Fate/Zero 1 第四次聖杯戦争秘話

第26回

虚淵 玄(Nitroplus) Illustration/武内 崇・TYPE-MOON

あの奈須きのこがシナリオを担当した大人気ゲーム『Fate/stay night』の前日譚を虚淵玄が描いた傑作小説『Fate/Zero』が星海社文庫の創刊に堂々の登場! 1巻目となる「第四次聖杯戦争秘話」は『最前線』にて全文公開!

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「アサシンが殺られた?」

あまりにも呆気ない結末に拍子抜けしながら、ウェイバー・ベルベットは目を開けた。

先程まで視覚で捉えていた遠坂邸の庭の光景とは一転して、慣れ親しんだ私室寄生中の老夫婦宅の二階部屋に視野が戻る。さっきまで瞼の裏に見出していた映像は、使い魔にしていたねずみの視覚を横取りしていたものだ。その程度の魔術であれば、ウェイバーの才覚をもってすればどうということもない。

聖杯戦争における序盤の、まず当然の策として、ウェイバーは間桐邸と遠坂邸の監視から始めていた。郊外の山林にはアインツベルンの別邸もあったのだが、北の魔術師はまだ来日していないのか、現状ではもぬけの殻で監視するまでもない。

両家ともに、表向きはまだ何の動きも見せず、いっそのこと誰か痺れを切らせたマスターが遠坂か間桐の拠点に殴り込みをかけたりしないものかと、虚しい望みを託して監視を続けていたのだが、まさかそれが図に当たるとは思ってもみなかった。

「おいライダー、進展だぞ。さっそく一人脱落だ」

そう呼びかけても、床の上に寝そべった巨漢は「ふぅん」と気のない相槌を打つだけで、振り向く素振りさえ見せない。

ウェイバーは甚だ気にくわない。

仮にも彼の個室に厳密には他人の家だが、この際それは置いておいてこうもむさ苦しい筋肉達磨だるまが日がな一日寝転がっている有様が、ウェイバーには甚だ落ち着かなかった。用のないときは霊体化していろと命じても、ライダーは『身体のある方が心地よい』と突っぱねて、終始こうして巨体を晒している。実体化している時間が長引けば、それだけマスターがサーヴァントに供給しなければならない魔力もロスが多く、ウェイバーからしてみればたまったものではないのだが、そんな事情などライダーはお構いなしである。

なお許し難いことに、ウェイバーの貴重な魔力を食い潰してまでライダーが何をしているかといえば実に、何もしていないのだ。こうしてウェイバーが偵察活動に励んでいた今も、さもくつろいだ風に頰杖を突いて寝転がり、のほほんと煎餅せんべいかじりながらレンタルビデオに見入っていた。こんなサーヴァントなど、普通に考えたら有り得ない。

「おい、解ってるのかよ! アサシンがやられたんだよ。もう聖杯戦争は始まってるんだ!」

「ふぅん」

おい」

逆上しかかったウェイバーが声を上擦らせると、ようやくライダーは、さも面倒くさそうに半身を捻って振り向いた。

「あのなぁ、暗殺者ごときが何だというのだ? 隠れ潜むのだけが取り得の鼠なんぞ、余の敵ではあるまいに」

「それよりも坊主、凄いのはコレだ、コレ」

一転して語り口に熱を込め、ライダーはブラウン管の画像を指さす。今ビデオデッキで再生されているのは、『実録・世界の航空戦力パート4』ライダーはこの手の軍事マニア向けの資料を、文献、映像を問わず片っ端から漁っていた。もちろん実際に調達するのはウェイバーの役目だ。さもなければ巨漢のサーヴァントは自分で本屋やビデオ屋に赴こうとするものだから、マスターとしては気が気ではない。

「ほれ、このB2という黒くてデカイやつ。素晴らしい。これを一〇機ばかり購入したいのだがどうか」

その金で国を買い取った方が早いぞ、きっと」

ウェイバーが捨て鉢にそう吐き捨てると、そうかぁ、とライダーは真顔のまま唸った。

「やはり問題は資金の調達かどこかにペルセポリスぐらい富んだ都があるなら、手っ取り早く略奪するんだがのぅ」

どうやら現界してよりこのかた、ライダーは世界征服の野望に向けて現代戦のリサーチをしているらしい。聖杯から授けられる知識というものにも限度がある。たとえばステルス爆撃機一機あたりの単価なんぞは、その範疇はんちゅうにはないのだろう。

「取り敢えず、このクリントンとかいう男が当面の難敵だな。ダレイオス王以来の手強い敵になりそうだ」

このサーヴァントを召喚して以来、ウェイバーは胃痛が絶えない。首尾良く聖杯を手にしたとしても、その頃には胃潰瘍いかいようになっているかもしれない。

目の前の巨漢の存在を意識から締め出して、ウェイバーはより前向きなことを思考することにした。

何にせよ、真っ先に脱落したのがアサシンだったというのが有り難い。自らのサーヴァントであるライダーが、戦術的には正面から勢いで押し切るタイプの戦力であることぐらい、ウェイバーも認識していた。そうなるとむしろ脅威になるのは、奇策を用いてこちらの足許を掬おうと企むような敵である。アサシンはその代表格と言えた。得体の知れなさで言えばキャスターのサーヴァントも厄介だが、姿も見せずに忍び寄ってくるアサシンこそが、当面の直接的な脅威であったのだ。

セイバー、ランサー、アーチャーの三大騎士クラス、そして暴れるだけが能のバーサーカーは、まったく恐れるに足らない。ライダーの能力と宝具をもってすれば、力押しだけで充分に勝ちを取りに行ける。あとはキャスターの正体さえ突き止めれば

で、アサシンはどう殺られた?」

のっそりと起きあがって胡座を組みながら、不意打ちのように唐突にライダーがウェイバーに問いかける。

え?」

「だから、アサシンを倒したサーヴァントだ。見ていたのであろう?」

ウェイバーは口ごもった。たしかに見てはいたがあれはいったい何だったのか?

