2013年のゲーム・キッズ
第十二回 若い子の方が
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第12話 若い子の方が
WHEN I'M FORTY-FOUR
リビングから「おお」と大声が聞こえたので、料理を中断して行ってみた。
夫はソファでタブレットの画面を見ていた。
「ハードディスクの整理をしてたらね、ほら、こんなものを見つけたよ」
私と夫が並んでいる写真……いや、写真ではない。夫が指先で操作すると、私の顔がぐんと大きくなった。そしてくるりと横を向いた。
3Dデータだ。それも、肌の毛穴まで再現されているほど精細なものだった。
「こんなもの、どこで?」
「ほら、昔ホテルのゲーム機で」
しばらく考えて、思い出した。顔が赤くなった。二人とも酔ってしまった時に泊まった、カップル用のホテルだった。部屋の中にいろいろな大型ゲーム筐体が置いてあった。
その中に、小さなベッドのようなものがあった。座ってみると体がずぶずぶと沈み込み、やがて体全体が包まれた。
解放された時には、モニターの中に私がいた。全身の凹凸をキャプチャーして、3DCGで再現するマシンだった。自分の分身を作ってくれる。それをマイキャラにしてゲームを遊べるわけだ。ゲーム自体はつまらなかったが、3Dデータは、メモリーにコピーして持ち帰っていたらしい。
よく見るとその「私」はずいぶん若かった。古くさい髪型とけばけばしい化粧。そして夫はというと、とても太っていて、色白で、子ども顔だった。
一緒に吹き出してしまった。ところがさんざん笑った後で夫がこう言った。
「きれいだったんだなあ、君」
過去形が胸にぐさりと来た。
食事の間、夫はいつもより無口だった。食べ終わるとすぐ自分の書斎に閉じこもってしまった。
私は鏡を見た。じっくりと、見てみた。しわ。しみ。たるみ。これはひどい。
私はまだまだ自分が若いと思っていた。いや、思い込もうとしてきたのだ。鏡を見るたびに、無意識に目を見開き、肌を張る感じに表情を作って、若い頃のイメージに無理矢理重ねて、自分自身の目をごまかしていた。
ところがさっき十数年前のリアルな自分を見て、わかった。全然違う! 完全に変化しきっている。
若い頃の夫の容姿は、逆の意味でショックだった。当時の彼は、とても太った、いわゆるオタクだった。
今の彼はすっきりとやせている。顔の彫りも深くなっている。私とは反対に、歳をとるほどに格好良くなっていたのだ。男と女の差というより、青春時代を酒やタバコに浸って過ごしていた私と、部屋で紫外線に当たらず睡眠をたっぷりとりながら暮らしていた彼の、違いなのだろう。
30歳を迎えた頃、さんざん遊んでもう男に飽きていた私は、女性慣れしていない彼の隙につけ込んで、妻の座に居座ったのだった。
婚期を逸した年上の友達がひどい目に遭っているのを見ていたから、結婚だけは固く決めておこうと考えていた。遊び相手ではなく結婚相手なら、金を持っているオタクがいいと思ったのだ。
彼の書斎からは長いこと物音一つしない。何をやっているのだろう。モニター上に若い頃の私を再生しているのではないか。そう考えると、頭がかっとなった。自分自身に嫉妬するなんて、他人からはバカバカしいと思われるかもしれない。けれどこれは深刻なことだ。彼は、私が昔きれいだった頃のことを思い出してしまったのだ。だとしたら、今の私はもう、汚い、醜いババアにしか見えないはずだ。
あの3Dデータは画面の中だけでなら自由に動かせる。彼はオタクだから、それだけでも満足できるはずだ。いやむしろ、この汚い醜い私よりは、そっちの方がずっといいかもしれない。
それとも、新しく若い子を探そうとしていたりして。例えば出会い系サイトを……そう私と出会った時のように……もしかしたら……。
年齢とともに深まる美しさなんて、本当はこの世に存在しない。男の人は無条件に、若い娘を好む。私は自分の経験でそれを知っている。
気がつくと私は彼の部屋の前で立ちつくしていた。いきなり扉が開き、夫とまともに顔を合わせてしまった。
「どうしたの? ああ、ちょうどいい。来てごらん」
気まずさを抱えながら部屋に入ると、壁の大画面に私が……いや20代の頃の私が映し出されていた。うわあ、と声が出そうになった。今の私と比べて笑いものにする気なのだろうか。
「ごめんね、君の体で勝手なことをして。大きな画面で確かめていたんだ、君の指をね。3Dデータだから、指一本を拡大して回転させて見ることもできた」
「えっ」
意外な言葉だった。指。それも十年以上前の私の指をなぜ今さら。
「つけ爪だってことに、さっき、気づいてね。最初に会った時は本当に伸ばしていたでしょ。付き合いだしてから、切ったんだね。今思うと、あんなに爪伸ばして料理なんて、できないよね。僕のために切ってくれていたんだ」
「……」
「でね、ズームアップして見せてもらったら、ほら、この指、手、怪我だらけだ。切り傷は絆創膏ではなくて医療用接着剤でとめているし、火傷はファンデーションで隠しているから、当時の僕は気づかなかった。思い出したよ。僕が父子家庭で育ったという話をしたら君、私得意だからと言って、手料理を作ってくれるようになった。実家が飲食業でおもちゃ代わりに料理道具で遊んでたくらいだから、ぜーんぜん苦じゃない。そんなこと言うから僕はろくに感謝もせずにばくばく食べた。けどね、今わかったんだ。君は僕と出会ってから、始めてくれてたんだ、僕のために、料理の練習を。せっかく伸ばした爪を切って。きれいだった手をほら、こんなに傷だらけにして。……ずっとファーストフードや袋菓子ばっかり食べていた僕は、当時はぶくぶくのメタボだった。けど、おかげですっかり健康になった」
「ごめんなさい」と、私はやっと言った。今ちゃんと言わないと、もうチャンスはないかもしれないと、思ったから。
「その通り。私、噓ついてた。ほんとは料理なんか全然やったことなかった。付け焼き刃だったの……」
とうとうばれた。私が彼をだまして、結婚したこと。
彼は笑った。けれども、その表情には、嘲りはなかった。
「もう、噓じゃ、なくなっているよね。今の君は本当に料理が大の得意じゃない。この当時の君も素敵だけど、今の君はもっと素敵になっているってことだ。ありがとう。本当に、ありがとう」
抱きしめられて、私は小娘みたいにわっと泣き出した。