていた。なのにこの状況を、自分で気に入っているだなんて、信じ込んでいたんだ。
どしん、どしん。頭が血だらけになっていることに気づいたが、かまってはいられない。どしん。どしいいいん。
ついに、扉が開いた! 強い光が外から差し込んできて、目が眩んだ。さらに、耳をつんざくような音響。機械のノイズのような、人間の歓声のような。
目をこじあけると、人が見えた。2人。いや3人、4人、もっといる。皆、ものすごく大きい。巨人だ。
やばい、殺される。僕は恐怖を感じた。振り返る。扉はしっかりと閉じている。戻れないことが、本能的にわかった。
巨人達は異様な服を着て、僕の知らない言葉を口々に叫んでいた。これは、誰だ。どういうことだ。ここは、異世界なのか。
僕は血まみれで震えた。すがる思いで伸ばした手に、長いチューブ状のものが触れた。そうだ。これが、外の世界と僕の部屋を繫ぐ唯一の接点だった。これで、母は僕に情報と栄養を送り込んでくれていたのだ。
ところが巨人の一人が僕からそのチューブをやすやすと奪い取った。鋭利な刃物でそれをぱちんと切断して、言った。
「元気な男の子です」
「おぎゃあ」
と、僕は叫んだ。