2013年のゲーム・キッズ
第二十四回 魔法の輪
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第24話 魔法の輪
PROMISE RING
昔流行ったミサンガみたいなおまじないグッズ。これに願いごとをささやいて、そうして頭に巻いて眠ればいい。目が覚めたら願いがかなっているという。
ネットの通販でつい買ってしまった。僕はこういうものに弱いのだ。
額に当たるところが軽金属になっていて、ひんやり気持ちいい。ICチップと電磁波発生装置が内蔵されていて、睡眠中の脳に直接働きかけるらしい。それでモチベーションを上げたりするのだろう。「英会話がぺらぺらになった」とか「第一志望に合格した」とか、そういう成功談が宣伝ページに載っていた。
ただ、さしあたって僕には何の願いもない。「ひきこもりをやめたい」と毎日唱えればやめられるのかもしれないが、別にそんなことを望んでいるわけではない。「そんなことより部屋の掃除だな」そうつぶやいて、つい独り笑いしてしまった。
ところがその瞬間、ヘッドバンドの表面がふわっと青く光った。そこに「OK」という文字が出ていた。これはなかなか精巧なものなのかもしれない。
とりあえず寝て、起きた。いつもと違う、さわやかな目覚めだった。
なんと部屋がきれいになっていた。足の踏み場もなかった床に今は塵ひとつ落ちていなかった。本棚には単行本、コミックス、雑誌がちゃんと分類されて並べ直されていた。ゴミは袋に詰め込まれていた。
そうだ僕が頼んだことだ。まさか、本当にかなうとは。まるで童話の『こびとのくつや』じゃないか。
いやいやそんなわけはない。論理的に考えよう。このヘッドバンドはオンライン端末になっているのではないか。最近はいろいろなマシンがネットに繫がっている。先日、掃除機が故障したら、何にもしないのに10分後にはサービスマンが来てくれた。掃除機には、故障したら電波を発信する機能があったのだ。
それと同じことだ。僕がささやいた「願い」はネットを経由してどこかに伝わった。それで……それからどうしたのか。どこかの誰かが僕の願い「部屋を掃除してほしい」を聞いたとする。ヘッドバンドは僕の頭皮に密着していたから、僕の脳波をサーチして眠っていることを確認できたはずだ。急いでこの部屋まで来て、忍び込んで、掃除する。理論的には可能かもしれない。しかし、いくらなんでもとんでもない話だ。僕を起こさないようにそうっと、あれほど散らかっていた部屋を、こんなにぴかぴかにするなんて。そもそも費用はどうなっているのだ。ヘッドバンドはとても安かった。慈善事業か何かだろうか。しかしこんな僕のために、なぜ。
考えているうちに一日が過ぎ、また寝る時間になった。僕はビデオカメラを長時間録画モードにして、ベッドサイドに置いた。ヘッドバンドに「焼き肉とビール」とささやいてから頭に巻き、ベッドに潜り込んだ。眠らずに様子を見ているつもりだったのだが、頭蓋骨に海潮音のような振動を感じているうちに、眠り込んでしまった。
目覚めた。机の上に、焼き肉とビールが置いてあった。肉は冷め、ビールはぬるくなってはいたが、本物だ。
すぐにビデオを再生してみた。ところが、何も映っていなかった。誰かが止めたのだろうか。映っていたはずのところも、消されていた。
掲示板でこの商品の評判を調べてみようと思い検索したが、見つからなかった。なぜか気分が悪くなり、僕はパソコンを閉じた。
その夜、今度は「1億円、現金でほしい」と、言ってみた。するとヘッドバンドは赤く光り、「NG」と表示した。No Good ……無理なことは無理、と告げる仕組みのようだ。
少しほっとした。しかしその直後、妙なメールが届いた。発信元は不明だったが「ヘッドバンドの裏技を教えます」というタイトルを見て引き込まれた。「制限を外しどんな願い事でもかなえる方法です」と、僕がたった今NGをくらったことを知って送ってきたとしか思えない内容だった。
