2013年のゲーム・キッズ
第七回 地獄
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第7話 地獄
MISSION iPS.
人々の体は無残に焼けただれている。髪は抜け落ち顔はつぶれ、表情も言葉もわからない。刃物や歯車やドリルやバーナーが、ぎちぎちと複雑に絡み合いながら移動して、一人一人を順番に狙う。噴き出す炎で背中をあぶる。目玉を突き刺しえぐり出していく。逆さまに持ち上げてぐつぐつと煮えた茶色の液体に頭から浸ける。
詳しく描写する必要はないかもしれない。この場所のことなら、誰もが知っているはずだ……そう、地獄だ。
俺は両手両足の鎖を制服姿の男たちに引かれ、とぼとぼと歩いた。まもなく俺も、あの中に入るのだ。本物の、地獄に。
あの日、俺はとある会員制ジムの格闘場にいた。
俺の武器は大斧だった。それを頭上に振り上げた姿勢で、相手の出方を待っていた。相手は2本の鎌を両手それぞれに握っていた。お互い腰当て一つの裸体で、頭だけを兜で覆っていた。動きやすく、かつ表情がわからないのがいい。
相手が飛び込んできた。タイミングを合わせて斧を振り下ろした。しかし、空振り。手痛い失敗だ。重い武器は大振りすると立て直しに時間がかかる。その隙に相手は俺の脇に回り込んでいた。激痛。俺の左腕が吹っ飛んでいた。
しかし俺は冷静だった。噴き出した血飛沫が相手の視界を遮ったことを、0・01秒の間に見極めていた。体を翻しながら、右手に力を込め、空振りした斧を、もう一回転させた。遠心力を制御し、相手の肩口を狙った。
肩の筋肉を切る。それで、相手の動きを止めることができる。この角度ならもし外したとしても、鎖骨の1本は折ることができる。そんな計算だった。
手応えがあった。固い骨に刃が食い込む感触を、俺は感じ取ることができた。
電撃のような快楽が総身を走る。そう俺が求めていたのは、これだ。
本物の武器を持ち、生身の体で闘う。武道やスポーツでは、対戦や格闘を主としたものでも実際に相手を傷つけてはならない。手にする道具は殺傷能力のない擬似的武器だし、アクションには寸止めのルールがある。しかしこの格闘場なら、兜以外に防具は着けないし、攻撃の制限はない。目玉も金的もOK。本当に肉と肉、骨と骨をつぶし合い切り裂き合う、そんなファイトが楽しめるのだ。
こんなことが実現したのは、体をどんなに損傷しても元通りにできる新技術のおかげだった。人間の皮膚のほんのひとかけらから「iPS細胞」が作れるようになった。それを培養すれば、体のどの部分も、手も足も内臓も、作り出すことができる。体の一部を事故で失っても、飲酒や癌で内臓を痛めても、新しいものを移植すればいい。
体はスペアがきくものになった。身体の意味を変えるこの革命は、人間の精神をも一変させた。「残酷」という概念が、なくなったのだ。
手足が切断される。目玉がつぶれる。内臓が破裂する。そういうことで人が顔をしかめるのは、それが不可逆的なこと、つまり取り返しがつかないことだからだ。今や手足も目鼻も内臓も、新品をつければそれですむ。たいしたことではない。たとえば目玉をえぐり取られることも、髪や爪を切ることと変わらないのだ。
このジムには最先端の医療チームが控えていて、試合終了後に肉体は完全再生される。いくら大けがをしても元通りにしてもらえるから、安心してバトルに専念できるというものだ。
相手が倒れ込んだ。勝った、と俺は思った。相手の兜が、真ん中から見事に二つに割れていた。斧が最高の角度でヒットしたのだ。いや……俺は違和感に眉をひそめた。肩を狙ったはずだった。ずれて、脳天を直撃してしまったのか。
兜が、がたんと重い音をたて、中の頭蓋骨と一緒にぱっくり左右に分かれた。
こういう場合は、どちらを使って再生すればいいのか。両方を再生したら二人の人間になるのか。俺はそんなことを考えていた。実際のところ、相手はもう死んでいた。
この闘いには、たった一つだけルールがあった。即死させてはいけないのだった。いくら進んだ技術でも、死んだ人を蘇らせることはできない。
俺は人殺しになっていたのだ。
自分が裁かれる立場になるなんて想像したこともなかったが、iPS細胞技術の出現以降、刑罰の方法も激変していた。かつては、死刑以外の体罰は認められていなかった。だから罪を犯して責められるべき人間が、むしろ衣食住を保証されぬくぬくと保護されるという矛盾が生じていた。
しかし体罰は非人道的なものではなくなり、全面解禁となった。体はいくら破壊しても、修理が可能なものとなったからだ。費用のかかる刑務所は廃止され、代わりに大がかりな処刑場が建設された。全ての罪人はここに連行され罪状に応じた体罰を受けることになった。地獄が、現実世界に出現した。つまりテクノロジーがあの世とこの世を地続きにしたのである。
地獄の入り口に到着した。床から噴き出す火炎で太い金属棒が焼かれている。制服男の一人が分厚い手袋を装着するとそれを抜き取った。別の二人が両側から俺を押さえた。俺の裸の胸に、真っ赤に焼けた金属棒の先端が迫ってきた。
焼き印だった。俺の体に焦げ跡で識別番号をつけようというわけだ。
恐れる必要はない。俺は自分に言い聞かせた。
俺には、唯一の希望があった。ここでは全く苦痛を感じないはずなのだ。
すでに地獄にいる以上、もう死ぬことはない。焼かれても、煮られても、目を手をつぶされても、串刺しにされても、俺は死なない。
苦痛とは、人が死を避けるために、死に近づいていることを自分自身に警告するための本能作用なのである。それはそもそも錯覚なのだ。
ここは地獄だ。だからそんな錯覚はもう不要だ。落ち着け、と俺は呟いた。これは熱くない、きっとちっとも痛くないはずだ、と。
焼き印が押しつけられた。じゅう。肉を焼く音。煙。匂い。
俺は叫んだ。暴れようとしたら鎖は手足だけでなく全身に食い込んできた。喉が締め付けられ、声も出せなくなった。俺は声にならない声で叫び続けた。
痛い痛い痛い痛い痛い!!
何という痛みだ! 気絶しそうになったが、後頭部を固い棒でがつんと殴られた。鎖がまた強く引かれた。俺は血反吐を吐きながら立ち上がった。
まだ、はじまりに過ぎなかった。これから俺は肉をちぎられ、骨をくだかれ、体を焼かれる。死ぬほど責められ、しかし死なせてもらえないのだ。死にかけるたびに俺は、元通りにされる。そしてまた始まるのだ。
俺は終身刑だ。それが無限に続くのだ。
まさにこれは地獄ではないか。