2013年のゲーム・キッズ
第六回 生産的な悪魔
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第6話 生産的な悪魔
AFFAIRS
「どうしたの ?」
くりくりした目玉が覗き込んできた。
「女房のことなんだ。どうも浮気してるみたいで」
ふいをつかれて、つい正直に言ってしまった。
「まっ、けしからん……ってオイ」
彼女は体を起こして僕の頭をぽんとはたいた。毛布がずり落ち、つるつるした胸が露わになった。
「自分のこと棚に上げて、何言っちゃってんの」
怒っているわけではなく、笑顔だった。おかげで僕はすっと気分が晴れた。
本当にこの子はすてきだ。声や顔や体だけではない。静かにしていてほしい時はずっと黙っていてくれる。寂しくなってきたらこんなふうに、明るく話しかけてきてくれる。そのタイミングはいつだって完璧だった。
「うん、確かにそうだね。変なことを言ってすまなかった」
「いいってこと。浮気をしたって、浮気をされたくはない。人間ってそういうものだからさ。そもそも人が浮気をしたがるのは、相手が浮気をすることの恐怖から逃げ出すためなんだって。けどそれって悲しいよね」
「そういえば君は心理カウンセラーの知識も持ってたね。さすがだ」
「へへ。じゃあもう少しカウンセリング。ねえ、なぜ奥さんと結婚したの?」
「ああ。思い出した。ちょっと似てると思ったんだ、しおりちゃんと」
「しおりって、あなたが好きなあのゲームの?」
そう『ドキメモ』の……と言いかけて僕は、目の前の彼女の方がその美少女ゲームのヒロインにそっくりだということに気づいた。
「それだけじゃない。あいつが僕を好いてくれたから。こんな僕なんかのことを。こんなデブオタを」
そうはっきり言葉にできて僕はなんだかほっとした。そうだ、これが僕の本心だ。太っていて、顔が大きくて、ちびで、小学校時代のあだ名はガマガエル。そんな僕のことを妻は気持ち悪がらなかった。あいつも時々ふざけて僕をカエルちゃん、と呼んだけど、その言い方には嫌悪感はなかった。あたしカエル好きなの、と言ったこともあった。
僕は勇気を出してプロポーズした。それが受け入れられた時の、天にも昇る気持ち。しかし、やっぱり三次元は難しい。すぐにただのおばさんにしか見えなくなってしまった。悪いとは思うけど、自分でもどうしようもない。女房だって、すぐ僕を生ゴミ扱いするようになった。ここまでならまあ世間によくある夫婦の形だ。問題は、彼女が再び色気づき始めたことだ。髪を染め直し、少女趣味の服を新しく買い、そして遅い時刻にいそいそと出かけるようになった。
「嫉妬してる、ってことはあなたまだ奥さんを愛してるってことになるわ」
ベッドで横にいる彼女がそう言った。
「今日はね、あなたに伝えたいことがあるの……おめでとう!」
「えっ」
「お・め・で・た。あなたの奥さん、妊娠しているのよ」
しばらく声が出なかった。
「……。そんな、馬鹿な、いったい、誰の」
「何言ってるの。あなたたち夫婦の子よ」
「そんなはずが。だって僕たち、ずっとしてないんだよセック……」
僕の口を、彼女の指が押さえた。
「説明するから聞いて。あなた、私がなぜここにいるか忘れてない?」
「ああ、そうだった。僕は君をオーダーしたんだったね……」
「そう。私は政府から派遣されたアンドロイド。人間そっくりのロボット。まあ普段は忘れてくれていてもいいけど、今はちゃんと思い出してほしいの。あなた、サインしたでしょう。契約書、読んだわよね?」
「契約書? ええと」
「あなたは私をタダで手に入れる。その代わりに、私に注入した精子つまり遺伝子は、政府が自由に使用することができる。そういう文章があったはずなの。この機会にちゃんと言っておかなくちゃね。今、世界で一番深刻な問題は出生率の低下なの。理由ははっきりしている。あなたみたいなタイプ、現実の異性に性欲を感じることができない人が増えているから。あなたたちの生殖のエネルギーは、二次元世界に吸い込まれて、消滅し続けている」
そうだ。確かにその通りだ。僕だけでなく僕の世代の多くの男女は、結婚しないか、結婚してもすぐセックスレスになっている。
「このままだと人類は滅亡する。事態を重く見た政府は特別プロジェクトを立ち上げ、そうして私たちを作り出したわ。私を見て。私はここに存在するけれど、存在としてはバーチャルなの。あなたが大好きなアニメやゲームの女の子と同じよ。ただし、一つだけ違うことがある。私は、私たちは、あなた方夫婦の子作りをサポートすることができる」
そんな話をしながらも、その美少女の瞳はあどけなくきらきらと輝いていた。天使のように。いやこれは悪魔だと僕はその時、閃いた。
いつかどこかで、悪魔は両性具有だという話を聞いたことがあった。人間の男とセックスする時には妖艶な美女になる。そして精子を獲得すると、次には女を誘惑する。今度は、たくましくもしなやかな美少年の姿に変身して。悪魔は自分では生殖能力を持たないが、そうやって子孫を作るのだという。
彼女が悪魔なら僕はカエルだ。と、そんなことを考えた。理科の時間にカエルの交尾の動画を見たことがあった。雄が雌にまたがってはいるが、人間のそれとは違う。雌が産み落とした卵に雄が精子をふりかけるのだ。受精は体外で行われる。
夫婦って、子作りって、それくらいさっぱりしているものなのだ。そう思うと、僕はすっきりしていた。おかげで子育てに対する心構えができた。それだけではない。女房に対しての気持ちも、整理できた。
僕らもまた、動物なのだ。つまり女房は僕の精子で妊娠した、ということだ。そして僕らは親になる。それ以上でも、それ以下でもない。
次の日、僕は飲み会をキャンセルして早めに帰途についた。途中で花束と女房の好きなケーキを買った。おめでたのことは、彼女が言い出すまでは知らないふりをしていてもいい。ただ、今夜は久しぶりに二人で話をしたかった。
家に着いた。おかしい。電気が消えている。中に入る。奥の方で物音がする。
胸騒ぎがした。こういう事態を予測できなかったのは、妊娠したことで女房の浮気はもうおしまい、という勝手な思い込みがあったからだ。
僕はドアを蹴り開けて寝室に入った。思った通り、ベッドの上に女房と、男がいた。いやそれは、人間ではなかった。人間の大きさの、ガマガエルだった。