方法は簡単だった。すぐにやってみることにした。まず、ある言葉をつぶやいてから、願いごとを言うのだ。ふと、僕は別に1億円などほしくないことに気づいた。本当に望んでいることは何だろう。考えていると、口から「篠沢美紗子」と、出てきた。ずっと片思いしていた、そして、僕が不登校になるきっかけになった女の子の名だ。あの子と付き合うことができたら、あの子を自由にすることができたらとずっと妄想していたのだった。
「OK」と、ヘッドバンドは光った。こびとさん達は僕の代わりに美紗子さんに告白して、了解までしてもらって、ここに連れてくるというのだろうか。考えているうちに、睡魔が襲ってきた。
うなり声を聞いて目覚めた。隣に誰かがいた。僕はベッドから転がり落ちた。
美紗子さんだ。目を大きく開いてこっちを見ていた。口にはガムテープが貼られていて、声は出せず、ただうんうんとうなっていた。ふとんをそっとめくって見ると、縄でぐるぐる巻きに縛りあげられていた。
無理矢理つかまえて、ここに連れてきたのだ。一体誰が。何のために。
いや原因は僕だ。僕が願ったことなのだ。警察に通報することも、だから、ためらわれた。
どうしよう……僕は、これからこの女を、どうすればいいのか。
考え悩んだ末、僕は寝てしまうことにした。
思えばずっと、こうだった。困ったとき、辛いとき、どうしようもなくなったとき。僕はいつも、寝てしまうことにしてきたのだ。今日やれることを明日の自分に託し続けた。明日になったからといって、がんばれるわけはないのに。
その結果が、この、ひとりぼっちの、ひきこもりの状態なのだった。
しかし、今の僕には一つだけ、これまでとは違うものがある。ヘッドバンドだ。
「この女を、消してください」と頼み、頭に着けた。今起きたばかりで眠れるだろうか。心配だったが、うぃーんと音が鳴るとすぐに眠くなった。
しかしそのまま眠りに入りはしなかった。いきなり頭に衝撃が来た。それからものすごい頭痛が始まった。慌てて引きはがそうとしたが、ヘッドバンドは固く頭を締め付けていて、どうしても外れなかった。きんきんと耳鳴りがする。「この女を消してください」「女を消せ」「消せ!」……そんな声が、紛れもなく僕自身の声が、衝撃波となって、脳の中に直接送り込まれてくる。
やっとわかった。命令を果たすまで痛みは終わらないということだ。ヘッドバンドは、脳に命令を与え、そして拷問を加えることによってそれを達成させるものだったのだ。
僕は、自分が下した使命を、自分で達成していたんだ! 部屋を掃除したのも、焼き肉やビールを準備したのも、僕自身だった。美紗子さんを襲って、縛り上げて、ここまで連れてきたのも。
命令どおりに仕事をしたら、この拷問は終わるに違いない。そしてヘッドバンドは僕の脳から一連の記憶を消すだろう。僕は、何も覚えていない状態ですっきりと目覚める。そういう仕組みだったのだ。
今のこの記憶も、やがてなくなるはずだ。
事実を紙に書き付けておいて、目覚めた後の僕に伝えられないだろうか。そう考えただけで頭痛はさらに激しくなり、腕を動かすこともできなくなった。
痛い。本当に苦しい。どうすればいいのか。頭をかきむしり身もだえしていると、ふと、ベッドの上の美紗子さんの姿が目に入った。
そうだ。使命ははっきりしている。この女をここから消せば。
そう考えただけで、頭痛がやわらいできた。
しかし、縄をほどいて、解放するわけにはいかない。そんなことをすればすぐに彼女は警察に駆け込むだろう。
痛い、それにしても痛い。くそっ。あのやろう、というかさっきの自分、とんでもないことを頼みやがって。
いや、ちょっと待て。あいつ……さっきの僕は、ただ「この女を消せ」と頼んだんじゃないか。
よかった、「生きたまま」とは、言っていなかったぞ!