2013年のゲーム・キッズ

第二十五回 容量がいっばいです

渡辺浩弐 Illustration/竹

それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。

第25話 容量がいっばいです

MEMORY OVER

誰もが物心ついた頃から、額に超小型のカメラを装着している。視界と同じアングルの映像を、毎日、目を開けている間じゅう録画し続けている。幼稚園ようちえんの運動会だって、高校の合格発表だって、大学の卒業旅行だって、過去のことは、いつの記憶でもすぐに検索して再生できる。その時の映像を眼球がんきゅう投影とうえいして見ることができるのだ。

これは思い出に浸るためだけのものではない。むしろ実用性が、極めて高い。録画をしていない人はどんなひどい目に遭うか、わからないほどだ。クルマにひかれようが暴漢に刺されようが、その時のことをちゃんと録画していなければ、なかったことにされてしまう。どんなに大事な約束をしていても、大金を前払いしていても、証拠がなければごまかされても文句を言えないわけだ。

このマシンは政府の全額負担で配布されているが、全ての国民がこれをつけるようになってから犯罪はほぼ皆無かいむになったし、裁判でもめるようなこともなくなった。つまり司法にかかる歳出が激減したわけだから、莫大な経費は差し引きで元がとれているのだった。

私も、もちろんずっと使っていた。便利というより、空気や水と同様、なくてはならないものだった。けれど成人式を迎える頃、大きな問題が発生した。セーブできるデータ量に制限があることを知ったのだ。

マシンに「まもなく容量がいっぱいになります」と表示が出た。そして99%という赤文字が点滅した。容量には一人一人の割り当てがあって、増設することは不可能らしい。100%になるともうそれ以上は録画できなくなる。今の時代、これを止めたまま外に出かけるなんて、自殺行為だ。

それほどの状況だったにもかかわらず、その頃の私は深刻に考えることもなく、浮かれて暮らしていた。なぜなら恋愛をしていたからだ。好きな男性ができて、毎日夢中むちゅうだった。

同じ頃、父親のことがとてもうとましく感じられるようになっていた。進路について意見が合わず衝突したし、日常生活のあれこれについても、例えば夜の外出とか、バイトについてまで、いちいち口出しされることが我慢できなくなってきた。それだけではない。父の服の匂い、ものの食べ方、しゃべり方、全てが生理的に受け入れられなくなってきていた。

いいことを思いついた。私のマシンから、父が映っている部分のデータを削除してしまえばいいのだ。父の思い出は、不要だった。七五三の日に手をひかれて神社に行った時のことも、夜中に熱を出した時おぶって病院に運んでもらったことも、もはや不快なだけの記憶だった。

全部消したら、容量は1/3くらい空いた。すっきりとした気分で私は家を出た。そして彼氏と結婚した。

やがて私にも子どもができた。すると残り容量が減っていくスピードが加速した。子どもはものすごい勢いで成長していく。大変だし、楽しいし、全くもって目が離せないのだ。

父親とは絶縁したきりだったが、母親はよく訪ねて来てくれた。夜泣きがおさまらない時。体に発疹ほっしんが出た時。母は自分のマシンに入っている、私が小さかった頃の記憶を参照しては、適切な対処方法を教えてくれた。それでずいぶん助かった。

しかし、子どもが学校に上がってからも、しつこく口出しをしてくるのには参った。この年頃の記憶なら私のマシンにもセーブされていたから、自分のデータを引っ張り出して私だけでも対応できるようになってきていた。

いくら構わないでと言っても母親は引かなかった。私が小さい頃、失敗したこと、泣いたこと、ごねたことの映像をいちいち呼び出しては、だからあんたはだめなのよと言い、孫に自分の古い価値観を押しつけようとした。もはや、薄汚い、偏屈なだけのババアだった。私は怒りが蓄積ちくせきし、とうとう殺意がわくほどになった。

しかし本当に殺す必要はないのだった。ちょうどまた、マシンの容量がいっぱいになりかけていた。私は母親に関する記憶を一括削除した。それで母親に対する感謝も愛情もいきなり全て消えた。彼女には我が家への出入り禁止を宣言し、老人ホームに入ってもらった。

それからの人生はどんどん早回しになっていくように感じられた。子どもはみるみる大きくなる。やがて成人して結婚して、孫が生まれた。そのタイミングで、またマシンの容量が足りなくなった。孫のことを録画するために私は自分の記憶を、消していくことにした。若い頃の記憶と天秤にかけて、歳をとってからの、すなわち最近の記憶から順に消していくことにした。60代や50代、40代のデータは、どうでもよかった。30代の自分は少し惜しかったけれど、2人目そして3人目の孫ができたので、迷わずに消した。思い出は湯に入れた氷のようにどんどん減っていったけれど、そのぶんかわいい孫達の笑顔の記憶が増えていった。私は幸福だった。

私はすっかり歳をとり、体も衰えはてた。よちよちと歩き、孫達と一緒に、遊んでいた。にぶいねぇとか、ばかだねぇと、笑われることもあるくらいだった。

とうとう私は5歳までの記憶しか持たなくなっていた。けれども、代わりに4人の孫達の記憶が、いっぱい入っていた。目を閉じれば、何かに熱中したり、何かに笑い転げたりしているかれらの元気な姿がすぐに再生される。それで私は大丈夫なのだった。

孫はどんどんおおきくなっていく。ようりょうがたりなくなる。わたしはどんどんじぶんのきおくをけしていく。

あるひマシンに、こんなメッセージがでてきた。

「この操作であなたの記憶は完全に初期化されます。本当によろしいですか」

つまりわたしはこれでキエルということだ。

いやそんなことはない。わたしには4にんのマゴがいる。じぶんのきおくがすくなくなればなるほど、マゴたちのことがはっきりとみえる。コドモひとりのなかに、じぶんのはんぶんがはいっている。としたら、マゴはそれぞれわたしの1/4だから、4人のデータがあればそれはわたしひとりぶんとおなじなのだ。

ぎゃくに、4にんがげんきにただしくそだっていくためには、ふるいほうのわたしは、なくならなくては、ならないのだ。

この操作であなたの記憶は完全に初期化されます。本当によろしいですか。

YES NO

わたしは「YES」を、わらいながらクリックした。

そしてわたしはきえた。