2013年のゲーム・キッズ
第十九回 スピード裁判
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第19話 スピード裁判
COURTESY
教室が静まりかえったことを確認してから目を開けた。小男がこちらにまっすぐ歩いてくる。古典教師だ。クラス全員の視線が、僕に集中していた。
メガネのつるに指を当て、スイッチを入れた。ブシュッと小気味の良い音がしてレンズの隅に、「生放送中」という文字が点滅し始めた。僕の視界が、そのままネットに流れ始めたのだ。教師は目の前まで来て、立ち止まった。
「俺の授業でお昼寝とはいい度胸してんじゃねーかコラ」
僕を見下ろし口をゆがめてみせた。脅しているつもりらしいが、それは虚勢をはるガキ大将にしか見えなかった。
僕はメガネの眉間の位置に仕込まれた小型カメラを相手に向け、その猿のような顔にピントを合わせた。視聴者数は既に1万を超えている。
よし、今だ……僕は思いっきり顔をしかめ、舌を出してみせた。もちろんこの顔はカメラには映らない。
教師はみるみるうちに真っ赤になった。そして握りこぶしを振り上げた。よけるのは簡単だったが、僕はわざと自分の頭を差し出して、げんこつを額の上部で受け止めた。ヘディングの要領だ。痛くないが、大げさにうめいてみせた。
大成功。この教師は以前にも授業中に暴力をふるったことがあった。殴られたのは僕ではなく友人だったが、その蛮行を僕は許せないと思った。それで、このチャンスが来るのをずっと待ち構えていたのだ。
教師はしまったという顔をしている。やはり衝動的な暴力だったのだ。「い、居眠りなんてしてるからだっ」と、取り繕うように言った。
「あなたの授業がつまらなかったからです。謝罪するのはあなたの方でしょう。それから、あなたの仕事は生徒にすごむことではなく、授業を進めることです。それを放棄してわめいていることも問題ですね」
「てめぇ、何ふざけたことを……」
相手の顔がさらに赤くなった。その時、周囲がワッとわいた。教室前面の黒板に、動画が映し出されたのだ。僕がメガネを使って行っているこのネット生放送の映像だった。クラスの誰かが気づいてこっそりモードを切り替えたのだ。
振り返ってそれを見た教師の肩が硬直した。彼自身の映像の上に、無数の文字列が流れていた。「殴った殴った本当に殴った」「今どき暴力なんて信じられない」「親父にもぶたれたことないのに」「バカ教師!」……視聴者の、容赦ないコメントだ。
僕は立ち上がった。それでチビ教師より頭ひとつ高くなった。気配を感じて教師はこちらにまた向き直り、喉の奥でひっと言った。
「先ほどのあなたの行為。まぎれもなく、暴力をふるいましたね」
僕のその一言を応援する文字列が画面にどっと流れた。「その通り! 訴えたら勝てる」「そうだそうだ犯罪者」「証拠も残ったし先生もう人生詰んだね?」視聴者のほとんどは、僕の味方だ。教師はその画面と僕とを、体をもじもじ動かしながら見比べた。
「僕は居眠りなどしていません。ただ目を閉じていただけです。それは校則で禁じられていることですら、ありません。それに引き替えあなたの行為はれっきとした犯罪です。今その現場を、憲法 21 条に基づいて公開させて頂いています。そしてこれから僕はさらに権利を行使します。あなたを暴行罪でオンライン告訴します」
手元の携帯端末を操作する。あらかじめ正式な書面を用意していたのだ。それが送信され、申請が受理され、黒板の画面がオンライン裁判モードになるまでに、3秒とかからなかった。
クラスはさらに大騒ぎとなった。画面も弾幕の賑わいとなった。キターーーー! ハジマターーーーーーー! いいぞいいぞ!!
例えば暴行の現行犯に対して、防衛のための暴力はどこまで許されるか。そういうことについて司法の判断を、事後に下されても、もう遅い。現場で耐えた被害者が、必ず損をする。また裁判に長い時間をかけているうちに証拠もなくなり、憎悪も薄れる。
ネット時代、個人生放送の時代になってから、その場で裁き、その場で対処することができるようになった。白黒をつけるのは視聴者だ。裁判員制度が発展した形で、限定された裁判官や裁判員だけではなく何万人もの視聴者の参加が可能になったことで、公正さが保証されるようになった。
「僕は、今、僕を殴り、さらに暴力を続けようとするこの教師を、正当防衛のために、殴り返そうと考えています。はかりたいと思います。この行為、どうでしょう!?」
画面上に「暴力教師に対する正拳攻撃 YES/NO」という表示がパッと現れる。
「さあみんな、クリックしてください。イエスか、ノーか」
教師は一瞬びくんと動きかけて、止まった。逃げることはできないということを、悟ったのだろう。
「YES」の文字がみるみる巨大化し、点滅し始めた。イエスが96パーセントを超えていた。
「ありがとう、みんな、ではみんなの賛同に基づき、決行します!」
僕は恐怖に引きつる教師の顔をメガネの中でゆっくりと大写しにした。声援と弾幕に後押しされながら、こぶしを握った。この日のために、サンドバッグで練習していたのだ。
相手の顔のど真ん中を、思いっきり、殴った。映画やアニメでしか聞いたことのない音が鳴り、小男は数メートル後ろまで飛び、仰向けに倒れた。そのはずみで後頭部を教壇に打ち付けたようで、そのまま動かなくなった。
僕はこみあげてくる笑いを抑えることができなかった。
教室には歓声が、そして黒板には賞賛コメントが、渦巻いていた。サービスのためそのぶざまなカエルのような姿にカメラを近づけた時。
「もしかしてこいつ死んでね?」 と、コメントが流れた。
◆
「当該少年に対する殺人罪適用 YES/NO」
……すぐに「YES」の文字が巨大化し、点滅した。
僕は叫んだ。
「だって、みんな、やっていいって言ったじゃないか! みんなが殴れって言ったから、僕は!!」
それに応えるように画面に文字が流れていく。「だってあんた、やりすぎたよ」「殺せとまでは言ってないし」「それはそれ、これはこれ」……
「視聴者による判決が出ましたので、即座に刑を執行します」と、コンピュータ・ボイスがそう告げると同時に、僕を固定している金属製の椅子がうなりを上げ始めた。僕は絶叫した。
「ぼ、僕だけじゃないよ。みんなの、みんなのせいじゃないか!」
「みんなって、誰さ」 ……最後に見えたのは、そんなコメントだった。