2013年のゲーム・キッズ
第十三回 先見の明
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第13話 先見の明
FORESIGHT
俺は屋上のプールサイドで寝そべって、視界いっぱいの青空を楽しんでいた。
ところが。その隅から、にゅっと人影が現れた。
「じゃまをするなと言ったじゃないか、ミカ」
「お久しぶりです、先生」
そこにいたのは秘書のミカではなく、小汚い中年男だった。
俺は舌打ちをしながら体を起こした。
「どうやって入ってきた」
「メイドさんが案内してくれたんです」
「ミカはメイドじゃない。秘書だ」
「名刺を見せたんです。先生が最初に本を出した出版社だって彼女すぐにわかりましたよ。あの子アイドルみたいにかわいいけど、先生のファンなんですか」
でへでへと下品な笑いも、変わっていない。俺に最初についた編集者だった。
彼は俺にも名刺を差し出してきた。
「一応肩書きもついたんです」
「あんたが課長か」
「先生のおかげですよ。あのベストセラー作家を発掘し育てたのは私、ということになってますから。先見の明が評価されて、出世できました次第で。いつかお礼に伺わなくてはと、ずっと思っていたんです」
「先見の明ね。ふん」
俺は不愉快になった。先見の明という言葉がおよそふさわしくないのがその無能編集者だった。育てられた覚えはなかったし、その出版社から出した本は契約期限で全て引き上げた。しかし俺が売れっ子になってから大急ぎで増刷しまくりやがって、期限満了までに合計で百万部は売れてしまった。それがこいつの手柄になったとしたら、実に腹立たしい。
「で、用事は何だ」
「ですからただお礼とご挨拶に参りましただけですよ」
「メール一本で済むことだな。わざわざやってくるなんて、実にあんたらしい」
皮肉が伝わったらしく、相手は複雑な表情で黙った。
「そういえばあんた、まだ若い作家に『原稿は手書きじゃなきゃ受け付けない』なんてほざいてんのかね」
「……」
「電話で済むことも、会わなきゃはじまらんと言ってよく俺のことを呼びつけたっけな」
「あれは、実際、私の方から伺うべきでした」
「そういう問題じゃないだろう。パソコンを使うな、時間の無駄になるから、それがあんたの持論だった。あのご大層な信念、今でも続けておられるのか、ぜひ伺いたいものだ」
「すみません、あの頃は、その……」
「小説のための調べ物も、インターネットを使うな、と言ったね。ネットには噓ばかりが書いてあるとかなんとか。検索すれば10秒でわかるようなことのために、俺は何度も図書館まで行かされた。そういうことも、むしろ編集者がやるべきもんだってことは、後になって知ったよ。おかげで最初の長編を仕上げるのに3年以上かかった。手書きのせいで腱鞘炎にもなった。その初版の数字、今でも覚えているよ。二千部。印税は20万くらいだったかな。3年分の、ギャラが、20万円。時給なら100円切るね。なあ、なんとか言ったらどうだ」
男はうなだれて目をしばたたいている。俺は胸がすく思いだった。
「あんたと切れてから、俺はあんたに言われたことと全て反対のことばかりをやった。パソコンを使ってばりばり書いた。ネットをがんがん検索しながらね。それで、売れたんだ。数週間で書いた本が、数十万部売れるようになった」
「もちろんご活躍は、耳にしております。すっかり立派になられて」
相手はあたりを見回した。立派なのは俺ではなくこのビルということらしい。
「書き殴って儲けまくってやがる、そう言いたいのか。書きまくっても、クオリティーは下げていない。上がってるくらいだ。小説は根性と手間で書くものでは、ない」
「あの、そういえばお土産があるのです」
さらに頭を下げながら、男はバッグをあさった。酒のようだ。むき出しで瓶を持ってくる野暮ったさは、いかにもこの男らしい。
「覚えておられますか、このお酒」
俺は下戸だ。何を勘違いしているんだと言いかけて、思い出した。角張ったボトルのデザインに特徴があるウオッカだった。
「ああ、そうだ。嫌な思い出だ。その瓶のことを、ずいぶん調べた。図書館だけじゃなくて大学病院や警察にも行ったよ、うさんくさがられながらね」
それを凶器に使う完全犯罪を書こうとしていたのだ。この瓶で殴り殺した後で、ビルの屋上から投げ落とす。凹凸のあるコンクリートに叩きつけられて頭部はさらにぐちゃぐちゃになる。さてその遺体を見て、警察の鑑識は殴られてから落とされたことを突き止めるかどうか。
特に頭蓋骨の損傷について、瓶の形状と殴打、あるいは落下の加速度とその衝撃、などなど様々な要因から調べ上げたのだった。
「あのシーンは結局使わなかった。さんざん調べさせて、あんたがボツにしたんだ。そもそも凶器なんて〝バールのようなもの〟でも〝ひのきのぼう〟でも、なんでもよかったんだ。小説なんだからな」
「いや、けれど、私は、あの調査は、無駄ではなかったと思うのです」
男はつっかえながら早口で言った。なぜかこの話になってから妙に真剣になっている。両手で瓶を持ったまま、にじり寄ってきた。
「苦労して調べたことが俺の経験値になったとでも言うのか。くだらん」
「そうではなくて。重要なのは、あなたが調べたあの情報は、ネット上にはない、ということです。だから価値がある。ネットで調べたとしたら、あの完全犯罪は誰にでも考えられるものになる。それは逆に、誰でも暴けるってことでもある。つまりそれはもはや、完全犯罪ではない」
唾が飛んで来そうな気がして俺は身をひいた。そういえばミカはどうしたのか。客を招き入れたなら飲み物くらい持ってくるはずだ。
階下への通路を見ていたら、背後から男が言った。
「秘書さんなら、来ませんよ。もう殺しましたから」
振り返ると、男は、すぐ目の前にいた。そしてボトルを振りかざしていた。
※
奥さんも子供もいるのにメイドさんとできていたなんて。あげくのはてに自宅の屋上から飛び降りて、心中。まあ小説家として歴史に名を残すには申し分のない死に様です。ゆかりの品々はもちろん、好事家の間で大変な値をつけています。
そんな中でもこれは特別の逸品です。あの作家の肉筆原稿が存在するなんて最初は信じられませんでしたが、鑑定いたしまして、紛れもなく本物とわかりました。もちろんご満足頂ける値段で、引き取らせて頂きます。
デジタル時代の小説家はみなさんパソコンで書きますからね。なぜあの作家はわざわざまるまる一冊分を肉筆で書いたんでしょうか。ご存じですか?
……ああ、立ち入った質問をしてしまいました。あなたが遺族の方なのか、それとも業界の関係者なのか、そういう背景や事情は当方としましては関知しません。この品につきましても、入手経路を明かすことなくオークションに出させて頂きます。
ただ一つ、お伝えしておきます。私は確信しています。
あなたには、先見の明がおありになるということを。