2013年のゲーム・キッズ
第九回 死ななくなる話
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第9話 死ななくなる話
NEVER SAY DIE
「つまり」
その男は、静かな口調で言った。
「これは不老不死サービスです。この治療を受けることにより、あなたの肉体は老化を完全に止めます」
「普通だったら詐欺と決めつけるしかないような話だが、どうやら信じざるを得ないようだ。あんたの身元ははっきりしている。この病院は遺伝子治療の研究で確固たる実績がある。しかもそれすら表向きの顔で、裏側にはさらに進んだ臨床施設を保有しているということも、調べがついている」
「おっしゃる通りです。あなたには我々の技術を評価するだけの教養と、そして費用を支払うに十分な財産がある。それを確認した上でお誘いしております」
「ただ一つ疑問がある。人が不老不死になれる。そんな技術ならノーベル賞ものではないか。大々的にアピールするべきではないかね」
「技術的なことは、それほど難しいものではないのですよ。遺伝子治療によって細胞内のテロメアにある時限機能を無効化するだけですから。臨床実験も完了しています。ただ、社会的なことが、非常に難しいのです。まず、一気に広められるものではありません。公になったら、すぐに多くの人々がここに殺到するでしょう。費用を出せない人も、それを受けられないのは差別だとか騒ぎ出すに違いない」
「なるほど、パニックになりそうだな」
「そして、いきなりみんなが不老不死になったら大変です。すぐに人口は爆発し、食糧は枯渇し、住む場所もなくなる。食べ物や土地を奪い合って戦争になるでしょう。この技術は魔法ではありません。不死鳥や人魚を食うようなおとぎ話とは違い、現実的なものです。飢餓や負傷については耐えられません。今までと同じように死んでしまうのです。皮肉なことに不老不死技術が、人類の滅亡を早めることになる」
「うむ、確かにそうかもしれん」
「普及には段階が必要です。我々……いち早く不老不死になった人々は、ドラキュラ一族のように社会の中に身を隠しながら、長生きしていることを悟られないよう暮らしていかなくてはなりません。そして注意深く時々、一人一人、仲間を増やします」
「仲間を? どうやって」
「今、ここでこうしてあなたに話しているように、です」
「なるほど」
「そうやって世界をゆっくりと、段階的に、変えていくのです。我々には無限の時間があるわけですから、急ぐ必要はないのですよ」
「うーむ、話に矛盾はない。信用してもいいようだな」
「信用がないと困ります。我々は運命共同体になりますから。我々は、いつか死ぬ人達とは全く違う価値観を共有する必要があるんです」
「ほう。価値観とは?」
「ここからが大事な話です。決断の前にもう一度よく考えていただきたいのです。不老不死はすばらしいことである一方で、とてつもない孤独を伴うものでもあります。生き物は、死ぬ運命を受け入れることによって、その代償として生殖能力を得た。そして、個体ではなく種として、生き続けることができるようになった。おわかりですか。今ここで死を捨てる以上は、生殖も捨てなければならない。だってそうでしょう。いつか人類の全てが不老不死になったとして、それでも子どもを作り続けたら、あっという間に地球は満員になる。ですから不老化した人間には、厳密なルールが課せられます。死ななくなった以上は、生殖が禁じられるということです。あなたは子孫を持ってはならないことになります。つまり、無限に生きることができる代わりに、あなたの世界からは恋とか愛というものもなくなります」
私は、淡々と語る相手をまじまじと見た。髪はふさふさと黒く、肌はつやつやと輝いていた。しかしその表情は暗い。どれほど長く生きているのだろうか。
もっと若かったら決めかねていたかもしれない。しかし私はもう恋だの愛だのにこだわる年齢ではない。また恥を忍んで確認したのだが、快楽のためだけの、避妊をしてのセックスは、許されるということだった。
いずれにしても、はっきりしていた。どんなルールがあったところで、死ぬよりはいい。影も形もなくなってしまうよりはましではないか。この時すでに私はもう腹を決めていたし、先方だってそれを知っていたはずで、この一連の会話は、不老不死クラブのメンバーとなるにあたっての心構えを教えてくれたものだと思う。そうでなければ、ここまで突っ込んだ情報は与えられなかっただろう。
すぐに私はその施設に入院し、オペレーションを受けた。投薬だけでなく、若返りの手術も必要だった。私は液体が満たされたタンクに体を浸した状態で1ヶ月ほどを過ごした。
オペレーションは成功、リハビリも順調だった。様子を見に来た男に私は、そろそろ外出してみるつもりだと告げた。彼は心配そうに言った。
「電話やメールは構いませんが、その顔でご友人にお会いになることは避けられた方がいいと思います」
なるほど、若返った理由を聞かれたら説明に困るだろう。私は友人関係をリセットせざるを得ないということだ。男が言った孤独、という言葉の意味がやっとわかった。
鏡の中の自分を私はもう一度つくづくと見た。どう見ても20代だ。もし女房が生きていたら、何と言っただろうか。
「子どもや孫に会うことは構わないだろう? 彼らにはこの顔を見せて、この技術についてちゃんと説明する。そして彼らにもオペレーションを受けさせるつもりなんだ」
男が、不思議そうな顔をして私を見た。
「説明を受けて書類にサインもされました。あなたは生殖を放棄したはずです」
「確かにそうだ。しかし、だからと言って家族にまで会えないということはあるまい」
「あなたが不老不死となったと同時に、あなたの卑属、つまり子どもや孫は、消去されています。全員、事故死ということで処理されました。安心してください。その費用も全て、あなたがお支払いになった代金に含まれておりますので」
その場に膝をついた私に向かって、相手は続けた。
「不老不死はとてつもない孤独を伴います。わかっていたはずですよね?」