「たぶんトオサカのサーヴァントだと思う。姿恰好すがたかっこうといい攻撃といい、やたらと金ピカで派手な奴だった。ともかく一瞬のことで、何が何やら

「肝要なのはそっちだ。たわけ」

さも呆れた風な声とともに、ウェイバーの眉間みけんにペチンと何かが炸裂さくれつした。まったく予期しなかった痛みと驚きで、腰を抜かして仰向けに転倒してしまう。

それはライダーの中指だった。曲げた指の先を親指の腹に引っかけてから弾き出す、いわゆるデコピンというやつだ。むろん力などはこもっていない。が、松の根のように硬くいかついライダーの指ともなると、それだけでウェイバーの柔肌が赤くれ上がるほどの威力である。

またしても暴力。またしても肉体的打擲ちょうちゃく。恐怖と逆上がウェイバーを錯乱させ、口を利くだけの理性さえ奪い去る。自分のサーヴァントに叩かれたのはこれが二度目だ。彼自身の人生においても二度目だ。

怒りのあまり呼吸さえままならず、ウェイバーはぱくぱくと口を開閉する。そんなマスターの動転ぶりにも構わず、ライダーは深々と盛大に溜息をついた。

「あのなぁ。余が戦うとすれば、それは勝ち残って生きている方であろうが。そっちを仔細しさいに観察せんでどうする?」

ッ」

ウェイバーは言い返せなかった。ライダーの指摘は正論だ。家で寝転がって読書とビデオと茶菓子に明け暮れているようなサーヴァントに言われたくはなかったが、たしかに今後の問題になるのは、負けて倒された敵よりも、未だ健在な敵の方である。

「まぁ、何でも良いわ。その金ピカだか何だかを見て、気になるようなことはなかったか?」

「そ、そんなこと言ったって

あんな一瞬の出来事で、いったい何が解るというのか?

とりあえず、アサシンをほうむったあの攻撃が宝具によるものだというのは察しがつく。使い魔の目を通しても、膨大な魔力の破裂を見て取れた。

だがそれにしても、アサシンめがけて雨のように降りそそいだ武具の数は

なぁライダー、サーヴァントの宝具って、普通は一つ限りだよな?」

「原則としてはな。ときには二つ三つと宝具を揃えた破格の英霊もいる。たとえばこのイスカンダルがそうであるように」

そういえば現界した夜、ライダーはウェイバーに宝具を見せながら、切り札は他にあると言っていた。

「まぁ、宝具を数で捉えようとするのは意味がない。知っておろうが、宝具というのは、その英霊にまつわるとりわけ有名な故事や逸話が具現化したものであって、必ずしも武器の形を取るとは限らない。“ひとつの宝具”という言葉が意味するのは、文字通り一個の武器かもしれないし、あるいはひとつの特殊能力、一種類の攻撃手段、といった場合もある」

じゃあ、剣を一〇本も二〇本も投げつける“宝具”っていうのも、アリか?」

「無数に分裂する剣、か。ふむ、有り得るな。それは単一の“宝具”として定義しうる能力だ」

そうはいうものの、アサシンを倒した攻撃はまた違う。投擲とうてきされた武具にひとつとして同じ形のものがなかったのを、ウェイバーは使い魔の目で見届けていた。あれは分裂したのではない。それぞれが元から個別の武器だった。

やはり、あの全てが宝具だったのだろうか? だがそれは有り得ない。地に這ったアサシンに殺到した刃物は、二つや三つといった数ではなかった。

「まぁ、良いわ。敵の正体なぞは、いずれ相見あいまみえたときに知れること」

ライダーは磊落らいらくに笑いながら、深く考え込んでいたウェイバーの背中をひっぱたいた。衝撃に背骨から肋骨ろっこつまで揺さぶられて、矮軀わいくの魔術師はせかかる。今度の打撃は屈辱的ではなかったが、こういう荒々しいスキンシップは願い下げとしたいウェイバーであった。

「そ、そんなんでいいのかよ!?」

「良い。むしろ心が躍る」

不敵な笑みで、ライダーは放言した。

「食事にセックス、眠りにいくさ何事についても存分に愉しみ抜く。それが人生の秘訣ひけつであろう」

ウェイバーはその中のどれひとつとして楽しいと思ったことがない。いや、うち二つについては経験すらない。

「さぁ、ではそろそろ外に楽しみを求めてみようか」

首筋のけんをボキボキと鳴らしながら、巨漢のサーヴァントは大きく伸びをした。

「出陣だ坊主。支度せい」

「しゅ、出陣ってどこへ?」

「どこか適当に、そこいら辺へ」

「ふざけるなよ!」

ウェイバーの怒り顔を、ライダーは立ち上がって天井に近い高みから見下ろし、微笑んだ。

「トオサカの居城を見張っていたのは貴様だけではあるまい。となればアサシンの死も既に知れ渡っていよう。これで、闇討ちを用心して動きあぐねていた連中が一斉に行動を起こす。其奴そやつらを見つけた端から狩ってゆく」

「見つけて狩る、ってそんな簡単に言うけどな

「余はライダー。こと“脚”に関しては他のサーヴァントより優位におるぞ?」

嘯きながら、ライダーは腰の鞘から剣を抜き放とうとする。あの宝具を呼び出そうとしているのだと悟って、ウェイバーは慌てて制止した。

「待て待て待て! ここじゃまずい。家が吹っ飛ぶ!」