2013年のゲーム・キッズ

第二回 少女再生装置

渡辺浩弐 Illustration/竹

それは、ノスタルジックな未来のすべていまや当たり前のように僕らの世界を包む“現実(2010年代)”は、かつてたったひとりの男/渡辺浩弐が予言した“未来(1999年)”だった——!伝説的傑作にして20世紀最大の“予言の書”が、星海社文庫で“決定版”としてついに復刻。

第2話 少女再生装置

GOLDEN GIRL

さざ波一つない、平坦な水面みなも。ところどころで白い水煙すいえんがゆらめいていた。

その中心が、ゆっくりと、盛り上がってきた。水中から何かが出てきているのではなく、液体そのものが上昇しているのだ。それは見上げるほどの高さになると、ぷるぷると震え始めた。飛沫しぶきほとばしった。

それは震え、ゆがみ、ねじれた。そのゼリー状の物体は、だんだんと形状を成し始めた。そこに見えない彫刻家ちょうこくかが存在しているようだった。

僕は既に知っていた。そこに現れる美少女の姿を。

不思議ふしぎな湖。その中からは、いつの日かやがて、理想の女が現れる。

これはファンタジー小説やゲームではない。テクノロジーの成果だ。そして未来のことでもない。僕はついさっきまで、自分の部屋で、エロゲーやラノベや漫画に囲まれていた。そんな場所から一瞬で、ここに来ることができたのだ。

あの契約にサインしたからだ。理想の少女を得る。その代償に、たましいを渡す。そんな約束。

遺伝子と記憶のバンク。つまり、体の設計図であるDNAと、そして今まで生きて脳内に蓄積してきた全記憶を、保管してくれるサービスだ。僕はそれに申し込み、眠りに入った。

同様の人々はスリーパーと呼ばれた。時代が進むにつれて多くなるはずだった。全てのスリーパーは、眠りに入る前に希望する〝恋人〟の容姿ようしや声や性格を、登録することになっていた。

そのデータのマッチング作業が、コンピュータの中でたえず行われている。条件を満たす相手が出現したら、つまり夢が叶ったら、それから再生オペレーションが行われるのだ。DNAからクローン技術によって元通りの肉体が作り出され、コンピュータからその脳に、以前の記憶がダウンロードされる。

人の一生は短い。行動範囲も限られている。その中で理想の存在と出会える可能性はほとんどない。だから多くの人々は二次元世界にそれを求めるしかなかったわけである。

しかし、このシステムならば、時間や空間の限界を超えた出会いが可能になる。相手が現れるまで、何万年でも、何百万年でも、待てばいいのだから。どんなに長い時間でも、本人にとってそれは一瞬だ。

僕は、理想の少女をイメージして、目を閉じた、と思った瞬間には、こうして目覚めていた。

そして今、目の前にその少女が現れようとしている。

この湖は、クローン再生、記憶ダウンロードのマシンなのである。今がいつなのかそれはまだ知らないけれど、その技術が完成した後の時代であることは間違いない。

目の前に立つ液体はすっかり人体の形状へと変わりつつあった。小ぶりの頭、くびれた腰、長い手と足。全てがまだ半透明だが、指や頭髪などのディテールまでがじわじわと彫り込まれ続けていた。

僕たちはここで、この現実世界で、奇跡的な確率をクリアして、生まれ、出会うわけである。

その全身は完成に近づいている。顔が、裸の胸が、ゆっくりと白くなってきた。髪は黒くなり、唇は赤くなった。

美しい。見つめているとめまいがしそうなほどに。

当然だ。これは僕がデザインした、究極の女なのだから。

彼女のひとみに光が宿り始めた。脳細胞の中に、スリープに入る直前までの記憶が、注入されているところなのだろう。

やがて彼女はふうと息をして、あたりを見回した。そして僕に気づいた。

なんと言おう。「初めまして」いや「待たせたね」「やっと会えたね」

ところが僕が声をかけないうちに彼女の表情が変化した。そして、その口が動いた。

「キモっ」

彼女は確かにそう言った。

「違う。あなた、なんかちょっと違う。だって、キモいもん」

その強い口調くちょうに押され、僕は顔を伏せてしまった。

水蒸気は消えていて、彼女が膝下まで浸かっている液体がはっきりと見えた。改めて見るとそれは気味が悪いものだった。その粘度は動物の内臓や排泄物はいせつぶつを思い出させた。生臭い匂いも、漂ってきていた。

人間は動物だ。どろどろの血肉のかたまりなのだ。そんなことを僕は考えた。胸が、むかむかしてきた。

「教えてあげるよ」

と、僕は顔を上げて言った。

「コンピュータのシミュレーションは完璧ではない。データのマッチングがいかに完璧でも、実際に三次元の世界で会ってみるまでは相手が本当に理想であるかどうかは、わからない。僕はしっかり入力したつもりだったけどね。君は、完璧な伴侶はんりょではなかった。なぜなら君は僕のことを100パーセント好きにはなれないみたいだからね」

裸の全身をだらしなくさらしたまま、彼女はぽかんとしている。僕は続ける。

「君は僕にとって、スペアがきく存在だ。別に、そんな君と妥協だきょうしてつきあう必要はないということだ」

彼女はまだ不思議そうに立ちつくしていたが、やがて顔をしかめ、

「いたい!」

と叫んだ。ようやく、僕の言葉の意味を理解したようだ。

その顔が、崩れ始めたからだ。

「痛い、痛い、ちょ、ちょっと待ってよ、待ってったら」

目玉が眼窩がんかからずるりと外れ、湖にぽしゃんと落ちた。鼻も崩れ、それを押さえようとした手もぐにゃりと曲がり溶けた。

「あたひ、いやよ、し、しぬのは。しぬくらいなら、ちょっとは我慢しても」

「もう遅いんだよ、馬鹿ばかめ」

と、僕は笑った。設定をミスった。容姿の、かわいさのパラメーターを気にするあまり、性格をおろそかにしていたのだ。

けれど後悔する必要はない。僕には無限の時間があるのだから。

「さようなら。君は不要だ。崩れて、消えてしまえばいい。次の女を待つよ。いつまでても待てるんだからね。いつまれれろ、まてるるんらから

声がうまく出ないことに気づいた。

僕の口と、それからあごも、崩れ始めていた。

自分の手を見た。そこから指がばらばらと外れ、足下の液体に落ちていった。