Fate/Zero 1 第四次聖杯戦争秘話

第24回

虚淵 玄(Nitroplus) Illustration/武内 崇・TYPE-MOON

あの奈須きのこがシナリオを担当した大人気ゲーム『Fate/stay night』の前日譚を虚淵玄が描いた傑作小説『Fate/Zero』が星海社文庫の創刊に堂々の登場! 1巻目となる「第四次聖杯戦争秘話」は『最前線』にて全文公開!

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草木も眠るうし三つ時、などという表現は、魔術師とサーヴァントには当てはまらない。

夜の闇の中に、どれだけ数多くの油断ならない駆け引きが交錯していることか、影の英霊たるアサシンには誰よりもつぶさに見て取れる。

とりわけ、この冬木市に集った魔術師たちにとって、関心の焦点とも言えるのは二カ所。深山町の丘に立つ間桐家と遠坂家の、いずれも劣らぬ二軒の豪壮な洋館である。

聖杯を狙うマスターの居城として、明々白々なこの二軒には、最近では監視を目的とした低級な使い魔が昼夜を問わず右往左往している。無論、館のあるじとてその程度のことは覚悟の上であり、いずれの館も敷地の中には探知と防衛を意図した結界が十重二十重とえはたえに張り巡らされ、魔術的な意味合いでいえば要塞化も同然の処置がなされている。

魔力を備えた人間が、主の許可なくこれらの結界に踏み込めば無事には済まないし、それはさらに膨大な魔力の塊とも言えるサーヴァントともなれば尚更である。実体、霊体を問わず、察知されることなくこの城塞級の結界を潜り抜けるのは、どう足搔あがいたところで無理であろう。

ただし、その不可能を可能たらしめる例外もまた存在する。アサシンのクラスが保有する気配遮断スキルがそれだ。戦闘力において秀でたものを持たない反面、アサシンは魔力の放射を限りなくゼロに等しい域まで抑えた状態で活動し、まさに見えざる影の如く標的に忍び寄ることができる。

さらに加えて、言峰綺礼のサーヴァントである今回のアサシンにとって、今夜の潜入任務はとりわけ容易だった。いま彼が潜入している庭園は、かねてから敵地と見なされていた間桐邸の敷地ではない。つい昨日までマスター綺礼の同盟者であった、遠坂時臣の邸宅なのである。

綺礼と時臣が他のマスターを欺いて水面下で手を結んでいたのは、もちろんアサシンも承知している。その密約を護るために、アサシンは幾度となくこの遠坂邸の警固を請け負ってきた。結界の配置や密度はとうの昔に確認済みだし、当然、その盲点についても熟知している。

霊体化したままの状態で、数多の警報結界を苦もなく回避して進みながら、アサシンは内心で遠坂時臣の皮肉な運命をわらっていた。あの高慢な魔術師は、配下に従えた綺礼にかなりの信任を置いていたようだが、まさかその子飼いの犬に手を嚙まれる羽目になろうとは思いもすまい。

綺礼がアサシンに時臣の殺害を命じたのは、ほんの小一時間ほども前である。何が綺礼の翻意ほんいを促したのかは定かでないが、おそらくは先日の、時臣によるサーヴァントの召喚が発端であろう。聞けば時臣が契約したのはアーチャーのサーヴァントだそうだが、察するに、その英霊が綺礼の想像以上に脆弱だったのかもしれない。それで時臣との協力関係にメリットがなくなったのだとすれば、今夜の綺礼の判断にも納得がいく。

いたずらに慎重になる必要はない。たとえアーチャーと対決する羽目になろうとも恐れる必要はない。すみやかに遠坂時臣を抹殺しろ』

それがマスター綺礼からの指示だった。おそらく戦闘能力においては最弱であろうアサシンと比してすら、“恐るるに足らず”と侮られるとは時臣が召喚したアーチャーの英霊は、よほど期待を裏切った見込み違いの相手だったのであろう。

庭も半ばまで来たところで、ただ素通りするだけで済む結界の盲点はなくなった。ここから先は、物理的な手段で結界を崩し、除去しながら進む必要がある。不可視状態の霊体のままでは出来ない作業だ。

植え込みの陰に屈み込んだ姿勢で、アサシンは霊体から実体へと転位し、髑髏の仮面を被った長身瘦軀の姿を露わにした。遠坂邸の結界とは気配の違う、幾多もの“視線”が遠くから浴びせられるのを感知する。おそらくは敷地の結界の外から遠坂邸を監視している、他のマスターたちの使い魔であろう。時臣その人に察知されない限り、出歯亀はいっさい気にする必要はない。聖杯を巡るライバルである時臣に対して、彼らがアサシンの潜入を警告する理由など有り得ない。みな競争相手の一人が早々に脱落する様子を、高みの見物とばかり見届けるだけだろう。

声もなくほくそ笑んでから、アサシンは最初の結界を結んでいる要石を動かそうとして手を伸ばし

次の瞬間、稲妻のように光り輝きながら真上から飛来した槍に、その手の甲を刺し貫かれていた。

ッ!?」

激痛、恐怖、そしてそれに勝る驚愕きょうがくまばゆい槍の一撃を予期すらしなかったアサシンは、信じられない思いで頭上を振り仰ぎ、投手の姿を捜す。

いや、捜すまでもない。

遠坂邸の切妻屋根の頂に、その壮麗なる黄金の姿は立ちはだかっていた。満点の星空も、月華の光すらも恥じらうほどに、神々しくも燦然と輝くその偉容。

傷を受けた怒りも、その痛みすらも忘れ、アサシンはただその圧倒的な威圧感に恐怖した。

「地を這う虫ケラ風情が、誰の許しを得ておもてを上げる?」

地に伏せたアサシンを、燃えるような真紅しんくの双眸で見下ろしながら、黄金の人影は冷然と、侮蔑以上の無関心でもって問い質す。

「貴様はオレを見るにあたわぬ。虫ケラは虫らしく、地だけを眺めながら死ね」

黄金の人影の周囲に、さらなる輝きが無数に出現する。空中から忽然こつぜんと顕れたそれらは、剣であり、矛であり、一つとして同じ物はなかったものの、そのいずれもが絢爛けんらんたる装飾を施された宝物のような武具だった。そしてそのいずれもが、残らず切っ先をアサシンに向けていた。

勝てない。思考ではなく本能の域から、アサシンは痛感した。

あんなモノに勝てるわけがない。勝敗を競うだけ愚かしい。

仮にもサーヴァントであるアサシンに傷を負わせた以上、あの黄金の影もまた間違いなくサーヴァント。それも遠坂邸への侵入を阻んだ以上は、時臣をマスターとする即ち、アーチャーの英霊であろう。

アレを、恐れる必要がないと?

おのれのマスターの言質げんちにアサシンは逆上しかかり、そこではたと、綺礼の言葉に矛盾がなかったことを悟った。

あんなにも圧倒的な敵の前では、恐れるまでもそう、恐怖する余地すらもなく

ただ絶望し、諦めるしか他にない。

風を切る唸りとともに、無数の輝く刃がアサシンへと降りそそぐ。

アサシンは視線を感じた。敷地の外から注視する使い魔たち。第四次聖杯戦争における最初の敗者、ただの一矢も報いることなく無様に果てるサーヴァントを、他のマスターたちが見守っている。

そして最後の瞬間に、ようやくアサシンは理解した。マスター言峰綺礼とその盟主たる遠坂時臣の真意を。