2013年のゲーム・キッズ
第五回 温めますか?
渡辺浩弐 Illustration/竹
それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。
第5話 温めますか?
CONVENIENT LIFE
「温めますか?」
いいえと言おうとして、なんだかうまく声が出なかったのでただ首を振った。
そういえばもう何週間も人と喋っていない。
冷たい弁当を袋に放り込む店員も、隣のレジの店員も客たちも皆、無表情で誰も誰とも目を合わせようともしない。いつもの殺伐とした風景だった。
店の外に出てから箸をもらい忘れたことに気づいた。戻ることにした。
もう一度コンビニに入った瞬間、全身が固まった。
雰囲気が一変していたのだ。カウンターを挟んで男女の店員が、笑いながら何か話している。客も2、3人、談笑に参加しているように見える。
確かに僕が足を踏み入れるまでは皆ワイワイと大きな声で喋っていたのだ。それがぴたりと止まり、全員の目がいっせいに、こちらを見た。
次の瞬間、皆すっと視線を伏せ、それぞれの分担に戻った。客はそろそろと列を作り、店員はレジのキーをわざとらしく叩いた。
どういうことだ。皆、知り合いなのか。部外者に見られたら困ることでもあるのだろうか。
僕はさりげないふうを装いつつ、レジ横に置かれた箸に手を伸ばした。
その時、カウンターの上に置かれたケータイの画面が目に入った。店員のものだろう。その画面にさえない男の顔写真が表示されていたのだ。
それは、僕だった。
混乱しながら部屋に戻った。あのケータイは、僕の写真は、どういうことなのだろう。あいつら僕のことを知っていたのか。まさか。そんなはずはない。コンビニで名前を明かしたことなど一度もない。
目の錯覚だろう。気のせいだ。そう自分に言い聞かせながら僕はパソコンに向かった。気を取り直して、仕事に戻ろう。
オンライン書店のサイトを開く。人気の新刊書籍のコメント欄に、レビューを書き込む。
「この作者は偉そうなことを述べているが、一流大学を出ていないことは致命的。本人に教養がないため、理論に説得力がなく……」
この本を読んだわけではない。読む必要などない。タイトルと、紹介文で中身はだいたいわかった。そして作者のプロフィールをウィキペディアで調べた。これくらいで僕は辛辣な評論文を書くことができるのだ。
一円ももらえないけれど、楽しい仕事だ。誰かを貶すことができるのは自分がその上のレベルにいるからなのだ。僕はとても高い場所に座っている。そこから有名な作家や言論人を見下ろして、諭してやっているわけだ。
突然金属音が鳴り響き、僕は反射的にケータイを手に取った。最近はほとんどゲーム機として使っていて、こいつに通話機能があることすら忘れていた。
「今、私の本にいちゃもんをつけてくれたのは君だね」
相手は作家を名乗った。僕がレビューを書き込んだ本の作者だというのだ。いたずら電話にしては、おかしい。今僕が書いたということを、僕のことを、僕の電話番号を、なぜ知っている。
「一流大学を出てないとか教養がないとか、何様のつもりだい? 君は高校中退だろう。偏差値38のXXXX高校の」
確かにそれは僕が通っていた三流高校の名だ。何がなんだかわからなくて、僕はただ口をばくばくしていた。向こうには鼻息の音だけがぶひぶひと聞こえていたことだろう。
「ネットでは誰でも、どんなことでも言える。君みたいな無職童貞の豚野郎でもな。高みの見物をしているつもりだろう。しかし、教えてやるよ。そこは最下層だ。君は、見られている。丸見えだ。そういえば君、さっきコンビニで笑いものになっていただろう? いい加減に気づけよ馬鹿」
電話は一方的に切れた。僕の全身はがくがくと震えていた。怒りのせいなのか、恐怖のせいなのか、自分でもわからなかった。
震える指先で、僕はいろいろな言葉を検索エンジンに打ち込んでいた。インターネット。匿名。発信元。特定。やがて表示された一つの文章が、僕を引きつけた。さっきの電話をかけてきたあの作家の、小説の一部分だった。
「この特別なサービスは当初、大企業や一部マスコミの人々のみが特権的に利用していた。しかしそれが広がるのに時間はかからなかった。今やもうこの事実を知らない人はほとんどいない。その一人が、君だ。そう君のことだよ。君は鈍すぎる。外に出てみなさい。会う人会う人が君を見て笑うはずだ。それは気のせいじゃない。君は、有名なんだよ。そんなに情けない人生なのに、とるに足らないクズのような人間なのに、いったいどうしてそんなに偉そうなことを毎日書き込めるんだろう、と。このアイドルは可愛くないとか太ったとか、よくぞまあその容姿で言えるものだ、と。原子力発電所止めろとか増税けしからんとか、一円も税金払っていない寄生虫の身に関係ないだろう、と」
これが小説だということはわかってはいたが、僕はとても嫌な気分になっていた。息が苦しくなってきた。
そういえば、いつだったかアルバイトの面接に行った時に、担当者が僕の顔とパソコンの画面をにやにやしながら見比べていたことを思い出した。間違えてお洒落な美容院に入ってしまった時、鏡ごしに従業員が皆ちらちらと僕を見てこそこそと囁き合っていたことも。
いや、まさか、そんなはずはない。そんなことが、あるはずがない。僕はそう必死で呟き続けた。
誰かに会いたい。聞いてみたい。君は僕のことを知っているのか、と。
いてもたってもいられず、外に出た。そして結局また、コンビニに向かってしまった。思いつく場所は、ここしかなかったのだ。
自動ドアをくぐる時ちょっと足がすくんだが、僕は自分に言い聞かせた。コンビニなら、一日に何度も来たって、おかしくない。僕はただの客だ。そうだ棚には、また新しい弁当が並んでいる。さっきは昼飯を買ったのだから今度は晩飯だ。そういう客はいるものだ。
僕は店員におかしなことを問いかけようとする自分を抑え、なんとか普通の人でいることができた。弁当とお茶を持って、レジに並んだ。やがて僕の番になる。
「温めますか?」
首を振りかけてから、僕はふと考えを変えた。思い切ってこう答えた。
「はい、おねがいします」
かすれてはいたが、ちゃんと声が出た。うれしかった。周囲の風景にすうっと色がもどってくる。そんな気がした。
「はぁ?」
大きな声が返ってきて、僕はびっくりした。つい店員の顔を見た。まともに見てしまった。店員は、はっきりと、こう言った。
「お前にそんな資格があると、思っているのか?」